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他人を慮るということ。 [つれづれ]

今回も徒然と。
昨日、一昨日と続けて三部作みたいなもの。これで完結。



「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」

情報過多で面倒くさい世の中だから、そうならざるを得ない気もしている。

ころころと軸がぶれる政治家さんたちや捏造をする検察官、まともな情報を流さないマスコミ。情報過多になっているくせに、信用できない記事ばかり書く記者たち(きっと記者も面倒くさいんだ^^;)。

選択するにも何も信用ができないし、選ぶのも面倒くさいと思うのは当然だろう。

「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」は楽だし、余計なことを考えなくて済む。

そういう生活を選ぶ人が多くなるのは仕方がないような気がする。

ゆえに思考停止になって、結局は何も改善されない方向へ進んでいく。悪しきスパイラルの中に陥っていく。

これでいいのかな。

もし「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」人たちが何か問題が起きたときに依拠するのものは何なのか。

法律に依拠して正当性を訴えるという方法があるだろう。これができればまだいいのだけれど。

問題となるのはモンスターになることなのだ。ヒステリックに叫ぶ。強硬に持論を展開して相手を黙らせる。力でねじ伏せて、「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」ことを続けようとすると思うのだ。

「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」のだから、他人のことは考えないし、他人の気持ちを想像することすらしない。

もしかしたら、「他人には迷惑をかけてないからいいでしょ」くらいに思っているかもしれない。

こう考えていくと、誰もが無責任な状況を作り出していることになってしまう。



昨年(2009年)NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で偶然見た人の話である。20年近く地域医療に従事し、いまに至る中村伸一医師の話したことだ。

NHKのサイトから引用。http://www.nhk.or.jp/professional/2009/0113/index.html

「―――赴任して3年目のある夜、中村は、ひたすら自分を責めていた。くも膜下出血を見抜けなかったのだ。長距離運転をした後、酒を飲み、肩が痛いと訴えていた患者。前兆が非典型例だったため、見抜くのは簡単ではなかったが、見逃したのは事実。近くの総合病院に救急搬送した後、家族の車に乗せられて村に帰る道すがら、中村はひたすらわびた。責任をとって医師を辞めようとさえ思った。その時、言われた言葉だ。」

『誰にでもある お互い様だ』

この中村医師のことは朝日新聞でも取り上げられていたが、私は『誰にでもある お互い様だ』と言われたことで、この人はどれだけ救われたのだろうと想像する。『誰にでもある お互い様だ』と言った人は、どんな気持ちで中村医師に言ったのだろうと想像する。

このとき、中村医師の頭によぎったことは「医療訴訟を起こされるのではないか」ということだったと言う。


もし、「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」人が自分の正当性を法律に依拠して訴える人であったならば、医療訴訟を起こされていたと思うし、もし、「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」人が力づくで正当性を訴える人であったならば、中村医師が医者を辞めるまでヒステリックに叫び続けていただろう。

でも、この家族は『誰にでもある お互い様だ』と言ったのだ。

それは何故かというと、中村医師が信用できる人だったからだと思う。この家族は、中村医師のこれまでの働きを見て、信頼できる人と見ていたんだろう。きっと中村医師の姿に「無責任」というものは感じなかったのだと思う。

だから、『誰にでもある お互い様だ』と言えたのだと思う。

おそらく、ここまで考えての言葉ではない。この場では自然と出た言葉だと思う。中村医師の気持ちも慮って自然と出ていると感じられる。

こういうのを忘れてはいけないんだよな、と思う。



三部作、ここに帰結^^;



嫌だなと感じることはたくさんあるし、いつもよく怒ってはいるけれど……。

こういう人の話を聞いたり、読んだりすると、「まだ日本という国は大丈夫なのかなあ」なんて思うのも事実で、もっとこういう人たちを前面に取り上げていけるといいのに、と思う。

そしてこういう人たちにこそ、たんまりと報酬を与えるべきなのだ。



今回、ノーベル化学賞を受賞したお2人も特許を取っていないそうで……「皆が使えるようになればいい」という考えであったらしく、「カッコイイ!!」と思ってしまった。研究者はそうでなくちゃ。

だからきっとノーベル賞はご褒美なのだ。







で、いろいろ検索していて、こんな本を見つけた。


自宅で大往生 (中公新書ラクレ)

自宅で大往生 (中公新書ラクレ)

  • 作者: 中村 伸一
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2010/06/10
  • メディア: 新書



読んでみるかな。



おしまい。
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恥を知っていたい。 [つれづれ]

今回も徒然行く。

今日は資源ごみの回収日にあたり、段ボール箱や新聞、雑誌などなど…紙関係の資源回収が行われる日だった。

商売柄、紙関係のごみが多い我が家。2週間に一度のこの日は、台車を出して、えっちらおっちらと雑誌や段ボール箱を解体したものを載せ、ガーッと指定の場所まで運んでいく。

雨の日はぬれてしまって申し訳ないと思うので、出さないようにしているが、今日のような秋晴れは出さなきゃあかんでしょうと思うごみ日和だ。

それはさておき、最近のこの紙関係の資源ごみ回収で、置いてある資源ごみの種類を見て感慨深い思いをしている。

それは、新聞や雑誌の資源ごみが圧倒的に減っていることだ。

生活の中で現実に実感すると、これはもう本当に起きていることなんだな、と思う。

新聞離れ、雑誌離れ。

これは活字離れなんだろうか。ちょっと違う気がする。

もしかして景気の問題かとも思う。収入が減っているから新聞や雑誌を買うお金がもったいない。ネットができれば十分じゃない? という意識。

それよりもっと驚いていることがある。こういう考えは時代遅れなのかもしれないが、地域の自治会(町内会というところもあると思う)に属しない家庭が増えてきていることだ。

我が家が属する自治会は班や組に分かれていて、大きなくくりとして自治会→班→組となる。具体的にいうと、●●自治会1班A組といった具合だ。「組」が最小単位となっており、うちのあたりは以前、10軒の家庭が属していた。その属していた家がいまや4軒にまで減少しているのだ。

1軒は引っ越してしまったから致し方ない。しかし、他の5軒はいまもそのまま暮らしている。

何で脱会したのか…。

自治会費がもったいないから(社会福祉協議会などの会費を含めると年間4千円ほど)。自治会の活動をしたくないから。近所づきあいをしたくないから。これらのいずれかだと思うのだが。

脱会した彼らに振り返ってもらいたいと思うことがある。それは、うちのあたりで行っている自治会の活動だ。どういうものかというと、外灯の取替えやごみ回収所の整備、防犯パトロールなどであり、それを自治会の役員や係になった人、または有志で行っている。

行政ではできないことを、住民が自治会という形で集まって行っているのだ。それをすっかり忘れてしまっているんだろうなと思う。それでいいのか? と私は思うのだ。

きっと自治会を脱会した理由は、上記に書いたすべてだと思っている。何しろ面倒くさいから。私だって面倒くさいと思う。でも、それではよくないと思っている。

もし災害があったらどうするんだろう。おそらく地域の自治会が避難所やらなんやらを用意し、仕切るだろう。そのとき、自治会に属していないからといって、会員以外の住民を受け入れないかといったらそうではない。排除することはない。一緒に避難生活を送れるように、きっと配慮する。

なぜなら賃貸住宅に入居している人は自治会に加入していない家庭のほうが多く、そういう人々まで排除するほど権力はないだろうし、排除する必然性もない。もちろん受け入れる。

(少し説明すれば、持ち家の人ばかりがなぜ自治会の入るのかといえば、とりあえずそこでずっと暮らすであろうという前提からだ。賃貸の人は短期の入居者かもしれない。すぐに引っ越してしまうかもしれない。そういうことからだ。)

自治会を脱会していった人々は、こんなときどう思うのだろうと考える。地域の活動に参加せず、でも万が一のときは自治会の活動にお世話になる……。

私だったら恥ずかしいと思う。まるで「義務を果たさず権利を主張する人」のようになってしまうではないか。そんな恥ずかしいことはできない。




ここで元に戻るが、新聞を買わない、雑誌を買わない、そんな家が増えたということ。

こういう家庭はたぶん、ネットで新聞の情報を読み、雑誌に載っているであろうものも得ているんだと思う。

考えて欲しい。情報過多だ何だといわれるかもしれないが、ネットで情報を得るときはその情報を自分で選択できるということを。

要するに自分の好きな情報しか得ないで済むのだ。ネットは欲しい情報だけを集めればいいというシステムになっている。検索機能のそれ。だから好きな、あるいは欲しい情報しか得ないで済む。

ここに思い至ったとき、自治会から脱会していく家庭が増えていることと、新聞離れ・雑誌離れがリンクしてきた。

「自分の好きなものしか欲しくない。自治会の活動なんてお金もかかるし面倒くさい。隣近所との付き合いなんてしたくない。」

「新聞や雑誌は知りたくない情報もあるし、お金がかかる。ごみにもなるし、もったいない。自分の好きなものだけあればいい。」



なるほどな、と思った。

個人主義に拍車がかかっている。それより、ひとつの家庭が孤立するのも厭わないというわけだ。

こんなとき、教育や介護で、そのひとつの家庭で問題が起きたらどうなるんだろうと想像する。

モンスターペアレンツ、モンスターペイシェント、クレーマー。そういう言葉が思い浮かんだ。

世知辛い。

100歳以上の人が、死んでいるのに、たくさん存在するなんていうのもこんなところから始まったんだろうと思う。

行政の怠慢もあると思うけどね。



……それから、政治も(笑)



おしまい。
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粋って難しい。 [つれづれ]

写真の話を少し。(残念ながら写真はありません)。





ある日、夫T君が「花の写真を撮る人の気持ちがわからない」と言い出した。

「あ~」と私。

T君の言い分がわからないわけではない。でも「それを言ってはいけないよ」な禁句のように感じている。

私自身も写真を撮るのに、花や植物というテーマは選ばない。

なぜなら私が撮ると花や植物はキレイに見えないというのがある。言い方を変えれば、私は花や植物を美しく写せない。こっちのほうが正しいかな。

美しく写せないから撮らないし、花や植物を撮るのを上手になろうとも思っていないから、いつまでたってもキレイな花の写真は撮れない。

もともと撮り続けていた写真がその辺のスナップ的なものばかりなので、ついでに写る花や植物はある。でもついでだから、もちろんキレイでもないし、風景の一部になっているだけなのだ。

だから反対に、花や植物を美しく撮れる人が羨ましいと思うことのほうが多い。

他人が撮った花や植物の美しさに目を奪われ、変わった形や色の花を写したものを見れば、「いいのを見つけているなあ~」と思う。

要するにそういう視点がないから、花や植物の写真が撮れないんだ。

転じて、T君が言ったことを禁句のようなものと言ったかといえば…。なぜか花や植物を撮ることをテーマとしている人が多く見受けられるということ。

ちょっと高原を散歩したりしてみれば、カメラを植物にずいぶんと近づけて写真を撮っている妙齢の男性や女性がいるわけで、皆とっても熱心。それを撮るために、いいカメラやレンズを揃えたんだろうなあということが窺える。

たぶんね、T君はその風情が好きではないんだろうということが想像できるんだ。「そこまでしなくても……」という思いと疑問。

私は趣味なんだからいいじゃないと思うし、自分は花や植物の写真を撮るのが下手だから、そこまで一生懸命になれるということを羨ましいと思うくらい。撮れば撮ったで上手になっていくし。それにその人たちのキレイな花や植物の写真を見れるんだからいいじゃないさ…、と思うのだけど。


やっぱり何ていうんだろうなあ~、写真を撮る風情に「粋」なところを求めているのかもしれない。

少し前に冠婚葬祭でカメラを撫で回すように持って、写真を撮っている男性があまり好きではないということを書いたけれど、それも「粋」ではない姿なんだからだろうなということを思った。

無粋。

T君にとってみれば、花や植物を撮っている人の姿は粋ではないんだ。もともと花とか緑とか興味のない人だし。語られるのも嫌いな人だし。

人それぞれの好き嫌いというのはあると思う。趣味なんだから大目に見ればいいのにと思うけれど、「冠婚葬祭でカメラを持った男性の姿は粋ではない」と思う私と同じなのかもしれない。

しかしこれは当事者に対してはきっと…禁句なんだ。

言われたら嫌だろうなと想像できる。よかれと思っていることなのだから。

私も「大きなお世話だ」ときっと思う。ここで書くことも大きなお世話だけれど……。

ただ、そんな風に思っている人もいるということで……^^;



あと、またまた余計なお世話だけれど、私やT君がそれぞれに粋ではないよねと思う人というのは、楽しみを共有できない人のように感じているんだろうということ。そんな感じかな。

ちなみに「粋」を明鏡国語辞典で調べてみたが、②に「義理人情を解し、物分かりのよいこと」とある。

別に物分かりがよすぎる必要もないけれど、この印象が近い。



チップスターの筒に鏡を仕込んで、カメラのレンズに備え付け、花を撮ったり人を撮ったりして、万華鏡のような写真を撮影している人もいますが……。これはこれで楽しい。理解しやすいし。

ああ、ここまで書いて何かに近づけそうな気がするけれど。。。なんだろう、なんやよくわからないですね^^;




と、つれづれと考えていたことの1つでありました。

お付き合いいただきありがとうございます、はい。
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男性とカメラ [つれづれ]

camera.JPG

前回、Minolta CLEとSonyのNEX-5に何か通ずるものがあるように感じた、と書いたものの、どこかな? と確かめるべく、ごそごそとCLEを出してきて見比べてみた。

似ているような気もするけれど、全然違う^^;

大きさも、CLEのほうが一回り大きかった。イメージでは同じくらいに思っていましたが、NEX-5は相当小さい。そして軽いです。へぇ~。

似ている点を挙げれば、CLEに後付けしたグリップの感じが似ているかな…というのと、正面の顔つきがCLEのレンズフードのせいで似ているような気がすると。

正面の顔つきか…。うん、うん、大事な要素だ(笑)




さて、カメラつながりで、ふと思い出したことがありました。カメラにまつわるハナシといいましょうか、それに対する考察みたいなものですが。

女性がカメラを持って写真を撮っている姿と、男性がカメラを持って写真を撮っている姿を想像してみてください。

プロではなくて、全くの一般の女性と男性です。

その姿を想像したとき…誤解を恐れずに書くのですが、男性のほうが仰々しくカメラを構えているような気がしませんか?

女性のほうが比較的ナチュラル。

これは想像ではなく、私自身の目撃かつ経験でもあるんですけれど^^;


思い出すエピソードがあるのですが、夫T君のお祖母さんのお葬式のときとか、そんな場面でのこと。

T君の叔父や兄がカメラを持ってきていて、パシャパシャと写真を撮っています。

私もそんなときは一応カメラを持って行っていて、T君や義母などは「toroさんに写真を撮ってもらいなさいよ」と他の人に言ったりするわけです。

私が写真を撮っていた経歴があるものだから、彼らはそういう人に撮ってもらえばいいじゃない…って思うのでしょうが。

しかしながら、そうは言っても、叔父や義兄はカメラをしまうこともなく、しっかりと撮り続け、何もしていないときはカメラを撫で回すとか、そんな感じなんです。

それを見て、「あ、あの人たちの仕事を取ってしまってはいけないんだ」と私は思ったのでした。

なぜならば、家族に関わるイベントで、カメラを使った記録係というのは男性の仕事なんだと。

その仕事を取り上げてしまうと、この人たちはやることがなくなってしまうんだなと。

考えてみると、冠婚葬祭での男性の仕事は、車での人の送迎とか、カメラを持って記録する係とか、いかにも男性が行わなければならない仕事なわけで、お茶汲みをするとか、お膳の準備とかは女性の仕事であると、きっちりと分担されている。

なので、私はお茶汲み要員であり、お酒を用意する要員だったりするわけで、カメラ要員とはされていない。

とくにそういう男性の頭の中では、カメラ要員の女性の存在はない、と感じたのでした。

人によっては違うのでしょうが、ステレオタイプ的な家族の中の男性(父・夫)の姿を、男性自身が知らず知らずに演じてしまっているような…そんな感じがするのです。

そのために、カメラというアイテムも重要で、持っているカメラも大きく、高級で、存在感があるものの場合が多い(ような)…。…何だか仰々しい。「もしかして武器なのか?」と見紛うほどです。

だけど、常識的に考えると私のような女性の存在は特殊で、特殊なほうこそ排除されなければいけないのかもしれないですね。

T君などは、私のカメラ好きを知っているので、「俺はカメラのことはわからん。写真はお前に任せた」と言って、ふらふらとお酒を飲んでいるような人なので、私としては楽なんです。

「写真のことは俺に任せろ」と言って、私からカメラを取り上げるようなことはしない。

ただ一方で「写真のことはお前に任せた」とわざわざ言うところは、男としてカメラのことぐらいは知らないといけないと、心のどこかで思っての発言なのかもしれません。

叔父や義兄は、暗黙のもと、カメラを取り上げちゃう人なんだろうなと感じます。なぜならステレオタイプだから。

いいお父さんであり、夫を演じているんだろうなあ~と…ついついそこまで穿った見方をしてしまうのです。

…いじわるだな、私^^;

もしかしたら、私がそういう父や夫という存在をバカにして見ているからかもしれないんですけどね。失礼な奴です、はい。すみません;;


じゃあ女性が写真を撮っている姿を見てどう思うかというと、素直に、可愛いもの、きれいなもの、好きなものを記録したい、きれいに写真に残したいという気持ちで、ただ撮っている、という風に見えます。

なので、カメラを構えている姿も仰々しく見えません。



プロの写真家に目を向けると、森山大道さんや荒木経惟さんが日常的に写真を撮っている姿は、全く違和感なく、すっとカメラを被写体に向けて、あっという間に撮っているという感じです。もちろんプロだから、違和感もないのでしょうし、自然にカメラを構えられるということなんでしょうが。

でも、このすっとカメラを構えられる、というのがカッコいいんですよ。ええ、本当にカッコがいい。

できれば父や夫という人はそうあって欲しいと思うわけで。私の願望ですねえ。

結局、私の好き嫌いという話になっちゃいましたが(笑)



でもねえ、やっぱりこういう父や夫という人は、カメラなんですね。好きなのはカメラ。きっと写真はどうでもいいと思っているんじゃないかなあ~。

ただの記録。構図なんて考えてないような気がする……。アルバムを作るときも適当な気がする。  ……あ、またバカにしてしまった^^;


ま、私もカメラ好きではあるので、人のことは言えないですけどね^^;


おしまい。


※後から思ったことですが、日常的に写真を撮っているか、撮っていないかで違ってくるということもあるんだろうなと気づきました。「にわかカメラマン」になるからちょっと仰々しくなるんだなあ。
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いつものごとくぼんやりと考えていること [つれづれ]

ミニ氷河期に突入したのではないかと、一人で勝手に思っている。

リーマンショックをはじめとして、経済に大打撃を受けたアイスランドでの火山の噴火。そしてヨーロッパ各地で飛行機が飛ばなくなる。

何かを暗示しているような気がして仕方がない。

中国での地震も、チベットの人々がいるところ(青海)で起きたというのも、何かの暗示のような気がしてならない。

占星術的にいうと、現在は水星が逆行しているから通信や交通が滞る。またコミュニケーションがうまくとれないとか、そんなことが往々にして起きるという。これは5月12日までだが、果たしてそれだけだろうか。

寒暖の差があまりに激しくて、農作物に多大な影響を与えている。葉もの野菜が高騰しているけれど、これはこれでいいのではないか? いままで安くしすぎていた農作物からの反撃みたいなものだ。自然のものであるから、安定供給は簡単ではない。それを実現させていた農家の方々や自然に対し、敬意を払っていなかった一般消費者への警告のようなものに感じている。

家族の勝手でしょ!写真274枚で見る食卓の喜劇

家族の勝手でしょ!写真274枚で見る食卓の喜劇

  • 作者: 岩村 暢子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/02/19
  • メディア: 単行本


先日、葉もの野菜の高騰しているにもかかわらず、キャベツがやや安く売り出されたことがあった。そのとき、そのキャベツに群がる女性たちを見て、「違うだろ」と思った。「普段から野菜を食べているわけではないでしょ」と。

そしてこれを見て思い出したのが、一昨年だったか、バターが品不足になったときのこと。そのとき、バターが売り出されれば、同様にバターに群がり大量に買い込んでいる人がいた。

同じ現象だと思った。

TVニュースで高騰している野菜について主婦たちにインタビューをしているのを見たが、想定どおりに答える主婦たちを見て、なんだかなあ~と思うだけだった。

マスコミが期待している通りの答え。

本当に野菜が食べたければ、「高くても買えよ」と言いたい。本当に必要とあらば、「高くても買うでしょ」と思うのだ。

価格破壊のような牛丼にしてもそうだ。牛肉を安くするために、どれだけ無理をしているのだろうかと想像する。ぶっちゃけ一言で言ってしまうと、自然界への冒涜のようなものを人間はしているのではないか。クローンだなんだの騒ぎではない。

牛肉は高級なものと、元に戻ってもいいのではないかと思う。

マグロもそうだ。



だから、この気候の不安定さはその暗示なのではないかと。火山灰で太陽が隠され、気温が上らない。原因不明の海水温の低さで、日本も気温が上らない。各地で地震が起きる。民族の暴動が起きているところもある。

そんな状態を見ていると、地球が怒っているような気がするんだ。そしてミニ氷河期に入ったのではないかと。

温暖化温暖化と言うけれど、結局は自然をないがしろにしてきたツケで、温暖化どころか氷河期に突入なんて皮肉なものだなと思う。

どんなにドエライ人が頑張ったって、結局は変わらないんだ。人それぞれ。一人ひとりの心がけだと、最終的には思う。


自らを振り返れば、自分に降りかかってきている危機感や不安が物語っているんじゃあないか。





と、私もここひと月ほど、不安を感じています。何でなのかは分からないけど。

スーパーには葉もの野菜も潤沢にあるし、それを買うだけのお金はあるし……。

なので大丈夫なはずなのに、だけど不安。


何だかオカシイよな。気候の不安定さだけではなく…。


そんな感じです。



ぼんやりと考えていることでした。
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人を信用するということ [つれづれ]

またも何の写真もなく、ただひたすらぶつぶつ言っているようなことを書きます。お付き合してもいいかなあと思われる方は、どうぞお読みくださいませ…。とっても愛想なしです^^;


さて「人を信用するということ」。

以前にも書いたことがあるが、私は基本的には性善説…人は誰もが「いい人」という視点から人を見るようにしている。

第一印象がよくても、悪くても。

悪口は言わないようにしている。もし、誰かがその人の悪口を言おうものなら、「いや、それはこういう風に解釈できるんじゃないの?」と、違う側面から見た、その人のいいところを言おうとする。基本的にはそう。(うっかり毒を吐こうものなら、激しいものになってしまうということがわかっているので自重しているということもある^^;)。

そして「いい人」であれば信用もできるというもの。

信用するから話もするし、信用するからコミュニケーションも取れるんだと思う。

ところが、「あ、この人は信用できないな」と突然気づくときがある。それはどういうときなんだろうか…。

ふとそんなことを考え始めてしまった。

実際に嘘をつかれたとか、嘘を教えられたとか、不利になるようなことを言われたとか、そういうことが現実として起これば「信用できないな」とすぐに思うだろう。

しかし、あるとき直感で「あ、この人は信用できない」と思うときがある。

これはなんだろう、と思うのだ。

雰囲気、しぐさ、話し方、話す言葉、ひいては職業、家族、生い立ちにまで行ってしまうのだろうか…。

いや、職業、家族、生い立ちに関しては「信用できる人」であるという側面を引き出すファクターになりはしようが、「信用できない人」ということには結びつかないだろう。しかし先入観として、職業、家族、生い立ちに信用できない何かがあったりしたら別の話になってしまう。これは難しいところだし、差別的な話にも結びつくので考えてはいけないことだろう。

また、虚言癖がある人…精神的な病でついつい嘘をついてしまうとか…。そういう場合は信用できるできない以前に付き合い方も繊細な話になってしまうので、除外しなければいけないと思う。

では「信用できない」と感じたらどうするか。
おそらく、その人とは距離を取ろうと思うのが人情。できれば付き合いたくないと思うもの。

でも付き合わざるを得ないときはどうするか。
適当な会話で終わらせる。大事なことは言わない。物を頼むことも、お願いもしない。そんなところか。

ちょっと話は違うが、私は義母や義兄嫁とは「適当な会話で終わらせる。大事なことは言わない。物を頼むことも、お願いもしない」という付き合いをしている。どうしてかというと、大事なことを言ったり、物を頼んだり、お願いしたりすると、その後に何を言われるかわからないから^^;

「●●をやってやったのに…」「あの子はこう言ったのに…」。だいたいそんな言葉が返って来る。やった損、言った損…みたいな。

全く、何をもってお返しをすればいいのかさっぱりわからず、だったら始めからお願いもしないし、話をしないほうがまし。…ということで、義母や義兄嫁とはそういう付き合いになってしまった。

これも信用できるできない以前の問題。というか、信用していない(笑)
何かをお返ししても、そのお返しに対して文句を言うからなあ~。

では、嫌いな人だったら信用できないか、と言ったらそんなことはなく、嫌いな人でも「この人は信用できる!」と太鼓判を押せるような人はいる。

嫌いではなくても、信用できない人はいるし…。

これは一体どう考えればいいのか。

結局、直感でしかないのか。第六感。

「この人のこと、どうしても信用できない。なんだかわからないけれど…」

言葉で言うとこんな感じ。

いい人に見えても、信用できないオーラというか…。




ある知り合いが、家はそのままに、そしてキーをつけたままの車を放置し、行方不明となって3週間以上が経過した。

事件なのか、事故なのか、さっぱりわからないまま時は過ぎて行っている。

もし、自ら失踪したのだとすれば、何かからどうしても逃げたくて、何はともあれ貴重品だけを持って着の身着のままでどこかに行ってしまったとしか考えられない。

だけれど、その逃げ出したくなったものとは何だったのだろう。

還暦を目の前にした男性である。失踪して一から出直そうとしても、厳しい年齢であると思う。そんな人が敢えて失踪を選んだ理由というのは一体なんだったんだろう。

一瞬、男やもめで子どももいないために、加藤和彦さんのようなことも考えたが、出かけた先で人に会いに行く約束もしていて、その人のためのお土産も用意していた。そして、「もうすぐ着くから」とその相手に電話をしているのだ。その直後の失踪。

そんな人がいきなり行方をくらまして、命を絶ってしまうようなことがあるのだろうか。
もちろん遺書なんてものもない。



そんななか、疑いをかけられてしまった女性がいた。

失踪した男性が付き合っていた女性だ。

彼女と一緒にいた彼を私も見ているし、楽しくやっていると人づてに聞いていた。「あ~、そんな友達ができてよかったねえ」と言っていたものだ。

ただ、彼はその彼女を私たちには紹介もしてくれず、彼女と一緒にいても話すのは彼だけだった。肝心の彼女はというと、自ら私たちに挨拶をすることもなく、果ては人から目をそらすような感じの人だった(こっちが挨拶したくてもできない印象)。

そんなわけで、よんどころないお付き合いなのかな…と薄々感じていて、詮索はせずにいたのだが…。


そんな彼女であったために、オカシイと思った人は多く、彼が失踪直後の彼女の行動も「あれ? ちょっと常識では考えられないよね」というようなことが多かったために、疑いをかけられてしまった。

ちゃんと彼女は失踪を知ってすぐに、捜索願を出すということをしている。しかし私たち友人・知人にこのことが知れたのは失踪から2週間後のこと。

普通は友人・知人に連絡をして、「心当たりはないだろうか」と聞いてくるものだろうと思うのだが、それが全くなかったのだ。

そしてそんな彼女の行動を端緒にして、友人・知人らが「あれもオカシイ、これもオカシイ」となり、疑われてしまった。

一方、その彼女と直接交流のある友人は、彼女を「いい人だ」と言い、疑うのはオカシイと怒りをあらわにするほどで、全く取り合わない。

そのために反対に彼女の疑いも晴れることなく、失踪した彼も出てこず、どうしようもできずにだんだんと諦めに近い心境になってきてしまっている。

ある意味で、疑うのも勝手だが、いい人と思うのも勝手なので、どっちもどっちと思っている。しかしそんな言い合い(怒り出す)のようなことが起きてしまい、友情にひびが入りかねないところまで発展してしまったのが非常に残念で、何でこんなになってしまったんだろうと、頭をひねってしまった。


そして、冒頭の「人を信用するということ」に戻るのだが、どうして人は人を信用できるのか。あるいは人を信用してもいいと思うのか。

とっても不思議な心持であることに気がつき、またも、ない頭を絞りに絞って考えてしまった。

性善説を持ってしても語るのは難しく、やっぱり第六感なのかと思わざるを得ない不透明感。

なんでなのだろうか。


ただ、今回のことを経験してみてわかったことは、人を信用できないという状況は、ものすごいストレスであり、人を疲労させることである。

残されたのは悲しさだけだな、と思った。


おしまい。
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もし●●だったら…。 [つれづれ]

ぼんやりと考えていることがある。

ぐだぐだと書くと思うので、お付き合いいただける方はお読みくださいませ。(たぶん、あんまり面白くはない。)

それは何かというと、働いて得るお金の配分。

JALの経営再建とか、ぼったくりの国交省のことを考えていたのだが、彼らが得たお金はどこに行ったのかと、そんなことをぼんやりと考えていたのだが。

おそらく想像しているとおりに、組織の上層部がほとんどを得ているんだと思う。

そして思うのだが、組織の上層部が高収入を得たとして、果たして経済が活性化するのか、ということを考えてしまうのだ。

バカな私が考えたとしても、全然活性化しないと思う。だってその人たちはお金を使わないでしょう。高級品を買ったり、株を買ったり、お金を運用したりするかもしれないけれど、それはきっと自分たちだけのためのものだし、運用も自分たちが利益を得るためにしかしないだろう。

活性化して欲しいと思うような企業の株を、この人たちは買いそうもない。買うとしたら、安定した株か、知り合いの企業の株というのが実際だろう。

そして、こういう人たちばかりに報酬が与えられることになっている今の状況は、結局、働き手に報酬が回っていかないことになる。少ない報酬で働いてもらうか、海外の安い働き手に何とかしてもらうということになる。するとどうなるか。

国内で、実際に働いてもらわなくてはならない人間を失うことになると思う。

働き手を失うとしたらどうなるのか。

もちろんその組織は破綻するというものだ。

濡れ手に粟で得た報酬をたんまり持っていった組織の上層部の人間たちは、まんまと逃げ去るのだろうけれど、その組織で働いていた現場の人間は取り残されてしまう。

少ない報酬も、組織の破綻でさらに無になるのだ。


会社は誰の物なのだ?


私は、会社は株主でも経営者でもなく、そこで働く人たちのものであると思う。そう思いたい。


もし現場で働く人が多くの報酬を得るようになったらどうだろう。



もし、病院のお医者さん(勤務医!)たちが多くの報酬を得るようになったら。

もし、看護師さんたちがが多くの報酬を得るようになったら。

もし、工場の職人さんたちが多くの報酬を得るようになったら。

もし、農家の皆さんが多くの報酬を得るようになったら。

もし、航空会社の整備士さんたちが多くの報酬を得るようになったら。

もし、ヘルパーさんたちが多くの報酬を得るようになったら。



机上や、料亭であーだこーだ言って世の中を動かしていると勘違いしているような奴ではなく、「現場で働く人々」にそれ相当の報酬が与えられるようになれば……。

働き手も増えるし、経済も活性化するのではないか。


踊る大走査線ではないが、「事件は現場で起きているんだ」ということに尽きると思う。

現場をどうすることもできないでいるうちは、経済も活性化しないし、景気がよくなるわけはない。


景気が悪くなった、収入が減ったとなると、真っ先に首を切られるのは現場の人間であり、真っ先に報酬を減らされるのは現場の人間だ。

そんな現場で働く人間をないがしろにしている企業…国もだ、よくなるわけはない。

まずは企業の上層部が報酬を減らすべきだろう。国家公務員(キャリア官僚たち)の報酬を減らすのももちろんのことだ。そして減らした分を、現場で働く人々に配分すべきなのだ。

JALには役員やら理事やらがぞろぞろいるということを耳にした。

調べようと思ってネットを検索してみたけど、JALグループという巨大な企業になってしまっているので、数えようがなかった。

しかし、ぞろぞろといるこのような人たちのせいで、例えば、JALの航空機の整備は海外に委託されるようになっている。なぜならそのほうが安いから。

空の安全を守るために必要な整備士を海外へ委託し、その分、上層部の人間が報酬を得ているとしたら本末転倒である。

国内の整備士もこれでは育つわけがない。


もうね、おかしいったらない。



だから、現場の人間にこそ、所得をしっかり配分すべきなのだ。

現場の仕事を魅力あるものにし、ちゃんとした働き手が増えれば、それで企業の発展にも繋がるだろうし、その働き手が改めてお金を使うようになるだろうから、経済も活性化するというものだろう。


なんにせよ、現場での働きがなければ人間は生きていけないんだよ。




もう一つも思うのは、ITの勘違い。インターネット依存症のいま。

ITは情報交換を容易にしたし、新しい分野の発展としては著しく、もう生活の一部になっていると思う。

しかし、あくまでも情報交換のツールとしてだ。それはいい。


言いたいのは、インターネットが病気を治してくれるのかということ。→治療をするのはお医者さんだ。

インターネットが食べ物を作ってくれるのか。→それは農家であり、漁師さんであり…。

インターネットが子どもを生み、育ててくれるのか。→それは生きた人間にしかできない。


音楽のネット配信も、音楽を作る人たちに失礼だと思って仕方がない。

インターネットが音楽を作ってくれるのか。→生身の人間が楽器を演奏し、音楽を作るのではないのか?


結局、これも現場の人間をないがしろにしているとしか思えないのだ。


なんだろう、この失礼な感じ。



本当にね、こんなことばかりをぼんやりと考えてしまうんだ。





いまやデフレスパイラルも甚だしい状態になってきた。

いい加減、安いものを作るのを止めたほうがいいと思う。

いいものをそれ相当の値段にするべき。

そうしないと、いいものを作れない現場の人々は、気持ちが腐っていくと思うんだけどな。

ああ。安い海外の労働力で作っているからいいのか…。でもそうしていると、自分で自分の首をしめることになると思うんだけどさ。

さらに言えば、安い海外の労働力だって、いいものをそれ相当の値段で作れるようになれば、考え方は変わるというもの。そうすれば世界的に豊かになるかもしれないし、世界が平和になるかもしれないのにね。





世の中、豊かで平和であって欲しいと私は思うよ。
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近況 [つれづれ]

梅雨明けして間もないというのに、グダグダとした夏も、もう中盤ではないかと思っておりますが、湿気が多いですね~。なんだか天候は不順だし。

お盆が過ぎると、あっという間に彼岸になって、あっという間に冬を迎えてしまうのかしらんと、現在遠い目をしております^^;

なんやかやと考え事はしているのですが、今が一番自分の中で気の低い日々を送っているのではないかと思っていまして、明らかに意欲がない。やりたいことがない。なりたい自分も想像できない。

ぼんやりと見た芸能ニュースで、同じ年くらいの人が「離婚だ」「結婚だ」と騒いでいるのを、「元気でいいな~」と眺めてしまうのですわ~。

私は一体何がしたかったんだっけな~。


まー、いいんだけど。




そんななか、夫T君と某バーゲン会場へ足を延ばしました。

都心に出るのなんて久しぶり(笑) 「面倒くさいな~」と言っている私にT君が、「たまには都会に出なきゃ死んでしまうよ」と訳のわからんことを抜かしたので、よいしょっと重い腰をあげたのでした。

有楽町ですよ、奥さん。「有楽町で逢いましょう♪」なんてえのもありましたよね。生前、うちの父ちゃんがよく口ずさんでいた歌ですよ。

有楽町にはなんだか古臭いイメージを持っているのですが、いやはやキレイなビルが建ちましたなー。

以前、会社勤めのときにたびたび有楽町へは訪れていたけれど、やっぱり古臭いイメージのままだったのに…。再開発というのはスゲーなと思いましたです。

でまあ、3割引、4割引なんて値札を見ると「おおっ!」となり、7割引、8割引なんてなると狂喜乱舞してしまうT君とお買い物。

そして買った中のその一つ、金魚の刺繍入りトートバック。
金魚トート.JPG
もう一目瞭然の某アウトドアブランドでありますが、アパレル業界も厳しいんでしょうね。ものすごくお安く購入いたしましたですよ。

なんだかとってもアジアンチックな刺繍で、おそらく不人気だったんでしょう。数多く残っていて…。

でも金魚ですわよ。金運アップですわ。しかも黄色。。。奥様。買わなきゃソン(?) 西に置かなくっちゃ^^;

いや、私はアジアンチックな柄は好きなんで無問題。なんでこんなに売れ残っているかわかんないけど、まー好みの問題ですな。

さて有楽町という場所柄、会社帰りのサラリーマンが多数訪れていて、せっせとYシャツやジャケット等々を物色している姿をお見受けしました。

なんと申しますか、こういう社販のようなバーゲン会場に男性が多く訪れているというのが、このブランドのなせるワザなのかもしれませんが、なんだかね…サラリーマン諸氏を微笑ましく見てしまってですね。「お父さんたち、頑張っているなあ」と。

一方で、このお父さんたちの奥さんが高級ランチを食らってなんかいたりしたら、とっちめてやりたいわ…と思いましたがね…。私もその一人かもしれないと少し反省(高級ランチは食らわないけど、昼寝をしてしまうこと多々…すまんT君)。

そうして、定価から8割以上引かれた2千円のジャケットを手に入れた、ホクホクのT君と東銀座で晩御飯を食らって帰ってきたのでありました。


さらにある日の晩。

このところ毎晩飲んで帰ってくるT君が、酔っ払いのお土産のように手にぶら下げて持って帰ってきたものがありました。

「取引先の人にもらった」と言う紙袋の中には。。。


ドライ1.JPGドライフルーツ!!! 今度は私が狂喜乱舞^^ お菓子を食べない我が家のことを考えて、わざわざ用意してくれたものらしく、ひゃ~。「ドライフルーツってば、それなりにお高いのよ~」(←ちょっとバカ^^;)。ありがたくいただきました。
ドライ2.JPG
こちらはなんとかベリーミニトマト(でした)。当分楽しめますわ~。

しかし、こんなおしゃれな形でドライフルーツが売られているなんて露知らず。乾物屋さんで見るようなドライフルーツしかイメージのない私は、うれしい、たのしい、お土産でございました。







この先は、うんざりなお話;;


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今度は菜の花畑 [つれづれ]

こうもいい陽気が続くと、どこかへ行きたいという気持ちも生まれようが、まだ完全復調ではないのか…意欲が湧かない^^;

しょうがないから家でぼんやりしているんだけど、週刊文春を読んでいて、久しぶりに中村うさぎさんにヒットが。

夫T君が中村うさぎさんのことをあまり好きではなので、我が家の話題には上らないのだが、ひそかに「この人は変人だけどまとも」と思っている私。

ちょっと整形手術を受けてしまったあたりは共感できなかったけど、今回は久しぶりのヒット(笑)

あまりにバカバカしくて話す気にもならなかったのだけど……。

話題は藤原紀香の離婚である。

『いや、別に離婚に驚いたのではない。当の藤原紀香がアフリカに出張している留守中に、親が離婚届けを出した、という話に驚いたのだ。
離婚届くらい、自分で出せよ! 自分で決めた結婚だろ? そんなら自力で終止符を打て! 小学生じゃあるまいし、恥ずかしくないのか、藤原紀香!』と中村うさぎさんは言うのだ。

そうだそうだ(笑)

そして『そんな事で驚いたのは女王様ひとりであったらしく、その後のテレビや雑誌の報道を見てても、その点には誰も突っ込みを入れず、…』と続く。

そうそう! 私もそう思っていた!

そうして『…いつ離婚を決意したのか知らないけど、とりあえず自分のケツを自分で拭こうともせず、親に離婚届け出させて親に離婚理由を説明させて、夫を一躍悪者に仕立てておきながら、自らは決して夫の悪口を言わず、とっても優等生的なブログで株を上げた紀香を、誰も胡散臭いと思わないわけ? なんか自分の手は汚さずにすべてを有利に持っていくため、わざわざアフリカに行っている間に離婚届けを出させたような気がするのは、女王様が心がひねくれたババアだからか?…』と自問自答をしてしまううさぎさん。

いんや。そうであれば私も十分ひねくれたババアですわ~(笑)

で、中村うさぎさんはこれを『イヤ~な感じ』と言うのであった。

その通りだ!

実はバカだなあと思いながらも、藤原紀香のブログも読みに行った。読めば本当に優等生的な言葉が続いていて、「なんだ? こいつ」と鼻白んでしまうような内容だった。

それよりも気持ちが悪い。何が気持ち悪いって『夫婦だから』という言葉が何回も出てくるのだ。

『夫婦ですからいろいろあります』…って、そりゃいろいろあるだろうよ。
『がんばれるところまでやってみました やはり夫婦だから。』
『夫婦だから、最後まで放棄せず、やれるところまでやってみよう、笑顔で。。。』 

でもダメだったんだそうだ(笑)

でね、結局『夫婦だから』と何度も言う割には、最後っ屁は夫婦で終えるのではなく、親にすべてをやらせるというところが…。しかも夫は蚊帳の外^^;


私はこれで女っぷりをたっぷり下げたなと思った。すごくカッコが悪い女性だと思った。それなのに持ち上げるマスコミって。。。

バカバカしくてこんなに熱く語ることではないのに、何でTVなどマスコミは藤原紀香のこのいやな感じに突っ込みを入れないのか、と思っていたところに中村うさぎさんが現れたんで、うれしくなってしまったのでした。

これでバランスが取れる(笑)



*   *   *   *   *


どうでもいい話が長くなってしまったけれど…本題はこちら^^;

タイトルの『菜の花畑』。

実家の近くに謎の観光農園(たぶん市が借り上げている農地)があるのだが、毎年コスモスを植えてみたり、ひまわりを植えてみたりと頑張っている。しかし如何せん、いつも時期が外れる感じがあって、今ひとつ計画性なし(笑)

もう、コスモスを植えるには遅いでしょう…と思うような頃に種まきをしたりするんだ。

ひまわりの時もきわどい種まきであった。

(以下、参照記事)
http://nekotoro.blog.so-net.ne.jp/2006-08-11
http://nekotoro.blog.so-net.ne.jp/2007-11-07

で、この春。にょきにょきと野菜のような緑が生えてきたなあと思っていた。

すると。
菜の花1.JPG

菜の花2.JPG

菜の花3.JPG

ただ今、菜の花が満開であります^^

母が生きていたら、何度も切花として取りに行って、家で活けていたろうなと思う(近所の人は勝手に切って持って行っていいことになっているのだ)。

計画性なしと言いつつ、今回はうまくいったんだねえ、と頬がゆるんでしまった^^

モンシロチョウもずいぶんと飛び交っております、はい。



本格的な春ですわ~。





おしまい。
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救い [つれづれ]

昨日は「頑張っていないんじゃない?」と少々怒った内容を書いてしまいましたが、そんななかでも「へ~意外」と思ったことがありました。

「派遣社員のための労働組合」。

最近、若い人の間で労働組合を避ける傾向にあるということを聞いていました。従業員の権利を主張するためには、いい場であると思っていますが、うまく活用できない、あるいは、旧態依然とした思想がはびこっていて活用しにくいということも考えられます。

しかし、こんなときこそ、労働組合のような団体が必要なのではないかと。

派遣で働いていたり、フリーターだったりする人は、なかなか権利が主張できなかったと思う。だからこそ労働組合に代弁してもらうというのは得策ではなかろうかと思っていました。

すると、労働組合を利用して派遣社員でも権利を主張する人が出てきたではありませんか。

本音を言うと「へ~意外」でした。

実はそこまで頭が回らないのではないか。泣き寝入りする人ばかりなのではないか、と思っていたからです。

なぜなら、自動車工場でもくもくと機械のように働くことはできても、それ以外の情報や知識を得ていないのではないかと思ったから。

企業から、そういった情報や知識を得る権利を剥奪されているのではないかと思ったから。

要するに、いいように働かされているだけなんだろうと。

でも、ちゃんと労働組合を通して主張する人たちが現れたので、それは「やるじゃん」と思ったのでした。救いです。

基本的には義務を果たしていれば権利を主張できると思っています。税金だって納付しているんだから、国や県、行政に文句は言える…そんなもんです。

「こっちはちゃんとやっているのに、あんたたちは何をやってんの?」と文句は言える。

だから、ちゃんとしていると感じているのであれば、主張すればいいし、文句を言ってもいいと思うのです。

社会の一員なんだからさ、というわけです。



なんとなーく肌で感じることですけどね、皆、諦めやすくなってきているとなあ、と思います。

しょうがないんでしょうけど。

どこかでうまいこと去勢されたんじゃないか? と思うことしばし。

「草食男子」なんてえ言われる男子も多くなって来ているとかで、これからまだまだ大変になるだろうなあ。




生きていることの苦労…からこんな話にたどり着いたとさ^^;



おしまい。
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