恥を知っていたい。 [つれづれ]
今回も徒然行く。
今日は資源ごみの回収日にあたり、段ボール箱や新聞、雑誌などなど…紙関係の資源回収が行われる日だった。
商売柄、紙関係のごみが多い我が家。2週間に一度のこの日は、台車を出して、えっちらおっちらと雑誌や段ボール箱を解体したものを載せ、ガーッと指定の場所まで運んでいく。
雨の日はぬれてしまって申し訳ないと思うので、出さないようにしているが、今日のような秋晴れは出さなきゃあかんでしょうと思うごみ日和だ。
それはさておき、最近のこの紙関係の資源ごみ回収で、置いてある資源ごみの種類を見て感慨深い思いをしている。
それは、新聞や雑誌の資源ごみが圧倒的に減っていることだ。
生活の中で現実に実感すると、これはもう本当に起きていることなんだな、と思う。
新聞離れ、雑誌離れ。
これは活字離れなんだろうか。ちょっと違う気がする。
もしかして景気の問題かとも思う。収入が減っているから新聞や雑誌を買うお金がもったいない。ネットができれば十分じゃない? という意識。
それよりもっと驚いていることがある。こういう考えは時代遅れなのかもしれないが、地域の自治会(町内会というところもあると思う)に属しない家庭が増えてきていることだ。
我が家が属する自治会は班や組に分かれていて、大きなくくりとして自治会→班→組となる。具体的にいうと、●●自治会1班A組といった具合だ。「組」が最小単位となっており、うちのあたりは以前、10軒の家庭が属していた。その属していた家がいまや4軒にまで減少しているのだ。
1軒は引っ越してしまったから致し方ない。しかし、他の5軒はいまもそのまま暮らしている。
何で脱会したのか…。
自治会費がもったいないから(社会福祉協議会などの会費を含めると年間4千円ほど)。自治会の活動をしたくないから。近所づきあいをしたくないから。これらのいずれかだと思うのだが。
脱会した彼らに振り返ってもらいたいと思うことがある。それは、うちのあたりで行っている自治会の活動だ。どういうものかというと、外灯の取替えやごみ回収所の整備、防犯パトロールなどであり、それを自治会の役員や係になった人、または有志で行っている。
行政ではできないことを、住民が自治会という形で集まって行っているのだ。それをすっかり忘れてしまっているんだろうなと思う。それでいいのか? と私は思うのだ。
きっと自治会を脱会した理由は、上記に書いたすべてだと思っている。何しろ面倒くさいから。私だって面倒くさいと思う。でも、それではよくないと思っている。
もし災害があったらどうするんだろう。おそらく地域の自治会が避難所やらなんやらを用意し、仕切るだろう。そのとき、自治会に属していないからといって、会員以外の住民を受け入れないかといったらそうではない。排除することはない。一緒に避難生活を送れるように、きっと配慮する。
なぜなら賃貸住宅に入居している人は自治会に加入していない家庭のほうが多く、そういう人々まで排除するほど権力はないだろうし、排除する必然性もない。もちろん受け入れる。
(少し説明すれば、持ち家の人ばかりがなぜ自治会の入るのかといえば、とりあえずそこでずっと暮らすであろうという前提からだ。賃貸の人は短期の入居者かもしれない。すぐに引っ越してしまうかもしれない。そういうことからだ。)
自治会を脱会していった人々は、こんなときどう思うのだろうと考える。地域の活動に参加せず、でも万が一のときは自治会の活動にお世話になる……。
私だったら恥ずかしいと思う。まるで「義務を果たさず権利を主張する人」のようになってしまうではないか。そんな恥ずかしいことはできない。
ここで元に戻るが、新聞を買わない、雑誌を買わない、そんな家が増えたということ。
こういう家庭はたぶん、ネットで新聞の情報を読み、雑誌に載っているであろうものも得ているんだと思う。
考えて欲しい。情報過多だ何だといわれるかもしれないが、ネットで情報を得るときはその情報を自分で選択できるということを。
要するに自分の好きな情報しか得ないで済むのだ。ネットは欲しい情報だけを集めればいいというシステムになっている。検索機能のそれ。だから好きな、あるいは欲しい情報しか得ないで済む。
ここに思い至ったとき、自治会から脱会していく家庭が増えていることと、新聞離れ・雑誌離れがリンクしてきた。
「自分の好きなものしか欲しくない。自治会の活動なんてお金もかかるし面倒くさい。隣近所との付き合いなんてしたくない。」
「新聞や雑誌は知りたくない情報もあるし、お金がかかる。ごみにもなるし、もったいない。自分の好きなものだけあればいい。」
なるほどな、と思った。
個人主義に拍車がかかっている。それより、ひとつの家庭が孤立するのも厭わないというわけだ。
こんなとき、教育や介護で、そのひとつの家庭で問題が起きたらどうなるんだろうと想像する。
モンスターペアレンツ、モンスターペイシェント、クレーマー。そういう言葉が思い浮かんだ。
世知辛い。
100歳以上の人が、死んでいるのに、たくさん存在するなんていうのもこんなところから始まったんだろうと思う。
行政の怠慢もあると思うけどね。
……それから、政治も(笑)
おしまい。
今日は資源ごみの回収日にあたり、段ボール箱や新聞、雑誌などなど…紙関係の資源回収が行われる日だった。
商売柄、紙関係のごみが多い我が家。2週間に一度のこの日は、台車を出して、えっちらおっちらと雑誌や段ボール箱を解体したものを載せ、ガーッと指定の場所まで運んでいく。
雨の日はぬれてしまって申し訳ないと思うので、出さないようにしているが、今日のような秋晴れは出さなきゃあかんでしょうと思うごみ日和だ。
それはさておき、最近のこの紙関係の資源ごみ回収で、置いてある資源ごみの種類を見て感慨深い思いをしている。
それは、新聞や雑誌の資源ごみが圧倒的に減っていることだ。
生活の中で現実に実感すると、これはもう本当に起きていることなんだな、と思う。
新聞離れ、雑誌離れ。
これは活字離れなんだろうか。ちょっと違う気がする。
もしかして景気の問題かとも思う。収入が減っているから新聞や雑誌を買うお金がもったいない。ネットができれば十分じゃない? という意識。
それよりもっと驚いていることがある。こういう考えは時代遅れなのかもしれないが、地域の自治会(町内会というところもあると思う)に属しない家庭が増えてきていることだ。
我が家が属する自治会は班や組に分かれていて、大きなくくりとして自治会→班→組となる。具体的にいうと、●●自治会1班A組といった具合だ。「組」が最小単位となっており、うちのあたりは以前、10軒の家庭が属していた。その属していた家がいまや4軒にまで減少しているのだ。
1軒は引っ越してしまったから致し方ない。しかし、他の5軒はいまもそのまま暮らしている。
何で脱会したのか…。
自治会費がもったいないから(社会福祉協議会などの会費を含めると年間4千円ほど)。自治会の活動をしたくないから。近所づきあいをしたくないから。これらのいずれかだと思うのだが。
脱会した彼らに振り返ってもらいたいと思うことがある。それは、うちのあたりで行っている自治会の活動だ。どういうものかというと、外灯の取替えやごみ回収所の整備、防犯パトロールなどであり、それを自治会の役員や係になった人、または有志で行っている。
行政ではできないことを、住民が自治会という形で集まって行っているのだ。それをすっかり忘れてしまっているんだろうなと思う。それでいいのか? と私は思うのだ。
きっと自治会を脱会した理由は、上記に書いたすべてだと思っている。何しろ面倒くさいから。私だって面倒くさいと思う。でも、それではよくないと思っている。
もし災害があったらどうするんだろう。おそらく地域の自治会が避難所やらなんやらを用意し、仕切るだろう。そのとき、自治会に属していないからといって、会員以外の住民を受け入れないかといったらそうではない。排除することはない。一緒に避難生活を送れるように、きっと配慮する。
なぜなら賃貸住宅に入居している人は自治会に加入していない家庭のほうが多く、そういう人々まで排除するほど権力はないだろうし、排除する必然性もない。もちろん受け入れる。
(少し説明すれば、持ち家の人ばかりがなぜ自治会の入るのかといえば、とりあえずそこでずっと暮らすであろうという前提からだ。賃貸の人は短期の入居者かもしれない。すぐに引っ越してしまうかもしれない。そういうことからだ。)
自治会を脱会していった人々は、こんなときどう思うのだろうと考える。地域の活動に参加せず、でも万が一のときは自治会の活動にお世話になる……。
私だったら恥ずかしいと思う。まるで「義務を果たさず権利を主張する人」のようになってしまうではないか。そんな恥ずかしいことはできない。
ここで元に戻るが、新聞を買わない、雑誌を買わない、そんな家が増えたということ。
こういう家庭はたぶん、ネットで新聞の情報を読み、雑誌に載っているであろうものも得ているんだと思う。
考えて欲しい。情報過多だ何だといわれるかもしれないが、ネットで情報を得るときはその情報を自分で選択できるということを。
要するに自分の好きな情報しか得ないで済むのだ。ネットは欲しい情報だけを集めればいいというシステムになっている。検索機能のそれ。だから好きな、あるいは欲しい情報しか得ないで済む。
ここに思い至ったとき、自治会から脱会していく家庭が増えていることと、新聞離れ・雑誌離れがリンクしてきた。
「自分の好きなものしか欲しくない。自治会の活動なんてお金もかかるし面倒くさい。隣近所との付き合いなんてしたくない。」
「新聞や雑誌は知りたくない情報もあるし、お金がかかる。ごみにもなるし、もったいない。自分の好きなものだけあればいい。」
なるほどな、と思った。
個人主義に拍車がかかっている。それより、ひとつの家庭が孤立するのも厭わないというわけだ。
こんなとき、教育や介護で、そのひとつの家庭で問題が起きたらどうなるんだろうと想像する。
モンスターペアレンツ、モンスターペイシェント、クレーマー。そういう言葉が思い浮かんだ。
世知辛い。
100歳以上の人が、死んでいるのに、たくさん存在するなんていうのもこんなところから始まったんだろうと思う。
行政の怠慢もあると思うけどね。
……それから、政治も(笑)
おしまい。
うんうん、同じ事をとても実感しています。
属している中でも会館や行事で使う広場の草刈りなどがあるんだけれど・・・役員の当番が回って来ても絶対にやらない人も多いんですよね・・・しかたがないので限られた人達でやっているのだけれどすぐ順番がきてしまうのだ!
君たちだってゴミ出してるでしょう?と言いたい。(今週ゴミ置場の掃除をしてるのは私です。あはは・・・)
災害時ご近所の高齢者誘導ボランティアにもなっとります。
しかもうちの町内会は年間¥6000よ〜!
by nakasama (2010-10-07 09:57)
*nakasamaさま*
年間6000円~!? それはお高いかもしれませんでございますね~。
nakasamaさんも同じことを実感されていると…ねえ、そうですよねえ。
来年うちは組長ですわ~。
何というか、えらそうなことを言うつもりはないのですが、人間は1人で
生きているのではない、ということを忘れてはならんと思うんですよ~。
それなのに…っていう思いが強くあります。
介護や看護に直面したとき、隣近所や地域の人々、親戚にずいぶんと
助けられたという経験があるからかもしれません。
ついでを言えば、早々に父親を亡くしているので、助けてもらわないと
母子家庭っていうのは大変だったという記憶があるからかなあ。
『お互い様』なはずですよね。
by toro (2010-10-08 08:19)
こんなところに書いても気づいてくれるかしらん。
あたい、町内会長ざます。
うちの会費はなんと500円です。
支出は香典代と、募金くらいなので十分なんですわ。
大体20~30くらいの世帯が3班になっているけれど、大半は70才~80才くらいのご高齢世帯です。
役員もボランティアもできなくて会費だけ納めているんです。回覧板も途中で止まるし・・・・
町内会の意味が薄れていくのはこういう事情もあるのかも。
by mamire (2010-10-25 23:47)
*mamireさま*
町内会長さんは大変ではないでしょうか。それは忙しくもなりますよね。
高齢化はいろんな問題をはらんでいそうですが、この辺りはまだ若い
世帯もあってバランスが取れるのでは…と思いつつ、自治会に入らない
世帯も増えてきていて、今後の存続が危ぶまれる感じです。
市も自治会頼りの部分が多いので、どうなんだろうなあ~。どうするんだろう。
by toro (2010-10-27 09:26)