他人を慮るということ。 [つれづれ]
今回も徒然と。
昨日、一昨日と続けて三部作みたいなもの。これで完結。
「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」
情報過多で面倒くさい世の中だから、そうならざるを得ない気もしている。
ころころと軸がぶれる政治家さんたちや捏造をする検察官、まともな情報を流さないマスコミ。情報過多になっているくせに、信用できない記事ばかり書く記者たち(きっと記者も面倒くさいんだ^^;)。
選択するにも何も信用ができないし、選ぶのも面倒くさいと思うのは当然だろう。
「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」は楽だし、余計なことを考えなくて済む。
そういう生活を選ぶ人が多くなるのは仕方がないような気がする。
ゆえに思考停止になって、結局は何も改善されない方向へ進んでいく。悪しきスパイラルの中に陥っていく。
これでいいのかな。
もし「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」人たちが何か問題が起きたときに依拠するのものは何なのか。
法律に依拠して正当性を訴えるという方法があるだろう。これができればまだいいのだけれど。
問題となるのはモンスターになることなのだ。ヒステリックに叫ぶ。強硬に持論を展開して相手を黙らせる。力でねじ伏せて、「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」ことを続けようとすると思うのだ。
「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」のだから、他人のことは考えないし、他人の気持ちを想像することすらしない。
もしかしたら、「他人には迷惑をかけてないからいいでしょ」くらいに思っているかもしれない。
こう考えていくと、誰もが無責任な状況を作り出していることになってしまう。
昨年(2009年)NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で偶然見た人の話である。20年近く地域医療に従事し、いまに至る中村伸一医師の話したことだ。
NHKのサイトから引用。http://www.nhk.or.jp/professional/2009/0113/index.html
「―――赴任して3年目のある夜、中村は、ひたすら自分を責めていた。くも膜下出血を見抜けなかったのだ。長距離運転をした後、酒を飲み、肩が痛いと訴えていた患者。前兆が非典型例だったため、見抜くのは簡単ではなかったが、見逃したのは事実。近くの総合病院に救急搬送した後、家族の車に乗せられて村に帰る道すがら、中村はひたすらわびた。責任をとって医師を辞めようとさえ思った。その時、言われた言葉だ。」
『誰にでもある お互い様だ』
この中村医師のことは朝日新聞でも取り上げられていたが、私は『誰にでもある お互い様だ』と言われたことで、この人はどれだけ救われたのだろうと想像する。『誰にでもある お互い様だ』と言った人は、どんな気持ちで中村医師に言ったのだろうと想像する。
このとき、中村医師の頭によぎったことは「医療訴訟を起こされるのではないか」ということだったと言う。
もし、「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」人が自分の正当性を法律に依拠して訴える人であったならば、医療訴訟を起こされていたと思うし、もし、「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」人が力づくで正当性を訴える人であったならば、中村医師が医者を辞めるまでヒステリックに叫び続けていただろう。
でも、この家族は『誰にでもある お互い様だ』と言ったのだ。
それは何故かというと、中村医師が信用できる人だったからだと思う。この家族は、中村医師のこれまでの働きを見て、信頼できる人と見ていたんだろう。きっと中村医師の姿に「無責任」というものは感じなかったのだと思う。
だから、『誰にでもある お互い様だ』と言えたのだと思う。
おそらく、ここまで考えての言葉ではない。この場では自然と出た言葉だと思う。中村医師の気持ちも慮って自然と出ていると感じられる。
こういうのを忘れてはいけないんだよな、と思う。
三部作、ここに帰結^^;
嫌だなと感じることはたくさんあるし、いつもよく怒ってはいるけれど……。
こういう人の話を聞いたり、読んだりすると、「まだ日本という国は大丈夫なのかなあ」なんて思うのも事実で、もっとこういう人たちを前面に取り上げていけるといいのに、と思う。
そしてこういう人たちにこそ、たんまりと報酬を与えるべきなのだ。
今回、ノーベル化学賞を受賞したお2人も特許を取っていないそうで……「皆が使えるようになればいい」という考えであったらしく、「カッコイイ!!」と思ってしまった。研究者はそうでなくちゃ。
だからきっとノーベル賞はご褒美なのだ。
で、いろいろ検索していて、こんな本を見つけた。
読んでみるかな。
おしまい。
昨日、一昨日と続けて三部作みたいなもの。これで完結。
「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」
情報過多で面倒くさい世の中だから、そうならざるを得ない気もしている。
ころころと軸がぶれる政治家さんたちや捏造をする検察官、まともな情報を流さないマスコミ。情報過多になっているくせに、信用できない記事ばかり書く記者たち(きっと記者も面倒くさいんだ^^;)。
選択するにも何も信用ができないし、選ぶのも面倒くさいと思うのは当然だろう。
「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」は楽だし、余計なことを考えなくて済む。
そういう生活を選ぶ人が多くなるのは仕方がないような気がする。
ゆえに思考停止になって、結局は何も改善されない方向へ進んでいく。悪しきスパイラルの中に陥っていく。
これでいいのかな。
もし「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」人たちが何か問題が起きたときに依拠するのものは何なのか。
法律に依拠して正当性を訴えるという方法があるだろう。これができればまだいいのだけれど。
問題となるのはモンスターになることなのだ。ヒステリックに叫ぶ。強硬に持論を展開して相手を黙らせる。力でねじ伏せて、「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」ことを続けようとすると思うのだ。
「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」のだから、他人のことは考えないし、他人の気持ちを想像することすらしない。
もしかしたら、「他人には迷惑をかけてないからいいでしょ」くらいに思っているかもしれない。
こう考えていくと、誰もが無責任な状況を作り出していることになってしまう。
昨年(2009年)NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で偶然見た人の話である。20年近く地域医療に従事し、いまに至る中村伸一医師の話したことだ。
NHKのサイトから引用。http://www.nhk.or.jp/professional/2009/0113/index.html
「―――赴任して3年目のある夜、中村は、ひたすら自分を責めていた。くも膜下出血を見抜けなかったのだ。長距離運転をした後、酒を飲み、肩が痛いと訴えていた患者。前兆が非典型例だったため、見抜くのは簡単ではなかったが、見逃したのは事実。近くの総合病院に救急搬送した後、家族の車に乗せられて村に帰る道すがら、中村はひたすらわびた。責任をとって医師を辞めようとさえ思った。その時、言われた言葉だ。」
『誰にでもある お互い様だ』
この中村医師のことは朝日新聞でも取り上げられていたが、私は『誰にでもある お互い様だ』と言われたことで、この人はどれだけ救われたのだろうと想像する。『誰にでもある お互い様だ』と言った人は、どんな気持ちで中村医師に言ったのだろうと想像する。
このとき、中村医師の頭によぎったことは「医療訴訟を起こされるのではないか」ということだったと言う。
もし、「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」人が自分の正当性を法律に依拠して訴える人であったならば、医療訴訟を起こされていたと思うし、もし、「自分の好きなことだけをする。自分のことしか考えない。」人が力づくで正当性を訴える人であったならば、中村医師が医者を辞めるまでヒステリックに叫び続けていただろう。
でも、この家族は『誰にでもある お互い様だ』と言ったのだ。
それは何故かというと、中村医師が信用できる人だったからだと思う。この家族は、中村医師のこれまでの働きを見て、信頼できる人と見ていたんだろう。きっと中村医師の姿に「無責任」というものは感じなかったのだと思う。
だから、『誰にでもある お互い様だ』と言えたのだと思う。
おそらく、ここまで考えての言葉ではない。この場では自然と出た言葉だと思う。中村医師の気持ちも慮って自然と出ていると感じられる。
こういうのを忘れてはいけないんだよな、と思う。
三部作、ここに帰結^^;
嫌だなと感じることはたくさんあるし、いつもよく怒ってはいるけれど……。
こういう人の話を聞いたり、読んだりすると、「まだ日本という国は大丈夫なのかなあ」なんて思うのも事実で、もっとこういう人たちを前面に取り上げていけるといいのに、と思う。
そしてこういう人たちにこそ、たんまりと報酬を与えるべきなのだ。
今回、ノーベル化学賞を受賞したお2人も特許を取っていないそうで……「皆が使えるようになればいい」という考えであったらしく、「カッコイイ!!」と思ってしまった。研究者はそうでなくちゃ。
だからきっとノーベル賞はご褒美なのだ。
で、いろいろ検索していて、こんな本を見つけた。
読んでみるかな。
おしまい。
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