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あまちゃん、見ています。 [つれづれ]

朝の連続テレビ小説は「カーネーション」ではまったものの、その後の2作は全くそそられずにいました。

しかし今回の「あまちゃん」……見ています^^

初回からしっかりと。

実はこのドラマはとっても楽しみにしていました。

なぜなら、クドカンが作っていること。キョンキョン出演。そしてその他の出演陣も好みの役者さんばかり。荒川良々さんとか、片桐はいりさんとかね。

そして見はじめてみれば、能年玲奈ちゃんが可愛い。
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音楽もいい。(前々作の主題歌には打ちのめされて、ぶっ倒れたけど^^;)。

舞台が北三陸というのもいい。

クドカンが宮城出身だから書けるというものだし、ちょっと期待しすぎているかもしれないけれど、期待しています。

はじまりは東日本大震災前で、この後きっと、震災の場面も出てくるのだろうと思います。それをクドカンがどう表現するのか、それをどうしても見たい、そんな思いでもいるのです。

先日、NHKで「ラジオ」というドラマを見て、若い人たちの瑞々しい演技とその内容に引き込まれました。(リリー・フランキーさんもいい味を出していましたし、これもキャスティングがよかった!)。

「女川さいがいFM」でアナウンサーをする某ちゃんと呼ばれている女の子が、少しずつ震災に向き合い、前に進んでいこうとする姿が描かれているのですが、その某ちゃんが書くブログが心にしみてくるのでした。

まだまだ痛いよな~。

癒えることなんてない。それを抱えて生きて行かなくちゃいけないんだなと、そんなことを思いました。

夜も一人でいる時間が多いので、よくドラマを見ますが、NHKは最近スポットでもいいドラマ作りをしていて、なかなか侮れません。


そんななかでもクドカンで、朝の連続テレビ小説ですよ。そしてきっと震災のことも描く。そりゃ見てみたいでしょ。

たぶん変に説教じみた脚本は書かないだろうし、正義を振りかざすこともないだろうと。おそらくユーモアを交えながら、泣かせる話になるんだろうなあと、期待しているわけです。そうであって欲しいというか^^;

「あまちゃん」のなかで、人がしきりと「じぇじぇ!」と言うのですが、北三陸で驚いたときに出る言葉なんだとか。

昨晩、岩手出身の人にその話を振ってみれば、「うちのほうは、じゃじゃ! だよ」っと。

ふふふ。こういうのも楽しいですよね。







さてはて、全然関係ないですが、最近の私が注目している人々は彼らでございます。

一平くん

ちょんまげ隊長ツンさん

どちらもサッカー関連です。一平くんは人じゃないけど^^;

彼らの活動がすごく楽しい。

日本代表戦で彼らを見つけるのも、最近は楽しみのひとつにしております。

オマーンで一平くんを見たときはびっくりしたよ(笑)



おしまい。
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2012年、ありがとう。 [つれづれ]

12月はどうやら落ち込んだまま過ぎ去ろうとしています。どうにも、気持ちが上がってきません。まったくだ。

何か、いいネタでもないだろうかと思いましたが、これまたまったく思いつかず、精神を反映してか、ネガティブなネタしか思いつかないという情けなさ。

ま、気を取り直して、今年一年を振り返り、今年の〆とさせていただこうかと思う。

さて、2012年の手帳を取り出し、つらつらと見ていくと…。

1月。
●新しい車が納車。そうだ、ちょうどこの時期に購入して、納車は新年だった。
●富士山近くで震度5弱の地震。

2月。
●スキー旅行(1泊2日)。
●従姉の旦那さんの法事。
●雪が何回か降っている。
●川勝正幸さん、ホイットニー・ヒューストンがこの世を去る。

3月。
●仕事のスケジュールが結構入っている。
●日本代表サッカー、男子・女子の試合をTV観戦。
●伯母の一周忌。
●友人が事故でこの世を去った。

4月。
●山下達郎のライヴ。
●スマトラ沖で再び地震。

5月。
●GW、ゴルフと北海道旅行(帯広~札幌)。
●猫のTBちゃんが膀胱炎発症。
●金環日食。
●サッカー、トゥーロンの試合をTV観戦。

6月。
●TBちゃんの通院が続く。
●私も健康診断。いろいろと微妙な数値が出て、要精密検査だらけだった。→でもほとんど異常なし。

7月。
●TBちゃんの通院と私の精密検査のことばかり(笑)
●高原ゴルフに行ってた。あ、毎年恒例の結婚記念2人コンペだわ。忘れてた。

8月。
このころは、結構を仕事をしていた。それからオリンピックをひたすら観戦。なでしこは銀だったね。
●母の祥月命日。

9月。
●8月から引き続き仕事をしている→10月まで。
●義父の7回忌の法要。
●T君のオバサンの13回忌の法要@大阪。帰りに鞍馬に行ったんだった。
●コマコマと写真を撮る仕事を依頼され、早朝に何度か出かけた。(結構面白い仕事だった)。
●友人のお父さんが急逝。
●夫T君が発熱…私も体調を崩したんだった。これは某居酒屋に行った直後。たぶん誰からかウイルスか菌をもらっちゃたんだ。

10月。
●ゴルフに行っている。
●そして唐突に北海道ヒトリタビ(帯広~札幌)。GWの北海道旅行のリベンジ。
●飲み屋友達の一人が用賀でワインバーをOPENさせる。
●CKBのライヴ@渋谷公会堂。

11月。
●ドナルド・フェイゲン、マイケル・マクドナルド、ボズ・スキャッグスのライヴ@武道館。
●祖父母の法事(これで最後だと叔父が言っていた)。卒塔婆をお願いした。
●私とTBちゃんとT君の誕生日があった。
●大阪・神戸出張。伊丹IN、神戸OUTで飛行機で行った。帰ってきて、用賀のワインバーへ。
●それからやたらと蟹を食べてる(笑)
●高校時代の悪友と地中海料理&ワイン。

12月。
●CKBライヴ@県民ホール。あ~風邪をひいて散々だったころだ。
●中村勘三郎さんがこの世を去る。
●鴨宮まで宝くじを買いに行った^^;
●なでしこ、侍ブルー、チャリティマッチをTV観戦。
●野球、松井選手が引退。←いまここ。


意外といろんなことを忘れている。あっという間に時が過ぎたように思うけれど、1月などは遠い昔のように感じる。あっという間でも、時間の距離というのはかなりあるということだ。

これからどうしていくか、を考えなくてはいけないと思うのだが、まずは行動しようと思っている。

母がこの世を去って、それから自分が手術して、それからぼうと過ごしてしまったように思うのだ。

そろそろ這い上がらなくちゃなと。

311の傷も、もろもろのプライベートでの傷も癒していかないと。

そんなことを思う。

harunire.jpg

(クリックすると大きくなります)

この写真は、今年一番印象に残った風景です。霧で霞むなか、ひっそりと、でも力強く立っているハルニレに、決して屈しない自然の強さを感じたのでした。

自然は大事にしなくちゃ。



ということで、今年の投稿はこれで終わります。

いつもきてくださってありがとうございました。

来年こそ、いい年でありますように。

皆様のご多幸をお祈り申し上げます。


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ひとりごとです、ひとりごと、はい。 [つれづれ]

いろんなことの変わり目に差し掛かっているのかな、と思う今日この頃。

いつも行っている飲み屋さんのソムリエンヌNちゃんが独立することになり、引っ越しをするという。そこへたまにアルバイトに来ていたKちゃんもお店を開くと言い、不動産めぐりをしているという。

ずんずんと前に進もうとする彼女たちを頼もしく思い、その逞しさに羨ましさを覚えたり、うれしく思ったり、でも少し離れてしまうことに寂しさを感じたり…。

複雑な心境だ。



世界的には紛争だらけで、中国も韓国も、日本憎しと日本は叩かれまくっている。

まっとうな歴史認識は打ち消され、自分たちだけに得する改竄された歴史だけが残り、それが広まっていく。

日本に生まれ、日本に育って、日本を好きだから、日本がひどく扱われることに気分を害してしまうことは当然と思うのに、それを右傾化と簡単に言ってしまうような米国には開いた口がふさがらない。

だったらどうしろと言うのだ。

評論するはやすしだ。


別に何をしているわけではないのに、心に傷が刻まれているような気がする。


香港で国民教育が導入されるということとなり、その内容のひどさに学生たちが立ち上がり、洗脳教育反対運動というのが行われた。

今月初旬の話だ。

その成り行きを見守っていたが、中心となった中高生たちのしっかりした言動に驚き(彼らははっきりと政治的な活動ではないと言い切っていた)、「教育」によって人の持つ思想というのが変わってしまうということをちゃんとわかっていることに驚いた。

すごいよ、香港人。

(ことの顚末は香港で頑張っておられる、りえさんのブログで詳しく書かれています。http://blog.livedoor.jp/japanavi/archives/52130330.html#more

日本ではこの運動について、まるで政治的なもののように取り上げられていたけれど、それは違っていたわけで、「本当のことが伝えられていないんだ」と改めて思った。

東日本大震災と福島の原発事故のことで十分にわかっていたはずなのに。政府や東電が嘘をつくのはもう誰もが知っていること。

マスコミ(メディア)の言うことが当てにならないということもわかっていたはず。

かといって、一般人がつぶやいたり、SNSに書き込んだりしていることも当てになるのかといったらそうではない。

とにかく、自分で信用できるかできないか、判断するしかないのだ。何だか本当に面倒な世の中になってきた。




そんなこともあって、今回の中国や韓国の日本叩きの報道には、ほとんど接触するのをやめた。

自分で信用できるかもしれない、と思うソースだけを追っかけるようにしている。

しかし本当におかしなことが多すぎる。


国というのは、国民をなんだと思っているのだろうか。

尖閣諸島を国有化するために使ったお金は税金なんでしょ。

ちゃんとした説明があったかな? 別に日本の領土であるならば、そのまま民間人が所有していたっていいことなのに、なんで国有化したのか説明がない。あったのか…?

私たちの税金を使ってまで購入する必要があったのか、私にはわからないんだ。黙って見ていたけど。

こんな騒ぎになるんだったら東京都の寄付金で買って、東京都のものにしたって同じだったんじゃないかと思う。結局、集まった寄付金を東京都はどうするのか。基金にして凍結って、、、。その後寄付した人たちは注視しなければいけないと思う。

しかし国が買おうが、東京都が買おうが、私には知ったこっちゃない。



何でそんなに尖閣諸島や竹島に彼らが執着するのか、そして何でそんなに焦らなくちゃいけないのか、私にはわかんないんだよ。


わかんないのに、叩かれて(私が叩かれているわけじゃないのに)傷つけられなくちゃならないのか、本当にわからない。


中国や韓国の歴史的な国民的心情を思え! という話も散見されるけど、歴史的な国民的心情だって、そこまでちゃんと知らされているまっとうな歴史なのかもわからないのに、真実の歴史なのかもわからないのに、どうしろというのだ。

何で日本憎しなんだろう~。

こんなに真面目にコツコツとやってきているのに。






経済的なことをいうと、中国や東南アジアで作ってもらっている製品を日本で作るように、まずは日本国内の賃金を下げたらいいと思う(もうこんな傷つけられるんだったら、中国撤退!)。

最低賃金を下げて、海外に進出した工場を日本に戻して、いま一度コツコツと仕事をする日本人に戻ったらいいんだ。

そのために物価ももっと下げなくちゃいけないな。

円も安くならなくちゃいけない(こんな状況なのに、いまだに円高であることの意味もわかんないし)。

そうすれば雇用機会も増えるだろうし、必要経費にかかる金額も下がれば、全体の収入レベルが下がったとしても、家計が安定すれば人は結婚もするだろうし、子どもも産むようになるんではないのか?

経済界も、労働組合も、いい加減手を組んで盛り返そう、っていうような考えを持ってもいいんじゃないのか、と思っている。


さもなくば、円をじゃぶじゃぶ刷ってくれ。

だいたい日銀は円を刷らなさすぎ。おかしいって。円高の遠因として、そういうこともあるんだろうなと感じている。

……円高でおいしい思いをしている人を想像するといいよ。

まったく…どうしてこんなに面倒くさい世の中になっちゃったんだろう。




心機一転、新しい道を歩もうとしている友人がいる一方で、私はいまだにここにとどまっている。もう何年も同じところにいる。

仕事を失いそうになっても、どこからともなく仕事が舞い込んでくることが続いていたけど、それもいつまで続くのか…。

ずーっと同じところにいることだって大切なことだ、というのもどこかで聞いた話だが、果たしてこれでいいのかと思う。


どーしたらいいんだろうかなあ。



なんか本当にね。何だか傷ついている気がするんだ。何でかね…。




いやいや、ひとりごとです、ひとりごと、はい。
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近況報告 [つれづれ]

何となく仕事が忙しく(たぶん自分で忙しくしている)、こちらに書こうとするものが思い浮かばないわけで、間が開いています。

ネタも思いつきそうでつかないという(あっはっはー)。すみませんm(_ _)m

今週初めはホイットニー・ヒューストンが亡くなってビックリしたり…(ついうっかり、こぎんさ~ん、そちらがどんどん賑やかになっているねえ、なんて心の中で思ったり^^;)

その訃報に接したときに、いろいろと思い浮かんだことがあったのですが、これまた忘れてしまいました。

忘却の彼方~。

いかんですね。

えーと。

バレンタインデーも何にもないしなあ。

えーと。

んーと。



あ! 友人がこんな物を作りました。

『ZENJIX』
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20120213_511676.html

手作りで、デジカメで写真をとるときに画を面白くするレンズやら何やらを作っていたのですが、製品化されるとのことであります。

ちなみに白衣姿はコスプレらしいです(笑)

実験写真家というには、白衣がいいだろうと思ったとか思わなかったとか…。

そして、こんな本も出しているんですけどね。

うずらの惑星―身近に見つけた小さな宇宙 カメラプラス

うずらの惑星―身近に見つけた小さな宇宙 カメラプラス

  • 作者: 上原 ゼンジ
  • 出版社/メーカー: 雷鳥社
  • 発売日: 2008/08
  • メディア: 単行本


コツコツと面白いことをしているなあと思っていたら、ブランド化されるまでになるとは。

でも面白いことなら何でもOKなんじゃあないの? と思っております。

やっぱりなにごとも創意工夫だな。




近況報告でありました。



私は元気でおります。





おしまい
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しつこく行くよ^^ [つれづれ]

セシウム、セシウム、ああセシウム…。

神奈川県の河川の汚泥から、セシウムが高濃度で検出されたという報道があった。乾燥させたものからだそうで、「そりゃ濃縮されるわなあ~」という感想なのだけど、半減期30年…う~ん。

私の30年後なんて、生きているか死んでいるかわからない年齢になっているから、もうしょうがないと思うのだけれど、本当にこんな汚染された土壌を残すことになってしまって、子どもたちには相変わらず申し訳ないという思いが強くある。すまない。

どうしようもない政治家たち。原発利権に群がる人たち。こういう人たちをどうして退治できなかったか…。原発推進派の政治家に一票たりとも投じたことはないのに、こればかりはちっくしょーっと思う。

有権者の皆さんには、ちゃんと投票に行かなくちゃダメだよ、と言いたい。ろくな立候補者がいないから投票してもなあ~と思う人もいると思うけれど。でもね、白票を投じてもいいから意思を表明するということをしないといけないと思うのだ。

義務を負ってこそ権利が主張できるんだから。選挙に参加するという義務まで放棄してはいけない。



いつぞやか書いたこと…たぶん、真山仁さんの「ベイジン」を読んだあとに書いたことだと思うが、私の家系は電力一家と言っても過言ではないくらい、電力会社あるいは電力関連企業に就いている人が多い(だいぶ死んじゃったから「多かった」…かな^^;)。

祖父は戦前、中国で発電所を経営していたし、亡き父も発電所の設計建築に携わっていた。

発電所の経営なんて大きな会社かと思うけれど、そんなことはなく、大昔は発電所なんて小さい町工場のようなものだったのだ。だいたい小学校しか出ていなかった祖父が営むことができたくらいなんだから。

東電の前身だって、こんなに巨大企業になるとは思っておらず、小さい会社だった。

なのでその頃、あまり大した考えもなく、関西の電力会社がアメリカの60Hzの発電機を買ったから、関東はドイツの50Hzの発電機を買っちゃった…てな具合で、関西と関東の周波数が違うというのは、意外と安易な選択から始まっていたというわけだ。

いまとなっては弊害になってしまって、「どうして周波数が違うのさ」と思うけれど、こんなわけだったのだよ。

ところがこんなに電力会社の力が巨大化してしまい、ほとんど公益法人のような独占状態で経営されるようになってしまった。そして利権に群がる人々も出てきて、にっちもさっちもいかない状態になっていたのだと思う。

そこで原発事故だ。さもありなんな有様なんだろう。やいやい言う外野も多く、情報の隠蔽なんて行われることも、さもありなんだ。想像すればすぐにわかる。

私は電力一家の1人ではあるけれど、火力発電所に関係しているので、(幸いなことに?)原発とのかかわりはない。たまに首都高湾岸線を通るときに、川崎あたりの発電所の煙突を見ると、「ああ、お父さんが設計した煙突かなあ」なんて思うくらいであった。

しかし、東電の元社員の叔父は現在、東電の子会社か孫会社におり、その会社の若い衆を原発事故の収束のために送り出しているという。

この叔父も火力発電にしかかかわってきていなかったのだが、いま、どんな思いでいるのだろうかと想像すると、胸が痛む。

従弟の1人も亡き父のいた会社に入社している。火力発電所の建設がメインであったが、最近では原発のプラント工事にもかかわっているようだ。大変だろうなあと思う。

現場はつらい思いをしていると思う。

ちなみになぜ電力一家となったかというと、やはり祖父の発電所経営から始まっているのだと思う。詳しくは聞いたことがないが、中国からの引き揚げ後に北海道電力の仕事をしていたのではないかな。北電の社員だった親戚も何人かいるし、、、。こういう話は、伯母が生きているうちに聞いておかなくちゃね。



はてさて、しつこく続けるよ~^^の復興支援。

毎年のように、阪神淡路大震災のことも震災のあった日に書くようにしているが、東日本大震災のこともずっと続けるつもりであります。

本来ならば、新潟の中越地震とか、奥尻島の津波被害(http://www.bo-sai.co.jp/sub8.html)とか、忘れてはいけないのだけど、大きくはなくとも地震があった場所にいたということで、阪神淡路と東日本はしつこく行きます。

はい、「かもめの玉子」。
かもめの玉子.JPG


そして被災はしていないけれど、物流などインフラがダウンしたことによって被害を受けた十和田の「八方汁」。
八方汁.JPG

こういう製品、生産物を見つけたら、ドシドシ優先的に買います。

うん、頑張るぞ。



そして相変わらずのサッカー熱は覚めやらず。


前回、歌についての批判をしたけれど、この動画にも使われているMONKEY MAJIK(http://www.monkeymajik.com/)については、震災の象徴になっているように思う。

メイナードやブレイズがボランティア活動をしている姿も報道されているし、カナダに帰らずに一生懸命頑張っている。

あ、釜石のラグビー選手たちもすごいよ!(http://www.kamaishi-seawaves.com/index.shtml

アラフィニ選手、かっこいいぞ^^
http://www.sanspo.com/rugby/news/110320/rga1103200527001-n1.htm

おしまい。
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できることを少しずつ。 [つれづれ]

東電もようやく「メルトダウン」を認めたんだなあ~と、昨晩のニュースを感慨深く見ていました。

福島の原発事故を知ってから、ずいぶんといろいろな情報を追っかけてきましたが、「これってメルトダウンっていう状態なんじゃないの?」と思うことが何度かありました。

文科系の素人考えですから、疑問に思うだけで答えは見つからないと^^; ただ、発表される数値をぼんやりと見ていたり、写真での破壊状態…とくに東電職員の話す内容を聞いていると、NHK科学文化部の人々が口を揃えて言っていた「状況は深刻である」という言葉がまさにそれなんだなと受け止めていました。

なので「やっぱりね」という印象。

地上波のニュース番組では、かいつまんでしか報道しない東電の会見を、CATVのニュース専門チャンネルではほぼそのまま流していて、それを何度か見る機会がありました。それを見ていても、「燃料の一部損壊」「燃料棒の熔解」という発言を何度もしているし……。

だからそれってメルトダウンというんじゃないの? と思っていたわけです。

また半減期があるにも関わらず、ずーっと変わらない数値って何? と思うのもありました。

ということは、収束へはなかなか遠い道のりなんだ、ということが十分すぎるほどわかります。

あ、だけど…首都圏は案ずるなかれ! 大丈夫です。こればっかりは、いくら考えても大丈夫という結論しか出ません。(また、爆発が起こったりしたら別ですが…)。

※ちなみにデータについては、早野龍五教授がツイッターでつぶやくのをかなり参考にしています。
http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/hayano/




さて、そんな長い道のりが待ち受けるなか、被災地の復興というのも長い道のりです。なので、支援も長~く続けなければ意味もありません。

芸能人の炊き出しも、単なるパフォーマンスにしか見えなくもないですが、長く続けてくれれば意味を成すもの。

杉様はすごいです。これくらいやってくれれば、ぐうの音も出ません。

そして反対に意味がないと思ったのは、歌ですよ、歌。

いいな~と思うアーティストはなかにはいるけれど、はっきり言ってしまうと、「何これ?」と思ったのは●山美穂さんの歌(笑) 夫の●仁成さんと作った歌だそうだが、おフランスから送ってきたビデオなのか何だか知らないけど、全く役に立たないと思ったのは言うまでもなく、やっぱりという感じであっという間に放送されなくなりました。

やめときゃいいのに……。勘違いも甚だしい。ま~いいんだけど。


そういえば、あんまり好きではない人ですが、長渕剛さんが自衛隊員に向かって歌う姿を見たときは、何だか感動しました。

そして愛する剣さんも、「でも、やるんだよ!」の精神で、ひっそりとですが、気仙沼、石巻、陸前高田に行っています。ニュースになっていないってところも、ィいいね! さすが、剣さん。
http://blog.fmyokohama.jp/ckb/2011/05/2011430-7ed2.html
(この記事の下のほうに、行ってきた報告がある)




さて、そんなこんな言っていつつも、私にもできることはないかとやはり考えるわけで。

せっせと被災地で製造されているものを購入したりしているけれど、それだけでなく……。

そこで見つけたのは「漁業支援のためのオーナー制度」。

日本赤十字に義援金を振り込んだものの、いつになったら使ってもらえるのか分からず、一体どうなっているんだという思いのなかで見つけたものであります。

これは、ピンポイントで支援できる! と。

いやもう、そんなにお金を送ることはできないけど、とりあえず一口オーナーを申し込みました。

こちら→宮城県塩竈市浦戸諸島の「うらと海の子 一口オーナー制度」
http://www.urato-uminoko.jp/view/index.html?mskey=192783911126103833


それから、こちらでもオーナー制度があって、こっちは牡蠣がメインで三陸全体を支援するとなっています。
同様に「宮城県漁業協同組合塩竈市浦戸支所」も名前を連ねていたので、同じ感じではあると思うけれど…。
→三陸牡蠣復興支援プロジェクト「復興牡蠣オーナー制度」
http://sanriku-oysters.com/index.html
こちらでは、復興した暁には牡蠣を20個送ってくれるんだそうです。



私が一口オーナーに申し込んだ「うらと海の子」さんのほうは、復興したら牡蠣か海苔か、ワカメを送ってくれるということ。

いつになってもいいから、頑張って欲しいなあ~。


ささやかな思いでございます。

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中立っていうのはありえない。 [つれづれ]

ここのところ、なぜかオウム真理教関連の本ばかりを読んでしまっていて、何かと考えることがいっぱいある。

森達也氏の一連の書籍は読んでいるのだが、うっかり村上春樹氏の「アンダーグラウンド」とか、その後の「約束された場所で」にも手を出してしまい、「う~ん」と唸るばかりだ。

これらの感想を書きたいと思っている。しかし書けない。考えがまとまらない。

ひとつ訳を言えば、タイトルにも書いた「中立っていうのはありえない」というところにあるんだ。

地下鉄サリン事件について、被害者側、加害者側のそれぞれの考えや意見を読んでみて、「これを中立的に判断しろというのはムリだろ」という思いが湧いてきた。

と同時に、中立でいるというのは、要するに「自分は正しい」と思い込んでいないとムリ、ということだと思った。

「中立であるという正しさ」…いや~もう果たしてこれはあるのだろうかと考えたのだけれど、やっぱりありえないとしか思い至らない。

私なんぞは、ぐらっぐらと左右に振られっぱなしだ。

右に行ったり、左に行ったり……。ストックホルム症候群のような思いも生まれなくはないし、依存的あるいは共依存的な状態に陥ることもある。そこから抜け出して、答えを出せるかといったら、ムリだと思った。

最終的には「人としての正しさ」とか、「好きか嫌いか」を押し出すしかない。

「好きか嫌いか」でいけば、狭量な私ははっきりと判断しやすいのだが、「人としての正しさ」を考えると、それは「神の領域か?」とまで行ってしまう。

となると、やっぱり宗教?

苦笑いするしかない。

オウム真理教という宗教団体が起こした事件について考えることで、ここに至るとは皮肉なものだと思った。

ただ「人としての正しさ」を言えば、殺人なんていうのはもってのほかなわけで、中立もへったくれもなく、罰は受けなければいけないと思う。

とりあえずそれだけははっきりしている。

「好きか嫌いか」で言えば、「嫌い」であるのならば、そこでバッサリと付き合いをなくすとか、関わらないようにするとか、見ないようにするとか、そうすればいいだけで、簡単なものだ。

だけど、「みんながこう言うから」とか、「多数派の意見だから」というだけで、自分の意見や考えまで同じくしようと思うのは間違いだと思っている。そこで一旦立ち止まって、考える必要はあるだろうなと。

そんなことを考えているんだが……。



チュニジアの「ジャスミン革命」や、まだ沈静化しないエジプト騒乱、中東諸国に飛び火しつつあるこの問題は対岸の火ではないと思っている。

日本は民主主義、資本主義国家で、こんなことはないだろうと思っているけれど、国民の怒りというのはくすぶっていると感じている。子ども手当てにしても、消費税や相続税のことにしても何だかヘンテコリン。

「子ども手当て」なんて、宗教関係の政党が言いだしたようなことだろうに、今度は反対に回るなんて、いい加減にしなさいよ! と思う。

餓死している人がいるということが異常事態だと私は思うんだ。一方で牛丼の格安競争なんて、もうこっちもいい加減にやめなさいよ! と思う。



いや、話を戻すが、エジプト騒乱を見聞きしていて思ったのだけど、「民主化、民主化」というのはいい。

それは「独裁」というものが正しいとは思えないから。国民が国を動かすべき。

でも、彼の国は宗教の意識が強い国なのだ。民主化したはいいが、イスラム教が台頭してその国を牛耳ることになったら、それはどうなんだろうと。

オウム真理教が起こした事件についての一連の書籍を読んで、一段と宗教の怖さを覚えている。

それこそ中道的な立場でいるということは可能なのだろうかと思うのだ。

きっと「人としての正しさ」は宗教の教えにあると思っている可能性が高いだろうから、これはとっても危険極まりないと感じている。


ヤバいっすよ。大丈夫かな。



とまあ、考えているうちにやたらと壮大なテーマになってしまいそうなので、ここまでにします、はい。

そのうち本の感想は書ければいいのですが。



さて、数日前の雪ですよ。
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うちの車のボンネットに降り積もる雪を面白くて撮っていたのですが、もりもりと育っているみたいで、おかしかったですねえ。

しかし翌日にあっけなく融けてしまって、さすが関東平野の雪だわ。



それからこれも数日前に仕事でふらふらしていたときに撮った写真。
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安田侃さんの作品ですが、「ISHINKI 意心帰」。東京国際フォーラムにある作品です。

携帯で写真を撮っていたら、「あれ? こんなところにこんな石があったっけ?」と、おそらく近所の会社員2人がつぶやいていました。

それだけ、違和感なく鎮座しているんですね。

何気ない風景に溶け込める安田侃さんの作品って、やっぱりいいなあと思ったのでした。



右に行ったり左に行ったりしながら角が取れて、こんな石のようになれたらいいのにね。


おしまい。
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新春2011 [つれづれ]

新年あけましておめでとうございます。

皆様におかれましては、よいお正月をお迎えのことと思います。


うちはですねえ…、うちは…、1月2日にゴルフに行った以外、全くの寝正月でした(笑)

夫T君にいたっては。。。
1日…ごはん、ごはん、寝て、ごはん。
3日…ごはん、実家へ挨拶、ごはん、寝て、ごはん。
4日…ごはん、ごはん、寝て、ごはん。

そして今朝、会社に行きました。
こころなしか、T君の体がぶよぶよして見えたのは気のせいでしょうか^^;



昨年末に話を戻せば、例年通りの地元忘年会三昧で、12月29日夜中の忘年会に始まり、30日は我が家で忘年会、そして大晦日は姉の家(元実家)で忘年会と肝臓ボロボロ;;

いやいや…。

30日のこいつら↓のせい(T君の友人たち…あ、私も同級生…)で、
DSC00457-2.JPG
大二日酔いになりまして、大晦日の夜はビール一本とワイン一杯のみで、あとはお茶をひたすら飲んで過ごすはめになりました^^;

我が家の忘年会も、ここ数年恒例になっておりまして、料理をするのは苦ではないのですが、サーヴィングして後片付けをして、その間に私も飲む(!)ということをするので、かなりの疲労なのですよ…。

なのでなるべく量を飲まないでおこうと思っていたのですが、、、。
知らず知らずに飲んでいたようなのでした_| ̄|○ il||li

翌日、ワインの空き瓶を見ると…マグナムボトルを含めて10本! 飲みすぎじゃあ~!!!

ちゃんと食器を片付け、お風呂にも入って寝られたのに…なぜか大酔っ払いの二日酔い…。

辛ろうございました(笑)


でまあ、大祓えは絶対に行かねばと、なんとかお酒が抜け始めた頃に、寒川神社までT君に車を走らせてもらいました。
寒川201012-1.JPG
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すっきりと2010年のモロモロを祓ってもらって、2011年の新しい年を迎えたというわけです。

ちなみに引いたおみくじは「中吉」。

書いてあったことを見れば慌てず騒がずと。待ち人などは遅れても必ず来る、とありました。

ですので、今年は慌てず騒がずに、待ちの年にしようと…そんなことを考えています。



あとはT君が体を壊さずに、平穏な日々を送ることができれば御の字かなあ。





こぎん姐さんのこともお願いしてきましたわ~^^/





世界中が平和で、幸せを感じられる年になりますように。




では。
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もう少しゆっくりしてもいいのに…。 [つれづれ]

数日前に誕生日を迎えましたが、よくもまあここまで生きて来れたものだと感慨深く。しかしながら、年老いていく自分というものがどうにもこうにも想像できなくて、これは「老害」といわれる者になってしまうのではないかと、若干恐怖におののいています。

自分の年齢を自覚しないと。

自分の老いを自覚しないと。

「老い」に対する不安というのが大きい。

どんな風に体が弱っていくのか。どんな風に動きが鈍っていくのか。いままでできたことができなくなることを、平然と受け入れられるか。

そんなところに不安を感じるわけです。



さてそんな折、もうおせち料理の予約シーズンがやってまいりました。
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「ちょっと早いんじゃね?」(笑)

年々早まるおせち料理の予約。商売とはいえ、ちょっと早すぎるような気がしています。

百貨店同士の競争もいいのですが、もう少し消費者のことを考えてもいいんじゃないのかな? と思ってしまうのです。

毎年のように「一年が早く感じる」と。年々加速しているかのように一年が早くなっていると。

それは、おせち料理の販売や年賀状の販売時期の早まりにも原因があるような気がします。

もう少しゆっくりとしようよ…というのが本音で、いろんな行事好きの日本人とはいえ、これはついていけなくなりそうな予感^^;

こういう部分にも疲労を感じるんですよ。

疲弊感といったらいいか。

そんなに時間や労力をすり減らして、儲けようと思うのはもう止めたほうがいいんじゃないのかなと思うわけで。

そろそろ日常生活をゆっくりモードにシフトすれば、もっと平和になるのではないかと感じるのです。

ただ一方で思うことは、高齢社会に突入している日本ですから、老い先が短いと感じる人が増えているはず。先が短いとなれば気持ちも焦ってしまって、何でも「早く早く」と思う人が増えてもおかしくない。

そう考えると、高齢者の多い国全体が、何でも「早く早く」という気持ちになってきてしまうのも頷ける話です。

たぶん想像だけれど…ずいぶんと早いうちに、「おせち料理の予約はまだか?」なんて百貨店に言う高齢者がいるような気がしないでもない^^;

そういう消費者のことを考えると、早くせざるを得ないのかな、とも思いますが。



でもねえ、早くに予約したって、死んじゃったら元も子もないじゃんとも思ってしまうんです。

だったらもう少しゆっくりと一年の移り変わりを感じていようよ、と思うわけです。

お店も三が日くらい休んでしまえばいいのにな。



さて、話が元に戻っておせち料理。

今回はフレンチを選びました。

考えてみるとここ数年、和風のおせちは自分で適当に用意していることが多く、だったら和風ではないおせちを買えばいいじゃない…ということに落ち着き、今回はフレンチ。

中華もいいのだけれど、いつぞやか中華おせちを買ったときに、ずいぶんと油っぽかった印象があって、やめようと。

イタリアンも匂いが気になったときがあり、、、。そうなるとフレンチかなあ。ワインとも合うし……。

要するに年に一度の高級惣菜ですよ(笑)

ありがたくいただこうと思っております。



おしまい。
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正しさと独善 [つれづれ]

週刊文春の中村うさぎさんの連載『さすらいの女王』で、中村うさぎさんが「正しさが独善になっている」ということを書いていて、それを読んで「あ~」と心の中で絶句してしまった^^;

「正しさの人は、他人を幸せにできない」という町山智浩さんの言葉を引用しているんだけど、正しさという独善は他人を幸せにしないんだよ…ということらしいのだ。


それを自分にあてはめてみたら、「そうだよな~」と妙に納得した。

よく「物を断定的に言う」とか、ほとんど「これはこうだから」と他の人の意見を取り入れる余裕のない言葉を発してしまって、そこで話を終えてしまうことがある。

バッサバッサと言葉で人を斬るというやつですな。

何か事を始めるにしても、自分で何でもやってしまった方が早いから、これまたバッサバッサと斬るように行動をしてしまって、全然他人を仲間に招き入れない自分がいるわけで、これは他人を幸せにしていないんだろうと思う。

…そういうことになる。

「どんだけ自分を正しいと思っているんだ、あたし!」とツッコミを入れている女王様(中村うさぎさん)が可笑しくって。だけど自覚しているのだから、それはそれでいいんじゃないかなとも思う。

自分もそう言うと正当化しているわけになるんだけど(笑)

「世間の規範とは関係なく『自分ルール』と呼ぶべき独特の『正しさ』の基準があって、その『正しさ』に己が殉じるのは当然としても、その基準を他者にも当てはめて裁いてしまうという傾向が強いのである」と中村うさぎさんは言う。

でもさ、これは誰もが知らず知らずにやっていることだと思うけれどね。

問題は、自分が感じて、自分の頭で考えて、そして出来上がった「自分ルール」なのか。それとも他者が作り上げた、いわゆるマジョリティの人々の総意になっているような意見(それを常識というのだろうけれど)で出来上がった「自分ルール」なのか。

その違いというだけで、「自分ルール」というのは誰にも存在すると思う。

ただ「常識的であること」と、「独善的であること」が、幸か不幸かのどちらかになってしまうんだわ。

だけどね、「常識=正しさ」かと言ったら、??? となる。

常識なんて本当は移ろいやすいものだと思うし。

であれば、独善的であることを自分ルールに用いているということは揺るぎないものにもなる可能性もあるわけで、またそれが常識に転じることもあるわけで、それはそれで面白いじゃないの…と思うのだけれど…(ここでも自己正当化^^;)。

最近はマツコ・デラックスさんが、バッサバッサと独善的に人を斬るように、小気味いい意見を言ってくれている。そこで共感するというのはどういうことなんだろうということにも目を向けてみるといい。

面白がっているのはどの部分か…って。

それから、マツコさんも場所を選んで発言しているということ。一応、時と場所を選んでいるところがいいところだよな、と思う。

ま、独善を発揮するには、時と場所を選べよ…っていうことが結局は大切なんだろうなと思う。

そうすれば他人を不幸にすることもないだろうし。



面倒くさいけど。




そういえば、マツコ・デラックスさんを世に出したのは、中村うさぎさんと言ってもいいのでした。

共感を覚える人がこういう人たちって、私ってどうなんだろう…て、ここでツッコんでもねえ(笑)


ついでを言えば、仲間を作ったりして何かを始めるというのは苦手だから、どちらにしても独善で行くことは自分は不幸ではないと思っていたりもする。他人を幸せにするために、迎合したって面白くもなんともない。



とここまで考えたとき、自分の老後のテーマが見えてきた(笑)

それは

「寂しい晩年」。



いいなあ、これ。全く「寂しい晩年」で私は十分だよ。自虐でもなんでもなく。

だってこれは他人から見た私の姿や生活であって、私自身は寂しくないと思うから。


これで十分。



おしまい。
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