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編集も変われば雰囲気も変わる。 [本の感想]

何となく買い続けている雑誌がある。「en-taxi」。扶桑社から出ている雑誌はあまり好きではないのだが、これだけは買ってしまっている。あのリリー・フランキー氏の「東京タワー」を連載していた雑誌だ。

当初、読み始めたときはとんがっている感じがして、なかなかとっつきにくかったことを覚えている。ケンケンした感じといえばいいのか。背伸びをしすぎといえばいいのか。無理にそこまで手を伸ばさなくてもいいんじゃないか?という感じで、わかりにくさ(自己満足感)満載だった。

初めの頃は嫌いな作家がかかわっていたということもある。だけど、手にしていた雑誌だった。

「超世代文芸クオリティマガジン」と銘打っているんだな。今ごろ気がついた(笑)

Vol.32のspring2011号を読んでから「あら?」と思った。印象が変わりつつあったのだ。実にとっつきやすくなり始めていた。図らずも緊急特集として「作家たちの東日本大震災」を取り上げており、何か曲がり角に差し掛かったところ、未曾有の災害が起きてしまい、その勢いでハンドルを切ったという感じだ。
en-taxi No.32 大特集 東日本大震災 (ODAIBA MOOK)

en-taxi No.32 大特集 東日本大震災 (ODAIBA MOOK)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2011/04/26
  • メディア: 単行本
等身大といったらいいのか。ケンケンした雰囲気が薄れてきていて、読みやすくなった。「責任編集」として参加している人が変わったからかもしれない。編集も変われば雑誌も変わっていくんだ。

今号Vol.34winter2011は「1970年代とは何だったのか」と特集している。私自身、1970年代は一番多感な時期だったせいで興味深く読んだ。

en-taxi No.34 (Winter 2011) (ODAIBA MOOK)

en-taxi No.34 (Winter 2011) (ODAIBA MOOK)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2011/11/24
  • メディア: ムック

このなかで、坪内祐三氏、和久井光司氏が「加藤和彦さん、今野雄二さん、中村とうようさんの自殺」を取り上げており、何か象徴するもののようにとらえていた。

私もこの3人の自殺は共通項があるような気がしていた。そしてこれを読んで、やっぱり同じようなことを考えていた人がいたんだと思うにいたる。

坪内祐三氏はこの3人の自殺を「1970年代的なものの終焉を思わせた」といっている。

一方、和久井光司氏は「70年代、ようやく日本にも芽生えた“ポップ・カルチャー”を牽引したばかりでなく、新しいタイプの“文化人”として我々の指標にもなった三人が、この2年のあいだに相次いで自死を選んだのだから、後輩としてはたまらない。こんな仕事をしていると老後に希望はないのか、と陰鬱になるのである。」と。

また座談会として泉麻人氏、亀和田武氏、坪内祐三氏が1970年代を語っているのだが、そのなかで泉氏がこんなことをいう。「加藤さんの自殺は、キャラを含めて伊丹十三さんと重なるんですよ」。すると亀和田氏が「ああ、彼も唐突な死に方でしたね」と続ける。

そう、伊丹十三さんの死…。

「加藤和彦さん、今野雄二さん、中村とうようさん」の3人のやってきたことを知っている人は感じたのではないかと思う。この唐突感。そして唐突に死んだ伊丹十三さん。

とくに伊丹十三さんと加藤和彦さんは、自殺という手段を選ぶことから一番遠くにいる人だと思っていた。いろんな新しいものを見つけ出し、それを紹介し、実践しながら人生を楽しんでいるように見えた2人だ。そんな人が自殺を選ぶはずがない。でもそれなのに、2人とも唐突に自ら命を絶ったのだった。

あっけにとられるとともに、この人たちはやりたいこと、やらねばならぬことが無くなってしまったんだと思った。きっと、「あ、これ以上はダメだな」とある瞬間に気がついて死を選んでしまったように思う。勘がよすぎたというのだろうか…。堪え性がなかったというのだろうか…。いやむしろ、この時点で「やりきった」という思いもあったのだと思う。本当に終わったのだ、きっと。

しかし、和久井光司氏がいうように「後輩としてはたまらない」。別に直接の後輩でもなんでもないが、加藤和彦さんような人がいて、それを見て生きてきた人間からすると、「これでもう終わりなの?」と考えてしまうからだ。これから先は、生きていても面白くないのか? とまで考えてしまう。

手本になっていた人の死というのは、かなり身にこたえるものである。

でも、70年代に芽生えて培われてきた文化は、ここで成長をストップさせたのだと思う。もう成長しない文化とはおさらば。その文化の象徴が死んだのだ。


70年代を座談会での3人が語るキーワードを抜き出してみると、「ああ、そうそう」と頷くものがたくさん出てきて面白い。

「渋谷のジロー」「公園通りのシェーキーズ」「『anan』『ポパイ』」「文化屋雑貨」「渋谷西武」「ぴあ」「宝島」「ウーマンリブ」「ガイガーカウンター」(笑)「マックスロード」「トップス」「サイフォンコーヒー」「ディスカバージャパン(国鉄)」「劇画アリス」、、などなど。

坪内氏のエッセイには「丸井と並ぶ“月賦屋”だった緑屋を西武(セゾン)が買収し…」と書いてあって、それは私にはツボだった(笑)


考えてみると、この雑誌が等身大となりつつあると感じたのは、自分と近い世代の人たちが「責任編集」を始めたからかもしれない。「坪内祐三/福田和也/リリー・フランキー/重松清」の四方。Rさんという女性が入っていたときは「???」という感じがしていたのだ。

しかし頷けるものがこうも違うと面白さも違ってくるのかと、不思議なものだ。結局、共感とか、そういうことがかかわっているのだろうな。





そして、この号で面白い! と思った記事で加藤陽子氏、佐藤優氏、福田和也氏が「排外主義」について語っている座談会があるのですが、これについてはまた。



いや~本当に面白く読めた(笑
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読書好きになった頃 [本の感想]

もう立冬を越えてしまったので、暦上は冬になっているのだけど、「読書の秋」ということで、ふと自分が本を読み始めたのはいつ頃だったかと考えてみた。

きっかけは、北杜夫さんのご逝去だ。

週刊新潮で北杜夫さんの娘である斉藤由香さんのエッセイを読んでいるのだが、今週号でお父様が亡くなる前のことを書いていて、その後に北杜夫さんの本を紹介した広告があった。

それを見ていて、「あ~この本、この本」と思った小説があった。

船乗りクプクプの冒険 (集英社文庫 30-A)

船乗りクプクプの冒険 (集英社文庫 30-A)

  • 作者: 北 杜夫
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1977/06
  • メディア: 文庫


1962年に書かれた小説だ。

私が本を読むようになったのは、だいたい小学校の5、6年生からだったと思う。父が10歳のときに他界してから家に1人でいることが多くなり、そのとき本を読むようになった。それから本を読むことが好きな友達ができて、よく面白かった本のことを話しながら小学校から下校したものだった。

「あの本の、あの場面は面白かったよね~」なんて話しながら、坂道の多い通学路をテケテケと歩いていたのだ。

いまもその友達には感謝している。彼女のお陰で本好きになったし、そこで自分で物を考えるということを覚えたのだから。いまはどこで暮らしているかもわからないけれど…。そういえば彼女は赤毛のアンが好きだったな。

なので、たぶん、「船乗りクプクプの冒険」はこの頃に読んでいると思う。

ただ内容を覚えていないのが残念なのだが、ものすごく面白かったような記憶があって、子どもだから、、、気に入ったところを何度も読み返していた気がする。

こういう面白い小説に出合えて、本を読むのが一層好きになったんだ…。


北杜夫さん、ありがとう。



それから「どくとるマンボウ」シリーズをずいぶんと読んだ。

考えてみると、好きになった作家の小説を全部読破する(してやる)というのもこの頃から始まっているかもしれない…(北杜夫さんの本は、全然読破していないけど…^^;)。



それから印象深く残っているのは「コロボックル」。

だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1  (講談社青い鳥文庫 18-1)

だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1 (講談社青い鳥文庫 18-1)

  • 作者: 佐藤 さとる
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1980/11/10
  • メディア: 新書


初版は1959年。半世紀も前に書かれた本。児童文学にあたるのかな…。

これはもうシリーズを夢中になって読んだ。でも誰にすすめられて読んだのだったか記憶にない。それが非常に気にあるところなのだが、教えてくれた人に感謝なのだ。

たぶん…これも友達だった彼女なんだろうな。

いまはほとんどファンタジー小説というものを読まない、超がつくくらいの現実的な人間だが、この頃はこういう物語が好きだったんだ。それを思うととっても不思議。

夢を見ていたのかなあと思う。


そうそう、この頃…そういえば「ノストラダムスの大予言」が大流行していた。「こんなことありえないだろ」と思いながらも、この大予言を読んだけれど、いま思うとこのときに「自分の老後というのはないんだ」と考えた気がする。

漠然と「結婚して子どもを産んだ頃には世界が終わるんだ~。だったら子どもなんて産んじゃダメじゃん」なんて思っていた。

なのでこんなこともリンクして、想像(妄想)の世界に浸っていたのかもしれない。

それから中学生になって、面白くて仕方がなかったのは、芥川龍之介だったという……。そこへ行くかっ!? という感じであるが、「鼻」「蜘蛛の糸」「羅生門」…。面白かったなあ~。ここでもほぼ妄想の世界に浸っておりました。

でも芥川龍之介は読破できず…(笑)





変な話なのだが、11歳から13歳くらいの頃というのは、脱皮する前の蓄えの時期だったように思う。妄想の蓄え…^^;

子どもの無邪気な想像力ではなく、自覚された想像力が培われた時期ともいえるのではないかと。

要するに自我が目覚める前の、さなぎ状態みたいな…。


何を書いているんだか…ですが、この頃があっていまがあることを考えると、これは必要な時間だったのだなと理解できるのだ。


ま~父親がいなくなったというのが大きな転機ではあったのだけど、友達もお父さんがいない人だったというのも不思議なめぐり合わせだった。


面白いもんです。





おしまい。
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ワンマン [本の感想]

趣味は読書というくらい、本を読むのは好きなのだが、3月11日に起きた震災以降ぱったりとと言っていいくらい「小説」が読めなくなった。

読むとしたら、「ノンフィクション」だったりドキュメンタリー物…あるいは「エッセイ」となってしまう。それこそ未曾有の大災害を現実のものとして体験してしまったら、小説というものに共感することができず、単なる絵空事に感じてしまうのだ。しかし絵空事、架空のこと、フィクション…なんでもいい。一瞬でも心が入り込めるような物語を読みたいと思うのだけれど、なかなかない。

そういうわけで、以前にくらべると読書量は落ちている。

さて、最近読んだ本の1つ。

北海道室蘭市本町一丁目四十六番地

北海道室蘭市本町一丁目四十六番地

  • 作者: 安田 顕
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2011/10/06
  • メディア: 単行本


北海道のTEAM NACSの一員、通称ヤスケンが書いたエッセイ。

主にヤスケンの父親のことを書いている。

ヤスケンが幼かった頃の父、弘史が巻き起こすエピソードや、さまざまな発言。記憶に残っている光景を、父親との会話のなかからも探り出し、それを言葉にしていったエッセイだ。

「父を語る」という感じではあるのだが、父親を贔屓目に見るとかそんなものは感じず、ありのままを語っているように思う。だからといって批判的というのではなく、文体からはきちんと父親への愛情、また父親から受けた愛を感じ取れる。

貧乏だから学校へは行けなかったというものの、人として重みのある言葉を発するお父さん。笑ってしまうエピソードも満載だけれど、苦労の連続の中でも家族が幸せに暮らしてきたという雰囲気が伝わってくる。

印象に残ったのは、子どもたちに対し「食わせなくちゃいけない」と言うのではなく、「幸せにしなくちゃダメだ」と言うところ。

それをヤスケンも気づいて「『お前たちを幸せにしなくちゃいけない、明日の米を買わなきゃいけない』って言ったの、素敵だね。『食わせる』って言葉を、スッと使わないんだよね。……」と言っている。

いいお父さんなんだわ。品性というものがしっかりと備わっている人なのだ。

「苦労して、一生懸命やっている時代が一番楽しい時代」

そんな風に言えたらいいものだなと思った。



果たして、私自身が父や母のことをこのように書けるか、といったら書けないと思う。理由のひとつは、父親との付き合いが短かったということもあるが、あんまり思い出したくないということがある。母親に対してもそうだ。

いつか、思い出して書ける日が来るといいけれど…と思わなくもないが。




さて、この本のなかで「ええ?」と思ったこと。

「ワンマン」という言葉。

ヤスケンが子どもの頃から、電車もバスも運転手が1人だったのに、「ワンマン」と表記するのが不思議だったというのだ。

「ええ? 不思議?」……。


あ、そうか。

そういうことか。

車掌がいる時代を知らないから、不思議に感じるのね。

そうだよね。確かに不思議だわ。いまや普通に「ワンマン」である状態だから、あえて「ワンマン」と言わなくてもいいのではないの? ということなのだわね。

確かに^^;

これはある種のカルチャーショックだった。改めて考えてみると、確かに変なのと思うようなことだけど。



そう思うと、自動券売機や自動改札機の「自動」っているのかな? なんて考えてしまった。「~機」とついているくらいなのだから、自動だろうに(笑)

ま、いいけど。



でも、いまの子どもたちは、ディズニーランド、携帯電話、PCなどがあるのが当然の暮らしをしているんだよね。生まれたときからどれもある。これってすごいなあと思う。

価値観や文化の作られ方が変わってくるのは当然だと、考えなくちゃいけないな、と思った。

あって当然というものから、価値観や文化が生まれるんだ。面白い。



なんというか…そういうことを柔軟に見ていけば、これからはいいんだろうね。




そんなことを考えた本でした。


おしまい。
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餅は餅屋 その2 [本の感想]

前回の記事に、もう1人書き忘れていた人がいた。

写真家で好きな人は何人かいるけれど、料理写真家でぴか一の人がいる。いや…ぴか一というか、料理写真を撮ってくれる人で一番好きな人、と言ったほうがいいかな。

料理写真家というのも数多いて、キレイに撮るのを身上としている人もいるし、テーブルセッティングに命をかけているような人もいるし、それはそれぞれ。なので、そのなかで私が好きな人と言ったほうがいいと思う。

要するに好き好きだろうから…というわけだ。

架空の料理 空想の食卓

架空の料理 空想の食卓

  • 作者: 澤口 知之
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2009/04/29
  • メディア: 単行本



香港飲茶読本 (コロナ・ブックス)

香港飲茶読本 (コロナ・ブックス)

  • 作者: 菊地 和男
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: 単行本



料理写真家というと語弊があるのかもしれない。カメラマン兼ライターと言ったらいいのかな。

菊地和男さん。

この人が撮る料理の写真は、何とも生き生きしていて好きなのだ。ライブ感がある。

以前、ある人が料理写真を撮ってもらうのに、私の知り合いが写真を撮ったのだが、どうにもこうにも納得がいく写真を撮ってくれない。業を煮やしたその人は、自分の知り合いのカメラマンに頼んで、一部写真を取り直したということがあった。

やっぱり料理写真を撮るのも、得手不得手があるのだろう。

私だったら、菊地和男さんに撮ってもらいたいなあ~。

餅は餅屋…つまり、素人は手を出さず、肝心なことはプロフェッショナルに頼むことだということ。



ついでに本当のプロフェッショナルには愛がある。

この人の写真を見ればそれはわかります^^



追記でした。

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餅は餅屋 [本の感想]

好きなスポーツジャーナリストが2人いるが、そのうちの1人、ゴルフジャーナリストの舩越園子さんが書いた本を読んだ。



がんと命とセックスと医者

がんと命とセックスと医者

  • 作者: 舩越 園子
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎ルネッサンス
  • 発売日: 2010/01/20
  • メディア: 単行本


この人の書く記事、エッセイ、コラムはいつも結びが小気味よく、「うまい!」と膝を叩くような終わり方をして、気分よく読み終えることができるので好きだ。

じゃあ、彼女が書いた子宮頸がんについての本は、結構読めるのではないか? と思って買ったのだった。

読んでみると、「あれ?」っていう箇所が多い。突っ込みどころも満載で、読んでいて苛々してくるのだ。「ゴルフについて書いている筆致と全然違う」。

検査で子宮頸がんの疑いがあり、セカンドオピニオンを求めて住んでいるニューヨークから日本に戻り、そこで円錐切除術を受けてがん治療は終わるのだが、それまでに何とまあうろたえる人だろうという感じで、右往左往するのだ。それが何ともうっとおしい^^;

子宮を取ってしまったら、放射線治療をしたら、セックスのとき感じなくなるんじゃないのかとか、女じゃなくなってしまうのではないかとか、、、。「生より女」を選びたいくらいの勢いで、子宮頸がんの治療について疑問を投げかけていくのだ。

結局、円錐切除術のみで済んで、ほとんど悩む必要はなかったんじゃないの? という顚末ではある。何というか、重い手術を受けて治療をしている人には失礼、と思ってしまうような書きっぷりなのだ。

ただ、後半になると「女より生」を選ぶことを理解するし、医者の苦悩に接して医療のあり方にまで言及するようになる。この辺に来るとほっとして読み進められた。

ここに出てくる医師いわく、女性であること、男性であることを決定するのは「脳」であり、「心」だろうと。女性器や男性器が決定するのではないということ。性器で決まるということになると「性同一性障害」が説明できない、ということにある。そうそう。

おそらく本にするという前提で、テーマとして子宮→セックスというのを選んだのではないかと思う。ある意味でキャッチーだから。

でもそれをテーマとして書くにしては、「がん」というのは重い病気であり、医療というのもさまざまな問題を抱えている。そのためには、キャッチーなだけでは書き進められないと思う。

そこが失敗だったのではないか。

これは、子宮頸がんかもしれないという人が一緒に悩んで読む本であって、手術をしてしまった人が読む本ではない。それだけはいえる。

ゴルフジャーナリストとしては舩越園子さんをすばらしいと思っていたけれど、こういう問題について書こうとすると不釣合いな感じがした。

餅は餅屋。ゴルフについて書いている舩越さんが一番輝いているな。愛がある。





そしてもう1人、最近好きになったサッカージャーナリストがいる。原田公樹さん。

中日スポーツや日経新聞、JSPORTSに記事を書いている。

なぜこの人に注目するようになったかというと、今回の女子サッカーW杯でなでしこジャパンをずっと追いかけて、彼女たちについてずっと書いていたから。

『サッカー女子W杯…なでしこジャパンの「美しさ」』

そして↑この日経新聞の記事。

W杯優勝後にマスコミがなでしこジャパンを取り上げるたびにうんざりしていたのが、「彼氏はいるの?」や、「食べものは何が好き?」などのくだらない質問。

だいたい男子の選手にそんなことは聞かないでしょうと。何でサッカーについて聞かないのか、と家でプンプンしていたのだった。

夫T君にもそのことを投げかけると、「しょうがないよ。TVを作っているのは男ばっかりだから」と言う。「それにサッカーのことなんてわかっている人は少ないでしょ」と言うのだ。

「まあ、それはそうだけどさっ」…と怒りは収まらない(笑)

でだ、原田さん。サッカージャーナリストだからサッカーをよく知っている。それだからではないだろうが、「彼氏はいるの?」なんていうことは聞かない。『女性ならではの「美しさ」』とちゃんと書くのだ。

読んでみて欲しい。ちゃんとプレースタイルに言及するのがすばらしい。これが専門とするジャーナリストの仕事だろう。うんうん。

原田さんがなでしこを追っかけていることを某ツイッターで知っていたが、実際にこういう記事を書いてくるなんて、いいやつだなあと思った。好感が持てるし、信用もできる。そしてなでしこジャパンはその後、優勝したんだから^^

ちゃんとしたいい目を持っているんだよ。ジャーナリスト冥利に尽きるだろうなあ。

本当にね、餅は餅屋。

TVなんかで、何も知らない人が付け焼刃的なインタビューをしてはいけないってことだ。



ついでにこんな本を読んだ。

サービスの裏方たち (新潮文庫)

サービスの裏方たち (新潮文庫)

  • 作者: 野地 秩嘉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/06/26
  • メディア: 文庫

人知れずすばらしいものを作り続けている職人さんたちの話。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが取材し、書いた本だ。

なぜこの本を手にしたかというと、クレイジーケンバンドの剣さんを取材していたから。それを読むだけでもいいや、と思ったのだけれど、一番最初の「給食のおばさん」の話から引きこまれて読んでしまった。

いやいや、やはり極めるということはすごいことなのだ。

人知れず、こうして極めている職人さんたちがいると思ったら、ぞくぞくしてきた。これを読むとね、やっぱり日本も捨てたものじゃないと思えてくる。そんな話がいくつも出てくる。

あとがきにもこんなことを書いている。この裏方で活躍する職人さんは、「要するに、すべて地味な存在だ。華がない。話に起伏があるとも言い難い。だが、私は地味で、華がなくとも、その技術や心がまえに感心し、打たれた。彼らから話を引き出し、気迫を込めて文章にまとめた。」と言うんだ。何だか共感できてうれしい。

で、この野地さんにとって剣さんもその1人というわけだ。




それから、もう1人。

よく行く飲み屋さんで素敵な男性を見かけるときがある。高齢者なんだけど、たたずまいがカッコよく、初めて見かけたときはバカラのグラスの包みを持っていて、「ひゃ~高価なグラスを買っているわ~」なんて、思って見ていたのだ。

店主に聞けば、有名なバーテンダーさんだということがわかった。ときどきふらっときて、ちょっと飲んで、ちょっと食べて帰るのだそうだ。

この人。
銀座バーテンダーからの贈り物

銀座バーテンダーからの贈り物

  • 作者: 稲田 春夫
  • 出版社/メーカー: パピルスあい
  • 発売日: 2008/01
  • メディア: 単行本

ついこの前も行ったときにカウンターの一番角の、料理をする店主の目の前に座って、お酒を傾けていた。それが実にカッコよくて…^^

店主のM君も、給仕をしているソムリエンヌのNちゃんも、若干緊張しているのがわかる…。

でも、近所に住んでいるからとはいえ、ふらっと何度も来ているということは、そのお店の雰囲気も料理もお酒も気に入ってのことだろう。

緊張するのもわかるなあ~。

いや~ありがたい姿を拝ませてもらっているような気がする…。それくらいカッコイイのだ。

極めるってすごいな。




今日はそんなお話でした。


おしまい。
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最近読んだ本 [本の感想]

「これからも何だか生きていけるな~」と思った本2冊。

こちらあみ子

こちらあみ子

  • 作者: 今村 夏子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2011/01/10
  • メディア: 単行本


太宰治賞を取り、三島由紀夫賞を取った新人作家さんの小説。

装丁がキレイだなとまず思った。グレーとすみれ色(ラベンダー色かな)を基調としていて、手に取ったとき、ほんわかとした雰囲気が伝わってきた。

賞を受賞した「こちらあみ子」と、太宰賞の受賞後に書き下ろした「ピクニック」からなる一冊なのだが、初めて書いたとは思えないほどすんなりと読める。

主人公はどちらも邪気がない。

あみ子にしても、ピクニックの七瀬さんにしても、自分の思ったとおりに行動をしているがために、そのマイペースぶりがもととなって小さな事件をポロポロと起こすのだけれど、小さな事件が起きるたびに、彼女らを取り巻く人の思いが浮き彫りになっていく。

浮き彫りになったいくつかの思いのいずれかに、読んだ人は共感するのではないかと思った。登場人物の1人に読者はいる…という感じ。

主人公を不快に思う人もいれば、快く思う人もいると思う。

おそらく、いまでいうところの空気の読めない(KYな)人なのだけど、私は快く思うほうだと思う。その素直さに心が打たれた。

また、作者がこういう視点で書けたことにも感動したけれど。

本の帯に三浦しをんさんが「おもしろい、だけじゃない。多様な読みかたができる、豊かで奥行きのある作品です。」と書いているが、そのとおりだと思った。



佐野洋子対談集 人生のきほん

佐野洋子対談集 人生のきほん

  • 作者: 佐野 洋子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/02/04
  • メディア: 単行本


昨年亡くなった佐野洋子さんと西原理恵子さん、佐野洋子さんとリリー・フランキーさんとの対談集。3人とも武蔵美を卒業している同窓生で、ベースに共通体験があるせいか、歳の差も感じられない会話が展開されている。

会話の中心になるのは、「母親のこと」かなと思った。

3人とも自分の母親の話をするのだけど、それがタイトルになっている『人生のきほん』に繋がるのだろう。

人を形成するベースとして母親は必ずあると。自分の母親を考えることで、自分はこうなったのかなと、それぞれが母親を語りながら、明らかにしていくという感じだ。

父親についても会話に出てくるのだけれど、父親というのは何だか微笑ましい存在として3人とも語っているのが面白い。3人とも、それに気づいていたのか…。

佐野洋子さん、西原理恵子さん、リリー・フランキーさんの3人は、作家というか、芸術家というか、イラストレーターだったり、漫画家だったり、役者さんになったりしている人もいるけれど、つかみ所がないようで、普通の人には到底真似のできない生き方をしているように思うが、でもこの会話を読んでみて、「別にどうでもいいんだな」と思えてくる。

型にはまらなくても、生きていけるんだよ、と。





ということで、以上の2冊。これからも生きていけるな~と思えた本でありました。


おしまい。
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大事にすべきはなにか。 [本の感想]

東日本大震災が起きてから、ようやく3ヵ月になろうとしている。まだまだ3ヵ月か…。そして福島原発事故からも3ヵ月。


A3【エー・スリー】

A3【エー・スリー】

  • 作者: 森 達也
  • 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
  • 発売日: 2010/11/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



アンダ-グラウンド (講談社文庫)

アンダ-グラウンド (講談社文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/02/03
  • メディア: 文庫



約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2001/07
  • メディア: 文庫


本当はこれらの本をオウム真理教によるサリン事件が起きた3月20日までに読み終えて、本の感想を書くつもりでいた。感想というより宗教や信仰について書こうと思っていた。

しかし、3月11日に起きた大災害によって、ぱったりと本が読めなくなったし、それに関する文章も書く気になれなかった。

適当に食べた物とか、買った物のことを書いている手帳があるのだが、それも3月11日を境にぱったりと記す内容が少なくなった。

買い占め騒ぎや関東から逃げ出そうと考える人たちの行動に嫌気が差し、TVを見ればこの世のものとは思えない不条理な世界が映し出されていて、それにも嫌気が差し、何もかも嫌になってしまって、挙句に何もできなくなった。

こういうときは粛々と日常生活を送るべしと思い、自分のできることだけをしてきたわけであるが…。


宗教や信仰ってなんだろうと思う。

最近こんなことがあった。

イランの女子サッカー選手たちのことだが、イスラム教の教えから髪を見せてはいけないと、髪や首まで覆う布をつけたユニフォームで試合に出場しようとした。しかしユニフォームがルール違反であるということで出場禁止になった。

サッカーという競技の場での平等を考えたとき、ユニフォームも同様に規定されるのはもっともなことで、同様の服装で試合をしないことには、競技としての公平性を保つことはできない。これは出場禁止になるというのは仕方がないことだと思う。

しかしこういう信仰というのは、私にはわからない。かたくなに髪を見せてはならない。そんなに教えを守らなくてはいけないことなのか。常識でも考えられない教えだと思う。いやイスラム教の世界では常識なんだろうけど…。でも、世界全体を見ればそれは常識ではないと思う。これは女性の人権問題にまで発展することでもあるから、本当はちゃんと考えないといけないと思うんだけどね。デリケートな問題でもある。

サッカーはもともと男性のスポーツだったから、女性の人権なんて考えてはいないだろうけど、人権を守れない宗教というのもそれはなんだろうと思うわけで、ここでの答えは見つからない。

本当は、宗教というのは人権も守らなければいけないんじゃないのか?

神様がすべてで、人権をも守らなくてもいいということなのか?


日本に生まれてよかったなと思うのは、八百万の神様への信仰があるということだ。一神教の宗教ではなく、八百万の神様。私自身もそこここに神様が宿っていると思っているし、人間にだって神様は宿っていると思っている。神様を大事にしようという思いは、何でも大事にしようという思いに転ずるので、こういう信仰は私自身は受け入れやすい。そして教えとしての縛りも少ない。髪を見せちゃいけないなんてないし…。

さて、話を元に戻す。オウム真理教についての本の感想。

A3の森達也氏が語るのは、真実が知りたいという一点であると思う。現在、麻原彰晃はほとんど口も聞けず、精神疾患を患っているという状態であるという。しかし、医療も受けられずに、そのまま放置されている。そんな状態であるにも関わらず、意思表示ができるということで「死刑」の判決が言い渡された。

森氏は一連のオウム真理教の裁判を見聞し、獄中にあるオウム真理教の受刑者たちと接見をしたり、文書をやり取りして、その状況を分析しようとし、さらには受刑者である元信者たちの心を探ろうとしている。

読めば読むほど謎は多く、大きな謎は「なぜ麻原彰晃に医療を施さないのか」ということ。そして医療を施した後にできるであろう麻原彰晃に「真実を述べさせることをなぜしないのか」ということ。

麻原彰晃の口から真実が語られないまま、彼は抹殺されようとしている。

これが大きな謎。

だいたい医療を受けさせないというのは、人権を守っていないといえる。人権を守らないで抹殺してしまっていいのか…。それはダメだろう。なのに、そのまま死刑が執行されてしまう可能性があるのだ。いくら極悪人でも、真実を語らせずに殺してしまうなんていうのは許すことではないと思う。

まるでアメリカが行ったオサマ・ビンラディンの暗殺のようだ。

いきなり死刑。そして喜ぶ…。

どんなメンタリティなのかと思う。

地下鉄サリン事件というのは、オウム真理教という宗教団体が起こした事件であり、イスラム教と似たようなデリケートな部分も含んでいるように思われる。しかし新興宗教(カルト教団)であるがゆえに攻撃しやすく、教祖の顚末というのが人権をも守られない刑罰にいたった。これをどう考えればいいのか。

もう少し真正面から考えなくてはいけないのではないか。ただ、そういう事件があった。そして首謀者は死んだ。それだけではいけないと思う。うやむやのままで終わらせてはいけない。

そう思った。

いまは余計に思うことでもある。たとえば、福島原発の事故で、やむを得ず慣れ親しんだ土地から離れなくてはならなくなった人々。その人々の人権はないがしろにされているのではないかと思うのだ。

原発のせいで、自分の家や土地、家具や洋服、食器、家電製品、農地、牧場、そしてペットなどが無理やり引き剥がされて、避難しなくてはならなくなっている。そんな状態で誇りなんて持てるのだろうか。尊厳も何もない。

こんなに人間が大事にされないことが起こってしまったということ。これでいいのか、と考えている。

原発が危険だから、命に関わる問題だからというだけで、ただ近隣の住民を避難させる。簡単なことのようで、それは全く簡単なことではない。そんな命に関わる問題を、人間が作り出した人工物が巻き起こしたのだから。自然が巻き起こしたことではない。

人間を大事にしていなかったから起きた事故だと、私は思っている。簡単なことと思っていたから起きた事故なんだろう。

人の誇りを踏みにじってまで、原発を守る必要があるんだろうか、というところまで思いはいたる。



えーと、また話がそれたので戻すと…。

村上春樹氏の、「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」について。

始めは被害者側からのインタビューで構成された「アンダーグラウンド」が発表され、その後に加害者であるオウム真理教の信者だった人々のインタビューで構成された「約束された場所で」を発表している。

被害者側からだけだったらどのように思ったかはわからないが、どちらの側からもより客観的に物を見ようとしている村上春樹氏には好感が持てた。

多少の主観は入っていなくもない。でも「それはなぜ?」と思い、真実を知りたいという欲求がある。そういう欲求があるというのは、正しいと思うから、好感度はアップする。

ちゃんと思考しているということだ。

おそらく、後の小説にだいぶ影響しているんだと思う。私は最近の村上春樹氏の小説は読んでいないが、これらを読んだ後には、読んでみたいという気になった。

アンダーグラウンドのあとがきとして載せられている「目じるしのない悪夢」の後半には、こんなことが書かれている。

「地下鉄サリン事件については、政府が早い機会に各分野の専門家を集めて公正な調査委員会を組織し、隠された事実を解明し、周辺システムの徹底的な洗いなおしをはかるべきだと思う。何が間違っていたのか、何が組織の正常な対応を阻害していたのか? そのような事実的究明を厳しく綿密におこなうことこそが、サリン・ガスによって不幸にも命を落とされた人々に対して、私たちが払いうる最大の礼儀であり、また切迫した責務であろう。そしてそこで得られた情報は、部門ごとに密閉されるのではなく、世間に広く公開され、共有されなくてはならない。それがなされない限り、同じような体質の失敗がまたいつか繰り返されるおそれはある。」

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サリン・ガスを放射能と置き換えてみたくもなる。

おしまい。
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最近読んだ本(5連発) [本の感想]

年度末だからでしょうか。みなさんお忙しそうです。夫T君も異常に忙しく、仕事で午前さま…みたいな日々が続いています。

ともあれ体を壊さず、無理せずに、乗り越えて欲しいと願っています。みなさんも!

私は忙しさ回避…ではないですが、マイペースに仕事をさせてもらっています。ありがたいことです。集団行動が苦手な私は、勝手な仕事の仕方で楽をさせてもらっているわけです。ある意味で申し訳ない^^;

そんなこんなでありますが、本の感想を。

ちょっと、溜め込んでいました。

まずはこれ。

世界一蹴の旅 サッカーワールドカップ出場32カ国周遊記

世界一蹴の旅 サッカーワールドカップ出場32カ国周遊記

  • 作者: 村上 敦伺 四方 健太郎
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2010/06/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


サッカー熱が冷めません(笑)

思えば、サッカー熱の第一波は小学生のとき。何度も書いていると思いますが、夜中に起きだしてサッカーの試合を観ていた子どもでありました。
あのとき、何であんなに熱心だったのかと思えるほど、よ~くサッカーの試合を観ていました。たぶん、1974年のW杯西ドイツ大会の頃だと思います。西ドイツかあ~。統一される前ですね。

あと、「ダイヤモンドサッカー」でしたっけ? テレビ東京でやってた番組。
ウィキで調べてみると、ドンピシャでした。…西ドイツ大会全試合放送と書いてある。これです、私が観ていたのは。懐かしい。

それから第二波は、Jリーグ発足時なのですが、これは一瞬で弾けました^^; だって、チケットが取れなくなってしまったのですから。それはダメ。何度電話しても試合のチケットが取れない。バブルでしたねえ。

お陰で冷めるのが早かったです。

そして今回、第三波。W杯南アフリカ大会から。

日本代表のイメージががらりと変わった大会でした。日本人もここまで来たか! と。
そしてアジア杯を経て、いまも熱は冷めず! で、見つけたのが「アシシ」さんという人。

私も一応ツイッターのアカウントがあるのですが、ツイッターの面白さを気づかせてくれたのが、このアシシさんのつぶやきでした。彼は日本人の選手を尋ねて、海外まで突撃取材のように行ってしまっているのです。それをいちいちつぶやく。これが臨場感あふれていて楽しい。

インテルの長友選手のゴールのときなんかは、祭り状態でした。面白かった~。(私は全くつぶやいていませんが^^;)

それでこのアシシさんのブログがあるのですが、それをもとにして作られた本がこれ。南アフリカ大会の前に、出場国をすべて訪ねて歩こうと企て、本当に踏破してしまうという話です(会社を辞めてまで!)。

行動力もさることながら、その情熱は人に訴えてくるものがありました。各国のサッカー事情の違いに考え込んだり、思いを馳せたり。そして、サッカーボール一個で人と交わえるということも再発見していきます。

あくまでもビジネス的に旅人としてふらふらしている中田とは異なり、一般人の見返りを期待していない、それでいて自分の思いをど~んと持ち出して実行してしまう…その語り口はなかなか軽妙でありながらも、心に残るものがありました。あざとさがほとんど感じられないのがいいと思います。

これを読んで、海外から日本を見つめるということも必要だと、ひしひしと感じました。

ブログではまとめて見られないけれど、こうしてひとつの本にまとめられると見やすくて読みやすくてとってもいいです。本の役割もここにあるな、と思った一冊でもありました。


次。

感染宣告――エイズなんだから、抱かれたい

感染宣告――エイズなんだから、抱かれたい

  • 作者: 石井 光太
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/12/01
  • メディア: 単行本


すっかり毛色が変わりますが、エイズ感染をしてしまった人々をルポした本。読んでみようと思ったのは「HIV」の今を知らなさ過ぎると思ったから。

読んでみて、なるほどと思いました。いまや死の病ではなくなったHIV。でもそれが投げかける課題や試練というのは、非常に重苦しいものだということ。
ガンとは異なり、「感染」してキャリアとなってしまうということに、この病いの持つ意味というのを考えてしまいました。

人同士が関わりあわなければ、感染しない病気です。血液非加熱製剤がもとに感染してしまった方々はお気の毒としか申し上げられないのですが…。

この本では、そういった人々のその後を一人ひとり取り上げて、どんな苦しみを得てしまったのか、そしてどうしたのかが書かれています。

いささか感傷的というか、感情的な部分があり、読んでいて「これはどうかな~?」と思う部分もありましたが、感染してしまったことでその後に起きる葛藤…生き方をすっかり変えてしまうほどの感染という威力の強さというものを知りました。

それぞれの人生には課題や試練があると思いますが、HIVというのは病気だけでなく、差別などなど、いろいろな試練が待ち受けています。人として受け止め、克服していくにはどうしたらいいのかと、考えさせられました。

1つの事例として、ある意味ではわかりやすいお話なのかもしれません。受け取り方の違いはあるだろうなと思っています。


はい、次。

動物がお医者さん―なぜペットはヒトを幸せにするのか

動物がお医者さん―なぜペットはヒトを幸せにするのか

  • 作者: 大平 健
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/12
  • メディア: 単行本


精神科医の大平健さんが書かれた本。この人の本は、おそらくほとんど読んでいると思います。読みやすく、わかりやすいです。人柄が実に表れていると思います。

副題に「なぜペットはヒトを幸せにするのか」とありますが、「ヒト」と表記しているところがミソだと思いました。人間もヒト科に分類されている動物ですからね。ヒト科ヒト属…ホモ・サピエンス!

ペットも動物ですから、どこか同じように大平先生はとらえていて、それが面白い視点だと思いました。「ペットに癒される」ということをよく耳にしますが、直接ペットに癒されるのではなく、そのペットの行動を見て「そうか!」と気づくことがある。ペットは生きるヒントを教えてくれる、という感じでしょうか。

そうして安らぎを得ることがあると言いたいんだと思います。

たぶん、ペットを撫でくりまわして「可愛い!」と思う人は、可愛いが不足しているんですよね。だからペットを可愛いと思って癒されると。

大平先生は精神科医ですから、ペットの行動を見て、自らわからずに悩んでいたことを、そこに発見するのです。そうして気づかされるということで安らぎを得ると。

ペットというのは愛玩というわけではなくて、気づかされる存在であると、そんなことを書いている本でありました。

とはいえ、ペットに愛情を注いでいる大平先生。微笑ましい限りでした。


次。

前世 人生を変える

前世 人生を変える

  • 作者: 江原啓之
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2010/12/21
  • メディア: 新書


相変わらずの江原節が炸裂している本でした。

最近は江原さんの本はどれを読んでも同じです。要するに普遍的であると。だから同じにならざるを得ない。頷けます。

なので、興味がない人は読まないでいいし、もうわかっているという人も読まないでいいと思います。

私はどちらかというと後者。やっぱり書いてあることは同じだなという印象で終わりました。新しい発見はなし。

ただ、自分の前世を知って「浮かれる」というのはいかがなものだろうかと言っています。

あなたの前世はマリー・アントワネットだったと言われたとして、だから何だと。だったらマリー・アントワネットのように振舞えばいいのか…いや違うだろう。今生には今生の試練があるのだから、前世から持ち越している課題を克服しなさいよ、と言っている。

はい、それはその通りだと思います。

そして続いて。

マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!

マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!

  • 作者: カール・コールマン博士
  • 出版社/メーカー: ヴォイス
  • 発売日: 2009/11/25
  • メディア: 単行本


オカルトチックな本が続きますが、マヤ暦を読み解き、実はマヤ暦の最後は2011年10月28日だと結論付けている本です。

え~と、ここのところの中東騒乱など、きな臭いことが多く起きていますが、オカルト好きの夫婦の片割れである夫T君が「これはマヤ暦じゃないか?」と言い出したことを発端にこの本を見つけ出し、読みました。

「あ~、合致するわあ~」とまず感じました。

どんどん時間の流れが速くなっているのを、歯車にたとえて説明しているのですが、噛み合わせている歯車が小さくなるほど回転が速くなってくる…これを時間が速く感じるようになったことの原因と言うのです。

つまりマヤ暦では、その時間の単位が歯車のようにいくつかあって、いまは回転が速い歯車のなかにいるというか、そんな感じなのです。うまく説明できませんが…。

そんななか、インターネットの普及とか、ツイッターやフェイスブックのように情報が宙を舞い、駆け巡るようになったこともマヤ暦には記されていて、これを読んでいると、「予言というより必然か?」と思ってしまうようでした。

ちなみにマヤ暦の最後は2011年10月28日かもしれませんが、その後は新しい価値観が生まれ、世界が変わるということであります。

「もう貨幣などに価値を見出さない」「物質至上主義はおしまいである」ということだそうです。

結構面白かった。

それで、前述の江原さんの「前世」に繋がるのですが、このマヤ暦の本のなかに「一生涯とは生まれて、次に生まれ変わるまでのこと」という記述がありました。これがとても興味深かった。

死んであの世に行ってもなおかつ、次に生まれ変わるまではその1つの生涯であるという考え方。前世というのは生まれる直前まで続いていたのかと思うと、非常に興味深いです。少しとらえ方が変わりました。


…ま~このあたりは話半分で読んでもらえればいいですけど。



かなり偏った本選択でありましたね^^;

あと、オウム真理教のサリン事件関連の本をまだ読み終えていませんが、続行中です。

これは本当に感想が書けるかなあ~。



ひとまず。

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結局読んだ。 [本の感想]

全くしつこい話であるが、「正しさの人は、他人を幸せにできない」という町山智浩さんの言葉から、それは一体どういうこと? と思いつつ、たまたま読んだ本からたどり着いた「結婚失格」という本。

どうやらここに町山さんのいう「正しさの人」がいるということを知り、結局読みました。

読んだので、一応書いておくべきだなと勝手に思って、キーボードをポチポチ打ち始めております。

結婚失格 (講談社文庫)

結婚失格 (講談社文庫)

  • 作者: 枡野 浩一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/07/15
  • メディア: 文庫


読後、ひとことで言えば「あ~~~~」……と段々とテンションが下がっていった。もうねえ、「あ~~~~……(はあ)」って感じだ。

確かに「正しさの人」といわしめる人だけあるな~。

内容というと、AV監督の速水(実際は歌人の枡野浩一さん)が、突然妻に出て行かれ、離婚を突きつけられ、そして親権を争って調停(→裁判)を行い離婚に至るというその顚末記。

元妻はドラマの脚本家の香となっているが、実際は漫画家の南Q太さんということだ。

とってもセキララに(なんだと思うが)男の心情が書かれていて、親権を争っているときの子どもに対する思いというのは同情する余地もあるのだが、しかし全く自分のことしか書いておらず。相手を思いやる言葉というのが見当たらない。

自分は妻の弁護士からの連絡にうんざりしながら、でも食べものが喉を通らず、痩せてしまっているとかね。何だか痩せたことを嬉しそうに書いているのだ。本人はそう思っていないだろうけど、字面から感じる。

そんなことから始まり、とにかく自分の子どもに会いたいのに妻は会わせない、家賃だって僕が払っていたのに、子どもの世話だってしていたのに、何で僕から逃げていくんだ~! と怒っているんだ。

そして子どもに会うために保育園まで行ってみたり、保育園の散歩先まで訪ねてみたり、涙ぐましい努力をする。

でも何で妻は逃げるように出て行ってしまったのか、何で子どもに会わせないのか。それをこの人は考えているようで考えていない。そこが摩訶不思議な心の持ち主だなと感じさせる。

何故、妻はとにかく離婚したいと思ったのか…考えてみようよ、枡野さん^^;

町山さんもあとがきで書いていたが、こんなくだりがある。
「思ったことを面と向かって言えるような性格だったら物書きはやっていない……と、香はある夜に泣いていた。けれど、いくら物書きだからといって、何も言わないで相手に自分の気持ちをくみとってもらおうなんて、虫がよすぎるんじゃないか。こっちは超能力者じゃないのだ。」
……わかってない(笑)

人の気持ちを察するということもできないんだ、全く。

そして自分は正しくって、相手は間違っているという図式を一向に変えてみようともしない。

かなわないなあ~。こういう人を論破するのも一苦労だろうし、面倒くさい。逃げたくもなるよなあ。

で、当初は妻は慰謝料と養育費を要求するのだが、裁判となったとき、ほとほと呆れたんだろうと思う。妻のほうが慰謝料を払ってこれを終わりとするのだ。

始めに養育費を要求したということは、少なからず妻のほうは繋がりを持っていてもいいと思っていたんだよね。それが妻の思いやりというものだと思った。でもあまりにエスカレートして、夫のほうが理解を示さないから、妻はお金を払ってでもいいから縁を切ろうと思ったんだよ。

そこまでされても自分の非に気づかないっていうのもすごいなあと思った。そして、それを作品の中に書いてしまっているということも。

妻に慰謝料を払ってもらって、自分の弁護士費用が払えるから、「ああ、よかった」って思っているんだもん。なんだかなあと思うよ。

最後に同業である歌人の穂村弘さんの特別寄稿があり、そこに穂村さん自身「僕は普通の人」と言っていて、タイトルに至っては『僕が君ならそんなことはしない』だもの。

さらにあとがきの町山智浩さんは「正しさの人は、他人を幸せにできない」と、バッサリだから……。

はあ、とため息も出るよなあ。

正しさの人は大変だ。頑張ってくれ、枡野さん…。





そして元妻とはどういう人なのか。片方の話だけを読むだけではわかりようがない。もちろん、中立である考えもしたいということで、この本を買った。私もしつこいね。

今日も夫婦やってます

今日も夫婦やってます

  • 作者: 南Q太
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/03/12
  • メディア: 単行本

枡野さんと離婚して、その後知り合った人との結婚と、その生活について書いたエッセイ本。

「頭がおかしくなったんじゃないか?」と枡野さんに、『結婚失格』では書かれていた元妻の南さん。多少ヘンテコリンな考えの持ち主のようではあるが、今度の結婚はうまくいっているようで、ちゃんと夫婦間でのコミュニケーションが取れている。

話し合っている場面が何度も出てくるから、そういう努力をしようと思ったんだろうね。前の夫は話し合っても「正しさの人」だったから、論破されるばかりで話にならなかったんだろうなと想像できる。その点、いまの夫は話を聞いてくれる人であり、理解しようとする人なようだ。

何だか、「よかったね、南さん」と声をかけたくなったよ。






さて「正しさの人は、他人を幸せにできない」という話はここで終了。

しつこく読み進めた私もバカだなと思いつつ…。

最後に、「正しさの人」を見分ける方法として、こういう人はたぶん、「おかげさま」とか「おたがいさま」とか、そんな言葉は使わないと思う。

「おかげさま」や「おたがいさま」という、人を思いやる言葉を知らないんじゃないかな。

使ったとしても、口先だけに感じるだろうな。

…アスペルガー? ということもあるかもしれないけれど、学ぶことでわかる人もいるかもしれない。いや、わからないや(笑)



結局は「触らぬ神にたたりなし」です。はい。





おしまい。
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最近読んだ本…見つけたなり~。 [本の感想]

今年はあまり本が読めないと思っていたら、最近、急に読めるようになってきた。どうやら、読みたくなる本センサーが再起動したらしく、嗅覚よく読める本に出合えるようになってきたのだ。

面白いなあ。

さて、いくつか前の記事に「正しさの人は、他人を幸せにできない」という町山智浩さんの言葉を引用して、中村うさぎさんが「正しさが独善になっている」ということ書いたが、3回連続で結論に至ったような気がするものの、心のどこかでひっかかっていた。

そして、クレイジーケンバンドの横山剣さんが大絶賛していた本を読んでみようと思って、手に取った本がこれ。

因果鉄道の旅 (幻冬舎文庫)

因果鉄道の旅 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 根本 敬
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2010/04
  • メディア: 文庫


当初、不快感を覚えるような内容のものだったが、ついつい面白いから読み進んでしまう。そして解説を読み終えたときに、「町山智浩」さんの名前が出てきて、プププププと繋がった。

「あ、ここに出てくるような人たちのことを『正しさの人』と言っていたんだ」と。

根本敬さんいわく「あるホシの下に生まれてきた人」…「性質が時空に働きかけ、運命を呼び、運命が性質に次なる影響を及ぼす。その循環運動をホシと呼ぶ」そうなんだが、要するに人の数だけ、その人の中心に天体が廻り、その人の人生が進行している…と根本敬さんは言う。

それで町山智浩さんは、そのホシは人それぞれで異なるけど、その上でヘンテコリンなホシの下にいる人がいう正しさは人を幸せにしないと。そういう人を指して「正しさの人」…と言いたかったのではないかと思う。

何だかちょっとややこしい言い方だが、そこへ行き着いた。

中村うさぎさんが町山智浩さんの言葉を引用しているものの、その引用の前後が分からなかったから、「なんだろうな? どういう意図で言った『正しさ』なのかな?」と考えていたのだけれど、この本を読んで、ああ、そういうことかと思った。

でだ。図らずもmamire姐さんが残してくれたコメントで「アスペルガー?」っていうのがあったけれど、そのアスペルガー? と思うような人物を観察し、分析し、本にしたのが「因果鉄道の旅」であったというオチ。

自分中心に考えているだけではなく、あるホシの下に生まれているから役割はあるのだけれど、空気が読めないから扱いにくいし、譲れない何かを持っているからかたくなにもなる…だけど、人をひきつける磁力が何故かあるという…。

この本では有名どころとして蛭子能収さんと、勝新太郎さんが挙げられている。

蛭子さんを例に挙げるとこんな具合だ。

「…そもそも蛭子さん自体が、他人にどんな失礼な事云っても平気な人間なの。普通だったら云わないような事も、思ったら平気に云うの。口に出すんだよ。見たママに。……すごい太っている女の人がいると、『太ってますねー』とかね。…」。「本当に他人がどう思うかって、全然気にしてないんだよね」と言う。

「事実のみを語る正直者」と蛭子さんのことを言うんだけど、「正直者」=「正しさの人」と受け取れるわけで、これを知った上での「正しさの人」というのは理解できるけど、これを知らないで「正しさの人」というと、誤解を受けまっせ、町山さん…と思った^^;

常識的な人には不快感満載な本です。私は最初不快感を覚えましたが、読み進んでいるうちに何だか楽になりました。変な言い方だけど。

横山剣さんが「でも、やるんだよ!」と言うことと、「無限の大事業」という言葉がここから来ていることも分かったし、そこに感動する意味も分かりました。

これはなかなか勇気をもらえます。面白かった。


(※ちなみに、町山智浩さんが「正しさの人」と言った相手は枡野浩一さんで、どうやらこの本を読んだら分かるらしいです…読んでみようっと…すると上に書いたことはちょっと変わるかもしれない^^:)


結婚失格 (講談社文庫)

結婚失格 (講談社文庫)

  • 作者: 枡野 浩一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/07/15
  • メディア: 文庫

(中村うさぎさんはこれを読んだんだろうな…)






そしてその「正しさ」と、恐らく格闘してしまった人の本。

再婚生活  私のうつ闘病日記 (角川文庫)

再婚生活 私のうつ闘病日記 (角川文庫)

  • 作者: 山本 文緒
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2009/10/24
  • メディア: 文庫


格闘していたら「うつ」になってしまったんだろうなと思った。

器質的な問題もうつ病についてはあるのかもしれないけれど、こういう精神の病に倒れるきっかけというのは、上に記した「正しさ」と世間とのすり合わせがうまくいかなくなったときなのではないかと思う。

格闘を重ねた結果うつになっちゃったんだな。それは「いい人」だからだと思う(器質的な問題は別)。

そしてうつ病の闘病記となるが、なかなかこれが破天荒で^^; 病気だったらそんなことしないほうがいいんじゃないの? と思うようなことをずいぶんとしている。クラブに遊びに行ったり、大酒をくらったり、、、。

ただ読んでいると、そういうことをするのはそんなに悪くないと思っているようなのだ。罪悪感や嫌悪感を持つことを書いているけれど、文章からはそんなに悪いと思っていることが伝わってこない。当事者は苦しんでいるんだろうけど、そんな風には見えない。

どうやらこういう病気の面倒くさいのは、そういう点にあるらしいと分かった。

それである日、憑き物が落ちたようにうつ病が治るのだけれど、治った時点でお酒は飲まなくなり、タバコも吸わなくなっている。

ある種の格闘の後うつ病になり、うつ病であった間は、脳のハードディスクがひたすら働きまくってデフラグしたんじゃないの、って感じだ。

デフラグをしている間は、あっちゃこっちゃと破天荒と思われるようなことをしているけれど、デフラグが完了したらうつ病が治っちゃった。お酒も飲まなくなっちゃった。タバコも吸わなくなっちゃった、っていう感じ。それが山本文緒さんのうつ病だったのではないかと思った。

いい人っていうのは、自分の正しさと戦っちゃうんだねえ。そして病に倒れると…。
蛭子さんがそんな病に倒れるとは思えない。だって戦う必要がないから…^^;


最後に心を平静に戻してくれる本。

自宅で大往生 (中公新書ラクレ)

自宅で大往生 (中公新書ラクレ)

  • 作者: 中村 伸一
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2010/06/10
  • メディア: 新書


『「ええ人生やった」と言うために」…ですよ。

試練の連続だろうが何だろうが、「ええ人生やった」と言いたいもんです。

自分の病気に相対するとき。余命幾ばくもないと分かったとき。しっかりと受け止めたいと思った次第。

そういうステージをちゃんと用意しようとしているのが、中村伸一先生です。

中村先生、頑張れ~! と思った本。







おしまい。

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