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最近読んだ本 [本の感想]

おっとどっこい。1月は一度も更新しないで終わるところだった^^;

年末年始のこと、1月17日の阪神淡路大震災のことも記そうと思っていたのですが、いかんせん寒くて……。
(と言い訳です。)

年末年始は、毎年恒例の宴会を開催し、大晦日には寒川神社で大祓い。初詣は森戸大神宮へ。そしてどんど焼きのときに大雄山最乗寺へ行きました。

恒例です。全然変わりのない年末年始の行動。毎年、初詣だけは決まりを設けておらず、年が明けたときにピンときた寺社仏閣に行くようにしています。なので、今年は森戸大神宮。昨年は日本橋七福神めぐりでした。

そして17日。

毎年、阪神淡路大震災のお見舞いとご冥福を残すようにしていました。

今年は……例の「世界一のクリスマスツリー」でガックリきて、「一体、鎮魂って何?」と考えてしまいました。

考えれば考えるほど、つくづく傷は癒えていないのだと思います。先の戦争も、原爆投下も、いくつかの大災害も、さまざまな犯罪、事件、、、。こういう人が傷つく、自然が傷つくことは、決して癒されるものではないのではないか。そんなことを思いました。

軽減されることはあっても、完全に消すことはできないもの。そこにたどり着きました。

では、それをちゃんと記憶、歴史にとどめておく方法はできないのだろうか。いたずらにビジネスに変えてしまうような輩が現れないで済む方法はないのだろうかと考えています。

最近は歴史修正主義者という人が多く出てきているようです。ほとんどは「歴史改竄主義」と言ってもおかしくないような発言ですが、そんなことがあっていいのでしょうかね。

なんだか、残念なことが多すぎで、今年も怒りで震える一年になりそうです……。


さて、最近読んだ本。

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

  • 作者: 清水 潔
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/05/28
  • メディア: 文庫


また怒りに震えてしまう内容の本なのですが、これはぜひとも読んでほしい本です。

足利事件と言われる女児誘拐殺人事件の(捕まっていない)真犯人に迫るノンフィクション作品。

冤罪で捕まった菅家さんの苦しみ、被害者家族の苦しみ、そして無視された目撃者証言や杜撰なDNA鑑定、警察権力の傲慢さなどが、この本で白日の下にさらされます。

コツコツと地道な調査の結果、真犯人に迫る様は執念と怒りに満ちていて、よくぞ調べてくれたと賞賛しかありません。


清水潔さんの作品は、「桶川ストーカー殺人事件」も読んでいるのですが、こちらも読んでほしい。

警察の広報と成り下がっているマスコミの実態もわかります。記者たちは、自分の足で調べることもせず、大本営発表に依存してるという、責任感も正義もない人々なのだと。

私たちは、大本営発表に騙されています。

被害者のひととなりを、警察の都合のいいように発表されているということ……。桶川ストーカー殺人事件では、被害者の女性をまるで遊び人のように仕立てあげ、事件に巻き込まれて当然というような論調にしたのは、警察でありマスコミです。これを読んで、ごくごく普通の女子大生であったことがわかります。

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

  • 作者: 清水 潔
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/05/28
  • メディア: 文庫


冤罪を隠すために、警察、権力を持った者が体裁を保つために、本当のことをたくさん隠しているのだということ。

恐ろしいことが行われているということを知る、良書です。



おしまい。
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こんな本を読んだ [本の感想]


結婚差別の社会学

結婚差別の社会学

  • 作者: 齋藤 直子
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2017/05/27
  • メディア: 単行本


同和問題、差別については、私はかなり疎いと思う。

初めて同和問題に向き合ったのは、社会人になったばかりの頃だった。大手企業に就職したからか、そこで同和問題の勉強会があり、詳しく知ったような具合だ。いわゆる人権教育の一つなのだと思うが、生命保険会社の事務員であったからそういう事例に出合う可能性も高く、勉強会が設置されていたのだと思う。

つまり、保険を売るという企業であるから、売るお客様にもそういう人権問題にかかわる人もいるであろう。そうした場合、差別意識を持つようなことがあってはならないということを後に私は理解した。

また保険をセールスしていた女性たちのなかにも、当てはまる人がいたかもしれない。全く気にはしなかったが、実にいろいろな人がいて、興味深い企業だった。

それはさておき、以前にも記したことがあると思うが、結婚をすると決めたときに、夫T君の祖母に「戸籍謄本をくれ」と言われた。私はそのとき「なんで?」と思ったが、「父が他界していること、姉がバツイチであったことが問題になるのかな?」くらいの意識で、不審に思いつつも(何となく気分はよくないまま)、戸籍謄本を取り寄せてT君に渡した。

T君いわく、「祖母は古い人だからだと思う。昔は戸籍謄本に身分が記されていたから、それが見たいと思ったのではないか」。実際はそんなことが記されている戸籍など、いまはないわけで何もわからない。頭のなかを疑問符がぐるぐると回った。

そしてあれから30年近くなるのだが、この本を読んで「あ!」と気づいた点があった。「住所」だ。

住所で同和地区(いわゆる部落)がわかるというもの。これも私自身は全く気にしたこともなかったし、だからどうした、だ。でも住所でわかってしまうんだ。いまなどはネットで検索するとすぐにわかるという……。

これに気づき、唸ってしまった。

確か神奈川県下にガラの悪いところはある。横浜でも寿町(ドヤ街)のあたりは確かに怖い。なんともいえない空気がいまも漂っている。ただここはいわゆる同和地区ではないと思う。

調べてみれば、あちこちに点在していて、「そうだったのか」といまさらながらいろいろなことを知ることになった。

果たして、T君の祖母はうちの本籍地を見て何かを知ったのだろうか。いや知る由もない。関西の人だったから、関東のことはわからなかったと思う。(だいたいいまは本籍地を簡単に変えることはできる)。

私の出身地は京浜工業地帯に近く、生まれたときから父が働いていた会社の社宅に住んでいた。京浜工業地帯で調べてみれば、そのなかに同和地区はある。

幼少期を思い出すと、回りに貧しい(と思われる)いくつかの家庭はあった。お父さんが暴力団員だという女の子もいた。知的障害の子もいた。いまでは覆い隠されているような人や所がかなりいたし、あったことを思い出す。

高度成長期とはいえ、まだ戦後が色濃く残っていた時代だ。傷痍軍人もいたし、乞食(いまは何と言ったらいいんだろう。浮浪者?)もいた。とにかくいろいろな人がいた。

そういう人たちを見て、両親は差別的なことを全く言わなかったし、むしろ弱い人は助けなくてはいけないと、余計なことをするような人たちだった。

そのために、比較的身近に同和地区があったにもかかわらず、私は何も考えずに普通にしていた。差別なんていうことすら考えもしなかった。ああ、貧しいのかなあと漠然と認識する程度。

いまとなっては、本当に貧しかったんだと思う。一間のアパートでぎゅうぎゅうに家族で住んでいる家庭もあった。まだまだ貧しい時代だった。

そう、だからといってその本籍地を見て、T君の祖母はどう思ったのだろう。同和地区ではないということがわかればよかっただけなのだろうか。それを知ったからといって何か変わったのだろうか。いまだにその差別意識がわからない。

そもそも私は、「なぜ差別をするのか」がわかっていない。なぜ同和地区に生まれ育った人が差別されなくてはいけないのか、がわかっていない。

歴史を紐解けば、しょうもないことがもとであるということがわかる。人の勝手な妄想と言ってもいい。自分と違う人間を差別することで、優位に立とうとすることがその発現だと思う。それがエタ、ヒニンという身分制度を生み、そういう人々を隔離する地域ができていったということだ。自ら隔離された場所に流れ着いた人もいると思うが、それは差別があって、身分制度があってのこと。

もうね、しょうもないと思う。情けない。

で、読んだ本に戻る。いまだに結婚差別があるという。その差別される内容を具体的な例を挙げて分析している。最終的には、どうしたら差別されないか、部落差別をしないようにするにはどうしたらいいかと考えさせられるものになっている。

部落の人と、部落外の人との結婚を「通婚」ということを、この本を読んで初めて知った。

読んでからふと思ったことは「通婚」という言葉自体を知ることが、実に差別的であるのではないかということ。言葉を知れば知るほど、自分が差別的になってしまうのではないかというおそれが頭に浮かんだ。

同和という言葉も、同和地区という場所があるということも、部落という言葉も……。

それを知って区別すること自体が、差別なのではないかと思った。

知らなければ差別することもない。なんだか不思議だな、と思う程度で終わっただろう。でも知ってしまったら、どのように自分のなかでそれを消化すればいいのか。

ものすごく難しい。



私が10歳のときに、父が他界してから、父の実家とは縁を切った状態だった。父方の祖母と母の折り合いが悪く、母はもう絶対に付き合いたくないと思っていたようだった。

なので、私は父の家族、親戚にどのような人がいるのか知らないでいた。唯一知っていたのは、父の弟家族くらい。その弟家族は父の実家を継いで、いまもその場所で暮らしている。

母と折り合いが悪かった祖母がこの世を去ったとき、父の代襲相続ということで、父の弟がやってきた。「相続を放棄してほしい」と。私は全く父の実家との付き合いはなかったから、それは当然だと思いさっさと放棄をしたが、そのときに聞いた話だ。

父の姉の連れ合いは朝鮮の人であったと。そしてその娘は北朝鮮に渡っているということだった。

やはり土地柄(同様に京浜工業地帯が近かった)、いまではコリアンタウンという場所があるくらいなのだから、朝鮮の人と知り合う機会は多かったのかもしれない。

しかしその時代に、国の違う人と結婚をするということは、大変だったのではないかと想像する。差別もあっただろうなあと。伯母の連れ合いも相当葛藤があったらしいが、従姉であるその娘も非常に葛藤していたということを聞いた。祖国はどこなのかということを。そのために、朝鮮にかかわる活動や運動に参加し、そのうちに北朝鮮に渡ってしまったということだった。

このことを聞いたときに思ったのはひとつ。T君の祖母が聞いたらどう思ったのだろうか、ということ。

もっとも、このことはT君の両親にも話はしていない。言う必要もないと思うし、聞かれもしない事柄だ。私自身には関係のないことだが、人によっては関係ないと位置づけられないこともあるかもしれないけれど、どうだっていいなと思う。

ただ、この本を読んだときに、結婚する前にこのことを知っていたら、うっすらとした差別という意味合いで、T君の家族からは結婚を反対された可能性はあったと感じる。

この本のなかでも、「部落の人と結婚するということを親戚には言わないでくれ」という両親がいたり、「あなたが部落の人と結婚することで、あなたの親戚も差別される」という親がいたり、つまり、部落の人だったり、差別される人との結婚は、親戚にも影響を与えるからやめてくれという二次的な差別があるということが記されていた。

ということは、朝鮮の人と結婚した親戚がいる、北朝鮮に渡った親戚がいるということで、二次的な差別をされていた可能性もあったかなあと感じるのだ。



おそらくこの話は、叔父は隠していようと思っていたのではないかと思う。

でも、母は父の親戚を知っているのだから聞いたまでのことで、聞かれれば叔父も応えようというもの。だから私も聞いてしまったし、叔父も話してしまったわけだ。本当は話したくなかったのだろうが。

あまり公言しないほうがいいとも言っていた。それを聞いて、叔父家族のこれまでの苦労が見て取れた。

そんなものなのかな。仕方がないかな。無視するのに限るかな。私はそう思った。

T君にはこのことを話したけれど、ふ~ん、という感じだった。





今年の夏に「東京都の小池百合子知事が、関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者を慰霊する9月1日の式典への追悼文送付を取りやめた」という報道に接した。

この報道も唸るしかなかった。

日本人による朝鮮人への差別で生まれた虐殺があったことに対して、追悼をしないということだった。

ものすごく複雑な気持ちになった。

もし、父の姉のように朝鮮人と結婚をし、この場にいたら差別を受け殺されていたのかもしれない。反対にデマに翻弄され、朝鮮人というだけで虐殺に手を貸していたかもしれない。考えるだけでも恐ろしい事件。

日本に暮らす朝鮮人を差別していいわけがない。ましてや虐殺するなんて。

小池百合子都知事は、それを追悼しなかった。東京都の行政の長なのだから、形だけでも追悼すべきを、しないと決めた背景を考えると、実に末恐ろしく感じる。





日本ってどうなってしまうのでしょうね。

この一冊の本で、さまざまなことを考えさせられました。


私自身はリベラルだと思うし、差別を忌み嫌っています。でもいまの世は、リベラルが嫌われているようですし、差別をしたいと考えている人が表立ってきているように思います。

面白おかしく取り上げる人も。

もう少し真剣に人としての尊厳を考えてほしい。私も考えていきたいと思いました。







お金があって、権力がある人が何をやってもいいというわけではないのにね。国民が主権者なのになあ。
あ~あ、やんなっちゃった。



おしまい。

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最近読んだ本 [本の感想]

ご無沙汰をしております。

今後、このブログでどういうことを表現していくか、つらつら考えていましたが、結論が出ません。

こういうときは流されるのが一番と、ひとまず流されていくかと思い始めたところです。

文体を当初のような「である」に戻そうかと思ったり。でもそうすると硬い文章になるよなあと思ったり。

ただそれだけのことも、う~んと唸ってしまう次第。

まあ、世の中、とんでもないことがまかり通るようになってきましたから、些細なこととは思います。



そんな思い悩む今日この頃でも本は読んでいるわけで。

シーナ&ロケッツのことをブログのネタにした後に、はからずもこんな本を読みました。

下北沢について

下北沢について

  • 作者: 吉本 ばなな
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2016/09/23
  • メディア: 単行本


東京都内で暮らしたいと思ったことがほとんどない私が、唯一、とーっても若い頃に住んでみたいと思っていた町が「下北沢」でした。

妙な磁場がある町だと思っていました。若い頃はカルチャーとして、、、うーんと、サブカルチャーですね。そんなサブカルチャーにまみれられる町だと思って住んでみたいと。洋服も独特なデザイン、スタイルのものが売られていたし、そこで買い物をすることが楽しかったんですよ。いまより全然痩せていたので、ヘンテコリンナデザインでも着られる洋服がいっぱいあったし。

数年前は、仕事で下北沢にある施設へお邪魔をすることが多く、懐かしくて、いつも行くときはうろちょろうろちょろ。下北沢からてくてく歩くと三軒茶屋に出るというのも、いまとなってはお得感がありました。

そんな下北沢。

吉本ばななさんが暮らしているそうで、面白いことに冒頭から、シーナ&ロケッツの家族に下北沢で出会うという描写が出てきました。

同じだわ(笑)

20代前半の思い出を語っています。

そして、その頃下北沢に住んでみたいとこんなことを言っています。「……決してほめられたことではないのかもしれないが、よく観察すると下北沢では昼間からなにをしているのかわからない派手な服装の大人たちがぶらぶらしていた。酒場も夕方からすでににぎわっている。
 そのような生活がしたいということではなく、そのような生活がすぐそばにある場所に住んでみたいな、そう思った。……」と。

同じような思いを吉本ばななさんも、20代前半に抱いていました。

ちょうど世代も似ているので(私の方が少し年齢は上ですが)、同じような時代に同じような思いを抱いていたわけですね。

このエッセイには、暮らしているその土地についてと、その周辺にいた(いる)人たちについて書かれているのですが、吉本ばななさんの実に愛情の深い下北沢への思いが伝わって来ます。

その周辺の表現がうまいんですよね。平易な言葉ではあるけれど、あっちこっちに散らばっている感情や視線の先にある小さい欠片を、うまい具合に拾い上げている。うんうんと頷けて、楽しく読了しました。

途中、自分はセンチメンタルではない。これはノスタルジーだ。というようなことが書いてありました。

これはちょっと考えました。

果たしてそう思うか。ノスタルジーを感じれば、センチメンタルになるよなあと。センチメンタルからノスタルジーは導き出されないかもしれないけど。

ま、どうでもいいか。




関係ないけど、センチメンタリズムとロマンチシズムという対義語はありかなと思っております。

と、そんなことを書いていると長くなってしまうので、そんなことはまた今度。




おしまい。



おまけ。

いいPV。トミー・ジョンストンが元気でよかった。
http://thedoobiebrothers.com/
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いいお話を聞いた [本の感想]

急に暑い日があったりしましたが、めっきりと寒くなってきました。

体調を崩されている方はいらっしゃいませんか? どうかご自愛ください。

さて私はというと、ブログの更新を怠るほどの怠惰な生活を送っています。

函館弾丸のあとに、大阪へ法事をしに行ったりしましたが、とくに他には目新しいイベントもなく、ネタもなく、いまに至ってしまいました。いやはや。

そんななか、いい本を読みました。

シーナの夢 若松,博多,東京,HAPPY HOUSE

シーナの夢 若松,博多,東京,HAPPY HOUSE

  • 作者: 鮎川誠
  • 出版社/メーカー: 西日本新聞社
  • 発売日: 2016/08/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


読後、いい本を読んだというより、いいお話が聞けたという気分になりました。

なぜなのだろうと思ったのですが、あとがきを読んでから気づきました。ラジオで流れたもの(インタビュー)を本にしたのだそうです。

あ、帯にも書いてあった。全く帯も読んでいなかったので、ラジオのロングインタビューとは気づかず……。

しかしいいお話でした。

内容は、昨年2月に亡くなったシーナ&ロケッツのシーナについて、夫である鮎川誠氏が語ったものです。

シーナが亡くなったとき、私はその訃報に接して大きなショックを受けたとともに、「鮎川は大丈夫か?」と心配していました。

ものすごく仲のよかった夫婦でしたし、シーナあっての鮎川だと思っていたからです。(鮎川と呼び捨てにするのは、なぜか昔から鮎川と呼んでいるんですよね……うん。だから鮎川……)。

だけどこの本を読んで、鮎川は大丈夫だったと安心しました。どんなにシーナを愛していたか、どんなに濃密に一緒にロックバンドをやってきたかを知ることができました。

さらにシーナの出身地である若松という土地。その魅力がふんだんに語られています。いい町で育っているのですよ。いい距離感でやさしい町の人たちに育まれ、支えられてきている。

そんなシーナが鮎川と出会い、どうして歌うようになったか、どんな生活を送ってきたか、そして最期はどうだったのか、鮎川の口で語られているのです。それが実に愛情深い。

シーナもやさしい、いい人だったんだ。



私がシーナ&ロケッツを知ったのは高校生のときでした。日本でもパンクバンドブームが起こり、YMOを代表としたテクノポップが流行し出したころです。音楽もとんがっていた時期なのではないかと思います。

で、「レモンティー」という曲があるのですが、それが初めての出合い。

昨日、たまたま山下達郎さんのラジオ番組をラジコのタイムフリーで聴いていたら、ヤードバーズの「Train Kept A Rollin'」がかかって、「これはエアロスミスもカバーしているし、シーナ&ロケッツでも替え歌にして歌っている曲」と、夫T君に説明をしたところなのでした。

レモンティーをネットで検索してみると、パクリという表現をしているサイトが多くありますが、パクリというより「替え歌」であると私は思っています。歌詞も秀逸だし、鮎川のギターリフもカッコいいし、いまとなっては清志郎さんが「Daydream Believer」を日本語の詞で歌ったものと同じと思っています(変な説明だな^^;)。

そのくらい名曲と言っていい仕上がりであると。

これを聞いたとき、ただ単純にカッコいいと思った私がおりました。






ああ、ちょっと筆が進まないです。なんかね、あの頃の日本のロックシーンが好きだった人には、読んで聴いてもらいたいなと。それだけですね。感想をうまく表現できない……。(すみません)





シーナは「you may dream」を歌う前に必ず「みんな夢を持ってね!」と言っていたそうなのですが、最後のステージでは「私の夢はこのバンドで歌うこと、ずっと歌い続けること」と言ったのだそうです。


それまでは突然の病いで逝ってしまうなんて、思っていなかったんだろうなと。歌い続けたかったんだろうと。そんなシーナの気持ちを考えると、胸が痛くなりました。




そうそう、こんなエピソード。

下北沢に住んでいた鮎川家ですが、同じく下北沢に住んでいた金子マリさんとシーナの二人で、子どもが小さい頃に、いわゆる緑のおばさんをしていたのだそう。これを聞いたとき、風景を想像しただけでも「下北沢ってロックだわ~」と思ったものです。羨ましい……。

そういえば、東京都内に住んでみたいと思ったことはないのですが、高校を卒業したら下北沢に住みたいと思っていたことを思い出しました。ロックな町です。

シーナの葬儀は、金子マリさんが営む葬儀屋さんが行ったというのも聞きました。感動です。






総じてへたくそな文章でした。すみません。

おしまい。

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最近読んだ本 [本の感想]

星野源さん、細野晴臣さんの対談本に続き、岡村靖幸さんの「あの娘と、遅刻と、勉強と」を読みました。


岡村靖幸『あの娘と、遅刻と、勉強と』 (TOKYO NEWS MOOK 479号)

岡村靖幸『あの娘と、遅刻と、勉強と』 (TOKYO NEWS MOOK 479号)

  • 作者: 岡村 靖幸
  • 出版社/メーカー: 東京ニュース通信社
  • 発売日: 2015/04/24
  • メディア: ムック


この本を手に取ったとき、「あ、この本も『TV Bros.』の連載をまとめたものか」と、一人で笑ってしまいました。

星野源さんと細野晴臣さんの対談本も『TV Bros.』の連載だったのです。引き寄せられていますね、『TV Bros.』の編集者に(笑)

岡村靖幸さんがデビューした頃のことをよく覚えていて、「なんだ? この歌いっぷりは」と驚きました。

歌がうまいという感じでもなく、見た目もカッコいいとは思えない。でも何だか惹かれてしまう。そんな印象がありました。そして「だいすき」を聞いて、歌っている姿を見たときに、「なんてストレートなんだろう。そしてなんだ? このメロディーは」と思ったのでした。

はっきり言ってものすごく変わっているし、でも目が離せない。

しかし挙動を見ていると、精神的に不安定な人なのではないかとも思っていました。そして案の定、覚せい剤の使用で逮捕されて、さもありなんという状態に。

これで「もう復活はないのか」と思っていたところ、あらあら最近、またいい雰囲気をまとって復活してきているではないですか。

というのは私の感想ですが、そんな風に思っている岡村靖幸さんの対談本です。さまざまな人と対談をしています。

いとうせいこう(以下敬称略)、大根仁、川島小鳥、荒俣宏、水道橋博士、モーリー・ロバートソン、湯山玲子、久保ミツロウ、会田誠、津田大介、渡辺信一郎、矢野顕子、大貫妙子、アレハンドロ・ホドフスキー、高橋幸宏、坂本慎太郎、星野源

内容というと、岡村靖幸さんが発する質問が、あまりぶれないのが面白い。エロとか、孤独とか、寂しさとか……。この人はちゃんと中身を変えずに生きてきた人だと、強く感じる質問なのです。

岡村靖幸さんはオットT君が、嫌いなタイプの人なので、彼の音楽をあまり聴く機会もなく、PVも観る機会がないのですが、こっそりとPCで観たりしているこの頃。

観てみれば、またちゃんとエロとか、孤独とか、質問内容を感じさせるような歌詞であるし、ずっとこの人の中身にあったであろうリズム、メロディーがそのままに楽曲で表されています。すばらしい。


実は最近、「なんで芸術家や文化人が、政治的なことを声高に訴えなくなってきたのだろう」ということを、ずーっと考えてしまっていて、こういうミュージシャンの語ることに、何かその答えが隠されているのではないか。そんなことを思って、私の読書傾向がちょっと変わってきています。

本を読んで見出せるものがあればと。

下世話な話なのですが、いま一番売れているという男性グループのボーカルである人が、スピリチュアル的になってしまっていて、洗脳されているのではないか、ということがありました。

この報道に触れて、ふとこんなことを思ったのです。この人は言いたいこと、歌いたいことができずにいるのではないか。

そう思ったときに、岡村靖幸さんの覚せい剤とか、Xジャパンのボーカリストの洗脳騒ぎとか、誤解を恐れずに述べれば、この人たちは、言いたいこと、歌いたいことが何か抵抗勢力のようなものから封じられてしまって、こういうものに走ってしまったのではなかろうかと思ったのです。

いやいや、実際は本当に誘惑に負けたのだと思っています。己の才能に限界を感じてということもあるでしょう。でも「当たらずといえども遠からじ」なのではないか。

ひとつの仮説です。

本当に昔に比べて、政治的な歌やメッセージソングを耳にすることがなくなってきました。作家が戦争を反対したり、反原発を訴えたりする姿も見えなくなってきました。

なぜなのでしょうか。

いまの政府とマスコミのせいであると、私は思っています。そしてそのスポンサーになる企業も同罪。

さらに言えば、信条に反しているものを見たり聞いたりすると、途端にクレイマーに変身する国民のせい。

要するに、偏ったものへ集まってしまう人の、変容を見ているような気がしてならない。

言論の自由といえば堅苦しいですが、そんな自由も許されないような雰囲気になってきている。私自身はそれがものすごく嫌で、気になって仕方がないのです。

そういう雰囲気が芸術家や作家を追い詰めている結果になっているのではないかと。



そういえば数か月前に、沢田研二さんがライヴのMCで、ISに対する自説を長々と話したという記事に接しました。政治的なことを長々と話すよりも歌ってくれと、見に来ていたファンはそう思って「歌って~!」と叫んだといいます。それに対し、「黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!」と沢田研二さんは返したとか。

これに対し、批判的な人が多いようでした。「老害だ」という人もいます。

でも私は、本人も言っているように、嫌なら帰ればいいと思います。ほかの記事を読むと、どうやら沢田研二さんのライヴではこういうことがよくあることで、知っている人は知っているようです。そうであればなおさらのこと。行かなければいいのです。

山下達郎さんのライヴでも、達郎さんはいつも怒っていますよ(笑) その怒りが曲になったものもあります。やはり最前列にいた人の挙動がひどくて「帰れ!」と言ったこともあるようです。


何が言いたいのかというと、TVやラジオの公共の電波は、もう言論の自由が許されないのかもしれません。でもミュージシャンの活動するライブ会場や、芸術家のためのギャラリー、文化人が表現する場である活字の世界は最後の砦にならないといけないのではないでしょうか。

ここで否定されるようなことがあれば、じゃあどこで表現をすればいいのだ、ということになります。

そういうところすらなくなってしまったら、結局、宗教やクスリに走ってしまうとか、隠遁するとか、地道な生活を選ぶ人もいるでしょうね。

せっかくの才能が台無しです。



恋だ愛だという甘い音楽や若い人たちのグループの音楽で、音楽番組はつまらなくなりました。

社会問題提起するようなドラマも少なくなりました。

政治家のものまねをする芸人もテレビでは見なくなりました。



恋だ愛だと歌われていても、少子化問題はちっとも解決の糸口が見えないというのも皮肉なものです。



もっと言えば、「自分の信条に反するものは受け入れられない」と思う人に、「それは本当に自分の信条なんですか?」と問いたいです。

自分の信条がしっかりとゆるぎないものであるならば、ほかの信条に対して、通常は寛容になれるものです。

揺らいでしまう信条だから、それを壊されたくないから、ほかの信条を攻撃するのだと思います。




そういうことなんですよね。



長くなってしまうので、もとに戻りますが、覚せい剤の事件から復活してもなお、まったく中身の変わらない岡村靖幸さんの本もなかなか面白かったという話でした。


おしまい。
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絵本がない? [本の感想]

少し本の話が続きます。というのも、ヒマなのです。

うむ、多少の語弊はありますが、いま本を読むことぐらいしか思いつかず、何かをしようという気にもならず、ただただぼ~っとしているか、本を読んでいるかという感じでありまして。

なんて贅沢な時間の使い方をしているのだろうと若干の罪悪感も覚えつつ……(笑)

だけど、最近読んだ本ではなく、昨年読んだ本のお話。「あのとき、この本」。

あのとき、この本

あのとき、この本

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2014/03/20
  • メディア: 単行本


絵本についてのエッセイを71人分まとめた本です。

それぞれが幼いころに触れて印象に残った絵本を紹介しているのですが、その絵本にまつわるご本人のエピソードを含めてエッセイとして書かれています。

添えられた「ときこの本」という漫画がちょっとしたアクセントになっていて、面白く読ませる構成になっています。

これを買って読もうと思ったのは、本好きを自認する人間ですから、これは読んで共感する部分がいっぱいあるに違いない。そんなことを感じ購入に至ったのでした。

そして手に取り読んでみると……。

知っている絵本が全然ない。

あれ?



唯一、アーサー・ビナードさんが取り上げていた、誰もが知っているだろうこぶとりじいさんの話、「こぶとり」くらい。アーサーさんはエッセイのなかで「かちかち山」や「さるかに」のことを書いていて、「うんうん、それは知っている」と思ったけれど、ほかの人が紹介している絵本に知っているものがない……。



う~んと考えました。

いま思い出しても、絵本の体裁をしたものは「シンデレラ」ともう一つ、切り絵作家の絵本はあったような気がします。

いやいや「ちびくろサンボ」や「3匹のこぶた」なんかはあったかな? くらいの記憶。


そういえば、母に読み聞かせをしてもらった記憶もありません。

なぜだろう、と数日考えました。

そして思い出したことといえば、「そうだ、私が生まれたとほぼ同時期に、父が闘病生活に突入したのだった」ということでした。

そう考えると、母も読み聞かせなんていう余裕はなかったのだろうと思います。

さらに言うと、幼少期、私は長い間、親戚の家に預けられていました。

その親戚の家には従兄・従姉がいましたが、どちらも高校生という年齢。絵本なんてあるわけがないという環境でした。

英語のラジオをずっと流しているような洋風の大人な家庭で、ただ従兄・従姉にあやされて、寝かされてという生活だったと記憶します。(とても可愛がってくれたことは覚えています)。

そういうことが幼稚園に上がるまで続いていたので、「そうだ、絵本は幼稚園のときに知ったものだ」と気づいたのでした。

ということはいくつかの絵本に接したのは、幼稚園児であった1年間だけか?

そこは定かではないのですが、考えてみると、私は絵本のほとんどない幼少期を経ていたのだというわけです。

うむ。

ということで、この本については共感したくてもできなかった、というお話でした。


まあでも、こういう記憶の掘り起こしもできたので、よしとするべきか。



話を幼少期のことに転じると、なんかね……、幼少期の自分は結構過酷な生活を送っていたなと^^;

親や姉と離れて過ごしていた時間が長いわけで、幼心にも不安だったろうなあ、と思うのです(覚えてはいませんが)。

それを思うと、小さい頃の自分に「よくやった。頑張った」と言ってやりたいと思います。はい。


おしまい。
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最近読んだ本 [本の感想]

ここのところ乱読模様で、ちゃんと本を読んだという実感がない。いやいや、読んではいるのだけど残ってないと言ったほうが正解か。

昨年、恩師が亡くなり、近所にお住まいだったというのに奥様に挨拶をしていなかったので、ゴールデンウィークが始まった頃に伺った。

奥様は私より8つほど年上なのだが、見てきたこと、聞いてきたことが似ているせいか、共通の記憶も相まって話は弾み、いろんな話をして笑ったり、涙ぐんだり……。

そんななか出てきて笑ったのが、「本を読むんだけど、内容を覚えていなくて、同じ本を買っちゃったりするのよね~」と言っていたこと。

20年ぶりに奥様に会ったのだが、お互い年齢を重ねて同じことをしていたことに笑った。

本を読んでその場では感動をするのだけれど、それが記憶に残っていないという恐ろしさ。そして、ちゃんと読めば記憶は蘇ってくるのだけど、ぱっと見ではわからなくなってきているというこの現象。年齢を重ねるということはこういうことか? と笑ってしまったのだった。

そういう読書傾向にある今日この頃だが、少し面白い本を読んだ。

これ。

地平線の相談

地平線の相談

  • 作者: 細野 晴臣
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/03/28
  • メディア: 単行本


細野晴臣さんと星野源さんの対談集。雑誌の連載を一冊の本にまとめたものだ。

星野源さんが、細野晴臣さんに相談をするという体裁を取っている。

星野源さんに興味を持ったのは、NHKのLIFEというコント番組を見てから。その前から知らなくはなかった。作家でミュージシャンで役者でもあり、くも膜下出血で倒れて復帰して来て、再び音楽も役者も始めているという人だということは知っていた。

ずいぶんと多才なようだけど、どうなの? という印象しか持っていなかった。

LIFEを見るのも、コント番組というのがこの世から減ってしまって、どうしようもないバラエティ番組ばかりになってしまっているからというのが大きな理由。いまどきのコント番組も悪くはないと思って見ている。

ムロツヨシさんが出ているというのもあるけれど(笑)(←やたらと目に付くムロツヨシ。なぜか気になるムロツヨシですよ^^;)

その番組で、不思議な温度でたたずむ星野源……。

なんで出ているの? と思うわけだ。

そこでこの本。細野晴臣さんが相手というから、何気なく読んでみた。

1981年生まれの星野源さんを相手に、1947年生まれの細野晴臣さんがどんな話をしているのか。いまどきの若い人の考えってどうなのかという興味もあった。

若いと言っても、今年34歳。うむ。若くはないか。でもこの対談を始めたころは26歳。ま、若いな。

これを読んで、星野源さんというのは、いわゆる、昔でいうところのサブカルチャーなのだと思うのだけれど、そういう場所にいる人なのだなということがわかった。

なので多才と言ったらいいのか。(昔のサブカルチャーと言ったら、何でもやる人が多かったからね)。

そしてちゃんと自分の言葉を持っている人だということがわかった。なんというか、いまどきの若者は、ちゃんと自分の言葉を持っているのか? という疑問があり、要するに、インターネットの普及のお蔭で、何でも調べれば出てくる時代。検索能力さえあれば、自分でものを考えなくても何とかやっていけるような状態にある。なので、そういう若者ばかりになっているのではないか、と思っていたのだ。

でも、そりゃそうだ。こんな創作活動をしているんだから、自分の言葉を持っていなくてどうする、っていう話になる。

私はちょっとバカにしていた、こういう若者を。でも細野晴臣さんを相手にして、ちゃんと自分の考えていることを話しているではないか。

ほっと一安心の若者像。

この対談のなかでとても印象に残った話があった。

細野さんが「……あらゆる音楽はもう全部聴き尽くしたなって白けた感じだったの。ところがそれは無知だということが最近わかった。新しい音楽に発見はないんだけど、古い音楽には発見がいっぱいあるんだよ。これは“今までにない体験”なんだよね」と言うと、星野さんは「自分は2000年にバンドを始めたんですが、その頃、もう直線的な時代じゃないというのは感じていました。……立ち止まっているというか、前じゃなくて周りが広がって行くというか、いままでの立体の法則が変わってきたという感じがあって。モチベーションの持ち方みたいなものを見つけるのに、ものすごく時間がかかったんですよ」と言う。

そして「時代の波がない中、いろいろともがきながらサケロックをやってきて思ったのは、さっき細野さんがおっしゃったように、面白いことというのは常に自分が考えないとダメなんだろうなって。もう時代が協力してくれないという感じがあるんですよね」と。

「だから、ゼロ年代って言うのはやめたほうがいい。今、軸は、年代じゃなくてそれぞれの個人にあると思うんです」、「縦じゃなくて横の広がりということなんでしょうね。だからこそ爆発的なヒットは生まれにくいんだろうけど、その人その人の世界が横一列でぶわーっと並んでいて、それは面白いんじゃないかと思うんです」と言うのだった。

それを細野さんは「いいこと言うねぇ」と言うのだけれど。

この話は、細野さんが書いたあとがきでも触れられていて、「長く生きていれば、相談のひとつやふたつは乗れるが、星野くんの相談は延々と続いた。それはもはや相談ではなくなり、問いかけになっていった。その中で星野くんの言った言葉が今回のテーマになっていることに気がついたのだ。それは『今、軸は、年代じゃなくてそれぞれの個人にあると思う……』という件だ。この相談も、若者とオッサンの対話ではなく、個人と個人のお喋りなのである。それも日々生きていく生活の話だったり、それぞれ固有の身体感覚であったり……そういう普段は人に話さないことの確認だったりする」とある。

これらを読んで、あっと思った。

老いも若きも同じ悩みを時代とは関係なく抱いているのだと。いや、同じ悩みというのは違うか。年代ではなく、個人であるということ。

年代で一括りではなく、個人でそれぞれ見ているということ。

つまりは、自分が感動している横にいる人は、同じ年代の人ではない。ふと横を見ると、20歳も離れた人がいるかもしれない、ということなのだ。

星野源さんはよく考えている。ずいぶんとその考えにたどり着くまで時間がかかったと言っているけれど、それは自分で体験して、創り出すということをしっかりしようと考えたからだと思う。確かにモチベーションを持ち続けようと思うと、その壁にぶち当たることは想像できる。そこから、それをどう打開するかと自分で考えるか、それとも適当に流すかということなのだと思うのだけれど、星野さんはちゃんと考えた。

そして見つけたのが「年代ではなくそれぞれ個人にある」「横の広がり」ということだった。

自分より若い人がこういうことを考えているということを知って面白かったし、横にいる若者に同じように話しかけることもできるのだということがわかった。



先日、恩師の奥様とも、「昔は楽しかったわね~。面白いことがたくさんあったわよね」と話をしたところだった。そして「なんでいまは面白くないのかしら」と2人で首をひねったのだった。

きっと昔面白がったことでも、まだまだ見つけられることはあるし、それを横にいる若い人に話をしても、通じるかもしれないということなんだ。

「年代ではなく個人」。

装丁を見ると、サブカルのお手軽書籍なのだけど、読んでみて、結構面白くて、発見があった本だった。


おしまい。
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ふと思い出すあの人 [本の感想]

忙しいというわけではないのだけれど、季節の変わり目で家事に追われるって感じなんでしょうかねえ。

義兄嫁のお父さんが突然亡くなり、お通夜に行かねばならないということもあったし、5日前に赤瀬川さんが亡くなったショックも地味に続いているし、何だろうなあ、この感じ。説明ができません。

なかなか更新も出来ず、ただただ外には出さない考え事を続けている状態であります。答えは出ないんだろうけど、結局、「なんとかなるさ」で気持ちは切り替えられるのだと思うのだけど、まだ脳内がくすぶっております。


それで書こうとして書けなかったことを、いつもの感じであれば書けるのではないかと思って、キーボードを打ってみます。

赤瀬川さんが亡くなったことをうけて……ということもあるし、ちょうど美学校に通っていた頃に影響を受けた人の話でもあるので。

最近、ふっと思い出す人がいます。

荒木陽子さん。荒木経惟さんの奥さんだった人です。

1990年1月27日に子宮肉腫のために42歳で亡くなりました。

当時、私は結婚をして京都に引っ越していたので、陽子さんのその頃のことは全く耳に入ってきておらず、亡くなったという話を聞いたときはなんだかものすごくショックを受けたのを覚えています。

私が若かりし頃(?)、生前の陽子さんに会ったことがあったので。



その頃、荒木経惟さんは飛ぶ鳥を落とす勢いで写真界を席巻していました。

大股開きだなんだと、そういう写真がもてはやされていた頃で、男性はとくに覚えていると思います。まさにバブルといった様相だったのではないかと思うのですが。

私の周辺にいた男性も荒木さんの写真を好きな人が多く、やはり女性の裸の写真を撮っていた人が何人かいました。

しかし、私はそういった男性が撮った女性の裸の写真は好きではなく、いまもあまり女性の裸の写真を見るのは好きではありません。

だけれど、荒木さんが撮った陽子さんの裸の写真を見るのは大丈夫でした。

なぜと思うだろうけれど、それは荒木さんの女性の裸以外の写真を見るとよくわかると思います。

被写体を見る目。瞬間を切り取るタイミング。

撮影者と被写体との関係性が写真に写されていて、荒木さんはそれがものすごく上手なのです。つまり、被写体にちゃんと愛情をもって接していること。関わりがよい状態である決定的な瞬間を、しっかりと捉えるのがうまいということ。

陽子さんの裸の写真には、そういう関係性が感じられて安心して見ることができたのだろうなと思います。

ただ、そういう自分の写真を見ず知らずの人たちが見るということに、陽子さんは抵抗感がなかったのか、と不思議に思っていました。

その陽子さんの思いは、彼女のエッセイから読み取ることができます。

亡くなって「もったいない」と思った陽子さんの文章力。いいエッセイを書く人だったんですよ。
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この人に、こんなふうに言われたら、ぐうの音も出ないという一文。

「『経ちゃんがこんなに有名になるって、アナタ最初から解っていた?』と母に問いかけられた事がある。
『有名になるかどーかは解らなかったけど、この人と一緒にいれば、私は幸せになる、と思ったわ』と私は答えた。
 彼以外には、私を理解する人間はいないんではないかなあ、と今でも私は思っているのだ。これが幸せでなくて、何でありましょーか。」と言い切っています。

実に肝が据わった女性でした。

また、荒木さんが他の女性の写真を撮ること、行為を含めて嫌ではなかったのかと思うのですが、複雑な思いを持ちながらも面白がる人だったのです。

「帰って来たら、絶対触ってなんてあげない。もう一年くらいしなくたっていいわ、あーなんて不潔なの、もーイヤ! と叫びそうになるんだが、それと同時に、私の中の好奇心が、帰って来たら、彼女達のお話を聞かせてもらいたいなあ、とウズウズしているのも本当なのである。どうしてそんな事に好奇心を持つのか、我ながら不思議なのだが、もって生まれた性格なのでしょうがない」んだそうです(笑)

そして、陽子さん自身が写された写真を見て、こう書いています。

「<ノスタルジアの夜>の中で、私が一人ソファで喘いでいても、私の肉体は単に投げ出された肉体ではなく、彼の肉体としっかりと繋がれている肉体なのであり、夏みかんを食べる手が写っている写真では、こちら側にいる彼もやはり夏みかんを食べて、その夏みかんの匂いのついた手のままシャッターを押している情景、とゆーのが私には感じられるのだ。
 私が写っていても、そこには彼の姿が濃く投影されている。
 私の写真ではなく、私と彼の間に漂う濃密な感情が写っているのだ」と。

よくわかっている奥さんなのでした。うまく言い表している。

陽子さんは、夫婦の日常生活をしなやかに書き、旅先での出来事も面白おかしく書き綴っています。

くすっと笑ったり、シンミリとしたり……いい夫婦関係なんですよ。

実際の陽子さんはもちろんきれいな人で、私が会ったのは確かヤクルトホールで荒木さんのイベントがあったときだったと思います。

会場の後ろのほうの席に佇んでいました。ニコニコしながら。

好奇の目で見る人もいるだろうに、と心配して様子を窺っていましたが、そんなことも一切気にしていない感じでした。

そして声をかけてみると、これまた屈託なくて。すごいというか、とにかく素敵な人だなと思いました。

この頃はまだエッセイを書いておらず、陽子さんの心中を知る由もないのですが、後に彼女が書いたものを読んで、会ったときの印象そのままだったことに驚きつつ、うれしく思ったことを覚えています。


さらに、絶筆となったエッセイが掲載されているこの本。
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映画化もされましたね。(ちょっと映画化されたことは、私はよくわからないのですが……観てもいないので感想も書けませんが)。

荒木さんの写真や日記は別として、陽子さんのエッセイが一段とうまくなっていると感じるのです。筆の滑りがいいというか、情景が目に浮かぶ言葉が連なっています。

最後のエッセイも、夫への愛情が溢れる文章で、ホロリとしてしまうんですけどね。

実は、陽子さんが亡くなった以降の荒木さんの写真は、あまり見ていません。

女性の裸の写真が好きではない、ということもありますが、結局、私は荒木さんの写真を見ながら、荒木さんと陽子さんを見ていたのだな、と思うのです。

陽子さんなくして荒木さんは語れないという感じで。

そしていま、ふと思うのは、もし彼女が生きていたら、どんな文章を書いたのだろうか、ということ。


前の記事でも書きましたが、手本となる人が少なくなってきたということがあります。陽子さんを見て、いい年の取り方をするんだろうな、と思っていました。荒木夫妻の関係を見ても……。

彼女の文章に触れてみると、その自身の感性の豊かさと夫婦の信頼関係(愛情関係)がうまく重なっているんですよね。そしていいものが生み出されてきたと。

結局は、この二人の才能によるものだとは思うのですが、素晴らしい人間関係の築き方と言ったらいいのか、いいなあと思うのですよ。


本当に生きていたら、どんな文章を書いたかなあ。



あの人が生きていたらどうしただろう、と思う人が増えたということでもあるんですけどね。

赤瀬川さんもそうなってしまったんだなあと、いまやもう……。



しみじみと思う話でした。



陽子さんが亡くなった直後の写真集。
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続センチメンタルな旅
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10年目のセンチメンタルな旅
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装丁が変わってしまったものもあったので、手元にある本を撮りました。


おしまい。
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それこそまあツレヅレに [本の感想]

少しご無沙汰をしておりました。

書きたいことがあって着手していたのですが、これが書けない書けない(笑)

メインとなることを書こうとするのだけど、そこでつっかえて、結局中断していまに至ると、そんな感じなのです。

表現しようとするのに的確な言葉が出てこないという……老化でしょうか^^;

いやいや、基本的にボキャブラリーの少なさがそうさせているような気がしますが、15年くらい前だったら力技で書いてしまっていたなあと、少々感慨深くなったり。

頭を使っていない証拠です、はい。



ということで、書こうと思っていたことは後に置いておいて、最近読んだ本2冊。

久々ですね、本の話も。

まずは高野文子さんの新刊。

ドミトリーともきんす

ドミトリーともきんす

  • 作者: 高野 文子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/09/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


非常に寡作の人です。

久しぶりに単行本が発売になったので買ってみれば、「そう来たか!」という内容でした。

「ドミトリーともきんす」という寮(下宿?)を営む寮母さん母娘と、そこに暮らす科学者たちのやりとりをマンガにしたものなのですが、マンガではあるけれど、科学者たちのある一面を紹介する読み物のようになっています。

紹介されるのは、朝永振一郎氏(物理学者)、牧野富太郎氏(植物学者)、中谷宇吉郎氏(物理学者)、湯川秀樹氏(理論物理学者)、ジョージ・ガモフ氏(理論物理学者)の5人。

それぞれの学者の言葉を引用しつつ、その人となりをおそらく想像して、姿が描かれています。

そして「ドミトリーともきんす」という寮の名前。ジョージ・ガモフ氏の「トムキンスの冒険」という本のタイトルから一文字変えて「ともきんす」にしたことが最後のほうでわかるのですが、この本がきっと面白かったのでしょうね。

トムキンスの冒険 (G・ガモフ コレクション)

トムキンスの冒険 (G・ガモフ コレクション)

  • 作者: ジョージ ガモフ
  • 出版社/メーカー: 白揚社
  • 発売日: 1991/11
  • メディア: 単行本

これは高い本だ(@_@;)

ドミトリーともきんすは、あとがきに書かれているように、製図ペンでほぼ同じような太さで描かれています。本人が言うとおりに「静かな絵」となっているのですが、その静けさが反対に科学者たちの見えない心の熱さを表現しているように感じられ、「淡々としながらもふつふつとした情熱」を見ているような気がしました。

さて作者の高野文子さんの作品と出合ったのは、1979年のこと。この人のデビュー作を、中学時代の友人に教えてもらい読んだことを思い出します。(後に調べてみたら「JUNE」でデビューとありました。全くその通り。これは記憶が間違っていなかった^^)。

その友人は、マンガを見る目が鋭くて、新しいマンガ、一風変わった面白さがあるマンガを探し出すのが得意な人でした。そしていつも私は、その友人に「何か面白いマンガはない?」と聞いては、彼女から本を借りて読むということを繰り返していました。すいぶんいろんなマンガを教えてもらったものです。(JUNEも彼女が買っていました)。

結局、いまや(有名ではないですが)彼女本人も漫画家になってしまい、うちの近所でマンガを描いているんですけどね。

高野文子さんの初期作品を集めた本はこちら。

絶対安全剃刀―高野文子作品集

絶対安全剃刀―高野文子作品集

  • 作者: 高野 文子
  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 1982/01
  • メディア: 単行本

1982年1月ですか。短大時代になるのか……。

もっと昔のような気がしていましたが、いや昔ですが、私が高校を卒業した後に出版された本だとは思えず……。高校生の頃だったような気がするので、ちょっと不思議な思いです。

自分が制服を着ていた時代と重なっているような気がしていたので、大いなる記憶違い。ま、デビュー作は高校時代に読んだのだから、それでいいのかな。

とにかくこの単行本は、「絶対安全剃刀」というタイトル通り、安全だけど切れ味の鋭いマンガばかりです。当時、「ついにこんなマンガ家が出てきたか!」と、とても驚いたことを思い出します。

そしてドミトリーともきんすでも、「こう来たか」と。本当に寡作の人で、きっとある程度の熟成を経て表現をしているのでしょう。大変面白く感じながら読みました。

それから高野文子さんが5歳年上だったんだ……と、今回読んで初めて知りました。
(ウィキペディアでも出ていますね。知らなかったことが多い、というか、調べてみることもなかったので結構驚いています^^;)。


もう一冊はこの本。

父と息子の大闘病日記

父と息子の大闘病日記

  • 作者: 神足 裕司
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2014/09/19
  • メディア: 単行本

神足 裕司さんの闘病記を、息子の祐太郎さんが書いた本です。

神足さんと言えば、渡辺和博さんとの共著「金魂巻」とか、西原理恵子さんとの「恨ミシュラン」が有名かと思います。

なんというか斜めに構えつつも、意外と普通の人なのではないかという印象を持っていました。

その神足さんが2011年にくも膜下出血で倒れたと報道されたときは、「もうだめなのか」と思いましたが、最近になって本を出すようになり、復活しつつあると知りほっとしました。

別に好きなライターさんというわけではないのですが、同時代に生きてきた人だということが頭にあって、そういう人が病に倒れるというのはやっぱりショックを受けるわけです。そして、その後はどうしたのだろうと思っていました。

この本では、倒れてからリハビリをし、文章が書けるようになるまでの経過を、息子さんがシンプルな筆致で書き綴っています。シンプルだからこそ、身近な人の心の動きや苦労が感じられるというか、無駄がないのはいいなと思わせる文章です。

そして息子の祐太郎さんが書いた文章に、後に神足さん自身がどう思っていたかを文章化していきます。

神足さんは、後遺症として「高次脳機能障害」があり、新しい記憶をとどめることが難しくなっているということです。なるほど、文章を読めば確かに同じようなことを書いているなと感じられる部分はあります。だけど、考え方や文体というのは簡単に変わりようがないのでしょうね。障害があるとは感じられない面白さのある文章を書いています。

そりゃまあ鋭さはないのでしょうが、障害があってなお、この文章が書けるということは、回復してきているということなのだと思います。

家族はまだ介護でご苦労をされると思いますが、今度は少し変わった不思議な視点で文章を書いていってもらえたらと思いました。

そういえば、神足さんも5歳上の人でした。




年をとればとるほど、手本となる人が少なくなってきます。自分はこの先どうなるんだろうと思うことがあっても、手本となるような人が少なくなってきていて、寂しいなあと思います。

でも高野文子さんや神足裕司さんのように、立場や状況は違えど、新たな表現方法を見つけたり、新たな目標を見つけたりして、前に進んでいると思うと、少し年下の私は心強く感じます。

いくつになっても新しい何かを見つけるのは大切なんだ、と思う今日この頃。

いくら本を読んでも悪いことはないですね。



おまけ。

フライングTBちゃん。
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まるで飛んでいるように手を伸ばして(笑)


おしまい。
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備えられるのなら備えたい [本の感想]

てんでやる気が出ない日々が続いていまして、「これは更年期障害もピークか?」なんて独り言を言って、なんとかやり過ごそうとしていますが、なかなかそうは問屋が卸さないのが寄る年波なんでしょーなあ。

不安が渦巻いている心には、不安を取り除くための経験や知識が物を言うはずと、何か月かぶりの読書欲が湧いてきました。(欲が出てくるなんて、不幸中の幸い?^^;)

と、その前に。

仕事で東京は下北沢を訪れることが多かったこの数か月。

ご存じのように、小田急線のホームが地下に潜り、ごちゃごちゃした下北沢の風景が変わりつつあります。
これはピーコックがあるほうですね(わかる人にはわかる)。
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線路の跡はこんな感じで工事が進められています。
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基本的に、下北沢という町は普通に住宅地なんですよ。
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ところどころにお屋敷のような家もありますが、雰囲気としたら庶民の町。

他の仕事でも、世田谷区内をふらふらと歩くことがあって、いろいろな表情を見てきています。

おそらく高級住宅地のイメージがある人も多いと思いますが、いやいや、古くからの街並みが残り、道路も昔の面影を残すかのようにくねくねと入りくんだところがあって、地図が読める女の私でさえ道に迷った場所もありました。

下北沢のみならず、世田谷区内にはそんな場所がたくさんあるのです。

そこで元に戻るのですが。

不安の原因のひとつに地震(自然災害)があります。

スマトラ島沖で起きた地震のあと、数年の間に周辺で大きな地震が何度も起きています。火山も噴火している。それを考えただけでも、東日本大震災のあとにこの周辺で起きてもおかしくない。

とにかくあの地震の揺れと津波被害を改めて想像しただけでもくらくらとしてしまいます。できることなら起きてほしくない災害。

そんなわけで地震予知サイトなんていうのも、毎日のように見ていたりして。

とくにいろいろなデータを分析して地震の危険性を教えてくれるメールマガジンは、毎日読んでいるのですが、そこで関東大震災が起きたときのような危険が迫りつつあると、数日前から伝えてきました。
http://www.tochiginokenkyusha.com/

お陰で心がざわざわするったらない(笑)

そんなときに下北沢の町を歩いて、ここで地震に遭ったりしたら危ないかもしれないなあ、なんて思っていました。

とにかく東京都という都市は関東大震災を経験しているはずなのに、その経験を踏まえた町づくりがなされていない。なぜなんだろうという疑問が、ずーっと頭のなかにあります。

東日本大震災では今後の津波被害をなくすために、高台に住宅を作るなどの工夫が考えられています。それを実現させるためには時間もお金も要するでしょうが、人の命のほうが大切。被害を少なくすることができるのなら、そうしたほうが断然いいに決まっています。

それを考えると、そんな工夫を何で東京はしてこなかったんだろうかと。できなくはなかったのではないかと思って仕方がありません。

先日、こんなTV番組を見ました。

『BS歴史館「関東大震災90年~“防災”に賭けた二人の男~」』

NHKのサイトによるとこんな説明があります。

『今から90年前、1923年9月1日に発生した関東大震災。死者およそ10万人、史上最悪の都市災害だった。当時、これに立ち向かった二人の科学者がいた。今村明恒と寺田寅彦だ。関東大震災を予測した今村は、震災後、地震予知をどう防災につなげるかに腐心し、一方寺田は地震の原因を地球物理学的に究明するかたわら、防災意識の喚起に努めた。9月の防災週間に、二人の科学者の防災への提言を見つめ直す。』

この今村明恒氏という人は、「関東で大きな地震が起きる可能性がある。そのために防災を行うこと」と訴えてきた人であったそうですが、そんなことを言っては住民にパニックを起こさせてしまうと批判されていたということです。

今村氏については、興味深いサイトを見つけました。
『地震予知の語り部・今村明恒の悲劇』 http://shima3.fc2web.com/kiyou-imamura.htm

この番組を見て、このサイトの文献を読んで、防災意識を高めるのは並大抵のことではできないのかと、ふと思ったりしました。

ただ東京がこういうごちゃごちゃとした都市になってしまった背景には戦争があり、空襲で焼け野原になってしまったということがあります。空襲後、何とか生活していける町が作られていったのでしょう。とにかく生きることが優先されたでしょうから、防災のための家づくり、町づくりなんて不可能に近かったのだろうと想像できます。

人が起こした戦争のために、自然災害に強くなる都市が作られなかったのだとしたら、皮肉以外の何物でもないですね。
(同潤会アパートなど、防災を考えた建物づくりもされていましたが、やはり戦争のせいでうまくいかなかったという背景があるようです。これはこれで調べていくといいかもしれないですね。いまの住宅整備公団の体たらくを見れば、どんな経緯を辿ってきたのかわからなくはないですが^^;)


そしてこの番組やサイトを見る前には、こんな本を読んでいました。

今和次郎 採集講義

今和次郎 採集講義

  • 作者: 今 和次郎
  • 出版社/メーカー: 青幻舎
  • 発売日: 2011/11/30
  • メディア: ペーパーバック



震災画報 (ちくま学芸文庫)

震災画報 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 宮武 外骨
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/08/09
  • メディア: 文庫


関東大震災後、市井の人はどうしたのだろうかと思って手にした本です。

今和次郎氏は考現学的な観点から震災後の建物に注目していました。震災バラックの調査を行い、はては「バラック装飾社」なるものを起ち上げて、バラック建築を手がけています。
(震災後の建築物に関してはこのサイトに興味深い記載がありました。http://www.sainet.or.jp/~junkk/jikuutanbou/jikuumatinami.htm

宮武外骨氏は、まさに市井の人に目を向けた記事を書きまくっていました。そして震災からわずか3週間後に、この「画報」を出版したのです。(外骨さん、かっけー^^)

ここに書かれている震災後の、あちらこちらに貼られた尋ね人の貼り紙の話などは今も昔も変わらないと改めて知ることができました。また誤報やデマが駆け巡った話を皮肉りつつも書かれているところなど、大変面白く読みました。震災直後の東京が手に取るようにわかるからすごい。

上からの目線ではなく、庶民の目線だから想像もしやすい。

これまで、関東大震災がどのように起きたのかばかりに目が行っていましたが、果たしてそれが防災に役立つのかと思っていました。

実際に震災に遭った人の話。震災に遭った人がその後どのような行動をとったのか。それが知りたくて、この本を手に取ってよかったと思いました。防災に役立つものと言ったら、震災に遭った普通の人の話を聞くのが一番だと思います。



そうして下北沢。(クリックで拡大)
下北7.jpg

小田急線が地下に潜った跡のこと。この地上は、その後遊歩道になるのだと思いますが、この土地は万が一の震災時に、とっても役立つのではないのかという気がしたのです。

狭い道路ばかりでごちゃごちゃとした町に、すっと一本道が通ると。

何となく、いい感じ。
下北5.jpg



なにはともあれ、とにかく地震がなけりゃーいいんですが……。

おしまい。

覚書
後藤新平: 大震災と帝都復興 (ちくま新書)

後藤新平: 大震災と帝都復興 (ちくま新書)

  • 作者: 越沢 明
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2011/11/07
  • メディア: 新書


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