最近読んだ本 [本の感想]
ここのところ乱読模様で、ちゃんと本を読んだという実感がない。いやいや、読んではいるのだけど残ってないと言ったほうが正解か。
昨年、恩師が亡くなり、近所にお住まいだったというのに奥様に挨拶をしていなかったので、ゴールデンウィークが始まった頃に伺った。
奥様は私より8つほど年上なのだが、見てきたこと、聞いてきたことが似ているせいか、共通の記憶も相まって話は弾み、いろんな話をして笑ったり、涙ぐんだり……。
そんななか出てきて笑ったのが、「本を読むんだけど、内容を覚えていなくて、同じ本を買っちゃったりするのよね~」と言っていたこと。
20年ぶりに奥様に会ったのだが、お互い年齢を重ねて同じことをしていたことに笑った。
本を読んでその場では感動をするのだけれど、それが記憶に残っていないという恐ろしさ。そして、ちゃんと読めば記憶は蘇ってくるのだけど、ぱっと見ではわからなくなってきているというこの現象。年齢を重ねるということはこういうことか? と笑ってしまったのだった。
そういう読書傾向にある今日この頃だが、少し面白い本を読んだ。
これ。
細野晴臣さんと星野源さんの対談集。雑誌の連載を一冊の本にまとめたものだ。
星野源さんが、細野晴臣さんに相談をするという体裁を取っている。
星野源さんに興味を持ったのは、NHKのLIFEというコント番組を見てから。その前から知らなくはなかった。作家でミュージシャンで役者でもあり、くも膜下出血で倒れて復帰して来て、再び音楽も役者も始めているという人だということは知っていた。
ずいぶんと多才なようだけど、どうなの? という印象しか持っていなかった。
LIFEを見るのも、コント番組というのがこの世から減ってしまって、どうしようもないバラエティ番組ばかりになってしまっているからというのが大きな理由。いまどきのコント番組も悪くはないと思って見ている。
ムロツヨシさんが出ているというのもあるけれど(笑)(←やたらと目に付くムロツヨシ。なぜか気になるムロツヨシですよ^^;)
その番組で、不思議な温度でたたずむ星野源……。
なんで出ているの? と思うわけだ。
そこでこの本。細野晴臣さんが相手というから、何気なく読んでみた。
1981年生まれの星野源さんを相手に、1947年生まれの細野晴臣さんがどんな話をしているのか。いまどきの若い人の考えってどうなのかという興味もあった。
若いと言っても、今年34歳。うむ。若くはないか。でもこの対談を始めたころは26歳。ま、若いな。
これを読んで、星野源さんというのは、いわゆる、昔でいうところのサブカルチャーなのだと思うのだけれど、そういう場所にいる人なのだなということがわかった。
なので多才と言ったらいいのか。(昔のサブカルチャーと言ったら、何でもやる人が多かったからね)。
そしてちゃんと自分の言葉を持っている人だということがわかった。なんというか、いまどきの若者は、ちゃんと自分の言葉を持っているのか? という疑問があり、要するに、インターネットの普及のお蔭で、何でも調べれば出てくる時代。検索能力さえあれば、自分でものを考えなくても何とかやっていけるような状態にある。なので、そういう若者ばかりになっているのではないか、と思っていたのだ。
でも、そりゃそうだ。こんな創作活動をしているんだから、自分の言葉を持っていなくてどうする、っていう話になる。
私はちょっとバカにしていた、こういう若者を。でも細野晴臣さんを相手にして、ちゃんと自分の考えていることを話しているではないか。
ほっと一安心の若者像。
この対談のなかでとても印象に残った話があった。
細野さんが「……あらゆる音楽はもう全部聴き尽くしたなって白けた感じだったの。ところがそれは無知だということが最近わかった。新しい音楽に発見はないんだけど、古い音楽には発見がいっぱいあるんだよ。これは“今までにない体験”なんだよね」と言うと、星野さんは「自分は2000年にバンドを始めたんですが、その頃、もう直線的な時代じゃないというのは感じていました。……立ち止まっているというか、前じゃなくて周りが広がって行くというか、いままでの立体の法則が変わってきたという感じがあって。モチベーションの持ち方みたいなものを見つけるのに、ものすごく時間がかかったんですよ」と言う。
そして「時代の波がない中、いろいろともがきながらサケロックをやってきて思ったのは、さっき細野さんがおっしゃったように、面白いことというのは常に自分が考えないとダメなんだろうなって。もう時代が協力してくれないという感じがあるんですよね」と。
「だから、ゼロ年代って言うのはやめたほうがいい。今、軸は、年代じゃなくてそれぞれの個人にあると思うんです」、「縦じゃなくて横の広がりということなんでしょうね。だからこそ爆発的なヒットは生まれにくいんだろうけど、その人その人の世界が横一列でぶわーっと並んでいて、それは面白いんじゃないかと思うんです」と言うのだった。
それを細野さんは「いいこと言うねぇ」と言うのだけれど。
この話は、細野さんが書いたあとがきでも触れられていて、「長く生きていれば、相談のひとつやふたつは乗れるが、星野くんの相談は延々と続いた。それはもはや相談ではなくなり、問いかけになっていった。その中で星野くんの言った言葉が今回のテーマになっていることに気がついたのだ。それは『今、軸は、年代じゃなくてそれぞれの個人にあると思う……』という件だ。この相談も、若者とオッサンの対話ではなく、個人と個人のお喋りなのである。それも日々生きていく生活の話だったり、それぞれ固有の身体感覚であったり……そういう普段は人に話さないことの確認だったりする」とある。
これらを読んで、あっと思った。
老いも若きも同じ悩みを時代とは関係なく抱いているのだと。いや、同じ悩みというのは違うか。年代ではなく、個人であるということ。
年代で一括りではなく、個人でそれぞれ見ているということ。
つまりは、自分が感動している横にいる人は、同じ年代の人ではない。ふと横を見ると、20歳も離れた人がいるかもしれない、ということなのだ。
星野源さんはよく考えている。ずいぶんとその考えにたどり着くまで時間がかかったと言っているけれど、それは自分で体験して、創り出すということをしっかりしようと考えたからだと思う。確かにモチベーションを持ち続けようと思うと、その壁にぶち当たることは想像できる。そこから、それをどう打開するかと自分で考えるか、それとも適当に流すかということなのだと思うのだけれど、星野さんはちゃんと考えた。
そして見つけたのが「年代ではなくそれぞれ個人にある」「横の広がり」ということだった。
自分より若い人がこういうことを考えているということを知って面白かったし、横にいる若者に同じように話しかけることもできるのだということがわかった。
先日、恩師の奥様とも、「昔は楽しかったわね~。面白いことがたくさんあったわよね」と話をしたところだった。そして「なんでいまは面白くないのかしら」と2人で首をひねったのだった。
きっと昔面白がったことでも、まだまだ見つけられることはあるし、それを横にいる若い人に話をしても、通じるかもしれないということなんだ。
「年代ではなく個人」。
装丁を見ると、サブカルのお手軽書籍なのだけど、読んでみて、結構面白くて、発見があった本だった。
おしまい。
昨年、恩師が亡くなり、近所にお住まいだったというのに奥様に挨拶をしていなかったので、ゴールデンウィークが始まった頃に伺った。
奥様は私より8つほど年上なのだが、見てきたこと、聞いてきたことが似ているせいか、共通の記憶も相まって話は弾み、いろんな話をして笑ったり、涙ぐんだり……。
そんななか出てきて笑ったのが、「本を読むんだけど、内容を覚えていなくて、同じ本を買っちゃったりするのよね~」と言っていたこと。
20年ぶりに奥様に会ったのだが、お互い年齢を重ねて同じことをしていたことに笑った。
本を読んでその場では感動をするのだけれど、それが記憶に残っていないという恐ろしさ。そして、ちゃんと読めば記憶は蘇ってくるのだけど、ぱっと見ではわからなくなってきているというこの現象。年齢を重ねるということはこういうことか? と笑ってしまったのだった。
そういう読書傾向にある今日この頃だが、少し面白い本を読んだ。
これ。
細野晴臣さんと星野源さんの対談集。雑誌の連載を一冊の本にまとめたものだ。
星野源さんが、細野晴臣さんに相談をするという体裁を取っている。
星野源さんに興味を持ったのは、NHKのLIFEというコント番組を見てから。その前から知らなくはなかった。作家でミュージシャンで役者でもあり、くも膜下出血で倒れて復帰して来て、再び音楽も役者も始めているという人だということは知っていた。
ずいぶんと多才なようだけど、どうなの? という印象しか持っていなかった。
LIFEを見るのも、コント番組というのがこの世から減ってしまって、どうしようもないバラエティ番組ばかりになってしまっているからというのが大きな理由。いまどきのコント番組も悪くはないと思って見ている。
ムロツヨシさんが出ているというのもあるけれど(笑)(←やたらと目に付くムロツヨシ。なぜか気になるムロツヨシですよ^^;)
その番組で、不思議な温度でたたずむ星野源……。
なんで出ているの? と思うわけだ。
そこでこの本。細野晴臣さんが相手というから、何気なく読んでみた。
1981年生まれの星野源さんを相手に、1947年生まれの細野晴臣さんがどんな話をしているのか。いまどきの若い人の考えってどうなのかという興味もあった。
若いと言っても、今年34歳。うむ。若くはないか。でもこの対談を始めたころは26歳。ま、若いな。
これを読んで、星野源さんというのは、いわゆる、昔でいうところのサブカルチャーなのだと思うのだけれど、そういう場所にいる人なのだなということがわかった。
なので多才と言ったらいいのか。(昔のサブカルチャーと言ったら、何でもやる人が多かったからね)。
そしてちゃんと自分の言葉を持っている人だということがわかった。なんというか、いまどきの若者は、ちゃんと自分の言葉を持っているのか? という疑問があり、要するに、インターネットの普及のお蔭で、何でも調べれば出てくる時代。検索能力さえあれば、自分でものを考えなくても何とかやっていけるような状態にある。なので、そういう若者ばかりになっているのではないか、と思っていたのだ。
でも、そりゃそうだ。こんな創作活動をしているんだから、自分の言葉を持っていなくてどうする、っていう話になる。
私はちょっとバカにしていた、こういう若者を。でも細野晴臣さんを相手にして、ちゃんと自分の考えていることを話しているではないか。
ほっと一安心の若者像。
この対談のなかでとても印象に残った話があった。
細野さんが「……あらゆる音楽はもう全部聴き尽くしたなって白けた感じだったの。ところがそれは無知だということが最近わかった。新しい音楽に発見はないんだけど、古い音楽には発見がいっぱいあるんだよ。これは“今までにない体験”なんだよね」と言うと、星野さんは「自分は2000年にバンドを始めたんですが、その頃、もう直線的な時代じゃないというのは感じていました。……立ち止まっているというか、前じゃなくて周りが広がって行くというか、いままでの立体の法則が変わってきたという感じがあって。モチベーションの持ち方みたいなものを見つけるのに、ものすごく時間がかかったんですよ」と言う。
そして「時代の波がない中、いろいろともがきながらサケロックをやってきて思ったのは、さっき細野さんがおっしゃったように、面白いことというのは常に自分が考えないとダメなんだろうなって。もう時代が協力してくれないという感じがあるんですよね」と。
「だから、ゼロ年代って言うのはやめたほうがいい。今、軸は、年代じゃなくてそれぞれの個人にあると思うんです」、「縦じゃなくて横の広がりということなんでしょうね。だからこそ爆発的なヒットは生まれにくいんだろうけど、その人その人の世界が横一列でぶわーっと並んでいて、それは面白いんじゃないかと思うんです」と言うのだった。
それを細野さんは「いいこと言うねぇ」と言うのだけれど。
この話は、細野さんが書いたあとがきでも触れられていて、「長く生きていれば、相談のひとつやふたつは乗れるが、星野くんの相談は延々と続いた。それはもはや相談ではなくなり、問いかけになっていった。その中で星野くんの言った言葉が今回のテーマになっていることに気がついたのだ。それは『今、軸は、年代じゃなくてそれぞれの個人にあると思う……』という件だ。この相談も、若者とオッサンの対話ではなく、個人と個人のお喋りなのである。それも日々生きていく生活の話だったり、それぞれ固有の身体感覚であったり……そういう普段は人に話さないことの確認だったりする」とある。
これらを読んで、あっと思った。
老いも若きも同じ悩みを時代とは関係なく抱いているのだと。いや、同じ悩みというのは違うか。年代ではなく、個人であるということ。
年代で一括りではなく、個人でそれぞれ見ているということ。
つまりは、自分が感動している横にいる人は、同じ年代の人ではない。ふと横を見ると、20歳も離れた人がいるかもしれない、ということなのだ。
星野源さんはよく考えている。ずいぶんとその考えにたどり着くまで時間がかかったと言っているけれど、それは自分で体験して、創り出すということをしっかりしようと考えたからだと思う。確かにモチベーションを持ち続けようと思うと、その壁にぶち当たることは想像できる。そこから、それをどう打開するかと自分で考えるか、それとも適当に流すかということなのだと思うのだけれど、星野さんはちゃんと考えた。
そして見つけたのが「年代ではなくそれぞれ個人にある」「横の広がり」ということだった。
自分より若い人がこういうことを考えているということを知って面白かったし、横にいる若者に同じように話しかけることもできるのだということがわかった。
先日、恩師の奥様とも、「昔は楽しかったわね~。面白いことがたくさんあったわよね」と話をしたところだった。そして「なんでいまは面白くないのかしら」と2人で首をひねったのだった。
きっと昔面白がったことでも、まだまだ見つけられることはあるし、それを横にいる若い人に話をしても、通じるかもしれないということなんだ。
「年代ではなく個人」。
装丁を見ると、サブカルのお手軽書籍なのだけど、読んでみて、結構面白くて、発見があった本だった。
おしまい。
どうもご無沙汰しちゃってます!
久々に実施設計が3つも重なっておりまして土日もなくPCがフル稼働していてなかなかログイン出来ずに過ごしていました。
toroさんの着眼点にはいつも感心しちゃいます。^^
星野源さんは数年前にヒットした「くだらないの中に」って曲の歌詞がじわじわと面白いな〜って思って聞いていたら、
JWAVEでの話も上手で仕事をしながら耳を傾けておりました。アーチストっぽくないところもいいですよねぇ。
細野さんの「それぞれ固有の身体感覚であったり……そういう普段は人に話さないことの確認だったりする」
っていうのは歌詞からも感じられる言葉だなぁ〜と何だか頷いてしまいました。^^
そこまで踏み込んで発信が出来る数少ない表現者なのでしょうね。
by nakasama (2015-05-22 10:09)
*nakasamaさま*
お久しぶりです^^ お忙しいのは何よりです。無理だけはせずに……。
星野源さんの不思議な感じは、何なんだろうな~と思った結論がココ、というのが面白かったです。
いまミュージシャンの本を立て続けに読んでいて、いろいろと考えさせられているんですけどね。
また、ほかの本については改めて記せたらいいなと思っております。
細野さんも面白いですよね。
by toro (2015-05-24 17:37)