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備えられるのなら備えたい [本の感想]

てんでやる気が出ない日々が続いていまして、「これは更年期障害もピークか?」なんて独り言を言って、なんとかやり過ごそうとしていますが、なかなかそうは問屋が卸さないのが寄る年波なんでしょーなあ。

不安が渦巻いている心には、不安を取り除くための経験や知識が物を言うはずと、何か月かぶりの読書欲が湧いてきました。(欲が出てくるなんて、不幸中の幸い?^^;)

と、その前に。

仕事で東京は下北沢を訪れることが多かったこの数か月。

ご存じのように、小田急線のホームが地下に潜り、ごちゃごちゃした下北沢の風景が変わりつつあります。
これはピーコックがあるほうですね(わかる人にはわかる)。
下北1.jpg

線路の跡はこんな感じで工事が進められています。
下北3.jpg

下北4.jpg
基本的に、下北沢という町は普通に住宅地なんですよ。
下北6.jpg

下北2.jpg
ところどころにお屋敷のような家もありますが、雰囲気としたら庶民の町。

他の仕事でも、世田谷区内をふらふらと歩くことがあって、いろいろな表情を見てきています。

おそらく高級住宅地のイメージがある人も多いと思いますが、いやいや、古くからの街並みが残り、道路も昔の面影を残すかのようにくねくねと入りくんだところがあって、地図が読める女の私でさえ道に迷った場所もありました。

下北沢のみならず、世田谷区内にはそんな場所がたくさんあるのです。

そこで元に戻るのですが。

不安の原因のひとつに地震(自然災害)があります。

スマトラ島沖で起きた地震のあと、数年の間に周辺で大きな地震が何度も起きています。火山も噴火している。それを考えただけでも、東日本大震災のあとにこの周辺で起きてもおかしくない。

とにかくあの地震の揺れと津波被害を改めて想像しただけでもくらくらとしてしまいます。できることなら起きてほしくない災害。

そんなわけで地震予知サイトなんていうのも、毎日のように見ていたりして。

とくにいろいろなデータを分析して地震の危険性を教えてくれるメールマガジンは、毎日読んでいるのですが、そこで関東大震災が起きたときのような危険が迫りつつあると、数日前から伝えてきました。
http://www.tochiginokenkyusha.com/

お陰で心がざわざわするったらない(笑)

そんなときに下北沢の町を歩いて、ここで地震に遭ったりしたら危ないかもしれないなあ、なんて思っていました。

とにかく東京都という都市は関東大震災を経験しているはずなのに、その経験を踏まえた町づくりがなされていない。なぜなんだろうという疑問が、ずーっと頭のなかにあります。

東日本大震災では今後の津波被害をなくすために、高台に住宅を作るなどの工夫が考えられています。それを実現させるためには時間もお金も要するでしょうが、人の命のほうが大切。被害を少なくすることができるのなら、そうしたほうが断然いいに決まっています。

それを考えると、そんな工夫を何で東京はしてこなかったんだろうかと。できなくはなかったのではないかと思って仕方がありません。

先日、こんなTV番組を見ました。

『BS歴史館「関東大震災90年~“防災”に賭けた二人の男~」』

NHKのサイトによるとこんな説明があります。

『今から90年前、1923年9月1日に発生した関東大震災。死者およそ10万人、史上最悪の都市災害だった。当時、これに立ち向かった二人の科学者がいた。今村明恒と寺田寅彦だ。関東大震災を予測した今村は、震災後、地震予知をどう防災につなげるかに腐心し、一方寺田は地震の原因を地球物理学的に究明するかたわら、防災意識の喚起に努めた。9月の防災週間に、二人の科学者の防災への提言を見つめ直す。』

この今村明恒氏という人は、「関東で大きな地震が起きる可能性がある。そのために防災を行うこと」と訴えてきた人であったそうですが、そんなことを言っては住民にパニックを起こさせてしまうと批判されていたということです。

今村氏については、興味深いサイトを見つけました。
『地震予知の語り部・今村明恒の悲劇』 http://shima3.fc2web.com/kiyou-imamura.htm

この番組を見て、このサイトの文献を読んで、防災意識を高めるのは並大抵のことではできないのかと、ふと思ったりしました。

ただ東京がこういうごちゃごちゃとした都市になってしまった背景には戦争があり、空襲で焼け野原になってしまったということがあります。空襲後、何とか生活していける町が作られていったのでしょう。とにかく生きることが優先されたでしょうから、防災のための家づくり、町づくりなんて不可能に近かったのだろうと想像できます。

人が起こした戦争のために、自然災害に強くなる都市が作られなかったのだとしたら、皮肉以外の何物でもないですね。
(同潤会アパートなど、防災を考えた建物づくりもされていましたが、やはり戦争のせいでうまくいかなかったという背景があるようです。これはこれで調べていくといいかもしれないですね。いまの住宅整備公団の体たらくを見れば、どんな経緯を辿ってきたのかわからなくはないですが^^;)


そしてこの番組やサイトを見る前には、こんな本を読んでいました。

今和次郎 採集講義

今和次郎 採集講義

  • 作者: 今 和次郎
  • 出版社/メーカー: 青幻舎
  • 発売日: 2011/11/30
  • メディア: ペーパーバック



震災画報 (ちくま学芸文庫)

震災画報 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 宮武 外骨
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/08/09
  • メディア: 文庫


関東大震災後、市井の人はどうしたのだろうかと思って手にした本です。

今和次郎氏は考現学的な観点から震災後の建物に注目していました。震災バラックの調査を行い、はては「バラック装飾社」なるものを起ち上げて、バラック建築を手がけています。
(震災後の建築物に関してはこのサイトに興味深い記載がありました。http://www.sainet.or.jp/~junkk/jikuutanbou/jikuumatinami.htm

宮武外骨氏は、まさに市井の人に目を向けた記事を書きまくっていました。そして震災からわずか3週間後に、この「画報」を出版したのです。(外骨さん、かっけー^^)

ここに書かれている震災後の、あちらこちらに貼られた尋ね人の貼り紙の話などは今も昔も変わらないと改めて知ることができました。また誤報やデマが駆け巡った話を皮肉りつつも書かれているところなど、大変面白く読みました。震災直後の東京が手に取るようにわかるからすごい。

上からの目線ではなく、庶民の目線だから想像もしやすい。

これまで、関東大震災がどのように起きたのかばかりに目が行っていましたが、果たしてそれが防災に役立つのかと思っていました。

実際に震災に遭った人の話。震災に遭った人がその後どのような行動をとったのか。それが知りたくて、この本を手に取ってよかったと思いました。防災に役立つものと言ったら、震災に遭った普通の人の話を聞くのが一番だと思います。



そうして下北沢。(クリックで拡大)
下北7.jpg

小田急線が地下に潜った跡のこと。この地上は、その後遊歩道になるのだと思いますが、この土地は万が一の震災時に、とっても役立つのではないのかという気がしたのです。

狭い道路ばかりでごちゃごちゃとした町に、すっと一本道が通ると。

何となく、いい感じ。
下北5.jpg



なにはともあれ、とにかく地震がなけりゃーいいんですが……。

おしまい。

覚書
後藤新平: 大震災と帝都復興 (ちくま新書)

後藤新平: 大震災と帝都復興 (ちくま新書)

  • 作者: 越沢 明
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2011/11/07
  • メディア: 新書


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コメント 4

東雲

こんばんは。
模様替え、されたのですね?
一瞬・・・「あれっ?間違えた?」なんて思っちゃいました^^;
とても素敵なお部屋にお邪魔しているような気分に浸れます。

さて、地震ですが・・・
私の中の恐かった地震は、新潟地震と阪神大震災です。
新潟地震はまだ小学校前の幼い時でしたが、
あの時の恐ろしさは 今でもはっきりと憶えています。
そうそう・・・、東京オリンピックの年ですよ~
丁度母や弟たちとお昼寝タイムに入ろうかという時でした。
箪笥の扉は開き、その上の物は全部落ちてくるし、
とっさに母は 足踏みミシンの中に私たちを押し込め・・・、
そんなあれこれが 50才を過ぎた今でも やっぱり忘れられないんですね。

阪神大震災は 奈良に居ましたので、大きな被害はなかったですが、
主人の会社の人たちや 知人が被災したこともあって、
色々な意味で これも忘れられません。
あの時はね・・・、東と西の“温度差”を感じたんですよね・・・。

その時に感じたような事を 東日本大震災の時にもね、感じたんです。
仕方のない事、なのでしょうが、“遠い所での出来事”としか捉えられない
人達の会話を聞くのが イヤでたまらなかったです。
こっちだって西方沖地震があったわけで、これからも可能性はあるのに。

もし、大きな地震が来たら その時はその時。
と 自分の事については余り深く考えないのですが、
関東に居る娘たち家族の事を想うと、toroさんのように
ザワザワと落ち着かないイヤな気持ちになるんですよね・・・。

地震・・・、本当にないといいですね。
でも、きっと あるだろうなぁ・・・;
・・・長々と失礼致しました _(._.)_ 
by 東雲 (2013-09-12 21:59) 

nakasama

8年間三軒茶屋に住んでいたので、歩いて下北沢まで行った事もあります。
道路の複雑さはおっしゃる通りですね。
うっかり近道しようと思うと方向感覚がわからなくなります。
昔は渋滞の246を通らずにタクシーで裏道を指示すると、お礼を言われたりしましたが...もうすっかり道も忘れてしまってるわ〜。笑

私も先日NHKの「MEGAQUAKEⅢ 巨大地震」を見ちゃいまして、東京オリンピック2020はホントに良かったのか複雑な心境で過ごしておりますよ。
「世を騒がせるだけだ」っていうのは今も昔も政治の根底にあるんだな〜っていうのは原発のことでも骨身に滲みてますもんね。
国や都は、これをチャンスに防災対策も...ってところは感じますが、下町やこういう住宅地のインフラ整備はほんとに難しい。

あ、バラック装飾社面白そうです。^^読んでみようかな〜?
toroさんの視点は面白いなぁ。
by nakasama (2013-09-13 10:12) 

toro

*東雲さま*
ちょっと気分転換で、模様替えをしてみました^^

私も阪神淡路を京都で経験しているのですが、あの地震のお蔭でいまの
家はRC造りで建ててしまったというくらい、地震が怖くて仕方ありません^^;
京都は地震がないと聞いていたのに、「嘘だったのかっ!」と叫んでいましたよ(笑)
なるようになるとは思うのですが、それでもいろんなことを想像してしまう
のですよね~。
地震が起きたら、病弱な猫はどうしたらいいんだろうとか。
些細なことではあるのですが、だったら被災した人のその後の行動が
わかれば、備えておくべきことが見えてくるのではないかと思って、
ひたすら文献を漁っているところです。
東京は火災で多くの人が亡くなっているので、防火をずいぶんと考えた
建物になったようですが、いまではそれすらも忘れ去られつつあると。
道幅も広くしたはずなのに、世田谷区内の住宅地などは迷路のような
ところがあるんですよ…。何で区画整理がされなかったのか。
神戸のピンポイント的な被害と違って、東京で地震があったら、どれほどの
被害が拡大するんだろうと…想像しきれず。む~、怖いです;;
ま~死んだら元も子もないですけどね~(笑)

*nakasamaさま*
三茶に住んでおられましたかっ。本当にあの辺りの迷路のような道路には
驚かされます。
何回か歩いているうち、一度だけでしたが真剣に迷ってしまい、コンパスで
方角を確認したほどでした。
その昔は田んぼや畑であったところもあるでしょうし、64年の東京オリンピックでの
開発やらも多少は影響しているのかなと想像しています。
いろんな権利(利権も)あって、インフラ整備が難しいんでしょうね。
もうねえ、政治や行政がぐいぐいとやらねばならなかっただろうに、
でもダメなものはダメと。今も昔も変わらずって感じですよね。
そして「MEGAQUAKEⅢ 巨大地震」も見ちゃいましたか。
見ちゃいますよね~。NHKの番組は考えさせられるものが多いです。
いや~本当に、「何で? どうして?」と思うことが多すぎですわ~。

*めりっささま*
ありがとうございます。
by toro (2013-09-13 11:51) 

toro

*yamさま*
ありがとうございます。
by toro (2013-09-17 14:12) 

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