結局読んだ。 [本の感想]
全くしつこい話であるが、「正しさの人は、他人を幸せにできない」という町山智浩さんの言葉から、それは一体どういうこと? と思いつつ、たまたま読んだ本からたどり着いた「結婚失格」という本。
どうやらここに町山さんのいう「正しさの人」がいるということを知り、結局読みました。
読んだので、一応書いておくべきだなと勝手に思って、キーボードをポチポチ打ち始めております。
読後、ひとことで言えば「あ~~~~」……と段々とテンションが下がっていった。もうねえ、「あ~~~~……(はあ)」って感じだ。
確かに「正しさの人」といわしめる人だけあるな~。
内容というと、AV監督の速水(実際は歌人の枡野浩一さん)が、突然妻に出て行かれ、離婚を突きつけられ、そして親権を争って調停(→裁判)を行い離婚に至るというその顚末記。
元妻はドラマの脚本家の香となっているが、実際は漫画家の南Q太さんということだ。
とってもセキララに(なんだと思うが)男の心情が書かれていて、親権を争っているときの子どもに対する思いというのは同情する余地もあるのだが、しかし全く自分のことしか書いておらず。相手を思いやる言葉というのが見当たらない。
自分は妻の弁護士からの連絡にうんざりしながら、でも食べものが喉を通らず、痩せてしまっているとかね。何だか痩せたことを嬉しそうに書いているのだ。本人はそう思っていないだろうけど、字面から感じる。
そんなことから始まり、とにかく自分の子どもに会いたいのに妻は会わせない、家賃だって僕が払っていたのに、子どもの世話だってしていたのに、何で僕から逃げていくんだ~! と怒っているんだ。
そして子どもに会うために保育園まで行ってみたり、保育園の散歩先まで訪ねてみたり、涙ぐましい努力をする。
でも何で妻は逃げるように出て行ってしまったのか、何で子どもに会わせないのか。それをこの人は考えているようで考えていない。そこが摩訶不思議な心の持ち主だなと感じさせる。
何故、妻はとにかく離婚したいと思ったのか…考えてみようよ、枡野さん^^;
町山さんもあとがきで書いていたが、こんなくだりがある。
「思ったことを面と向かって言えるような性格だったら物書きはやっていない……と、香はある夜に泣いていた。けれど、いくら物書きだからといって、何も言わないで相手に自分の気持ちをくみとってもらおうなんて、虫がよすぎるんじゃないか。こっちは超能力者じゃないのだ。」
……わかってない(笑)
人の気持ちを察するということもできないんだ、全く。
そして自分は正しくって、相手は間違っているという図式を一向に変えてみようともしない。
かなわないなあ~。こういう人を論破するのも一苦労だろうし、面倒くさい。逃げたくもなるよなあ。
で、当初は妻は慰謝料と養育費を要求するのだが、裁判となったとき、ほとほと呆れたんだろうと思う。妻のほうが慰謝料を払ってこれを終わりとするのだ。
始めに養育費を要求したということは、少なからず妻のほうは繋がりを持っていてもいいと思っていたんだよね。それが妻の思いやりというものだと思った。でもあまりにエスカレートして、夫のほうが理解を示さないから、妻はお金を払ってでもいいから縁を切ろうと思ったんだよ。
そこまでされても自分の非に気づかないっていうのもすごいなあと思った。そして、それを作品の中に書いてしまっているということも。
妻に慰謝料を払ってもらって、自分の弁護士費用が払えるから、「ああ、よかった」って思っているんだもん。なんだかなあと思うよ。
最後に同業である歌人の穂村弘さんの特別寄稿があり、そこに穂村さん自身「僕は普通の人」と言っていて、タイトルに至っては『僕が君ならそんなことはしない』だもの。
さらにあとがきの町山智浩さんは「正しさの人は、他人を幸せにできない」と、バッサリだから……。
はあ、とため息も出るよなあ。
正しさの人は大変だ。頑張ってくれ、枡野さん…。
そして元妻とはどういう人なのか。片方の話だけを読むだけではわかりようがない。もちろん、中立である考えもしたいということで、この本を買った。私もしつこいね。
枡野さんと離婚して、その後知り合った人との結婚と、その生活について書いたエッセイ本。
「頭がおかしくなったんじゃないか?」と枡野さんに、『結婚失格』では書かれていた元妻の南さん。多少ヘンテコリンな考えの持ち主のようではあるが、今度の結婚はうまくいっているようで、ちゃんと夫婦間でのコミュニケーションが取れている。
話し合っている場面が何度も出てくるから、そういう努力をしようと思ったんだろうね。前の夫は話し合っても「正しさの人」だったから、論破されるばかりで話にならなかったんだろうなと想像できる。その点、いまの夫は話を聞いてくれる人であり、理解しようとする人なようだ。
何だか、「よかったね、南さん」と声をかけたくなったよ。
さて「正しさの人は、他人を幸せにできない」という話はここで終了。
しつこく読み進めた私もバカだなと思いつつ…。
最後に、「正しさの人」を見分ける方法として、こういう人はたぶん、「おかげさま」とか「おたがいさま」とか、そんな言葉は使わないと思う。
「おかげさま」や「おたがいさま」という、人を思いやる言葉を知らないんじゃないかな。
使ったとしても、口先だけに感じるだろうな。
…アスペルガー? ということもあるかもしれないけれど、学ぶことでわかる人もいるかもしれない。いや、わからないや(笑)
結局は「触らぬ神にたたりなし」です。はい。
おしまい。
どうやらここに町山さんのいう「正しさの人」がいるということを知り、結局読みました。
読んだので、一応書いておくべきだなと勝手に思って、キーボードをポチポチ打ち始めております。
読後、ひとことで言えば「あ~~~~」……と段々とテンションが下がっていった。もうねえ、「あ~~~~……(はあ)」って感じだ。
確かに「正しさの人」といわしめる人だけあるな~。
内容というと、AV監督の速水(実際は歌人の枡野浩一さん)が、突然妻に出て行かれ、離婚を突きつけられ、そして親権を争って調停(→裁判)を行い離婚に至るというその顚末記。
元妻はドラマの脚本家の香となっているが、実際は漫画家の南Q太さんということだ。
とってもセキララに(なんだと思うが)男の心情が書かれていて、親権を争っているときの子どもに対する思いというのは同情する余地もあるのだが、しかし全く自分のことしか書いておらず。相手を思いやる言葉というのが見当たらない。
自分は妻の弁護士からの連絡にうんざりしながら、でも食べものが喉を通らず、痩せてしまっているとかね。何だか痩せたことを嬉しそうに書いているのだ。本人はそう思っていないだろうけど、字面から感じる。
そんなことから始まり、とにかく自分の子どもに会いたいのに妻は会わせない、家賃だって僕が払っていたのに、子どもの世話だってしていたのに、何で僕から逃げていくんだ~! と怒っているんだ。
そして子どもに会うために保育園まで行ってみたり、保育園の散歩先まで訪ねてみたり、涙ぐましい努力をする。
でも何で妻は逃げるように出て行ってしまったのか、何で子どもに会わせないのか。それをこの人は考えているようで考えていない。そこが摩訶不思議な心の持ち主だなと感じさせる。
何故、妻はとにかく離婚したいと思ったのか…考えてみようよ、枡野さん^^;
町山さんもあとがきで書いていたが、こんなくだりがある。
「思ったことを面と向かって言えるような性格だったら物書きはやっていない……と、香はある夜に泣いていた。けれど、いくら物書きだからといって、何も言わないで相手に自分の気持ちをくみとってもらおうなんて、虫がよすぎるんじゃないか。こっちは超能力者じゃないのだ。」
……わかってない(笑)
人の気持ちを察するということもできないんだ、全く。
そして自分は正しくって、相手は間違っているという図式を一向に変えてみようともしない。
かなわないなあ~。こういう人を論破するのも一苦労だろうし、面倒くさい。逃げたくもなるよなあ。
で、当初は妻は慰謝料と養育費を要求するのだが、裁判となったとき、ほとほと呆れたんだろうと思う。妻のほうが慰謝料を払ってこれを終わりとするのだ。
始めに養育費を要求したということは、少なからず妻のほうは繋がりを持っていてもいいと思っていたんだよね。それが妻の思いやりというものだと思った。でもあまりにエスカレートして、夫のほうが理解を示さないから、妻はお金を払ってでもいいから縁を切ろうと思ったんだよ。
そこまでされても自分の非に気づかないっていうのもすごいなあと思った。そして、それを作品の中に書いてしまっているということも。
妻に慰謝料を払ってもらって、自分の弁護士費用が払えるから、「ああ、よかった」って思っているんだもん。なんだかなあと思うよ。
最後に同業である歌人の穂村弘さんの特別寄稿があり、そこに穂村さん自身「僕は普通の人」と言っていて、タイトルに至っては『僕が君ならそんなことはしない』だもの。
さらにあとがきの町山智浩さんは「正しさの人は、他人を幸せにできない」と、バッサリだから……。
はあ、とため息も出るよなあ。
正しさの人は大変だ。頑張ってくれ、枡野さん…。
そして元妻とはどういう人なのか。片方の話だけを読むだけではわかりようがない。もちろん、中立である考えもしたいということで、この本を買った。私もしつこいね。
枡野さんと離婚して、その後知り合った人との結婚と、その生活について書いたエッセイ本。
「頭がおかしくなったんじゃないか?」と枡野さんに、『結婚失格』では書かれていた元妻の南さん。多少ヘンテコリンな考えの持ち主のようではあるが、今度の結婚はうまくいっているようで、ちゃんと夫婦間でのコミュニケーションが取れている。
話し合っている場面が何度も出てくるから、そういう努力をしようと思ったんだろうね。前の夫は話し合っても「正しさの人」だったから、論破されるばかりで話にならなかったんだろうなと想像できる。その点、いまの夫は話を聞いてくれる人であり、理解しようとする人なようだ。
何だか、「よかったね、南さん」と声をかけたくなったよ。
さて「正しさの人は、他人を幸せにできない」という話はここで終了。
しつこく読み進めた私もバカだなと思いつつ…。
最後に、「正しさの人」を見分ける方法として、こういう人はたぶん、「おかげさま」とか「おたがいさま」とか、そんな言葉は使わないと思う。
「おかげさま」や「おたがいさま」という、人を思いやる言葉を知らないんじゃないかな。
使ったとしても、口先だけに感じるだろうな。
…アスペルガー? ということもあるかもしれないけれど、学ぶことでわかる人もいるかもしれない。いや、わからないや(笑)
結局は「触らぬ神にたたりなし」です。はい。
おしまい。
夫婦の事は夫婦にしかわからないと思いますが、10年経っても離婚出来ないままの友人夫婦がおりますです・・・。
(離婚出来ない前に話が出来ないまま10年経過)
どっちの話もわからないではないのですが、それを周囲に伝えるよりもお互いに話し合えよー!っていうのが周囲の共通意見なんだけれど、そういうことなんだろうなぁ・・・と。(←そういうことって・・・日本語って便利ね)
by nakasama (2010-11-24 16:28)
*nakasamaさま*
>そういうことなんだろうなぁ・・・と。
となるところが、想像力のなせるわざですよ~。
これが乏しい人は生きていくのが厳しいだろうな~と思います。
ま~、運良くうまくいってしまう人は、うまくいくんでしょうけれどね。
諦めることとか、退くこととか、逃げることとかも、ちゃんと選択肢で
用意できるか…ということも大事だなあ~、と私はぼうっと考えて
いました^^;
by toro (2010-11-25 08:11)
割れ鍋にとじ蓋・・・昔の人はいいことを言う。
家なんかも間違いなくそんな感じかな?
義兄のとこは10年なんてもんじゃ~ないわ。20年位別居してるけど、
籍はそのまんま。
義姉30代の頃なら人生やり直せるのに・・・なんで? って思った。
人生もったいないな~。
by こぎん (2010-11-25 09:00)
*こぎんさま*
こぎん姐さん! お元気でいらっしゃいますか?
コメントが書かれていてうれしかったです^^ 心配していますよ~。
体には、とにかく気をつけてください。
>割れ鍋にとじ蓋…まさに。うまいことを言いますよね。
そうそう、やり直せるのに、っていうのは私も思います。
時間がもったいない…って自分なら思うんですけどねえ~^^;
by toro (2010-11-26 09:36)