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編集も変われば雰囲気も変わる。 [本の感想]

何となく買い続けている雑誌がある。「en-taxi」。扶桑社から出ている雑誌はあまり好きではないのだが、これだけは買ってしまっている。あのリリー・フランキー氏の「東京タワー」を連載していた雑誌だ。

当初、読み始めたときはとんがっている感じがして、なかなかとっつきにくかったことを覚えている。ケンケンした感じといえばいいのか。背伸びをしすぎといえばいいのか。無理にそこまで手を伸ばさなくてもいいんじゃないか?という感じで、わかりにくさ(自己満足感)満載だった。

初めの頃は嫌いな作家がかかわっていたということもある。だけど、手にしていた雑誌だった。

「超世代文芸クオリティマガジン」と銘打っているんだな。今ごろ気がついた(笑)

Vol.32のspring2011号を読んでから「あら?」と思った。印象が変わりつつあったのだ。実にとっつきやすくなり始めていた。図らずも緊急特集として「作家たちの東日本大震災」を取り上げており、何か曲がり角に差し掛かったところ、未曾有の災害が起きてしまい、その勢いでハンドルを切ったという感じだ。
en-taxi No.32 大特集 東日本大震災 (ODAIBA MOOK)

en-taxi No.32 大特集 東日本大震災 (ODAIBA MOOK)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2011/04/26
  • メディア: 単行本
等身大といったらいいのか。ケンケンした雰囲気が薄れてきていて、読みやすくなった。「責任編集」として参加している人が変わったからかもしれない。編集も変われば雑誌も変わっていくんだ。

今号Vol.34winter2011は「1970年代とは何だったのか」と特集している。私自身、1970年代は一番多感な時期だったせいで興味深く読んだ。

en-taxi No.34 (Winter 2011) (ODAIBA MOOK)

en-taxi No.34 (Winter 2011) (ODAIBA MOOK)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2011/11/24
  • メディア: ムック

このなかで、坪内祐三氏、和久井光司氏が「加藤和彦さん、今野雄二さん、中村とうようさんの自殺」を取り上げており、何か象徴するもののようにとらえていた。

私もこの3人の自殺は共通項があるような気がしていた。そしてこれを読んで、やっぱり同じようなことを考えていた人がいたんだと思うにいたる。

坪内祐三氏はこの3人の自殺を「1970年代的なものの終焉を思わせた」といっている。

一方、和久井光司氏は「70年代、ようやく日本にも芽生えた“ポップ・カルチャー”を牽引したばかりでなく、新しいタイプの“文化人”として我々の指標にもなった三人が、この2年のあいだに相次いで自死を選んだのだから、後輩としてはたまらない。こんな仕事をしていると老後に希望はないのか、と陰鬱になるのである。」と。

また座談会として泉麻人氏、亀和田武氏、坪内祐三氏が1970年代を語っているのだが、そのなかで泉氏がこんなことをいう。「加藤さんの自殺は、キャラを含めて伊丹十三さんと重なるんですよ」。すると亀和田氏が「ああ、彼も唐突な死に方でしたね」と続ける。

そう、伊丹十三さんの死…。

「加藤和彦さん、今野雄二さん、中村とうようさん」の3人のやってきたことを知っている人は感じたのではないかと思う。この唐突感。そして唐突に死んだ伊丹十三さん。

とくに伊丹十三さんと加藤和彦さんは、自殺という手段を選ぶことから一番遠くにいる人だと思っていた。いろんな新しいものを見つけ出し、それを紹介し、実践しながら人生を楽しんでいるように見えた2人だ。そんな人が自殺を選ぶはずがない。でもそれなのに、2人とも唐突に自ら命を絶ったのだった。

あっけにとられるとともに、この人たちはやりたいこと、やらねばならぬことが無くなってしまったんだと思った。きっと、「あ、これ以上はダメだな」とある瞬間に気がついて死を選んでしまったように思う。勘がよすぎたというのだろうか…。堪え性がなかったというのだろうか…。いやむしろ、この時点で「やりきった」という思いもあったのだと思う。本当に終わったのだ、きっと。

しかし、和久井光司氏がいうように「後輩としてはたまらない」。別に直接の後輩でもなんでもないが、加藤和彦さんような人がいて、それを見て生きてきた人間からすると、「これでもう終わりなの?」と考えてしまうからだ。これから先は、生きていても面白くないのか? とまで考えてしまう。

手本になっていた人の死というのは、かなり身にこたえるものである。

でも、70年代に芽生えて培われてきた文化は、ここで成長をストップさせたのだと思う。もう成長しない文化とはおさらば。その文化の象徴が死んだのだ。


70年代を座談会での3人が語るキーワードを抜き出してみると、「ああ、そうそう」と頷くものがたくさん出てきて面白い。

「渋谷のジロー」「公園通りのシェーキーズ」「『anan』『ポパイ』」「文化屋雑貨」「渋谷西武」「ぴあ」「宝島」「ウーマンリブ」「ガイガーカウンター」(笑)「マックスロード」「トップス」「サイフォンコーヒー」「ディスカバージャパン(国鉄)」「劇画アリス」、、などなど。

坪内氏のエッセイには「丸井と並ぶ“月賦屋”だった緑屋を西武(セゾン)が買収し…」と書いてあって、それは私にはツボだった(笑)


考えてみると、この雑誌が等身大となりつつあると感じたのは、自分と近い世代の人たちが「責任編集」を始めたからかもしれない。「坪内祐三/福田和也/リリー・フランキー/重松清」の四方。Rさんという女性が入っていたときは「???」という感じがしていたのだ。

しかし頷けるものがこうも違うと面白さも違ってくるのかと、不思議なものだ。結局、共感とか、そういうことがかかわっているのだろうな。





そして、この号で面白い! と思った記事で加藤陽子氏、佐藤優氏、福田和也氏が「排外主義」について語っている座談会があるのですが、これについてはまた。



いや~本当に面白く読めた(笑
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nakasama

なかなか雑誌を買わなくなってしまいました。
表紙は見たことあるけど中を見たことがなかったです。
今度読んでみよう。
懐かしいキーワードがいっぱいですねぇ、文化屋雑貨店か〜
ふふ、渋谷は公園通りよりファイヤー通り。
原宿は竹下通りよりキャットストリートって感じでございましたわ〜(笑)ピンクドラゴンはまだあるのかなぁ?
地下のカバラってタイ料理屋が激辛で美味しかったんですが...って
話がぜんぜん違う方へ...^^;
by nakasama (2011-12-07 21:05) 

toro

*nakasamaさま*
雑誌の出来不出来というのは、読み続けていないとわからないのか? と
思ったりしいますが、夫婦で職業柄貪るように雑誌や本を読んでいるので、
「これは編集長が代わったね」なんてよく話をします。
やっぱり時代を反映しているというか…。ネットでは流動的過ぎて、
わからないことが多いです^^;
en-taxiの安定(?)がいつまで続くかわかりませんが、結構面白く
読めますよ^^

ああ、渋谷がファイヤー通りですねえ~。よくぞつけた通り名^^
…とにかく、久しぶりに「ジロー」とか「文化屋雑貨」なんて名前を見て、
笑っちゃいました。いつなくなったんですかねえ~。
by toro (2011-12-08 08:30) 

toro

*Blue☆さま*
ありがとうございます。
by toro (2011-12-08 08:30) 

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