ほそーい記憶の糸をたどってみると…。 [自分のこと]
先日、およそ30年ぶりに高校時代の友人とランチをしました。子どもがいて、さらにお酒を飲まないという人なので、いつ誘っていいものやらという感じで、とうとう30年も経過してしまったのですが。
その間、3回ほどは会っていましたが、じっくり話すということはせず、いまに至りました。
それで、話をするとなると家族の話とか、ありがちな話題ばかりですが、やっぱり高校時代の話にもなると。しかも彼女が住んでいる家は、卒業した高校から近く、「ちょっと、高校を見に行こうよ」と誘ってみました。
彼女にとってみると、いつも見ている高校なんですけどね(娘も同じ高校に在学中という…)。
行ってみると、通学路なんて全く覚えておらず、その彼女に「坂道を下ったでしょう?」と言われるも、「坂道なんてあったっけ?」と応える始末。周りは田んぼだらけだったのに、ほとんど住宅になってしまっていて、面影がない。校門にたどり着いて、ようやく「あ~、こんなだったなあ」と思い出しました。
しかし教師の名前も、同級生だった子の名前も思い出せない人がいて、どうもスカーンと記憶を失っているようなのでした。
「高校1,2年の頃は何となく覚えているんだけど、3年のときの私って何をしていたんだ?」とつぶやいていると、彼女が一言。「toroはやさぐれていたよ」…。
「ぶっ!(爆笑)」。
そういえば、何もかも投げやりになっていたよなあ~と思い出します(笑)
英語が得意で、担任に「(結構いい)某短大の英文科に推薦で入れてやる」と言われたとき、(短大にまで行って英語の勉強をしたくない…)と思って、それを蹴ってしまい、その担任から無視されるようになって、(すっげ気分悪いっ!)と思ったりとか。
英検の2級をペーパーで受かっておきながら、面接で一度わざとしょうもうない英語を使って落ち、もう一回面接を受けられるチャンスがあったのに、なんだかもう嫌になってしまって、行かなかったとか…あったなあ。
受験勉強もしているようで、全くしておらず、ぼっこぼこと受験に失敗して、一浪するのもいやだからと、いい加減に決めた短大に入っちゃったし…。
そういえば付き合っていた彼氏と別れたのも、3年生だったなあ(笑)
かなり人生を投げておりました。
「大人しくあの先生の言うことを聞いていればよかったのに…」と彼女に言われましたよ^^;
こんなことは身近にいた人しか見ていないでしょうから、久しぶりの彼女にそんなことを言われて、いろいろと思い出しました。記憶が蘇るのは面白いですねえ~。
ちなみにその彼女の旦那というのも私の友人で、いつも一緒に飲みに行くむさっくるしい男子の1人。その2人を引き合わせたのが私なのでした。お~ほっほっほ~キューピッドなのよ~~…とちょっと威張ってみたりして^^
そして高校を見に行った後、彼女の家に行き、お茶をして帰ってきました。
大学生と高校生の子どもがいる、ちゃんとした家庭におしかける私ってば、いまだにやさぐれているわ、と思ったとか思わなかったとか…。
さて、Blue☆さんのところで、「姉とおそろいの服を着るのが嫌だった」というようなコメントを残して、何で嫌だったのかな?と考えていたのですが、思い出しました!
写真をごそごそと探してみると。
ほっかむりというか、三角頭巾というのか、手作りの何かを被せられていますね~。
前髪もツンツンに切られていて、私なんぞはデコッパチが目立っちゃって、もうどうしたらいいんだろうか、という感じです(頭が大きいのを母はとっても悩んでいたらしいです^^;)。
それで、このワンピース。毎回、伯母が作ってくれていたものなのですが、ちょっと渋い赤のチェックだったと思います(時代が時代なだけに、写真は白黒が多い…)。なかなか暖かくておしゃれに作ってくれてはいたのですが…。
何しろ妹の私。姉も私も成長するわけで、洋服が着られなくなる日が来ます。そうすると、妹の私は姉のお下がりがやってくると。つまり、おそろいの洋服だと、同じ服を延々と着なくてはならなくなるということが起こるわけです。
これが嫌でねえ~ww
新しい洋服を買ってもらえる姉が羨ましくてねえ。
そんなこともあって、気づいたら、お小遣いをためて洋服を自分で買う少女になっていました。
小学校5年生の頃には自分で洋服を買っていましたよ~。
母は、娘たちに同じ洋服を着せるのが可愛いと思っていたと思います。たぶん、私もいまこんな姉妹を見ると、可愛いなあなんて微笑ましく見ていると思うのですが…。
当事者はいろんな複雑な心境でいるんですよ。ふふふ。
そんなことも思い出しました。
おしまい。
その間、3回ほどは会っていましたが、じっくり話すということはせず、いまに至りました。
それで、話をするとなると家族の話とか、ありがちな話題ばかりですが、やっぱり高校時代の話にもなると。しかも彼女が住んでいる家は、卒業した高校から近く、「ちょっと、高校を見に行こうよ」と誘ってみました。
彼女にとってみると、いつも見ている高校なんですけどね(娘も同じ高校に在学中という…)。
行ってみると、通学路なんて全く覚えておらず、その彼女に「坂道を下ったでしょう?」と言われるも、「坂道なんてあったっけ?」と応える始末。周りは田んぼだらけだったのに、ほとんど住宅になってしまっていて、面影がない。校門にたどり着いて、ようやく「あ~、こんなだったなあ」と思い出しました。
しかし教師の名前も、同級生だった子の名前も思い出せない人がいて、どうもスカーンと記憶を失っているようなのでした。
「高校1,2年の頃は何となく覚えているんだけど、3年のときの私って何をしていたんだ?」とつぶやいていると、彼女が一言。「toroはやさぐれていたよ」…。
「ぶっ!(爆笑)」。
そういえば、何もかも投げやりになっていたよなあ~と思い出します(笑)
英語が得意で、担任に「(結構いい)某短大の英文科に推薦で入れてやる」と言われたとき、(短大にまで行って英語の勉強をしたくない…)と思って、それを蹴ってしまい、その担任から無視されるようになって、(すっげ気分悪いっ!)と思ったりとか。
英検の2級をペーパーで受かっておきながら、面接で一度わざとしょうもうない英語を使って落ち、もう一回面接を受けられるチャンスがあったのに、なんだかもう嫌になってしまって、行かなかったとか…あったなあ。
受験勉強もしているようで、全くしておらず、ぼっこぼこと受験に失敗して、一浪するのもいやだからと、いい加減に決めた短大に入っちゃったし…。
そういえば付き合っていた彼氏と別れたのも、3年生だったなあ(笑)
かなり人生を投げておりました。
「大人しくあの先生の言うことを聞いていればよかったのに…」と彼女に言われましたよ^^;
こんなことは身近にいた人しか見ていないでしょうから、久しぶりの彼女にそんなことを言われて、いろいろと思い出しました。記憶が蘇るのは面白いですねえ~。
ちなみにその彼女の旦那というのも私の友人で、いつも一緒に飲みに行くむさっくるしい男子の1人。その2人を引き合わせたのが私なのでした。お~ほっほっほ~キューピッドなのよ~~…とちょっと威張ってみたりして^^
そして高校を見に行った後、彼女の家に行き、お茶をして帰ってきました。
大学生と高校生の子どもがいる、ちゃんとした家庭におしかける私ってば、いまだにやさぐれているわ、と思ったとか思わなかったとか…。
さて、Blue☆さんのところで、「姉とおそろいの服を着るのが嫌だった」というようなコメントを残して、何で嫌だったのかな?と考えていたのですが、思い出しました!
写真をごそごそと探してみると。
ほっかむりというか、三角頭巾というのか、手作りの何かを被せられていますね~。
前髪もツンツンに切られていて、私なんぞはデコッパチが目立っちゃって、もうどうしたらいいんだろうか、という感じです(頭が大きいのを母はとっても悩んでいたらしいです^^;)。
それで、このワンピース。毎回、伯母が作ってくれていたものなのですが、ちょっと渋い赤のチェックだったと思います(時代が時代なだけに、写真は白黒が多い…)。なかなか暖かくておしゃれに作ってくれてはいたのですが…。
何しろ妹の私。姉も私も成長するわけで、洋服が着られなくなる日が来ます。そうすると、妹の私は姉のお下がりがやってくると。つまり、おそろいの洋服だと、同じ服を延々と着なくてはならなくなるということが起こるわけです。
これが嫌でねえ~ww
新しい洋服を買ってもらえる姉が羨ましくてねえ。
そんなこともあって、気づいたら、お小遣いをためて洋服を自分で買う少女になっていました。
小学校5年生の頃には自分で洋服を買っていましたよ~。
母は、娘たちに同じ洋服を着せるのが可愛いと思っていたと思います。たぶん、私もいまこんな姉妹を見ると、可愛いなあなんて微笑ましく見ていると思うのですが…。
当事者はいろんな複雑な心境でいるんですよ。ふふふ。
そんなことも思い出しました。
おしまい。
まぁ、かわいい姉妹ですね^^toroちゃま〜♪うふふ。
うちは兄なので、洋服はなかったのですが、青い自転車がいかにもお下がりで嫌でしたよ。(せめて黄色にできんかったのか?と)
洋服は叔母がいつも縫ってくれてましたっけ。
なので従姉妹と3姉妹のように同じ柄の服を着ていたかも?
でもね、子供ってたいてい作ってもらった服より買った服が好きなんですよね^^;それは仕方がない。
私はお尻のポケットに赤い星のワッペンが付いた黄色いホットパンツがお気に入りでした〜。
by nakasama (2011-12-09 12:31)
今晩は!
とれもおしゃれな柄のワンピース^^
もてもての姉妹でしたでしょうw
お下がりで、ながながと着なければならない・・・・・よくわかりました。
弟もそう思っていたかも(笑)。
兄、姉には解らなかったことです。ごめんなちゃい。。
by Blue☆ (2011-12-09 22:28)
*nakasamaさま*
ホットパンツ!←そこに食いつくか? ッて感じですが^^;
私もホットパンツをよくはいていましたよ。デニムだったと思うのですが、
胸当てがついていたりして…懐かしいなあ。
ね~、お下がりって、大人に取っては一瞬のことでしょうけど、
子どもは延々と続いているみたいに思っていましたよね…。
今となってみればありがたさを感じますが…<(* ̄ー ̄)>ふふ…
*Blue☆さま*
モテたかどうかはわかりませんが、「可愛い」とよく言われて、
母がご満悦だったように覚えています。
でも私は可愛いと思っていないから、不満なんですよね~(笑)
なんか…おしとやかにしていないといけないような格好でしょう?
それが延々と続くような…
↑ホットパンツ姿で駆け回っていたいお年頃でした^^;
*あんぱんち~さま*
ありがとうございます。
by toro (2011-12-10 09:14)
わっかる~!!(笑)
うちも姉ちゃんと二人で、おさがりばっかりでした・・・
ひどいときは、いとこ二人が着て、姉ちゃんが着て、おばちゃんです・・・
でも、黒いスカートの破れを隠すのに、母が「シャープさん、フラットさん」(NHKの古い番組)のアップリケをしてくれたのが、嬉しくて、お気に入りでした、貧しくとも、心豊かな時代でしたね!!
by お好み焼き屋のおばちゃん (2011-12-11 15:50)
*お好み焼き屋のおばちゃんさま*
あはは~、わかる人がいた~(笑)
いとこからお姉さん、そして…となると、それはあまりに長く…長く…
もうね…仕方ないんですけどね、いやでしたよね^^;
「シャープさん、フラットさん」! ほそ~いほそ~い記憶の糸の先に
ちょっぴりありました。なんと懐かしいTV番組名なんでしょう。
そうそう、アップリケとかしてもらえるのは、なんだかうれしいものでした。
*xml_xslさま*
ありがとうございます。
by toro (2011-12-12 08:18)