読書好きになった頃 [本の感想]
もう立冬を越えてしまったので、暦上は冬になっているのだけど、「読書の秋」ということで、ふと自分が本を読み始めたのはいつ頃だったかと考えてみた。
きっかけは、北杜夫さんのご逝去だ。
週刊新潮で北杜夫さんの娘である斉藤由香さんのエッセイを読んでいるのだが、今週号でお父様が亡くなる前のことを書いていて、その後に北杜夫さんの本を紹介した広告があった。
それを見ていて、「あ~この本、この本」と思った小説があった。
1962年に書かれた小説だ。
私が本を読むようになったのは、だいたい小学校の5、6年生からだったと思う。父が10歳のときに他界してから家に1人でいることが多くなり、そのとき本を読むようになった。それから本を読むことが好きな友達ができて、よく面白かった本のことを話しながら小学校から下校したものだった。
「あの本の、あの場面は面白かったよね~」なんて話しながら、坂道の多い通学路をテケテケと歩いていたのだ。
いまもその友達には感謝している。彼女のお陰で本好きになったし、そこで自分で物を考えるということを覚えたのだから。いまはどこで暮らしているかもわからないけれど…。そういえば彼女は赤毛のアンが好きだったな。
なので、たぶん、「船乗りクプクプの冒険」はこの頃に読んでいると思う。
ただ内容を覚えていないのが残念なのだが、ものすごく面白かったような記憶があって、子どもだから、、、気に入ったところを何度も読み返していた気がする。
こういう面白い小説に出合えて、本を読むのが一層好きになったんだ…。
北杜夫さん、ありがとう。
それから「どくとるマンボウ」シリーズをずいぶんと読んだ。
考えてみると、好きになった作家の小説を全部読破する(してやる)というのもこの頃から始まっているかもしれない…(北杜夫さんの本は、全然読破していないけど…^^;)。
それから印象深く残っているのは「コロボックル」。
初版は1959年。半世紀も前に書かれた本。児童文学にあたるのかな…。
これはもうシリーズを夢中になって読んだ。でも誰にすすめられて読んだのだったか記憶にない。それが非常に気にあるところなのだが、教えてくれた人に感謝なのだ。
たぶん…これも友達だった彼女なんだろうな。
いまはほとんどファンタジー小説というものを読まない、超がつくくらいの現実的な人間だが、この頃はこういう物語が好きだったんだ。それを思うととっても不思議。
夢を見ていたのかなあと思う。
そうそう、この頃…そういえば「ノストラダムスの大予言」が大流行していた。「こんなことありえないだろ」と思いながらも、この大予言を読んだけれど、いま思うとこのときに「自分の老後というのはないんだ」と考えた気がする。
漠然と「結婚して子どもを産んだ頃には世界が終わるんだ~。だったら子どもなんて産んじゃダメじゃん」なんて思っていた。
なのでこんなこともリンクして、想像(妄想)の世界に浸っていたのかもしれない。
それから中学生になって、面白くて仕方がなかったのは、芥川龍之介だったという……。そこへ行くかっ!? という感じであるが、「鼻」「蜘蛛の糸」「羅生門」…。面白かったなあ~。ここでもほぼ妄想の世界に浸っておりました。
でも芥川龍之介は読破できず…(笑)
変な話なのだが、11歳から13歳くらいの頃というのは、脱皮する前の蓄えの時期だったように思う。妄想の蓄え…^^;
子どもの無邪気な想像力ではなく、自覚された想像力が培われた時期ともいえるのではないかと。
要するに自我が目覚める前の、さなぎ状態みたいな…。
何を書いているんだか…ですが、この頃があっていまがあることを考えると、これは必要な時間だったのだなと理解できるのだ。
ま~父親がいなくなったというのが大きな転機ではあったのだけど、友達もお父さんがいない人だったというのも不思議なめぐり合わせだった。
面白いもんです。
おしまい。
きっかけは、北杜夫さんのご逝去だ。
週刊新潮で北杜夫さんの娘である斉藤由香さんのエッセイを読んでいるのだが、今週号でお父様が亡くなる前のことを書いていて、その後に北杜夫さんの本を紹介した広告があった。
それを見ていて、「あ~この本、この本」と思った小説があった。
1962年に書かれた小説だ。
私が本を読むようになったのは、だいたい小学校の5、6年生からだったと思う。父が10歳のときに他界してから家に1人でいることが多くなり、そのとき本を読むようになった。それから本を読むことが好きな友達ができて、よく面白かった本のことを話しながら小学校から下校したものだった。
「あの本の、あの場面は面白かったよね~」なんて話しながら、坂道の多い通学路をテケテケと歩いていたのだ。
いまもその友達には感謝している。彼女のお陰で本好きになったし、そこで自分で物を考えるということを覚えたのだから。いまはどこで暮らしているかもわからないけれど…。そういえば彼女は赤毛のアンが好きだったな。
なので、たぶん、「船乗りクプクプの冒険」はこの頃に読んでいると思う。
ただ内容を覚えていないのが残念なのだが、ものすごく面白かったような記憶があって、子どもだから、、、気に入ったところを何度も読み返していた気がする。
こういう面白い小説に出合えて、本を読むのが一層好きになったんだ…。
北杜夫さん、ありがとう。
それから「どくとるマンボウ」シリーズをずいぶんと読んだ。
考えてみると、好きになった作家の小説を全部読破する(してやる)というのもこの頃から始まっているかもしれない…(北杜夫さんの本は、全然読破していないけど…^^;)。
それから印象深く残っているのは「コロボックル」。
だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1 (講談社青い鳥文庫 18-1)
- 作者: 佐藤 さとる
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1980/11/10
- メディア: 新書
初版は1959年。半世紀も前に書かれた本。児童文学にあたるのかな…。
これはもうシリーズを夢中になって読んだ。でも誰にすすめられて読んだのだったか記憶にない。それが非常に気にあるところなのだが、教えてくれた人に感謝なのだ。
たぶん…これも友達だった彼女なんだろうな。
いまはほとんどファンタジー小説というものを読まない、超がつくくらいの現実的な人間だが、この頃はこういう物語が好きだったんだ。それを思うととっても不思議。
夢を見ていたのかなあと思う。
そうそう、この頃…そういえば「ノストラダムスの大予言」が大流行していた。「こんなことありえないだろ」と思いながらも、この大予言を読んだけれど、いま思うとこのときに「自分の老後というのはないんだ」と考えた気がする。
漠然と「結婚して子どもを産んだ頃には世界が終わるんだ~。だったら子どもなんて産んじゃダメじゃん」なんて思っていた。
なのでこんなこともリンクして、想像(妄想)の世界に浸っていたのかもしれない。
それから中学生になって、面白くて仕方がなかったのは、芥川龍之介だったという……。そこへ行くかっ!? という感じであるが、「鼻」「蜘蛛の糸」「羅生門」…。面白かったなあ~。ここでもほぼ妄想の世界に浸っておりました。
でも芥川龍之介は読破できず…(笑)
変な話なのだが、11歳から13歳くらいの頃というのは、脱皮する前の蓄えの時期だったように思う。妄想の蓄え…^^;
子どもの無邪気な想像力ではなく、自覚された想像力が培われた時期ともいえるのではないかと。
要するに自我が目覚める前の、さなぎ状態みたいな…。
何を書いているんだか…ですが、この頃があっていまがあることを考えると、これは必要な時間だったのだなと理解できるのだ。
ま~父親がいなくなったというのが大きな転機ではあったのだけど、友達もお父さんがいない人だったというのも不思議なめぐり合わせだった。
面白いもんです。
おしまい。
*xml_xslさま*
*あんぱんち~さま*
ありがとうございます。
by toro (2011-11-17 09:45)
コロボックルってシリーズだったんですね?
読んだ記憶は少しあるんですが...イラストのイメージがぜんぜん違うような?
もっと子供向けに描かれた絵本かなにかだったのかも???
小学生の頃って何読んでたかしら?伝記ばっかりだったかも...
図書館ではじめて借りた本が「おしゃかさま」「イエスさま」だった記憶があるんですよ(伝記と思ってた?)笑^^;
ファンタジー好きですよ〜、SFも含めて...
高校生の頃に挿絵で出会った「指輪物語」は昔〜のアニメーションと数年前の「ロード・オブ・ザ・リング」と全11刊(だったっけか?)をリアルタイムで読んで見たのが自慢(←何の自慢だ?)
by nakasama (2011-11-17 10:25)
*nakasamaさま*
コロボックルはシリーズになっていましたね。
絵本というより、新書版くらいの大きさだったと思います。
これは面白かったですねえ。
うちの姉も伝記をよく読んでいましたよ~。
伝記っていろいろと出ていましたよね。
この頃、私はなかなか人に興味がもてなくて、あんまり読んで
いないんですよ…。もっと読んでおけばよかったなあと思います。
(…たぶん、この頃の蓄積がないせいで、歴史とかが苦手で…^^;)。
「指輪物語」は読むきっかけがなく、これもちゃんと読めばよかったなあ
と思う本です。。。。全部、読みましたか。う~ん、いいなあ。
by toro (2011-11-21 08:38)