ワンマン [本の感想]
趣味は読書というくらい、本を読むのは好きなのだが、3月11日に起きた震災以降ぱったりとと言っていいくらい「小説」が読めなくなった。
読むとしたら、「ノンフィクション」だったりドキュメンタリー物…あるいは「エッセイ」となってしまう。それこそ未曾有の大災害を現実のものとして体験してしまったら、小説というものに共感することができず、単なる絵空事に感じてしまうのだ。しかし絵空事、架空のこと、フィクション…なんでもいい。一瞬でも心が入り込めるような物語を読みたいと思うのだけれど、なかなかない。
そういうわけで、以前にくらべると読書量は落ちている。
さて、最近読んだ本の1つ。
北海道のTEAM NACSの一員、通称ヤスケンが書いたエッセイ。
主にヤスケンの父親のことを書いている。
ヤスケンが幼かった頃の父、弘史が巻き起こすエピソードや、さまざまな発言。記憶に残っている光景を、父親との会話のなかからも探り出し、それを言葉にしていったエッセイだ。
「父を語る」という感じではあるのだが、父親を贔屓目に見るとかそんなものは感じず、ありのままを語っているように思う。だからといって批判的というのではなく、文体からはきちんと父親への愛情、また父親から受けた愛を感じ取れる。
貧乏だから学校へは行けなかったというものの、人として重みのある言葉を発するお父さん。笑ってしまうエピソードも満載だけれど、苦労の連続の中でも家族が幸せに暮らしてきたという雰囲気が伝わってくる。
印象に残ったのは、子どもたちに対し「食わせなくちゃいけない」と言うのではなく、「幸せにしなくちゃダメだ」と言うところ。
それをヤスケンも気づいて「『お前たちを幸せにしなくちゃいけない、明日の米を買わなきゃいけない』って言ったの、素敵だね。『食わせる』って言葉を、スッと使わないんだよね。……」と言っている。
いいお父さんなんだわ。品性というものがしっかりと備わっている人なのだ。
「苦労して、一生懸命やっている時代が一番楽しい時代」
そんな風に言えたらいいものだなと思った。
果たして、私自身が父や母のことをこのように書けるか、といったら書けないと思う。理由のひとつは、父親との付き合いが短かったということもあるが、あんまり思い出したくないということがある。母親に対してもそうだ。
いつか、思い出して書ける日が来るといいけれど…と思わなくもないが。
さて、この本のなかで「ええ?」と思ったこと。
「ワンマン」という言葉。
ヤスケンが子どもの頃から、電車もバスも運転手が1人だったのに、「ワンマン」と表記するのが不思議だったというのだ。
「ええ? 不思議?」……。
あ、そうか。
そういうことか。
車掌がいる時代を知らないから、不思議に感じるのね。
そうだよね。確かに不思議だわ。いまや普通に「ワンマン」である状態だから、あえて「ワンマン」と言わなくてもいいのではないの? ということなのだわね。
確かに^^;
これはある種のカルチャーショックだった。改めて考えてみると、確かに変なのと思うようなことだけど。
そう思うと、自動券売機や自動改札機の「自動」っているのかな? なんて考えてしまった。「~機」とついているくらいなのだから、自動だろうに(笑)
ま、いいけど。
でも、いまの子どもたちは、ディズニーランド、携帯電話、PCなどがあるのが当然の暮らしをしているんだよね。生まれたときからどれもある。これってすごいなあと思う。
価値観や文化の作られ方が変わってくるのは当然だと、考えなくちゃいけないな、と思った。
あって当然というものから、価値観や文化が生まれるんだ。面白い。
なんというか…そういうことを柔軟に見ていけば、これからはいいんだろうね。
そんなことを考えた本でした。
おしまい。
読むとしたら、「ノンフィクション」だったりドキュメンタリー物…あるいは「エッセイ」となってしまう。それこそ未曾有の大災害を現実のものとして体験してしまったら、小説というものに共感することができず、単なる絵空事に感じてしまうのだ。しかし絵空事、架空のこと、フィクション…なんでもいい。一瞬でも心が入り込めるような物語を読みたいと思うのだけれど、なかなかない。
そういうわけで、以前にくらべると読書量は落ちている。
さて、最近読んだ本の1つ。
北海道のTEAM NACSの一員、通称ヤスケンが書いたエッセイ。
主にヤスケンの父親のことを書いている。
ヤスケンが幼かった頃の父、弘史が巻き起こすエピソードや、さまざまな発言。記憶に残っている光景を、父親との会話のなかからも探り出し、それを言葉にしていったエッセイだ。
「父を語る」という感じではあるのだが、父親を贔屓目に見るとかそんなものは感じず、ありのままを語っているように思う。だからといって批判的というのではなく、文体からはきちんと父親への愛情、また父親から受けた愛を感じ取れる。
貧乏だから学校へは行けなかったというものの、人として重みのある言葉を発するお父さん。笑ってしまうエピソードも満載だけれど、苦労の連続の中でも家族が幸せに暮らしてきたという雰囲気が伝わってくる。
印象に残ったのは、子どもたちに対し「食わせなくちゃいけない」と言うのではなく、「幸せにしなくちゃダメだ」と言うところ。
それをヤスケンも気づいて「『お前たちを幸せにしなくちゃいけない、明日の米を買わなきゃいけない』って言ったの、素敵だね。『食わせる』って言葉を、スッと使わないんだよね。……」と言っている。
いいお父さんなんだわ。品性というものがしっかりと備わっている人なのだ。
「苦労して、一生懸命やっている時代が一番楽しい時代」
そんな風に言えたらいいものだなと思った。
果たして、私自身が父や母のことをこのように書けるか、といったら書けないと思う。理由のひとつは、父親との付き合いが短かったということもあるが、あんまり思い出したくないということがある。母親に対してもそうだ。
いつか、思い出して書ける日が来るといいけれど…と思わなくもないが。
さて、この本のなかで「ええ?」と思ったこと。
「ワンマン」という言葉。
ヤスケンが子どもの頃から、電車もバスも運転手が1人だったのに、「ワンマン」と表記するのが不思議だったというのだ。
「ええ? 不思議?」……。
あ、そうか。
そういうことか。
車掌がいる時代を知らないから、不思議に感じるのね。
そうだよね。確かに不思議だわ。いまや普通に「ワンマン」である状態だから、あえて「ワンマン」と言わなくてもいいのではないの? ということなのだわね。
確かに^^;
これはある種のカルチャーショックだった。改めて考えてみると、確かに変なのと思うようなことだけど。
そう思うと、自動券売機や自動改札機の「自動」っているのかな? なんて考えてしまった。「~機」とついているくらいなのだから、自動だろうに(笑)
ま、いいけど。
でも、いまの子どもたちは、ディズニーランド、携帯電話、PCなどがあるのが当然の暮らしをしているんだよね。生まれたときからどれもある。これってすごいなあと思う。
価値観や文化の作られ方が変わってくるのは当然だと、考えなくちゃいけないな、と思った。
あって当然というものから、価値観や文化が生まれるんだ。面白い。
なんというか…そういうことを柔軟に見ていけば、これからはいいんだろうね。
そんなことを考えた本でした。
おしまい。
役員だけで従業員のいない・・・・・ワンマン社長です(笑)
by Blue☆ (2011-10-20 17:00)
*Blue☆さま*
ダブルミーニング~でしょうか…うふふ。
うちも働かない主婦が社長の弱小企業でワンマンですっ(笑)
by toro (2011-10-21 07:50)
そうか〜
田舎育ちなもので実家のまわりは今でも路線バスが走っていません。
んなもので、ワンマンバスっていうのは観光バスと違う路線バスの事を指している愛称なのかと思ってました。^^;昔はバスにも車掌さんがいたからなんですね?(←能天気)
もれなくうちもワンウーマンですっ!(`・ω・́)ゝ
by nakasama (2011-10-21 10:25)
*nakasamaさま*
あ、ワンウーマン、ワンウーマン、そうそう^^;
ワンマンバスは路線バスしかない…そうでしたか。
私もあんまり考えたことがなかったので、改めてワンマンと言われても、
確かにいまとなってはほとんどそうだし…と、やっぱり不思議な感じです~。
昔のバスの車掌さんのバッグというのが、大きながま口風の独特な形で、
とっても印象的だったのを覚えていますよ~。
by toro (2011-10-24 08:10)
*お好み焼き屋のおばちゃんさま*
ありがとうございます^^
by toro (2011-11-02 08:04)