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なんだろうね、これは。 [プンプン]

発言しにくいと思っている人は多いと思う。ウヨクとも思われたくないし、サヨクとも思われたくないと、思っている人も多いだろう。

訳知りな感じで理解したふりをしている人もいるように思う。

しかし「我々は、こう解釈したのだから、これを実行する」という発言へ誰がどのように信用するのか。

それを教えてほしいと思う。

「私たちが選んだ政治家だから」? いやいや違うでしょう。全く信任を得ているとは言い難い状況で選ばれている政治家の人々です。

ましてや、勉強ができて、頭がよろしい官僚たちが後ろに控えている。この官僚たちは誰が選んだのか?

何をかいわんや。

もうねえ、なんていうかねえ、書き続けますよ、私は。


安倍さんの記者会見冒頭発言を、突っ込んでみる。

【安倍総理冒頭発言】
「いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく。内閣総理大臣である私にはその大きな責任があります。その覚悟の下、本日、新しい安全保障法制の整備のための基本方針を閣議決定いたしました。自民党、公明党の連立与党が濃密な協議を積み重ねてきた結果です。協議に携わった全ての方々の高い使命感と責任感に心から敬意を表する次第であります。」

↑ 「敬意を表する」って、自分を含めているのだから、ものすごい自画自賛。このあとを読み進めると、この人のヒロイック加減が気持ち悪くなる。自己陶酔?

「集団的自衛権が現行憲法の下で認められるのか。そうした抽象的、観念的な議論ではありません。現実に起こり得る事態において国民の命と平和な暮らしを守るため、現行憲法の下で何をなすべきかという議論であります。
 例えば、海外で突然紛争が発生し、そこから逃げようとする日本人を同盟国であり、能力を有する米国が救助を輸送しているとき、日本近海において攻撃を受けるかもしれない。我が国自身への攻撃ではありません。しかし、それでも日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る。それをできるようにするのが今回の閣議決定です。」

↑イラン・イラク戦争のとき、アメリカ軍は救助輸送をしてくれましたか? してくれていないではないですか。いやそれより、この一文は理解できないんですけど。だって、日本人が日本人を救助すればいいことなのに、なんでアメリカ軍が救助することが前提なんですか?

「人々の幸せを願って作られた日本国憲法がこうしたときに国民の命を守る責任を放棄せよといっているとは私にはどうしても思えません。この思いを与党の皆さんと共有し、決定いたしました。」

↑ だから、国民の命を守るのは日本人でいいではないですか。なぜアメリカが救助することが前提になっているのか?

「ただし、仮にそうした行動をとる場合であっても、それは他に手段がないときに限られ、かつ必要最小限度でなければなりません。
 現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません。外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があります。しかし、そのようなこともあり得ない。」

↑ 変わらないという根拠は? それをどこで担保するのですか? 「一般に許されない」という言い方も曖昧。「解釈」しだいで何にでもなると思っているのではないか。

「日本国憲法が許すのは、あくまで我が国の存立を全うし、国民を守るための自衛の措置だけです。外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行いません。むしろ、万全の備えをすること自体が日本に戦争を仕掛けようとする企みをくじく大きな力を持っている。これが抑止力です。」

↑ 意味がわからない。

「今回の閣議決定によって日本が戦争に巻き込まれるおそれは一層なくなっていく。そう考えています。日本が再び戦争をする国になるというようなことは断じてあり得ない。いま一度そのことをはっきりと申し上げたいと思います。」

↑ 一層、巻き込まれるおそれがある。だいたい「アメリカの船を守る」ということ自体が巻き込まれに行くということ。

「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。その痛切な反省の下に我が国は戦後70年近く一貫して平和国家としての道を歩んできました。
 しかしそれは、平和国家という言葉を唱えるだけで実践したものではありません。自衛隊の創設、日米安保条約の改定、そして国連PKOへの参加、国際社会の変化と向き合い、果敢に行動してきた先人たちの努力の結果である。私はそう考えます。」

↑ 十分結果を残しているのに、なぜ変えようとするのか。

「憲法制定当初、我が国は自衛権の発動としての戦争も放棄したという議論がありました。しかし、吉田総理は、東西冷戦が激しさを増すと、自らの手で自衛隊を創設しました。その後の自衛隊が国民の命と暮らしを守るため、いかに大きな役割を果たしてきたかは言うまでもありません。
 1960年には日米安全保障条約を改定しました。当時、戦争に巻き込まれるという批判が随分ありました。正に批判の中心はその論点であったと言ってもいいでしょう。強化された日米同盟は抑止力として長年にわたって日本とこの地域の平和に大きく貢献してきました。
 冷戦が終結し、地域紛争が多発する中、国連PKOへの自衛隊参加に道を開きました。当時も戦争への道だと批判されました。しかし、カンボジアで、モザンビークで、そして南スーダンで、自衛隊の活動は世界の平和に大きく貢献し、感謝され、高く評価されています。
 これまでも、私たち日本人は時代の変化に対応しながら、憲法が掲げる平和主義の理念の下で最善を尽くし、外交、安全保障政策の見直しを行ってまいりました。決断には批判が伴います。しかし、批判をおそれず、私たちの平和への願いを責任ある行動へと移してきたことが、平和国家日本を創り上げてきた。そのことは間違いありません。
 平和国家としての日本の歩みはこれからも決して変わることはありません。むしろ、その歩みをさらに力強いものとする。そのための決断こそが今回の閣議決定であります。」

↑ いやいや、だから必要はないではないですか。

「日本を取り巻く世界情勢は一層厳しさを増しています。あらゆる事態を想定して、国民の命と平和な暮らしを守るため、切れ目のない安全保障法制を整備する必要があります。もとよりそうした事態が起きないことが最善であることは言うまでもありません。だからこそ、世界の平和と安定のため、日本はこれまで以上に貢献していきます。」

↑ どんな事態を想定しているのか?

「さらに、いかなる紛争も力ではなく、国際法に基づき外交的に解決すべきである。私は法の支配の重要性を国際社会に対して繰り返し訴えてきました。」

↑ その通りです。

「その上での万が一の備えです。そして、この備えこそが万が一を起こさないようにする大きな力になると考えます。」

↑ そこでどうして「備え」が出てくるのか。「いかなる紛争も力ではなく」と言っていて、「大きな力になる」と言うのは、「力」が「備え」になると言っているようなもの。大きな矛盾。

「今回の閣議決定を踏まえ、関連法案の作成チームを立ち上げ、国民の命と平和な暮らしを守るため、直ちに作業を開始したいと考えています。十分な検討を行い、準備ができ次第、国会に法案を提出し、御審議いただきたいと考えています。
 私たちの平和は人から与えられるものではない。私たち自身で築き上げるほかに道はありません。私は、今後とも丁寧に説明を行いながら、国民の皆様の理解を得る努力を続けてまいります。そして、国民の皆様とともに前に進んでいきたいと考えています。
 私からは以上です。」

↑ いままで築き上げてきた平和を否定するような発言。アメリカが作った平和憲法かもしれないけれど、そのアメリカを守るために集団的自衛権を行使するって、どれだけアメリカが好きなのか。



いやまあ、私の偏見もありますが、全く明快ではない冒頭発言で、モヤモヤだけが残る。スッキリしない。

理由や根拠の曖昧な点、ヒロイックに感じられる文言、これで国民を騙せると思っているのであれば、国民をバカにしています。薄っぺらく、陳腐さすら感じます。





神奈川新聞で、「集団的自衛権を考える」という記事が連載されている。

これが1回目の記事↓
http://www.kanaloco.jp/article/63143/cms_id/62934

つい最近の、22、23回目で安倍首相の発言を検証していて、こちらが非常に参考になりました。
22回目 http://www.kanaloco.jp/article/74005/cms_id/89627
23回目 http://www.kanaloco.jp/article/74054/cms_id/89783

神奈川県は、沖縄に次いで米軍施設の多い県です。住民のことを考えれば、真剣になるのは当然。

大手新聞が自粛しているように見えることも、どんどん報道してほしい。

神奈川新聞、頑張れ!




コメントを書きにくいことを書いていると思います。

今回もコメント欄を表示しないことにします。




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想像しよう [プンプン]

集団的自衛権というものがいかなるものか、元自衛官による発言を見つけた。

●amenmamaさんのサイトより引用。
http://amenmama.tumblr.com/

『街頭にて 元自衛官 泥 憲和さんより

突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。 集団的自衛権に反対なので、その話をします。 私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました。 日本に攻めて来る戦闘機を叩き落とすのが任務でした。

いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。 でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。 自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。 そこは、安心してください。

いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。 日本を守る話ではないんです。 売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。 売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。 それが集団的自衛権なんです。

なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。 縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、 安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。 君たち自衛官も殺されて来いというのです。 冗談ではありません。 自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。 なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。 自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。 見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。

みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。 他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。 当然ですよ。 だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。 イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。

みなさん、軍隊はテロを防げないんです。 世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。 自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。 みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。 自衛隊はテロから市民を守れないんです。 テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。 だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。

安部総理はね、外国で戦争が起きて、避難してくる日本人を乗せたアメリカ軍の船を自衛隊が守らなければならないのに、いまはそれができないからおかしいといいました。 みなさん、これ、まったくのデタラメですからね。 日本人を米軍が守って避難させるなんてことは、絶対にありません。 そのことは、アメリカ国防省のホームページにちゃんと書いてあります。 アメリカ市民でさえ、軍隊に余力があるときだけ救助すると書いてますよ。

ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。 米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。 自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。 そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。 どうしたと思いますか。 軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。 そういうものなんですよ、戦争というのは。

安倍さんは実際の戦争のことなんかまったくわかってません。 絵空事を唱えて、自衛官に戦争に行って来いというんです。 自衛隊はたまりませんよ、こんなの。

みなさん、自衛隊はね、強力な武器を持ってて、それを使う訓練を毎日やっています。 一発撃ったら人がこなごなになって吹き飛んでしまう、そういうものすごい武器を持った組織なんです。 だから、自衛隊は慎重に慎重を期して使って欲しいんです。 私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。 使い方を間違ったら、取り返しがつきません。 ろくすっぽ議論もしないで、しても嘘とごまかしで、国会を乗り切ることはできるでしょう。 でもね、戦場は国会とは違うんです。 命のやり取りをする場所なんです。 そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。

みなさん、閣議決定で集団的自衛権を認めてもですよ、 この国の主人公は内閣と違いますよ。 国民ですよ。 みなさんですよ。 憲法をねじ曲げる権限が、たかが内閣にあるはずないじゃないですか。 安倍さんは第一回目の時、病気で辞めましたよね。 体調不良や病気という個人のアクシデントでつぶれるのが内閣ですよ。 そんなところで勝手に決めたら日本の国がガラリと変わる、そんなことできません。

これからが正念場です。 だから一緒に考えてください。 一緒に反対してください。 選挙の時は、集団的自衛権に反対している政党に投票してください。 まだまだ勝負はこれからです。 戦後69年も続いた平和を、崩されてたまるもんですか。 しっかりと考えてくださいね。 ありがとうございました。』



イラン・イラク戦争(湾岸戦争)のときのことを思い出している。

あのとき、イランに残された日本人を助け出したのは誰かということ。アメリカ軍ではない。

誰もが知っている話だとは思うけれど、トルコがトルコ航空機を派遣してくれて、助け出してくれたのだ。

何かいい資料はないかと探したけれど、とりあえずNEVERのまとめ→『日本人を救出するために戦火の中フライトしたトルコ航空』


人を殺したり、傷つけ合ったりしていたら、こんなことは起こらなかっただろう。

救出しなければならない状況もなかったであろうし、人を助けた歴史があるから、助けてもらえたのだ。

殺された人の親族が、殺した人の親族を助けるだろうか。

やられたらやり返すのが心情だ。




いまこそ、想像力を駆使するべきときだと思う。



イラン・イラク戦争(湾岸戦争)が起きたとき、私は高校生だった。

その頃、付き合っていた男子は非常に敏感な人で、この戦争への反対意見をずいぶんと口にしていたことを思い出す。

私はと言えば、徴兵制ができて、同世代の男子たちがみんな連れていかれるようなことがあったらどうしようと、そんなことを考えていた。あのときだってあり得た話なのだ。

万が一のことが起きれば、連れて行かれてしまう年齢にぴったりだったから、これは一体どうなってしまうのだろうとない頭で想像した。

その後も、夫T君(その頃は夫ではないが)も徴兵されてしまったら、どうするんだ私……と、想像していた。もうほとんど妄想のようなものだけど。

しかし本当に、想像というのはそこまで及ぶものなのだ。

どうにでもできる解釈というもとで「集団的自衛権行使の容認」が閣議決定されたということは、いずれは憲法改正にまで持っていくだろう。

つまりは、戦争ができる国家になるということ。人を殺し、殺されて、そのうえで国の平和を守ろうという国家になるということ。国を守るために、人を殺し、殺されていいとする国家になること。

やったらやられ返されるということだ。

そんな国になっていいのだろうか。

私は嫌だ。








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戦争のための税金なんて納めたくない [プンプン]

「集団的自衛権行使の容認を閣議決定した」以前からもちろんのこと、ムカつきっぱなしなのですが、「日本の政治は一体どうなっているんだ!」と怒っています。

何をそんなに急いでいるのかもわからないし、どこにメリットがあるのかもわからない。どこに敵がいるのか? 

集団的自衛権なんて、結局は憲法改正のための布石としたいがためのもの。

そして、まやかしとしか言いようのない言葉をずらずらと並べた会見をする安倍さん。陳腐な男だ。

国民を騙し、戦争をしたい、武器を買いたい、武器を売りたい、儲けたい、と思っている。

それを含めての集団的自衛権の行使。

これではまるで国民は税金を、政府・官僚、大企業のために納めているようなものではないか。

国民を人ではなく、駒としか思っていない。

戦争に行かされるのは誰だ? 



だいたい、一票の格差も是正されていない状態で選ばれたような政治家たちだ。

民意が反映されない間違った選挙制度で当選しているような人たち。そんな人たちが、国民のための政治なんてできるはずがない。全く信用できない。

(民意を反映しないための小選挙区制については、この弁護士さんがわかりやすく書いている→

本当にもう、世の中はどうなってしまうんだろう。国民の声が届かない政治って……。普通に生活している人たちが支えているんだよ。その支えている人たちを蔑にするなんて、頭がくらくらして鼻血が出そうになる。

ちなみに我が家のある選挙区は、一人あたり、衆議院議員選挙は0.44票、参議院議員選挙は0.26票でしかない。

衆議院は2人投票しても足りないし、参議院に至っては4人だ。4票必要なんだよ。なんだこれ……。

これは「住所差別」ともいう。ものすごい差別。

(自分の地域の選挙区が一人何票にあたるかは、こちらで確認ができる→



6月30日、7月1日には、官邸前に多くの人が集まり、デモが行われた。

NHKではほとんど報道せず。ネトウヨのコメントの多いYahoo! では、このことをトップページに載せることは一度もなかった。

想像力がない人たちなのだろうか。「解釈」というものがいかようにもできるということを、この時点で明らかになったのに……。

私はサヨクと言われてもいい。

戦争は反対だし、戦争のための税金は納めたくない。



国民の声が聞こえない政治家に、どうにか聞く耳を持たせたいけれど、きっと難しいのだと思う。

でもあきらめないで思い続けること、言い続けること。思念や言霊は、物だって動かす。

憲法第9条が守られるよう、こちらに署名した→



キヨシローが生きていたら、なんと言っただろうということも思った。

『銃を持ったら撃ちたくなる。
刀を持ったら斬りたくなる。
軍隊を持ったら戦いたくなる。
核を持ったら核爆弾を作りたくなる。
そして平和憲法を忘れてしまう。
「永久に戦争を放棄する。人間は平等である。世界の平和のために国として貢献する」。
日本の憲法第9条はまるでジョン・レノンと同じ ことをうたっているのです。
政治家のみなさん、アメリカに言ってください。
「もう戦争はやめましょう。人を殺したり傷つけるために武器を作るのは、もうやめましょう。そんな何千億円単位のお金があるのなら、平和のために使いましょう。人類は進歩すべきです。今でも世界では戦争が行われていて人々が死んでいます。アメリカさん、僕達と手をつないでいっしょに戦争がなくなるように努力しましょう」、と日本の総理大臣や外務省はアメリカをはじめ世界中に発信するべきだ。
だって僕達はいつまでも自分の国を信じられないでいるんですよ。
(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/第33回/2002年)』

これは↓「瀕死の双六問屋」の没原稿らしいです。
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瀕死の双六問屋 (小学館文庫)

瀕死の双六問屋 (小学館文庫)

  • 作者: 忌野 清志郎
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2007/09/06
  • メディア: 文庫






それから、6月30日、7月1日は官邸前に行けなかったので、このTシャツ↓を着て外に出た。

襟には「OBSERVE ARTICLE 9(憲法九条を守ろう)」、背中には「renounce war forever(戦争を永久に放棄する)」と書かれている。
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くぅ~、剣さん、いかしている。



いつもは最後に「おしまい」と書くけれど、これは終われない。
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悪徳商法に気をつけて [プンプン]

連日の投稿でありますが、我が家にもかかってきたので、注意情報でございます。

リサイクルショップの古着買う買う悪徳商法。

事の発端は、夫T君の母親のところにかかってきた電話でした。

「映画で使う古い着物を探しています。お宅に古着はありませんか?」というものだったらしい。

何度も断ったようなのですが、その断り方に問題があり、「箪笥の奥のほうにしまってあるので出せない」とか、「一人暮らしなので、取り出すことができない」とか。

一番言ってはいけないことを言ってしまった義母でした。

「奥のほうにしまってあるのなら、お宅に伺って取り出すのにお手伝いしますよ」と言われ、翌日には来るようなことを言われたと。

「それでも、断って断って、最後には切ってしまった」と言うのですが、聞けば来る時間も言っていたというので、それなりにおしゃべりをしてしまったのでしょう。

だけど、何度も電話をかけてきてしつこかったことと、訪問されてしまうという恐怖から、近所に住む次男夫婦のところへ相談してきたのです。

これはえらいこっちゃ、ですよ。

頭は呆けてはいないけど、滑舌が悪く、一層言葉を出しにくくなっている義母。当初は、私も何を言っているのかわからずに義母からの電話を切ってしまったのですが、のちにT君に改めて義母のところへ電話をしてもらうと、怪しげな業者だと思ったらしく、「来たら玄関を開けてはダメだ。居留守を使え」と言って諭したのでした。

しかしどうしても気になるのでネットで調べてみれば、古着を買いたいと押しかけて、あげくに貴金属を出させ、二束三文で買いたたいていく業者があると知ったのでした。もう本当にえらいこっちゃですよ^^; 

そして翌朝、T君の実家に向かい、詳しく話を聞くと、その業者の電話番号を義母は聞いていたので、さっそく断りの電話を入れました。

全く……。神奈川県だっていうのに、大阪の業者でした。それもコールセンターのようなところ。「これは埒があかないな」と思いましたよ。

案の定、聞けば横浜にも支社があると言うので、そこの電話番号を教えてくれと言っても一切教えてくれず。訪問するという当日ですから、直接担当者に電話したいと言って、携帯電話の番号を聞き出そうとしても、教えてくれず。

「訪問の約束は調べることができるので」と言うので、それを調べさせてみれば、「そのようなお約束はありません」と言い出す始末。

むかーっ、ですよ(笑)

暖簾に腕押し状態になってきたので、「はいはい、わかりました」と。「事と次第によっては、消費者センターに通報しますので」と言って切りました。

と言っても、先に管轄の消費者センターには電話済みでしたが。




国民生活センターに寄せられている被害情報には、こんなのがありました。

『平成22年9月8日 着物の訪問買取…あとで後悔しても戻ってこない!

・平成22年5月関西地方
<被害内容>
「不要な着物を譲ってほしい」と女性から電話があり、少し不安だったが「ちゃんとした人を行かせる」と言うので来てもらった。着物はざっと見ただけで、今度は「貴金属を見せて」と言う。断ったが「見るだけだから」としつこく言うので見せたら、半ば強引に着物5点と貴金属を宝石箱ごと6万7千円で買い取られてしまった。キツネにつままれたような気分で、後になってとても後悔し、翌朝すぐにやめたいと申し出たが、既に手元にないと言われた。

<ひとこと助言>
・「不要な着物はないか」と電話があり、その後来訪する訪問買取の相談が増加しています。事例のように、始めは「着物」の買い取りを持ちかけますが、本当の目的は「貴金属」ではないかと疑われるケースも目立ちます。

・「電話は女性だったので来訪を承諾したが、来たのは男性だった」「部屋の中を勝手に物色された」「断ると『手ぶらでは帰れない』と居直られた」など、軽い気持ちで頼んだのに、怖い思いをしたり、強引な勧誘にあったりするケースが多く見られます。

・業者が訪問する形態でも、買い取りの場合はクーリング・オフができません。また、後になって「やめたい」と申し出ても、「既に処分した」として取り戻せないことがほとんどです。』



平成22年とありますから、3年前くらいから横行してきた悪徳商法なんでしょうね。

ちなみに、この事例ではクーリングオフができないと書かれていますが、この後に法律が改正され、クーリングオフができるようになりました。

こちらを参照→●


そして結局、業者が来ると言っていた時間帯は義母は外出し、その後どうなったかT君の実家に行きましたが、業者が来た様子はなく、事なきを得ました。

ついでにヘルパーさんが来ていたので、ヘルパーさんにも事情を説明し、加えて、義母には「絶対に一人暮らしだからって言っちゃダメ」ときつく言ってきました。

(もうねえ、「私は一人暮らしだから」というのをよく口にする人なんですよ……。たぶんですが、「お一人でえらいですね~」と言われたい、あるいは同情されたいんだと思うんですよね。口を開けば自己主張の激しい義母なので、何をかいわんやなのですが、さすがに今回のことではきつく言うことができました^^;)


しかし、どこかからそういう業者は名簿を手に入れているんでしょうね。

自宅に帰ってきてからは、一応警察にも電話をして、通報ではなく相談という形で話をしたところ、「電話でうるさいほど断りをしたのだったら、業者も嫌がってもう来ないと思いますよ」と言われました。

まあそんなもんなんだろうなと思います。



そうして昨日のお昼、我が家にも「リサイクルショップなのですが、古着が不足していて、お宅にはありませんか?」という電話が。

電話の向こうの様子を窺えば、明らかにコールセンターっぽい。

もちろん、「ございません」と言って、即切りでございます。

雰囲気としては、うちにかけてきた業者は名簿をもとにかけてきた感じではなく、ランダムにかけてきた模様でした。


そう考えてみれば、このあたりがいま、狙われているのかもしれないです。




何というかまあ、悪徳商法も巧妙になってきていることを感じた事件でありました。

皆様、お気を付けください。


おしまい。
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端末だらけ [プンプン]

先々週の土曜日に購入したスマートフォンに、翌日からスリープ状態から起動しないという不具合が発生し、裏ぶたを開けてリセットするということが毎日のように続いた。

購入直後にアップデートした、バッテリーが冷えていると起動しなくなるという修正データも入っているはずなのに解せない。

そして入っているアプリのせいで起動しないのかと考え、不必要なアプリを削除しまくり、いらないショートカットも捨てて、タスクも削除するようにし、なんやかんやと対策を考えて行ったが全く直らなかった。

仕方なく販売店に持ち込むも、目の前で不具合が発生しないと交換は応じられないと言われる始末。

「スマートフォンと言ってもパソコンと同じで使い方によって変わってくる」だのなんだのと説明され、そんなのわかっているからいろいろと手を尽くしているのに…。しかも同時に同機種を購入した夫T君のには、全くそんな不具合は発生していない。

明らかな初期不良だろうよ~、とぶんぶん怒りながら販売店を後にした。

それでも発生し続ける同様の不具合。何度も裏ぶたを開けてリセットするのもいやになり、ついには購入8日目で放置。

そして結局auに電話して「交換してくれ」と訴えるかと受話器を手にした。相手は安心サポートセンターのオペレーター。

販売店に行って説明した内容を再び繰り返す。するとオペレーターも販売店の店員さんが言っていたのと同じような説明をしだす。

<ああ、ここでも同じことの繰り返しになるのか…>と暗澹たる気持ちになった。

でもこれではいかんと。安い買い物ではないのだから、あきらめてはならんと。だいたい家電品の初期不良なんて、さっさと換えてくれるものなのに、パソコン関係は該当しない、なんてあっちゃならん。

なんかね、「コンピューターのこととか、あなた、わかってないでしょ?」という姿勢を感じるんだ。IT系の企業にいる人間に。

おばさんはそういうのがむかつくんだよ~(笑) MS-DOS時代からコンピューターを使っている人をなめちゃいかん!←あんまり説得力がないけど^^;

ということで事細かに不具合が起きる状況、購入から起きた回数、T君のスマートフォンには全く起きていないことを説明し、「たった1週間の間にこんなに不具合が発生するのは初期不良以外考えられないでしょ!」と怒ったら、あっけなく交換が決まった。

ものすごく労力を要した。怒るのは疲れるんだよ。

それからのauの対応は早い。翌日には交換機が到着した。

私はとっととICチップを入れ替え、SDに保存したデータを移行し、いらないアプリをがんがん削除し、交換したスマートフォンを使い出した。

するとどうだろう、不具合が現れなくなったばかりか、操作性もよくなっている。

どういうこと? どれだけ駄目なスマートフォンをつかまされていたんだ?

なにもかにもあっけなく問題は解決しました。スマートフォンに振り回された1週間。なんだかね(笑)

端末.jpg

携帯電話はSONYのものを買うようにしているんですよ。

海外でも使えるという理由もあったのですが、いまとなっては「国産メーカーのものを買わねば」という使命感も帯びてきていますけどね。

それで右側が今回買ったスマートフォン。左側は以前から使用しているiPod touch(T君がクレジットカードのポイントで引き替えたという代物)。

iPod touchはWi-Fiに繋げばタブレットを極小にしたように使えるし(要するに電話機能のないiphoneですね)。それに普通の携帯電話があれば事は足りていました。が、携帯電話がぼろくなって、機種変更をするとなるとスマートフォンとなるのが趨勢。

売っているのもスマートフォンがほとんどだし、友人知人もスマートフォンを持ち出した。機能を考えると、これは仕方がないという判断でありました。


で、我が家は端末だらけなのですよ。スマートフォンも端末みたいなもんですし。

家庭内LANで繋いでいるものもあれば、Wi-Fiで繋いでいるものもあると。TVもネットに繋げているし、任天堂のwiiも繋がっている。書籍と同じ大きさくらいのタブレットもあって、そして今度は二人でスマートフォン。

さらにT君は会社支給のiPhoneを持ち、私はT君からもらったiPod touchを持ち、パソコンは一台ずつある・・・。

なんかね、、、本当に端末だらけ。

インターネットに支配されるのか? といった様相。

いやになってきました(笑)


端末だらけなのに愕然としてしまって、本当はFacebookやTwitter、mixiなどのSNSに言及しようと思っていたのですが、なんだかげんなり。

力尽きました^^;



ということに次回に続く。

次は、「ネットとコミュニケーションについて、私も考えた」をお送りいたします(本当か?)。


おしまい。





あ~米軍の飛行機がうるさい~。
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いじめのお話 [プンプン]

大津市のいじめによる自殺についての報道が連日なされていて、TVでも週刊誌でもネットでも目に付く。

現場ではどういうことが起こっているのだろうと想像をするのだけれど、どうにも要領を得ず。漏れ伝わってきているなかで思ったことは、どうやら見て見ぬふりをしていた大人たちが多く、それがよくなかったらしい、ということ。

自分の幼いときのことを考えると、「大人は判っていない」と思うことがたくさんあったし、「ずるいな」と思ったこともたくさんあった。

でもそれが大人の世界なんだと思って、それはそれ、これはこれ、と見なすようになったと思い出す。

私の母親は教師をしていたということもあって、私が小学校に入学したときにPTAでもうるさい保護者として有名だったようだ。

そのために学校行事で生徒が重要な役割を担わなくてはいけないとき、私は借り出され、全生徒の前で目立つことをしなければならなかった。

それがものすごく嫌で嫌で。しかも普段とは違って、母が格好をつけていい洋服を用意したりして、そんな洋服を着なければならなかった。

当事者の私は激しく不本意で、普段の格好でいいと思っていたにもかかわらず、汚してはいけないような洋服を着せられて悲しくて恥ずかしくて泣いた。

周りにいた先生方は、私が何で泣き出したかもわからずにオロオロし始めるし、うまく説明できない私もいたけれど…。

その感情を大人は判らないんだ、とはっきり自覚した瞬間でもあった。小学校の2年生のときだった。

それから先生にしても親にしても、完璧に理解してくれることはない。何かあったときに、完璧に対処できるような大人なんていない、と思った。

そして親や教師の役割っていうのはなんだろうなと、漠然と考え出したような気がする。

なんかね、大人は当てにならないと、ずーっと思っていたんですよ…私は(笑)

親も当てにできないなと。

こんなこともあった。

たぶん幼稚園児であったころ、家からバスで10分くらい先にある神社で縁日があり、そこへ父が姉と一緒に連れて行ってくれたことがあった。

初めは父のところを離れずに一緒に歩いていたのだが、ある出店に目を奪われて、じーっと見入ってしまった。ふと我に返ると、近くに父や姉の姿はなく、「あ、迷子になった」と思った。

これは人に聞くべきか、普通の幼子のように泣いて歩くべきか…と私は考えた(←本当にこ憎たらしい子どもだったのだ^^;)。

実のところ、父や姉は当てにならないとちょっと思っていた節が私にはあった。

で考えた末、バス通りを歩いて家に帰ってしまおうと、とっとと歩いて帰ったのだ。

こんなこともあろうかと、常にバスに乗ったときはその経路をじっと見て覚えていたし、家までの道は問題なく覚えていた。

帰ってみれば、母はびっくりするし、父と姉は神社で大騒ぎをしていたようだし、その後両親は激しく夫婦喧嘩を始めるしで、大変なことになってしまった。

私は私で、別に一人で帰ってこられたんだからいいじゃん、と思っていた。そして私を置いてどこかへ行ってしまった父が悪いと思っていた。

「迷子になったときは、その場でじっとしていなさい」と母には言われたけれど、迷子になんてなろうものなら父に怒られるのが関の山だ。

だけど私にとって怒られることは不本意。だいたい、小さい女の子をちゃんと見ていなかった父が悪い、といまの私だったら言える。

ま~ただそれだけではなく、どちらにせよ、父(大人)は当てにならないと思っていた私がそこにいたのだった(笑)



そんなわけで大人に見切りをつけたのが早かったせいか、大人に期待することが少なくなった。




そこでいじめの問題。



大人には期待しないほうがいい。それだけは言っておく。

自分のこともろくに対処できないような人間ばかりなんだから、親にしたって教師にしたって何も判ってくれないと思ったほうがいい。

そしていじめが起こったとしたら、とにかく考える。そして、いじめをする奴らの弱点を突く。さもなくばそんな奴らの上を行くような力をつけることだ。

それでもどうしようもなくなったら、全力で逃げよう。不登校になろう。それは前向きな不登校だ。決して後ろ向きでなんかない。

因果応報というか、いじめをするような奴らが大人になったときのことを思うといい。

はっきりいって私の周りでいじめっ子であったような人たちは、残念ながら大した人間にはなっていない。

いくら見回してみても、、まったくだ。

私は当時からいじめをするような子は大嫌いだったし、いまでも嫌いだ。会いたいとも思わない。なので同窓会には呼ばれてもほとんど行かないし、大人げないがいまでもはっきりとそんな子たちを嫌いだと言っている。


ちなみに私はいじめっ子でもいじめられっ子でもなかった。


ただ思うのは、学校という組織ではいじめを作り出してしまう土壌があると思っている。

クラスのなかでのグループ分けなどが最たるものだ。

生徒の自主性に任せようと、好きなもの同士でグループを作らせるということが結構あった(いまはどうだか知らないが)。

そんなことをすれば、必ずやグループに属さない人が出てくるわけで、それがいじめの対象となったりもした。

反対に目立つグループに属したいがために、仲良しのふりをするとか、そんなことも行われるのだ。

だけど、強制的なグループ分けをすればいいのかということもあるが、そのなかで嫌な人がいたりするといじめが起こったりもするんだろう。

あ~いやだ。

私はそういうのが大嫌いで、中学生くらいまではなんとなく仲良しグループみたいなところに属してはいたが、高校に入ってからはそれも面倒臭くなって、適当に根回しをしながら別に仲良くもないけど、利害関係も面倒臭いことのないようなグループを自ら作ったりした。

グループ分けにしても、学校行事にしても、ごたごたと時間がかかって一向進まないようなことが嫌で、そんなときは自らクラス委員になって、さっさと行事をこなした。

自分がやったほうが早い、と思っていたのだ。実際にそうだったし。

ごたごたすることがどんなに意味のないことか、よく説明をしたものだ。

「さっさとやれ」と(笑)





なんというか、味方になってくれる大人はいると思うけれど、最終的に自分がどこまで見切りをつけられるかにかかっていると思う。




しかし今回の事件については、いじめっ子(加害者)が一番悪いけれど、周りの大人も悪いというのははっきりしたようだから。


どう決着をつけるのか、そこが見ものだと思っている。







あとSNSとか、ゲームサイトでのいじめの問題もあるようだけど、そのことは後日。

大人もSNSで苦しんでいるよ(笑)



おしまい。

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エアコンを切るのもいいけど、TVもね。 [プンプン]

右脳・左脳のおもしろ診断をやってみた。

右脳・左脳タイプ…。「直感でとらえて論理的に表現、得する出世タイプ」なんだそうだ。
そうですか。確かにそういう気はするが、現実では出世タイプではなかった。残念。ま、いいんだけど。



さて、節電を考えていて手っ取り早い方法はこれだ! というのがありました。

それは…とにかくTVを見ない(笑)

いっそのことTV放送を休んじゃう。

くだらない番組を垂れ流しているより、そのほうがよっぽど有益なような気がします。

そしてクールシェアとして図書館を開放し、みんなで集まって本を読む。あるいは映画館を開放し、みんなで映画を楽しむ。どちらもよく涼むことができるようにして、有料でもいいから集まりやすい環境を作る。

それでずいぶん違うのではないかと思います。

私が中学・高校時代は冷房なんて使っていませんでしたから、夏休みになったら、せっせとよく冷えている図書館に通ったものです。

最近は図書館では勉強できないかもしれないけれど、例えばコミュニティセンターとか、自治会館とか、マンションの集会場でもいいな…そういうところを開放して、電力需要が多いとされる時間帯に、在宅している人を集めるような環境を作ればいいのにな、と思いました。

加えて、昨年も言われていたかと思いますが、甲子園の高校野球も真夏にやらない。

だいたい関西電力の電力が足りないと言っているのだから、いっそのこと時期をずらせばいいのに、と思います。

暑い中、冷房をつけずにTV中継なんか観ていると死んじゃうよっ!

それこそ臨機応変に対応すればいいのに、、、何というか大人の事情ですか? 「子どもたちの夢をつぶすんじゃない!」なんて、わけのわからんことを言い出す人も出てきそうですが、「そんなことを言っている場合じゃないでしょ!」と言いたいですね。

万が一、原発の事故が起こって、子どもたちの生きる場がなくなってしまうことのほうが、よっぽど重大なことでしょ! と。

大事なこと、大切にしなければいけないことのプライオリティがおかしくなっているのが非常に気になります。





生活保護の問題だってそう。

大事なこと、大切にしなければいけないことのプライオリティを考えれば、自ずと結論は出てくるのにね。


あとは本人の自覚次第であって、なんというか…こういろいろなことが表面化してきて感じたことは、「人間はもっと覚悟して生きなさい」と。そんなことを言われている気がしています。


誰にそんなことを言われているのか? といえば、神様かな。



罰がバチバチ当たっているんですわ…。





はい、おあとがよろしいようで。




おしまい。
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コントロールされるとやっかい [プンプン]

ちょっと今日は面倒くさい話を。

昨年の東日本大震災から本格的にtwitterを使うようになったのだけれど、ここのところの中島知子さんの報道を見ていて、情報操作による思い込みの恐ろしさというのを改めて考えてしまっている。

一時、上杉隆さんというフリージャーナリストをフォローしていた。なぜかというと、雑誌などでマスコミを批判したり、「自由報道協会」を主催して、記者クラブが行う記者会見への批判を行ったりして、それはそれで面白いと思っていたからだ。

マスコミにおける報道の偏り、ちゃんと報道すべきことを利害関係を慮って報道しないとか、そんなことにもうんざりしていたから、彼のような存在はいいことではないかと思っていたのだ。

ところが、twitterでの彼の文(つぶやき)はよしとするものの、その彼の文に共感したり賛同したりしている人の文を、さらに彼がリツイートしまくるので、私のtwitterのタイムラインがそのリツイートされた文で埋め尽くされてしまうようなことが起きはじめた。

※リツイートとは、他の人が投稿した文(つぶやき)を引用すること。
※タイムラインとは、投稿された文(つぶやき)を時系列に表示したもの。

多くの人をフォローしていれば、こんなことは起こらないのかもしれないが、ある一定の人(関係者)がつぶやいている文章で一杯になってしまうということが起こるのだと、初めてここで知ったのだった。

そしてここに、上杉隆さんの文章の真偽はともかく、引用されることでその情報は膨大な量になり、いつの間にか上杉さんが発信した文章は正しいのではないかと思うようになってしまう。そんなカラクリが潜んでいるのではないかと気がついた。

はからずも町山智浩さんが「上杉信者」と銘打ったように、上杉さんの発している情報は正しいと思い込んでいる人が、これで多く生まれているのではないか…ということ。

それはtwitterのような短い文章で繰り返されることにより、ある種の洗脳のようなことが起きているのではないかと思ったのだ。

私はそこで上杉さんのツイートをアンフォローした(フォローをやめた)。

すると、上杉発言に埋め尽くされるようなことはなくなり、自分自分にとっての正常な流れを作ることができたような気がした。

転じて、中島知子さんのこと。

以前、このブログでも書いている本があるのだが…。
http://nekotoro.blog.so-net.ne.jp/2005-03-01-2

私をコントロールしないで!―あなたを支配するパートナーとの縁の切り方

私をコントロールしないで!―あなたを支配するパートナーとの縁の切り方

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ヴォイス
  • 発売日: 2002/09/01
  • メディア: 単行本


この本が真っ先に思い浮かんだ。コントロールする関係。コントロールされる関係。

ここで考えを深めたのは、自己評価の低い人はコントロールされ、あるいはコントロールする人になりやすいということ。

自己評価が低いと、自分の考えていることより相手のほうが上と見てしまうので、その相手の言いなりになってしまう。(コントロールされる)

反対に、自己評価が低いことを武器に、相手に弱い人と思わせて、そして弱い人は大事にしなくてはいけないというような思いを持たせ、相手を言いなりにする、というようなことが行われる。(コントロールする)

これは意識的に行っている人もいると思うが、無意識にこれを行っている人もいると思う。

要するにマインドコントロールなのだけど、「依存」、「共依存」とも言われるが、結局はお互いが依存しあっている関係であって、なかなか抜け出せない関係となる。

ドメスティックバイオレンス(DV)でも見られる。

例えば、男性から暴力を加えられても、その後男性が女性にやさしくなって、「お前だけしかいないんだ」などと言ったりする。そう言われることで「この人には私がいなければいけないんだ」というように思い込み、DVの関係から抜け出せない、というのもこれ。

依存・共依存の関係。

コントロールされ、コントロールしている関係。

実のところ、当事者たちがよしとするなら、その関係を続けることを批判することもないと思っている。だが、中島知子さんのように生活が破綻するところまできている場合は、その関係は解消させなければならないと思う。

そういう意味ではDVもそうで、暴力で傷つき、死んでしまうようなことが起きる前に助け出さなければいけない。



カミングアウトすれば、私自身、コントロールされていると思った相手がこれまでに2人いた。学生時代に付き合っていた男性と義兄嫁の2人。

学生時代に付き合っていた男性は、私自身がまだいろいろなことに確信を持てていない時期だったので、そんな隙間をするりと入ってきた感じだった。あれこれと、本やら音楽、芸術に関することなどを私のところに持ち込み、「これはいいものだ、あれはいいものだ」とまるで洗脳するかのようにその物で埋め尽くした。

「そうか、これらはいいものなのか」と私は思い込んで、その男性の言いなりになっていたような気がする。

さらに私がいいと思うことを言うと、即座に反応し、これはいい、あれはよくないとか評価を下す男性だった。

ところがそういうことが続くうち、私自身が私自身ではないような錯覚を覚え始めた。つまりは、この男性の言いなりになっている、と気づいたのだった。

きっかけは、もうなんともいえない息苦しさを覚えたこと。どこへ行っても、なにをしても、どこまでも付いて来るような男性だったので、生活そのものがその男性の物や考えで埋め尽くされたように感じたのだ。

思うに、精神的な暴力を受けていたのかもしれない。精神的なアメとムチ。上記のようなDVの関係に似た関係。

少々精神的な病に冒されている男性だったので、弱い人(可哀相な人)であると私も見ていたのだと思う。そういう側面から築いてしまった関係だったのだ。

そう気づいた途端、抜け出すためにもがきにもがいたけれど、きっぱりと関係を絶つということが有効だった。

その後、私は夫T君と結婚をしたが、そこであっけなくなかったことになった。結局、その程度の関係だったのだと思う。いま思うと、人を簡単に「可哀相」と思ってはいけない。可哀相と思ったことが、きっとその関係の始まりだった。



義兄嫁とは何度か書いているが、彼女のコントロールが始まったのは、T君の家族がまるで彼女の言いなりになったかのように、遊びに行ったり、食事をしたりしているところへ、私たち次男夫婦が入り込んだときではなかったかと思う。

彼女は思い通りにならないと癇癪を起こすということを繰り返し、まるで腫れ物に触るような付き合いが始まった。

挙句、彼女が自分の精神的な障害(義兄嫁が訳のわからない発言を繰り返した後、「私は頭がおかしいのだと思う」と私に言った)をカミングアウトしてからというもの、さらなるコントロールが始まった。

「頭がおかしいのなら、病院で診てもらいなさい」と。

そして友人にお願いして病院を紹介したりもしたのだが、なんだかんだと言って来て何も改善されない。T君の両親も長男の嫁であるから、彼女のほうに肩入れをして私は悪者扱い。面倒くさいから悪者でいいや…と思ったものの、彼らの存在(関係)が恐ろしいものへと変わった。

それがわかったときに、私は付き合いを断つことにし、彼女へは決別をはっきりと宣言。そこでコントロールから抜け出すことができた。たぶんこれも、彼女を「可哀相」と思ったことがきっかけだと思う。


この2人に共通して言えることは、どちらも精神的な弱さ(病)を人に知らせることで、自分を弱い人間と思わせて、相手をコントロール下に置くということをしている。義兄嫁にいたっては、長男の嫁という立場を振りかざしているところもある。



そして私自身は、きっとこういう人に弱いのだと思う^^; 可哀相だと思ってしまうのだ。

可哀相と思って何とかしようと思って、反対にコントロール下に置かれてしまうという…。

でもこれは大変勉強になった。




元に戻る。

twitterで起きたことは、この手法に似ているような気がしている。

同じような膨大な情報に埋め尽くされてしまうと、人というのはそれを信じ、その情報にコントロールされてしまうのではないかということ。

流行のものに飛びつくことだってそう。あえて「流行を作る」という言葉があるくらいなのだから、その流行というものにコントロールされてしまっているのだ。善し悪しはともかく。

ステマ(ステルスマーケティング)の手法もこれに似たものなんだろうと思う。

口コミサイトもそうといえる。

韓流ブームもある種、そういう側面があるように思う。


うっかりコントロールされてしまうのだ。





疑うとか、これはおかしいとか、ある程度の知識をベースに持つべきとは思うが、そんな視点を忘れてはいけないと思ったことでありました。あと、心に隙を作っちゃいかん。自己評価は等身大か、高めに持つべし^^;


ということで、厄介な案件は終わり(笑)




中島知子さん…助け出されるといいですね。


おしまい。
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東日本大震災で思ったこと。 [プンプン]

2011年3月11日、思ったことがあった。しかし、震災被害の規模の大きさ、亡くなった人のあまりの多さに言葉を失い、その思っていたことは、この時期にそぐわない内容だと思い封印していた。

でも、思ったことではあるけれど、いまだ思い続けていることでもあると気づき、ここに記そうと思う。

あの地震が起きた直前は、ちょっとした仕事で自転車を走らせ、あちらこちらの写真を撮っていた。冷たい風の吹くなか、不思議なくらい晴れやかな空で、「春ももうすぐだなあ~」なんて息を切らしながら走っていた。

ただ、あの頃は何ともいえない閉塞感に包まれていて、自転車を走らせていても爽快感はなく、体のなかでプスプスとくすぶっているものがあった。

ちょうど叔父が前日に自ら命を絶ったということも影響しているのかもしれない。体に絡みつくような、何ともいえない「汚れ」のようなものを感じて、それを落とすにはどうしたらいいのだろうか…という感じだった。

根本にあったのは、いろんなものへの怒りだ。

何もできない政治家や官僚に怒り、どうしようもない番組を垂れ流すテレビ局に怒りを覚えていた。

義務を果たさずに文句ばかり言う人々、雑誌を読んでも嘘か真かわからないような記事ばかりで、面白くもなんともないことに怒りを覚えていた。

海外に目を向ければ、そんなプスプスとくすぶるような感覚に呼応するかのように、民主化の波が押し寄せてきていた。「これでイスラム社会も変わるのかなあ~」と遠い目で見てはいたけれど(これは根が深い問題だからそう簡単には「民主化」なんてことで収まるわけではないが)。

また、小さくでしか報道されていないけれど、中国ではあちらこちらで暴動らしきものは起こっているようだった。

そんななかの震災。


私は、怒りが自然災害となって爆発したのだと思った。



日本人は怒らない。怒らないで諦めて、自分のできることをとりあえずやろうという人ばかりだ。本来ならば、海外で起きているような暴動やら、デモやら、ストやらが起きてもおかしくないところまできていたはずだ。なのに、誰も表立って怒らないし、反対しないし、抵抗しない。

働く人々は、税金しかり、社会保険しかり、年金しかり。大いに怒っていいような状態であったのに……。

若い人は若い人で、仕事がない、働く場がない、、、そして恋愛もできないような状態であったのに……。

誰も怒らないし、反対しないし、抵抗しない。

私もそうだ。こうやって文字を連ねたり、口にするだけで、実力行使をしたことがない。

どうしたらいいのか? 

そういうわけでプスプスと体のなかをくすぶり続けるものがあった。



そんなときに起きた震災だ。


石原都知事の「天罰だ」という発言は、どういう意図で、どういう話のなかで出てきた発言かはわからない。石原都知事は大嫌いだから、バカヤローな発言だとは思ったけれど……。

でも私も「天罰だ」と思っていたのだった。しかしそれは、東北・東日本で暮らし、被災した人々への天罰ではない。

ちゃんと生きようとしていなかった私たちへの天罰だと思ったのだ。

原発の事故も、ちゃんと向き合わずに容認してしまった私たちへの天罰なのだと思った。

目先の利益にばかりとらわれ、物質主義に走り、ろくに働きもせずにマネーゲームで生きようとする私たちへの天罰。

便利さや快適さばかりを追求し、自然を破壊してしまっている私たちへの天罰。

そんな天罰なんだ。

すぐにそう思った。



そしてこの震災後、震災が転機になるかと思ったけれど、どうやら違うらしい。

原発を再開させようという地域が出てきた。

「知恵を出さないやつは助けない」などとのたまわる大臣が出てきた(→辞任することが決まったようだ)。

相変わらずテレビ局はくだらない番組を垂れ流し続け、雑誌は煽るばかりで何の解決策も見つけられないような記事を掲載し続けている。




そう簡単には変われないのかもしれないけど、力づくで「変われ!」というようなことが起きたのに。

変わらなくてはいけないのに……。




まだまだ揺れ続けると思う。

まだまだ自然災害は続くと思う。

地球は1つの確固たる意思を持っているはずだから。


そう思った。





こんなどうしようもない私たちのために、被害に遭ってしまった東北・東日本の方々には、本当に申し訳ないと思う。
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節電するのは、反原発だから。 [プンプン]

昨日の東電の株主総会についての報道に接して、コメカミが割れそうになりました…。

東電の株主の人たちって原発推進派が多いんだと。

というか、自分たちの利益が大事という人たちが多いということがわかって愕然としたのでした。だって、反原発を否決しているんだもん。

目先の利益でしょ…それって。

株主にだって責任があるっていうことわかってんのか!!!! と声を大にして言いたかった。

これだけリスクが高く、途方もないくらい高額な賠償金の支払いが待っているというのに、多くが「安全だったら原発を稼働させましょう」って人たちと知って、目が飛び出そうになりましたよ。

で、東電を守ろうとするために、税金が投入されるんでしょ。

株主ではない私も、多少の恩恵は受けていたかもしれない。電力を使うということではね。でも、株主はさらに配当金ももらっているわけでしょ、東電から。

事故を起こした原発から得た利益でしょ。

配当金がもらえて、あ~よかった、てな考えなのかな。ビックリしました。




私がせっせといま行っている節電は、反原発だからです。

原発がなくても、この程度の電力で大丈夫だということを示したいからです。

「ほら原発が稼働されていないから、電力が少なくて困っているでしょう」なんて言われたくない!!!

東電のための節電ではなく、自分のための節電です。

原発をなくして欲しいから、節電しているのです。

そこを忘れるな!!! と叫びたい。


もうねえ~。頭でお湯が沸かせそうですよ(笑)

ひどすぎるなあ~。そんなにお金が大事か。そんなに権利が大事か。





電力事業の今後は、いまの10代、20代の人たちに考えてもらったらいいのではないかと思います。

これは後世に連綿と続く事業となるでしょうから。

放射能で若い人たちを滅ぼしてしまうような真似をしたくはない。であれば、いま権力があり、事業を動かせることができる大人がちゃんとすればいいのにと思うけれど、トンでもない大人たちばかりだから。

頭の固くなったバカなオヤジたちに任せずに、若い人たちに委ねるべきなのではないか。

オヤジたちの東電の株券をぶんどっちまえ(笑)




怒っております。
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