いじめのお話 [プンプン]
大津市のいじめによる自殺についての報道が連日なされていて、TVでも週刊誌でもネットでも目に付く。
現場ではどういうことが起こっているのだろうと想像をするのだけれど、どうにも要領を得ず。漏れ伝わってきているなかで思ったことは、どうやら見て見ぬふりをしていた大人たちが多く、それがよくなかったらしい、ということ。
自分の幼いときのことを考えると、「大人は判っていない」と思うことがたくさんあったし、「ずるいな」と思ったこともたくさんあった。
でもそれが大人の世界なんだと思って、それはそれ、これはこれ、と見なすようになったと思い出す。
私の母親は教師をしていたということもあって、私が小学校に入学したときにPTAでもうるさい保護者として有名だったようだ。
そのために学校行事で生徒が重要な役割を担わなくてはいけないとき、私は借り出され、全生徒の前で目立つことをしなければならなかった。
それがものすごく嫌で嫌で。しかも普段とは違って、母が格好をつけていい洋服を用意したりして、そんな洋服を着なければならなかった。
当事者の私は激しく不本意で、普段の格好でいいと思っていたにもかかわらず、汚してはいけないような洋服を着せられて悲しくて恥ずかしくて泣いた。
周りにいた先生方は、私が何で泣き出したかもわからずにオロオロし始めるし、うまく説明できない私もいたけれど…。
その感情を大人は判らないんだ、とはっきり自覚した瞬間でもあった。小学校の2年生のときだった。
それから先生にしても親にしても、完璧に理解してくれることはない。何かあったときに、完璧に対処できるような大人なんていない、と思った。
そして親や教師の役割っていうのはなんだろうなと、漠然と考え出したような気がする。
なんかね、大人は当てにならないと、ずーっと思っていたんですよ…私は(笑)
親も当てにできないなと。
こんなこともあった。
たぶん幼稚園児であったころ、家からバスで10分くらい先にある神社で縁日があり、そこへ父が姉と一緒に連れて行ってくれたことがあった。
初めは父のところを離れずに一緒に歩いていたのだが、ある出店に目を奪われて、じーっと見入ってしまった。ふと我に返ると、近くに父や姉の姿はなく、「あ、迷子になった」と思った。
これは人に聞くべきか、普通の幼子のように泣いて歩くべきか…と私は考えた(←本当にこ憎たらしい子どもだったのだ^^;)。
実のところ、父や姉は当てにならないとちょっと思っていた節が私にはあった。
で考えた末、バス通りを歩いて家に帰ってしまおうと、とっとと歩いて帰ったのだ。
こんなこともあろうかと、常にバスに乗ったときはその経路をじっと見て覚えていたし、家までの道は問題なく覚えていた。
帰ってみれば、母はびっくりするし、父と姉は神社で大騒ぎをしていたようだし、その後両親は激しく夫婦喧嘩を始めるしで、大変なことになってしまった。
私は私で、別に一人で帰ってこられたんだからいいじゃん、と思っていた。そして私を置いてどこかへ行ってしまった父が悪いと思っていた。
「迷子になったときは、その場でじっとしていなさい」と母には言われたけれど、迷子になんてなろうものなら父に怒られるのが関の山だ。
だけど私にとって怒られることは不本意。だいたい、小さい女の子をちゃんと見ていなかった父が悪い、といまの私だったら言える。
ま~ただそれだけではなく、どちらにせよ、父(大人)は当てにならないと思っていた私がそこにいたのだった(笑)
そんなわけで大人に見切りをつけたのが早かったせいか、大人に期待することが少なくなった。
そこでいじめの問題。
大人には期待しないほうがいい。それだけは言っておく。
自分のこともろくに対処できないような人間ばかりなんだから、親にしたって教師にしたって何も判ってくれないと思ったほうがいい。
そしていじめが起こったとしたら、とにかく考える。そして、いじめをする奴らの弱点を突く。さもなくばそんな奴らの上を行くような力をつけることだ。
それでもどうしようもなくなったら、全力で逃げよう。不登校になろう。それは前向きな不登校だ。決して後ろ向きでなんかない。
因果応報というか、いじめをするような奴らが大人になったときのことを思うといい。
はっきりいって私の周りでいじめっ子であったような人たちは、残念ながら大した人間にはなっていない。
いくら見回してみても、、まったくだ。
私は当時からいじめをするような子は大嫌いだったし、いまでも嫌いだ。会いたいとも思わない。なので同窓会には呼ばれてもほとんど行かないし、大人げないがいまでもはっきりとそんな子たちを嫌いだと言っている。
ちなみに私はいじめっ子でもいじめられっ子でもなかった。
ただ思うのは、学校という組織ではいじめを作り出してしまう土壌があると思っている。
クラスのなかでのグループ分けなどが最たるものだ。
生徒の自主性に任せようと、好きなもの同士でグループを作らせるということが結構あった(いまはどうだか知らないが)。
そんなことをすれば、必ずやグループに属さない人が出てくるわけで、それがいじめの対象となったりもした。
反対に目立つグループに属したいがために、仲良しのふりをするとか、そんなことも行われるのだ。
だけど、強制的なグループ分けをすればいいのかということもあるが、そのなかで嫌な人がいたりするといじめが起こったりもするんだろう。
あ~いやだ。
私はそういうのが大嫌いで、中学生くらいまではなんとなく仲良しグループみたいなところに属してはいたが、高校に入ってからはそれも面倒臭くなって、適当に根回しをしながら別に仲良くもないけど、利害関係も面倒臭いことのないようなグループを自ら作ったりした。
グループ分けにしても、学校行事にしても、ごたごたと時間がかかって一向進まないようなことが嫌で、そんなときは自らクラス委員になって、さっさと行事をこなした。
自分がやったほうが早い、と思っていたのだ。実際にそうだったし。
ごたごたすることがどんなに意味のないことか、よく説明をしたものだ。
「さっさとやれ」と(笑)
なんというか、味方になってくれる大人はいると思うけれど、最終的に自分がどこまで見切りをつけられるかにかかっていると思う。
しかし今回の事件については、いじめっ子(加害者)が一番悪いけれど、周りの大人も悪いというのははっきりしたようだから。
どう決着をつけるのか、そこが見ものだと思っている。
あとSNSとか、ゲームサイトでのいじめの問題もあるようだけど、そのことは後日。
大人もSNSで苦しんでいるよ(笑)
おしまい。
現場ではどういうことが起こっているのだろうと想像をするのだけれど、どうにも要領を得ず。漏れ伝わってきているなかで思ったことは、どうやら見て見ぬふりをしていた大人たちが多く、それがよくなかったらしい、ということ。
自分の幼いときのことを考えると、「大人は判っていない」と思うことがたくさんあったし、「ずるいな」と思ったこともたくさんあった。
でもそれが大人の世界なんだと思って、それはそれ、これはこれ、と見なすようになったと思い出す。
私の母親は教師をしていたということもあって、私が小学校に入学したときにPTAでもうるさい保護者として有名だったようだ。
そのために学校行事で生徒が重要な役割を担わなくてはいけないとき、私は借り出され、全生徒の前で目立つことをしなければならなかった。
それがものすごく嫌で嫌で。しかも普段とは違って、母が格好をつけていい洋服を用意したりして、そんな洋服を着なければならなかった。
当事者の私は激しく不本意で、普段の格好でいいと思っていたにもかかわらず、汚してはいけないような洋服を着せられて悲しくて恥ずかしくて泣いた。
周りにいた先生方は、私が何で泣き出したかもわからずにオロオロし始めるし、うまく説明できない私もいたけれど…。
その感情を大人は判らないんだ、とはっきり自覚した瞬間でもあった。小学校の2年生のときだった。
それから先生にしても親にしても、完璧に理解してくれることはない。何かあったときに、完璧に対処できるような大人なんていない、と思った。
そして親や教師の役割っていうのはなんだろうなと、漠然と考え出したような気がする。
なんかね、大人は当てにならないと、ずーっと思っていたんですよ…私は(笑)
親も当てにできないなと。
こんなこともあった。
たぶん幼稚園児であったころ、家からバスで10分くらい先にある神社で縁日があり、そこへ父が姉と一緒に連れて行ってくれたことがあった。
初めは父のところを離れずに一緒に歩いていたのだが、ある出店に目を奪われて、じーっと見入ってしまった。ふと我に返ると、近くに父や姉の姿はなく、「あ、迷子になった」と思った。
これは人に聞くべきか、普通の幼子のように泣いて歩くべきか…と私は考えた(←本当にこ憎たらしい子どもだったのだ^^;)。
実のところ、父や姉は当てにならないとちょっと思っていた節が私にはあった。
で考えた末、バス通りを歩いて家に帰ってしまおうと、とっとと歩いて帰ったのだ。
こんなこともあろうかと、常にバスに乗ったときはその経路をじっと見て覚えていたし、家までの道は問題なく覚えていた。
帰ってみれば、母はびっくりするし、父と姉は神社で大騒ぎをしていたようだし、その後両親は激しく夫婦喧嘩を始めるしで、大変なことになってしまった。
私は私で、別に一人で帰ってこられたんだからいいじゃん、と思っていた。そして私を置いてどこかへ行ってしまった父が悪いと思っていた。
「迷子になったときは、その場でじっとしていなさい」と母には言われたけれど、迷子になんてなろうものなら父に怒られるのが関の山だ。
だけど私にとって怒られることは不本意。だいたい、小さい女の子をちゃんと見ていなかった父が悪い、といまの私だったら言える。
ま~ただそれだけではなく、どちらにせよ、父(大人)は当てにならないと思っていた私がそこにいたのだった(笑)
そんなわけで大人に見切りをつけたのが早かったせいか、大人に期待することが少なくなった。
そこでいじめの問題。
大人には期待しないほうがいい。それだけは言っておく。
自分のこともろくに対処できないような人間ばかりなんだから、親にしたって教師にしたって何も判ってくれないと思ったほうがいい。
そしていじめが起こったとしたら、とにかく考える。そして、いじめをする奴らの弱点を突く。さもなくばそんな奴らの上を行くような力をつけることだ。
それでもどうしようもなくなったら、全力で逃げよう。不登校になろう。それは前向きな不登校だ。決して後ろ向きでなんかない。
因果応報というか、いじめをするような奴らが大人になったときのことを思うといい。
はっきりいって私の周りでいじめっ子であったような人たちは、残念ながら大した人間にはなっていない。
いくら見回してみても、、まったくだ。
私は当時からいじめをするような子は大嫌いだったし、いまでも嫌いだ。会いたいとも思わない。なので同窓会には呼ばれてもほとんど行かないし、大人げないがいまでもはっきりとそんな子たちを嫌いだと言っている。
ちなみに私はいじめっ子でもいじめられっ子でもなかった。
ただ思うのは、学校という組織ではいじめを作り出してしまう土壌があると思っている。
クラスのなかでのグループ分けなどが最たるものだ。
生徒の自主性に任せようと、好きなもの同士でグループを作らせるということが結構あった(いまはどうだか知らないが)。
そんなことをすれば、必ずやグループに属さない人が出てくるわけで、それがいじめの対象となったりもした。
反対に目立つグループに属したいがために、仲良しのふりをするとか、そんなことも行われるのだ。
だけど、強制的なグループ分けをすればいいのかということもあるが、そのなかで嫌な人がいたりするといじめが起こったりもするんだろう。
あ~いやだ。
私はそういうのが大嫌いで、中学生くらいまではなんとなく仲良しグループみたいなところに属してはいたが、高校に入ってからはそれも面倒臭くなって、適当に根回しをしながら別に仲良くもないけど、利害関係も面倒臭いことのないようなグループを自ら作ったりした。
グループ分けにしても、学校行事にしても、ごたごたと時間がかかって一向進まないようなことが嫌で、そんなときは自らクラス委員になって、さっさと行事をこなした。
自分がやったほうが早い、と思っていたのだ。実際にそうだったし。
ごたごたすることがどんなに意味のないことか、よく説明をしたものだ。
「さっさとやれ」と(笑)
なんというか、味方になってくれる大人はいると思うけれど、最終的に自分がどこまで見切りをつけられるかにかかっていると思う。
しかし今回の事件については、いじめっ子(加害者)が一番悪いけれど、周りの大人も悪いというのははっきりしたようだから。
どう決着をつけるのか、そこが見ものだと思っている。
あとSNSとか、ゲームサイトでのいじめの問題もあるようだけど、そのことは後日。
大人もSNSで苦しんでいるよ(笑)
おしまい。
子供は「大人の都合」を良く理解していますよね。
だからかたくなに大人に相談しないってことも、また追いつめられる一因なのか?というと、、、絶対そうではない。
昔だって大人を信頼している子供は少なかった。
けれども、口うるさいおせっかいな大人や正義感のある子供はいじめられた子供に寄り添うような努力もしていて、そういうひとまでに危害を加えるいじめっこまでは出てこなかったような気がするんですよね。(いじめるとうるさくてめんどくさいから?笑)
そんな子供を凶悪犯に育てちゃったのは今回のような大人達(政治家もだ)の隠ぺいや無関心の対応なんだと思う。
と...わかったようなことを書いてみてもなんの解決にもならないんだけど。
by nakasama (2012-07-20 15:12)
*nakasamaさま*
今回の事件は、どこに落としどころを持っていくのかと、そこに興味が
あります。
すべて加害者の子たちに責任を押し付けていいのかな?と思うし、
周りにいた大人たちをどう処分するのか…。
それによって大人たちがどう変われるのか、見ものなんじゃないかと。
変わらないだろうとは思うけど(笑)
いじめたりするのも面倒くさいと思うのにね。
人の顔色を見るのも面倒くさいのに…。
こう、仲良くしていなくちゃいけないというのも、弊害かもしれないですよね。
強迫観念というか…。
やっぱり「叱る」とか、「教え諭す」とか、ちゃんとできないといけないんだろうな。
そういう大人もいなくなってしまったんでしょうね。
by toro (2012-07-23 08:37)
何か、氷山の一角のような気がします。
昔からいじめはあったし、それは、学校という箱から出ても
人間関係のひずみや軋轢ってどこでも必ずある。ただ、死まで
追い詰めるものは何かを考えてみると、人の立場になって考える想像力の欠落が、大人にも浸透しているのかな、と。だって、授業参観日に後ろで騒いでる親もいるじゃないですか。。。小さな子どもを抱っこして、携帯やスマホをじ〜〜っと見て、子どものことが後になってることも。この先、更に追い詰められる人がいれば、悲劇が繰り返されてしまうし。もっと根深い、時間がかかる問題だと思います。
by ケイクス (2012-07-25 22:58)
子供の時のほうが、観察力は鋭いですよね。
私もそうでした。
しかし今は大人になってしまったから、
あの時の鋭さほどはありませんね~。
しかし人を観察する能力はあるようです。
どんなこともすぐ見抜くし。
いじめは、前からありましたよね。
いじめられる子は、たいてい、頭の悪い(テストの点数が悪い)子や、
体育のできない子、肉体的欠陥(太い、毛深いなど)が著しい人、などが多かったですね。いじめる子はたいてい、クラスにおいて影響力のある大将的な子が多かった。だから誰も反論しないんですね。
私はいじめられてる子を助けるわけでもなく、ひややかに両方を見ていたタイプの子供でした。いじめる子もいじめられる子も興味がないというか、とても醒めた子でした。
いじめ問題に関係した一連の大人はあほばかりですね。
by pom405 (2012-07-26 00:13)
*ケイクスさま*
根の深さを感じますよね。
なんだろうな~。ちょっと不気味な感じ。
何がっていうと、結局大人たちも含めた全員が加害者であり、被害者
なのかも…と感じるところです。
警察や司法が介入しないといけないのかと思うとやり切れないですね。
二元論的な論争も引っかかるし。
グレーの部分での闇の深さがあるのかもしれない。
全然無関係な人が攻撃性を発揮しているのも変だな、怖いなと思って
います。
*pom405さま*
こんにちは。
子どもはよくわかっていますよね。
なので、そこを大人たちがよく理解してサポートをすればいいのに、
でも一緒になってしまっているような気がします。
同じような意識を持ってしまっているから、助けられないし、たしなめることも
できないんじゃないかと。
だったら、「あなたたちは子どもなんだから」という意識を捨てて、一緒に
戦うくらいのことをしたっていいんじゃない?と思うんですが、それも怖くて
できないんでしょうね。結局子どもと同じ…。
反対に、大人であることを振りかざして教え諭すくらいの勇気を持って
ほしいと、こういう現場にいる人たちに言いたいですわ~。
最終的には、言葉を持たない大人たちが増えたということかと、私は
思います。
by toro (2012-07-26 09:32)
わたしは、いじめの半分は教師が作るような気がします。
よくある反省会や学級会でで先生が「〇〇さんのしたことをどう思いますか」って聞くのがあります。
先生がそう言うのだからよくないに決まってる、という意図を汲んだ子や、先生の取り巻きの子が
「いけないと思います。」って答える。
いくらだって先生の腹一存で子供なんて誘導できちゃうんです。
その子にはいっぱい理由があるのに
「宿題忘れたのは〇〇さんだけです。」とか、
「〇〇さんは今日もハンカチをわすれました。」とか(親が無関心のため)・・・・
子供の責任だけでは負えないことにまで公にしてしまう教師のなんて多いこと。
ひどい方は、試合に負けたのは〇〇のせいだとか・・・・
こんな先生に相談できるわけがない。
って思います。
by mamire (2012-08-05 16:00)
*mamireさま*
教師の質っていうのは問われますよね。
えこひいきとか、結構行われていたと思い出します。
成績がよければ少しの悪さも見逃してくれたし。
要領よくやったもん勝ちみたいなところがありました。
小学生のころなんて、思ってみれば先生の誘導に、何もかも頼らざる
を得ないところがあるわけでから、そういう意味での罪深さはあると思います。
こういうのはどうにもできないんでしょうかねえ。
やっぱり親の出番なのかな。
そうなるとまたことが複雑になるのか・・・。
難しいです。
by toro (2012-08-07 07:58)