東日本大震災で思ったこと。 [プンプン]
2011年3月11日、思ったことがあった。しかし、震災被害の規模の大きさ、亡くなった人のあまりの多さに言葉を失い、その思っていたことは、この時期にそぐわない内容だと思い封印していた。
でも、思ったことではあるけれど、いまだ思い続けていることでもあると気づき、ここに記そうと思う。
あの地震が起きた直前は、ちょっとした仕事で自転車を走らせ、あちらこちらの写真を撮っていた。冷たい風の吹くなか、不思議なくらい晴れやかな空で、「春ももうすぐだなあ~」なんて息を切らしながら走っていた。
ただ、あの頃は何ともいえない閉塞感に包まれていて、自転車を走らせていても爽快感はなく、体のなかでプスプスとくすぶっているものがあった。
ちょうど叔父が前日に自ら命を絶ったということも影響しているのかもしれない。体に絡みつくような、何ともいえない「汚れ」のようなものを感じて、それを落とすにはどうしたらいいのだろうか…という感じだった。
根本にあったのは、いろんなものへの怒りだ。
何もできない政治家や官僚に怒り、どうしようもない番組を垂れ流すテレビ局に怒りを覚えていた。
義務を果たさずに文句ばかり言う人々、雑誌を読んでも嘘か真かわからないような記事ばかりで、面白くもなんともないことに怒りを覚えていた。
海外に目を向ければ、そんなプスプスとくすぶるような感覚に呼応するかのように、民主化の波が押し寄せてきていた。「これでイスラム社会も変わるのかなあ~」と遠い目で見てはいたけれど(これは根が深い問題だからそう簡単には「民主化」なんてことで収まるわけではないが)。
また、小さくでしか報道されていないけれど、中国ではあちらこちらで暴動らしきものは起こっているようだった。
そんななかの震災。
私は、怒りが自然災害となって爆発したのだと思った。
日本人は怒らない。怒らないで諦めて、自分のできることをとりあえずやろうという人ばかりだ。本来ならば、海外で起きているような暴動やら、デモやら、ストやらが起きてもおかしくないところまできていたはずだ。なのに、誰も表立って怒らないし、反対しないし、抵抗しない。
働く人々は、税金しかり、社会保険しかり、年金しかり。大いに怒っていいような状態であったのに……。
若い人は若い人で、仕事がない、働く場がない、、、そして恋愛もできないような状態であったのに……。
誰も怒らないし、反対しないし、抵抗しない。
私もそうだ。こうやって文字を連ねたり、口にするだけで、実力行使をしたことがない。
どうしたらいいのか?
そういうわけでプスプスと体のなかをくすぶり続けるものがあった。
そんなときに起きた震災だ。
石原都知事の「天罰だ」という発言は、どういう意図で、どういう話のなかで出てきた発言かはわからない。石原都知事は大嫌いだから、バカヤローな発言だとは思ったけれど……。
でも私も「天罰だ」と思っていたのだった。しかしそれは、東北・東日本で暮らし、被災した人々への天罰ではない。
ちゃんと生きようとしていなかった私たちへの天罰だと思ったのだ。
原発の事故も、ちゃんと向き合わずに容認してしまった私たちへの天罰なのだと思った。
目先の利益にばかりとらわれ、物質主義に走り、ろくに働きもせずにマネーゲームで生きようとする私たちへの天罰。
便利さや快適さばかりを追求し、自然を破壊してしまっている私たちへの天罰。
そんな天罰なんだ。
すぐにそう思った。
そしてこの震災後、震災が転機になるかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
原発を再開させようという地域が出てきた。
「知恵を出さないやつは助けない」などとのたまわる大臣が出てきた(→辞任することが決まったようだ)。
相変わらずテレビ局はくだらない番組を垂れ流し続け、雑誌は煽るばかりで何の解決策も見つけられないような記事を掲載し続けている。
そう簡単には変われないのかもしれないけど、力づくで「変われ!」というようなことが起きたのに。
変わらなくてはいけないのに……。
まだまだ揺れ続けると思う。
まだまだ自然災害は続くと思う。
地球は1つの確固たる意思を持っているはずだから。
そう思った。
こんなどうしようもない私たちのために、被害に遭ってしまった東北・東日本の方々には、本当に申し訳ないと思う。
でも、思ったことではあるけれど、いまだ思い続けていることでもあると気づき、ここに記そうと思う。
あの地震が起きた直前は、ちょっとした仕事で自転車を走らせ、あちらこちらの写真を撮っていた。冷たい風の吹くなか、不思議なくらい晴れやかな空で、「春ももうすぐだなあ~」なんて息を切らしながら走っていた。
ただ、あの頃は何ともいえない閉塞感に包まれていて、自転車を走らせていても爽快感はなく、体のなかでプスプスとくすぶっているものがあった。
ちょうど叔父が前日に自ら命を絶ったということも影響しているのかもしれない。体に絡みつくような、何ともいえない「汚れ」のようなものを感じて、それを落とすにはどうしたらいいのだろうか…という感じだった。
根本にあったのは、いろんなものへの怒りだ。
何もできない政治家や官僚に怒り、どうしようもない番組を垂れ流すテレビ局に怒りを覚えていた。
義務を果たさずに文句ばかり言う人々、雑誌を読んでも嘘か真かわからないような記事ばかりで、面白くもなんともないことに怒りを覚えていた。
海外に目を向ければ、そんなプスプスとくすぶるような感覚に呼応するかのように、民主化の波が押し寄せてきていた。「これでイスラム社会も変わるのかなあ~」と遠い目で見てはいたけれど(これは根が深い問題だからそう簡単には「民主化」なんてことで収まるわけではないが)。
また、小さくでしか報道されていないけれど、中国ではあちらこちらで暴動らしきものは起こっているようだった。
そんななかの震災。
私は、怒りが自然災害となって爆発したのだと思った。
日本人は怒らない。怒らないで諦めて、自分のできることをとりあえずやろうという人ばかりだ。本来ならば、海外で起きているような暴動やら、デモやら、ストやらが起きてもおかしくないところまできていたはずだ。なのに、誰も表立って怒らないし、反対しないし、抵抗しない。
働く人々は、税金しかり、社会保険しかり、年金しかり。大いに怒っていいような状態であったのに……。
若い人は若い人で、仕事がない、働く場がない、、、そして恋愛もできないような状態であったのに……。
誰も怒らないし、反対しないし、抵抗しない。
私もそうだ。こうやって文字を連ねたり、口にするだけで、実力行使をしたことがない。
どうしたらいいのか?
そういうわけでプスプスと体のなかをくすぶり続けるものがあった。
そんなときに起きた震災だ。
石原都知事の「天罰だ」という発言は、どういう意図で、どういう話のなかで出てきた発言かはわからない。石原都知事は大嫌いだから、バカヤローな発言だとは思ったけれど……。
でも私も「天罰だ」と思っていたのだった。しかしそれは、東北・東日本で暮らし、被災した人々への天罰ではない。
ちゃんと生きようとしていなかった私たちへの天罰だと思ったのだ。
原発の事故も、ちゃんと向き合わずに容認してしまった私たちへの天罰なのだと思った。
目先の利益にばかりとらわれ、物質主義に走り、ろくに働きもせずにマネーゲームで生きようとする私たちへの天罰。
便利さや快適さばかりを追求し、自然を破壊してしまっている私たちへの天罰。
そんな天罰なんだ。
すぐにそう思った。
そしてこの震災後、震災が転機になるかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
原発を再開させようという地域が出てきた。
「知恵を出さないやつは助けない」などとのたまわる大臣が出てきた(→辞任することが決まったようだ)。
相変わらずテレビ局はくだらない番組を垂れ流し続け、雑誌は煽るばかりで何の解決策も見つけられないような記事を掲載し続けている。
そう簡単には変われないのかもしれないけど、力づくで「変われ!」というようなことが起きたのに。
変わらなくてはいけないのに……。
まだまだ揺れ続けると思う。
まだまだ自然災害は続くと思う。
地球は1つの確固たる意思を持っているはずだから。
そう思った。
こんなどうしようもない私たちのために、被害に遭ってしまった東北・東日本の方々には、本当に申し訳ないと思う。
ちょっと意見が違いますが、書くとまとまらないのでそのうちに自分でも頭が整理出来たら書こうかな?
けれど、災害はいつか必ず起こることで、おこるべくしてまとめて起こってしまいました。
誰のせいでもないですよ、けれど原発や、世界情勢やその後の政府の“ばかちん”たちのことは分けて考えないといけないかなって思っています。
人は最悪の予測を自分たちの都合でわざと避けていたのでしょうね。
でも震災をきっかけに良い方向に変わったこともたくさんあるし、
自分はそっちの良くなったことを数えながら生きていきたいかなぁ〜と、その方が楽しいじゃな〜い?
by nakasama (2011-07-06 16:29)
*nakasamaさま*
実はこれは不謹慎だと思って書いていませんでしたが、一方で、「やっと風穴が
開いた」と思って、ほっとしている自分がいるんですよね^^;
プスプスくすぶっていたものが、風で消えたのか、燃え広がったのかは、まだ
わからないですが、閉塞感はこれで打ち破られたと…。
これで変われるんじゃないの? と。
Scrap and Buildでいままで来たわけですから、今度こそ、真っ当なBuildを
目指して、循環型の社会を実現してもらいたいと願っております。
私自身は自分にできることを、これからは考えていけばいいのですが、トンチキな
大人たちがまだまだいますから、そいつらの息の根を止めないと…(笑)
玄海原発の「やらせ」が発覚したのは、いい傾向だと思っておりますよ~^^;
by toro (2011-07-07 08:46)
この記事を書かれるのはかなりの勇気を必要としたことと思います。敬意を表したいと思います。
「誰も怒らないし、反抗しないし、抵抗しない」この国の人たちに対し、軽い苛立ちを常に感じていますので、toroさんがこの記事を書こうと思った心情、理解できます。
何も収束しないまま、停止している原発を再稼働させようとしている政治家たち、それを容認する国民…。未来を放棄しようとしているとしか思えません。
しかし自分は何をしたらよいのか、どのように意見表明をすることができるのか…難しい問題ですね。
by めりっさ (2011-07-08 09:11)
*めりっささま*
すみません…ありがとうございます。
思いは錯綜しておりまして、、、でも怒りは変わらず、という感じです。
脱原発に向かうのかと思いきや、容認すべきと取れる発言をする男性文化人や
アナウンサー(民放)が結構いたりして、くらくらしていています…。
一方、女性の政治家たちはどうしているんだろうと、思うこの頃です(レンホーは別)。
肝炎訴訟で一躍有名になった彼女とか、最近子どもを生んだ自民党の議員とか、
いま何を考えているのだろうかと。
相当危機感を抱いていてもおかしくないと思うのですが、表に出てこないですね。
何だか変です。
by toro (2011-07-09 10:14)
*ぷうやまさま* ありがとうございます。
by toro (2011-07-12 10:00)