コントロールされるとやっかい [プンプン]
ちょっと今日は面倒くさい話を。
昨年の東日本大震災から本格的にtwitterを使うようになったのだけれど、ここのところの中島知子さんの報道を見ていて、情報操作による思い込みの恐ろしさというのを改めて考えてしまっている。
一時、上杉隆さんというフリージャーナリストをフォローしていた。なぜかというと、雑誌などでマスコミを批判したり、「自由報道協会」を主催して、記者クラブが行う記者会見への批判を行ったりして、それはそれで面白いと思っていたからだ。
マスコミにおける報道の偏り、ちゃんと報道すべきことを利害関係を慮って報道しないとか、そんなことにもうんざりしていたから、彼のような存在はいいことではないかと思っていたのだ。
ところが、twitterでの彼の文(つぶやき)はよしとするものの、その彼の文に共感したり賛同したりしている人の文を、さらに彼がリツイートしまくるので、私のtwitterのタイムラインがそのリツイートされた文で埋め尽くされてしまうようなことが起きはじめた。
※リツイートとは、他の人が投稿した文(つぶやき)を引用すること。
※タイムラインとは、投稿された文(つぶやき)を時系列に表示したもの。
多くの人をフォローしていれば、こんなことは起こらないのかもしれないが、ある一定の人(関係者)がつぶやいている文章で一杯になってしまうということが起こるのだと、初めてここで知ったのだった。
そしてここに、上杉隆さんの文章の真偽はともかく、引用されることでその情報は膨大な量になり、いつの間にか上杉さんが発信した文章は正しいのではないかと思うようになってしまう。そんなカラクリが潜んでいるのではないかと気がついた。
はからずも町山智浩さんが「上杉信者」と銘打ったように、上杉さんの発している情報は正しいと思い込んでいる人が、これで多く生まれているのではないか…ということ。
それはtwitterのような短い文章で繰り返されることにより、ある種の洗脳のようなことが起きているのではないかと思ったのだ。
私はそこで上杉さんのツイートをアンフォローした(フォローをやめた)。
すると、上杉発言に埋め尽くされるようなことはなくなり、自分自分にとっての正常な流れを作ることができたような気がした。
転じて、中島知子さんのこと。
以前、このブログでも書いている本があるのだが…。
http://nekotoro.blog.so-net.ne.jp/2005-03-01-2
この本が真っ先に思い浮かんだ。コントロールする関係。コントロールされる関係。
ここで考えを深めたのは、自己評価の低い人はコントロールされ、あるいはコントロールする人になりやすいということ。
自己評価が低いと、自分の考えていることより相手のほうが上と見てしまうので、その相手の言いなりになってしまう。(コントロールされる)
反対に、自己評価が低いことを武器に、相手に弱い人と思わせて、そして弱い人は大事にしなくてはいけないというような思いを持たせ、相手を言いなりにする、というようなことが行われる。(コントロールする)
これは意識的に行っている人もいると思うが、無意識にこれを行っている人もいると思う。
要するにマインドコントロールなのだけど、「依存」、「共依存」とも言われるが、結局はお互いが依存しあっている関係であって、なかなか抜け出せない関係となる。
ドメスティックバイオレンス(DV)でも見られる。
例えば、男性から暴力を加えられても、その後男性が女性にやさしくなって、「お前だけしかいないんだ」などと言ったりする。そう言われることで「この人には私がいなければいけないんだ」というように思い込み、DVの関係から抜け出せない、というのもこれ。
依存・共依存の関係。
コントロールされ、コントロールしている関係。
実のところ、当事者たちがよしとするなら、その関係を続けることを批判することもないと思っている。だが、中島知子さんのように生活が破綻するところまできている場合は、その関係は解消させなければならないと思う。
そういう意味ではDVもそうで、暴力で傷つき、死んでしまうようなことが起きる前に助け出さなければいけない。
カミングアウトすれば、私自身、コントロールされていると思った相手がこれまでに2人いた。学生時代に付き合っていた男性と義兄嫁の2人。
学生時代に付き合っていた男性は、私自身がまだいろいろなことに確信を持てていない時期だったので、そんな隙間をするりと入ってきた感じだった。あれこれと、本やら音楽、芸術に関することなどを私のところに持ち込み、「これはいいものだ、あれはいいものだ」とまるで洗脳するかのようにその物で埋め尽くした。
「そうか、これらはいいものなのか」と私は思い込んで、その男性の言いなりになっていたような気がする。
さらに私がいいと思うことを言うと、即座に反応し、これはいい、あれはよくないとか評価を下す男性だった。
ところがそういうことが続くうち、私自身が私自身ではないような錯覚を覚え始めた。つまりは、この男性の言いなりになっている、と気づいたのだった。
きっかけは、もうなんともいえない息苦しさを覚えたこと。どこへ行っても、なにをしても、どこまでも付いて来るような男性だったので、生活そのものがその男性の物や考えで埋め尽くされたように感じたのだ。
思うに、精神的な暴力を受けていたのかもしれない。精神的なアメとムチ。上記のようなDVの関係に似た関係。
少々精神的な病に冒されている男性だったので、弱い人(可哀相な人)であると私も見ていたのだと思う。そういう側面から築いてしまった関係だったのだ。
そう気づいた途端、抜け出すためにもがきにもがいたけれど、きっぱりと関係を絶つということが有効だった。
その後、私は夫T君と結婚をしたが、そこであっけなくなかったことになった。結局、その程度の関係だったのだと思う。いま思うと、人を簡単に「可哀相」と思ってはいけない。可哀相と思ったことが、きっとその関係の始まりだった。
義兄嫁とは何度か書いているが、彼女のコントロールが始まったのは、T君の家族がまるで彼女の言いなりになったかのように、遊びに行ったり、食事をしたりしているところへ、私たち次男夫婦が入り込んだときではなかったかと思う。
彼女は思い通りにならないと癇癪を起こすということを繰り返し、まるで腫れ物に触るような付き合いが始まった。
挙句、彼女が自分の精神的な障害(義兄嫁が訳のわからない発言を繰り返した後、「私は頭がおかしいのだと思う」と私に言った)をカミングアウトしてからというもの、さらなるコントロールが始まった。
「頭がおかしいのなら、病院で診てもらいなさい」と。
そして友人にお願いして病院を紹介したりもしたのだが、なんだかんだと言って来て何も改善されない。T君の両親も長男の嫁であるから、彼女のほうに肩入れをして私は悪者扱い。面倒くさいから悪者でいいや…と思ったものの、彼らの存在(関係)が恐ろしいものへと変わった。
それがわかったときに、私は付き合いを断つことにし、彼女へは決別をはっきりと宣言。そこでコントロールから抜け出すことができた。たぶんこれも、彼女を「可哀相」と思ったことがきっかけだと思う。
この2人に共通して言えることは、どちらも精神的な弱さ(病)を人に知らせることで、自分を弱い人間と思わせて、相手をコントロール下に置くということをしている。義兄嫁にいたっては、長男の嫁という立場を振りかざしているところもある。
そして私自身は、きっとこういう人に弱いのだと思う^^; 可哀相だと思ってしまうのだ。
可哀相と思って何とかしようと思って、反対にコントロール下に置かれてしまうという…。
でもこれは大変勉強になった。
元に戻る。
twitterで起きたことは、この手法に似ているような気がしている。
同じような膨大な情報に埋め尽くされてしまうと、人というのはそれを信じ、その情報にコントロールされてしまうのではないかということ。
流行のものに飛びつくことだってそう。あえて「流行を作る」という言葉があるくらいなのだから、その流行というものにコントロールされてしまっているのだ。善し悪しはともかく。
ステマ(ステルスマーケティング)の手法もこれに似たものなんだろうと思う。
口コミサイトもそうといえる。
韓流ブームもある種、そういう側面があるように思う。
うっかりコントロールされてしまうのだ。
疑うとか、これはおかしいとか、ある程度の知識をベースに持つべきとは思うが、そんな視点を忘れてはいけないと思ったことでありました。あと、心に隙を作っちゃいかん。自己評価は等身大か、高めに持つべし^^;
ということで、厄介な案件は終わり(笑)
中島知子さん…助け出されるといいですね。
おしまい。
昨年の東日本大震災から本格的にtwitterを使うようになったのだけれど、ここのところの中島知子さんの報道を見ていて、情報操作による思い込みの恐ろしさというのを改めて考えてしまっている。
一時、上杉隆さんというフリージャーナリストをフォローしていた。なぜかというと、雑誌などでマスコミを批判したり、「自由報道協会」を主催して、記者クラブが行う記者会見への批判を行ったりして、それはそれで面白いと思っていたからだ。
マスコミにおける報道の偏り、ちゃんと報道すべきことを利害関係を慮って報道しないとか、そんなことにもうんざりしていたから、彼のような存在はいいことではないかと思っていたのだ。
ところが、twitterでの彼の文(つぶやき)はよしとするものの、その彼の文に共感したり賛同したりしている人の文を、さらに彼がリツイートしまくるので、私のtwitterのタイムラインがそのリツイートされた文で埋め尽くされてしまうようなことが起きはじめた。
※リツイートとは、他の人が投稿した文(つぶやき)を引用すること。
※タイムラインとは、投稿された文(つぶやき)を時系列に表示したもの。
多くの人をフォローしていれば、こんなことは起こらないのかもしれないが、ある一定の人(関係者)がつぶやいている文章で一杯になってしまうということが起こるのだと、初めてここで知ったのだった。
そしてここに、上杉隆さんの文章の真偽はともかく、引用されることでその情報は膨大な量になり、いつの間にか上杉さんが発信した文章は正しいのではないかと思うようになってしまう。そんなカラクリが潜んでいるのではないかと気がついた。
はからずも町山智浩さんが「上杉信者」と銘打ったように、上杉さんの発している情報は正しいと思い込んでいる人が、これで多く生まれているのではないか…ということ。
それはtwitterのような短い文章で繰り返されることにより、ある種の洗脳のようなことが起きているのではないかと思ったのだ。
私はそこで上杉さんのツイートをアンフォローした(フォローをやめた)。
すると、上杉発言に埋め尽くされるようなことはなくなり、自分自分にとっての正常な流れを作ることができたような気がした。
転じて、中島知子さんのこと。
以前、このブログでも書いている本があるのだが…。
http://nekotoro.blog.so-net.ne.jp/2005-03-01-2
私をコントロールしないで!―あなたを支配するパートナーとの縁の切り方
- 作者:
- 出版社/メーカー: ヴォイス
- 発売日: 2002/09/01
- メディア: 単行本
この本が真っ先に思い浮かんだ。コントロールする関係。コントロールされる関係。
ここで考えを深めたのは、自己評価の低い人はコントロールされ、あるいはコントロールする人になりやすいということ。
自己評価が低いと、自分の考えていることより相手のほうが上と見てしまうので、その相手の言いなりになってしまう。(コントロールされる)
反対に、自己評価が低いことを武器に、相手に弱い人と思わせて、そして弱い人は大事にしなくてはいけないというような思いを持たせ、相手を言いなりにする、というようなことが行われる。(コントロールする)
これは意識的に行っている人もいると思うが、無意識にこれを行っている人もいると思う。
要するにマインドコントロールなのだけど、「依存」、「共依存」とも言われるが、結局はお互いが依存しあっている関係であって、なかなか抜け出せない関係となる。
ドメスティックバイオレンス(DV)でも見られる。
例えば、男性から暴力を加えられても、その後男性が女性にやさしくなって、「お前だけしかいないんだ」などと言ったりする。そう言われることで「この人には私がいなければいけないんだ」というように思い込み、DVの関係から抜け出せない、というのもこれ。
依存・共依存の関係。
コントロールされ、コントロールしている関係。
実のところ、当事者たちがよしとするなら、その関係を続けることを批判することもないと思っている。だが、中島知子さんのように生活が破綻するところまできている場合は、その関係は解消させなければならないと思う。
そういう意味ではDVもそうで、暴力で傷つき、死んでしまうようなことが起きる前に助け出さなければいけない。
カミングアウトすれば、私自身、コントロールされていると思った相手がこれまでに2人いた。学生時代に付き合っていた男性と義兄嫁の2人。
学生時代に付き合っていた男性は、私自身がまだいろいろなことに確信を持てていない時期だったので、そんな隙間をするりと入ってきた感じだった。あれこれと、本やら音楽、芸術に関することなどを私のところに持ち込み、「これはいいものだ、あれはいいものだ」とまるで洗脳するかのようにその物で埋め尽くした。
「そうか、これらはいいものなのか」と私は思い込んで、その男性の言いなりになっていたような気がする。
さらに私がいいと思うことを言うと、即座に反応し、これはいい、あれはよくないとか評価を下す男性だった。
ところがそういうことが続くうち、私自身が私自身ではないような錯覚を覚え始めた。つまりは、この男性の言いなりになっている、と気づいたのだった。
きっかけは、もうなんともいえない息苦しさを覚えたこと。どこへ行っても、なにをしても、どこまでも付いて来るような男性だったので、生活そのものがその男性の物や考えで埋め尽くされたように感じたのだ。
思うに、精神的な暴力を受けていたのかもしれない。精神的なアメとムチ。上記のようなDVの関係に似た関係。
少々精神的な病に冒されている男性だったので、弱い人(可哀相な人)であると私も見ていたのだと思う。そういう側面から築いてしまった関係だったのだ。
そう気づいた途端、抜け出すためにもがきにもがいたけれど、きっぱりと関係を絶つということが有効だった。
その後、私は夫T君と結婚をしたが、そこであっけなくなかったことになった。結局、その程度の関係だったのだと思う。いま思うと、人を簡単に「可哀相」と思ってはいけない。可哀相と思ったことが、きっとその関係の始まりだった。
義兄嫁とは何度か書いているが、彼女のコントロールが始まったのは、T君の家族がまるで彼女の言いなりになったかのように、遊びに行ったり、食事をしたりしているところへ、私たち次男夫婦が入り込んだときではなかったかと思う。
彼女は思い通りにならないと癇癪を起こすということを繰り返し、まるで腫れ物に触るような付き合いが始まった。
挙句、彼女が自分の精神的な障害(義兄嫁が訳のわからない発言を繰り返した後、「私は頭がおかしいのだと思う」と私に言った)をカミングアウトしてからというもの、さらなるコントロールが始まった。
「頭がおかしいのなら、病院で診てもらいなさい」と。
そして友人にお願いして病院を紹介したりもしたのだが、なんだかんだと言って来て何も改善されない。T君の両親も長男の嫁であるから、彼女のほうに肩入れをして私は悪者扱い。面倒くさいから悪者でいいや…と思ったものの、彼らの存在(関係)が恐ろしいものへと変わった。
それがわかったときに、私は付き合いを断つことにし、彼女へは決別をはっきりと宣言。そこでコントロールから抜け出すことができた。たぶんこれも、彼女を「可哀相」と思ったことがきっかけだと思う。
この2人に共通して言えることは、どちらも精神的な弱さ(病)を人に知らせることで、自分を弱い人間と思わせて、相手をコントロール下に置くということをしている。義兄嫁にいたっては、長男の嫁という立場を振りかざしているところもある。
そして私自身は、きっとこういう人に弱いのだと思う^^; 可哀相だと思ってしまうのだ。
可哀相と思って何とかしようと思って、反対にコントロール下に置かれてしまうという…。
でもこれは大変勉強になった。
元に戻る。
twitterで起きたことは、この手法に似ているような気がしている。
同じような膨大な情報に埋め尽くされてしまうと、人というのはそれを信じ、その情報にコントロールされてしまうのではないかということ。
流行のものに飛びつくことだってそう。あえて「流行を作る」という言葉があるくらいなのだから、その流行というものにコントロールされてしまっているのだ。善し悪しはともかく。
ステマ(ステルスマーケティング)の手法もこれに似たものなんだろうと思う。
口コミサイトもそうといえる。
韓流ブームもある種、そういう側面があるように思う。
うっかりコントロールされてしまうのだ。
疑うとか、これはおかしいとか、ある程度の知識をベースに持つべきとは思うが、そんな視点を忘れてはいけないと思ったことでありました。あと、心に隙を作っちゃいかん。自己評価は等身大か、高めに持つべし^^;
ということで、厄介な案件は終わり(笑)
中島知子さん…助け出されるといいですね。
おしまい。
人と関わりを持つっていうのはなかなかそのバランスや匙加減っていうのが難しいものですよね。
そうなる前に誰か何かできなかったの?って思うのだけれど...
「癒されるのも人だし、ストレスになるのも人だし・・・」
と、りんごの姐さんもおっしゃっておられましたっけ...^^
twitterは登録だけはしてあるけれど、機能してないしー
友人からのしつこいFBの誘いもあいかわらず拒否している頑固な私〜^^あはは。
by nakasama (2012-02-23 10:29)
*nakasamaさま*
ホントにね・・・難しいですよね。
どこまで入り込んでいいのか、わからなくなるときがあります。
そんなときは距離を置くと…^^;
twitterは使い方次第のように感じていますよ~。
私はサッカー関係とクレイジーケンバンド関係ばかりフォローしているので
そんなことばっかり、どっぷり浸かっています(笑)
私もFBの誘いがありますが…。面倒くさいから同様に拒否…。
もう十分だなあて思ってしまっていますう~。
*Blue☆さま*
ありがとうございます。
by toro (2012-02-23 11:18)
インターネットでの検索も、いろんなサイトで同じ記述を見つけるとそれが正しいと思ってしまうのですが、もしかしたら元を質せば情報ソースは同じってこともあり得ますよね。その情報源が誤っていたら……なんてことをしょっゅう考えます。
だから私程度のブログでも、やっぱり記載内容は慎重に…って思ってしまったりもします。多くの一般人が発言する場を持ったことによって、情報の質が明らかに変わってきていますよね。
by めりっさ (2012-02-25 03:22)
*めりっささま*
情報量が膨大になった…と思うものの、実はそうでもないと思ったり…。
要するに、自主的に必要と思わないと、情報は得られないという形にも
なってきましたよね。
そこが危うさのひとつになっているのかなあ~などとも思っています。
それにしても、伝言ゲーム的な間違いもあるし、めりっささんのおっしゃるように
情報源が間違っているという可能性もあって、さらに慎重にならなければ
いけないと思います。
本当のところ、この辺が一番「自己責任」が問われることなのかもしれないですね。
恐ろしい世の中になってきています。うん^^;
by toro (2012-02-27 16:36)
*Blue☆さま*
ありがとうございます。
by toro (2012-02-27 16:37)
私は自分の考えを押し付けてくる人はちょっと苦手。
でも、いろいろな人の考えを知りたいなぁと思うことはあります。
twitterはリツイートが多いと、見たくもない宣伝を見せられているようで、いやですね。
どんなに有名な方でもさよならさせていただいています。結局、気心の知れた方とか、ニュースサイトとか、情報をこちらが求めているところだけをフォローしています。
ネコちゃんの様子とか、些細な日常の様子を垣間見ることができると心が和みます。twitterは、マメなんですけどそのおかげでブログは遠ざかってしまいました。
by mamire (2012-05-09 21:36)
*mamireさま*
そうなんですよねえ。リツイートの功罪は大きいよな~と思います。
私も、あまりに多い人はアンフォローするようになりました。
情報過多なのかもしれませんが、実はそれは同じ情報の繰り返しであって
過多というわけではないのではないか、という気もしています。
あまりにも少数派の意見が聞こえなくなってきました。
大きな声の人に集まってしまうことと同じですよね。
小さな声でも、価値があることは多いと思うのに…と…。
手段は違えど、歴史は繰り返されるということなのかな。
by toro (2012-05-10 08:58)