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最近読んだ本 [本の感想]

星野源さん、細野晴臣さんの対談本に続き、岡村靖幸さんの「あの娘と、遅刻と、勉強と」を読みました。


岡村靖幸『あの娘と、遅刻と、勉強と』 (TOKYO NEWS MOOK 479号)

岡村靖幸『あの娘と、遅刻と、勉強と』 (TOKYO NEWS MOOK 479号)

  • 作者: 岡村 靖幸
  • 出版社/メーカー: 東京ニュース通信社
  • 発売日: 2015/04/24
  • メディア: ムック


この本を手に取ったとき、「あ、この本も『TV Bros.』の連載をまとめたものか」と、一人で笑ってしまいました。

星野源さんと細野晴臣さんの対談本も『TV Bros.』の連載だったのです。引き寄せられていますね、『TV Bros.』の編集者に(笑)

岡村靖幸さんがデビューした頃のことをよく覚えていて、「なんだ? この歌いっぷりは」と驚きました。

歌がうまいという感じでもなく、見た目もカッコいいとは思えない。でも何だか惹かれてしまう。そんな印象がありました。そして「だいすき」を聞いて、歌っている姿を見たときに、「なんてストレートなんだろう。そしてなんだ? このメロディーは」と思ったのでした。

はっきり言ってものすごく変わっているし、でも目が離せない。

しかし挙動を見ていると、精神的に不安定な人なのではないかとも思っていました。そして案の定、覚せい剤の使用で逮捕されて、さもありなんという状態に。

これで「もう復活はないのか」と思っていたところ、あらあら最近、またいい雰囲気をまとって復活してきているではないですか。

というのは私の感想ですが、そんな風に思っている岡村靖幸さんの対談本です。さまざまな人と対談をしています。

いとうせいこう(以下敬称略)、大根仁、川島小鳥、荒俣宏、水道橋博士、モーリー・ロバートソン、湯山玲子、久保ミツロウ、会田誠、津田大介、渡辺信一郎、矢野顕子、大貫妙子、アレハンドロ・ホドフスキー、高橋幸宏、坂本慎太郎、星野源

内容というと、岡村靖幸さんが発する質問が、あまりぶれないのが面白い。エロとか、孤独とか、寂しさとか……。この人はちゃんと中身を変えずに生きてきた人だと、強く感じる質問なのです。

岡村靖幸さんはオットT君が、嫌いなタイプの人なので、彼の音楽をあまり聴く機会もなく、PVも観る機会がないのですが、こっそりとPCで観たりしているこの頃。

観てみれば、またちゃんとエロとか、孤独とか、質問内容を感じさせるような歌詞であるし、ずっとこの人の中身にあったであろうリズム、メロディーがそのままに楽曲で表されています。すばらしい。


実は最近、「なんで芸術家や文化人が、政治的なことを声高に訴えなくなってきたのだろう」ということを、ずーっと考えてしまっていて、こういうミュージシャンの語ることに、何かその答えが隠されているのではないか。そんなことを思って、私の読書傾向がちょっと変わってきています。

本を読んで見出せるものがあればと。

下世話な話なのですが、いま一番売れているという男性グループのボーカルである人が、スピリチュアル的になってしまっていて、洗脳されているのではないか、ということがありました。

この報道に触れて、ふとこんなことを思ったのです。この人は言いたいこと、歌いたいことができずにいるのではないか。

そう思ったときに、岡村靖幸さんの覚せい剤とか、Xジャパンのボーカリストの洗脳騒ぎとか、誤解を恐れずに述べれば、この人たちは、言いたいこと、歌いたいことが何か抵抗勢力のようなものから封じられてしまって、こういうものに走ってしまったのではなかろうかと思ったのです。

いやいや、実際は本当に誘惑に負けたのだと思っています。己の才能に限界を感じてということもあるでしょう。でも「当たらずといえども遠からじ」なのではないか。

ひとつの仮説です。

本当に昔に比べて、政治的な歌やメッセージソングを耳にすることがなくなってきました。作家が戦争を反対したり、反原発を訴えたりする姿も見えなくなってきました。

なぜなのでしょうか。

いまの政府とマスコミのせいであると、私は思っています。そしてそのスポンサーになる企業も同罪。

さらに言えば、信条に反しているものを見たり聞いたりすると、途端にクレイマーに変身する国民のせい。

要するに、偏ったものへ集まってしまう人の、変容を見ているような気がしてならない。

言論の自由といえば堅苦しいですが、そんな自由も許されないような雰囲気になってきている。私自身はそれがものすごく嫌で、気になって仕方がないのです。

そういう雰囲気が芸術家や作家を追い詰めている結果になっているのではないかと。



そういえば数か月前に、沢田研二さんがライヴのMCで、ISに対する自説を長々と話したという記事に接しました。政治的なことを長々と話すよりも歌ってくれと、見に来ていたファンはそう思って「歌って~!」と叫んだといいます。それに対し、「黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!」と沢田研二さんは返したとか。

これに対し、批判的な人が多いようでした。「老害だ」という人もいます。

でも私は、本人も言っているように、嫌なら帰ればいいと思います。ほかの記事を読むと、どうやら沢田研二さんのライヴではこういうことがよくあることで、知っている人は知っているようです。そうであればなおさらのこと。行かなければいいのです。

山下達郎さんのライヴでも、達郎さんはいつも怒っていますよ(笑) その怒りが曲になったものもあります。やはり最前列にいた人の挙動がひどくて「帰れ!」と言ったこともあるようです。


何が言いたいのかというと、TVやラジオの公共の電波は、もう言論の自由が許されないのかもしれません。でもミュージシャンの活動するライブ会場や、芸術家のためのギャラリー、文化人が表現する場である活字の世界は最後の砦にならないといけないのではないでしょうか。

ここで否定されるようなことがあれば、じゃあどこで表現をすればいいのだ、ということになります。

そういうところすらなくなってしまったら、結局、宗教やクスリに走ってしまうとか、隠遁するとか、地道な生活を選ぶ人もいるでしょうね。

せっかくの才能が台無しです。



恋だ愛だという甘い音楽や若い人たちのグループの音楽で、音楽番組はつまらなくなりました。

社会問題提起するようなドラマも少なくなりました。

政治家のものまねをする芸人もテレビでは見なくなりました。



恋だ愛だと歌われていても、少子化問題はちっとも解決の糸口が見えないというのも皮肉なものです。



もっと言えば、「自分の信条に反するものは受け入れられない」と思う人に、「それは本当に自分の信条なんですか?」と問いたいです。

自分の信条がしっかりとゆるぎないものであるならば、ほかの信条に対して、通常は寛容になれるものです。

揺らいでしまう信条だから、それを壊されたくないから、ほかの信条を攻撃するのだと思います。




そういうことなんですよね。



長くなってしまうので、もとに戻りますが、覚せい剤の事件から復活してもなお、まったく中身の変わらない岡村靖幸さんの本もなかなか面白かったという話でした。


おしまい。
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