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絵本がない? [本の感想]

少し本の話が続きます。というのも、ヒマなのです。

うむ、多少の語弊はありますが、いま本を読むことぐらいしか思いつかず、何かをしようという気にもならず、ただただぼ~っとしているか、本を読んでいるかという感じでありまして。

なんて贅沢な時間の使い方をしているのだろうと若干の罪悪感も覚えつつ……(笑)

だけど、最近読んだ本ではなく、昨年読んだ本のお話。「あのとき、この本」。

あのとき、この本

あのとき、この本

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2014/03/20
  • メディア: 単行本


絵本についてのエッセイを71人分まとめた本です。

それぞれが幼いころに触れて印象に残った絵本を紹介しているのですが、その絵本にまつわるご本人のエピソードを含めてエッセイとして書かれています。

添えられた「ときこの本」という漫画がちょっとしたアクセントになっていて、面白く読ませる構成になっています。

これを買って読もうと思ったのは、本好きを自認する人間ですから、これは読んで共感する部分がいっぱいあるに違いない。そんなことを感じ購入に至ったのでした。

そして手に取り読んでみると……。

知っている絵本が全然ない。

あれ?



唯一、アーサー・ビナードさんが取り上げていた、誰もが知っているだろうこぶとりじいさんの話、「こぶとり」くらい。アーサーさんはエッセイのなかで「かちかち山」や「さるかに」のことを書いていて、「うんうん、それは知っている」と思ったけれど、ほかの人が紹介している絵本に知っているものがない……。



う~んと考えました。

いま思い出しても、絵本の体裁をしたものは「シンデレラ」ともう一つ、切り絵作家の絵本はあったような気がします。

いやいや「ちびくろサンボ」や「3匹のこぶた」なんかはあったかな? くらいの記憶。


そういえば、母に読み聞かせをしてもらった記憶もありません。

なぜだろう、と数日考えました。

そして思い出したことといえば、「そうだ、私が生まれたとほぼ同時期に、父が闘病生活に突入したのだった」ということでした。

そう考えると、母も読み聞かせなんていう余裕はなかったのだろうと思います。

さらに言うと、幼少期、私は長い間、親戚の家に預けられていました。

その親戚の家には従兄・従姉がいましたが、どちらも高校生という年齢。絵本なんてあるわけがないという環境でした。

英語のラジオをずっと流しているような洋風の大人な家庭で、ただ従兄・従姉にあやされて、寝かされてという生活だったと記憶します。(とても可愛がってくれたことは覚えています)。

そういうことが幼稚園に上がるまで続いていたので、「そうだ、絵本は幼稚園のときに知ったものだ」と気づいたのでした。

ということはいくつかの絵本に接したのは、幼稚園児であった1年間だけか?

そこは定かではないのですが、考えてみると、私は絵本のほとんどない幼少期を経ていたのだというわけです。

うむ。

ということで、この本については共感したくてもできなかった、というお話でした。


まあでも、こういう記憶の掘り起こしもできたので、よしとするべきか。



話を幼少期のことに転じると、なんかね……、幼少期の自分は結構過酷な生活を送っていたなと^^;

親や姉と離れて過ごしていた時間が長いわけで、幼心にも不安だったろうなあ、と思うのです(覚えてはいませんが)。

それを思うと、小さい頃の自分に「よくやった。頑張った」と言ってやりたいと思います。はい。


おしまい。
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最近読んだ本 [本の感想]

ここのところ乱読模様で、ちゃんと本を読んだという実感がない。いやいや、読んではいるのだけど残ってないと言ったほうが正解か。

昨年、恩師が亡くなり、近所にお住まいだったというのに奥様に挨拶をしていなかったので、ゴールデンウィークが始まった頃に伺った。

奥様は私より8つほど年上なのだが、見てきたこと、聞いてきたことが似ているせいか、共通の記憶も相まって話は弾み、いろんな話をして笑ったり、涙ぐんだり……。

そんななか出てきて笑ったのが、「本を読むんだけど、内容を覚えていなくて、同じ本を買っちゃったりするのよね~」と言っていたこと。

20年ぶりに奥様に会ったのだが、お互い年齢を重ねて同じことをしていたことに笑った。

本を読んでその場では感動をするのだけれど、それが記憶に残っていないという恐ろしさ。そして、ちゃんと読めば記憶は蘇ってくるのだけど、ぱっと見ではわからなくなってきているというこの現象。年齢を重ねるということはこういうことか? と笑ってしまったのだった。

そういう読書傾向にある今日この頃だが、少し面白い本を読んだ。

これ。

地平線の相談

地平線の相談

  • 作者: 細野 晴臣
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/03/28
  • メディア: 単行本


細野晴臣さんと星野源さんの対談集。雑誌の連載を一冊の本にまとめたものだ。

星野源さんが、細野晴臣さんに相談をするという体裁を取っている。

星野源さんに興味を持ったのは、NHKのLIFEというコント番組を見てから。その前から知らなくはなかった。作家でミュージシャンで役者でもあり、くも膜下出血で倒れて復帰して来て、再び音楽も役者も始めているという人だということは知っていた。

ずいぶんと多才なようだけど、どうなの? という印象しか持っていなかった。

LIFEを見るのも、コント番組というのがこの世から減ってしまって、どうしようもないバラエティ番組ばかりになってしまっているからというのが大きな理由。いまどきのコント番組も悪くはないと思って見ている。

ムロツヨシさんが出ているというのもあるけれど(笑)(←やたらと目に付くムロツヨシ。なぜか気になるムロツヨシですよ^^;)

その番組で、不思議な温度でたたずむ星野源……。

なんで出ているの? と思うわけだ。

そこでこの本。細野晴臣さんが相手というから、何気なく読んでみた。

1981年生まれの星野源さんを相手に、1947年生まれの細野晴臣さんがどんな話をしているのか。いまどきの若い人の考えってどうなのかという興味もあった。

若いと言っても、今年34歳。うむ。若くはないか。でもこの対談を始めたころは26歳。ま、若いな。

これを読んで、星野源さんというのは、いわゆる、昔でいうところのサブカルチャーなのだと思うのだけれど、そういう場所にいる人なのだなということがわかった。

なので多才と言ったらいいのか。(昔のサブカルチャーと言ったら、何でもやる人が多かったからね)。

そしてちゃんと自分の言葉を持っている人だということがわかった。なんというか、いまどきの若者は、ちゃんと自分の言葉を持っているのか? という疑問があり、要するに、インターネットの普及のお蔭で、何でも調べれば出てくる時代。検索能力さえあれば、自分でものを考えなくても何とかやっていけるような状態にある。なので、そういう若者ばかりになっているのではないか、と思っていたのだ。

でも、そりゃそうだ。こんな創作活動をしているんだから、自分の言葉を持っていなくてどうする、っていう話になる。

私はちょっとバカにしていた、こういう若者を。でも細野晴臣さんを相手にして、ちゃんと自分の考えていることを話しているではないか。

ほっと一安心の若者像。

この対談のなかでとても印象に残った話があった。

細野さんが「……あらゆる音楽はもう全部聴き尽くしたなって白けた感じだったの。ところがそれは無知だということが最近わかった。新しい音楽に発見はないんだけど、古い音楽には発見がいっぱいあるんだよ。これは“今までにない体験”なんだよね」と言うと、星野さんは「自分は2000年にバンドを始めたんですが、その頃、もう直線的な時代じゃないというのは感じていました。……立ち止まっているというか、前じゃなくて周りが広がって行くというか、いままでの立体の法則が変わってきたという感じがあって。モチベーションの持ち方みたいなものを見つけるのに、ものすごく時間がかかったんですよ」と言う。

そして「時代の波がない中、いろいろともがきながらサケロックをやってきて思ったのは、さっき細野さんがおっしゃったように、面白いことというのは常に自分が考えないとダメなんだろうなって。もう時代が協力してくれないという感じがあるんですよね」と。

「だから、ゼロ年代って言うのはやめたほうがいい。今、軸は、年代じゃなくてそれぞれの個人にあると思うんです」、「縦じゃなくて横の広がりということなんでしょうね。だからこそ爆発的なヒットは生まれにくいんだろうけど、その人その人の世界が横一列でぶわーっと並んでいて、それは面白いんじゃないかと思うんです」と言うのだった。

それを細野さんは「いいこと言うねぇ」と言うのだけれど。

この話は、細野さんが書いたあとがきでも触れられていて、「長く生きていれば、相談のひとつやふたつは乗れるが、星野くんの相談は延々と続いた。それはもはや相談ではなくなり、問いかけになっていった。その中で星野くんの言った言葉が今回のテーマになっていることに気がついたのだ。それは『今、軸は、年代じゃなくてそれぞれの個人にあると思う……』という件だ。この相談も、若者とオッサンの対話ではなく、個人と個人のお喋りなのである。それも日々生きていく生活の話だったり、それぞれ固有の身体感覚であったり……そういう普段は人に話さないことの確認だったりする」とある。

これらを読んで、あっと思った。

老いも若きも同じ悩みを時代とは関係なく抱いているのだと。いや、同じ悩みというのは違うか。年代ではなく、個人であるということ。

年代で一括りではなく、個人でそれぞれ見ているということ。

つまりは、自分が感動している横にいる人は、同じ年代の人ではない。ふと横を見ると、20歳も離れた人がいるかもしれない、ということなのだ。

星野源さんはよく考えている。ずいぶんとその考えにたどり着くまで時間がかかったと言っているけれど、それは自分で体験して、創り出すということをしっかりしようと考えたからだと思う。確かにモチベーションを持ち続けようと思うと、その壁にぶち当たることは想像できる。そこから、それをどう打開するかと自分で考えるか、それとも適当に流すかということなのだと思うのだけれど、星野さんはちゃんと考えた。

そして見つけたのが「年代ではなくそれぞれ個人にある」「横の広がり」ということだった。

自分より若い人がこういうことを考えているということを知って面白かったし、横にいる若者に同じように話しかけることもできるのだということがわかった。



先日、恩師の奥様とも、「昔は楽しかったわね~。面白いことがたくさんあったわよね」と話をしたところだった。そして「なんでいまは面白くないのかしら」と2人で首をひねったのだった。

きっと昔面白がったことでも、まだまだ見つけられることはあるし、それを横にいる若い人に話をしても、通じるかもしれないということなんだ。

「年代ではなく個人」。

装丁を見ると、サブカルのお手軽書籍なのだけど、読んでみて、結構面白くて、発見があった本だった。


おしまい。
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弾丸金沢の旅⑥ [旅話]

少し時間が経ってしまったので、自分自身が持つ臨場感がなくなってきましたが、金沢ネタを引き続き。

「加賀百万石」と言われるように、何だか強くて偉いイメージの金沢。行ってみて思ったことは、「やっぱり豊かな町」なんだということでした。

海も山も川も、自然が申し分ないほどまとまってあって、食べることには絶対に苦労することはない、と感じさせるような土地なのです。

たった一泊しかしていない私がこう言うのですから、その底力はいかほどのものかと思います。

雨が降っていたせいもあるかもしれませんが、とにかく水で苦労することはないのだろうと、そのくらい水を感じるところでもありました。

日本酒をたくさんいただいたせいかな(笑)

まずは川。犀川。
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国の登録有形文化財に指定されている「犀川大橋」。
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1594年(文禄3年)には、この場所に犀川唯一の橋が架けられたのだそう(wikipediaより)。

それから形は変われど、ずーっとあるというのですから、金沢の人にとって見れば日常の風景であり、なくてはならない橋だったのだろうと想像するわけで、その歴史を考えるだけでも、この土地のある種の豊かさを感じざるを得ません。

それから気になったのが用水路。
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辰巳用水と言われる用水路。
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行ってすぐに金沢の町をぐるぐるぐるぐる歩き回っていたときに、とにかく気になって仕方がない用水路でした。

なぜこのような人工的なものを作ったのか? と。お城を守るためのものなのか? と思いつつ、写真に収め、帰ってきてから写真を見て「へえ」と思ったり。図らずも「ブラタモリ」で金沢が放送されたときに、この用水路のことが取り上げられて、さらに「へえええ」となりました。

逆サイフォン方式……。詳しくはこちら→●
こちらのサイトも面白い。→●

いやいや、こんな用水路を造らせる加賀という国はすごいなと思いましたよ。
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もう少し時間があれば、洋館にしても、用水路にしても、じっくり見て回れたのにと少々悔しい思い。

まあ、何年か後のお楽しみとして残しておきましょうか。


お水から日本酒のお話に変わりますが、金沢の水は甘いと言われました。だから日本酒も甘口が多いのだと。

そして、夜はこちら(→●)のお店「猩猩(しょうじょう)」さんで日本酒を幾種類もいただいたのですが、確かに甘めのお酒が多かったです。でも、種類もたくさんあって、どれだけ蔵元があるんだい?という感じ。

夜、ヒトリで一杯やるならば、カウンターのあるお店ということで選んだのですが、とっても正解なお店でした。

妙齢の女ヒトリ、予約もいれずに行ったものの、快く迎え入れてくれてありがたや。

そして、やはり一人でカウンターの端っこにいた常連さんと思われる少々高齢の男性に、金沢のことやらいろいろな話を伺いつつ、カウンターに立つ女性もキップがいいもので、話も弾み、楽しい夜となりました。

農口酒造の山廃仕込みが一番私には合ったかなあ。

最初にぐい飲みを買った陶器屋さんで、吉田酒造のお酒を薦められていたのですが、うっかりいただくのを忘れてしまいました^^;

こちらも今後の課題として残しておきましょうか(笑)


しかし、お水もお米もいいから美味しいお酒が生まれるんですね、当然のことながら。



ということで、面白美味しい金沢の旅はこれにて終了~。

ちょっと取りこぼしもあるけれど、それはまた思い出したときにでも。
(石垣とかも気になったんですけどね。それから遺構なども結構あって、興味はつきませんでした。←これも今後の課題^^)


おしまい。


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