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こりゃまた不思議 [お金の話]

ここのところ訳あって節電について調べているのですが、どうも不思議な印象を持っていて…。

本当に家庭で節電は必要なのかな? ということです。

もちろん原発の再稼働を許さないためにも、電力消費は控えるべし! と思っていますが、この夏の電力不足を見越した国を挙げての節電キャンペーンには違和感を覚えたのでした。

とにかくいろんな資料を当たっているのですけどね…。

経済産業省が出している「夏季の節電メニュー」という資料があるのです。
(これは、東北・東京・中部・北陸・関西・中国・四国・九州管内の家庭向け資料です。)

一気にいろんな地域のメニューを見ようと思ったらこちら。⇒ 

それで、この資料の2ページ目を見て「ああ、なるほど電力消費のピーク時はこの時間帯なんだ~」と、「なるほど~」と思っていたわけです。

でも、この資料では電力量が全くわからず、ただ折れ線グラフで表しているだけなんですよ。そして、途中には省略の波波線があったりして、「あれ?」と思いました。

それなら実際に一日の電力量としたらどのくらいなのさ、と思って調べてみたのですが、事業用に使われている電力量というのは何となくわかるようなわからないような…(電気事業連合会の資料を見てみた)。

一般家庭においては、数値となるデータが見つからないのでした。

独自に調べているものはあったりするのですが、それは引用しづらいし……。


でですね。

この経済産業省が作っている資源エネルギー庁推計のグラフを見て、どこに違和感を覚えたかというと、家庭での電力消費の多い時間帯と、「節電をお願いしたい時間帯」というのがズレているんです。

要するに「節電をおねがいしたい時間帯」というのは「事業用に多く電力が使われている時間帯」なのです。

???

つまり、その時間帯に家庭で使われている電力量というのは、グラフを見ても高が知れていて、そりゃ塵も積もればということもありましょうが、いくらその時間帯に家庭で節電しても特段変わらないんじゃない? と思ってしまうようなグラフなのです。

???

なので、家庭で使われている電力のピーク時といわれる時間帯の総量はどのくらいなのだろうと思って調べてみても、数字がわかりません┐(-_- )┌  (知っている方、教えてください)


明らかに事業用を減らすしかないんじゃない、という印象を持つわけです。

不思議じゃあ~。

考えてみると、真昼間は電車も本数が少なくなるし、働いていたり、学校へ行っていたりする人のほうが多いのですから、昼間の家庭(在宅時)の節電って微々たるものにしかならないのではないのか? と思うのですよね~。

そりゃあ高齢化で、在宅している人は増えているかもしれないけれど……。



う~む。


原発を再稼働させたいがための説得資料か? 電気代を上げたいがための説得資料か? 東電を助けたいがための説得資料か?

そんな穿った見方をしたくなってしまいました。

非国民と言われるか(笑)

ま~いいや。



変なの、と思ったことでありました。



最近、こんなことばっかりだなあ~。


おしまい。
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気になったこと つづき [お金の話]

前回の記事で「そんな親族の扶養義務を負うなんて嫌だ」と心情的なことを書いたが、生き死にがかかっているような場合は、こういう人も助けなければならないと思っている。

人は生きなくちゃいけないし、尊重されなくちゃいけない。尊厳を守らなくてはいけないのだ。

ただし、扶養という形で親族に押し付けることができるのか…と言ったら、それこそ心情的に難しいと思ってしまう。

例えば場面は違うが、介護の現場において、扶養できる人がすべてを負うべきかと言ったらそうではなく、制度として不完全かもしれないが、本人がいくらか負担しながらも、他人の力を借りることのできる介護保険制度が利用できるようになっている。

障害者福祉の場面でも、障害者自立支援という側面から一割は本人が負担しなければならないが、福祉サービスが受けられる仕組みができている。(障害者自立支援法については、これもいろいろと考えるところがあるのでなんとも言い難いところではあるのですが…)

要するに扶養義務を負うものががすべてを負担しなくても、基本的には本人次第で支援が受けられる形ができている。

では生活保護においてはどうなんだろう。こうした支援を受けながらの扶養義務を負うということが、生活保護の場面でできないのだろうかと考えた。




……結局、本人次第なのだ。

最後の砦となる生活保護をどんな場面で必要としているのか、本人の自覚に拠るしかない。

そしてこの本人が親族に扶養してもらえるとなったとき、この親族は扶養することによって受けられる支援なり、優遇措置なりを考えればいいということになる。

仮に親族に扶養を拒否されるのであれば、生活保護を受けることになるのだろう。


元に戻って謝罪会見までした芸人さんについて。

この人は母親の扶養義務を問われたとき、「扶養したくない」と答えたのだろうか。

おそらくそのときは「扶養したいけど扶養できるような余裕はない」と答えたのだと思う。
(私からすれば「扶養したくない」と言ったも同然のように受け取れるが)

そのとき、この母親はどう思ったのだろう。

「子どもに捨てられた」ぐらいに思ったのだろうか。

いやいや、せいぜい「もらえるものはもろとこ」程度しか頭になかったと思う。

だから受け続けられたのだろうし、何の悲しさもなかったように感じる。

つまりは教育の問題。このお母さんは何も知らなかったのだと思う。子に捨てられたとも思っていない。

はからずも会見で芸人さんが「勉強不足でした」と言ったように、芸人さんはその通り、勉強不足だったと思う。

扶養できるのであれば扶養して、税の優遇措置などを受ければよかったのだ。扶養することによって得する制度があるのだから。

勉強していれば、そんなことぐらいわかっただろうに…と思う。



だがしかし、やはり心情的な問題もはらむ。生活保護を受けることを恥と思うか。罪悪感を覚えるか。。。。。

そういう部分も考えなくてはいけない。本来は受けなければならない人が、「生活保護を受けるのは恥だ」と思い、受けずに餓死したとする。そんな事件は数多くある。

こういう人をどうやって救うのか。

問題になった芸人さんのお母さんと、生活保護を受けずに餓死してしまった人。この2人をどのように見るか、ということになるんだろう……。


社会に参加するということはどういうことなのか。そのことに尽きる。


扶養義務はさておき、社会参加というのは、社会の一翼を担うことであって、社会人になったときに誰もがその役割を担うことになる(税を納めることもそのひとつ)。

その「役割を担う」ということを知っているか知っていないかで違ってくる。

社会人としての役割を担う責任感といってもいいのかな。

おそらくこの芸人さんのお母さんはそんなことを知らない。そして恥と思って餓死してしまうような人は、その責任感を知っていて、責任を果たせないことを恥と思い生活保護を受けずに死んでしまうのだ。

知らなければ恥を知ることもないし、知っていれば恥ずかしいと思う。

その違い。

そして生活保護というものがどのような観点から成り立っているのかということを知ること。そういうことだ。

結局は教育だな…(笑)



まだまだ年金のこととか、税金のこと。「応益負担」と「応能負担」やら…いろいろと考えことはあるのですが、それも追々^^;



いや~難しいなあ。





ちょっとブレイク。
久々のtbちゃん。
tbちゃん.jpg
いたずらの最中であります^^;
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気になったこと [お金の話]

さて、気になっていることを書く。生活保護のこと。

近頃、ある芸人さんのお母さんが生活保護を受けていて、それが「不正受給」なのではないかと疑惑を持たれ、政治家にまで追及されて、さらにはマスコミまでやんややんやと報道している事件。

結局、芸人さんである本人の謝罪会見が行われ、ひとまず終わったかに思う。

このなかで私が引っかかったのは一点だ。

「もらえるものはもろうとけ」と言ったということ。本当にそう言ったかどうはわからない。ただ、私は言ったのではないかと思っている。だから謝罪会見まで行わざるを得なかったんだろう。

この言葉はいろんな場面にも当てはまって、いろんなケースが考えられるから実にやっかいなのだが、このケースに関して考えを進めると、「もらえるものはもろうとけ」と言ったタイミングがすべてだと思う。

貧困にあえいでいて、ニッチもサッチもいかなくなっているときに、この言葉は有効だろう。受けるべきなのだ。しかし、貧困を乗り越え、食べていけるまでになったときに「もらえるものはもろうとけ」と言ったのだとしたらこれが問題。

生活保護を受けなくても生活ができるということを、「わかっていながら」言ったのだと想像できるのだから。

「わかっていながら」というのが悪質であって、それこそが「不正受給」であると判断できる。それだけなのだ、この問題は。

それで謝罪をし、返還すべき期間分は返還すると言っているのだから、とりあえずマスコミはもう追わなくてもいいんじゃないかと思う。

ただし、生活保護の「不正受給」の問題は非常に根が深い。簡単なことではない。

「もらえるものはもろうとけ」で思い出したのが2009年に給付された「定額給付金」のこと。これは給付式の定額減税で、ほとんどの国民が受け取っていると思う。
このとき、私自身は自分が納付した税金なのだから、「もらえるものはもらっておこう」と思って受け取った。

政府のバラマキ的なことへの批判は一杯ある。でも決まってしまったことであり、減税の一部であるというのなら「もらっておきますよ!」と思った。
(「給付金」という形で、「ほら、金をやるから使えよ」ともったいつけて給付した政府の姿勢には憤りを感じるけどね。国民をバカにするんじゃない)

しかしこれは生活保護とは全く質の違うものなのだ。

果たして前述の芸人さんは、この質の違いに気づいているのだろうか。普通の人であれば当然気づくはずのこと。よく考えればわかることだと思う。これを突き詰めていくと、それは教育であり、躾であり、究極は美学にもなっていってしまうのだが。

ところで生活保護については、病気だったり、障害を持っていたりして働けない人、年金を受給できない上に働けない人、子どもを抱えて働けないシングルマザーとか、、、そういう人は受けるべきである。

今回のケースでは、そこで「扶養義務」ということが出てきた。

扶養すべきはどこまでか、誰までか。そんなことを考えた。

基本的には世帯を持ったら親や兄弟を扶養することはないと私は思っている。仕送りができる余裕があれば仕送りをすればいいし、本来はそれぞれで生活していくべきなのだから扶養する必要がないと考えている。

(ただし、扶養家族として生計をともにしているのなら、それはそれで悪いことではなく、扶養していいことだと思う。健康保険だとか扶養控除だとかの優遇措置を受ければいいのだ。扶養控除についてはココを参照
http://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/1180_qa.htm#q4

そう考えたとき、この芸人さんだって扶養する必要はないと考えるのではないか…ということになる。だが、この芸人さんは生活保護を受けるお母さんをネタにしてお金を稼いでしまった。それは周知の事実として誰もが知ってしまった。とあれば、扶養できるのではないか? と考えるだろう。

生活保護の申請で扶養義務を調査することになっているが、最終的な判断は人が行うことだ。

もし、生活保護を受けようとしている親族がいたとする。その親族と全く折り合いが悪く、絶縁状態であったとした場合、扶養義務があるだろうか。

その親族は借金を作り続け、回りに迷惑をかけていた人だとする。果たして扶養義務はあるのだろうか。

その親族は親であり、その親から虐待を受けていて、その後絶縁していたとする。果たして扶養義務はあるだろうか。

こういったケースをどう考えるのか。

このような人が生活保護を受け取るようになった場合、これを「不正受給」と言えるか。

それを判断せねばならないのだ。

今回の芸人さんのケースを単純に当てはめてしまうと、これも「不正受給」になってしまいかねない。それはとても恐ろしいことだと思っている。

果たしてそこまで扶養義務を背負わせなければならないのか。

私だったら嫌だ。いくらお金を持っていようが嫌だと思う。扶養できるぐらいの余裕があったとしても。


感情的なことにまで発展してしまう生活保護というのは、そんな問題もはらんでいるのだ。



思うことは、いまこそベーシックインカムを勉強するときかもしれないということ。

もうちょい考えます。

おしまい

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考えていることを少し…。 [お金の話]

話半分で読んでくだされば結構です。まだ先行きが見えてこないので、どうなるんだろうなあ~という妄想みたいなものです。

何が、どこが始まりだったのか、もう少し深く考えなければなりませんが、おそらくチュニジアの『ジャスミン革命』から始まっているのではないかと思います。

中東の民主化。各国で起きている自然災害。日本では、東日本大震災と原発事故。

そして、あまり大々的には報道されていませんが、ギリシャ、イタリアの金融危機。

これは結構厳しいです。

そして今月か、来月にはアメリカがデフォルト…。

ロイターの記事をどうぞ↓
http://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-21615520110609

格付け会社が格下げの検討に入った、というのを数日前に新聞で読んでいて、いよいよかと思いました。

この流れは止められそうもない。止まらない。

日本から見れば、西から風が吹いてきて、東に向かい、そしてそれがぐるりと回ってまた吹いて来る。

そんな気がしてならないのです。

なので、いろんな情報を見て回っているのですが、素人ですから(未来が見える人間でもない)、どういう方向へ転んでいくのかと。

興味深くもあり、不安でもあり。


う~ん。


インフレ…、貨幣価値の低下…。


嫌な方向へ行くとすると、領土問題に発展。下手をすると戦争勃発です(ちょっと中国がきな臭い)。


いい方向へ行くとすると、資本主義、物質主義を乗り越えて、新しいシステム(構造)の構築。


そんな感じか。


まあ、短期間ではいろいろなことは起きないと思うので、割と楽観しているところもあるのですが、何が起きても驚かないように、ある程度は身構えるか、勘を研ぎ澄ますかしていたほうが賢明のようです。

とはいえ、チュニジアの革命からまだ一年が経っていません。相当早いっていえば、早い。


う~ん。


やっぱりお金以外で、自分が信用できることを突き詰めて、揺るぎない心でいるっていうことが一番かな。



そんなことをいま考えています。

(私自身は、かなり前からアメリカは破綻している状態ではないのか、と思っています。いくら考えても、いまのドル安はおかしすぎるんですよ。オサマ・ビンラディン殺害の時期も変。)





いやいやでもね、楽しめるときは楽しまなくちゃと思います。

とにかく、人は幸せにならなくてはいけないのですから。





ついでに、これもくっつけておきます。
■みんなで決めよう『原発』国民投票■http://kokumintohyo.com/
これは選択肢としても、考えるきっかけとしてもいいのではないかと思いました。
どんな団体か、いまひとつわからないのが難点で。
見極められたら見極めます。手順を考える必要がありそうで……まだ賛同はしていません。

http://kokumintouhyou.org/
http://2010ken.la.coocan.jp/datsu-genpatsu/index.html
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相続の放棄 [お金の話]

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一昨日だったか、朝日新聞に東日本大震災の被災者の相続について書かれていた記事を読んだ。行方不明になっている方々の、その親族は何とも考えたくない話といえようが、考えなくてはいけないことだと思う。

金融機関も税務署も容赦ない。それで食べている組織なのだから。

現実的な女なので、自分の体験したこと、経験談しか書けないけれど、こんなことがあった。

震災の一日前に私の叔父が他界している。その叔父は多くの負債を抱えていた。多くの負債を抱えたがために死んでしまったのであるが…。

当然のように、家族はその負債を肩代わりすることができず、相続を放棄した。

家族は放棄したはいいけれど、その相続権というのはどこへ行くのか。

法定相続人というのは血族の第3順位まで定められていて、配偶者と親・子、その兄弟と子までがその範囲となる。基本的には配偶者と子が相続しておしまいになるものであるが、配偶者と子が相続を放棄した場合はどうなるのか。

第3順位までかかってくるということなのだ。

つまり配偶者と子が相続放棄をしてしまったら、次はその兄弟に相続が回ってくるということになる。そして兄弟もまた相続放棄の手続きをしなければ、負債があった場合にその負債を相続してしまうことになる。

ひゃ~ってな具合だ。

叔父の場合は配偶者・子が放棄をした。そして兄弟・姉妹に相続が回ってきたが、姉である母は既に他界している。するとどうなるか。

代襲相続となる。

父方の祖母が亡くなったときに、やはり父は既に他界していたので、本来父が相続すべきものを子である私たちが相続することになった(これが代襲相続)。もっとも、父の親族とは一切交流がなかったので、こちらも相続放棄をしたのであるけれど…。

さて、そんなわけで叔父の相続が姪である私にまで及んできた。負債の相続である。

この書類が届いたときはビックリ。なにごとかと思った。通常、あまりない事態である。

しかし叔父の子(私からすれば従弟)が心ある人だったのだと思う。彼からは、事情説明の手紙と「相続放棄の申述書」、必要な収入印紙や郵便切手が送られてきた。

これに、私と母の関係がわかる戸籍謄本(全部事項証明書)を取って、書類を整え、家庭裁判所へ送ったのだった。

とりあえず相続の放棄ができたことになる。

相続というのは、死亡した日から発生するもので時効は3ヵ月。その間に放棄の手続きを行わなければならない。

しかしながら、私のような法定相続人かどうかもわからない人間には、こういう時効もさっぱりわからないわけで、どうしようもない。ただありがたいことに、こういう人間の場合は「相続の開始を知った日(先順位者の相続放棄を知った日)」から3ヵ月が時効なので、まだまだ猶予はある。

でも、こういうことがあるのだ。


というわけで、今回の震災で被災者となってしまった人が親戚にいる場合も、要注意ということであります。






ところで欧州のO-104騒ぎ。日本の震災の話も吹き飛んでしまうようで、ドイツやロシア、スペインで大変なことになっているみたいですね。いや~、不謹慎なことを書くけれど、地球の逆襲と感じてしまうのは私だけでしょうか^^; と思ったら、チリで火山の噴火……。なんかもう大変だね。それからベトナムの反中デモも気になるところ。



※追記:祖母の相続は、先順位者の相続放棄から始まった相続放棄ではなく、先順位者(代襲相続)の遺産相続であって、遺産分割をしてもらえるはずの資産を「いらない」という意思表示をした放棄であります。したがって手続きは異なります。遺産分割をしたその割合を「ゼロ」として、「それでいいですよ」という書類を作成するわけです。そのときに必要なのは実印と印鑑証明書。このときは先順位者の叔父が1人で相続をしています。
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