気になったこと [お金の話]
さて、気になっていることを書く。生活保護のこと。
近頃、ある芸人さんのお母さんが生活保護を受けていて、それが「不正受給」なのではないかと疑惑を持たれ、政治家にまで追及されて、さらにはマスコミまでやんややんやと報道している事件。
結局、芸人さんである本人の謝罪会見が行われ、ひとまず終わったかに思う。
このなかで私が引っかかったのは一点だ。
「もらえるものはもろうとけ」と言ったということ。本当にそう言ったかどうはわからない。ただ、私は言ったのではないかと思っている。だから謝罪会見まで行わざるを得なかったんだろう。
この言葉はいろんな場面にも当てはまって、いろんなケースが考えられるから実にやっかいなのだが、このケースに関して考えを進めると、「もらえるものはもろうとけ」と言ったタイミングがすべてだと思う。
貧困にあえいでいて、ニッチもサッチもいかなくなっているときに、この言葉は有効だろう。受けるべきなのだ。しかし、貧困を乗り越え、食べていけるまでになったときに「もらえるものはもろうとけ」と言ったのだとしたらこれが問題。
生活保護を受けなくても生活ができるということを、「わかっていながら」言ったのだと想像できるのだから。
「わかっていながら」というのが悪質であって、それこそが「不正受給」であると判断できる。それだけなのだ、この問題は。
それで謝罪をし、返還すべき期間分は返還すると言っているのだから、とりあえずマスコミはもう追わなくてもいいんじゃないかと思う。
ただし、生活保護の「不正受給」の問題は非常に根が深い。簡単なことではない。
「もらえるものはもろうとけ」で思い出したのが2009年に給付された「定額給付金」のこと。これは給付式の定額減税で、ほとんどの国民が受け取っていると思う。
このとき、私自身は自分が納付した税金なのだから、「もらえるものはもらっておこう」と思って受け取った。
政府のバラマキ的なことへの批判は一杯ある。でも決まってしまったことであり、減税の一部であるというのなら「もらっておきますよ!」と思った。
(「給付金」という形で、「ほら、金をやるから使えよ」ともったいつけて給付した政府の姿勢には憤りを感じるけどね。国民をバカにするんじゃない)
しかしこれは生活保護とは全く質の違うものなのだ。
果たして前述の芸人さんは、この質の違いに気づいているのだろうか。普通の人であれば当然気づくはずのこと。よく考えればわかることだと思う。これを突き詰めていくと、それは教育であり、躾であり、究極は美学にもなっていってしまうのだが。
ところで生活保護については、病気だったり、障害を持っていたりして働けない人、年金を受給できない上に働けない人、子どもを抱えて働けないシングルマザーとか、、、そういう人は受けるべきである。
今回のケースでは、そこで「扶養義務」ということが出てきた。
扶養すべきはどこまでか、誰までか。そんなことを考えた。
基本的には世帯を持ったら親や兄弟を扶養することはないと私は思っている。仕送りができる余裕があれば仕送りをすればいいし、本来はそれぞれで生活していくべきなのだから扶養する必要がないと考えている。
(ただし、扶養家族として生計をともにしているのなら、それはそれで悪いことではなく、扶養していいことだと思う。健康保険だとか扶養控除だとかの優遇措置を受ければいいのだ。扶養控除についてはココを参照
http://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/1180_qa.htm#q4)
そう考えたとき、この芸人さんだって扶養する必要はないと考えるのではないか…ということになる。だが、この芸人さんは生活保護を受けるお母さんをネタにしてお金を稼いでしまった。それは周知の事実として誰もが知ってしまった。とあれば、扶養できるのではないか? と考えるだろう。
生活保護の申請で扶養義務を調査することになっているが、最終的な判断は人が行うことだ。
もし、生活保護を受けようとしている親族がいたとする。その親族と全く折り合いが悪く、絶縁状態であったとした場合、扶養義務があるだろうか。
その親族は借金を作り続け、回りに迷惑をかけていた人だとする。果たして扶養義務はあるのだろうか。
その親族は親であり、その親から虐待を受けていて、その後絶縁していたとする。果たして扶養義務はあるだろうか。
こういったケースをどう考えるのか。
このような人が生活保護を受け取るようになった場合、これを「不正受給」と言えるか。
それを判断せねばならないのだ。
今回の芸人さんのケースを単純に当てはめてしまうと、これも「不正受給」になってしまいかねない。それはとても恐ろしいことだと思っている。
果たしてそこまで扶養義務を背負わせなければならないのか。
私だったら嫌だ。いくらお金を持っていようが嫌だと思う。扶養できるぐらいの余裕があったとしても。
感情的なことにまで発展してしまう生活保護というのは、そんな問題もはらんでいるのだ。
思うことは、いまこそベーシックインカムを勉強するときかもしれないということ。
もうちょい考えます。
おしまい
近頃、ある芸人さんのお母さんが生活保護を受けていて、それが「不正受給」なのではないかと疑惑を持たれ、政治家にまで追及されて、さらにはマスコミまでやんややんやと報道している事件。
結局、芸人さんである本人の謝罪会見が行われ、ひとまず終わったかに思う。
このなかで私が引っかかったのは一点だ。
「もらえるものはもろうとけ」と言ったということ。本当にそう言ったかどうはわからない。ただ、私は言ったのではないかと思っている。だから謝罪会見まで行わざるを得なかったんだろう。
この言葉はいろんな場面にも当てはまって、いろんなケースが考えられるから実にやっかいなのだが、このケースに関して考えを進めると、「もらえるものはもろうとけ」と言ったタイミングがすべてだと思う。
貧困にあえいでいて、ニッチもサッチもいかなくなっているときに、この言葉は有効だろう。受けるべきなのだ。しかし、貧困を乗り越え、食べていけるまでになったときに「もらえるものはもろうとけ」と言ったのだとしたらこれが問題。
生活保護を受けなくても生活ができるということを、「わかっていながら」言ったのだと想像できるのだから。
「わかっていながら」というのが悪質であって、それこそが「不正受給」であると判断できる。それだけなのだ、この問題は。
それで謝罪をし、返還すべき期間分は返還すると言っているのだから、とりあえずマスコミはもう追わなくてもいいんじゃないかと思う。
ただし、生活保護の「不正受給」の問題は非常に根が深い。簡単なことではない。
「もらえるものはもろうとけ」で思い出したのが2009年に給付された「定額給付金」のこと。これは給付式の定額減税で、ほとんどの国民が受け取っていると思う。
このとき、私自身は自分が納付した税金なのだから、「もらえるものはもらっておこう」と思って受け取った。
政府のバラマキ的なことへの批判は一杯ある。でも決まってしまったことであり、減税の一部であるというのなら「もらっておきますよ!」と思った。
(「給付金」という形で、「ほら、金をやるから使えよ」ともったいつけて給付した政府の姿勢には憤りを感じるけどね。国民をバカにするんじゃない)
しかしこれは生活保護とは全く質の違うものなのだ。
果たして前述の芸人さんは、この質の違いに気づいているのだろうか。普通の人であれば当然気づくはずのこと。よく考えればわかることだと思う。これを突き詰めていくと、それは教育であり、躾であり、究極は美学にもなっていってしまうのだが。
ところで生活保護については、病気だったり、障害を持っていたりして働けない人、年金を受給できない上に働けない人、子どもを抱えて働けないシングルマザーとか、、、そういう人は受けるべきである。
今回のケースでは、そこで「扶養義務」ということが出てきた。
扶養すべきはどこまでか、誰までか。そんなことを考えた。
基本的には世帯を持ったら親や兄弟を扶養することはないと私は思っている。仕送りができる余裕があれば仕送りをすればいいし、本来はそれぞれで生活していくべきなのだから扶養する必要がないと考えている。
(ただし、扶養家族として生計をともにしているのなら、それはそれで悪いことではなく、扶養していいことだと思う。健康保険だとか扶養控除だとかの優遇措置を受ければいいのだ。扶養控除についてはココを参照
http://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/1180_qa.htm#q4)
そう考えたとき、この芸人さんだって扶養する必要はないと考えるのではないか…ということになる。だが、この芸人さんは生活保護を受けるお母さんをネタにしてお金を稼いでしまった。それは周知の事実として誰もが知ってしまった。とあれば、扶養できるのではないか? と考えるだろう。
生活保護の申請で扶養義務を調査することになっているが、最終的な判断は人が行うことだ。
もし、生活保護を受けようとしている親族がいたとする。その親族と全く折り合いが悪く、絶縁状態であったとした場合、扶養義務があるだろうか。
その親族は借金を作り続け、回りに迷惑をかけていた人だとする。果たして扶養義務はあるのだろうか。
その親族は親であり、その親から虐待を受けていて、その後絶縁していたとする。果たして扶養義務はあるだろうか。
こういったケースをどう考えるのか。
このような人が生活保護を受け取るようになった場合、これを「不正受給」と言えるか。
それを判断せねばならないのだ。
今回の芸人さんのケースを単純に当てはめてしまうと、これも「不正受給」になってしまいかねない。それはとても恐ろしいことだと思っている。
果たしてそこまで扶養義務を背負わせなければならないのか。
私だったら嫌だ。いくらお金を持っていようが嫌だと思う。扶養できるぐらいの余裕があったとしても。
感情的なことにまで発展してしまう生活保護というのは、そんな問題もはらんでいるのだ。
思うことは、いまこそベーシックインカムを勉強するときかもしれないということ。
もうちょい考えます。
おしまい
おはようございます。大変難しい問題ですね・・・・・僕も考えてみます。芸能人はサラリーマンと違って売れなくなったらという不安を絶えずかかえているような気もします。いずれにしても価値判断の基準は人としてどうかなんでしょうね。
by Blue☆ (2012-05-28 06:30)
*Blue☆さま*
おはようございます。これは非常に難しい問題です。
そう簡単に結論が出るものではないですね~。
基本的人権、人を尊重すること。果たしてそれを実現しつつ、不公平感を
なくすことが可能なのか…。
このあとも引き続きボツボツ書いてみます^^;
by toro (2012-05-28 09:00)
そうですね、とても難しい問題。
たまたま芸能人だから吊るし上げられているけれど、こういう人いっぱいいるでしょ?
デリケートな部分も多くて、今の制度がもう古いのではないかな〜?現実をあまりわかってない人達が動かしているのだとしたらそっちの方が問題かも?
ハローワークなどとも組み合わせて介護保険のケアマネージャーを中心に動くような新しい体勢を作らないとなかなかリアルタイムで個別の判断は出来ないんじゃないかなぁ?などと思ったりしています。
最近になって義従姉妹(独身)が持病とうつで1年休職した後、医師から今のままで復職や転職をしても体調は好転しないので、しばらく休んで生活保護申請をしてみては?と助言を受けたとか...(聞いた話なので詳細は不明)義叔母も要介護な上に色々と大変な家族なので、申請はしてみたものの担当者からは配慮のない、いろんな追求をされてまたそれがストレスになっているようです。
しかし、事情がわからなければ給付も出来ないのでこの担当者はきちんとその仕事をしていると思うんだけど...。
と、まとまらないのに長くてごめんなさいね〜^^;
by nakasama (2012-05-28 10:08)
*nakasamaさま*
いえいえ、これは本当に難しい問題なので、あーでもないこーでもないと
考えがまとまりません。
この後にも書いていますが(以前も書いているのですが)、「教育」の問題が
一番大きいかな~と思います。
よっぽどの人ではないと、いろいろな制度に精通していないだろうし、
さらには「恥を知る」ということも教育だと思うし、もうねえ…頭の中で
グルグルと考えが巡り巡っています^^;
義従姉妹さんのストレスも、きちんと教育を受けているから感じるストレス
であって、そうではない人はストレスもなく申請できるんですよね…。
そして受けられる。
おそらく生活保護については、ケースワーカーさんや民生委員さんが
いろいろと見て回っていると思うのですが、ときとして脅されることもある
ようでお気の毒なんですよ…(脅してまで生活保護を受けたいという人がいる)。
そういう現状を見ると、勉強途中ですが「ベーシックインカム」という考えを
うまく用いれられたらいいのかなと思います。
あ~勉強しなくちゃ……。
by toro (2012-05-28 11:05)