弾丸金沢の旅⑤ [旅話]
新幹線の開通で、再開発真っ只中という印象を受ける金沢の町。
いわゆるトマソンがあっちこっちで見受けられました。
再開発中でありがちな原爆型が多いかなあ。
あと、取り残されてしまった家屋を結構見かけました。こんなの。
きっとこんな風に片寄せあって建っていただろうに、左右の建物がなくなってしまった、という感じ。
間口が狭く、ウナギの寝床のようになっているんですね。
結局、左右が空地になったり、駐車場になったりしているところを見ると、古くなったから取り壊したとか、持ち主が高齢化でとか、そんなことが想像できます。傍から見れば、面白い物件だと思うのですが。
また、洋館が意外と多く、これを巡って歩くのも楽しいのではないかと思いました(いかんせん、私は時間がないのでかじった程度……^^;)。
これは「金沢偕行社」。軍事施設だったようです。現在は石川県庁の分室となっています。
この小さな建物は「にし茶屋街」に建っていたもの。芸妓さんたちの事務所のよう……。手前に橋があるのですが川はなく、暗渠になっているのかどうか……。
このにし茶屋街はこんな風景。
それから、「尾山神社」の神門。面白い形。
ふらふらと歩いていたときに出合った中学校。「金沢くらしの博物館」として利用されていました。
面白いのは、土台に煉瓦が使われていること。
耐久性はどうなのかわかりませんが、あまりこういうのを見たことがないので、興味深かったです。
明治・大正・昭和初期の建物が結構たくさん残っていて、とくに昭和初期の建物は東京では壊されまくっているので、残せるものは残してほしいなあ、と思いました。
建物を見て歩くだけでも金沢は面白いです。もっと見て歩きたかったなあと。
しかし、私はかなり建物を見るのが好きなんだと、改めて写真を見て思ったりして(笑)
ちなみにこのサイト(→●)で、金沢の近代建築のいくつかが見られます。う~ん、興味深い。
つづく。
いわゆるトマソンがあっちこっちで見受けられました。
再開発中でありがちな原爆型が多いかなあ。
あと、取り残されてしまった家屋を結構見かけました。こんなの。
きっとこんな風に片寄せあって建っていただろうに、左右の建物がなくなってしまった、という感じ。
間口が狭く、ウナギの寝床のようになっているんですね。
結局、左右が空地になったり、駐車場になったりしているところを見ると、古くなったから取り壊したとか、持ち主が高齢化でとか、そんなことが想像できます。傍から見れば、面白い物件だと思うのですが。
また、洋館が意外と多く、これを巡って歩くのも楽しいのではないかと思いました(いかんせん、私は時間がないのでかじった程度……^^;)。
これは「金沢偕行社」。軍事施設だったようです。現在は石川県庁の分室となっています。
この小さな建物は「にし茶屋街」に建っていたもの。芸妓さんたちの事務所のよう……。手前に橋があるのですが川はなく、暗渠になっているのかどうか……。
このにし茶屋街はこんな風景。
それから、「尾山神社」の神門。面白い形。
ふらふらと歩いていたときに出合った中学校。「金沢くらしの博物館」として利用されていました。
面白いのは、土台に煉瓦が使われていること。
耐久性はどうなのかわかりませんが、あまりこういうのを見たことがないので、興味深かったです。
明治・大正・昭和初期の建物が結構たくさん残っていて、とくに昭和初期の建物は東京では壊されまくっているので、残せるものは残してほしいなあ、と思いました。
建物を見て歩くだけでも金沢は面白いです。もっと見て歩きたかったなあと。
しかし、私はかなり建物を見るのが好きなんだと、改めて写真を見て思ったりして(笑)
ちなみにこのサイト(→●)で、金沢の近代建築のいくつかが見られます。う~ん、興味深い。
つづく。