町田市民文学館 [芸術・文化]
久しぶりに間隙をぬっての記事更新です^^;
古い話となってしまいますが、昨年の10月~12月にかけて、町田市民文学館ことばらんどで『尾辻克彦×赤瀬川原平-文学と美術の多面体-』が開催されていました。
赤瀬川さんの千葉市美術館での展覧会と同時開催。
文学館の展覧会のオープンが一足先でしたが、私は千葉の展覧会を観てから、こちらへ足を運びました。
町田市立文学館は、町田市にゆかりのある作家の企画展を多く手掛けています。町田市玉川学園に住んでいた赤瀬川さんですので、そういった縁もあっての企画だったのだと思います。
もちろん文学館なので、文学に関するものを網羅していました。
尾辻克彦の名で書かれた小説や、赤瀬川原平の名で書かれたエッセイの数々。こんなにたくさんの著作があったのかと少し驚きました。
結構、知っているつもりでしたが、知らない本もあって、心の中で「へぇ」の連発でした。
私が赤瀬川さんの書いた文章をまともに読んだのは、『純文学の素』が最初だったのではないかと思います。
絶版なのかな?
これは白夜書房で出していた「ウィークエンドスーパー」という雑誌で連載していたものでした。これを読んで、膝をポン! と叩いて、美学校に入ったのだと思います。記憶が曖昧ですが^^;
とにかく着眼点の面白さ、楽しさ。想像力だけではなく、見るものをどうとらえるかで、ずいぶんといろいろなことが違って見えてくるということを教えてもらったように思います。
実物の本を探そうと思ったのですが、我が家の本棚は激しく積み重なってしまっているので、発掘ができず……(笑)
この「純文学の素」。このようなタイトルをつけているところからして、きっと小説家としての赤瀬川さんの出発点ではなかったかと思います。素はこれ、という意味で。
そんなことをつらつらと考えながら。
またご自宅にある猫の置物なども展示されていて、懐かしい品々を眺めることができてよかったです。
ご自宅の椅子も展示されていました(これは写真を撮っていいということだったので)。
その後、赤瀬川さんの企画展の次に開催された「常盤新平―遠いアメリカ―」も行ってきました。
常盤新平さんは、晩年の約20年を町田市つくし野で過ごされていたそうです。この方も町田市にゆかりのある作家だったとはつゆ知らず。
常盤新平さんの小説は「遠いアメリカ」も読んでいますが、初めての出合は翻訳本でした。
アーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」。
この本を初めて読んで、その後、日本で出版されたアーウィン・ショーの翻訳本をほとんど読んだのではないかと思います。
アメリカ文学にハマったきっかけになった小説でした。
その前にサリンジャーは全部読んでいたと思いますが、現代のアメリカ文学に目覚めたのがこれだったと思います。
常盤新平さんの翻訳はとても読みやすくて、すっと頭に入ってきた印象があります。「夏服を着た女たち」というタイトルに惹かれて読み始めたのですが、おしゃれという言葉で表すと、それはちょっと違っていて、スマートという言葉がいいのかなあ。粋……でもないし、でも野暮ではない。
「アメリカ」という国で生活する人がどんな人々なのか、行ったこともないところに暮らす人々の日常をこの小説で知ったかのようでした。
常盤新平さんの翻訳も、そんなアメリカの姿を映し出すような小説が多くて、読みやすい文体も手伝って、ずいぶんと読んだように記憶します。
(我ながら、小説はかなりの量を読んでいるのですが、量が多すぎてどんな内容だったのか思うだそうにも、記憶の底のほうから引きずり出さなくてはならず、要するにあんまり覚えていないというのが実際……^^;)。
それからご本人の著作である「遠いアメリカ」につながっていくのですが。
これを読んで、常盤新平さんの為人を知り、本人の著作も好きになったんだと思います。
この企画展に行ってまた初めて知ったことは、常盤さんの担当編集者が坪内祐三さんだった……ということでした。
週刊誌などで書評をたくさん書かれている坪内祐三さんですが、いつもいいチョイスをしてくれる人なので、「なるほど」と思った次第でした。
この町田市立文学館の企画展を2つ立て続けに見て思ったこと。
それは自分はつくづく本が好きなんだということ(笑)
たくさんの文字(活字)を見て、こんなにわくわくするなんて。それも好きな作家の文章に触れられる気持ちのよさ。
たまりませんでした。
やっぱり芸術や文化に触れるって楽しいですね~。
もう老い先が短くなりつつあるわけですから、人に遠慮しないで、これからはどんどんと観に(見に)行こうと思いました。感激をするって大切なことだわと。
そんな文学企画展の2つでした。
おしまい。
古い話となってしまいますが、昨年の10月~12月にかけて、町田市民文学館ことばらんどで『尾辻克彦×赤瀬川原平-文学と美術の多面体-』が開催されていました。
赤瀬川さんの千葉市美術館での展覧会と同時開催。
文学館の展覧会のオープンが一足先でしたが、私は千葉の展覧会を観てから、こちらへ足を運びました。
町田市立文学館は、町田市にゆかりのある作家の企画展を多く手掛けています。町田市玉川学園に住んでいた赤瀬川さんですので、そういった縁もあっての企画だったのだと思います。
もちろん文学館なので、文学に関するものを網羅していました。
尾辻克彦の名で書かれた小説や、赤瀬川原平の名で書かれたエッセイの数々。こんなにたくさんの著作があったのかと少し驚きました。
結構、知っているつもりでしたが、知らない本もあって、心の中で「へぇ」の連発でした。
私が赤瀬川さんの書いた文章をまともに読んだのは、『純文学の素』が最初だったのではないかと思います。
絶版なのかな?
これは白夜書房で出していた「ウィークエンドスーパー」という雑誌で連載していたものでした。これを読んで、膝をポン! と叩いて、美学校に入ったのだと思います。記憶が曖昧ですが^^;
とにかく着眼点の面白さ、楽しさ。想像力だけではなく、見るものをどうとらえるかで、ずいぶんといろいろなことが違って見えてくるということを教えてもらったように思います。
実物の本を探そうと思ったのですが、我が家の本棚は激しく積み重なってしまっているので、発掘ができず……(笑)
この「純文学の素」。このようなタイトルをつけているところからして、きっと小説家としての赤瀬川さんの出発点ではなかったかと思います。素はこれ、という意味で。
そんなことをつらつらと考えながら。
またご自宅にある猫の置物なども展示されていて、懐かしい品々を眺めることができてよかったです。
ご自宅の椅子も展示されていました(これは写真を撮っていいということだったので)。
その後、赤瀬川さんの企画展の次に開催された「常盤新平―遠いアメリカ―」も行ってきました。
常盤新平さんは、晩年の約20年を町田市つくし野で過ごされていたそうです。この方も町田市にゆかりのある作家だったとはつゆ知らず。
常盤新平さんの小説は「遠いアメリカ」も読んでいますが、初めての出合は翻訳本でした。
アーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」。
この本を初めて読んで、その後、日本で出版されたアーウィン・ショーの翻訳本をほとんど読んだのではないかと思います。
アメリカ文学にハマったきっかけになった小説でした。
その前にサリンジャーは全部読んでいたと思いますが、現代のアメリカ文学に目覚めたのがこれだったと思います。
常盤新平さんの翻訳はとても読みやすくて、すっと頭に入ってきた印象があります。「夏服を着た女たち」というタイトルに惹かれて読み始めたのですが、おしゃれという言葉で表すと、それはちょっと違っていて、スマートという言葉がいいのかなあ。粋……でもないし、でも野暮ではない。
「アメリカ」という国で生活する人がどんな人々なのか、行ったこともないところに暮らす人々の日常をこの小説で知ったかのようでした。
常盤新平さんの翻訳も、そんなアメリカの姿を映し出すような小説が多くて、読みやすい文体も手伝って、ずいぶんと読んだように記憶します。
(我ながら、小説はかなりの量を読んでいるのですが、量が多すぎてどんな内容だったのか思うだそうにも、記憶の底のほうから引きずり出さなくてはならず、要するにあんまり覚えていないというのが実際……^^;)。
それからご本人の著作である「遠いアメリカ」につながっていくのですが。
これを読んで、常盤新平さんの為人を知り、本人の著作も好きになったんだと思います。
この企画展に行ってまた初めて知ったことは、常盤さんの担当編集者が坪内祐三さんだった……ということでした。
週刊誌などで書評をたくさん書かれている坪内祐三さんですが、いつもいいチョイスをしてくれる人なので、「なるほど」と思った次第でした。
この町田市立文学館の企画展を2つ立て続けに見て思ったこと。
それは自分はつくづく本が好きなんだということ(笑)
たくさんの文字(活字)を見て、こんなにわくわくするなんて。それも好きな作家の文章に触れられる気持ちのよさ。
たまりませんでした。
やっぱり芸術や文化に触れるって楽しいですね~。
もう老い先が短くなりつつあるわけですから、人に遠慮しないで、これからはどんどんと観に(見に)行こうと思いました。感激をするって大切なことだわと。
そんな文学企画展の2つでした。
おしまい。
祈り [悼み]
4年前の3月11日もこんな天気のいい日だった。
風が冷たくて、乾燥していて、太陽がまぶしくて。
息を切らしながら、自転車をこいで、仕事を終えて帰ってきて、遅いお昼ご飯を食べているときにそれは起こった。
揺れはどんどん大きくなって、長い時間揺れて、家の中のものはほとんど倒れることはなかったけど。
その後、さまざまな報道に接して、恐怖心だけが残った。
その恐怖心は今も変わらない。
地震も、津波も、原発事故も。
広島や長崎の原爆があってつらい思いをしたのに、福島の原発の事故も起こって大変な思いをしているのに、それなのにどうして原子力発電をやめようとしないのか。
バカなんじゃないかと思う。
本当にバカなんじゃないのか。
お金や物を残す前に、人がいなくなったらどうするんだ。すべて人のために行っていくことを考えれば、原発をやめると考えるのが当然のことだ。
人がいなくなったら元も子もない。
何もかも。
東日本大震災で犠牲になられた方々は身をもって示してくれた。
被災された方々もいまなお実感していること。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
ただただ平和であってほしいだけなのにね。
風が冷たくて、乾燥していて、太陽がまぶしくて。
息を切らしながら、自転車をこいで、仕事を終えて帰ってきて、遅いお昼ご飯を食べているときにそれは起こった。
揺れはどんどん大きくなって、長い時間揺れて、家の中のものはほとんど倒れることはなかったけど。
その後、さまざまな報道に接して、恐怖心だけが残った。
その恐怖心は今も変わらない。
地震も、津波も、原発事故も。
広島や長崎の原爆があってつらい思いをしたのに、福島の原発の事故も起こって大変な思いをしているのに、それなのにどうして原子力発電をやめようとしないのか。
バカなんじゃないかと思う。
本当にバカなんじゃないのか。
お金や物を残す前に、人がいなくなったらどうするんだ。すべて人のために行っていくことを考えれば、原発をやめると考えるのが当然のことだ。
人がいなくなったら元も子もない。
何もかも。
東日本大震災で犠牲になられた方々は身をもって示してくれた。
被災された方々もいまなお実感していること。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
ただただ平和であってほしいだけなのにね。
2015-03-11 10:35
丸10年。まだまだこれから? [自分のこと]
あっちこっちのブログで10年、10年と書かれているのを見て、「そうだ、私も10年だ」と。
そして、この3月1日で11年目に突入いたしました。
10年ひと昔と言いますが、ひと昔もふた昔も前のような気がします。
あっという間だったけど、中身は濃密。
年齢を重ねれば重ねるほど、時間が短く感じるというけれど、中身は濃密、そして圧縮(笑)
文章を綴ることができなくならないようにと始めたブログでした。
毒を吐くことも多いけど、楽しい思い出もこれで振り返ることができています。
覚書にもなる。
さらに言えば、言霊もあると信じています。
こうなってほしいという願いを込めながら綴った文章もありました。
そしてこれからも書いていくと思います。
相変わらずばたばたしていて気持ちが落ち着かないので、ご挨拶のような記事になりますが……。
お付き合いいただいている方々には感謝を。
そしてこれから出会うかもしれない方々も含めて、今後もよろしくお願いいたします。
まだまだ続けますよ^^
そして、この3月1日で11年目に突入いたしました。
10年ひと昔と言いますが、ひと昔もふた昔も前のような気がします。
あっという間だったけど、中身は濃密。
年齢を重ねれば重ねるほど、時間が短く感じるというけれど、中身は濃密、そして圧縮(笑)
文章を綴ることができなくならないようにと始めたブログでした。
毒を吐くことも多いけど、楽しい思い出もこれで振り返ることができています。
覚書にもなる。
さらに言えば、言霊もあると信じています。
こうなってほしいという願いを込めながら綴った文章もありました。
そしてこれからも書いていくと思います。
相変わらずばたばたしていて気持ちが落ち着かないので、ご挨拶のような記事になりますが……。
お付き合いいただいている方々には感謝を。
そしてこれから出会うかもしれない方々も含めて、今後もよろしくお願いいたします。
まだまだ続けますよ^^