ふと思い出すあの人 [本の感想]
忙しいというわけではないのだけれど、季節の変わり目で家事に追われるって感じなんでしょうかねえ。
義兄嫁のお父さんが突然亡くなり、お通夜に行かねばならないということもあったし、5日前に赤瀬川さんが亡くなったショックも地味に続いているし、何だろうなあ、この感じ。説明ができません。
なかなか更新も出来ず、ただただ外には出さない考え事を続けている状態であります。答えは出ないんだろうけど、結局、「なんとかなるさ」で気持ちは切り替えられるのだと思うのだけど、まだ脳内がくすぶっております。
それで書こうとして書けなかったことを、いつもの感じであれば書けるのではないかと思って、キーボードを打ってみます。
赤瀬川さんが亡くなったことをうけて……ということもあるし、ちょうど美学校に通っていた頃に影響を受けた人の話でもあるので。
最近、ふっと思い出す人がいます。
荒木陽子さん。荒木経惟さんの奥さんだった人です。
1990年1月27日に子宮肉腫のために42歳で亡くなりました。
当時、私は結婚をして京都に引っ越していたので、陽子さんのその頃のことは全く耳に入ってきておらず、亡くなったという話を聞いたときはなんだかものすごくショックを受けたのを覚えています。
私が若かりし頃(?)、生前の陽子さんに会ったことがあったので。
その頃、荒木経惟さんは飛ぶ鳥を落とす勢いで写真界を席巻していました。
大股開きだなんだと、そういう写真がもてはやされていた頃で、男性はとくに覚えていると思います。まさにバブルといった様相だったのではないかと思うのですが。
私の周辺にいた男性も荒木さんの写真を好きな人が多く、やはり女性の裸の写真を撮っていた人が何人かいました。
しかし、私はそういった男性が撮った女性の裸の写真は好きではなく、いまもあまり女性の裸の写真を見るのは好きではありません。
だけれど、荒木さんが撮った陽子さんの裸の写真を見るのは大丈夫でした。
なぜと思うだろうけれど、それは荒木さんの女性の裸以外の写真を見るとよくわかると思います。
被写体を見る目。瞬間を切り取るタイミング。
撮影者と被写体との関係性が写真に写されていて、荒木さんはそれがものすごく上手なのです。つまり、被写体にちゃんと愛情をもって接していること。関わりがよい状態である決定的な瞬間を、しっかりと捉えるのがうまいということ。
陽子さんの裸の写真には、そういう関係性が感じられて安心して見ることができたのだろうなと思います。
ただ、そういう自分の写真を見ず知らずの人たちが見るということに、陽子さんは抵抗感がなかったのか、と不思議に思っていました。
その陽子さんの思いは、彼女のエッセイから読み取ることができます。
亡くなって「もったいない」と思った陽子さんの文章力。いいエッセイを書く人だったんですよ。
この人に、こんなふうに言われたら、ぐうの音も出ないという一文。
「『経ちゃんがこんなに有名になるって、アナタ最初から解っていた?』と母に問いかけられた事がある。
『有名になるかどーかは解らなかったけど、この人と一緒にいれば、私は幸せになる、と思ったわ』と私は答えた。
彼以外には、私を理解する人間はいないんではないかなあ、と今でも私は思っているのだ。これが幸せでなくて、何でありましょーか。」と言い切っています。
実に肝が据わった女性でした。
また、荒木さんが他の女性の写真を撮ること、行為を含めて嫌ではなかったのかと思うのですが、複雑な思いを持ちながらも面白がる人だったのです。
「帰って来たら、絶対触ってなんてあげない。もう一年くらいしなくたっていいわ、あーなんて不潔なの、もーイヤ! と叫びそうになるんだが、それと同時に、私の中の好奇心が、帰って来たら、彼女達のお話を聞かせてもらいたいなあ、とウズウズしているのも本当なのである。どうしてそんな事に好奇心を持つのか、我ながら不思議なのだが、もって生まれた性格なのでしょうがない」んだそうです(笑)
そして、陽子さん自身が写された写真を見て、こう書いています。
「<ノスタルジアの夜>の中で、私が一人ソファで喘いでいても、私の肉体は単に投げ出された肉体ではなく、彼の肉体としっかりと繋がれている肉体なのであり、夏みかんを食べる手が写っている写真では、こちら側にいる彼もやはり夏みかんを食べて、その夏みかんの匂いのついた手のままシャッターを押している情景、とゆーのが私には感じられるのだ。
私が写っていても、そこには彼の姿が濃く投影されている。
私の写真ではなく、私と彼の間に漂う濃密な感情が写っているのだ」と。
よくわかっている奥さんなのでした。うまく言い表している。
陽子さんは、夫婦の日常生活をしなやかに書き、旅先での出来事も面白おかしく書き綴っています。
くすっと笑ったり、シンミリとしたり……いい夫婦関係なんですよ。
実際の陽子さんはもちろんきれいな人で、私が会ったのは確かヤクルトホールで荒木さんのイベントがあったときだったと思います。
会場の後ろのほうの席に佇んでいました。ニコニコしながら。
好奇の目で見る人もいるだろうに、と心配して様子を窺っていましたが、そんなことも一切気にしていない感じでした。
そして声をかけてみると、これまた屈託なくて。すごいというか、とにかく素敵な人だなと思いました。
この頃はまだエッセイを書いておらず、陽子さんの心中を知る由もないのですが、後に彼女が書いたものを読んで、会ったときの印象そのままだったことに驚きつつ、うれしく思ったことを覚えています。
さらに、絶筆となったエッセイが掲載されているこの本。
映画化もされましたね。(ちょっと映画化されたことは、私はよくわからないのですが……観てもいないので感想も書けませんが)。
荒木さんの写真や日記は別として、陽子さんのエッセイが一段とうまくなっていると感じるのです。筆の滑りがいいというか、情景が目に浮かぶ言葉が連なっています。
最後のエッセイも、夫への愛情が溢れる文章で、ホロリとしてしまうんですけどね。
実は、陽子さんが亡くなった以降の荒木さんの写真は、あまり見ていません。
女性の裸の写真が好きではない、ということもありますが、結局、私は荒木さんの写真を見ながら、荒木さんと陽子さんを見ていたのだな、と思うのです。
陽子さんなくして荒木さんは語れないという感じで。
そしていま、ふと思うのは、もし彼女が生きていたら、どんな文章を書いたのだろうか、ということ。
前の記事でも書きましたが、手本となる人が少なくなってきたということがあります。陽子さんを見て、いい年の取り方をするんだろうな、と思っていました。荒木夫妻の関係を見ても……。
彼女の文章に触れてみると、その自身の感性の豊かさと夫婦の信頼関係(愛情関係)がうまく重なっているんですよね。そしていいものが生み出されてきたと。
結局は、この二人の才能によるものだとは思うのですが、素晴らしい人間関係の築き方と言ったらいいのか、いいなあと思うのですよ。
本当に生きていたら、どんな文章を書いたかなあ。
あの人が生きていたらどうしただろう、と思う人が増えたということでもあるんですけどね。
赤瀬川さんもそうなってしまったんだなあと、いまやもう……。
しみじみと思う話でした。
陽子さんが亡くなった直後の写真集。
続センチメンタルな旅
10年目のセンチメンタルな旅
装丁が変わってしまったものもあったので、手元にある本を撮りました。
おしまい。
義兄嫁のお父さんが突然亡くなり、お通夜に行かねばならないということもあったし、5日前に赤瀬川さんが亡くなったショックも地味に続いているし、何だろうなあ、この感じ。説明ができません。
なかなか更新も出来ず、ただただ外には出さない考え事を続けている状態であります。答えは出ないんだろうけど、結局、「なんとかなるさ」で気持ちは切り替えられるのだと思うのだけど、まだ脳内がくすぶっております。
それで書こうとして書けなかったことを、いつもの感じであれば書けるのではないかと思って、キーボードを打ってみます。
赤瀬川さんが亡くなったことをうけて……ということもあるし、ちょうど美学校に通っていた頃に影響を受けた人の話でもあるので。
最近、ふっと思い出す人がいます。
荒木陽子さん。荒木経惟さんの奥さんだった人です。
1990年1月27日に子宮肉腫のために42歳で亡くなりました。
当時、私は結婚をして京都に引っ越していたので、陽子さんのその頃のことは全く耳に入ってきておらず、亡くなったという話を聞いたときはなんだかものすごくショックを受けたのを覚えています。
私が若かりし頃(?)、生前の陽子さんに会ったことがあったので。
その頃、荒木経惟さんは飛ぶ鳥を落とす勢いで写真界を席巻していました。
大股開きだなんだと、そういう写真がもてはやされていた頃で、男性はとくに覚えていると思います。まさにバブルといった様相だったのではないかと思うのですが。
私の周辺にいた男性も荒木さんの写真を好きな人が多く、やはり女性の裸の写真を撮っていた人が何人かいました。
しかし、私はそういった男性が撮った女性の裸の写真は好きではなく、いまもあまり女性の裸の写真を見るのは好きではありません。
だけれど、荒木さんが撮った陽子さんの裸の写真を見るのは大丈夫でした。
なぜと思うだろうけれど、それは荒木さんの女性の裸以外の写真を見るとよくわかると思います。
被写体を見る目。瞬間を切り取るタイミング。
撮影者と被写体との関係性が写真に写されていて、荒木さんはそれがものすごく上手なのです。つまり、被写体にちゃんと愛情をもって接していること。関わりがよい状態である決定的な瞬間を、しっかりと捉えるのがうまいということ。
陽子さんの裸の写真には、そういう関係性が感じられて安心して見ることができたのだろうなと思います。
ただ、そういう自分の写真を見ず知らずの人たちが見るということに、陽子さんは抵抗感がなかったのか、と不思議に思っていました。
その陽子さんの思いは、彼女のエッセイから読み取ることができます。
亡くなって「もったいない」と思った陽子さんの文章力。いいエッセイを書く人だったんですよ。
この人に、こんなふうに言われたら、ぐうの音も出ないという一文。
「『経ちゃんがこんなに有名になるって、アナタ最初から解っていた?』と母に問いかけられた事がある。
『有名になるかどーかは解らなかったけど、この人と一緒にいれば、私は幸せになる、と思ったわ』と私は答えた。
彼以外には、私を理解する人間はいないんではないかなあ、と今でも私は思っているのだ。これが幸せでなくて、何でありましょーか。」と言い切っています。
実に肝が据わった女性でした。
また、荒木さんが他の女性の写真を撮ること、行為を含めて嫌ではなかったのかと思うのですが、複雑な思いを持ちながらも面白がる人だったのです。
「帰って来たら、絶対触ってなんてあげない。もう一年くらいしなくたっていいわ、あーなんて不潔なの、もーイヤ! と叫びそうになるんだが、それと同時に、私の中の好奇心が、帰って来たら、彼女達のお話を聞かせてもらいたいなあ、とウズウズしているのも本当なのである。どうしてそんな事に好奇心を持つのか、我ながら不思議なのだが、もって生まれた性格なのでしょうがない」んだそうです(笑)
そして、陽子さん自身が写された写真を見て、こう書いています。
「<ノスタルジアの夜>の中で、私が一人ソファで喘いでいても、私の肉体は単に投げ出された肉体ではなく、彼の肉体としっかりと繋がれている肉体なのであり、夏みかんを食べる手が写っている写真では、こちら側にいる彼もやはり夏みかんを食べて、その夏みかんの匂いのついた手のままシャッターを押している情景、とゆーのが私には感じられるのだ。
私が写っていても、そこには彼の姿が濃く投影されている。
私の写真ではなく、私と彼の間に漂う濃密な感情が写っているのだ」と。
よくわかっている奥さんなのでした。うまく言い表している。
陽子さんは、夫婦の日常生活をしなやかに書き、旅先での出来事も面白おかしく書き綴っています。
くすっと笑ったり、シンミリとしたり……いい夫婦関係なんですよ。
実際の陽子さんはもちろんきれいな人で、私が会ったのは確かヤクルトホールで荒木さんのイベントがあったときだったと思います。
会場の後ろのほうの席に佇んでいました。ニコニコしながら。
好奇の目で見る人もいるだろうに、と心配して様子を窺っていましたが、そんなことも一切気にしていない感じでした。
そして声をかけてみると、これまた屈託なくて。すごいというか、とにかく素敵な人だなと思いました。
この頃はまだエッセイを書いておらず、陽子さんの心中を知る由もないのですが、後に彼女が書いたものを読んで、会ったときの印象そのままだったことに驚きつつ、うれしく思ったことを覚えています。
さらに、絶筆となったエッセイが掲載されているこの本。
映画化もされましたね。(ちょっと映画化されたことは、私はよくわからないのですが……観てもいないので感想も書けませんが)。
荒木さんの写真や日記は別として、陽子さんのエッセイが一段とうまくなっていると感じるのです。筆の滑りがいいというか、情景が目に浮かぶ言葉が連なっています。
最後のエッセイも、夫への愛情が溢れる文章で、ホロリとしてしまうんですけどね。
実は、陽子さんが亡くなった以降の荒木さんの写真は、あまり見ていません。
女性の裸の写真が好きではない、ということもありますが、結局、私は荒木さんの写真を見ながら、荒木さんと陽子さんを見ていたのだな、と思うのです。
陽子さんなくして荒木さんは語れないという感じで。
そしていま、ふと思うのは、もし彼女が生きていたら、どんな文章を書いたのだろうか、ということ。
前の記事でも書きましたが、手本となる人が少なくなってきたということがあります。陽子さんを見て、いい年の取り方をするんだろうな、と思っていました。荒木夫妻の関係を見ても……。
彼女の文章に触れてみると、その自身の感性の豊かさと夫婦の信頼関係(愛情関係)がうまく重なっているんですよね。そしていいものが生み出されてきたと。
結局は、この二人の才能によるものだとは思うのですが、素晴らしい人間関係の築き方と言ったらいいのか、いいなあと思うのですよ。
本当に生きていたら、どんな文章を書いたかなあ。
あの人が生きていたらどうしただろう、と思う人が増えたということでもあるんですけどね。
赤瀬川さんもそうなってしまったんだなあと、いまやもう……。
しみじみと思う話でした。
陽子さんが亡くなった直後の写真集。
続センチメンタルな旅
10年目のセンチメンタルな旅
装丁が変わってしまったものもあったので、手元にある本を撮りました。
おしまい。