tbちゃんのこと [猫]
うれしい話です。
膀胱炎になったり、毛玉が腸に詰まって死にそうになったり、心臓の病気が見つかって毎日の投薬が欠かせなくなったりと、ストレスやらなにやら、とにかく体の弱い猫のtbちゃんのことです。
毛玉が排泄されずに手術をした際に、併せて肥大型心筋症と診断され、最近までずっと投薬による治療を続けていました。
そんなtbちゃんを診ている主治医のS先生は、心臓の専門医にエコー検査をしてもらいたい、tbちゃんの体調がよさそうなとき、ストレスなく検査ができそうなときを見計らってできたらいいなあと言っていたのです。
ときどき、その動物病院には夜に専門医が訪れて、エコー検査を実施しているのですよ。
なので、その先生に診てもらえたらと言い続けていたS先生。
それが念願かなって、先月の初めに診てもらうことができました。
それで結果です。
「肥大型心筋症ではない」という診断。
おおおおお!
正確には、仮性腱索という心室のなかにある腱が太くなっていて、そのために心筋が厚くなっているように見えたのだろうというのと、軽症の僧帽弁閉鎖不全、大動脈に腫瘍ではないコブ(おそらく先天的なもの)があり、血流がやや悪くなっているというものでした。
そのために雑音が聞こえているのだろうということ。つまり、深刻に今すぐ考えなければならないような病気はなく、心臓の薬を飲ませなくてもよくなったのです!
よかった~。
現在は薬を徐々に減らしてきて、全く飲ませないところまできました。そして様子を見ている状況です。(血流をよくするサプリと、腸の動きをよくする薬は継続して飲ませているんですけどね。)
大動脈にあるコブがこれから大きくならない限りは、長生きできるかもとS先生。
まあ、長生きできるかどうかは、今後何が起こるかわからないですから、まだ半信半疑ではありますが、肥大型心筋症ではないと言われたことはとにかくうれしくて。
突然死や血栓が飛んで苦しむことがあるというのを聞かされていました。そして「驚かせてはだめ。無理な運動もダメ。遊ばせすぎないで」と言われてもいました。とにかく気を遣うtbちゃんだったのです。
ところがtbちゃん自身はわれ関せずと、全力疾走していましたし、人が何するわけでもないのに勝手にいちいち驚く姿を見せていました。
それもあまり気にしないでいいということになって、私も一安心です。
S先生はとてもいい人で、いつも親身になってtbちゃんを診てくれています。先生自身も勉強になるからと、専門医に診てもらいたいと言っていたわけで、詳しくわかったことにちょっと興奮気味でしたよ。それも面白かったですけどね。
TVの猫を見るtbちゃん。
ぬお~。
ん?
くは~。
今年の3月11日には、この本が届きました。
しろさびとまっちゃん 福島の保護猫と松村さんの、いいやんべぇな日々
「節目を越えた」なんて言う首相や、「ふるさとを捨てるというのは簡単だが、戻ってとにかく頑張っていくんだという気持ちをしっかり持ってもらいたい」などと言う復興相がいる日本政府の御仁たち(籠池も安倍妻も日本会議の面々も含む)に、この人の爪の垢を煎じて飲ませたいわ、と思うそういう本です。
こういう人が存在していることに感謝しなければならないし、見習わないといけないと思う。
おしまい。
2017年2月28日現在の避難者数12万人以上→●
安倍や復興相のあまりに鈍い感覚に激怒。
膀胱炎になったり、毛玉が腸に詰まって死にそうになったり、心臓の病気が見つかって毎日の投薬が欠かせなくなったりと、ストレスやらなにやら、とにかく体の弱い猫のtbちゃんのことです。
毛玉が排泄されずに手術をした際に、併せて肥大型心筋症と診断され、最近までずっと投薬による治療を続けていました。
そんなtbちゃんを診ている主治医のS先生は、心臓の専門医にエコー検査をしてもらいたい、tbちゃんの体調がよさそうなとき、ストレスなく検査ができそうなときを見計らってできたらいいなあと言っていたのです。
ときどき、その動物病院には夜に専門医が訪れて、エコー検査を実施しているのですよ。
なので、その先生に診てもらえたらと言い続けていたS先生。
それが念願かなって、先月の初めに診てもらうことができました。
それで結果です。
「肥大型心筋症ではない」という診断。
おおおおお!
正確には、仮性腱索という心室のなかにある腱が太くなっていて、そのために心筋が厚くなっているように見えたのだろうというのと、軽症の僧帽弁閉鎖不全、大動脈に腫瘍ではないコブ(おそらく先天的なもの)があり、血流がやや悪くなっているというものでした。
そのために雑音が聞こえているのだろうということ。つまり、深刻に今すぐ考えなければならないような病気はなく、心臓の薬を飲ませなくてもよくなったのです!
よかった~。
現在は薬を徐々に減らしてきて、全く飲ませないところまできました。そして様子を見ている状況です。(血流をよくするサプリと、腸の動きをよくする薬は継続して飲ませているんですけどね。)
大動脈にあるコブがこれから大きくならない限りは、長生きできるかもとS先生。
まあ、長生きできるかどうかは、今後何が起こるかわからないですから、まだ半信半疑ではありますが、肥大型心筋症ではないと言われたことはとにかくうれしくて。
突然死や血栓が飛んで苦しむことがあるというのを聞かされていました。そして「驚かせてはだめ。無理な運動もダメ。遊ばせすぎないで」と言われてもいました。とにかく気を遣うtbちゃんだったのです。
ところがtbちゃん自身はわれ関せずと、全力疾走していましたし、人が何するわけでもないのに勝手にいちいち驚く姿を見せていました。
それもあまり気にしないでいいということになって、私も一安心です。
S先生はとてもいい人で、いつも親身になってtbちゃんを診てくれています。先生自身も勉強になるからと、専門医に診てもらいたいと言っていたわけで、詳しくわかったことにちょっと興奮気味でしたよ。それも面白かったですけどね。
TVの猫を見るtbちゃん。
ぬお~。
ん?
くは~。
今年の3月11日には、この本が届きました。
しろさびとまっちゃん 福島の保護猫と松村さんの、いいやんべぇな日々
「節目を越えた」なんて言う首相や、「ふるさとを捨てるというのは簡単だが、戻ってとにかく頑張っていくんだという気持ちをしっかり持ってもらいたい」などと言う復興相がいる日本政府の御仁たち(籠池も安倍妻も日本会議の面々も含む)に、この人の爪の垢を煎じて飲ませたいわ、と思うそういう本です。
こういう人が存在していることに感謝しなければならないし、見習わないといけないと思う。
おしまい。
2017年2月28日現在の避難者数12万人以上→●
安倍や復興相のあまりに鈍い感覚に激怒。
終わりましたよ [つれづれ]
やっと終わりました。外壁塗装。きれいな外壁に様変わりして、清々しい。
このブログも大変ご無沙汰しておりました。私は元気です。ちょっと疲れたけど(笑)
さて外壁塗装のお話。
外壁塗装を行うまでの経緯というのが、タイミングというのでしょうか。
前回のときに記したガスふろ給湯器の交換から始まりました。
この交換をしてくれたのが工務店(リフォーム業者)だったことから、「奥さん、外壁の塗装をしないとだめだよ。見積りしましょうか?」と、いわば営業をされた形なのですが、夫T君はそろそろ外壁を何とかしなくてはいけないと考えていたようで、「ついでに見積りだけでもしてもらえば?」と簡単に私に言ってきたのでした。
私はといえば、そんな塗装工事が始まれば、ストレスに弱い猫のTBちゃんが病気でもならないかと心配をしていました。なので、TBちゃんが天寿を全うした後でそういった家のメンテナンスができればいいやと考えていたのです。
でも急転直下。見積りをしてくれた業者さんの強引なこと。あそこのモルタルが浮いている、あそこにはクラックが入っている、早く塗装をしないと家が傷むよとか……。不安を煽る営業を再三にわたり続けてくれたもので、ゲンナリしてきました。
確かに、築14年の我が家。そろそろ重い腰をあげなければいけない時期。不安も募るばかりで気持ちが萎えてきました。やらなければいかんかと。
だけど、どうにも不安を煽る業者さん。質問をしても、それに対しての答えが出てきません。部分的にできない塗装があると言ったり、じゃあどうするか、といったことにも答えが出てきませんでした。
不安どころか、信用できるのかどうかもわからなくなってくる有様で、だけど、給湯器を変えてくれたし、姉のところでは大規模なリフォームをしてくれたところだし、無下にもできない。でもでもでも……。
ということで、相見積ですよ。他でも見積りを取ってみようと動きました。
相見積をお願いした先は、この家を建てたときに、ふらっと営業に来た塗装業者さん。なぜかずーっと記憶に残っていて、名刺も残しておいていたので、そこへ連絡をしてみました。
「相談したい」と。
早速、家まで来てくれて見積りですよ。そしてあれこれと質問をしました。相談もしました。すると、ちゃんとこちらの要望に応えてくれようとするし、考えてもくれる好印象。あとは見積金額次第だなあと思いました。
で、出てきた金額は、前の業者さんよりリーズナブルだし、塗料も私が希望していた艶消しのものと考えてくれて、少々お高くても前の業者さんの最安値をつけていた塗料よりも安いという……そんな見積りを持ってきました。
人柄と見積りで、相見積を後で取った業者さんに決めましたよ。
こういうのは相性というものもあるよねえと。
T君はあまり意に介さず、「ああいう営業マンというのはいるもんだし、俺は気にならないけどな」だって。ほとんど対応をするのは私なので、私が決めますよ。ええ。
というわけで、2月の初めにはもう塗装工事が開始されるいう運びになったのです。
昨年末の給湯器交換から、早い早い。あっという間の出来事のよう。
この間、塗料はどういうものがいいのか、塗装と左官の違いは何、艶消しと艶ありのメリットデメリットは……等々ひたすら調べ続け、塗装が始まっても果たして選んだ塗料は我が家には合っているのか、とか考え続けました。
結果、ものすごく疲れたのでした(笑)
塗料もいろいろあって、進化を続けているのですよ。我が家の新築時に使った塗料も、当時流行していたもののようで、その後のメンテナンスにはどのように対応するか、まだわかっていないものでもあったようです。
上塗りするのに適した塗料というものがその当時にはなく、調べてみると、後から出てきていました。そんなことは考えないで決めたなあ……という記憶。とりあえず建築士さんに丸投げ。要するに信用していたからなんですけどね。
基本的にデザイン重視なので、今回も長持ちしなくても艶消しの塗料じゃないとダメ、と言い続けて選んだ塗料です。前の塗料と相性がいいかどうかなんてわからず、塗り始めてから調べる始末。何となく、私の想像の範囲ですが、合っていると踏んでいました。
事実、合っているとわかって一安心。ちょっとお安い塗料だと違うんじゃないかと、そんなことも考えた末のこと。塗料には弾性があって、それも考えないといけないんですよね。簡単に塗れるものもあれば、塗るのが難しい塗料もあるということなのです。
で、選んだ塗料はある程度の技量がないと塗るのが難しいものでした。でも、それができると言って業者さんもすすめてきたし、お願いしました。
案の定というか、ちょっと職人さんは苦戦していました(塗料がのびないし、のりが悪いし、気温が低いし)。挙句の果てに、予定していた量では足りないということとなり、工期も2日延長。ついでに雨(雪)天のためにさらに2日延長。雨どいのつまりも見つかり、その工事もプラス。当初の予定より、1週間工期が長くなりました。
家のなかの壁も一部塗ってもらったので、それもあるけど。
いや~、疲れました。
そしてようやく終わりました。
TBちゃんはというと、やっぱりストレスだったようで、ちょっとだけれどいつもの膀胱炎の症状を見せました。軽いものだったので、病院へは行かずに済んでよかったんですけどね。
そんなこんな。
当分、家のメンテナンスはいいかなあ。でもまたどこか不具合が出てくるんでしょうね。大切に暮らさないとね。
おしまい。
追記。
デザイン重視で長持ちしなくてもいいと記しましたが、長持ちするであろうと言われている塗料を選びました。それから見積りですが、追加でお願いした工事は別にして、基本部分は見積り以上の追加請求というものはありませんでした。途中、塗料が足りないなんていうことも、もしかして追加されるのか? と思いましたが、そんなことはありませんでした。職人さんの腕はわかりませんが、いい業者さんだったと思います。自画自賛(笑)
このブログも大変ご無沙汰しておりました。私は元気です。ちょっと疲れたけど(笑)
さて外壁塗装のお話。
外壁塗装を行うまでの経緯というのが、タイミングというのでしょうか。
前回のときに記したガスふろ給湯器の交換から始まりました。
この交換をしてくれたのが工務店(リフォーム業者)だったことから、「奥さん、外壁の塗装をしないとだめだよ。見積りしましょうか?」と、いわば営業をされた形なのですが、夫T君はそろそろ外壁を何とかしなくてはいけないと考えていたようで、「ついでに見積りだけでもしてもらえば?」と簡単に私に言ってきたのでした。
私はといえば、そんな塗装工事が始まれば、ストレスに弱い猫のTBちゃんが病気でもならないかと心配をしていました。なので、TBちゃんが天寿を全うした後でそういった家のメンテナンスができればいいやと考えていたのです。
でも急転直下。見積りをしてくれた業者さんの強引なこと。あそこのモルタルが浮いている、あそこにはクラックが入っている、早く塗装をしないと家が傷むよとか……。不安を煽る営業を再三にわたり続けてくれたもので、ゲンナリしてきました。
確かに、築14年の我が家。そろそろ重い腰をあげなければいけない時期。不安も募るばかりで気持ちが萎えてきました。やらなければいかんかと。
だけど、どうにも不安を煽る業者さん。質問をしても、それに対しての答えが出てきません。部分的にできない塗装があると言ったり、じゃあどうするか、といったことにも答えが出てきませんでした。
不安どころか、信用できるのかどうかもわからなくなってくる有様で、だけど、給湯器を変えてくれたし、姉のところでは大規模なリフォームをしてくれたところだし、無下にもできない。でもでもでも……。
ということで、相見積ですよ。他でも見積りを取ってみようと動きました。
相見積をお願いした先は、この家を建てたときに、ふらっと営業に来た塗装業者さん。なぜかずーっと記憶に残っていて、名刺も残しておいていたので、そこへ連絡をしてみました。
「相談したい」と。
早速、家まで来てくれて見積りですよ。そしてあれこれと質問をしました。相談もしました。すると、ちゃんとこちらの要望に応えてくれようとするし、考えてもくれる好印象。あとは見積金額次第だなあと思いました。
で、出てきた金額は、前の業者さんよりリーズナブルだし、塗料も私が希望していた艶消しのものと考えてくれて、少々お高くても前の業者さんの最安値をつけていた塗料よりも安いという……そんな見積りを持ってきました。
人柄と見積りで、相見積を後で取った業者さんに決めましたよ。
こういうのは相性というものもあるよねえと。
T君はあまり意に介さず、「ああいう営業マンというのはいるもんだし、俺は気にならないけどな」だって。ほとんど対応をするのは私なので、私が決めますよ。ええ。
というわけで、2月の初めにはもう塗装工事が開始されるいう運びになったのです。
昨年末の給湯器交換から、早い早い。あっという間の出来事のよう。
この間、塗料はどういうものがいいのか、塗装と左官の違いは何、艶消しと艶ありのメリットデメリットは……等々ひたすら調べ続け、塗装が始まっても果たして選んだ塗料は我が家には合っているのか、とか考え続けました。
結果、ものすごく疲れたのでした(笑)
塗料もいろいろあって、進化を続けているのですよ。我が家の新築時に使った塗料も、当時流行していたもののようで、その後のメンテナンスにはどのように対応するか、まだわかっていないものでもあったようです。
上塗りするのに適した塗料というものがその当時にはなく、調べてみると、後から出てきていました。そんなことは考えないで決めたなあ……という記憶。とりあえず建築士さんに丸投げ。要するに信用していたからなんですけどね。
基本的にデザイン重視なので、今回も長持ちしなくても艶消しの塗料じゃないとダメ、と言い続けて選んだ塗料です。前の塗料と相性がいいかどうかなんてわからず、塗り始めてから調べる始末。何となく、私の想像の範囲ですが、合っていると踏んでいました。
事実、合っているとわかって一安心。ちょっとお安い塗料だと違うんじゃないかと、そんなことも考えた末のこと。塗料には弾性があって、それも考えないといけないんですよね。簡単に塗れるものもあれば、塗るのが難しい塗料もあるということなのです。
で、選んだ塗料はある程度の技量がないと塗るのが難しいものでした。でも、それができると言って業者さんもすすめてきたし、お願いしました。
案の定というか、ちょっと職人さんは苦戦していました(塗料がのびないし、のりが悪いし、気温が低いし)。挙句の果てに、予定していた量では足りないということとなり、工期も2日延長。ついでに雨(雪)天のためにさらに2日延長。雨どいのつまりも見つかり、その工事もプラス。当初の予定より、1週間工期が長くなりました。
家のなかの壁も一部塗ってもらったので、それもあるけど。
いや~、疲れました。
そしてようやく終わりました。
TBちゃんはというと、やっぱりストレスだったようで、ちょっとだけれどいつもの膀胱炎の症状を見せました。軽いものだったので、病院へは行かずに済んでよかったんですけどね。
そんなこんな。
当分、家のメンテナンスはいいかなあ。でもまたどこか不具合が出てくるんでしょうね。大切に暮らさないとね。
おしまい。
追記。
デザイン重視で長持ちしなくてもいいと記しましたが、長持ちするであろうと言われている塗料を選びました。それから見積りですが、追加でお願いした工事は別にして、基本部分は見積り以上の追加請求というものはありませんでした。途中、塗料が足りないなんていうことも、もしかして追加されるのか? と思いましたが、そんなことはありませんでした。職人さんの腕はわかりませんが、いい業者さんだったと思います。自画自賛(笑)
明けてますね。年末年始もろもろ。 [つれづれ]
来られる方もいらっしゃらないのではないかと思っておりますが、一応、念のため、ご挨拶が大変遅れて失礼しました。
まずは、あけましておめでとうございます。
もうすぐ2月3日の節分ですから、節目の時期と相成りました。
気が変わる時期です。皆様におきましては健やかにお過ごしいただけたらと思います。
これは先々週の富士山。
全然記事を更新できずにおりました。非常に内向的で、何をする気も起きず、ただ用意されたものをせっせとこなしておりました。
なんというか、ダメなときはダメだなと(笑)
自発的に何かをやりたいと思うものがありません。なので、いまは歯を治しに行ったり、よもぎで蒸されたりしに行っています。さらにやる気が起きないのは、インプットが足りないからではないかと思いたち、よっこらしょと本を読んでいます。
家のなかは散らかり放題。物を捨てなくてはと思うものの、何を捨てていいのか考えるのが面倒臭いという情けない状態。どうしたもんですかねえ。
昨年、12月のなかほど、給湯器の調子が悪くなりはじめて、年の暮れは大わらわでした。
なんたって、量販店や東京ガスに年内の工事はできないと言われ途方に暮れる始末。年末年始にお湯が出ないということになったら、どうしたらいいんだ? と頭を抱えました。←ここでかなりの疲労感。
捨てる神あれば拾う神あり。工務店に頼めば年内の工事は可能かもしれないと、量販店の店員さんに言われ、近くの工務店に飛び込みました。その工務店の店長さんが出てきて対応してくれたのですが、お昼ご飯をもそもそと食べながら、右往左往しているし、大丈夫なのか? と一抹の不安。
じーっと夫T君と工務店内で待つこと数分。どうやら年内に工事をしてくれることになりました。
しかし、給湯器の本体が手に入らなければ工事もできません。ましてや工事の場所も見ていない状態で見積りも出せず、数日先送りに。その間、給湯器がじわじわと調子が悪くなってきて……頼む、もってくれ~と祈りました。
そして、現場を見に来た店長でしたが、これまたトンチンカンで、プロパンか都市ガスかの確認を忘れて、改めて電話をして来たりして、さらに不安。
聞けば「商品を発注しちゃった」って言うし(見積りもまだ見ていないのに)、何だか変な工務店にひっかっかちゃったのかなあと思いましたよ。
でも、工事に来てくれた人は、その専門の職人さんで胸をなでおろすと。金額は量販店に比べて少々お高めになってしまいましたが、こんな年の暮れにやってくれたのだから感謝しなければいけません。
この家を建てて14年。いろいろなところに不具合が出はじめました。
自分のメンテナンスもいいけど、家のメンテナンスもしないとね。
ということで、今度は外壁塗装です。これのお話はまた今度。
このメンテナンスで運気が変わればいいなあ。
昨年12月の頭には、大雪と大雪の狭間をぬって、札幌日帰り弾丸旅行をして来ています。
あの欠航、欠航で大勢の人が新千歳空港で夜を明かさなければいけなかったという週の本当に狭間でした。たまったま予約していた航空券がその時期だったということなのですが、幸運だったと言えるんでしょうね。
札幌市内は雪が壁のように積まれていて、いままで見たこともないような風景。雪捨てに追いついていない感じでした。雪のなかをドライブしたかったT君は、念願かなってよかったなと。
買い物をしたEBRI。もとはレンガ工場。
大通公園のイルミネーション。以前、この時期に札幌に行ったときは、全然雪なんてなかったのに、この大雪は驚きでした。
そんなこんな。
あ、こんなものを食べていました^^;
豪快。
まずは、あけましておめでとうございます。
もうすぐ2月3日の節分ですから、節目の時期と相成りました。
気が変わる時期です。皆様におきましては健やかにお過ごしいただけたらと思います。
これは先々週の富士山。
全然記事を更新できずにおりました。非常に内向的で、何をする気も起きず、ただ用意されたものをせっせとこなしておりました。
なんというか、ダメなときはダメだなと(笑)
自発的に何かをやりたいと思うものがありません。なので、いまは歯を治しに行ったり、よもぎで蒸されたりしに行っています。さらにやる気が起きないのは、インプットが足りないからではないかと思いたち、よっこらしょと本を読んでいます。
家のなかは散らかり放題。物を捨てなくてはと思うものの、何を捨てていいのか考えるのが面倒臭いという情けない状態。どうしたもんですかねえ。
昨年、12月のなかほど、給湯器の調子が悪くなりはじめて、年の暮れは大わらわでした。
なんたって、量販店や東京ガスに年内の工事はできないと言われ途方に暮れる始末。年末年始にお湯が出ないということになったら、どうしたらいいんだ? と頭を抱えました。←ここでかなりの疲労感。
捨てる神あれば拾う神あり。工務店に頼めば年内の工事は可能かもしれないと、量販店の店員さんに言われ、近くの工務店に飛び込みました。その工務店の店長さんが出てきて対応してくれたのですが、お昼ご飯をもそもそと食べながら、右往左往しているし、大丈夫なのか? と一抹の不安。
じーっと夫T君と工務店内で待つこと数分。どうやら年内に工事をしてくれることになりました。
しかし、給湯器の本体が手に入らなければ工事もできません。ましてや工事の場所も見ていない状態で見積りも出せず、数日先送りに。その間、給湯器がじわじわと調子が悪くなってきて……頼む、もってくれ~と祈りました。
そして、現場を見に来た店長でしたが、これまたトンチンカンで、プロパンか都市ガスかの確認を忘れて、改めて電話をして来たりして、さらに不安。
聞けば「商品を発注しちゃった」って言うし(見積りもまだ見ていないのに)、何だか変な工務店にひっかっかちゃったのかなあと思いましたよ。
でも、工事に来てくれた人は、その専門の職人さんで胸をなでおろすと。金額は量販店に比べて少々お高めになってしまいましたが、こんな年の暮れにやってくれたのだから感謝しなければいけません。
この家を建てて14年。いろいろなところに不具合が出はじめました。
自分のメンテナンスもいいけど、家のメンテナンスもしないとね。
ということで、今度は外壁塗装です。これのお話はまた今度。
このメンテナンスで運気が変わればいいなあ。
昨年12月の頭には、大雪と大雪の狭間をぬって、札幌日帰り弾丸旅行をして来ています。
あの欠航、欠航で大勢の人が新千歳空港で夜を明かさなければいけなかったという週の本当に狭間でした。たまったま予約していた航空券がその時期だったということなのですが、幸運だったと言えるんでしょうね。
札幌市内は雪が壁のように積まれていて、いままで見たこともないような風景。雪捨てに追いついていない感じでした。雪のなかをドライブしたかったT君は、念願かなってよかったなと。
買い物をしたEBRI。もとはレンガ工場。
大通公園のイルミネーション。以前、この時期に札幌に行ったときは、全然雪なんてなかったのに、この大雪は驚きでした。
そんなこんな。
あ、こんなものを食べていました^^;
豪快。
最近読んだ本 [本の感想]
ご無沙汰をしております。
今後、このブログでどういうことを表現していくか、つらつら考えていましたが、結論が出ません。
こういうときは流されるのが一番と、ひとまず流されていくかと思い始めたところです。
文体を当初のような「である」に戻そうかと思ったり。でもそうすると硬い文章になるよなあと思ったり。
ただそれだけのことも、う~んと唸ってしまう次第。
まあ、世の中、とんでもないことがまかり通るようになってきましたから、些細なこととは思います。
そんな思い悩む今日この頃でも本は読んでいるわけで。
シーナ&ロケッツのことをブログのネタにした後に、はからずもこんな本を読みました。
東京都内で暮らしたいと思ったことがほとんどない私が、唯一、とーっても若い頃に住んでみたいと思っていた町が「下北沢」でした。
妙な磁場がある町だと思っていました。若い頃はカルチャーとして、、、うーんと、サブカルチャーですね。そんなサブカルチャーにまみれられる町だと思って住んでみたいと。洋服も独特なデザイン、スタイルのものが売られていたし、そこで買い物をすることが楽しかったんですよ。いまより全然痩せていたので、ヘンテコリンナデザインでも着られる洋服がいっぱいあったし。
数年前は、仕事で下北沢にある施設へお邪魔をすることが多く、懐かしくて、いつも行くときはうろちょろうろちょろ。下北沢からてくてく歩くと三軒茶屋に出るというのも、いまとなってはお得感がありました。
そんな下北沢。
吉本ばななさんが暮らしているそうで、面白いことに冒頭から、シーナ&ロケッツの家族に下北沢で出会うという描写が出てきました。
同じだわ(笑)
20代前半の思い出を語っています。
そして、その頃下北沢に住んでみたいとこんなことを言っています。「……決してほめられたことではないのかもしれないが、よく観察すると下北沢では昼間からなにをしているのかわからない派手な服装の大人たちがぶらぶらしていた。酒場も夕方からすでににぎわっている。
そのような生活がしたいということではなく、そのような生活がすぐそばにある場所に住んでみたいな、そう思った。……」と。
同じような思いを吉本ばななさんも、20代前半に抱いていました。
ちょうど世代も似ているので(私の方が少し年齢は上ですが)、同じような時代に同じような思いを抱いていたわけですね。
このエッセイには、暮らしているその土地についてと、その周辺にいた(いる)人たちについて書かれているのですが、吉本ばななさんの実に愛情の深い下北沢への思いが伝わって来ます。
その周辺の表現がうまいんですよね。平易な言葉ではあるけれど、あっちこっちに散らばっている感情や視線の先にある小さい欠片を、うまい具合に拾い上げている。うんうんと頷けて、楽しく読了しました。
途中、自分はセンチメンタルではない。これはノスタルジーだ。というようなことが書いてありました。
これはちょっと考えました。
果たしてそう思うか。ノスタルジーを感じれば、センチメンタルになるよなあと。センチメンタルからノスタルジーは導き出されないかもしれないけど。
ま、どうでもいいか。
関係ないけど、センチメンタリズムとロマンチシズムという対義語はありかなと思っております。
と、そんなことを書いていると長くなってしまうので、そんなことはまた今度。
おしまい。
おまけ。
いいPV。トミー・ジョンストンが元気でよかった。
http://thedoobiebrothers.com/
今後、このブログでどういうことを表現していくか、つらつら考えていましたが、結論が出ません。
こういうときは流されるのが一番と、ひとまず流されていくかと思い始めたところです。
文体を当初のような「である」に戻そうかと思ったり。でもそうすると硬い文章になるよなあと思ったり。
ただそれだけのことも、う~んと唸ってしまう次第。
まあ、世の中、とんでもないことがまかり通るようになってきましたから、些細なこととは思います。
そんな思い悩む今日この頃でも本は読んでいるわけで。
シーナ&ロケッツのことをブログのネタにした後に、はからずもこんな本を読みました。
東京都内で暮らしたいと思ったことがほとんどない私が、唯一、とーっても若い頃に住んでみたいと思っていた町が「下北沢」でした。
妙な磁場がある町だと思っていました。若い頃はカルチャーとして、、、うーんと、サブカルチャーですね。そんなサブカルチャーにまみれられる町だと思って住んでみたいと。洋服も独特なデザイン、スタイルのものが売られていたし、そこで買い物をすることが楽しかったんですよ。いまより全然痩せていたので、ヘンテコリンナデザインでも着られる洋服がいっぱいあったし。
数年前は、仕事で下北沢にある施設へお邪魔をすることが多く、懐かしくて、いつも行くときはうろちょろうろちょろ。下北沢からてくてく歩くと三軒茶屋に出るというのも、いまとなってはお得感がありました。
そんな下北沢。
吉本ばななさんが暮らしているそうで、面白いことに冒頭から、シーナ&ロケッツの家族に下北沢で出会うという描写が出てきました。
同じだわ(笑)
20代前半の思い出を語っています。
そして、その頃下北沢に住んでみたいとこんなことを言っています。「……決してほめられたことではないのかもしれないが、よく観察すると下北沢では昼間からなにをしているのかわからない派手な服装の大人たちがぶらぶらしていた。酒場も夕方からすでににぎわっている。
そのような生活がしたいということではなく、そのような生活がすぐそばにある場所に住んでみたいな、そう思った。……」と。
同じような思いを吉本ばななさんも、20代前半に抱いていました。
ちょうど世代も似ているので(私の方が少し年齢は上ですが)、同じような時代に同じような思いを抱いていたわけですね。
このエッセイには、暮らしているその土地についてと、その周辺にいた(いる)人たちについて書かれているのですが、吉本ばななさんの実に愛情の深い下北沢への思いが伝わって来ます。
その周辺の表現がうまいんですよね。平易な言葉ではあるけれど、あっちこっちに散らばっている感情や視線の先にある小さい欠片を、うまい具合に拾い上げている。うんうんと頷けて、楽しく読了しました。
途中、自分はセンチメンタルではない。これはノスタルジーだ。というようなことが書いてありました。
これはちょっと考えました。
果たしてそう思うか。ノスタルジーを感じれば、センチメンタルになるよなあと。センチメンタルからノスタルジーは導き出されないかもしれないけど。
ま、どうでもいいか。
関係ないけど、センチメンタリズムとロマンチシズムという対義語はありかなと思っております。
と、そんなことを書いていると長くなってしまうので、そんなことはまた今度。
おしまい。
おまけ。
いいPV。トミー・ジョンストンが元気でよかった。
http://thedoobiebrothers.com/
いいお話を聞いた [本の感想]
急に暑い日があったりしましたが、めっきりと寒くなってきました。
体調を崩されている方はいらっしゃいませんか? どうかご自愛ください。
さて私はというと、ブログの更新を怠るほどの怠惰な生活を送っています。
函館弾丸のあとに、大阪へ法事をしに行ったりしましたが、とくに他には目新しいイベントもなく、ネタもなく、いまに至ってしまいました。いやはや。
そんななか、いい本を読みました。
読後、いい本を読んだというより、いいお話が聞けたという気分になりました。
なぜなのだろうと思ったのですが、あとがきを読んでから気づきました。ラジオで流れたもの(インタビュー)を本にしたのだそうです。
あ、帯にも書いてあった。全く帯も読んでいなかったので、ラジオのロングインタビューとは気づかず……。
しかしいいお話でした。
内容は、昨年2月に亡くなったシーナ&ロケッツのシーナについて、夫である鮎川誠氏が語ったものです。
シーナが亡くなったとき、私はその訃報に接して大きなショックを受けたとともに、「鮎川は大丈夫か?」と心配していました。
ものすごく仲のよかった夫婦でしたし、シーナあっての鮎川だと思っていたからです。(鮎川と呼び捨てにするのは、なぜか昔から鮎川と呼んでいるんですよね……うん。だから鮎川……)。
だけどこの本を読んで、鮎川は大丈夫だったと安心しました。どんなにシーナを愛していたか、どんなに濃密に一緒にロックバンドをやってきたかを知ることができました。
さらにシーナの出身地である若松という土地。その魅力がふんだんに語られています。いい町で育っているのですよ。いい距離感でやさしい町の人たちに育まれ、支えられてきている。
そんなシーナが鮎川と出会い、どうして歌うようになったか、どんな生活を送ってきたか、そして最期はどうだったのか、鮎川の口で語られているのです。それが実に愛情深い。
シーナもやさしい、いい人だったんだ。
私がシーナ&ロケッツを知ったのは高校生のときでした。日本でもパンクバンドブームが起こり、YMOを代表としたテクノポップが流行し出したころです。音楽もとんがっていた時期なのではないかと思います。
で、「レモンティー」という曲があるのですが、それが初めての出合い。
昨日、たまたま山下達郎さんのラジオ番組をラジコのタイムフリーで聴いていたら、ヤードバーズの「Train Kept A Rollin'」がかかって、「これはエアロスミスもカバーしているし、シーナ&ロケッツでも替え歌にして歌っている曲」と、夫T君に説明をしたところなのでした。
レモンティーをネットで検索してみると、パクリという表現をしているサイトが多くありますが、パクリというより「替え歌」であると私は思っています。歌詞も秀逸だし、鮎川のギターリフもカッコいいし、いまとなっては清志郎さんが「Daydream Believer」を日本語の詞で歌ったものと同じと思っています(変な説明だな^^;)。
そのくらい名曲と言っていい仕上がりであると。
これを聞いたとき、ただ単純にカッコいいと思った私がおりました。
ああ、ちょっと筆が進まないです。なんかね、あの頃の日本のロックシーンが好きだった人には、読んで聴いてもらいたいなと。それだけですね。感想をうまく表現できない……。(すみません)
シーナは「you may dream」を歌う前に必ず「みんな夢を持ってね!」と言っていたそうなのですが、最後のステージでは「私の夢はこのバンドで歌うこと、ずっと歌い続けること」と言ったのだそうです。
それまでは突然の病いで逝ってしまうなんて、思っていなかったんだろうなと。歌い続けたかったんだろうと。そんなシーナの気持ちを考えると、胸が痛くなりました。
そうそう、こんなエピソード。
下北沢に住んでいた鮎川家ですが、同じく下北沢に住んでいた金子マリさんとシーナの二人で、子どもが小さい頃に、いわゆる緑のおばさんをしていたのだそう。これを聞いたとき、風景を想像しただけでも「下北沢ってロックだわ~」と思ったものです。羨ましい……。
そういえば、東京都内に住んでみたいと思ったことはないのですが、高校を卒業したら下北沢に住みたいと思っていたことを思い出しました。ロックな町です。
シーナの葬儀は、金子マリさんが営む葬儀屋さんが行ったというのも聞きました。感動です。
総じてへたくそな文章でした。すみません。
おしまい。
体調を崩されている方はいらっしゃいませんか? どうかご自愛ください。
さて私はというと、ブログの更新を怠るほどの怠惰な生活を送っています。
函館弾丸のあとに、大阪へ法事をしに行ったりしましたが、とくに他には目新しいイベントもなく、ネタもなく、いまに至ってしまいました。いやはや。
そんななか、いい本を読みました。
読後、いい本を読んだというより、いいお話が聞けたという気分になりました。
なぜなのだろうと思ったのですが、あとがきを読んでから気づきました。ラジオで流れたもの(インタビュー)を本にしたのだそうです。
あ、帯にも書いてあった。全く帯も読んでいなかったので、ラジオのロングインタビューとは気づかず……。
しかしいいお話でした。
内容は、昨年2月に亡くなったシーナ&ロケッツのシーナについて、夫である鮎川誠氏が語ったものです。
シーナが亡くなったとき、私はその訃報に接して大きなショックを受けたとともに、「鮎川は大丈夫か?」と心配していました。
ものすごく仲のよかった夫婦でしたし、シーナあっての鮎川だと思っていたからです。(鮎川と呼び捨てにするのは、なぜか昔から鮎川と呼んでいるんですよね……うん。だから鮎川……)。
だけどこの本を読んで、鮎川は大丈夫だったと安心しました。どんなにシーナを愛していたか、どんなに濃密に一緒にロックバンドをやってきたかを知ることができました。
さらにシーナの出身地である若松という土地。その魅力がふんだんに語られています。いい町で育っているのですよ。いい距離感でやさしい町の人たちに育まれ、支えられてきている。
そんなシーナが鮎川と出会い、どうして歌うようになったか、どんな生活を送ってきたか、そして最期はどうだったのか、鮎川の口で語られているのです。それが実に愛情深い。
シーナもやさしい、いい人だったんだ。
私がシーナ&ロケッツを知ったのは高校生のときでした。日本でもパンクバンドブームが起こり、YMOを代表としたテクノポップが流行し出したころです。音楽もとんがっていた時期なのではないかと思います。
で、「レモンティー」という曲があるのですが、それが初めての出合い。
昨日、たまたま山下達郎さんのラジオ番組をラジコのタイムフリーで聴いていたら、ヤードバーズの「Train Kept A Rollin'」がかかって、「これはエアロスミスもカバーしているし、シーナ&ロケッツでも替え歌にして歌っている曲」と、夫T君に説明をしたところなのでした。
レモンティーをネットで検索してみると、パクリという表現をしているサイトが多くありますが、パクリというより「替え歌」であると私は思っています。歌詞も秀逸だし、鮎川のギターリフもカッコいいし、いまとなっては清志郎さんが「Daydream Believer」を日本語の詞で歌ったものと同じと思っています(変な説明だな^^;)。
そのくらい名曲と言っていい仕上がりであると。
これを聞いたとき、ただ単純にカッコいいと思った私がおりました。
ああ、ちょっと筆が進まないです。なんかね、あの頃の日本のロックシーンが好きだった人には、読んで聴いてもらいたいなと。それだけですね。感想をうまく表現できない……。(すみません)
シーナは「you may dream」を歌う前に必ず「みんな夢を持ってね!」と言っていたそうなのですが、最後のステージでは「私の夢はこのバンドで歌うこと、ずっと歌い続けること」と言ったのだそうです。
それまでは突然の病いで逝ってしまうなんて、思っていなかったんだろうなと。歌い続けたかったんだろうと。そんなシーナの気持ちを考えると、胸が痛くなりました。
そうそう、こんなエピソード。
下北沢に住んでいた鮎川家ですが、同じく下北沢に住んでいた金子マリさんとシーナの二人で、子どもが小さい頃に、いわゆる緑のおばさんをしていたのだそう。これを聞いたとき、風景を想像しただけでも「下北沢ってロックだわ~」と思ったものです。羨ましい……。
そういえば、東京都内に住んでみたいと思ったことはないのですが、高校を卒業したら下北沢に住みたいと思っていたことを思い出しました。ロックな町です。
シーナの葬儀は、金子マリさんが営む葬儀屋さんが行ったというのも聞きました。感動です。
総じてへたくそな文章でした。すみません。
おしまい。
演劇ふたつ [芸術・文化]
ふたつの演劇を鑑賞してきました。
ひとつは、世田谷パブリックシアターで行われていた「DISGRACED ディスグレイスト/恥辱」。
もうひとつは、東京芸術劇場・シアターイーストで行われている「あの大鴉、さえも」。
ディスグレイストは、全公演が終了しているのでネタがばれても大丈夫ですね、はい。
このお芝居は、小日向文世さんとヤスケンがどう演技をするのかが見たかったから行きました。
小日向文世さんのお芝居にも興味津々。
お話は人種差別を題材にしています。ぶっちゃけて言うと「アメリカで人種差別の対象となっていた人が、自ら人種差別をしているとどうなるか」というお話。その悲哀を描いていました。
脚本はニューヨーク生まれのアヤド・アフタル氏。2013年にピュリツァー賞戯曲部門を受賞し、ブロードウェイで上演されていたとのこと。名前からして、おそらく職業は違いますが、主人公がこの脚本家ではないかと想像できる。
かなり考えさせられるシリアスな内容でした。しかし日本人が果たして理解できるかと言ったら、完璧には理解できないのではないか。そんな感想を持ちました。
演じた人は皆日本人なので、見た目では人種の区別ができません。
話が進むうちに、ようやく誰がどの人種であるかが分かってきました。
小日向文世さん演ずるアミールがパキスタン系アメリカ人(アラブ人)で弁護士。
秋山菜津子さん演ずるエミリーはアメリカ人(白人)で芸術家。
で、この二人が夫婦。
安田顕さん演ずるアイザックはアメリカ系ユダヤ人でキュレーター。
妻のジョリーを演ずる小島聖さんはアフリカ系アメリカ人(黒人)で弁護士。
それから主人公アミールの甥として、エイブ(平埜生成さん)。
甥のエイブ以外の4人がまあとにかく議論しまくるのです。
テーマの肝を握るのはもちろん主人公のアミールで、パキスタン系であるということを隠すために名前も変えて弁護士として活躍しているのに、隠し続けていたことで、いろいろなところが綻びはじめるのです。
いい仕事、いい報酬を得るために、自分の感情を抑えて働く。でも妻はイスラム文化に傾倒し、甥はアラブ人であるということでいざこざに巻き込まれ、その周囲の環境から気持ちが揺さぶられていくアミール。
そして、友人であるキュレーターのアイザック、その妻のジュリーを交えての議論。お酒もどんどん進み、言い争いと言ってもいいくらいに白熱します。
全く善し悪しはわかりません。それくらいアメリカにおいて、人種差別というものは根が深いと考えさせられました。
後半、アイザックとエミリーが浮気をしていたことがばれ、夫婦関係が破綻。その後、アミールの弁護士の仕事がジュリーに奪われ、職を失います。
白人同士が結ばれ、黒人に仕事を奪われたアラブ人という図式になりましょうか。人種が絡みに絡んで理解を超えます。
最終的には「アイデンティティとはなんぞ?」ということが主題にはなるのかと思いました。人種のるつぼと言われているアメリカはニューヨークが舞台であるから、きっと観た人たちは一層考えさせられたことと思います。
しかし日本人はどうか。これは難しい。アメリカ系日本人と日本系アメリカ人の違いも理解できないんじゃないか? と。いや、アメリカ人の顔をした日本人。日本人の顔をしたアメリカ人。
きっと、アメリカ人の顔をした日本人は差別の対象になるかもしれないけれど、顔が日本人だと、あまり抵抗感はないのではないか。でも、アメリカでは差別の対象となるんだろうなあと想像してみたり。
つまり、日本人は外見で左右される、そのくらい日本人は日本人であると思っているから、このようなニューヨークにおける多種にわたる人種の絡みなどは理解できないのではないかということが、最後に思ったこと。
なので、日本人にはなかなか深く考えられないお話だと思いました。想像でしか考えられない限界があるということです。
ただ、日本には顕在化していない差別はいっぱいあるわけで、たとえば韓国や中国の人の顔は一見して日本人とは区別しにくいと思います。そのため表面的にはうまく付き合っているように思うのですが、心の底では少しは違いを感じているはず。でも表面には表れないから、むしろことは複雑かもしれません。
だけどこういう人種差別を考えることはほとんど日常ではないわけですから、やはり「ディスグレイスト」は日本人には理解しにくいお話と思いました。
役者さんたちはとても素晴らしかったです。小日向さんの強弱のつけ方がすごいなと。とにかくくるくると変わる。秋山さんは所作にも女性らしさと力強さが感じられてよかったし、平埜さんは粗削りだけど若者らしい役者さんで頑張っていました。ヤスケンと小島さんはちょっと発声に苦労していたよう。低く大きな声を出すのは大変なんだろうなあという印象を持ちました。
人種差別やヘイトについては言いたいことはありますが、ここはこのお芝居のお話ということで。
次の「あの大鴉、さえも」は、まだ公演中なので内容には触れません。
えーと、現代演劇でした。男性3人で80年代に公演された話を、女性3人に演出しなおして作られています。
苦手としていた前衛的なお芝居で、何が主題かはわかりません。ナンセンスな不条理劇という感じなのかと。
これは片桐はいりさん、小林聡美さんが見たくて行きました。
演劇なのだけど、コンテンポラリーダンスと合体させた、何の先入観なしで観ていれば楽しい舞台だと思います。
でも片桐さんと小林さんが有名な役者さんなので、ダンス? ダンスをしている役者さん? 役なのか? と頭のなかで疑問符がたくさん飛んでしまって、なかなか舞台に集中することができませんでした。
しかしながら片桐さん、小林さんの演技もダンスもよくて、片桐さんにおいてはほぼ同じ世代です。それなのに、よく体が動いていて目を見開いてみてしまいました。すごい。そしてかっこいい。
小林聡美さんは、生で拝見するとすごく美しい人で、これまた驚き。テレビで見るおちゃめな感じとは打って変わって、とてもきれいなんですよ。なんか勿体ないなあ(何が勿体ないのかと言われても困りますが^^;)。
そしてもう一人、この方は存じ上げませんでした。パントマイムを主にされているパフォーマー、藤田桃子さん。
パントマイムでユーモアを培ってきているのでしょうか。実にユーモアが感じられる演技とダンスで、2人の女優さんを食う勢い。この人のパフォーマンスはまた見てみたい。
3人というのがいいのかなあ。うまくバランスが取れているようで、アンバランスにもなり、舞台の上でのその立ち居振る舞いが、いろいろなイメージを湧かせてくれるという、そんなお芝居でした。
オチはないんですよ。観客に勝手に考えろという、現代芸術にもよくある突き放した内容。
一種のハプニングと思ったらいいのだなと、私は理解しました。
個人的に強く印象に残ったことは小林聡美さんについて。「自由になれたんだね」と。「よかったね」。
おしまい。
ひとつは、世田谷パブリックシアターで行われていた「DISGRACED ディスグレイスト/恥辱」。
もうひとつは、東京芸術劇場・シアターイーストで行われている「あの大鴉、さえも」。
ディスグレイストは、全公演が終了しているのでネタがばれても大丈夫ですね、はい。
このお芝居は、小日向文世さんとヤスケンがどう演技をするのかが見たかったから行きました。
小日向文世さんのお芝居にも興味津々。
お話は人種差別を題材にしています。ぶっちゃけて言うと「アメリカで人種差別の対象となっていた人が、自ら人種差別をしているとどうなるか」というお話。その悲哀を描いていました。
脚本はニューヨーク生まれのアヤド・アフタル氏。2013年にピュリツァー賞戯曲部門を受賞し、ブロードウェイで上演されていたとのこと。名前からして、おそらく職業は違いますが、主人公がこの脚本家ではないかと想像できる。
かなり考えさせられるシリアスな内容でした。しかし日本人が果たして理解できるかと言ったら、完璧には理解できないのではないか。そんな感想を持ちました。
演じた人は皆日本人なので、見た目では人種の区別ができません。
話が進むうちに、ようやく誰がどの人種であるかが分かってきました。
小日向文世さん演ずるアミールがパキスタン系アメリカ人(アラブ人)で弁護士。
秋山菜津子さん演ずるエミリーはアメリカ人(白人)で芸術家。
で、この二人が夫婦。
安田顕さん演ずるアイザックはアメリカ系ユダヤ人でキュレーター。
妻のジョリーを演ずる小島聖さんはアフリカ系アメリカ人(黒人)で弁護士。
それから主人公アミールの甥として、エイブ(平埜生成さん)。
甥のエイブ以外の4人がまあとにかく議論しまくるのです。
テーマの肝を握るのはもちろん主人公のアミールで、パキスタン系であるということを隠すために名前も変えて弁護士として活躍しているのに、隠し続けていたことで、いろいろなところが綻びはじめるのです。
いい仕事、いい報酬を得るために、自分の感情を抑えて働く。でも妻はイスラム文化に傾倒し、甥はアラブ人であるということでいざこざに巻き込まれ、その周囲の環境から気持ちが揺さぶられていくアミール。
そして、友人であるキュレーターのアイザック、その妻のジュリーを交えての議論。お酒もどんどん進み、言い争いと言ってもいいくらいに白熱します。
全く善し悪しはわかりません。それくらいアメリカにおいて、人種差別というものは根が深いと考えさせられました。
後半、アイザックとエミリーが浮気をしていたことがばれ、夫婦関係が破綻。その後、アミールの弁護士の仕事がジュリーに奪われ、職を失います。
白人同士が結ばれ、黒人に仕事を奪われたアラブ人という図式になりましょうか。人種が絡みに絡んで理解を超えます。
最終的には「アイデンティティとはなんぞ?」ということが主題にはなるのかと思いました。人種のるつぼと言われているアメリカはニューヨークが舞台であるから、きっと観た人たちは一層考えさせられたことと思います。
しかし日本人はどうか。これは難しい。アメリカ系日本人と日本系アメリカ人の違いも理解できないんじゃないか? と。いや、アメリカ人の顔をした日本人。日本人の顔をしたアメリカ人。
きっと、アメリカ人の顔をした日本人は差別の対象になるかもしれないけれど、顔が日本人だと、あまり抵抗感はないのではないか。でも、アメリカでは差別の対象となるんだろうなあと想像してみたり。
つまり、日本人は外見で左右される、そのくらい日本人は日本人であると思っているから、このようなニューヨークにおける多種にわたる人種の絡みなどは理解できないのではないかということが、最後に思ったこと。
なので、日本人にはなかなか深く考えられないお話だと思いました。想像でしか考えられない限界があるということです。
ただ、日本には顕在化していない差別はいっぱいあるわけで、たとえば韓国や中国の人の顔は一見して日本人とは区別しにくいと思います。そのため表面的にはうまく付き合っているように思うのですが、心の底では少しは違いを感じているはず。でも表面には表れないから、むしろことは複雑かもしれません。
だけどこういう人種差別を考えることはほとんど日常ではないわけですから、やはり「ディスグレイスト」は日本人には理解しにくいお話と思いました。
役者さんたちはとても素晴らしかったです。小日向さんの強弱のつけ方がすごいなと。とにかくくるくると変わる。秋山さんは所作にも女性らしさと力強さが感じられてよかったし、平埜さんは粗削りだけど若者らしい役者さんで頑張っていました。ヤスケンと小島さんはちょっと発声に苦労していたよう。低く大きな声を出すのは大変なんだろうなあという印象を持ちました。
人種差別やヘイトについては言いたいことはありますが、ここはこのお芝居のお話ということで。
次の「あの大鴉、さえも」は、まだ公演中なので内容には触れません。
えーと、現代演劇でした。男性3人で80年代に公演された話を、女性3人に演出しなおして作られています。
苦手としていた前衛的なお芝居で、何が主題かはわかりません。ナンセンスな不条理劇という感じなのかと。
これは片桐はいりさん、小林聡美さんが見たくて行きました。
演劇なのだけど、コンテンポラリーダンスと合体させた、何の先入観なしで観ていれば楽しい舞台だと思います。
でも片桐さんと小林さんが有名な役者さんなので、ダンス? ダンスをしている役者さん? 役なのか? と頭のなかで疑問符がたくさん飛んでしまって、なかなか舞台に集中することができませんでした。
しかしながら片桐さん、小林さんの演技もダンスもよくて、片桐さんにおいてはほぼ同じ世代です。それなのに、よく体が動いていて目を見開いてみてしまいました。すごい。そしてかっこいい。
小林聡美さんは、生で拝見するとすごく美しい人で、これまた驚き。テレビで見るおちゃめな感じとは打って変わって、とてもきれいなんですよ。なんか勿体ないなあ(何が勿体ないのかと言われても困りますが^^;)。
そしてもう一人、この方は存じ上げませんでした。パントマイムを主にされているパフォーマー、藤田桃子さん。
パントマイムでユーモアを培ってきているのでしょうか。実にユーモアが感じられる演技とダンスで、2人の女優さんを食う勢い。この人のパフォーマンスはまた見てみたい。
3人というのがいいのかなあ。うまくバランスが取れているようで、アンバランスにもなり、舞台の上でのその立ち居振る舞いが、いろいろなイメージを湧かせてくれるという、そんなお芝居でした。
オチはないんですよ。観客に勝手に考えろという、現代芸術にもよくある突き放した内容。
一種のハプニングと思ったらいいのだなと、私は理解しました。
個人的に強く印象に残ったことは小林聡美さんについて。「自由になれたんだね」と。「よかったね」。
おしまい。