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もしや…。 [自分のこと]

内閣不信任案を否決しておきながら、両院議員総会で太郎おろしをしようって、どうしたらそんな矛盾したことができるのかとあきれ返っている。

自民党の議員の皆さんは国民の前で、思いっきりうそつきと表明したようなもので、上手くこういう場で本音と建前を使い分けた気でいるかもしれないけれど、全く反対のことを植えつけたということも気づいていないよう。

そんなにバカなのか、この人たちは。筋が通っていないにもほどがある。

国民をバカにしてきたツケが回っているというのに。

ついでに、マスコミも論点をずらさずに報道して欲しいものだと思います、はい。

まー政治のゴタゴタは遠くに置いておいて……。




ひまわり.JPG
ひまわりが市場に出回る季節となりました。ついに梅雨も明けて、暑いッすね。

そんなわけで、クーラーをきかせた涼しい部屋でジーッとしております^^;

ジーッとしていながらも、面白くないので遊んでみるかと思ったけれど今ひとつ……。。

その後の私の手のシビレでありますが、こんな風にサポーターをしてしのいでおります。
ぐわし.JPG
ぐわっし。←ちゃんとできていない(笑)
そして違うサポーターに替え、DAIGOの真似をして「ウィッシュ」ってやろうと思ったら、
ういっしゅ.JPG
D君が乱入してまいりました。
魔の手.JPG
「なんだコノヤロー」と手を出すと、急に目つきを鋭くしてやる気満々。表情がよくわかる猫であることよ。

退散、退散。

てまあ、遊んでみるかと思うほど手のシビレはよくなってきていまして、ほとんど自然治癒すると書いてあったのも頷けるところなのでありますが、つらつらとこの手のシビレが始まった頃のことを考えたのです。

<手がシビレ始めたのは10日くらい前だよな~。なんで急に朝起きると手が痛み出したのかな~……>


<あ、もしや……>


手がシビレ始めた頃のことを思い出しました。


<そーいえば、ゴルフの打ちっぱなしに行った……>




そうなんです。

夫T君が奮発して新しいゴルフクラブを買ってくれたんですけどね、そのクラブを持って家の裏手にある練習場に行っていたのでした。

200発近くボールを打って帰ってきたんですが、その翌々日の朝だったかな。急に両手の親指・人差し指・中指がシビレて、そして痛みを覚えたと。

そう……。

きっかけはゴルフの打ちっぱなしでした(笑)

自業自得。

薬の副作用で発症しやすいところに、引き金を自分で引いてしまったという……気がします。

バカでございました。自爆でございます(笑)


で、いろいろ調べると(調べるのは好き^^)、B12と葉酸が効くらしいのですが、これまた貧血の人には不足しやすい栄養素で、ド貧血を繰り返している私にはもっとも少ないものではないかと判明。

手根管症候群になりやすい状況でもあったわけであります。なんだかなあ~。

ついでに太った体(二の腕もとっても太い)に比べて、なぜか手首が細いし。

気をつけなければならぬことでございました^^;



ちっ。



自業自得か。




お騒がせで失礼いたしました~。



おしまい。


そうそう、今度はなぜかT君が背中を痛めてしまったんですけどね。これまた原因不明で。でも痛み始めた頃に、やっぱりゴルフのラウンドをしているんですよ。寝返りもうてないくらい痛いって。夫婦でバカです^^;
現在ボルタレン湿布薬を貼ってしのいでいるようですが、この湿布がよく効くらしいです。さすが、鎮痛剤のボルタレン。いいようです、はい。
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もう「あがり」の人生なのか…。 [自分のこと]

いつ体調が変化するかわからないために、出かけるのを躊躇していたこの数ヶ月。遠出するのなんてもちろん、こわくてできやしない。

ようやく薬が効き始めたかなあ……薬を飲み始めて、長かった半年。体が薬に勝るという、これはどうしたもんだろうというわけだが。薬が体に勝ってもらわなくちゃ意味がないのに。で、やっと薬が勝ち始めた今日この頃でございます。

先日、夫T君の上司が親の介護・看護の佳境を迎えているらしく、聞けば、介護保険の手続きだの、緩和ケアの病院探しだの、「ああ、私も通ってきた道だわ~」と思い出すだけでも胸が苦しくなるのだが、その人は50代半ば。

考えてみると40代半ばですっかり親の面倒(介護など)をする必要がなくなり(両親とも他界)、何だかもう「あがり」の人生なのではないかと思うようになってしまった。

本来ならば、子ども生んで育てて、親の介護・看護を経て、そうしてやっと自分の老後へという感じになるのだろうが、子どもも育てておらず、介護する親もいない……「あら~、もしかして老後?」ってな感じだ。

いまだ、子どもを生み育てなかったことに罪悪感はあるが、おそらくそういう風になろう時期に、親戚の介護に走り回っていたわけだから、許してくれえ~と思うんだけどねえ。

しかしこんなに「あがり」が早くていいんだろうか…。40代だよ、40代。まだまだ60や70で親の介護をしている人がいるのに。60や70で子どもに苦労させられている人もいるのに。

そうか! だから自分の病気があるのかな、なんて考えてしまう。これが私に課せられた苦労。

あとはT君の介護だけだな(笑)……(夫をいずれ介護する気でいる^^;)。

ただ一方でね。やっぱり親を亡くした寂しさっていうのはあって、嫌っていた母だったけど、死んでしまってその存在の大きさを知ったし、喪失感というものもわかった。父が死んだときは、寂しさとか喪失感よりも、恐怖心が勝っていたけれど。

何だかんだいっても、長生きしてくれるにこしたことはないと思う。

早くに親を亡くしてしまう不幸というのもあるんだわね。


義兄嫁のご両親はまだまだ健在で、「これから大変だろうなあ」と思う反面、ずーっと両親が存在しているということが羨ましくも思う。

まあ、遠目で見ているだけだから何ともいえないけれど、、、。


私の従兄などは、子どもたちをワーキングホリデーで海外に行かせたり、ろくに働きもしなくても、ちゃんと養ってあげたりしていてねえ。。私にはそんな従兄の子どものような生活もなかったし、他人の生活と比較してみると、やっぱり貧乏だったよな、と思うわけだ。

そういう意味では全く恵まれてはいなかった。比較してもしょうがないんだけど。


だけど、そうしていまがあるのかなとは思う。

「あがり」が早いっていうこと(?)

よくわかんないけど、帳尻があってきているかもしれない、ということもあるかな…と思う。








さて、そんなぼやぼやと考えている日々。

遠出もしなければ、買い物も近場ばかりでどうしようもない生活なんだけど、いまや便利な通販でお米とかね、柑橘類の果物とか、少々手数料はかかれど、簡単に手に入るわけだ。

宅配業者さんありがとう、だ^^

最近は、骨付き焼き鳥「たあちゃん」(香川県!)のモモ肉を通販で買い、土佐小夏(高知県!)も買い、そしてこれを買った。
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一昨年、千葉に住む叔母から「タコ米がおいしいから」と、スーパーのビニール袋に適当に2キロぐらい入れたものをもらったのだが、「何よ、タコ米って……」と思いながら、お米をといで炊いてみると…。

「なんておいしいんでしょう」

感動したのでした。


それから、北海道の「おぼろつき」を食べ、新潟は南魚沼産の「コシヒカリ」を食べたけれど、「タコ米」のことが頭を離れず……。

そうして得意の通販でゲットですよ~。やっと「多古米」を買いました。

千葉の農産物はいろいろあれど、これ! と思うものがあまりなかったのに、米…うまいです^^


今回、県知事になった人は、「むむむ」と思っておりますが、米はうまいです^^




そして「タコ米」をくれた叔母の娘(従妹)がただ今臨月! 今にも生まれそう…。


世の中は巡り巡っているともいえる^^;




おしまい。
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キターッ! [自分のこと]

何のカテゴリーにしていいのやら、と思ったのだが、「そうか…自分のことか」と思い、自分のこととする。

仕事柄、一時期、年金問題が発生して、国民全員に年金の加入記録を送ると決定したときに話題になった「ねんきん特別便」が、ついに私の元にもやってきた。
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その話題になった頃、仕事関係者に会うたびに「toroさんは自分の年金を調べたか?」と言われていたのだ。

しかし、義父が亡くなり、母が死んだときに、社会保険事務所の混雑が異常なほどのものと知っていたので、自分はまだ年金を受け取る年齢でもないし、「ねんきん特別便」が送られてくるまで待とう、と思っていた。

その間、お客さんに聞けば……、「灯台下暗しというか、年金の専門家ともいえる僕の年金記録が間違っていたよ^^;」なんて話になるし、「toroさんは転職したり、結婚したり、引っ越したりしているからやばいんじゃないの?」と脅かされていた。

本人である私も、「ヤバイだろうなあ」と覚悟をしていたのだ。ちゃんと年金の記録なんて残っていないんじゃないのかと。

まず、本名の名前が読みにくい。そして、結婚による改姓を行っている。それから転職4回。転職を行う間に無職の期間もあるわけで、そのたびに一応居住地の役所の国民年金の窓口に行って手続きをしていたが、これがまた怪しい。厚生年金から国民年金への変更の手続きが役所間でちゃんと行われているのか疑わしかった。

そして、夫T君の扶養家族になったこともあり、扶養家族である妻は第三号被保険者となり、国民年金の被保険者ではあるけれど、夫の厚生年金からの手続きとなる…。果たしてそれがちゃんとなされているのか。

も、ひとつ。転職3回目の企業が倒産している。倒産した企業が加入していた厚生年金の記録は大丈夫なんだろうかという危惧があった。

果たして……。




たまげたで…。全然大丈夫でした(笑)

きちんとすべての年金制度の加入記録が欠損なく続いていました。

あら~ビックリ。

そしてちょっぴり感動。
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基礎年金番号というのが導入されたお陰なのか。

その基礎年金番号の2重発行なんていうことには巻き込まれていないし、一応、都度都度、自分のできる手続きは役所に足を運んできちんとやってきたつもりではあった(←えらい!私)。


あら、社会保険事務所(厚生労働省)もやるじゃん、てなもんである。


ただね、あとは記録されている標準報酬月額に間違いがないかどうかが、この「ねんきん特別便」ではわからないのだ。数字を間違えて打ち込まれていて、間違えている年金額を受け取るようになっちゃーおしまい。これはどうなんだろな。
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えらい大きい大臣のサイン。何となく失礼な感じ。



ま~ひとまずよかったな、である。

しかしまだT君のは来ないなあ。

たぶんだ。そんなに問題がない年金記録だから、届くのが遅いんだと思う。たぶん。




おまけ。



どうしたらそうなるD君。
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ここの所涼しくなったので、これほどではないんですがね^^;




おしまい。
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水泳が好きだった頃のこと [自分のこと]

久しぶりの更新であります^^; 

暑いのと、少々体調が悪いのが交差して、なにやら頭の中で考え事をしてはいるのですが、いつものごとく混沌と(笑)



さて、競泳平泳ぎの北島選手の活躍を見ていて、自分が泳ぐことが好きだったことを思い出す。

いまは全然泳げない。
いや、泳ぐことはできるんだけど、体力がないので15メートルも泳げばぜーぜーしてしまって、泳ぎに全くなっていない。

いつから泳がなくなってしまったのか。泳げなくなってしまったのか。


私が水泳に目覚めたのは小学生のとき。

確か、1年生か2年生の水泳の授業で、唐突に浮くことができたのだ。

はじめは怖くてプールのふちにつかまって、バタバタとバタ足の練習なんかをしてお茶を濁していたのだが、何かのときに先生に手を取られ、そのまま手を離されたら唐突に浮くことができた。

それからというもの、水を得た魚とはよく言ったもので、泳ぐのが楽しくて仕方がなくなった。

耳に水が入って中耳炎になろうが、高熱を出そうが、泳ぐことは楽しかったのだ。

そうして小学校の6年生のとき。

校内で50メートルの平泳ぎのタイムレースみたいなものをやった。とにかく平泳ぎが得意だった私。スタートの飛び込みは苦手だったけど、バシャーンと飛び込んで、ガツガツ泳いで50メートルを泳ぎきったとき、後ろを見ると一緒に泳いでいた子たちはまだ25メートルのターンをしたところだった。

「あれ?」

タイムを計っていた先生もビックリで、

「あれ、あれ?」

いや、もう、はやかったんすよ(笑)


ちなみに父が水泳の選手だったということは聞かされていて、DNAに組み込まれてはいたんだろうと思うんだけど。
(その父は大学時代に水泳部に籍を置こうとしたら、丸坊主にしなくてはいけないという規則に腹を立て、やめてしまったというしょうもない奴^^;)。


たぶんこのとき、先生も<こいつの水泳能力を伸ばしたほうがいいかもしれない>と頭の中をよぎったはず。

しかし、近くにスイミングスクールはないし、うちにはお金はないし。母は母で陸上の選手だったから、水泳のことはサパ~リだったし。


致命的だったのは、その後入学した中学校にプールがなかったということ。さらに、高校にもプールがなかったと……。

きっとそういう運じゃななかったんだね、といまとなっては思う。自分で「水泳を続けたい」と強く自己主張もできなかったし。本当に強く自己主張したことがないや。


まあ、残念な話ということで^^;



少し話がずれるけど、子どものときに「これが好き。これがやりたい」という主張をあまりしたことがないことに気がついた。

親に「これをやりなさい、あれをやりなさい」と言われたときに、「嫌だ」という主張をしたことは多々あったが、自分から「こうしたい」ということは言わなかったと思う。

言える状況ではなかったんだとは思うけれど。

言えば親を困らせることになるんだろうと考えていたと思う。



う~ん。



何とも、ろくなオチもなく、変なことに気がついちゃったな…な、水泳の話でありました。



あのとき「絶対に水泳を続けたい」と言っていたらどうだったんだろうなあ~(遠い目)。


50にも手が届きそうなオバハンが何を言ってんだか…だわねえ。




はい、おしまい。
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マイナス思考、続行中……。 [自分のこと]

新潟大転倒から1週間……。身も心も萎えきってしまい、ついでに生理痛に見舞われて「どうしたもんだろう」と……。

インフレですなあ、オイルショックですなあ、と考えていたら秋葉原の通り魔事件。



世知辛い。



心がザワザワしっぱなし。



人間に与えられた試練とはいえ、1人ではどうにもできない試練だ。



インフレかあ……。



景気がいい状態でのインフレじゃないもんなあ。景気が悪いインフレってどうなるんだろう。



原油の先物取引価格の高騰て。……先物だよ。



価格が下がる要因がないもんなあ。




秋葉原通り魔事件の犯人……。
「人を殺すために秋葉原に来た。世の中が嫌になった。だれでもよかった」て。



意味がわかんねーよ。



だったら屈強そうな男たちに戦いを挑めよ。







人と話をしていても、重くて重くて人の心を受け止められない。ただ普通に話をしているだけなのに。



どうにもこうにも過剰反応してしまう。



大丈夫かなあ。





人が怖いっす。



なんだか自分が操り人形みたいなんだなあ。



マイナス思考続行中であります。


大丈夫かなあ。
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七転び八起き [自分のこと]

やたらとくっついて歩いて鳴きまくるD君。
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変顔です(笑) 鳴いて口を閉じようとしている瞬間。口の形がかわええです^^





さて、数日前の日曜・月曜と1泊2日で新潟に行っていました。またもT君の出張に便乗して美味しいものを食べようという魂胆。意地汚い女でありますが、ちょっと新潟話は次の機会に回しまして。





そんな意地汚い女に天罰が下りました……。_| ̄|○ il||li



人生5本の指に入ろうかというくらいの大転倒を新潟でしてしまったのです(爆)




5本の指に入ろうかというくらいというのですから、基本的にはよく転倒する人間なわけで、そんななか5本の指に入っちまうくらいなのですから、それは相当のダメージを受けております(笑)


そんなこんなで、月火は天気が悪いのをいいことに寝込んでおりました。


しかしですね、5本の指に入ろうかと(←しつこい^^;)いうくらいの大転倒でしたが、過去、この大転倒において骨折をしたことはなく、ましてや歯を折ったなんていうこともないのでして、骨密度が平均の1.2倍の女は意外と頑丈であるということが判明いたしました。そんあことはどうでもいいか…。




はい、今からようやく薬局に行き、擦り傷きり傷に最適というあのバンドエイドから出ているこれ↓

バンドエイド キズパワーパッド 大きめ

バンドエイド キズパワーパッド 大きめ

  • 出版社/メーカー: BAND-AID(バンドエイド)
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品


を買ってこようと思っております。

ついでに食料もろくなものがなくなってしまったので、買ってまいります。



いや~、人間というのは不思議なもので転んだ瞬間をスローモーションのように見ているものですなあ。

<あああ~、こっちの手を出さなきゃ顔を打つ~~~!!!!>

と思った瞬間、左顔面を強打していました。


眼鏡はフレームに傷はついたものの、それ以外は問題なく、、、しかしながら上唇が腫れあがり、下あごには擦り傷きり傷。あああ、麗しい顔も台無しだわ~(←嘘)。


自分が珍しい顔になったようで、何度も鏡を見ては唇の腫れを確認している状況であります、はい。


この顔面強打後、T君にはマスクを買いに行ってもらい、新潟から帰る新幹線のなかではマスクで顔を隠し、風邪をひいている風を装って帰ってきましたわ。



雪国の道路事情をなめちゃいけないと思いましたね。雪が積もるからであろう歩道の段差は、雪国育ちではない私には微妙なバリヤーになっていたわけで、その段差に気づいていながらも高さの認識を誤って足を引っ掛けて転んじまったというわけでした。

近くにはT君だけがいてくれてよかった~、ってなもんですよ。公衆の面前で大転倒をやらかしていたら、救急車ものだったかもしれない…。あ~やんなっちゃうわ。





ところで、5本の指に入る大転倒(←しつこい^^;)の第1本目は遡ること40ウン年前ですな。つらつらと考えてみたら思い出しましたよ。

幼少時代(たぶん幼稚園に行きだすか行きださないかくらいのころ)、能天気に舗装道路を走り回っていたわけです。やたらと動き回るガキでしたから。

それは真冬のひどく寒い日だったんですね。

で、何を思ったのか、段差があったわけでもなく、突っかかるようなものもなく、それなのに頭から大転倒したのでした。

今も頭がでかいほうなのですが、小さいときは母親が病院で相談するくらい頭がでかく、転ぶときは頭から転ぶという幼児でして、案の定このときも頭から大転倒。

おそらくちょうど物心がついたころだったのだと思います。真冬のアスファルトでできた擦り傷きり傷打撲の痛いことったらない。初めて痛みを自覚した瞬間でもあったわけです。

今でも思い出す、鼻を擦りむいて死ぬほど痛いと思ったことを。

転ぶと痛いということを、このとき学んだわけですが、その後も頭がでかいからやたらと転ぶ(笑)

転んでお店のショーケースにおでこをぶつけ、ぱっくりと切ったということもありましたな~(遠い目)。何針か縫いましたよ。





しかし、こんなときも骨折や歯を折るなんてことはなく……。大怪我に至らないのが幸いでございます。こんな体に産んでくれた母に感謝でございます、はい。





ま、考えてみると本当に本物の七転び八起きの人生でありますわねえ。転んでは起き、転んでは起き(笑)


あたしゃ、起き上がりこぼしかい。




今日も安静にしていますですよ、はい。




おしまい。







おまけでオカルトっぽい話をすれば、この大転倒で何かが取れた気がしているんですがね。それはなんだかわかりませ~ん。
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今年は……。 [自分のこと]

急がば回れ!

毎年、大晦日にその年一年の埃を払いに、神社でお祓いをしてもらっているのだが、今回の大晦日は……。ま、これも毎年恒例で、必ず年末年始のいずれかの2,3日を体の具合が悪くなって寝込むというクセみたいなものがあって、今回は年末…それも大晦日の日に寝込んでしまったのであった。それも年をまたいで寝込むという荒業を繰り出し、夫T君は怒りを通り越してあきれていた。すまぬ。

年末は28日頃から「体の調子が悪いなあ~」と思っていたんだけど、お客さんは来るし、いつも行く飲み屋さんの打ち上げには行きたいし、大晦日はお祓いだし、そうしてお掃除とお料理と頑張ったのだ。でも頑張った末、その結果、何かにあたった(笑) 体調が悪いくせに食い意地をはってしまったために、魚介類系の何かにあたってしまったのであった。大晦日の朝、リバース…。ポカリを飲んでもリバース。寒気はしてくるわ…。もうサイアク。ノロかなあ。丸2日間復活できなかった_| ̄|○ il||li

大昔、やはり大晦日に食べた鰤の刺身にあたったことがあったけど。そのときは一緒に食べた家族は皆ケロッとしていて、私だけがあたっちゃったんだよなあ~。何でかなあ~。

てなわけで、年末年始は散々でありました。

さて、喪中なので年末年始の挨拶は失礼していますが、初詣には行ってきました。大晦日のお祓いができなかった代わりに。

いつもはお祓いだけで、初詣には行かない我が家。行ってみると人人人でびっくりなわけで、とにかく昨年のお札は納めて、今年のお札を貰って帰るだけにしたのです。本殿に上ってお祓いをしてもらうには、何時間かかるかわからず。

そうして、本殿前のお賽銭箱にお賽銭を投げ込み、二礼ニ拍手一礼をして、一年の無事を願ったわけであります。そこで、冒頭の言葉「急がば回れ!」。

おみくじを引いたんですね。T君と2人で。で、T君は「大吉」を引いて、これはよろし。私は私で「中吉」。まあこれもよろしと。そして私が引いたおみくじには「急がば回れ!」という文字が。さらに「焦ってはならん。英気を養え。じっと構えて待っておれ」というようなことが書かれていたのでした。

で、なんだかね。それを読んでほっとしたんですよ。

実は、今年はやたらと頑張らないといけないよな、と焦っているような感じで、自分にかなりなプレッシャーを与えているな~と思っていたのです。

昨年一年は私のためでもありましたが、母のために過ごした年だったので、今年はもちろん私のためでもありますが、夫や他の家族のため、世のため人のために、少しは頑張らないといけないと。のらくらと先延ばししてはいけないと。そんなことを考えていたんです。

でも、年始に引いたおみくじで「急がば回れ。英気を養え」と書かれていたのを読んで、「ああ、いいのか」と思ったのでありました。焦って頑張らなくてもいいんだなと。じっくり構えていていいんだなと。

プレッシャーに弱い私は、自分でかけていたプレッシャーにすでに押しつぶされそうになっていて、落ち込み気味だったのでありますが、おみくじに救われた形と相成りました。

よかったです。

急がば回れ!

急いてはことを仕損じる。

でありますな。

ということで、一つひとつ、じっくりと考えながら進んでいこうと思います。これが今年の抱負。


さて、年末のあたり繋がり(笑)

年末27日に、せっせとキッチンの掃除をしていたら、通販で頼んでいたものがゾクゾクと届きました。

「あー私ってば、こんなに通販で買い物をしていたんだっけ?」と思うくらい次々に届いたのです。ところが、そのなかに一つだけ思いもよらないものが……。

『ANAキャンペーン』と書かれた送り状。

「んん?」と思う私。

持ってみれば軽いし、「何か、小物でも当たったか」と思って、

開いてみれば。

 

   

ニンテンドーDS liteでした。

すっかり忘れていたキャンペーンの応募。おおあたり!^^ うっきゃ~。

今年の春に函館に行ったときのANAキャンペーンにあたったんですねえ。驚きました。

基本的にはくじ運はT君のほうがいいのですが、今回は私に来たところが…あたりを引きやすい体質になったか? と。

すかさず年末ジャンボを期待したけれど…それはスカですな。当たり前か。

で、T君にはこれを買い与えた妻でありました。

   

意味不明?

 

 

まーともあれ前途多難な一年の幕開けであったことは間違いないようで。

 

今年も皆様、よろしくお願いいたします。

 

 

おしまい。


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クリスマスイヴの散骨 [自分のこと]

「年内には何とかかたをつけたい」と言い続けていた姉のために、チビチビとあっちこっちに行っては母の散骨を行っていたのであるが、最後は「相模湾っしょ」ということで、24日のクリスマスイヴの午前中に小さなボートをチャーターして相模湾沖に行ってきた。

ボートを操舵してくれている男性が散骨地点まで飛ばす飛ばす^^; すんごい水しぶき。

通常は散骨業者さんが手配をして、さまざまなオプションがあるらしいのだが、うちでは自分たちが勝手に行っている散骨。とりあえず回りに迷惑がかからないというポイントまでボートを出してくれた。何となく暗黙の取り決めのようなものがあるんだろうね。

本当は花を一緒に流すことはいけないみたいなんだけど、茎は切って花の部分だけ母の遺骨と一緒に海へ。

ありがたいことにこの日はとっても天気がよくて、暖かくて、波もそんなに出ていなくて。でもクリスマスイヴに散骨というのも記憶に残っていいよな、なんて思った。

   

雲に少し隠れてしまったけど、富士山もよく見えた。

母が逝ってしまってからというもの、葬儀が終わってからも香典返しやらなんやらと忙しくしていたが、ふと思うのは毎日の看病もなくなってしまったわけで、やっぱりどこか心にポッカリと穴が開いてしまったような気分になってしまっていた。

これを母がいなくなったことによる喪失感かと思っていたのであるが、こんなことを思い出した。

父が死んだばかりのとき。私は小学生だったのだけれど、「これからは母だけになってしまうんだな」ということがズシっときていたのである。「もし、母が死んだら私はどうやって生きていくんだろう」と。要するに、小学生だったから働くこともできないし、もし母親までいなくなってしまったら、収入もなく、どうやって生きていけるんだろうということを考えてしまったのだ。そして不安がズシっと襲い掛かってきていた。

その頃、母が具合悪くて寝込んでいたときなどは、母が息をしているかどうか確認せずにはいられなかった。何度も何度も見に行ったものである。「もし母が死んでしまったら…」と。

そんな不安を抱えながら生きてきて、中学校を卒業という段階になってアルバイトができるようになったのがうれしかったんだ。「自分で稼げる! 何かあっても自分が稼いで食っていける」ということになって、少し不安は和らいだように思うのだけれど。

でね、そのときの気持ちがふっと湧いて出てきてしまって…。別にいま食べていけないという不安はないのだけれど、父が死んだばかりのときの自分の気持ちが蘇ってきてしまって…。だからいま何となく落ち込んだ気持ちが続いているんだなということがわかったんだ。

喪失感というよりも、自分の持っていた昔の感情(記憶)をどうすることもできないでいるわけだ。

考えてみるとなんだか人間って面白い。三つ子の魂百までではないけれど、昔に持った大きな不安というものが、いまになってむくむくと湧いて出てきて、再び不安に陥れるという…脳のなせる業だな。

まー原因がわかった気がするので、そろそろ這い上がれるかもしれないと思うのだけれど。


さて、クリスマスイヴイヴは恒例のクレイジーケンバンドのディナーショウに行ってきた。

場所はANA東京インターコンチネンタルホテル。今年は東京のディナーショウに参戦。4年連続で行っているけれど…。今年のが一番面白くなかったなあ。これまでは横浜のディナーショウに行っていたからかなあ。ちょっと残念。

いやでもさ、何でホテルのバンケットのお食事って美味しくないんだろうと思う。大量生産だから仕方がないにしても。あ、ここのコーヒーだけは美味しゅうございました。はい。

 

で、そんなこんなの三連休でありました。

 

おしまい。

 

追記:D君のおもちゃになっていたカナチョロ君。ついに天に召されてしまいました;; しょうがないんだけど。カナチョロ君の亡骸を処分したあと、D君がなかなかその場から離れなくて…。それが余計に悲しくって…。でもD君がやったんだからね! と言ってみたり。ま~自然の摂理ということではありますが。


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友人到来 [自分のこと]

母の死を、私の友人にはほとんど伝えなかったのであるが、喪中のハガキを出したことによって知れわたることになった。当然だけど。

喪中のハガキを受け取って、最初に電話をかけてきたのは中学時代の友人だった。いまは大阪の人になってしまって、そうやすやすと会える仲ではないのだが、ビックリした様子で電話をかけてきた。

開口一番。「おばさん、死んじゃったの~~?」

なんだろね。ほとんど会っていないにもかかわらず、話をしていないにもかかわらず、まるで中学生のときに戻ったように話してしまうのは。不思議だ。

電話口の向こうで、いまにも泣き出さんばかりの声だった。

「う~ん。病気だったからさ。しょうがないんだけどね」と返す私。

その後、お互いの近況を報告し合い、友人の子どもの話を聞き、受話器を置いた。

 

そして昨日は、母もよく知っているまた別の中学時代の友人2人が、「お母さんにお線香をあげたい」と言って実家にやってきた。

3年ほど前まではよく呑みに行ったり、旅へ出たりした仲である。ちょっとしたきっかけで、あんまり連絡を取らなくなってしまったのであるが、やっぱり気にしてくれていたようで実家まで来てくれた。

それで不思議だよね。やっぱり中学生のときに戻ったように話をしてしまうのだ(笑) 「もういい大人なのにさ」と言いながら。

しかし、一人は母と同じく乳がんの手術をしている子で、母のがん転移の話を私がすると、神妙に聞き入っていた。

実はその彼女が乳がんだったこと。そして、乳がんになってしまったことで精神的に参っていたのを知っていたから母の死を伝えられないでいたのであるが…。それはそれだったな、といまになって思う。

ただ母と彼女の違う点は、彼女は化学療法(抗がん剤)を受けたけれど、母は受けなかったこと。彼女は乳房温存の手術ができたけれど、母は片方の乳房を全摘し、リンパ節までとる手術を受けている。

そういう意味では、母の乳がんのほうが重かったし、化学療法を受けていないところが転移につながった可能性がある。

そんなことを含めながら彼女に母が息をひきとるまでの話をした。

そしてお茶を飲みながら、お菓子を食べながら、べらべらと2時間ほどしゃべり、彼女たちは帰っていった。

 

なんだかありがたいと思った。

 

私自身、少し面倒くさくなってしまって友人と付き合うことを避けてしまっていたということがある。唯一、高校時代の男友達とお酒を飲みに行くことだけはしていたけれど…。なんかね、男友達のほうがあっさりしているし、家族とか仲間とかのドロドロした部分を話そうとはしないし、それがあったとしても口にしないやさしさのようなものを感じていたんだよね。女友達のつらいところは、結構プライベートにも介入してくるし、その場にいない人の噂話や悪口が出て来てしまうことがあるので、それが後になって効いて来るのだ。心に澱がたまるような…。

会社員時代の同僚でもそういうことがあって、一切連絡を取らなくなってしまった人もいる。

まあ、そんなこんなで私のほうから連絡を取らなくなってしまったり、相手のほうからフェードアウトするように連絡をしてこなくなった友人もいる。

それはそれで仕方がないんだ。面倒くさいと思ってしまった私が悪いし。

 

でもね、いざというときに、こうやって…ただお線香をあげに来てくれただけかもしれないけれど、話をしてくれるというのは、励みになるなと思った。遠方に住んでいても、電話をかけてきてくれるという…それだけで嬉しかったりもする。ありがたいよ。

母の葬儀の前後は、従兄・従姉が飛んできてくれて手伝ってくれたのもありがたかったしね。

 

なんというか、思いもよらない発見をしたように思う。

 

いざというとき…にはありがたいな。

 

そんなことを思った友人の到来。

 

おしまい。


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今年こそ大掃除 [自分のこと]

ゴミに埋もれるD君。

ってね、ゴミじゃないのよ。整理ができていないだけ…(笑)

それで、こんなところで猫は寝たがるということで、D君は好んで寝ているんだけど…埋もれてますわ^^;遠くのほうから「はあ~?」って顔をしているもんだから、笑ってしまうのだが。

昨年、暖かくなったら大掃除しようっと…なんて悠長なことを言っていたら、母のことやらなんやらでそれどころではないと。バタバタしていたら、大事にしていた観葉植物が元気をなくしてしまうし、鬼門に置いているヒイラギの植木も枯れちゃったし、実はとっても我が家の植物・動物は災難続き。すまん。

ようやく、落ち着いてきたし、いま抱えている仕事が一段落したら、

大掃除するぞー!

拭けなかった窓を拭こう。障子紙を替えよう。床に安心安全なワックスを塗ろう。

あとは服だな…着れなくなった服。それから履かなくなった靴。。。潔く捨てられるか。

ま、いーか…そのあたりは成り行きで^^;

 

と、とりあえず宣言してみた。果たして……。

 

おしまい。


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