SSブログ

9月になると [悼み]

一昨日、義父の7回忌の法事のために、群馬まで行ってきました。

変な天候で、どしゃ降りになったり、快晴になったり。

当初参加予定だった義父の妹である叔母さんが体調を崩し、急きょ不参加になったり、慌ただしい雰囲気ではありましたが、内々の法事でしたので何を気にすることもなく、つつがなく終えました。

お墓参りのときには雨が上がり、濡れることなく済んでよかったです。

義母や義兄夫婦はそこで一泊しましたが、夫T君と私は猫のTBちゃんがいるので日帰りで退散。

義兄夫婦はよくやってくれています。

だけど、私自身は義母や義兄夫婦が苦手なために、T君には申し訳ないのですが、なるべく付き合わなければならない時間を減らしてもらうと。

せっかくの肉親なのですからと思うものの、こうもうまくいかないことがあるのかと思って早20年。

ともあれ義父の法事だけでも、ちゃんと参加することができてよかったと思っております、はい。





昨日はこぎんさんがこの世を去った日でした。一年、あっという間でしたね。

こぎんさんの病気のことを知って、奇跡が起こることを祈っていましたが、それも叶わず、発病からもあっという間の出来事のように、疾風のごとく、こぎんさんは逝ってしまわれました。

開いてしまった穴は大きかった。

いまごろどうしているのかなあ、と思います。

好きな花々に囲まれて、ミミちゃんやファーちゃんと一緒にいるのかなあ。

好きな音楽も聞いているのかな。面白いものを見つけているかな。


そんなことを考えてしまいます。



急な病気や事故などで命を奪われてしまうことが起こりうるんだと思うとき、ちゃんと悔いのないように生きなくてはと思うのですが、なかなかずぼらな人間には難しいようです。

私はいったい何がしたいんだったかなあ。





今月は法事が続きます。

今度は大阪まで行ってきます。


供養ができる間は、きちんと行わなくてはと思っております。



心で思うだけでもいいとは思っているけれどね…。
nice!(4)  コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

通り過ぎる年度末 [悼み]

やっと更新ができるかな、というところまで来た。

2月には新しい仕事が始まり、お初なのでなるべく時間をかけて仕事をさせてもらいたいとお願いし、かなりスケジュールに余裕を持たせて仕事をさせてもらっている。が、なんだかんだと緊張してしまい、精神的に仕事にとられる時間が多く、他のことがあまり手につかないという有様で自分の不器用さにあきれ返っている。

でも、仕事をさせていただけるだけでもありがたいと思わなくちゃと、気を引き締めつつ続けているのだが…。

それだけではなく、年が明けてからずっと夫T君の仕事がとんでもなく忙しくて、帰りも深夜という日々が続いていた。

帰ってきてからご飯を少し食べてもらって、寝て…そしてお弁当を作ってという毎日で、さすがに私も寝不足になっている。

震災後から始めたお弁当作りであるが、忙しいなかでは外へ食べに行くのも買いに行くのも面倒くさかろうと思って、労いの意味もあるけれど、ま、そんなことは気づかなくてよろしい。とりあえず食べてもらえば安心ということもある。

体が何よりも資本だ。

なので、私も頑張るわけだけど…。




その間、従姉の旦那さまの法事があったり、昨年他界した伯母の一周忌があったりと慌しかった。

そして年度末に近づき、ようやくT君の仕事も一段落がつきそう…私の仕事もめどがついたかな…というときに、友人の訃報が届いた。

不慮の事故だった。

T君も私も共通の友人であり、いろいろとお世話になっていた人だ。昨年末の我が家で開いた宴会にも来ていたし、みんなで楽しい時間を過ごしていたのに…。

あまりに突然のことでなかなか受け入れがたく、お通夜にも告別式にも参列したが、まだ信じられないでいる。

T君や年末の宴会に集まっていた友人たちは、葬儀会場の受付などを手伝い、そうしながら悲しみをこらえていたのだと思う。

なかでも一番死から遠いと思っていた友人だった。一番真面目に、長生きすると思っていたのに、こんなことになるなんて。

さすがに現役の、しかもまさに仕事にも油が乗ってきていた年齢だ。参列者は何百人にも膨れ上がった。むせかえるほどの花々で埋め尽くされた。




何でこんなことになったかなあ。

運命って意地悪だな。


こんな風にしか考えられない。


…I君、ありがとう。またいつか会おう。





そんなこんなで通り過ぎた年度末。

春の嵐がいろんな思いを一掃してくれそうだ。





<癒しのTBちゃん八変化^^>
1.JPG

2.JPG

3.JPG

4.JPG

5.JPG

6.JPG

7.JPG

8.JPG

おしまい。
コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

まだまだ17年。 [悼み]

今年の1月17日5:46は、お弁当づくりのために起きていました。

東日本大震災後、夫T君が昼食難民にならないようにと作り始めたお弁当です。

結婚して20ウン年。絶対に愛妻弁当なんて作らないと思っていた私が、さすがに見かねて作り始めたお弁当。
いまは、頭が回らずに作れないときは作らず、作れるときだけ作っています。(夏の間は腐るのが怖くてお休みをしましたが……。)

絶対に作らないと思った私を動かしたほどの震災。

阪神淡路大震災のとき、私が住んでいた京都においては食料がなくなるということはありませんでした。大阪でもそんなことはなく、芦屋で被災した友人は大阪に避難してきて、全く変わりのない風景に驚いたそうです。

私も神戸の壊滅的な状態に対し、京都の何の変わりのない風景がとても不思議であったのを覚えています。


昨年秋に、毎年恒例ですが西宮の税理士さんのところに行きました。

そのとき、地震の話をちょっとしようかと、東日本大震災のことを心に描きつつ話を振ったのです。「大阪でも地震保険には入ったほうがいいんでしょうかね~、震災もあったことだし」と言うと…。

相手の税理士さんは、「あ~でも阪神淡路のときは大丈夫だったでしょ…」と。

何となく会話がすれ違い。

やっぱり関西の人にとっての震災とは阪神淡路であって、東日本ではないんだなあ~ということを感じたのでした。

この温度差というのは、阪神淡路の震災が起きたときも感じていたことで、関東に戻ってきて阪神淡路の話をすると、他人事のように話をする人が多かったのを思い出します。

反対に今度は、東日本大震災のことを関西で話をすると、やはり他人事のように話をする人が多いように感じました。

仕方がないことなのかもしれませんが……。


京都で阪神淡路大震災、神奈川で東日本大震災と、ちょっと距離を置いたところで大震災を経験した人間です(どちらも震度5強)。

とはいえ、どちらとも震災に関するいろんな情報に、どっぷり浸かる環境にいたことになります。


被害の規模の大きさ、影響の大きさは全然違いますが、人の心に植えつけた衝撃はどちらも変わらないものと思います。

人が死ぬのは同じです。

物が破壊されるのも同じです。

とにかく規模が違うだけの話。

そして人を思う気持ちも同じ。



こんなときは、「お互いさま」という言葉がしっくりくるのかな、と思います。




だいぶ復興を遂げている神戸ですが、人の心の傷は癒えていないと感じています。

まだまだです。

東北のほうは、もっとまだまだ…だけれど。





阪神淡路大震災で命を落された方々のご冥福をお祈りします。
nice!(4)  コメント(8) 
共通テーマ:日記・雑感

いつか本当に会える日まで [悼み]

7.00uz-c2a37[1].jpg
彼女こそ貴婦人だったのではないか。

P1160638[1].jpg

会っておくべきだったのではないかと悔やんでいる。

いつもありがたい言葉をかけてくれていた。私はとても助かっていたのだ。

残念でならない。




いつか本当に会える日まで。






無断で写真を拝借しました。本人に承諾が得られないのが悔しいです。お許しください。(何とか、彼女が撮った写真も文章も残して欲しいものだと思っています。)

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。