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スクールカーストってなんぞ。 [よく分からない]

おもしろい本を読んだ。


教室内(スクール)カースト (光文社新書)

教室内(スクール)カースト (光文社新書)

  • 作者: 鈴木 翔
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2012/12/14
  • メディア: 新書


SNSとはなんぞ。どうして抵抗感があるのか。ということをよく分からないものだから、いまだにつらつらと考えているが、人との付き合いが得意ではないという理由を一つあげて、何となく漠然とした結論が出つつある。

そこに来てこの本。「スクールカースト」という言葉をこの本で初めて知った。要するに学校のクラス内で(無意識的に)作られるグループの、ランク付けをされた状態をスクールカーストというのだそうだ。

インターネットで調べてみれば、すでにウィキペディアにスクールカーストが語られているし、さらに調べれば、アメリカでは「ジョック(Jock)」なる学生たちのヒエラルキーの頂点に位置する存在があった。

すごいな、アメリカ(笑) 日本のスクールカーストの非じゃない。恐ろしいほどのヒエラルキーがあった。

とりあえずアメリカはさておき、日本のスクールカーストのこと。

子どもの頃から、学校のクラス内で自然とグループが作られ、ランク付けができるような階級というべきものがあったと思い出す。

人気がある上位グループとそうではない下位グループ。小学生の頃を考えれば、運動ができる子が人気があったと思い出す。

中学生になると、運動ができるのはそのままに、さらには勉強ができ、姿形がいい子に人気が集まる傾向があったと思う。そしてそういう子を中心にグループができあがったのではないかと思う。

高校生になると、ほぼ同じ学力の子たちが集まるわけで、当初はどんぐりの背比べのような感じであったが、そんななかでも可愛い子、かっこいい子が上位グループを作り出したような気がする。また、同じ中学校から入学した人たちを中心に、中学校からのランクをそのままグループ分けに生かされたこともあったと思う。

私自身は、小学校5年生で転校を経験している。その転校後、中学校を卒業するまで周囲の友人は同じ面子で変わらず学校生活を送っていた。

小学校を転校したときに、すでにその転入先の小学校でランク付けがあったと感じた。ずっと地元で暮らし、運動が得意だった子たちを中心にして上位グループが形成されていた。

その頃を知っている友人に言わせると、あなたはその上位グループにいたでしょう、と。

そう言われて、とても疑問をもった。自分ではそんな気が全くなかったのだ。自分自身が仲がいいと思っていた友人は、その人気がある子を中心としたグループ内にはいなかったし、父親がいなかったせいか、自然と父親がいない子たちと仲よくなっていた、と自分では思っている。

なので、上位グループとされる人たちを遠巻きに見ていた記憶がある。

中学時代はどうだったか。人気があるグループを形成していたのは、男女のバスケットボール部と、男子はサッカー部、野球部ではなかったか。私自身はそうした部活動をしていなかったので、そこでも人気のある上位グループには属していなかったと思う。

何をしていたかと思い出そうとするのだけれど、何だか記憶が曖昧で、もうその頃から本を読んでばかりいたような…。あ、絵を描いたりしていたかもしれない。

中学時代はプールがなかったので、得意だった水泳ができず、水泳部なんていうのもなかったから運動は諦めていたのではないかと思い出す。

それと集団で行うスポーツが苦手だったのではないかと思う。なので運動部に入らなかったのではないか。陸上部という手はあったのだけど、短距離走が普通よりちょっと早いという程度だったので、それも諦めたような気がする。

そんなわけで、たぶん人気のグループには属していなかったと思う。やっぱり遠巻きに見ていた。人気がある子たちを覚えているし、その子たちとは仲よくしていなかったから。

かといって、対極にある人気のない子たちが集まっている下位グループにも属していなかった。その子たちのことも覚えているし、仲もよくなかった。そうなると私はどこに属していたんだ?

そして高校。中学から同じ高校に上がった子は私を含め2人しかおらず、その後、一緒に入学した男の子は在学中に病死してしまうということがあり、実質的には一人でその高校に入学したような状態だった。ただ2学年上に姉がいたので、初めの一年は姉妹をひっくるめて認識されていたところはある。

姉が人気のある人だったので、妹もそういうタイプだろうと先輩たちに思われ、やれ、サッカー部のマネージャーになれ、軽音楽部に入れとか言われて、ちやほやされそうになった。「いや、私は帰宅部だから」と。それに本を読むのが好きだったから、図書委員になって図書室に入り浸るということをしていたのではないかと。そういうことを思い出す。

ただ残念ながら、その頃は勉強ができて、そこそこ運動もできたものだから、「この子は一体何?」と思われていた節がある。ついでになぜか軽音楽部にいる人気のある男の子たちと仲よくなっていて、「この子は一体何?」に拍車がかかっていたような気がする。私もよく分からない。

そういうなかでも、人気のある女の子のグループには属していなかった。いや、いま思うとそれなりに仲よくしていたのかもしれない(いまだに年賀状のやりとりをしている人がいるから)。でも、同じ中学出身の子がいなかったので、やっぱりそういうグループには入っていなかったなと、そんなことを思い出す。

ということでスクールカーストなるクラス内で作られるヒエラルキーについて、必ずやそういうグループに属することのない、一人でも平気という生徒がいる。

まずはこれが私の背景。そしてこの話の前提。

スクールカーストと言われるグループに属することでどんな意味があるのか。どんな利点があるのか。この本のなかでポイントとして整理されている。(詳しくは読んでください。おもしろいです、はい)。

『ポイント1:小学校時と中学・高校時では「スクールカースト」の認識が変化する。』
小学校ではグループは形成されず、個人間で地位の差を認識し、中学・高校でグループ間の地位の差を認識するのだという。
小学校で上位というのは「遊びの上手な子」で、下位はそうではない子と認識される。
中学・高校となると「いけてるグループ」、「いけてないグループ」というような形で認識いうことだ。

『ポイント2:上位のグループから下位のグループへの関わりが繰り返しある場合に「地位の差」は顕在化する』
その関わりはいじめではなく、笑いが起きるものであり、上位、下位のグループで空気を読んで行われることなのだそう。

そして…。
『ポイント3:「上位のグループは、学校生活を有利に過ごすことができる」、「下位のグループは、グループ単位で行動できるときはよいが、全体で行動しなければならないときに思うようにならないことがある」、「上位のグループがいなければ、下位のグループでも教室のノリを作り出すことができる。つまり下位のグループはノリを作ることが苦手なわけではない」、「上位のグループにはさまざまな特権が与えられ、さらにそれを行使する義務がある」、「上位のグループには地位の差をコントロールする人事権がある」、「下位のグループから上位のグループへ移動があった生徒にとっては、上位のグループにいることが負担になることがある」』

ま、ざっくりというと、上位グループにいれば学校の生活は楽しいという感じかな^^;

このなかで私が注目したのは、「下位のグループから上位のグループへ移動があった生徒にとっては、上位のグループにいることが負担になることがある」という点。

「負担に思う」というのはどういうものなのか考えてみた。

注目が集まっていないところから、注目の集まるところに出たときの感じか。しなくてもいい「いけてる」ポーズをしなくてはいけないという感じか。

上位グループには特権が与えられる代わりに、その義務も果たさなければいけないというのだから、そういう部分での意志をはっきりと持っていないとやっていけないということなんだろう。

そこで思ったのは、グループを形成していくときに「集まる」ことで風通しが悪くなることがある。それは、ここで挙げられた「義務」にあるのではないかということ。義務を果たしていくためには、そのなかでルールが自然と生まれるだろう。そのルールが守れないとなると、そのグループには居づらくなる。義務を果たすためにルールを守らなければならないから、今度はそれが負担になる。また、そのルールができることで縛りが強くなり風通しが悪くなる、ということがあるのではないか。

うむ。

私は、それが嫌いなんだ。面倒くさいし(笑)

さて、果たして、スクールカーストというものは健全なことなのだろうか。結局は不健全なのだろうとは思う。

グループ分けはされてもいいと思うのだ。だが、そのグループの運営のされかた、そのグループの行動によって変わってくると思う。そこで健全であるか、不健全であるかが判断されると思う。つまり、運営のされ方次第で不健全な形ができてしまうとしたら、それがスクールカースとなるだと思う。

でも、そういうグループができるお陰で、いろんな物事が円滑に動いていくということがあるのではないだろうか。

これを大きなくくりで考えると、家庭-地域-市区町村-都道府県-国―世界というグループに置き換えることもできる。

そのなかには学校や企業、病院や施設など、いろいろな組織もあるわけで、反対に言うと「縮図」ともいえる。

では、スクールカーストが作られずに、クラス内でグループが健全に運営されるためには何が必要かと言ったら、それは「成熟」なんだと思う。義務を果たすことも、ルールを守ることも負担と思わないと感じるには、成長し発達した環境と心身がなければ難しいだろう。


そもそもクラス内のいろいろなグループにはあまり属さずに、一人で行動することを好んでいたのだから、スクールカーストなるものに影響されたことはほとんどない。結局、そういったグループに属することが好きではなくて行動してきた結果がいまの私にはある。

SNSの息苦しさとか、抵抗感はこういうところからも生まれているんだろうと思う。



ここまで、いじめ、体罰、スクールカースト、SNS、、、と、いろいろとひっくるめてざっくりと考えてきてしまっているけれど、それぞれがいろいろなところへの影響があって、根が深い問題だということがよく分かる。

つくづく人、一人ひとりが地球の一つの細胞なんだと。グループができ、それが分裂し、またグループができる。地球は細胞分裂を繰り返しているんだと。

ああ、壮大になってきた(笑)

まだ、教師側から見たスクールカーストというのが、この本にはあるのだが、それはそれで追々。

おしまい。

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nakasama

なるほどねぇ〜〜〜。
子供がいないせいか?大人になってからそんなことを考えた事もありませんでしたが、たしかに中学ではグループ分けはあったもしれないな〜といろんな顔が浮かんできました。
途中で転校して来た一匹狼的な(たぶんtoroさんみたいな)友人がいましたが、勉強ができてちょっと悪なイメージで(笑)カッコ良くて憧れましたよー^^
高校は田舎の女子校だったせいか?ぼけぇ〜〜〜っと過ごしていて、あるいは2年生の頃からアトリエに通い始めたのでそっちが楽しくて、学校の友人が少なかったのでそういうグループとは無縁で過ごしてしまいました。

たしかにSNSも社会全体も、まぁブログも使い方では同じと言えば同じかもしれないけれど...
私の場合はオープンなところと閉鎖的なところをどう折り合いをつけたらいいかがわからなくて未だにSNSが始められないっていうのが正直なところかな〜。
by nakasama (2013-02-15 10:17) 

toro

*nakasamaさま*
そうですよね。スクールカーストも子どもがいたら、これまたリアルに
感じられたかもしれないですね。
自分の子どもがどのランクにいるんだろうか…なんて考えたのかな。
きっとPTAとかでも、そんなランク付けが影響されるのかもしれない、と
考えると怖いですね^^;

どういう付き合いがしたいのか、SNSでもリアルな場でも、その人の
得意とすることや好みで変わるのだろうと、そんなことを思いました。
私はとりあえず自由がきくところにいたいな。
必要のない義務やルールに縛られるのはしんどいです^^;
by toro (2013-02-16 10:44) 

toro

*Aちゃんさま*
ありがとうございます。
by toro (2013-02-16 10:45) 

toro

*居酒屋のおばちゃんさま*
ありがとうございます。
by toro (2013-02-18 11:25) 

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