向き合っていくこと [本の感想]
もうじき、東日本大震災が起こってから1年となる。
関東地方南部の人間は、少しばかりは放射性物質におびえているかもしれないけれど、ほぼ日常の生活に戻っている。
スーパーで品不足が続いていたものも、いつの間にか潤沢に冷蔵庫に並べられるようになった。節電は、いまもなお続けているが、しかしそれでも1年前に比べれば、通常の電気使用量になりつつあるかと思う(我が家の場合は、毎月だいたい前年比10%以上の減にはなっているが)。
支援と思って塩竈の浦戸で行われていた「うらと海の子再生プロジェクト」の一口オーナー制度に参加したが、その後、牡蠣と海苔が送られてきた。もう復興へ着々と歩んでいるのだ。
野菜も、敬遠されているかもしれない茨城県産のものを気にせずに買ってきている。しかし、福島県産は残念ながらよく使うスーパーでは見ることがない。
私自身は、まだ現地に足を踏み入れてはいない。
いつか行かなくては。せめて観光でもいいから行かなくてはいけないと思っている。
そして敬遠してきた震災時の実際の映像や写真、ルポルタージュで見て、読んで知ること。
震災の1ヵ月後には、震災を記録した雑誌や本が出版されたが、恐ろしくて見ることができなかった。
津波の映像はいまも直視することができない。
一年が経とうといういま、週刊誌などで東日本大震災の特集が組まれている。それらを見ていると、やっぱり知っておくべきだと思う。実際に起きたことに向き合べきだと思った。
これは以前にも書いたことだが、震災後、ほとんど本を読むことができなくなった。「それどころじゃない」という気持ちもあったが、文字を目で追っても、意味や内容が頭に全然入ってこない。字面をただ眺めているだけになってしまった。面白いとか、興味深いとか、そんな感情が湧いてこなかった。
読めるのは、新聞や雑誌、エッセイ本、漫画、そしてブログやツイッターという具合だ。いままでの私には考えられない調子だ。
せっせと本を読んでいたのに…。
昨年末から読んでいる本が一冊あるが、まだ読み終えていないという有様。小説にいたっては、買う気も起きない。
そうはいっても…。
この本を買って読んだ。とても売れているのだそうだ。ドラマにもなった。
東北の地元新聞社で働く人々のそのときを記録したものだ。被災者でもあり、伝達者(表現者)でもある彼らがどう思い、どう報道しようとしたのか。震災当日からその後のことが書かれている。
「新聞製作、輸送、配達」の現場で何が起こっていたのか。その新聞を発行するために、関わってきた彼らがどれだけ奔走し、どれだけ苦悩したかが手に取るようにわかる。
そしてTVもインターネットもラジオもない状況で、新聞がどれだけ役に立ったか。
地元新聞社だからこその紙面が、地元に暮らす人々(被災者)の多くの拠り所となっていた。
きっとその場にいたら抱くであろう感情がたくさん書かれていた。
ここにいくつか文章を引用しようかと思ったけれど、これは読んだほうがいいと思う。
読んで自分で考えるのがいいと思う。
この本を読み終えたとき、もう少ししたらちょっとは本が読めるようになるかもしれないと思った。予感。
私は当事者ではないけれど、彼らと同じような苦悩を抱えているのだと思う。たぶん被災していなくても、体験した人は同じような苦悩を抱えているのではないかと感じた。
その苦悩が共有されたように思ったのだ。共感といってもいいのかもしれない(おこがましいが)。
同じように人というのは感じるんだ、と思ったら、他の本も読めるようになるのではないか、と予感めいて思ったのだった。
そして、震災の写真や映像も見て、ちゃんと向き合うことをしていかないと、前に向いていけないのではないかと思った。
つまりは、いまだに脅えていて、同じところに留まってしまっているということなんだ。
しっかりと受け止めているようで、受け止めていない。
原発はまだまだ収束しないし、これからまた地震も、たぶん起こると言われている。
恐怖心を払拭することはできないけれど、起きてしまったことはしっかりと受け止めなくてはいけないと思った。
そうすることによって、ようやく自分の好きなことができるようになるんだろう。
忘れてはいけない。
おまけ。
サッカー選手の本がずいぶんと出版されているが、吉田麻也選手の本は買おうと決めていた(笑)
サッカー選手のなかで、おそらく一番まともに文章が書ける人だと思っていたから。ゴーストライターもいない。口述筆記でもない。自分で書いている。
彼のブログが面白いということもあったが、中日新聞で連載しているコラムもなかなかなもの。
ロスタイムの男^^;
VVVフェンロで彼が決めたゴールシーンは、ずいぶんと鮮やかで、ハーフナーよりいいんじゃないの? なんて思わせる^^
そして一気に読んだけれど、面白かった。いい子だなあと思った。母の気分(笑)
おしまい。
関東地方南部の人間は、少しばかりは放射性物質におびえているかもしれないけれど、ほぼ日常の生活に戻っている。
スーパーで品不足が続いていたものも、いつの間にか潤沢に冷蔵庫に並べられるようになった。節電は、いまもなお続けているが、しかしそれでも1年前に比べれば、通常の電気使用量になりつつあるかと思う(我が家の場合は、毎月だいたい前年比10%以上の減にはなっているが)。
支援と思って塩竈の浦戸で行われていた「うらと海の子再生プロジェクト」の一口オーナー制度に参加したが、その後、牡蠣と海苔が送られてきた。もう復興へ着々と歩んでいるのだ。
野菜も、敬遠されているかもしれない茨城県産のものを気にせずに買ってきている。しかし、福島県産は残念ながらよく使うスーパーでは見ることがない。
私自身は、まだ現地に足を踏み入れてはいない。
いつか行かなくては。せめて観光でもいいから行かなくてはいけないと思っている。
そして敬遠してきた震災時の実際の映像や写真、ルポルタージュで見て、読んで知ること。
震災の1ヵ月後には、震災を記録した雑誌や本が出版されたが、恐ろしくて見ることができなかった。
津波の映像はいまも直視することができない。
一年が経とうといういま、週刊誌などで東日本大震災の特集が組まれている。それらを見ていると、やっぱり知っておくべきだと思う。実際に起きたことに向き合べきだと思った。
これは以前にも書いたことだが、震災後、ほとんど本を読むことができなくなった。「それどころじゃない」という気持ちもあったが、文字を目で追っても、意味や内容が頭に全然入ってこない。字面をただ眺めているだけになってしまった。面白いとか、興味深いとか、そんな感情が湧いてこなかった。
読めるのは、新聞や雑誌、エッセイ本、漫画、そしてブログやツイッターという具合だ。いままでの私には考えられない調子だ。
せっせと本を読んでいたのに…。
昨年末から読んでいる本が一冊あるが、まだ読み終えていないという有様。小説にいたっては、買う気も起きない。
そうはいっても…。
この本を買って読んだ。とても売れているのだそうだ。ドラマにもなった。
東北の地元新聞社で働く人々のそのときを記録したものだ。被災者でもあり、伝達者(表現者)でもある彼らがどう思い、どう報道しようとしたのか。震災当日からその後のことが書かれている。
「新聞製作、輸送、配達」の現場で何が起こっていたのか。その新聞を発行するために、関わってきた彼らがどれだけ奔走し、どれだけ苦悩したかが手に取るようにわかる。
そしてTVもインターネットもラジオもない状況で、新聞がどれだけ役に立ったか。
地元新聞社だからこその紙面が、地元に暮らす人々(被災者)の多くの拠り所となっていた。
きっとその場にいたら抱くであろう感情がたくさん書かれていた。
ここにいくつか文章を引用しようかと思ったけれど、これは読んだほうがいいと思う。
読んで自分で考えるのがいいと思う。
この本を読み終えたとき、もう少ししたらちょっとは本が読めるようになるかもしれないと思った。予感。
私は当事者ではないけれど、彼らと同じような苦悩を抱えているのだと思う。たぶん被災していなくても、体験した人は同じような苦悩を抱えているのではないかと感じた。
その苦悩が共有されたように思ったのだ。共感といってもいいのかもしれない(おこがましいが)。
同じように人というのは感じるんだ、と思ったら、他の本も読めるようになるのではないか、と予感めいて思ったのだった。
そして、震災の写真や映像も見て、ちゃんと向き合うことをしていかないと、前に向いていけないのではないかと思った。
つまりは、いまだに脅えていて、同じところに留まってしまっているということなんだ。
しっかりと受け止めているようで、受け止めていない。
原発はまだまだ収束しないし、これからまた地震も、たぶん起こると言われている。
恐怖心を払拭することはできないけれど、起きてしまったことはしっかりと受け止めなくてはいけないと思った。
そうすることによって、ようやく自分の好きなことができるようになるんだろう。
忘れてはいけない。
おまけ。
サッカー選手の本がずいぶんと出版されているが、吉田麻也選手の本は買おうと決めていた(笑)
サッカー選手のなかで、おそらく一番まともに文章が書ける人だと思っていたから。ゴーストライターもいない。口述筆記でもない。自分で書いている。
彼のブログが面白いということもあったが、中日新聞で連載しているコラムもなかなかなもの。
ロスタイムの男^^;
VVVフェンロで彼が決めたゴールシーンは、ずいぶんと鮮やかで、ハーフナーよりいいんじゃないの? なんて思わせる^^
そして一気に読んだけれど、面白かった。いい子だなあと思った。母の気分(笑)
おしまい。
あれから一年ですね・・・
そして、あれから67年・・・被爆二世のおやぢと共に生きているので原発のことが気がかりです!と言っても、何もすることは出来ないのですが・・・長い年月がたっても逃れることが出来ない恐怖、これ以上の被爆者が出ないことを望んでいます。
by お好み焼き屋のおばちゃん (2012-03-12 19:17)
1年、遅いのか早いのか。。
去年の今頃はただおろおろしていて。
昨日は、テレビを見ながら、これでいいんかい、って
思ったり。でも、何かの行動を起こすより、
まだうずくまって、じっと考えている自分がいる。
by ケイクス (2012-03-12 20:50)
1年ですね。
複雑な思いで迎えた日でしたが、これから長期戦のスタートを新たに切ったような?そんな気持ちになりました。
問題はこれからなんですよね、心配ばかりしていても何も変えられないと思うけど、できることからこつこつと〜ですわ^^
by nakasama (2012-03-13 09:20)
*お好み焼き屋のおばちゃんさま*
ようやく一年…やっと一年…。
よくぞここまでたどり着いた、という気がしています。
原発の問題は、いい解決策があったとしても、相変わらず利権争いが
あるみたいですね。瓦礫の処理方法にしてもそのようで、ひどい話です。
「安心・安全な国土」を取り戻したいです。
*ケイクスさま*
本当におろおろするばかりでしたね。
いまもまだ、立ち止まってしまっているような感じです。
ユルイなだらかな坂を、一年かけて上ってきたような、そんな疲労感も
あって、、、。しかしまだ先にも坂が続いていますね~^^;
遠いです…。
by toro (2012-03-13 09:21)
*nakasamaさま*
そうそう、長期戦ですよね。こんなところで息切れさせていてはいかんです^^;
きよし師匠のように、小さなことからコツコツと。。。
最近は、福島の人たちへの差別が結構あると聞いて、「そんなやつが
目の前にいたらぶっ飛ばしてやる!」と怒りまくっていました;;
放射能の怖さはわかるのですが、敏感になりすぎているきらいがあるな~と。
沖縄に避難している人たちが、沖縄に送られてきた青森の雪を嫌がった
という報道には呆れるばかりでした。
ちゃんと教育もしないと…。そもそも、原発に専門家がウソをついたという
ところがいけないんですけどね~。ふぅ~。
by toro (2012-03-13 09:29)
*xml_xslさま*
ありがとうございます。
by toro (2012-03-13 09:30)