夏の思い出 [家族の話]
あるサイトで、「夏の思い出」のエピソードを募集していたのを見て、私の夏の思い出ってなんだろうなあ、とつらつらと考えていた。
(↑これは今年も頂き物のスイカ。甘くて、オイチー)
すると、夏の思い出となるものは父が存命中であった時期の夏になってしまうのである。あんまり幼少時代の記憶がないくせに。
父が死んでからのほうが夏の思い出がない。さっぱり。
たぶん、イベント的なことが一切しなかったからなんだろうと思うのだが。
そしていい大人になってからの夏の思い出というのは、自ら率先して計画を立てた旅行だったりするので、さほど感動がない。なぜならば、計画段階でかなりの場面を想定していて、行ってみればやはりほぼそのとおりなので、記憶に残らないようなのだ。情けない^^;
さらに細かくエピソードはあるものの、大人になると「どうでもいいや」と思う率が高くなるんだろうな。脳が全く働かない。
さて、そういうわけで思い出深い夏のエピソードというと……。
父と一緒に旅行をしたときのことだった。
一つ目は、大阪万博会場でのこと。3泊4日くらいで行ったような記憶がある。
万博会場内ではあっちこっちを見て回ったものの、子どもの足だから疲れるのも早い。そしてとにかく大阪は暑い。
どうにかしようと思ったものの、どうにもできないのがオチなわけで。
そこで会場内にあった人工の川に足を突っ込み、水にさらして涼むという作戦に出た。誰が考えたか知らないが……。
そのとき、ビーチサンダルをはいていた私はうっかりと人工川にサンダルの片方を流してしまったのだ。
<ぎえ~、お父さんに怒られる、殴られる>と思ったのは言うまでもない。ややDV気味の父であったために、へまをしたら最後、グーで殴られるのは当然のごとく……。
しかし、青ざめている私をそのままに、父はさっと走って川下に行き、サンダルを拾ってきてくれた。そして怒りもしなかったのだ。全然普通。
<すげー父ちゃん>
いやたぶん普通のことなんだろうけど、滅多にこんなことをしてもらったことがなかったので、異様なくらい記憶に残っているのだ。
ちょっと感動したのであった。
も、一つ。夏休みに軽井沢で避暑……なんて、見栄っ張りな父の考えることであったが、軽井沢に何泊か泊りがけでいったときがあった。
はじめはキャンプ場のバンガローを借りて、BBQをしたりと考えていたようなのだったが、あまりの水の出の悪さと今ひとつなバンガローにうんざりした父は、早々に「星の温泉ホテル(今は「星のや」)」に移った。
その間、いつものように父と母とは大喧嘩をし、いつものように不機嫌になりと、娘たちはビクビクするばかり。
それはさておき、2日目だったか……。バスで鬼押出しに向かった。
このとき軽井沢はハイシーズン。次から次へとバスに人が乗り込みギュウギュウの状態になり、私たちは後方へ追いやられた。しかし、運転手さんには後方にスペースがあると思ったんだろう。「もっと後ろに詰めてくださ~い」とアナウンス。子どもである私たちはひたすら押しつぶされることになる。
すると父が「後ろには子どもがいるんだぞ!」と叫んだ。
<きえ~、お父さんがキレたか?>と思ったものの、別にそういうわけではない様子だった。単に、ギュウギュウの私たちを助けてくれようと発した言葉であったのだ。
<すげー父ちゃん>
いや普通のことなんだろうけど、本当にこんなことを言ってくれるような人じゃないと娘の私は思っていただけに、新鮮に感動してしまったのだ。
普段ないがしろにされていただけに感動が大きい(笑)
しかし、このおよそ2年後には本人は死んじゃうわけで。だけどこのときはまだ自分が死ぬなんて考えていなかっただろうなと思う。割と楽しんでいたし、元気そうだったし。そう考えると少し切なくなる。
たいしたエピソードではないんだけどね。父親に何かをしてもらったなんていう記憶が少ないせいか、反対にこういう小さいことではあるけれど、心が動かされたエピソードが思い出されるんだろう。
ま~、こんな思い出があるだけでもいいのかな、と思った。
おしまい。
お父さん供養だな^^;
(↑これは今年も頂き物のスイカ。甘くて、オイチー)
すると、夏の思い出となるものは父が存命中であった時期の夏になってしまうのである。あんまり幼少時代の記憶がないくせに。
父が死んでからのほうが夏の思い出がない。さっぱり。
たぶん、イベント的なことが一切しなかったからなんだろうと思うのだが。
そしていい大人になってからの夏の思い出というのは、自ら率先して計画を立てた旅行だったりするので、さほど感動がない。なぜならば、計画段階でかなりの場面を想定していて、行ってみればやはりほぼそのとおりなので、記憶に残らないようなのだ。情けない^^;
さらに細かくエピソードはあるものの、大人になると「どうでもいいや」と思う率が高くなるんだろうな。脳が全く働かない。
さて、そういうわけで思い出深い夏のエピソードというと……。
父と一緒に旅行をしたときのことだった。
一つ目は、大阪万博会場でのこと。3泊4日くらいで行ったような記憶がある。
万博会場内ではあっちこっちを見て回ったものの、子どもの足だから疲れるのも早い。そしてとにかく大阪は暑い。
どうにかしようと思ったものの、どうにもできないのがオチなわけで。
そこで会場内にあった人工の川に足を突っ込み、水にさらして涼むという作戦に出た。誰が考えたか知らないが……。
そのとき、ビーチサンダルをはいていた私はうっかりと人工川にサンダルの片方を流してしまったのだ。
<ぎえ~、お父さんに怒られる、殴られる>と思ったのは言うまでもない。ややDV気味の父であったために、へまをしたら最後、グーで殴られるのは当然のごとく……。
しかし、青ざめている私をそのままに、父はさっと走って川下に行き、サンダルを拾ってきてくれた。そして怒りもしなかったのだ。全然普通。
<すげー父ちゃん>
いやたぶん普通のことなんだろうけど、滅多にこんなことをしてもらったことがなかったので、異様なくらい記憶に残っているのだ。
ちょっと感動したのであった。
も、一つ。夏休みに軽井沢で避暑……なんて、見栄っ張りな父の考えることであったが、軽井沢に何泊か泊りがけでいったときがあった。
はじめはキャンプ場のバンガローを借りて、BBQをしたりと考えていたようなのだったが、あまりの水の出の悪さと今ひとつなバンガローにうんざりした父は、早々に「星の温泉ホテル(今は「星のや」)」に移った。
その間、いつものように父と母とは大喧嘩をし、いつものように不機嫌になりと、娘たちはビクビクするばかり。
それはさておき、2日目だったか……。バスで鬼押出しに向かった。
このとき軽井沢はハイシーズン。次から次へとバスに人が乗り込みギュウギュウの状態になり、私たちは後方へ追いやられた。しかし、運転手さんには後方にスペースがあると思ったんだろう。「もっと後ろに詰めてくださ~い」とアナウンス。子どもである私たちはひたすら押しつぶされることになる。
すると父が「後ろには子どもがいるんだぞ!」と叫んだ。
<きえ~、お父さんがキレたか?>と思ったものの、別にそういうわけではない様子だった。単に、ギュウギュウの私たちを助けてくれようと発した言葉であったのだ。
<すげー父ちゃん>
いや普通のことなんだろうけど、本当にこんなことを言ってくれるような人じゃないと娘の私は思っていただけに、新鮮に感動してしまったのだ。
普段ないがしろにされていただけに感動が大きい(笑)
しかし、このおよそ2年後には本人は死んじゃうわけで。だけどこのときはまだ自分が死ぬなんて考えていなかっただろうなと思う。割と楽しんでいたし、元気そうだったし。そう考えると少し切なくなる。
たいしたエピソードではないんだけどね。父親に何かをしてもらったなんていう記憶が少ないせいか、反対にこういう小さいことではあるけれど、心が動かされたエピソードが思い出されるんだろう。
ま~、こんな思い出があるだけでもいいのかな、と思った。
おしまい。
お父さん供養だな^^;
なんかタケシの映画に出てきそうなお父さんですね。
亡くなっても、こうして記憶の中で生きている。
一緒に過ごすって、大事なんだね~。
面白いもので、家族で同じ旅行しても・・・人の覚えている場面ってそれぞれ。
一昨日も叔母と話をしてて、私が忘れたことを叔母は覚えていて、その逆もあり・・・
母は全部忘れてるけど・・・^^;
by こぎん (2008-08-29 07:52)
なんか、ほんといいですね、お父さんとの思い出があるって。
父親にと海に行って、「あ~お父さんって泳ぐの上手なんだぁ。」という思い出がかすかにあるけれど。
たぶんそれは、私が勝手に作り出したものです。
父親の思い出が、記憶にあるはずはないんです。
夏の思い出といったら、いつも休みの終わりに泣きながら宿題をしたことですね。
「泣いたって、絶対手伝わないからな。」
と、いいながら兄が終わるまでそばにいてくれた記憶です。
by mamire (2008-09-01 23:23)
*こぎんさま*
*mamireさま*
父とは10年の付き合いでしたが、インパクトの強い人だったので、意外と思い出
深く残っているようです。
もう少し自分が大人で、もう少し話をすることが上手だったら父とちゃんと話が
できたかもしれないけれど、、、。
でもとにかく怖い人だったので、そっちのほうの印象が強く、タケシのように
ユーモアたっぷりな家族像は描けないな~と思います。
なんだか記憶力が本当になくって^^; もう少し、この年齢であっても思い出と
いえるような記憶を持つようにしなくちゃなあ、なんていうことも思いました。
by toro (2008-09-02 08:35)