今年も [悼み]
19年経ちました。
もう阪神淡路大震災を知らない人も増えてきているようです。
私は勤めていた会社をちょうど辞めた頃で、その日は失業保険の申請のためにハローワークへ行く日でした。
京都在住でしたので、激しい揺れといっても震度5強。いま住んでいる場所で経験した、東日本大震災の時と同じ強さの揺れでした。
でも初めての大きな揺れを経験し、その後に報道される震災の状況を見るにつけ、恐怖心が次第に強くなり、非日常の中に放り込まれたような気がしていました。
震源地に近い被災地に比べれば、大したことはなく、震災後は全く問題なく日常生活を送っていたにもかかわらず。
だけど、あの時の近畿地方のTVは、何ヶ月にもわたってCMの流れない震災関係の番組を流し続け、震災色一色。
この間、一度名古屋まで遊びに行ったことがありましたが、名古屋では全く普通のTV番組が放送されていて、ずいぶんと驚いたことを思い出します。
関西とは温度差があると。
その後、東日本大震災が起きて、同じことを関西でも感じました。
震災の話をしようとすると、関西では「阪神淡路大震災」が震災で、東日本大震災は震災ではなく、あくまでも「東日本大震災」。
震災というと「阪神淡路」になるのでした。
同じ国内でも、こうも違ってくるのだなと、両方の震災を経験して感じたことです。
心を痛めるのは同じだと思いますが、距離と時間は反比例しているのかもしれません。
震源地までの距離が長いほど忘れる時間は短い。遠いほど早く忘れる。
もちろん印象の持ち方、たとえば被災者に親戚がいるとか、知り合いがいるとかで異なるとは思いますが。
東日本大震災では、いろいろな流通網、生産現場で物が動かず、首都圏でもスーパーの棚に商品がないということが起きました。
阪神淡路の時は、直下型で津波は起きず、被害もピンポイントと言っていいほどの範囲でしたので、東日本ほどの騒ぎにはなっていません。
でも、あのときの異様な雰囲気。ハローワークに行くまでの道がいつもと変わらないはずなのに、一気に風景が変わったように感じました。心象が変わったということなのでしょう。
一生忘れることはないと思います。
昨年は多くのミュージシャンが亡くなりました。
極めつけは、年末の大瀧詠一さんの死でしたが……。
私の友人の相方とも言える人も亡くなりました。ずっと、その友人の彼と全国津々浦々ツアーしていた人です。
私は実際にその人の演奏、歌声を聴いたことがありません。いつか観に行こうと思っていたのですが、かないませんでした。
冬には「厳冬ツアー」と題し、冬の北海道を回るツアーを恒例として行っていました。
そのときの様子をまとめた動画を見つけましたので、ここに貼ります。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
もう阪神淡路大震災を知らない人も増えてきているようです。
私は勤めていた会社をちょうど辞めた頃で、その日は失業保険の申請のためにハローワークへ行く日でした。
京都在住でしたので、激しい揺れといっても震度5強。いま住んでいる場所で経験した、東日本大震災の時と同じ強さの揺れでした。
でも初めての大きな揺れを経験し、その後に報道される震災の状況を見るにつけ、恐怖心が次第に強くなり、非日常の中に放り込まれたような気がしていました。
震源地に近い被災地に比べれば、大したことはなく、震災後は全く問題なく日常生活を送っていたにもかかわらず。
だけど、あの時の近畿地方のTVは、何ヶ月にもわたってCMの流れない震災関係の番組を流し続け、震災色一色。
この間、一度名古屋まで遊びに行ったことがありましたが、名古屋では全く普通のTV番組が放送されていて、ずいぶんと驚いたことを思い出します。
関西とは温度差があると。
その後、東日本大震災が起きて、同じことを関西でも感じました。
震災の話をしようとすると、関西では「阪神淡路大震災」が震災で、東日本大震災は震災ではなく、あくまでも「東日本大震災」。
震災というと「阪神淡路」になるのでした。
同じ国内でも、こうも違ってくるのだなと、両方の震災を経験して感じたことです。
心を痛めるのは同じだと思いますが、距離と時間は反比例しているのかもしれません。
震源地までの距離が長いほど忘れる時間は短い。遠いほど早く忘れる。
もちろん印象の持ち方、たとえば被災者に親戚がいるとか、知り合いがいるとかで異なるとは思いますが。
東日本大震災では、いろいろな流通網、生産現場で物が動かず、首都圏でもスーパーの棚に商品がないということが起きました。
阪神淡路の時は、直下型で津波は起きず、被害もピンポイントと言っていいほどの範囲でしたので、東日本ほどの騒ぎにはなっていません。
でも、あのときの異様な雰囲気。ハローワークに行くまでの道がいつもと変わらないはずなのに、一気に風景が変わったように感じました。心象が変わったということなのでしょう。
一生忘れることはないと思います。
昨年は多くのミュージシャンが亡くなりました。
極めつけは、年末の大瀧詠一さんの死でしたが……。
私の友人の相方とも言える人も亡くなりました。ずっと、その友人の彼と全国津々浦々ツアーしていた人です。
私は実際にその人の演奏、歌声を聴いたことがありません。いつか観に行こうと思っていたのですが、かないませんでした。
冬には「厳冬ツアー」と題し、冬の北海道を回るツアーを恒例として行っていました。
そのときの様子をまとめた動画を見つけましたので、ここに貼ります。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
19年、経ちましたね。
toroさんの 一言一言に うんうん、と頷きながら読ませて頂きました。
>心を痛めるのは同じだと思いますが、距離と時間は反比例している・・・
震源地までの距離が長いほど忘れる時間は短い。遠いほど早く忘れる。
そうかもしれませんね。
私も新潟地震を経験し、阪神淡路大震災の時は奈良で。
そして東日本大震災は ここ福岡で。
もし、その時 娘たちが関東に居なかったら、 感じ方、受け止め方は
違っていたかもしれない、と思う事があります。
3ヶ月の乳飲み子を抱えて、一体どうしているのか、元気なのか、
連絡が付くまで心配で心配でどうしようもなかったあの時の想いは
今思い出しても ぞっとします。
でも、遠く離れた所からどんなに心配しても、気をもんでも、
その時、その場に居た 娘たちの恐怖心・心細さは、共有する事は出来ないのだと、
後に話を聞きながらそう思ったのですよね。
温度差は 致し方の無い事かもしれませんね。
私も、新潟地震も阪神淡路大震災も、そして東日本大震災も、
忘れる事はないと思います。
***
ご友人の相方さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
by 東雲 (2014-01-18 12:56)
*東雲さま*
新潟の地震もありましたね。小林信彦さんがエッセイで書いて
いたのを思い出しました。
誰かが、そのときの心情を伝えてくれないと、遠い場所での震災は
なかなか伝わってこないものだな、と感じたことを覚えています。
奥尻や秋田で起こった津波とか、その後の防災に生かされたのか
というと疑問に思うわけで、人間の記憶ほどいい加減なものはないと
思い知らされます。
その場への興味を抱かない限り、心に残ることは少ないのでしょうね。
母が、川の氾濫は怖いというのを生前に口が酸っぱくなるほど言って
いたのですよ。お陰で、川の怖さというのを知りもしないのに、
知った気でいます。
とにかく気をつけないとという思いは植え付けられました。
きっとそういうことなんだろうなと思います。
忘れないで語り続けること。これが大切なんですね。
東雲さんもぜひ、語り続けてください。
***
友人とはつい先日会って飲んだのですが、あまり口には出して
言っていなかったけれど、とても寂しそうでした。
惜しいミュージシャンがこの世を去ってしまったと思っています。
ありがとうございます。
by toro (2014-01-20 09:49)