弾丸ツアー 最終回 [旅話]
面倒くさい従姉から面倒くさい電話がかかってきたり(留守電だったけれど折り返さず)、面倒くさいメールが来たり(なぜか従姉の旦那さんの名前で来たから即座に削除)、とにかく面倒くさいので無視しまくりなのですが、60も半ばを過ぎたオバはん(孫もいるからお祖母ちゃんなんだけどねえ~)が、もう小うるさいったらない。
仲良くしている伯母や従兄姉、さらには実の姉も嫌っているほどの従姉なので、マジで付き合いたくないという(笑)
……直接被害を被ったことがないので、本来であればフツーに付き合うのですが、でもほとんど付き合いがなかったのに急に電話をかけてきたり、メールを送ってきたりってこれは一体…って感じなんですよ。
いろんな意味でようやく平和になった我が家に、揉め事を運んできてほしくないというのが本音。
ふぅ~やんなるなあ。
すんません。愚痴でした。
はてさて、まだまだ冬です^^;
弾丸ツアー最後は、かの有名な「幸福駅」に行ってきました。
いままで近くを通りはしたものの、行ったことがありませんでした。
飛行機まで時間もあるし、「一度は行ってみるか」と夫T君も言うので行ってみたのでした。
夏は夏で風情があるのかなあ。
でもこれはちょっと怖い。
おびただしい数の名刺が駅舎のなかに貼られていて、妙な念がこもっていそうで、ちょっと怖かったです。
駅名の由来をウィキから持ってきました。こう書いてあります。
『近隣を流れる札内川は、広大な河原のわりには水量が少ない。そのためアイヌ語で「乾いた川」を意味する「サツナイ」と呼ばれていた。1897年(明治30年)、福井県大野から集団移住が行われ、入植者によって拓かれた村には幸震の字があてられた。「ナイ」に震をあてたのは、地震のことを古語で「なゐ」と呼ぶためである。しかし難読であるため、次第に音読みで「こうしん」と呼ばれるようになった。その後、幸震には福井からの移住者(「福井団体」という)が多かったことにちなみ、集落名が幸福と改められた』とのこと。
十勝地方というのは、基本的には内地の人間が入植して開拓された土地。帯広百年記念館で開拓時代の風景、暮らしぶり、その頃の道具などが展示されていて、それを見ると過酷な状況で開拓が進められたということがうかがい知れます。
本当であれば、もともとの土地の名前を生かした駅名のままでよかったのではないか? と思いますが、その過酷な状況に生きてきた人が、故郷の国の名前を入れたいという気持ちもわからなくはありません。
のちのち、こうしておめでたい土地の名前として全国に知れ渡るわけですから、それはそれでよかったんだろうな、なんて思いました。
アイヌについては思うところがありますが、いつか機会があったらということでここでは触れません。
しかし、展示されている汽車はずいぶんと雪に埋もれております。
お約束(?)のT君の後ろ姿。
ホームの横を見ればこんな感じ。
何もありません。たぶん、畑だろうと思います。素晴らしい。
そうしてこの後、中札内の道の駅に向かい、そしてレンタカーを返却して帰路につくのですが、中札内の道の駅に向かうときに突然の吹雪。急にどかどかと雪が降り始めてびっくりしました。
道の駅で車を停車すると、見る見るうちに車が雪で埋もれ始めて、あらあらたいへん。大丈夫か? 帰れるのか?
な~んて思っていても、T君は動じません(笑)
さっさと車を走らせて、レンタカーを返却したのでした。
何だろうな…この自信は。
で、食べ物の話が一切なかったので、これだけは特別に…。
「鹿追やまべ園」というところで養殖をしていて、その場でもいただけるという「然別サーモンのお刺身」と「ヤマベのフライ」であります。
きっと水がいいんでしょうね。
然別サーモンはこりっこりとしていて、全く臭みもなく、もちろんヤマベのフライも臭みなく、美味しくいただきました。
いや、これは本当に美味しかった。また行きたいなあ。
ということで、弾丸ツアーの旅話、終了でございます。
次はいつ行けるかわかりません;; 猫のTBちゃん次第だな(笑)
仲良くしている伯母や従兄姉、さらには実の姉も嫌っているほどの従姉なので、マジで付き合いたくないという(笑)
……直接被害を被ったことがないので、本来であればフツーに付き合うのですが、でもほとんど付き合いがなかったのに急に電話をかけてきたり、メールを送ってきたりってこれは一体…って感じなんですよ。
いろんな意味でようやく平和になった我が家に、揉め事を運んできてほしくないというのが本音。
ふぅ~やんなるなあ。
すんません。愚痴でした。
はてさて、まだまだ冬です^^;
弾丸ツアー最後は、かの有名な「幸福駅」に行ってきました。
いままで近くを通りはしたものの、行ったことがありませんでした。
飛行機まで時間もあるし、「一度は行ってみるか」と夫T君も言うので行ってみたのでした。
夏は夏で風情があるのかなあ。
でもこれはちょっと怖い。
おびただしい数の名刺が駅舎のなかに貼られていて、妙な念がこもっていそうで、ちょっと怖かったです。
駅名の由来をウィキから持ってきました。こう書いてあります。
『近隣を流れる札内川は、広大な河原のわりには水量が少ない。そのためアイヌ語で「乾いた川」を意味する「サツナイ」と呼ばれていた。1897年(明治30年)、福井県大野から集団移住が行われ、入植者によって拓かれた村には幸震の字があてられた。「ナイ」に震をあてたのは、地震のことを古語で「なゐ」と呼ぶためである。しかし難読であるため、次第に音読みで「こうしん」と呼ばれるようになった。その後、幸震には福井からの移住者(「福井団体」という)が多かったことにちなみ、集落名が幸福と改められた』とのこと。
十勝地方というのは、基本的には内地の人間が入植して開拓された土地。帯広百年記念館で開拓時代の風景、暮らしぶり、その頃の道具などが展示されていて、それを見ると過酷な状況で開拓が進められたということがうかがい知れます。
本当であれば、もともとの土地の名前を生かした駅名のままでよかったのではないか? と思いますが、その過酷な状況に生きてきた人が、故郷の国の名前を入れたいという気持ちもわからなくはありません。
のちのち、こうしておめでたい土地の名前として全国に知れ渡るわけですから、それはそれでよかったんだろうな、なんて思いました。
アイヌについては思うところがありますが、いつか機会があったらということでここでは触れません。
しかし、展示されている汽車はずいぶんと雪に埋もれております。
お約束(?)のT君の後ろ姿。
ホームの横を見ればこんな感じ。
何もありません。たぶん、畑だろうと思います。素晴らしい。
そうしてこの後、中札内の道の駅に向かい、そしてレンタカーを返却して帰路につくのですが、中札内の道の駅に向かうときに突然の吹雪。急にどかどかと雪が降り始めてびっくりしました。
道の駅で車を停車すると、見る見るうちに車が雪で埋もれ始めて、あらあらたいへん。大丈夫か? 帰れるのか?
な~んて思っていても、T君は動じません(笑)
さっさと車を走らせて、レンタカーを返却したのでした。
何だろうな…この自信は。
で、食べ物の話が一切なかったので、これだけは特別に…。
「鹿追やまべ園」というところで養殖をしていて、その場でもいただけるという「然別サーモンのお刺身」と「ヤマベのフライ」であります。
きっと水がいいんでしょうね。
然別サーモンはこりっこりとしていて、全く臭みもなく、もちろんヤマベのフライも臭みなく、美味しくいただきました。
いや、これは本当に美味しかった。また行きたいなあ。
ということで、弾丸ツアーの旅話、終了でございます。
次はいつ行けるかわかりません;; 猫のTBちゃん次第だな(笑)
うわ「幸福駅」懐かしい^^:
そういえば昔、実家にもありましたっけ...
「愛国から幸福ゆき」の切符が( ´艸`)
今は、赤紙仁王のようになってるんですね。
何故名刺を貼るんでしょう???
ヤマベって?と思ったら、ヤマメのことなんですね、それ食べたーい!
by nakasama (2013-04-05 21:11)
そういえば歌にもなってましたっけ…幸福駅。記憶の底から歌が蘇りました^^;
張り付けられた名刺の山…コワイ!(笑)
by めりっさ (2013-04-08 07:52)
*nakasamaさま*
ね、幸福駅ってものすごく流行しましたよね。
私もお土産に切符をもらったりしましたよ~。
この名刺の数々はすごいです^^; 貼ればご利益があるのかな。
いや、そんなことはないんじゃあないかなあ。
結局わざわざここまで来たという証に貼っていくんでしょうね。
そうそうヤマメヤマメ。なんだか普通にヤマベと言っていて、私もすっかり
ヤマベと思ってしまっていました。
オショロコマというイワナの仲間かな、そんな魚もあるんですよ。
これも美味しかったです。
*めりっささま*
あ~歌にありましたよね~。私もうっすらと記憶の底にあるような…。
この名刺の数々は怖いですよ~(笑)
私はこういうのは苦手なので、ちょっと引いてしまいました^^;
by toro (2013-04-08 08:06)