鎮魂歌を。 [音楽]
東日本大震災から100日が経った。
この間に考えていたことの一つに、「文化」というものは何の役に立つのか、ということがある。
とくに、震災後にやたらと歌われだした曲やチャリティーソングに違和感を覚え、何故なのか…と思っていた。
こういう風にチャリティーとして行うことを悪いというわけではなく、むしろいいことだとは思っている。
でも毎日、ラジオを流しっぱなしにしているのだけれど、耳にするのは、「応援歌」であったり、「エールを送るもの」であったり、「頑張れ」や「前を向こう」とか、そんなものばかりで、妙にテンションが高く、震災ハイなんじゃないのか、と感じていた。
自分も例に洩れず、震災ハイだったような気はしている。買い占め騒動に巻き込まれて、「落ち着け!」と叫んではいたものの、影響を少なからず受けていたように思うのだ。
福島の原発事故もある。見えない放射能にはおびえ続けなければいけない。計画停電の影響もあった(我が家は一度も停電にならなかったけど)。
おそらく被災していない東京者も、帰宅難民にもなったりして、被災者のような気分になり、自分たちも前を向いて頑張んなきゃ…っていうような妙なテンションになってしまったんだろうと思う。
でもそれは、本当の当事者の思いと遠く離れていたのではないか。
要するに震災直後に流されていた「応援歌」のような音楽は、被災した人たちのものではなく、被災していない私たちのためのものだったのではないかということ。私たちも頑張れ、というような。
私自身、「頑張らなくちゃ」と思ってはいるけれど、応援されると何だか嫌な気分になってしまい、ほとんど天邪鬼な感じだけれど…「だからなんなのよ」と思うんだ。とても鬱陶しい。そういう歌は嫌いといってもいい。
震災直後の愛国心というのは、間違いではないと思っているけれど、でもさ…と思う部分もあった。同じ勢いで皆で頑張ろうは、息苦しいよなと。
同じ方向を向かなくてはと思う。でも進むペースは人それぞれでいいんじゃない? という感じ。
だから応援歌を聞いているとしんどくなるのかもしれないと思った。
それより、被災者と一緒に悲しむ音楽がないことに気がついた。
亡くなった方々を悼む音楽。
鎮魂歌ともいうべき曲。
そろそろちゃんと悲しまなくちゃいけないのではないか、と思っている。
鎮魂歌ではないけれど、ハイテンションではなく、鎮魂の気持ちも含まれているように感じた曲。これは震災直後に流されていたけれど評価していました。(好きなバンドではないんだけどね^^;)
そうして、松任谷由実さんあたりが「鎮魂歌」を歌ってくれないものだろうかと思ったんだけど、そういえばこういう曲があったのでした。
声かな~。鎮魂に向く声というのがあるかもしれない。さだまさしさんとか、小田和正さんとか、中島みゆきさんあたりに発表してもらうしかないか…。
~なんてな…。
文化の必要性については、いまだ考えております、はい。
天童荒太さんの「悼む人」の静人だったら、いまはどうしているのだろうとふと思う。
この間に考えていたことの一つに、「文化」というものは何の役に立つのか、ということがある。
とくに、震災後にやたらと歌われだした曲やチャリティーソングに違和感を覚え、何故なのか…と思っていた。
こういう風にチャリティーとして行うことを悪いというわけではなく、むしろいいことだとは思っている。
でも毎日、ラジオを流しっぱなしにしているのだけれど、耳にするのは、「応援歌」であったり、「エールを送るもの」であったり、「頑張れ」や「前を向こう」とか、そんなものばかりで、妙にテンションが高く、震災ハイなんじゃないのか、と感じていた。
自分も例に洩れず、震災ハイだったような気はしている。買い占め騒動に巻き込まれて、「落ち着け!」と叫んではいたものの、影響を少なからず受けていたように思うのだ。
福島の原発事故もある。見えない放射能にはおびえ続けなければいけない。計画停電の影響もあった(我が家は一度も停電にならなかったけど)。
おそらく被災していない東京者も、帰宅難民にもなったりして、被災者のような気分になり、自分たちも前を向いて頑張んなきゃ…っていうような妙なテンションになってしまったんだろうと思う。
でもそれは、本当の当事者の思いと遠く離れていたのではないか。
要するに震災直後に流されていた「応援歌」のような音楽は、被災した人たちのものではなく、被災していない私たちのためのものだったのではないかということ。私たちも頑張れ、というような。
私自身、「頑張らなくちゃ」と思ってはいるけれど、応援されると何だか嫌な気分になってしまい、ほとんど天邪鬼な感じだけれど…「だからなんなのよ」と思うんだ。とても鬱陶しい。そういう歌は嫌いといってもいい。
震災直後の愛国心というのは、間違いではないと思っているけれど、でもさ…と思う部分もあった。同じ勢いで皆で頑張ろうは、息苦しいよなと。
同じ方向を向かなくてはと思う。でも進むペースは人それぞれでいいんじゃない? という感じ。
だから応援歌を聞いているとしんどくなるのかもしれないと思った。
それより、被災者と一緒に悲しむ音楽がないことに気がついた。
亡くなった方々を悼む音楽。
鎮魂歌ともいうべき曲。
そろそろちゃんと悲しまなくちゃいけないのではないか、と思っている。
鎮魂歌ではないけれど、ハイテンションではなく、鎮魂の気持ちも含まれているように感じた曲。これは震災直後に流されていたけれど評価していました。(好きなバンドではないんだけどね^^;)
そうして、松任谷由実さんあたりが「鎮魂歌」を歌ってくれないものだろうかと思ったんだけど、そういえばこういう曲があったのでした。
声かな~。鎮魂に向く声というのがあるかもしれない。さだまさしさんとか、小田和正さんとか、中島みゆきさんあたりに発表してもらうしかないか…。
~なんてな…。
文化の必要性については、いまだ考えております、はい。
天童荒太さんの「悼む人」の静人だったら、いまはどうしているのだろうとふと思う。
はじめまして。みゆと申します。
小田さんの最新アルバムの中から「hello hello」と言う曲を紹介します。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-110420-048
この曲は直接震災の事を歌った歌ではありませんが(三宅島噴火の映画主題歌です)一番心情的に合っているかと思います。
励ますのではなく、傷ついた人にそっと寄り添って、その人が前を向いて歩きだすまで近くにいる。
主様の気持ちに沿うか分かりませんが、ご紹介まで。
by みゆ (2011-06-21 15:04)
そうですよね、まさに「情けは人のためならず」で、チャリティやボランティア、義援金にしても皆自分のためにやってること、
自分も自分自身の心の安定のために募金や被災地のものを購入しています。
旦那の友人に被災された方々のPTSDや心のケアをするために避難所を回っている人がいるんですが、芸能人のパフォーマンス的チャリティや都心からきれいな格好してやってくるボランティアの人達についての拒否反応はかな〜りあるみたいです。
悪く言ってしまうと「やらせてあげてる」的な〜^^;
彼らもまず拒否されることを前提に、現地では「何しにきたの?」的な扱いで、辛い思いをしながら徐々に会話を〜なのだと聞きました。
けれどそれは続ける必要があるですよね。
偽善だろうが何だろうがいいんですよ、本当に大変な人たちはこれからが大変...どんな形であれ、ずーっと続けることが大事。
音楽もね...そう思います。
ユーミンファーストアルバム実家にありましたわん♪なつかしー!
by nakasama (2011-06-22 00:15)
*みゆさま*
ありがとうございます。これから上映される映画なんですね。
どんなメロディーなのか探してみましたが、予告編で流れていたのを聞きました。
寄り添うっていう感じ…。そうそう、そんな感じです。
前を向けるようになるのは、「いつか」でいいと思うんですよ。
その「いつか」を一緒に待てたらいいなと思います。
*nakasamaさま*
被災者ではない人たちの「震災ハイ」はいま振り返ってみても尋常ではなく、
首をかしげざるをえませんが、私も募金や被災地のものを購入するのは、
自分自身の心の安定のためであると思っています。同感です。
ね、そうそう、あとは続けられるかなんですよね。
日本人って飽きっぽいからなあ~(笑) 忍耐強いといわれるけれど飽きっぽい…。
とくに都会に生きている人間、私もそうですが、便利で情報もたくさん入ってくる
地域で生きている人間は、その点で学ばなくてはいけないと思います。
これから、徐々に自立支援に移行しなければならない時期でしょうが、それも
うまくできるのか、少々心配しておりますが、自分のできることをひたすら続ける
だけかと……。
ちゃんと悼むことをしないとなあ。
ユーミンのファーストアルバムは懐かしいですよ~^^
by toro (2011-06-22 08:01)
*意馬心猿さま*
ありがとうございます。
by toro (2011-06-22 08:02)
*えーちゃんaaaさま*
*マンチ軍団さま*
*soriさま*
ありがとうございます。
by toro (2011-06-29 09:09)