何の因果か。親子だからしょうがあんめえ^^; [家族の話]
むかーし、書いたことがあったかなあ。。。ちょっと思い出せないのだけど、、、。
実は、私は自分の母親が嫌いだった。いまでも好きではないのだ……カミングアウト。
一所懸命、毎日のように顔を見に行ったり、世話をして、看護(介護)の手伝いをしていたりするけれど、本当のところ母のことは好きになれない。。。まーまー好きな部分はあるけど。愚痴を聞いてくれるときがあるから感謝もしているけど。
でも、なのだ。キレイゴトばかり書いているのも嫌になるし、自画自賛もどうだかなな気分なのである。であるから、本音を記しておこうかとふと思った。
好きではない理由。
傲慢。
自分のコントロール下に置かなければ気がすまない人だった。極めつけの一言は「18歳になるまでは私がお金を出すんだから、言うことを聞きなさい」。
これを言われたときは開いた口がふさがらなかった。
人の立場に立ってものを考えられない。
いまは自分が病気になってしまったから、病人の気持ちがわかるようになったとは思うが、その昔、異様に健康な母は、人が病気になっても「仮病!」と言って聞いてくれなかった。
小学校の5年生のとき。翌日、遠足で登山をすることになっていた。遠足だからそれなりに楽しみにしていたとは思う。でもその日、私は熱を出していた。どうやら風邪をひいたようなのだった。
そのために当日、「気持ち悪いから遠足には行けない」と母に伝えた。すると母は「山登りがしたくないからウソを言うんでしょう!」と言った。この言葉を聞いたとき、<この人にはわからないんだな>と一瞬にして理解をし、怒られるのも理不尽だと思うし、私はやけを起こし遠足に行った。案の定、山頂に着いたのは一番最後。家にたどり着けば、さらに高熱……。
何をやっているんだろう…と思ったよ。看病してもらった記憶もない。
中学2年生のときには、貧血がひどい乙女だったお陰で、立ちくらみというのをよく起こしていた。ある日のこと。勉強中の私のところへ来て、母が「toroちゃん、ちょっと手伝ってくれない」と言った。「うん」と言って立ち上がる私。そのあと気を失う。
貧血で倒れたのだ。
気がつくと横たわっていた私に母が発した言葉。
「ふざけているのかと思った」……だって。
「気持ち悪くて学校に行けない」なんて言おうものなら、「学校に行きたくないだけでしょ!」と何度も怒られた。そして、仕方なく学校に行く用意をして、出て行こうとした途端に吐く……とかね。
だって本当に体の具合が悪いのだもの。
そんなことが枚挙に暇がない。
高校進学のときもそう。「お姉さんと同じ高校に入りなさい」と。「同じ高校で一度で済ませられたほうが楽だから」と。
……。
娘の学力は一切無視。
そうして言うことは、「18歳になるまでは私がお金を出すんだから、言うことを聞きなさい」。
いま思い出してもくらくらする。
姉は中学生のときがまさに暗黒時代で、勉強もあまりできず、少し太っていて、暗い少女だったのだ。そのために高校進学にもとっても苦労をしていた。でも、高校に入ると、暗黒時代の中学の記憶は一切なくなったように、勉強はできるようになるわ、明るくなるわ、モテるわの、ばら色の時代になったのであった。
それはさておき、そんな暗黒時代をすごしていた姉が入った高校である。その頃の学力は言わずもがなだった。
で、中学校時代の私。フツーに勉強もでき、フツーに明るく、フツーに友達もいた。
それが、「お姉さんと同じ高校に入りなさい」と言われ、入らざるを得なかった。鬱屈しないはずがない。それも「嫌だ」といえなかった自分自身も情けないのだが、「18歳になるまでは私がお金を出すんだから、言うことを聞きなさい」だもの。
恐ろしいことを言う母親だと思った。
ゼッタイにこんな母親になるまいと思った。
十分に反面教師になった母親である。
いまは弱体化したとはいえ、入院中の身であっても、そういった発言は弱っていない。
車椅子で移動させていたら、「あんたもそのうちこうなるんだからね」。
……嫌味なのか、イジワルなのか。
「訪問診療のいいお医者様に出会えた」と母に伝えたら、「私が祈っていたから」。。。だって。
私の努力は無視^^;
「私は何とか運良くやってこれた」
……とものたまわった。
一事が万事こんな調子です。
でも何の因果か、ではないけどね、親子であるからにはしょうがないと思う。
人としての尊厳というのは重々承知しているし、生活の質は確保してあげたいと思う。
しょうがない。
水には流さないけど、やっぱり母を嫌う気持ちは変わらないけど、面倒はみるよ。
可哀相な人だと思っているんだ。
おそまつ
……ちょっと書いていて気持ちが悪くなってきた。けど、本当のことだ。
たぶん、早くに結婚して、さっさと地方に引っ越したのも、こんな母親から逃れたかったんだろうな、と思う。
逃げることしかできなかったんだよなあ。
いまはもうどうでもいいんだけど。
わたしも正直に言えば、父が苦手です
恥ずかしい人・・・ って感じで、好きになれないです・・・
部落差別や国籍差別をものすごくする人だったので、わざと同和教育で教わった地域のお子様と仲良くしたりして、父親の意見に反発していました
子供の頃親が発していた差別発言は、今でも忘れられません・・・
とはいえ、自分の親なので仕方がないから、せめて自分だけでも差別をしない人になろうという思いが生まれて、反面教師として、ある意味良かったのかも?と思うようにしています(^^
by 小町 (2007-06-04 22:36)
*小町さん* ありがとうございます。
私は親でも嫌いなものは嫌いとスッパリと言ってしまいたい性質なんですが、
言った後の、この何ともいえない後味の悪さが、いや~なのです。
でも、しょうがない…。小町さんもそんな思いなんだろうなあ。
親でも相性が悪いとなれば、疎遠になってもいいと思うんですけどね。
私も疎遠だったときはあるし。でも、いい子になるのもいやな感じだし。
とにかく諦めが肝心ですね(笑) ホント、反面教師になってくれたということで。
by toro (2007-06-05 08:49)
只今、任務を終えて帰還しました! って感じ・・・。
嫌いではない母と向き合うのもこんなにくたくた・・・仕事の方がある意味疲れない。
嫌いな人だったら、尚更でしょう。
誰とは出てこないけど、小説にもなりそうな母娘の関係ですね。
時々、カミングアウトする家族観の原点はここにあったのだな~って思いました。
気持ち・・・よ~く分かりますとは言えないけど・・・感覚は伝わってきました。
後味の悪さ・・・っていうのもね。
一回、胸のウチを吐露したら・・・お母さん、びっくりするかな?
せめて・・・「私が祈ったら・・・」と言われたら「何、言ってるの? 私が見つけてあげたんじゃない、お母さんのために!」
位ね~~、カラッと言い返して、みたら。。。どうなるのかな?
ある時、ある意味で親子関係って逆転するし・・・老いたらそれが自然のような気がするけど・・・かあちゃん、きっついな~~~!
toroさんは優しいんだね・・・で、自分で傷いちゃう。
それじゃ、もたん!(`Д´)ノ わずか2週間目で悟った感じ。
ウチの場合とは症状が違うのでね・・・。なんとも私のような初心者が言えるよ~なことじゃないね。日々反省。
ガンバ!です。
乗り切ろう!
by (2007-06-06 18:35)
*こぎんさま* ありがとうございます。
本日の任務完了、お疲れ様でした!
そう…「仕事に出ていたほうがどんなにましか」と思う瞬間があります^^;
そんな風に感じるのもカナシーのですが…。
胸のうちを吐露するとかですね、結構、怒ったりしているんですけどね(笑)
昔のことはもう無理ですねえ~。今現在言われることにはチクチク返しますが
(チクチクってところがイケズだわ)、でもスルーされています。
本人はどう思っているのか。
ふざけてでしょうが、きつく言った後「死んだら化けて出てやる」と言い返され
たことがあります。こわーでしゅ。何割かは本気で言っているな、と感じてしまう
怖い母ですよ~。
そして、くわばらくわばら、、、なんてつぶやく嫌な娘ですわ。
一日の最後には「ありがとう」と言って感謝してくれるんですけどね…。
by toro (2007-06-07 10:23)