感動は「する」ものでしょ~~??? [プンプン]
3連休。とっても天気がよく、楽しまれた方は多いのではないでしょうか。
我が家は相変わらずでございます^^; どうにもこうにも精神的にある箇所から抜け出せなく、復活したつもりではいるものの、ちょっとトンチンカン。
…トンチンカンではなくて緊張感が抜けないんだけどね~、まあしょうがないといえばしょうがない。
今現在、人のことを考えながら自分の行動を起こしているので、かなり限定された活動範囲で生きていることになる。お陰で自分が自分ではないような錯覚に陥ってしまい、やっぱりちょっとトンチンカン。
いやはや、何を書いているんでしょうねー。
* * * * *
さて、タイトルにあるもの。
3連休中、我が家から程近い中学校で運動会(体育祭?)が行われていた。
私とT君は、さらにその近所のゴルフの打ちっぱなしに行って、その帰りに中学校の運動会に遭遇したのである。
ちょうど開会式が始まったところ。面白がってフェンス越しに私とT君はその開会式を見始めた。
子どもがいないから、運動会で今、どんなことが行われているのかわからないし、今も昔も変わらないものなのかなと見ていたのである。
いよいよ、生徒会長(?)による挨拶が始まった。
聞いていると、異様にたとえ話が多い(笑) 甲子園で行われた高校野球の話やら、、、そんなことが延々と続く。そして極めつけに発した言葉…それは…。
「感動をもらった」
……お~い^^;
可笑しい可笑しいと思ってた言葉であるが、中学生からもこの言葉が発せられるとは思いもよらなかった。途端に私は腰砕けになったさ。
だいたい…感動って「もらう」ものではなく、「する」ものではないのか?
感動をするそのもととなる現象、場面を見せて「もらい」はするが、感動は「もらう」ものではないでしょ~。
自ら「する」ものだよね~。
これは誰が言い始めたのか知らないけど、変な表現だよなあ、と私は思うわけだ。
何というかサー、この言葉を耳にするたび、自主性の欠落を感じてしょうがない。
感動するにも誰かの評価が必要で、誰かが「これは感動するべきものである」と評価したときに、その評価された「感動をもらって」、やっと「感動する」というように、自分の評価を下せない…要するに自分が素直に感動したことを表せないということではないのかと思ってしまうのだ。
感動も他力なんだね^^; 評価されたものにしか感動できないって感じ。
そりゃあね、感動のもととなる現象や場面は自分が作ったものではないことが多い。そういう意味では他力である。だが、感動するのは自らの心である。
だからね、感動は「する」ものであって、「感動をもらった」と言うのであれば、「感動(する場面)を(●●に見せて)もらった」と( )内の言葉を省略せずに言わなくてはいけないんだよ。
これがいつか「感動をいただいた」なんて変な言葉に変化して、自分が感動しているにもかかわらず、いただかなくてはならないものなのかいな~、と思う日も来るんだろうな(笑)
自分に謙譲してどうなるんじゃい。
感動もへりくだらなくてはいけないんかい。
でまあ、T君も国文学というか、国語学というか、そっちの筋の専門家ではあるので、以上のようなことをT君相手に言ってみるが…「流行り言葉だからなああああ」と一言。
「国語の先生とか、何か言わないのか?」とT君に尋ねるも…。
「最近の先生はわからんなあああ」
……。
そして、開会式直後の準備体操が始まった。
ラジオ体操第一とか、第二とか、昔と変わらないのかなと見ていたら、かかった音楽はJ-POP。しかもレゲエ。
で、生徒たちは何をするのかと思えば、リズムもへったくれもないストレッチ。
「何か、準備体操と音楽は関係ないんだね」
「そうだな…。体育の先生の趣味かな…」
私とT君はこの時点で言葉が少なくなり始める。
そうして、
「帰ろうか」
「そだな」
と言って家に帰ってきたのであった。
もう年老いたということか……ね。
おそまつ。
私もだいぶ前から「感動」のやりとり(?)にいらだっている一人です。
「もらった」の前にはきっとスポーツ選手なんかがよく使う「感動を与える」
があるんですよね。「与えるってナンだよ!エラソーに!!!」といつもテレビの前で怒っています。
流行り言葉で済ませたくないですよね!
by pu-yama-gorogoro (2006-10-12 12:08)
*ぷうやまさま* ありがとうございます。
私もそう思っていましたよ~! 激しく同意でございます!
「与えたい」と「もらった」は一対なんだろうな~と。何だか同時発生的ですよね。「感動を与えたい」なんて言われた暁には、「はい~? アンタなんかに言われたかないわ!」(←関西弁)と怒っております。。。
感動してもらえると思っている傲慢さっていうのかなああ。驕りというか……。自分を奮い立たせるために言っているとしたって、言い方があるだろうと思ってしまうわけで。
それで感動したほうも、「もらった」なんて言ってしまうんだから情けない…。
まさに野暮というものですわ! やめて欲しいザマスよねえ~。
by toro (2006-10-13 08:50)