お供えは新聞 [家族の話]
別宅記事かなと思うものの、姉の話だな、どちらかというと。ということでこちらに書く。
母が他界してから、もう毎日のように実家に行くこともなく、用事があるとき…例えば犬の散歩を頼まれたときとかしか行かなくなった。仕事で忙しい姉は、少しずつ家の中の片づけをしているようであるが、行ってみれば家の中はやっぱり母がいたときの様子とほとんど変わりはなく、母はまだ存在しているかのようなのである。
大きな家具…ダイニングテーブルなどの位置を変えれば、イメージは変わるのだろうけれど…。母がいつも座っていた椅子もそのままだし、母が寝ていたベッドもそのまま。
まずは四十九日までは、、、。ということもあるが、不思議な感じなのである。
昨年、義父が亡くなったときは、お葬式直後に、四十九日も待たずに、義母は気が狂ったように居間の家具を買いに走り、すべてを入れ替えた。そしてダイニングテーブルも買い替え、義父が寝ていたベッドはさっさと捨てられた。
これもこれで不思議な光景だった。
考えてみれば、無宗教の我が家では四十九日が過ぎるまで…なんて言っているのに、しっかりととあるお寺さんの檀家でもあり、法事も行う夫の実家では四十九日も待たずに…というところが妙に対照的で面白い。
それでお供えの話だ。
母のベッドはそのままで、今現在は、その横に祭壇のようなものをしつらえてある。母の写真と遺骨、お線香立てとろうそくなどなど。
そして実家に行ったときは、まずは母の部屋に行き、チンと鳴らして手を合わせるのだが…。
ふとベッドを見ると、枕元に必ず新聞が置いてあるのだ。
そう。ほとんど寝たきりになってしまった母の唯一の楽しみは新聞を読むことだったのだ。そしてチラシもスミからスミまで目を通すという念入りさ。
新聞を読んでは世の中を憂い、チラシを見ては「あれ買ってきて、これ買ってきて」(笑)
世の中を憂うより、自分を憂う必要があったんじゃないのか、と思ったほどであったが、実に面白い母であった。
どんな人よりも情報通になっていた母。
そんな母を見てきているからなのだろう。姉は新聞を、今も変わらず母の枕元に置いている。
まるでお供えのように。
そうして私は実家の母の部屋に入るたびに「ふふふ」と笑ってしまうのであった。
おしまい。
そっか、お姉さんとお母さんは同居だったのですね・・・。
ワンちゃんどうしたのかなと思っていました。寂しく思っているでしょうね。
祖母が亡くなった時に、祭壇も作らないとならないし、遠方からの子ども一同寝泊りするから、分かるけど・・・早々とベッドを雪の中に廃棄していたのを見たとき、なんて伯父どもだ! って我が身が凍りつきそうでした。ベッドって、確かに場所をくうけどさ~。何か被せるとか、そういう情けは見せてほしかったわいな。
お母様は・・・自民党が敗退した参院選も知らずに亡くなったのですね・・・。
きっと、新聞を読んで知っているのね・・・。
いいお供えじゃないですか。
by (2007-08-30 23:58)
*こぎんさま*
犬はストレスが大きかったらしく、ちょっと病気がちになってしまいました^^;
一部屋に閉じ込めていた猫は開放政策が徐々に進み、犬とも仲良くしている
んですよ~。それはよかったことの一つ…。
「弔う」ってことがどういうことなのかな~と思います。死んでいった人への
気持ちもあるでしょうが、残された人の気持ちもあるんでしょうね。
夫は私たちの弔い方は「そっけない」と言うんですが、義父が死んだとき、
葬儀までの間、自宅に遺体を安置していたわけですが、そのままにして
外食しに出かけたりしていたんですよ…。それってどうなのかなあ、と。
私たちは全然放っておけなく、姉なんか添い寝をしてましたもん(←これが泣ける;;)
まあ、感じ方の違いなんでしょうが…。
参院選…選挙には行きたがっていましたからねえ(笑)
でも今ではもう、だいぶ先のことまで知っているんだろうなと思います。
新聞を読みながら「ふふん」っと言っていそう。
by toro (2007-08-31 10:00)