養子縁組をした彼女と、親と決別しようとしている彼女 [つれづれ]
あるブログで、生まれたばかりの男の子と養子縁組をし、家族に迎え入れたという話を読んだ。
子どもは産めないだろうと思っていた彼女に、、、アメリカで、中国人と結婚し暮らしている彼女のもとに、その男の子の写真が届いた。
そして、その写真を見て、その男の子の家族になろうと決意したのだ。旦那様の照れながらも喜んでいる表情が目に浮かぶその文章は、幸せに満ち溢れていた。
いま、いろいろな法律の壁に悪戦苦闘しながら、「よく血のつながりのない子どもを家族にできるね」という言葉を浴びせられながら、でも彼女たちは頑張っている。
彼女たちには頑張ってもらいたい。そして幸せになって欲しいと願うばかりだ。
************
私も養子を考えたことがある。
子どもが産めないだろうとわかったとき、数%でしかなかったけれど、選択肢の一つとしてあった。
しかし、アメリカのように養子縁組が肯定的に迎え入れられていないこと。そしておそらく、、「よく血のつながりのない子どもを家族にできるね」という言葉ばかりが投げかけられるだろう、ということ。
とくに、こういうことに関しては夫の両親の反応が恐ろしいほどわかる。
「家族だから、わかりあえる」と信じて生きてきた人たちだ。
そんな人たちに養子という血のつながりのない、どんな素性かもわからない子どもを受け入れることはできないだろう。
こういう環境では無理だな、と思うとともに、私も勇気がなくて実現できなかったことである。
また、私とT君が最期を看取ったおばあさんも養女だった(大昔は頻繁に養子縁組はあったようだが)。それを知ってか知らずか、その家を彼女は守りきった。しかし、結婚もせず、天涯孤独のうちにこの世を去った。家を守るためだったのか、自分の出生を恨んでなのかはわからない。
結婚をせず、子どもを作らなかったということは、彼女の中の特別な意思が働いていたのだと思っている。
彼女の場合、養女であることがつらかったのだろう。だから、そういう生き方をしたのだと思う。
誰にも心を開くことはなかった。
そんなおばあさんを介護したことのある私は、やはり養子を迎えるということは難しいと判断した。
…日本では難し過ぎる。
************
また一方、あるブログで、小さいときから母親の愛情が感じられず、母親の存在そのものが苦痛になっているという女性の話を読んだ。
彼女は、その母親と決別するために行動に移したのだという。
私は思う。構うことも愛であれば、放り出すことも愛である。
放り出されて、そこで気づくこともあるのだ。
何でも構うことで解決するわけではない。なかには大きなお世話というものもある。
人には相性があり、タイミングもあり、またいろいろな方法論もある。
とにかく試してみるしかない。
そんな彼女のことも応援している。
*********************
私も、自分の心のうちで母親と決別した口である。
母親が大嫌いだった。一つのことをずっと継続してできない、母親が大嫌いだった。どれほど転職をしたか…。
何か面白いことをすれば「ほら、やっぱり私の子だから」という人だ。悪いことをしても「やっぱり私の子だから」という人である。
何をするにせよ、「私の子だから」という言葉で私を縛り付けてきた人である。
だけど、何一つやり遂げたもののない人なのだ。正義感が強く、「私がやらなくちゃ」と率先して新しいものを始める人であったが、気に入らないことがあるとすぐに捨ててしまうような人だ。
そんな人に「私の子だから」とずっと言われてきた私が、母親を好きになりようがない(笑)
だから、私は「母親が大嫌い」と思うことで、母親と決別した。
さすがにこの歳になると、うちの母も「私の子だから」とは言えなくなってきたので、面白いものである。
母親と私は全く違う生き方をしてきているのだから。
さすがに母もそれには気づいたようだ^^
(ちなみに、母親とは決別したけれど、いまは仲良くやっています)
**************************
世の中にはいろいろな家族の在り方がある。また、いろいろな生き方がある。
それらがどんなありようでも、どんな選択をしようが、彼らが幸せになるために考え、行動に移していることである。
余計なおせっかいはいらないと思う。
とにかく、私はみんなの幸せを祈るだけだ。
家族はひと言では言い切れないいろいろなものを抱えていますね。
家の母も養女に出された時代があって、大変苦労をしたようです。
といっても、母と祖母と親子2代、若くして後家になって、私は自分が3代目になるんじゃないかと心配でしたが、ま、なんとか今のところ大丈夫ですわ。
by (2005-09-20 20:59)
家族はいろんなカタチがある。
うちの実家も、うちの奥さん実家も
親は平穏な”家庭”を作る事が出来なかった。
こどもは欲しかった。大学病院にも通った。それでも出来なかった。
不自然な事をしてまで自分たちの子を授かろうなんて思えなかった。
だからといって自分たちの選ばなかった選択肢を否定はしない。
そこにはきっと確固たる決断があるだろうから。
by (2005-09-20 22:48)
うん、そう。いろんなカタチがありますね。
そして、家族でも、たとえ血のつながりがあっても、別の人間。相手を自分の望むように変えることはできないんだなあ、って思います。
それぞれの幸せを祈るばかりですね。
by こーさん (2005-09-20 23:54)
>こぎんさん。
養子に出された人間の側を考えると、う~んと考えてしまいます。それはそれで悩みが深い。しかし、家族というものの在り方を学べる一つの方法かもしれないとも思うし、だから、どうしたともいえず…難しいっすね。
現在、夫のT君が、私の父が他界したまさにその年齢を迎えていて、早く次の誕生日が来ないかとドキドキしているところです。きっと大丈夫と思っておりますが^^; やっぱり夫がいなくなると困るわけで…(ははは)。
>あくえるさん。
確固たる決断を前にして、否定の言葉を発するのは空しいだけですよねー。あとは信じるしかない。
子どもはやっぱりどんな形であれ、天からの授かりものなんだなあ、と思います。家族も…。
>こーさん。
そうそうそう。同感です。
ともあれ、彼女・彼らの幸せを祈るばかりです。
★★nice!&コメントをありがとうございました。
by toro (2005-09-21 13:34)