愛国心って…。 [つれづれ]
国を愛する心。「愛国心」という言葉は、911のテロ以来ずいぶんと聞かされてきた言葉だ。
私にしてみれば、「試験によく出る英単語」のはじめの方に出てくる英単語「Patriotism」のイメージが強い。受験勉強中、はじめに出てくるので必ずつぶやいていた英単語である。
実は愛国心という言葉はあまり好きではない。やはり、どこか偏りを感じてしまうからだろう。「試験によく出る英単語」を見るたび、「何でこんな言葉を覚えなくてはならないんだろう」と思ったものである。
しかし、911が起きてみてアメリカの報道を見聞きすると、「愛国心」という言葉がそこここで聞かれるようになり、「なるほど」と思わざるを得なかった。
わりと一般的に使用されている言葉なんだ。
でも私は使わない。国を愛する心がないというわけではない。きちんと納税もしているし、ゴミ出しだってちゃんとする。こうして一地方のちっちゃなちっちゃな国民かもしれないけれど、国のために義務を果たしていると思う。地方自治にだって興味はある。それはやはり心のどこかで国を愛しているからだと思う。自分が暮らしているこの場所は嫌いではない。嫌いであったら暮らし続けていないだろう。
でも「愛国心」という言葉は使わない。
本当は「愛国心」というのは当たり前なことなのだと思う。あえて言う必要のない言葉なのではないかと思う。では、なんで他国ではこんなに使われているのか。
思うに、「愛国心」という言葉で、実は人の心が試されているのではないだろうかということだ。
愛国心を「忠誠心」で測り、忠誠を誓ったもの同士が愛国という言葉のもとに一致団結し、大きな動きやうねりに変化させるのだろう。(※)香港に暮らす人のブログを読んでいたら、「中国人は愛国心を反日感情で測っている」というくだりがあった。まさに!
愛されているのか、愛されていないのか、どちらかわからない得も言われぬ不安感を払拭するために愛国という言葉のもとに人は集まってしまうのではないか。
そして愛していることを証明するために敵をつくり出し、敵を攻撃することで愛を表現する。
ごくごく自然に愛を感じていれば、こんな思いに捕らわれることはないと思う。本当に愛があれば、敵も愛するのではないのか。それより敵をつくる気も起きないと思う。
こんな考えをもとにしてみると、中国の人たちが持っている「反日感情」やアメリカの人たちが持っている「恐怖心」の根源というのが垣間見えてくる。
心を試さないといられないんだな。愛国心教育だってその一端を担っているといってもいい。教育されながら試されているのだ。一方でその気持ちを利用してはいるのだけれど。(一種のマインドコントロールだね)
これでいいのかな。
私はこんな形で試されたくはないし、試したくもない。
日本を愛しているなら、中国を憎め…って言われたらどうする?
試してみなくては「愛」はわからないというのか。
※この背景を考えるともっと詳細に論じなくてはならないと思う。だけれど、それを論じていこうとすると膨大になってしまいそうなのだ。う~ん、相変わらず強引な結論で短気だなあ(笑)。なので、この文章はちょっとずついじくられていくかもしれません^^;
ついでをいうと、私は宗教家でもなんでもない。特定の宗教には属していない…あっ仏教徒ではあるか。。。はい。お寺に代々のお墓があります。
※共産党は日本ではLEFTだけど、中国ではRIGHTになるのよね。国も変われば…ということが非常に興味深い。
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