「生きづらい」は「生きにくい」だ [つれづれ]
「生きづらい世の中になった」という言葉にいまだこだわっている。
そこで、「生きづらい」を「生きにくい」に置き換えてみたら、分かりやすくなった。
「生きづらい」と書くと「生きるのがつらい」というように誤解してしまうから、個人的な感情が強くなっていると思ってしまうのだ。「生きるのがつらい世の中になった」では、まるで日本国民総うつ病みたいな印象を受けるものね^^;
しかし「~づらい」は「~しにくい」の意味であるから、ひとまず「生きにくい」と置き換えて考えてみると、なるほど分かりやすい。
「生きにくい世の中になった」といったとき、規制や目の前に立ちはだかる壁、目に見えない切迫感とか、そういうものがあって「いまの世の中は生きにくくなった」ということがわかってくる。
そういう思いがあって「生きづらい世の中になった」というのであれば、納得がいく。
はい、理解が遅いです…誤解していました(笑)
規制や立ちはだかる壁、切迫感がなくなったら、確かに生きやすくなるのだろうとは思う。
だけど、結局それからはモラルの問題なんかが出てくるんだろうな。そして、人としての在り方をどのように考えるか、ということだ。
規制がなくなって、壁もなくなって、何をやってもいいという状況になったら、タガが外れた人になる可能性もある。それをせき止めるのが、モラルやその人の持つ人間性なんだろう。
じゃあ、人間性って何さ…ってな話になるけれど。
これを突き詰めていくと、宗教的な話にもなってくると予想されるので、そこまで考えるのは非常に面倒くさいのでやめた。
根性なしです、はい(笑)
なんかさー、いま外注さんとお金のことでもめてて、いやになっちゃって。
最初の言い値を少なめに見積もった私も悪いかもしれないけど、まるっきり折半でお金を受け取れると思っている外注さんもどうだろうか…ってな感じなんです。
ふ~。これでまたひとり友だちを失くしたな(笑)
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