こんにちは、2013年 [日記]
あけましておめでとうございます。
松の内も明け、昨日からすっかり通常運転に戻りました。
今朝は今年初のお弁当を作ったりして、もう2013年であるわけで、しっかりと地に足をつけて行かねばと思っています。
そして毎日を慈しみながら、丁寧に生きて行ければいいなと。
それから毎日が感謝ですね。生かしてくれてありがとう、と…。生きていることに感謝です。
さて、年末年始のこと。
毎年恒例の我が家での宴会を終え(これはかなり疲れました。年を重ねるごとに、疲労の度合いが高くなり、あまりお酒も飲めなくなりました^^;)、毎年恒例の寒川神社でのお祓いに行ってきました。
大晦日、大祓いの日に、一年のさまざまな穢れを祓ってもらおうと、我が家では続けていることです。
もちろん寒川さんでは、毎年のようにねぶたが飾られるわけで、昨年で干支ねぶたは終了のようでした。これは圀ができるところまでを表したもののようです。古事記かな? 壮大です。
このねぶたを見るたびに思い出すのはこぎんさんのことで、あちらで元気に活躍してると思うのですが、少しさびしい思いに駆られてしまいます。
さあさあ、そして今年も祓ってもらってすっきりと清々しい気持ちで新年。
元旦の日は、注文しておいたおせちを担いで、箱根の温泉に行ってきました。なんだか贅沢(笑)
たまたま夫T君が会社の持つリゾートホテルに宿泊する権利を当ててしまい、これ幸いと温泉に浸かったのでした。
ただ、猫のTBちゃんがいるので、夕方に出かけていき、午前中には帰ってくるというスケジュール。ま、同じ県内に暮らすメリットでもあるわけで、日帰りでも可能なところなのだから有意義に使わせてもらいました。
おせちもデパートに注文しておいてよかったわ。そのまま持って行けたしね^^;
そんなわけでひたすら元旦の日は寝正月と決め込み、ダラダラと過ごしていました。
翌2日。
箱根ですから駅伝ですよ。選手が走ってきてしまいます。その前に下山しなければと、そそくさと朝食をとり、帰り支度。
でもその前に、富士屋ホテルにパンを買いに行って、駅伝ののぼりを撮影。
T君の母校も出場しているので、その大学のグッズも買っちゃったりして(笑)
帰ってきてからTVで駅伝観戦。やっぱり山(5区)が面白かったですね。
専門家に聞けば、あんなところを走るのはおかしい、と言うくらい大変なところであり、大変な距離のようなのですが、観ているほうは一番面白くて…。ぼうっと始終、観てしまいました。
…………
4日は初ゴルフ。寒いったらないところ、120を切れたからよかったじゃん、私^^;
で、一昨日の6日にようやく初詣に行ってきました。
巳年の平成25年(2013年)。巳にゆかりのある神社といえば「銭洗弁天 宇賀福神社」ということで、前年の龍口寺へのお礼参りののちに、江ノ電に揺られて行ってきました。
すごい人です^^; 参拝するのに並んでいるし…。銭を洗うザルもお金を取るようになっているし…。
う~む、と思いつつ、銭を洗うには並ばなくてもいいようだったので、銭だけ洗って出てきてしまいました。人多すぎ。
参拝は改めて、平日にでも一人で行ってこようと思います。
それからテケテケと歩いて行った先は…。
何だか、これがすべてっていう感じでした。
やっぱり大仏様の存在は大きい。かっこいい。
元旦の日には箱根に行く道すがら、富士山も拝めて、その後は鎌倉の大仏様も拝むことができて、どっしりとした気分になれました。
大きいのはいいなあ。
私は、大晦日の寒川神社でおみくじを引くようにしています。ここ数年は「待て」とか「あわてず騒がず」とか、そんなようなことを書かれていた気がするのですが、今回はちょっと違いました。
大吉だったことも久しぶりだったのですが、「風のまにまに」と書かれていて、とりあえず流されてもたどり着くというようなニュアンスだったのです。
うわ~、それって得意なことだわ、と(笑)
商いやその他のことはボチボチというように書かれていましたが、「願いは叶う」という文言を読んで、「よしっ!」と思いました。
今年は頑張れそうです。
そんなこんなの年末年始。
こんにちは、2013年。
今年もよろしくお願い申し上げます。
松の内も明け、昨日からすっかり通常運転に戻りました。
今朝は今年初のお弁当を作ったりして、もう2013年であるわけで、しっかりと地に足をつけて行かねばと思っています。
そして毎日を慈しみながら、丁寧に生きて行ければいいなと。
それから毎日が感謝ですね。生かしてくれてありがとう、と…。生きていることに感謝です。
さて、年末年始のこと。
毎年恒例の我が家での宴会を終え(これはかなり疲れました。年を重ねるごとに、疲労の度合いが高くなり、あまりお酒も飲めなくなりました^^;)、毎年恒例の寒川神社でのお祓いに行ってきました。
大晦日、大祓いの日に、一年のさまざまな穢れを祓ってもらおうと、我が家では続けていることです。
もちろん寒川さんでは、毎年のようにねぶたが飾られるわけで、昨年で干支ねぶたは終了のようでした。これは圀ができるところまでを表したもののようです。古事記かな? 壮大です。
このねぶたを見るたびに思い出すのはこぎんさんのことで、あちらで元気に活躍してると思うのですが、少しさびしい思いに駆られてしまいます。
さあさあ、そして今年も祓ってもらってすっきりと清々しい気持ちで新年。
元旦の日は、注文しておいたおせちを担いで、箱根の温泉に行ってきました。なんだか贅沢(笑)
たまたま夫T君が会社の持つリゾートホテルに宿泊する権利を当ててしまい、これ幸いと温泉に浸かったのでした。
ただ、猫のTBちゃんがいるので、夕方に出かけていき、午前中には帰ってくるというスケジュール。ま、同じ県内に暮らすメリットでもあるわけで、日帰りでも可能なところなのだから有意義に使わせてもらいました。
おせちもデパートに注文しておいてよかったわ。そのまま持って行けたしね^^;
そんなわけでひたすら元旦の日は寝正月と決め込み、ダラダラと過ごしていました。
翌2日。
箱根ですから駅伝ですよ。選手が走ってきてしまいます。その前に下山しなければと、そそくさと朝食をとり、帰り支度。
でもその前に、富士屋ホテルにパンを買いに行って、駅伝ののぼりを撮影。
T君の母校も出場しているので、その大学のグッズも買っちゃったりして(笑)
帰ってきてからTVで駅伝観戦。やっぱり山(5区)が面白かったですね。
専門家に聞けば、あんなところを走るのはおかしい、と言うくらい大変なところであり、大変な距離のようなのですが、観ているほうは一番面白くて…。ぼうっと始終、観てしまいました。
…………
4日は初ゴルフ。寒いったらないところ、120を切れたからよかったじゃん、私^^;
で、一昨日の6日にようやく初詣に行ってきました。
巳年の平成25年(2013年)。巳にゆかりのある神社といえば「銭洗弁天 宇賀福神社」ということで、前年の龍口寺へのお礼参りののちに、江ノ電に揺られて行ってきました。
すごい人です^^; 参拝するのに並んでいるし…。銭を洗うザルもお金を取るようになっているし…。
う~む、と思いつつ、銭を洗うには並ばなくてもいいようだったので、銭だけ洗って出てきてしまいました。人多すぎ。
参拝は改めて、平日にでも一人で行ってこようと思います。
それからテケテケと歩いて行った先は…。
何だか、これがすべてっていう感じでした。
やっぱり大仏様の存在は大きい。かっこいい。
元旦の日には箱根に行く道すがら、富士山も拝めて、その後は鎌倉の大仏様も拝むことができて、どっしりとした気分になれました。
大きいのはいいなあ。
私は、大晦日の寒川神社でおみくじを引くようにしています。ここ数年は「待て」とか「あわてず騒がず」とか、そんなようなことを書かれていた気がするのですが、今回はちょっと違いました。
大吉だったことも久しぶりだったのですが、「風のまにまに」と書かれていて、とりあえず流されてもたどり着くというようなニュアンスだったのです。
うわ~、それって得意なことだわ、と(笑)
商いやその他のことはボチボチというように書かれていましたが、「願いは叶う」という文言を読んで、「よしっ!」と思いました。
今年は頑張れそうです。
そんなこんなの年末年始。
こんにちは、2013年。
今年もよろしくお願い申し上げます。
そしてsakura [日記]
もと農業用水路だったところが遊歩道になったり、水道管が埋まっているところを遊歩道にしたりと、遊歩道の多い町に住んでいるといまさらながら気がついたけど、「さくらの散歩道」と命名されている遊歩道がある。
それもいろんな種類の桜があってソメイヨシノもあるのだけれど、メインはゴージャスな八重桜で、いまがまさに見ごろ。
ソメイヨシノが散って葉桜になったころにようやく満開になるのです。
あんまりゴージャスな八重桜は好きではなかったのだけど、これはこれでいいなあと思う妙齢のオバサンになってきました(笑)
で、こんなに天気がよく、気温もぐんぐん上がっている今日。写真を撮っておかないと、これまた散ってしまうっていうんで行ってきました。
いい天気だねえ。
逆光気味が続きますが…^^;
こんなにたっぷり咲いて、トンネルのようになっています。
桜の花びらの絨毯ができているところも。
芝桜とともに自分も撮ってみた^^;
これを見ると、バラだと思うわねえ~。
ちょっと黄色がかった八重桜もあります。
これは「ウコン」という名がついていました。
八重桜もいくつか種類があって、それぞれ名前がついているのでしょうが、よくわかりません^^;
しかし、桜っていうのはどうしてこうもありがたく感じるのでしょうかね。拝みたくなってしまうから不思議です。
ちゃんと季節が巡り巡ってきているからなんだな、と思うのですが、自分が生きてきている年月も感じられるからかもしれませんね。
来年も再来年も、もっと先も、平和で、そしてみんなで綺麗な桜の花が見られますように。
桜の散歩道は、場所によっては整備されていないところがあって、それはそれで味がある遊歩道なのでした。(私は変に整備されているのが好きではなく、こういう↑感じのほうが好きなんですけどね。こちら側の桜はすっかり終わっていました)。
まあ、最近もモソモソと一体苦労っていうのはなんなんだ、試練ってどうとらえたらいいのさ…。なんてことを考えたりもしているのですが、またグチュグチュと書かせてもらうと思います。
ちょっと腰を落ち着けなくちゃな。
はい。
おしまい。
それもいろんな種類の桜があってソメイヨシノもあるのだけれど、メインはゴージャスな八重桜で、いまがまさに見ごろ。
ソメイヨシノが散って葉桜になったころにようやく満開になるのです。
あんまりゴージャスな八重桜は好きではなかったのだけど、これはこれでいいなあと思う妙齢のオバサンになってきました(笑)
で、こんなに天気がよく、気温もぐんぐん上がっている今日。写真を撮っておかないと、これまた散ってしまうっていうんで行ってきました。
いい天気だねえ。
逆光気味が続きますが…^^;
こんなにたっぷり咲いて、トンネルのようになっています。
桜の花びらの絨毯ができているところも。
芝桜とともに自分も撮ってみた^^;
これを見ると、バラだと思うわねえ~。
ちょっと黄色がかった八重桜もあります。
これは「ウコン」という名がついていました。
八重桜もいくつか種類があって、それぞれ名前がついているのでしょうが、よくわかりません^^;
しかし、桜っていうのはどうしてこうもありがたく感じるのでしょうかね。拝みたくなってしまうから不思議です。
ちゃんと季節が巡り巡ってきているからなんだな、と思うのですが、自分が生きてきている年月も感じられるからかもしれませんね。
来年も再来年も、もっと先も、平和で、そしてみんなで綺麗な桜の花が見られますように。
桜の散歩道は、場所によっては整備されていないところがあって、それはそれで味がある遊歩道なのでした。(私は変に整備されているのが好きではなく、こういう↑感じのほうが好きなんですけどね。こちら側の桜はすっかり終わっていました)。
まあ、最近もモソモソと一体苦労っていうのはなんなんだ、試練ってどうとらえたらいいのさ…。なんてことを考えたりもしているのですが、またグチュグチュと書かせてもらうと思います。
ちょっと腰を落ち着けなくちゃな。
はい。
おしまい。
sakura,sakura,sakura [日記]
小春日和というよりも、初夏を思わせる気温になった火曜日。翌日はまた春の嵐になるという予報を聞いて、「こりゃ桜の花が散ってしまう」と思い、近所をウロウロして桜の花の写真を撮ってきました。
今年はいつものお花見宴会がなく、夫T君と2人で「どーするか…」とつぶやいていたのだけれど、結局、花見酒を楽しむきっかけを作れずに終わってしまいそうです。(今週末はまだチャンスがあるかな^^;)。
先週末は、飲み屋さんグループが結成している野球チームの公式試合があるというので、「ちょっと見に行こうか」と車を走らせたのだけど、野球場に着く前にさっさと野球場をあとにするメンバーの車を発見。「あ、もう終わったんだ」と思って野球観戦も諦めたのでした。なんと3回コールドで負けを喫したらしい…。どれだけ打たれたんだって(笑)
てなわけで、その近所を散歩したものの、桜の木がないところだったので、味気ない週末散歩になってしまったのでした。
ちょっとツイてなかった^^;
そうして火曜日ですよ。
郊外にある我が家の近所には、庭に立派な桜の木があるお宅が何軒かあり、これだけ見ても毎年見事だな~と思っています。
樹齢でいうと何年くらいなんだろうなあ~。
こんな愛らしい桜も。
そして穴場的な桜並木が、実家(姉の家)の近くにあるのでした。植えたのはもう30年以上は前のことなんだと思います。だんだんと成長して、ここ数年でようやく見事な桜並木になりつつあります。
せっかくの桜並木なのだから、ちょっと楽しめるような場所にすればいいのに…と思うのですが、商業地域でも遊歩道でもなく、企業や工場などが建ち並ぶ道路が並木道になっているので、桜祭りのようなことを行うわけでもなく。
ただ近所の人が楽しむ桜並木になっているのでした。
かなり穴場です。
ここを車で通ぬけるだけでもいいかも。
ということで、今年は1人でテケテケ歩いて桜を楽しんだのでした。
やっぱり日本人だったら桜の花を楽しまなくちゃね~。
おしまい。
今年はいつものお花見宴会がなく、夫T君と2人で「どーするか…」とつぶやいていたのだけれど、結局、花見酒を楽しむきっかけを作れずに終わってしまいそうです。(今週末はまだチャンスがあるかな^^;)。
先週末は、飲み屋さんグループが結成している野球チームの公式試合があるというので、「ちょっと見に行こうか」と車を走らせたのだけど、野球場に着く前にさっさと野球場をあとにするメンバーの車を発見。「あ、もう終わったんだ」と思って野球観戦も諦めたのでした。なんと3回コールドで負けを喫したらしい…。どれだけ打たれたんだって(笑)
てなわけで、その近所を散歩したものの、桜の木がないところだったので、味気ない週末散歩になってしまったのでした。
ちょっとツイてなかった^^;
そうして火曜日ですよ。
郊外にある我が家の近所には、庭に立派な桜の木があるお宅が何軒かあり、これだけ見ても毎年見事だな~と思っています。
樹齢でいうと何年くらいなんだろうなあ~。
こんな愛らしい桜も。
そして穴場的な桜並木が、実家(姉の家)の近くにあるのでした。植えたのはもう30年以上は前のことなんだと思います。だんだんと成長して、ここ数年でようやく見事な桜並木になりつつあります。
せっかくの桜並木なのだから、ちょっと楽しめるような場所にすればいいのに…と思うのですが、商業地域でも遊歩道でもなく、企業や工場などが建ち並ぶ道路が並木道になっているので、桜祭りのようなことを行うわけでもなく。
ただ近所の人が楽しむ桜並木になっているのでした。
かなり穴場です。
ここを車で通ぬけるだけでもいいかも。
ということで、今年は1人でテケテケ歩いて桜を楽しんだのでした。
やっぱり日本人だったら桜の花を楽しまなくちゃね~。
おしまい。
8年目! [日記]
ココデアッタガウンノツキ!
て、何やわからん始まりですが、このブログが8年目を迎えました。
ぱちぱちぱちぱち(笑)
「継続は力なり」と続けているこのブログ。
まだまだ続けます。
何と言われようと続けます。
始めたころは、海のものとも山のものともわからずに、「インターネットについに参入!」という感じであり、非常に感慨深いものがありますが、いまや楽しみの一つ(生活の一部)となっているので、やめるにやめられない…なんていうこともあります(笑) …ここでしかできない毒吐きもありますからねえ~^^;
一昨日、学生時代の友人2人とおよそ30年ぶりに再会しました。
短大を卒業後、年賀状のやりとりだけで交流をしていた友人です。
私自身、短大時代というのはあまりよい記憶がなく、、、。
実際に自分が入りたいと思っていた短大ではなかったし、本当は浪人でもすればよかったのかもしれないけれど、そこまでして大学にというものに執着はなく(家には資金もなく)、面倒くさくなって入学をしたという側面があって、とってもいい加減な学生時代を送っていました。
さらに同窓生に凶悪な事件を起こした犯罪者が生まれたりして、いい印象が残っておらず、結局、その時代の友人たちとの付き合いも、そんな背景から疎遠になったのです。
勉強したことも生かされているようなされていないような…。それくらい勉強もしなかったし、「一体私は何を学んだんだろうか」と思い出そうとしてもあまり思い出せないくらいです。
それくらいひどい学生でした。
なので、およそ30年ぶりとはいえ、よくぞ再会した! と思っています。
その友人たちとの連絡方法というのが…(笑)
まずは1人の友人から固定電話に電話がかかってきました。「toroの家のほうまで行く用事があるから会わない?」というものでした。
その日はあいにく都合が悪くて会えなかったのですが、それからメールのやりとりが始まりました。そして再会するまでに至ったのですが…。
もう1人の友人というと、年賀状のやりとりしかしていません。そしてその年賀状には住所しか記されておらず、固定電話も携帯電話も、メールアドレスもわかりません。
となると、連絡をとるにもとれない! と。
「これは一番アナログな手紙でいくしかないな」と。
手紙を書きましたよ^^;
そうして、おそらくPCや携帯電話でメールを利用しているだろうから、「メールをちょうだい」と手紙にしたため、メールが来るのを待ちました。
それで待っていると、手紙を送った5日ほどあとにメールが届きました。
「ちょっとちょっと、何やってんのよ~!」って感じです(笑)
それからは、メールのやりとりですぐに連絡が取れるようになり、ついに一昨日会うまでになったのです。
会えば「携帯電話も、パソコンも、インターネットもない時代に学生だったんだよね~」という話題で盛り上がりました。当然ですね。
「昔はどうやって待ち合わせをしたんだっけ…」とか。
ちなみに現在、1人は自宅で細々とデザインの仕事をしており、もう1人はDTPの仕事をしています。
「版下は手で貼っていたんだよね~」とか、「写植だよ、写植…」と、とってもアナログなことを言って大爆笑。いまでは考えられない仕事をしていました。
PCでデザインをするということが始まったのは20年くらい前だったかと思います。大阪で勤めていた会社にマックが導入されて、デザイナーがそれでデザインを始めたのを覚えています。「ディスプレイを見ながらのデザインでは、チマチマしたものしかできひんなあ」とデザイナーが言っていたのが印象的でした。
そして私がパソコンを本格的に使い始めたのは、16年前ですね…。
(その前には自宅にNECの98があったのですが、テキトーにゲームをするくらいでほとんど使う必要もなく、文章も手書きでせっせと原稿用紙に文字を埋めるという作業をしていました。)
京都から引っ越してきて、その後就職した会社が、「これからはパソコンが使えなくちゃいかん」という会社だったので、しっかりとWord、Excel、そしてネット通信と覚えていきました。
まだ、原稿の入稿がフロッピーディスクという時代ではありましたが…。
そして自宅では、電話回線でネットに繋ぐようになり、メールも少しずつ始めていたように思います。まだパソコン通信と言われていたときでしょうか。ユーザーになるために、権利か何かを購入しましたね。
ただ、まだそうそうと普及はしていなかったので、パソコン通信でほとんど人と交流することもなく、wwwの時代へと突入したのでした。
会社では、もうざっくざくとインターネットを使いまくっていましたが、自宅でインターネットを頻繁に使うようになったのは12、3年くらい前かな…。それでもまだ電話回線で、FAXと同じような「ピーヒュルヒュル~」と言わせてメールを送っていたりしましたね~。
いまのPCに2001年の日付のメールが残っているので、その頃からは自宅でも普通にネットに繋いでやりとりをしていたのだろうと想像できます(実はあんまり記憶がなく、いつの間にかこういうことは普通になっていました^^;)。
以前では考えられない、インターネットに繋ぎっぱなしの生活になり、当然の如く各部屋には家庭内LAN。そしていまやwifiで家中電波が飛んでいます(笑)
どこでも繋がっている状態。
改めて考えるとビックリです。
そんななか、およそ30年ぶりの友人との再会ですから、不思議でなりませんでした。
というわけで、ブログは8年目に突入となりました。
7年前は…と思い出しても、およそ30年前の友人と話をしたのと同じくらい昔の話になってしまいそうで、月日が経つのは早い!と、そんなことを思います。
でも基本は変わらず。友人たちの基本も変わっていませんでしたから、変わるのは環境だけなんだと実感しています。
と思うと、あんまり気にすることも、思い悩むこともないな…なんてね。
今後もお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
おしまい。
あ、そうそう。
昨日、クレイジーケンバンドの新しいアルバムが発売されました!
(アフィリエイトではありません)
閏年の閏日に発売するなんて、剣さんらしいわ~。
昨日はNHKにも出ていたし。
これからじっくりと聞き込もうと思っております。ィいいねっ!
て、何やわからん始まりですが、このブログが8年目を迎えました。
ぱちぱちぱちぱち(笑)
「継続は力なり」と続けているこのブログ。
まだまだ続けます。
何と言われようと続けます。
始めたころは、海のものとも山のものともわからずに、「インターネットについに参入!」という感じであり、非常に感慨深いものがありますが、いまや楽しみの一つ(生活の一部)となっているので、やめるにやめられない…なんていうこともあります(笑) …ここでしかできない毒吐きもありますからねえ~^^;
一昨日、学生時代の友人2人とおよそ30年ぶりに再会しました。
短大を卒業後、年賀状のやりとりだけで交流をしていた友人です。
私自身、短大時代というのはあまりよい記憶がなく、、、。
実際に自分が入りたいと思っていた短大ではなかったし、本当は浪人でもすればよかったのかもしれないけれど、そこまでして大学にというものに執着はなく(家には資金もなく)、面倒くさくなって入学をしたという側面があって、とってもいい加減な学生時代を送っていました。
さらに同窓生に凶悪な事件を起こした犯罪者が生まれたりして、いい印象が残っておらず、結局、その時代の友人たちとの付き合いも、そんな背景から疎遠になったのです。
勉強したことも生かされているようなされていないような…。それくらい勉強もしなかったし、「一体私は何を学んだんだろうか」と思い出そうとしてもあまり思い出せないくらいです。
それくらいひどい学生でした。
なので、およそ30年ぶりとはいえ、よくぞ再会した! と思っています。
その友人たちとの連絡方法というのが…(笑)
まずは1人の友人から固定電話に電話がかかってきました。「toroの家のほうまで行く用事があるから会わない?」というものでした。
その日はあいにく都合が悪くて会えなかったのですが、それからメールのやりとりが始まりました。そして再会するまでに至ったのですが…。
もう1人の友人というと、年賀状のやりとりしかしていません。そしてその年賀状には住所しか記されておらず、固定電話も携帯電話も、メールアドレスもわかりません。
となると、連絡をとるにもとれない! と。
「これは一番アナログな手紙でいくしかないな」と。
手紙を書きましたよ^^;
そうして、おそらくPCや携帯電話でメールを利用しているだろうから、「メールをちょうだい」と手紙にしたため、メールが来るのを待ちました。
それで待っていると、手紙を送った5日ほどあとにメールが届きました。
「ちょっとちょっと、何やってんのよ~!」って感じです(笑)
それからは、メールのやりとりですぐに連絡が取れるようになり、ついに一昨日会うまでになったのです。
会えば「携帯電話も、パソコンも、インターネットもない時代に学生だったんだよね~」という話題で盛り上がりました。当然ですね。
「昔はどうやって待ち合わせをしたんだっけ…」とか。
ちなみに現在、1人は自宅で細々とデザインの仕事をしており、もう1人はDTPの仕事をしています。
「版下は手で貼っていたんだよね~」とか、「写植だよ、写植…」と、とってもアナログなことを言って大爆笑。いまでは考えられない仕事をしていました。
PCでデザインをするということが始まったのは20年くらい前だったかと思います。大阪で勤めていた会社にマックが導入されて、デザイナーがそれでデザインを始めたのを覚えています。「ディスプレイを見ながらのデザインでは、チマチマしたものしかできひんなあ」とデザイナーが言っていたのが印象的でした。
そして私がパソコンを本格的に使い始めたのは、16年前ですね…。
(その前には自宅にNECの98があったのですが、テキトーにゲームをするくらいでほとんど使う必要もなく、文章も手書きでせっせと原稿用紙に文字を埋めるという作業をしていました。)
京都から引っ越してきて、その後就職した会社が、「これからはパソコンが使えなくちゃいかん」という会社だったので、しっかりとWord、Excel、そしてネット通信と覚えていきました。
まだ、原稿の入稿がフロッピーディスクという時代ではありましたが…。
そして自宅では、電話回線でネットに繋ぐようになり、メールも少しずつ始めていたように思います。まだパソコン通信と言われていたときでしょうか。ユーザーになるために、権利か何かを購入しましたね。
ただ、まだそうそうと普及はしていなかったので、パソコン通信でほとんど人と交流することもなく、wwwの時代へと突入したのでした。
会社では、もうざっくざくとインターネットを使いまくっていましたが、自宅でインターネットを頻繁に使うようになったのは12、3年くらい前かな…。それでもまだ電話回線で、FAXと同じような「ピーヒュルヒュル~」と言わせてメールを送っていたりしましたね~。
いまのPCに2001年の日付のメールが残っているので、その頃からは自宅でも普通にネットに繋いでやりとりをしていたのだろうと想像できます(実はあんまり記憶がなく、いつの間にかこういうことは普通になっていました^^;)。
以前では考えられない、インターネットに繋ぎっぱなしの生活になり、当然の如く各部屋には家庭内LAN。そしていまやwifiで家中電波が飛んでいます(笑)
どこでも繋がっている状態。
改めて考えるとビックリです。
そんななか、およそ30年ぶりの友人との再会ですから、不思議でなりませんでした。
というわけで、ブログは8年目に突入となりました。
7年前は…と思い出しても、およそ30年前の友人と話をしたのと同じくらい昔の話になってしまいそうで、月日が経つのは早い!と、そんなことを思います。
でも基本は変わらず。友人たちの基本も変わっていませんでしたから、変わるのは環境だけなんだと実感しています。
と思うと、あんまり気にすることも、思い悩むこともないな…なんてね。
今後もお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
おしまい。
あ、そうそう。
昨日、クレイジーケンバンドの新しいアルバムが発売されました!
(アフィリエイトではありません)
閏年の閏日に発売するなんて、剣さんらしいわ~。
昨日はNHKにも出ていたし。
これからじっくりと聞き込もうと思っております。ィいいねっ!
現代を発掘する人 [日記]
その昔、某美術系の学校の、赤瀬川源平さんによる考現学教室というところに通っていました。
考現学とは、wikiによると『現代の社会現象を場所・時間を定めて組織的に調査・研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問。考古学をもじってつくられた造語、モデルノロジー』。
今和次郎さんという先生が始められた学問なのですが、今和次郎さんはももともと民俗や建築に関する研究を行っていた人のようで、後に関東大震災後に建ち始めたバラック建築をスケッチし始めたことから、都市の風俗や、その時代の生活様式まで観察を始め、それが考現学にいたったということのようです。
「考古学」に対して「考現学」といったらわかりやすいでしょうか。
古くを発掘するのではなく、現代を発掘するという感じかと思います。
その考現学を、およそ30年前に学んだ私ですが、新橋はパナソニック汐留ミュージアムで「今和次郎採集講義 展」が開催されていると知って、いそいそと出かけていきました。
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/12/120114/
そのおよそ30年前の考現学教室では、自分たちでも現代を発掘しようと街に出て観察をするということをしました。
例えば、まず電車に乗ると、どの座席からふさがっていくか、とか。いまほかをちょっと思いつかないですが、そんなことを調べに街に出ていました。
今和次郎さんの調べでは、中学生の洋服の破れ箇所はどこかとか。女性の結髪調べとか、茶碗の欠けている箇所調べとか、そんなものがあります。
何が面白いのかと言われればそれまでなのですが、日常の生活のなかで、当たり前なことなんだけど改めて見てみると、「そうかこんなことがあるのか」と発見させられる、そんな面白みがあると思います。
今和次郎さんについては、私の勉強不足。この展覧会で初めて知ったようなものなのですが、民家を見て歩くということを、考現学を始める前にされていたのでした。全国津々浦々の民家を見て歩いて、スケッチして採集しています。
民家を見て、そこで生活も見る、考察する、というようなことを繰り返していたようです。
民家の間取りを書いたものなどもあって、それがなかなか面白い。歴史に残っている出来事を知るより、昔の家の間取りを見たほうが人々の生活というのはわかるものです。
いまとなっては貴重な資料だと思いました。
そしてこの時期だからこそ、ありがたい資料となったのは、関東大震災後の東京の建築をスケッチしたものではないかと思います。
銀座のバラック建設のスケッチを見ると、人々の復興へ向けるエネルギーを感じますし、バイタリティのある日本人を感じます。
いや、日本人てばこれだけ頑張ってきているんだと。
写真や文献だけでなく、人の手によるスケッチというのは、人に語りかけるものがあると感じました。
面白かったです。
何にもなかった汐留も、ずいぶんと変わりましたね~。
おしまい。
考現学とは、wikiによると『現代の社会現象を場所・時間を定めて組織的に調査・研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問。考古学をもじってつくられた造語、モデルノロジー』。
今和次郎さんという先生が始められた学問なのですが、今和次郎さんはももともと民俗や建築に関する研究を行っていた人のようで、後に関東大震災後に建ち始めたバラック建築をスケッチし始めたことから、都市の風俗や、その時代の生活様式まで観察を始め、それが考現学にいたったということのようです。
「考古学」に対して「考現学」といったらわかりやすいでしょうか。
古くを発掘するのではなく、現代を発掘するという感じかと思います。
その考現学を、およそ30年前に学んだ私ですが、新橋はパナソニック汐留ミュージアムで「今和次郎採集講義 展」が開催されていると知って、いそいそと出かけていきました。
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/12/120114/
そのおよそ30年前の考現学教室では、自分たちでも現代を発掘しようと街に出て観察をするということをしました。
例えば、まず電車に乗ると、どの座席からふさがっていくか、とか。いまほかをちょっと思いつかないですが、そんなことを調べに街に出ていました。
今和次郎さんの調べでは、中学生の洋服の破れ箇所はどこかとか。女性の結髪調べとか、茶碗の欠けている箇所調べとか、そんなものがあります。
何が面白いのかと言われればそれまでなのですが、日常の生活のなかで、当たり前なことなんだけど改めて見てみると、「そうかこんなことがあるのか」と発見させられる、そんな面白みがあると思います。
今和次郎さんについては、私の勉強不足。この展覧会で初めて知ったようなものなのですが、民家を見て歩くということを、考現学を始める前にされていたのでした。全国津々浦々の民家を見て歩いて、スケッチして採集しています。
民家を見て、そこで生活も見る、考察する、というようなことを繰り返していたようです。
民家の間取りを書いたものなどもあって、それがなかなか面白い。歴史に残っている出来事を知るより、昔の家の間取りを見たほうが人々の生活というのはわかるものです。
いまとなっては貴重な資料だと思いました。
そしてこの時期だからこそ、ありがたい資料となったのは、関東大震災後の東京の建築をスケッチしたものではないかと思います。
銀座のバラック建設のスケッチを見ると、人々の復興へ向けるエネルギーを感じますし、バイタリティのある日本人を感じます。
いや、日本人てばこれだけ頑張ってきているんだと。
写真や文献だけでなく、人の手によるスケッチというのは、人に語りかけるものがあると感じました。
面白かったです。
何にもなかった汐留も、ずいぶんと変わりましたね~。
おしまい。
温泉、天狗様、どんど焼き [日記]
お腹にくる風邪に罹ってしまい、調子が狂っちゃいました^^;
今日は土曜日だけれど、夫T君が出社しているので、鬼のいぬまの更新です(笑)
(今朝の地震にはビックリしましたね…富士山…関係ないとはいうけれど…^^;)
さて2週間前のことを…。年末から「温泉に行きたい、温泉に行きたい」と呪文のように唱えていた私でしたが、新車を運転したいT君と利害が一致して、日帰り温泉に連れて行ってもらいました。「やった~! あったまれる~!」てな具合に。
じゃあ、どこへ行こうかと調べまくり、「松の内が明けたとはいえ箱根は混んでいるだろうし、混んでいないところとなると…」とブツブツ言いながらネットサーフィン。「なるべく大人ばかりが行くようなところだなあ」と思って探し当てたのが、南足柄にある「おんりーゆ」というところでした。
ちょっと何だかなというネーミングではありますが、少々お値段がお高いので、これは大人の多い温泉だろうと踏んで行ってきました。
奥のほうに湯煙が見えるのがわかるでしょうか。早めにいったお陰か、女湯の湯船に浸かっている人は3人! 露天風呂も3人ということで、空いていてよかった~と。梅桜が咲いていた。
お食事は地産地消という感じで、地元の野菜をふんだんに使ったお料理をビュッフェ形式でいただきました。
そして温泉をあとにして向かった先は「曹洞宗 大雄山 最乗寺」。T君の実家の菩提寺と同じ曹洞宗のお寺で、天狗様で有名なところです。
一度は行ってみたかったと言っていたT君。温泉がメインだったはずなのに、こちらがメインになってしまったというような…。
テクテクと350段以上もの階段を登ると奥の院。ぜーぜー;;
私も初めてお参りをさせてもらったのですが、ここはなんともすごいところだ! という印象を持ちました。
念というか、パワーというか。
それで、こちらの天狗様と納められている下駄を写真に撮らせていただいた後のこと…。
カメラがうんともすんともいわなくなりました(ひょえ~)。
寒くて電池がいかれたか、はたまたSonyタイマーか? とあっちこっちとカメラをいじり倒しても全く動かず。リセットの方法もわからないし、半分諦めました。。。でも、もしかしたら後でいきなり動き出すかも、と思っていたら…。
何十分か後に、なにごともなかったかのようにスイッチが入り、写真が撮れるようになったのです。
思い返すと、あの天狗様を撮ったあと…。
ちょうどT君と天狗様の前に立ったときに強い念を感じて、「うわ~すごいなあ」と思っていたのでした。そのことをT君に言ってみると「俺もそう思った」と。やっぱり…こういうこともあるよな、と思いつつも、ちょっとブルっときた事件でありました^^;
そうしてこの日は「どんど焼き」が行われるという情報で得ていたので、お正月のお飾りを持って行っていました。時間を調べずに行ったのですが、ちょうどどんど焼きが行われる時間。きっと呼ばれて行ったんだわねえ~。
住職たちが本堂から降りてきます。高下駄なのにすんなりと階段を下りてくるのはさすが。
そして般若心経をあげたあとに点火。
来年も行ってしまいそう…。
節分には、盛大に豆まきが行われるということです。それから分院である世田谷は下北沢の大雄山真龍寺でも節分に天狗祭りが行われ、下北沢の町を天狗の面をかぶった人々が練り歩くそうであります。
天狗様、大活躍。
しかし初詣三昧(?)になってしまった1月。よい年になるようにと祈るばかりでありました。
(温泉に入って、ちょっと適当なところもあったけど^^;)
おしまい。
今日は土曜日だけれど、夫T君が出社しているので、鬼のいぬまの更新です(笑)
(今朝の地震にはビックリしましたね…富士山…関係ないとはいうけれど…^^;)
さて2週間前のことを…。年末から「温泉に行きたい、温泉に行きたい」と呪文のように唱えていた私でしたが、新車を運転したいT君と利害が一致して、日帰り温泉に連れて行ってもらいました。「やった~! あったまれる~!」てな具合に。
じゃあ、どこへ行こうかと調べまくり、「松の内が明けたとはいえ箱根は混んでいるだろうし、混んでいないところとなると…」とブツブツ言いながらネットサーフィン。「なるべく大人ばかりが行くようなところだなあ」と思って探し当てたのが、南足柄にある「おんりーゆ」というところでした。
ちょっと何だかなというネーミングではありますが、少々お値段がお高いので、これは大人の多い温泉だろうと踏んで行ってきました。
奥のほうに湯煙が見えるのがわかるでしょうか。早めにいったお陰か、女湯の湯船に浸かっている人は3人! 露天風呂も3人ということで、空いていてよかった~と。
お食事は地産地消という感じで、地元の野菜をふんだんに使ったお料理をビュッフェ形式でいただきました。
そして温泉をあとにして向かった先は「曹洞宗 大雄山 最乗寺」。T君の実家の菩提寺と同じ曹洞宗のお寺で、天狗様で有名なところです。
一度は行ってみたかったと言っていたT君。温泉がメインだったはずなのに、こちらがメインになってしまったというような…。
テクテクと350段以上もの階段を登ると奥の院。ぜーぜー;;
私も初めてお参りをさせてもらったのですが、ここはなんともすごいところだ! という印象を持ちました。
念というか、パワーというか。
それで、こちらの天狗様と納められている下駄を写真に撮らせていただいた後のこと…。
カメラがうんともすんともいわなくなりました(ひょえ~)。
寒くて電池がいかれたか、はたまたSonyタイマーか? とあっちこっちとカメラをいじり倒しても全く動かず。リセットの方法もわからないし、半分諦めました。。。でも、もしかしたら後でいきなり動き出すかも、と思っていたら…。
何十分か後に、なにごともなかったかのようにスイッチが入り、写真が撮れるようになったのです。
思い返すと、あの天狗様を撮ったあと…。
ちょうどT君と天狗様の前に立ったときに強い念を感じて、「うわ~すごいなあ」と思っていたのでした。そのことをT君に言ってみると「俺もそう思った」と。やっぱり…こういうこともあるよな、と思いつつも、ちょっとブルっときた事件でありました^^;
そうしてこの日は「どんど焼き」が行われるという情報で得ていたので、お正月のお飾りを持って行っていました。時間を調べずに行ったのですが、ちょうどどんど焼きが行われる時間。きっと呼ばれて行ったんだわねえ~。
住職たちが本堂から降りてきます。高下駄なのにすんなりと階段を下りてくるのはさすが。
そして般若心経をあげたあとに点火。
火が龍のように天高く燃え上がります。
霊験あらたかと申しますか、力をいただいてきたという感じでございました。来年も行ってしまいそう…。
節分には、盛大に豆まきが行われるということです。それから分院である世田谷は下北沢の大雄山真龍寺でも節分に天狗祭りが行われ、下北沢の町を天狗の面をかぶった人々が練り歩くそうであります。
天狗様、大活躍。
しかし初詣三昧(?)になってしまった1月。よい年になるようにと祈るばかりでありました。
(温泉に入って、ちょっと適当なところもあったけど^^;)
おしまい。
車が来た。 [日記]
そうか、天中殺は節分に抜けるのか…と思って、改めて天中殺を調べてみたりしたけれど、寅卯天中殺に該当する人はアグレッシブで悪運が強いらしいというのを読んで、なんだかガッカリしたお正月(笑)
しかし天中殺のときに事を起こしたり、ものを買ったりするのはよくないと読んで…「あ、車…」と思ったのは言うまでもなく、と思ったけど、購入したのは夫T君でした^^;
T君は私より前の天中殺でとっくに抜けているのでした。あ~よかった。
ということで、ついにニューカーが納車されましたよ~♪ 10年ぶりの新車。きよし師匠の如く、小さなことからコツコツと…を実践してコツコツ貯めてきたお陰であります(ちょっとウソ。結構いい加減な貯蓄姿勢…^^;)。
早速、お祓いに行こうと、年末には自分たちのお祓いを済ませていたものの、再び新年、寒川さんに向かう私たち。しかし、大渋滞に打ちのめされて帰ってきたとさ。
仕切りなおして、翌日の早朝5時半に家を出て寒川さんに向かい、既に祈祷申込みのために並んでいる人がいるなか、さすがに並びました。これだけはちゃんとしておかなきゃと。。。(いつもお祓いはしてもらっています)。
いやでもビックリしたんですが、お正月の祈祷を申し込む人がたくさんいることもさることながら、神社の流れ作業的な祈祷の合理性に驚きまして。3人の宮司さんが一斉に読み上げる合唱というか、輪唱というか、その響きにもビックリでございました。これは初めて。
いつも呑気に空いているときに行っていたので、こんなにたくさんの人の想いが詰まっているとなっては、気合が入るよなあ~と思った次第であります。
そして無事に、2番目のグループで祈祷をしていただいて来ました。(のちに実際に車を祓ってもらうことができるらしいです)。
祈祷が済んで、時は朝の7時半。じゃあ、慣らし運転でドライブだ! とT君は東名高速を西に向けて車を進ませました。
そうそう。富士山ですよ~。
一番最初に見えるのが、これは伊勢原の辺りかな? ちょっと小さい。
次はドーンと見えるのは小田原の手前。
そして御殿場。
ちょっと雲が多く、暖かい日だったのでかすんでいます。
ま、でもお正月から富士山を眺めてめでたいめでたいと^^
そういえば、今年の年賀状は「富士山」という漢詩を詠んだ文章を載せたのでした。
年末、T君に「龍が出てくるめでたい漢詩とかないかいな?」と聞くと、さすが専門家…すぐに石川丈山の漢詩を教えてくれました。
仙客来遊雲外巓
神龍棲老洞中渕
雪如紈素煙如柄
白扇倒懸東海天
雲の上に突き出した富士山の頂には、仙人が来て遊ぶという。
洞窟の中の淵には久しく神龍が棲んでいるという。
頂に積もった雪は扇の白絹のようであり、立ち上る煙は扇の柄のようだ。
ちょうど白い扇をひっくり返して東海の天にかけたような、そんな景色に見えるのだ。
ということで、何となくいいお正月を迎えられた我が家でありました。
10年間どうもありがとうの車の後ろ姿。寒川さんのステッカーが貼ってあった(忘れてた)^^;
おしまい。
しかし天中殺のときに事を起こしたり、ものを買ったりするのはよくないと読んで…「あ、車…」と思ったのは言うまでもなく、と思ったけど、購入したのは夫T君でした^^;
T君は私より前の天中殺でとっくに抜けているのでした。あ~よかった。
ということで、ついにニューカーが納車されましたよ~♪ 10年ぶりの新車。きよし師匠の如く、小さなことからコツコツと…を実践してコツコツ貯めてきたお陰であります(ちょっとウソ。結構いい加減な貯蓄姿勢…^^;)。
早速、お祓いに行こうと、年末には自分たちのお祓いを済ませていたものの、再び新年、寒川さんに向かう私たち。しかし、大渋滞に打ちのめされて帰ってきたとさ。
仕切りなおして、翌日の早朝5時半に家を出て寒川さんに向かい、既に祈祷申込みのために並んでいる人がいるなか、さすがに並びました。これだけはちゃんとしておかなきゃと。。。(いつもお祓いはしてもらっています)。
いやでもビックリしたんですが、お正月の祈祷を申し込む人がたくさんいることもさることながら、神社の流れ作業的な祈祷の合理性に驚きまして。3人の宮司さんが一斉に読み上げる合唱というか、輪唱というか、その響きにもビックリでございました。これは初めて。
いつも呑気に空いているときに行っていたので、こんなにたくさんの人の想いが詰まっているとなっては、気合が入るよなあ~と思った次第であります。
そして無事に、2番目のグループで祈祷をしていただいて来ました。(のちに実際に車を祓ってもらうことができるらしいです)。
祈祷が済んで、時は朝の7時半。じゃあ、慣らし運転でドライブだ! とT君は東名高速を西に向けて車を進ませました。
そうそう。富士山ですよ~。
一番最初に見えるのが、これは伊勢原の辺りかな? ちょっと小さい。
次はドーンと見えるのは小田原の手前。
そして御殿場。
ちょっと雲が多く、暖かい日だったのでかすんでいます。
ま、でもお正月から富士山を眺めてめでたいめでたいと^^
そういえば、今年の年賀状は「富士山」という漢詩を詠んだ文章を載せたのでした。
年末、T君に「龍が出てくるめでたい漢詩とかないかいな?」と聞くと、さすが専門家…すぐに石川丈山の漢詩を教えてくれました。
仙客来遊雲外巓
神龍棲老洞中渕
雪如紈素煙如柄
白扇倒懸東海天
雲の上に突き出した富士山の頂には、仙人が来て遊ぶという。
洞窟の中の淵には久しく神龍が棲んでいるという。
頂に積もった雪は扇の白絹のようであり、立ち上る煙は扇の柄のようだ。
ちょうど白い扇をひっくり返して東海の天にかけたような、そんな景色に見えるのだ。
ということで、何となくいいお正月を迎えられた我が家でありました。
10年間どうもありがとうの車の後ろ姿。寒川さんのステッカーが貼ってあった(忘れてた)^^;
おしまい。
年末年始あれこれ [日記]
あけましておめでとうございます。ご挨拶が大変遅れてしまいました。ようやく我が家の仕事始めです。
昨年のことを考えると、本当にいろんなことがあって、今年はよい年にしたい! と叫んでも自然の力には及ばないわけで、とりあえず穏やかな一年でありますようにと祈っております。
さて、年末年始のことをば。
まず年末は大晦日。大祓えの日に合わせて、我が家も毎年恒例のお祓いをしに行ってきました。穢れた心身を祓ってもらって新年を迎えようと、そんな腹積もりで始まった大晦日のお祓い。もう何年になるでしょうか…。たぶん私が厄年のときから…だったような。そんな気がしますが定かではない(笑)
いい加減なものですが、お祓いをしてもらうとなんだか清々しい気持ちになるもので、二日酔いの体もすっきり(?)するわけで、大変ありがたいです^^;
で、昨年末も寒川神社へ。
辰年のねぶたです。勢いがあっていいですねえ~。
ちなみに、大祓えのこの日にいつもおみくじを引きます。
今回は…。
「慌てず騒がずやることをやりなさい。それはきっとできるでしょうから…」というようなことが書いてありました。とにかく粛々と行えば大丈夫というお言葉をいただきました。「中吉」です^^
今年の節分には天中殺も抜けるので、一昨年の手術やなにやらとダメージを食らったことから抜け出せるのではないかと思っております、はい。
あ~抜け出したい(笑)
そして新年。
年末は神社にお祓いに行っているので初詣はお寺へ。これも毎年恒例になりつつあります。
昨年は病気のことなどもあり、また、自分の干支である寅年の菩薩様がおられることから日向薬師に行きましたが、今年は「龍」ですよ。
江ノ島の「龍口寺」へと行きました。
電車で行けて楽チンな距離と思って探したら、江ノ島に行き当たったのでありました。できれば箱根神社へ…とも思ったのですが、駅伝が行われている日でもあり、とくに人気のある神社なので人が多かろうと。そんなことを考えたわけですが。
この龍口寺。そういえば江ノ電に乗るとよく見かけていたお寺でした。
もとは「龍ノ口刑場」で、日蓮聖人が危うく処刑されそうになった場所だそうです。
調べれば、龍口という地名はこの地に残る五頭竜伝承にちなんでつけられたということですが、腰越には創建538年という「龍口明神社」があり、こちらのほうが深いかかわりがあるようです。
※五頭竜は、伝承で神奈川県鎌倉市深沢に当時あった湖に棲んでいたといわれる竜だそう。
龍口寺http://ryukoji.jp/
龍口明神社http://gozuryu.com/
箱根は九頭竜ですからね…。こちらとの関係もなにかあるのかもしれません。調べると面白そう…。
(九頭竜の伝承はいろいろあって、把握し切れません^^;)
龍口寺の山門には龍が舞っています。
お寺へ向かうとこんな感じです。
虎も発見。
龍というのは水と大変かかわりのある架空の生き物で、神獣・霊獣とされています。そのため、辰年は水害が多いといわれていますが、いやいや…、今年はそんな水害も治めて、穏やかな一年にしてくださいとお願いしてきました。
お寺を出ると目の前に江ノ電がガタンゴトンガタンゴトン。
江ノ電の江ノ島駅前では、スズメが洋服を着せてもらっています。
と一見穏やかそうな我が家の年末年始ですが、これまた毎年恒例の…。
昨年のことを考えると、本当にいろんなことがあって、今年はよい年にしたい! と叫んでも自然の力には及ばないわけで、とりあえず穏やかな一年でありますようにと祈っております。
さて、年末年始のことをば。
まず年末は大晦日。大祓えの日に合わせて、我が家も毎年恒例のお祓いをしに行ってきました。穢れた心身を祓ってもらって新年を迎えようと、そんな腹積もりで始まった大晦日のお祓い。もう何年になるでしょうか…。たぶん私が厄年のときから…だったような。そんな気がしますが定かではない(笑)
いい加減なものですが、お祓いをしてもらうとなんだか清々しい気持ちになるもので、二日酔いの体もすっきり(?)するわけで、大変ありがたいです^^;
で、昨年末も寒川神社へ。
辰年のねぶたです。勢いがあっていいですねえ~。
ちなみに、大祓えのこの日にいつもおみくじを引きます。
今回は…。
「慌てず騒がずやることをやりなさい。それはきっとできるでしょうから…」というようなことが書いてありました。とにかく粛々と行えば大丈夫というお言葉をいただきました。「中吉」です^^
今年の節分には天中殺も抜けるので、一昨年の手術やなにやらとダメージを食らったことから抜け出せるのではないかと思っております、はい。
あ~抜け出したい(笑)
そして新年。
年末は神社にお祓いに行っているので初詣はお寺へ。これも毎年恒例になりつつあります。
昨年は病気のことなどもあり、また、自分の干支である寅年の菩薩様がおられることから日向薬師に行きましたが、今年は「龍」ですよ。
江ノ島の「龍口寺」へと行きました。
電車で行けて楽チンな距離と思って探したら、江ノ島に行き当たったのでありました。できれば箱根神社へ…とも思ったのですが、駅伝が行われている日でもあり、とくに人気のある神社なので人が多かろうと。そんなことを考えたわけですが。
この龍口寺。そういえば江ノ電に乗るとよく見かけていたお寺でした。
もとは「龍ノ口刑場」で、日蓮聖人が危うく処刑されそうになった場所だそうです。
調べれば、龍口という地名はこの地に残る五頭竜伝承にちなんでつけられたということですが、腰越には創建538年という「龍口明神社」があり、こちらのほうが深いかかわりがあるようです。
※五頭竜は、伝承で神奈川県鎌倉市深沢に当時あった湖に棲んでいたといわれる竜だそう。
龍口寺http://ryukoji.jp/
龍口明神社http://gozuryu.com/
箱根は九頭竜ですからね…。こちらとの関係もなにかあるのかもしれません。調べると面白そう…。
(九頭竜の伝承はいろいろあって、把握し切れません^^;)
龍口寺の山門には龍が舞っています。
お寺へ向かうとこんな感じです。
虎も発見。
龍というのは水と大変かかわりのある架空の生き物で、神獣・霊獣とされています。そのため、辰年は水害が多いといわれていますが、いやいや…、今年はそんな水害も治めて、穏やかな一年にしてくださいとお願いしてきました。
お寺を出ると目の前に江ノ電がガタンゴトンガタンゴトン。
江ノ電の江ノ島駅前では、スズメが洋服を着せてもらっています。
と一見穏やかそうな我が家の年末年始ですが、これまた毎年恒例の…。
2011年という一年 [日記]
今年はこれで最後の更新になります。要するに仕事納め←仕事か! って(笑)
昨日、お客さんのところへ年末の挨拶に行った帰り、携帯電話のメールを読み返しました。1月から3月は、私はどんなメールを送っていたのだろうかと。
携帯のメールはプライベートにしか使っていないので、従姉や叔母、姉や夫、そして身近な友人だけとのやりとりに限られています。
思い起こすと、311の震災前はなんともいえない閉塞感が充満していて、とても息苦しく、体にピリピリとした何かが刺さるような感じがしていました。そのピリピリに刺激されて、いつか私自身が弾けてしまうのではなかろうかという思いに囚われていたのです。そして見えない澱んだ壁に突き当たったまんま・・・という気がしていました。
メールを読んでいると、地震が起きる前日に叔父が自ら命を絶ち、その死んだという情報が当初は錯綜していて、姉や従姉とメールを送り送られしながら気持ちを落ち着かせようとしていました。その週末には、寝たきりになってしまった伯母を見舞うために、北海道からもう1人の伯母と従姉が上京することになっていて、皆で一緒に食事をしようとそんな計画を立てていた矢先です。
葬儀はどうなるんだ…とか、いつになるんだ…とか。なかなか決まらず、でもお食事会は決行しようと、地震が起きる直前まで、姉と従姉とメールのやりとりをしていました。そのやりとりの最後のメールを送った時間が3月11日14:24。地震が起きる22分前でした。
地震が起きた直後からのメールは内容ががらりと変わっています。
夫T君に「大丈夫か?」というメールをすぐに打ち、それから姉にも大丈夫であったかというメールをしています。
T君からは空メールの返信があり、すぐに大丈夫であることが確認できました。姉からはなかなか返信メールがなく、T君の母親はどこにいるかわからないし、結局自転車で近所を走り回りました。そして姉の無事を確認しながらも、義母は行方知らずで、T君は帰宅困難者と当然の如くなってしまい、私は1人で家でまんじりともしない夜を送ったのでした。
この日ほど、1人で家にいることに不安を感じた夜はなかったと思います。緊急地震速報の警報音が何度となく鳴り響き、TVを見れば津波の様子、被災して途方に暮れている人々の様子が映し出され、暗澹たる気持ちになりました。
mixiで不安を解消するために「不安だあ~」とつぶやいていたら、それを見た飲み友達の男子が固定電話で電話をくれました。小一時間話をしてくれたかなあ。ありがたい電話でした。持つべきものは友…と思いました。
メールをさらに読み返してみると、3月11日当日から福島の原発がヤバイとT君にメールをしています。水素爆発が起こる前であるにもかかわらず、もう原発が危険な状態であるという情報はあったわけです。
その後は、皆さんもご存じのとおりのことが起き、東電、政府、官僚…あと何とか委員会、そしてマスコミがウソをつきまくるということが続きました。
当初、NHKの科学文化部の人たちが「相当に危ない状態だ」と言っていたのが忘れられません。まさにその通りだと思っていたからです。「メルトダウン」という言葉は使わずとも、融けているには変わりはないことを言い続けてくれていましたから。
ところがだんだんとNHKの報道もトーンダウンしてきます。「あれ?」と原発に素人の私でも感じました。
おそらく、私と同じように疑心暗鬼に陥った人は多いと思います。
このブログを読み返すと、「落ち着け!」とか「大丈夫だから!」とか、ずいぶんとその当時は書いていました。それはいまもその通りであると思っています。しかし、報道のトンチンカンさにはひたすら疑問符が浮かぶばかりでした。果たして、これからはどのような行動をしていけばいいのだろうかと思ったのも事実です。
地震に対しては、被災者・被災地のために力を注がなければいけない。でも原発事故という人災はどうしたらいいのか。東電、政府、官僚、マスコミがあまりにもヒドイ情報発信をしだしたので、怒りを覚えるだけでなく、呆れるばかり…。
人の思いと社会のギャップが浮き彫りになったと思いました。それからというもの、私は心因性のめまいに悩まされることになり、身動きができなくなるという…(笑)
不謹慎にも震災以前の閉塞感から、震災直後は「これで解放される」と私は思っていました。諸外国ではさまざまな形で革命が起き始めていたときです。日本ではこういう革命は無理だろうと感じていたところでした。でもこの大震災です。日本にはこういう形で「変われ!」と言われているんだろうと感じました。これは神様の思し召しかもしれないと思ったのも事実です。
犠牲になった方々には申し訳のないことなのですが、日本という国が起こした震災だったんだと、そう私は思いました。
なのですから、大きな犠牲を払ったのですから、変わらなくちゃいけないのに…。
このあと、とてもショックだったのはこぎんさんがこの世を去られたことでした。病状をnakasamaさんから伺ったとき、厳しい状況であるとは感じていました。でも奇跡は起こるかもしれないと祈っていました。
お母様のこと、ご主人のこと、そして自分の病気など、いろんなことを抱えながら、でもいつもいい文章を書いておられたこぎんさん。写真も彼女ならではものでした。
私のブログにコメントをくださる方が減っていくなか、食らいつくようにいつもコメントをくれていたのがこぎんさんでした。辛らつなことを書いてしまう私に、気にせずに自分の意見を書き残してくれるこぎんさんでした。
本当にありがたかったし、私が助けられていました。
残念でなりません。それだけでなく、遺されたご家族のことを考えると胸が締め付けられるようです。
今ごろは、大好きだったマイケルに歌ってもらえているといいな~なんて思っているんですけどね~。
こういう状況下、私自身はサッカーに支えられていたといっても過言ではないという一年でした。
1月のアジア杯の優勝。なでしこジャパンのW杯の優勝。どちらも予選から全部観ていました。その後、オリンピック予選も、W杯予選も観て、ACLも日本のチームが敗退していなくなってしまうまで観て…挙句、ブンデスリーガまで観ていました。
こんなにもサッカーにどっぷり浸かった年はなかったと思います。
やっぱりスポーツはウソをつかないから、観ることができたのだろうなと感じます。
優勝シーンは何度観ても泣けます^^;
女子W杯の決勝を現地で目撃した人たちのカオスっぷりはやばいですよ(笑)
なんだか取りとめもなく書いてしまいましたが……。
大きな災害に見舞われた今年のことは、きっと忘れないと思います。
阪神淡路のときも忘れないようにしなくてはと思いましたが、今年もそうです。
しっかりと起きたことを胸に刻んで、どうしていけばいいのかを考えて生きたいと思っています。
一年間、ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。
皆様におきましてはよい年を迎えられますよう、お祈り申し上げます。
※今年は喪中のハガキが多いとお嘆きの方が多かったみたいですが、うちは昨年より少なかったですよ~。あんまり気にしないほうがいいと思います~。うふふ。そして私は年明けの納車が楽しみ楽しみ♪ では~。
昨日、お客さんのところへ年末の挨拶に行った帰り、携帯電話のメールを読み返しました。1月から3月は、私はどんなメールを送っていたのだろうかと。
携帯のメールはプライベートにしか使っていないので、従姉や叔母、姉や夫、そして身近な友人だけとのやりとりに限られています。
思い起こすと、311の震災前はなんともいえない閉塞感が充満していて、とても息苦しく、体にピリピリとした何かが刺さるような感じがしていました。そのピリピリに刺激されて、いつか私自身が弾けてしまうのではなかろうかという思いに囚われていたのです。そして見えない澱んだ壁に突き当たったまんま・・・という気がしていました。
メールを読んでいると、地震が起きる前日に叔父が自ら命を絶ち、その死んだという情報が当初は錯綜していて、姉や従姉とメールを送り送られしながら気持ちを落ち着かせようとしていました。その週末には、寝たきりになってしまった伯母を見舞うために、北海道からもう1人の伯母と従姉が上京することになっていて、皆で一緒に食事をしようとそんな計画を立てていた矢先です。
葬儀はどうなるんだ…とか、いつになるんだ…とか。なかなか決まらず、でもお食事会は決行しようと、地震が起きる直前まで、姉と従姉とメールのやりとりをしていました。そのやりとりの最後のメールを送った時間が3月11日14:24。地震が起きる22分前でした。
地震が起きた直後からのメールは内容ががらりと変わっています。
夫T君に「大丈夫か?」というメールをすぐに打ち、それから姉にも大丈夫であったかというメールをしています。
T君からは空メールの返信があり、すぐに大丈夫であることが確認できました。姉からはなかなか返信メールがなく、T君の母親はどこにいるかわからないし、結局自転車で近所を走り回りました。そして姉の無事を確認しながらも、義母は行方知らずで、T君は帰宅困難者と当然の如くなってしまい、私は1人で家でまんじりともしない夜を送ったのでした。
この日ほど、1人で家にいることに不安を感じた夜はなかったと思います。緊急地震速報の警報音が何度となく鳴り響き、TVを見れば津波の様子、被災して途方に暮れている人々の様子が映し出され、暗澹たる気持ちになりました。
mixiで不安を解消するために「不安だあ~」とつぶやいていたら、それを見た飲み友達の男子が固定電話で電話をくれました。小一時間話をしてくれたかなあ。ありがたい電話でした。持つべきものは友…と思いました。
メールをさらに読み返してみると、3月11日当日から福島の原発がヤバイとT君にメールをしています。水素爆発が起こる前であるにもかかわらず、もう原発が危険な状態であるという情報はあったわけです。
その後は、皆さんもご存じのとおりのことが起き、東電、政府、官僚…あと何とか委員会、そしてマスコミがウソをつきまくるということが続きました。
当初、NHKの科学文化部の人たちが「相当に危ない状態だ」と言っていたのが忘れられません。まさにその通りだと思っていたからです。「メルトダウン」という言葉は使わずとも、融けているには変わりはないことを言い続けてくれていましたから。
ところがだんだんとNHKの報道もトーンダウンしてきます。「あれ?」と原発に素人の私でも感じました。
おそらく、私と同じように疑心暗鬼に陥った人は多いと思います。
このブログを読み返すと、「落ち着け!」とか「大丈夫だから!」とか、ずいぶんとその当時は書いていました。それはいまもその通りであると思っています。しかし、報道のトンチンカンさにはひたすら疑問符が浮かぶばかりでした。果たして、これからはどのような行動をしていけばいいのだろうかと思ったのも事実です。
地震に対しては、被災者・被災地のために力を注がなければいけない。でも原発事故という人災はどうしたらいいのか。東電、政府、官僚、マスコミがあまりにもヒドイ情報発信をしだしたので、怒りを覚えるだけでなく、呆れるばかり…。
人の思いと社会のギャップが浮き彫りになったと思いました。それからというもの、私は心因性のめまいに悩まされることになり、身動きができなくなるという…(笑)
不謹慎にも震災以前の閉塞感から、震災直後は「これで解放される」と私は思っていました。諸外国ではさまざまな形で革命が起き始めていたときです。日本ではこういう革命は無理だろうと感じていたところでした。でもこの大震災です。日本にはこういう形で「変われ!」と言われているんだろうと感じました。これは神様の思し召しかもしれないと思ったのも事実です。
犠牲になった方々には申し訳のないことなのですが、日本という国が起こした震災だったんだと、そう私は思いました。
なのですから、大きな犠牲を払ったのですから、変わらなくちゃいけないのに…。
このあと、とてもショックだったのはこぎんさんがこの世を去られたことでした。病状をnakasamaさんから伺ったとき、厳しい状況であるとは感じていました。でも奇跡は起こるかもしれないと祈っていました。
お母様のこと、ご主人のこと、そして自分の病気など、いろんなことを抱えながら、でもいつもいい文章を書いておられたこぎんさん。写真も彼女ならではものでした。
私のブログにコメントをくださる方が減っていくなか、食らいつくようにいつもコメントをくれていたのがこぎんさんでした。辛らつなことを書いてしまう私に、気にせずに自分の意見を書き残してくれるこぎんさんでした。
本当にありがたかったし、私が助けられていました。
残念でなりません。それだけでなく、遺されたご家族のことを考えると胸が締め付けられるようです。
今ごろは、大好きだったマイケルに歌ってもらえているといいな~なんて思っているんですけどね~。
こういう状況下、私自身はサッカーに支えられていたといっても過言ではないという一年でした。
1月のアジア杯の優勝。なでしこジャパンのW杯の優勝。どちらも予選から全部観ていました。その後、オリンピック予選も、W杯予選も観て、ACLも日本のチームが敗退していなくなってしまうまで観て…挙句、ブンデスリーガまで観ていました。
こんなにもサッカーにどっぷり浸かった年はなかったと思います。
やっぱりスポーツはウソをつかないから、観ることができたのだろうなと感じます。
優勝シーンは何度観ても泣けます^^;
女子W杯の決勝を現地で目撃した人たちのカオスっぷりはやばいですよ(笑)
なんだか取りとめもなく書いてしまいましたが……。
大きな災害に見舞われた今年のことは、きっと忘れないと思います。
阪神淡路のときも忘れないようにしなくてはと思いましたが、今年もそうです。
しっかりと起きたことを胸に刻んで、どうしていけばいいのかを考えて生きたいと思っています。
一年間、ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。
皆様におきましてはよい年を迎えられますよう、お祈り申し上げます。
※今年は喪中のハガキが多いとお嘆きの方が多かったみたいですが、うちは昨年より少なかったですよ~。あんまり気にしないほうがいいと思います~。うふふ。そして私は年明けの納車が楽しみ楽しみ♪ では~。
GWモロモロ [日記]
今年のGWは夫T君がまんまカレンダー通りのスケジュールだったので、どこかへ出かけることも予定せず、せいぜい毎年恒例になっているゴルフが事前に決まっていたくらい。
猫のTBちゃんがいるし、そうそう泊まりで出かけることもできないということもある。
でもねえ、、、、。とっても天気がよかった4日。突如、「出かけようか」という話になった。
行った先は、「江の島片瀬漁協直売所」(笑)
何のロマンの欠片もない^^;
当初は電車で行こうかと思ったのだけれど、T君が車を出すというので、藤沢街道を南下して行きました。
道はえらく空いていて、すいすい。辻堂方面から江ノ島へ向かったのだけど、さすが江ノ島近辺…134号線は混みこみでありましたよ。出遅れた感満歳。
当然のごとく公営の駐車場は満車で、しょうがないから帰ろう…ということになったのだけど、一旦ファミレスの駐車場に止めてコーヒーを飲んで帰ろうとしたところ、そのファミレスの駐車場はコインパーキング。90分は駐車していてもOKというところでした。
なんだあ~、と思って、その足でテクテクと直売所まで歩きました。ものの5分。
行ってみると人が並んでる。でも並ぶのが大嫌いな私たち。
とりあえず1人が並んで、水揚げされている魚を見に行くと…、鯵やイカ、ついでにマンボウなんてさばかれていたけれど、う~ん、食指が動かない魚たち。
ということで、せっかく行ったにもかかわらず、即座に断念して列を離れたとさ^^; へたれです。いやいや、第一日曜日は朝市をやっているので、そのときリベンジしようと心に誓いましたよ。
あれに見えるは江ノ島展望台。
で、「このまま帰るのもなんだねえ」ということで、急遽、お昼を食べに中華街に向かった私たち。江ノ島に入ろうする長い車列を横目に、中華街へ向かったのでした。
でね、この中華街。閑古鳥が鳴いていると聞いていたのですよ。なので、楽勝でしょ…くらいな気持ちだったのですが、ものすごーい人出でした。ビックリ。考えることは皆同じ?
何でも、あとでいつも行く近所の飲み屋さんの店主に聞けば、5月4日というのは飲食店がどこも一杯になったんだったとか。
自粛ムードも一気にほぐれて、ストレスのたまった人たちが外に出だした日だったようです。
そんな日に私たちもでかけてしまったのだ~…。
ま、でも中華街では駐車場も決めているところがあるし、買い物をする場所も決まっている。食べに行くお店もだいたい決まっているので、無問題。
滞在時間約2時間で、中華街を後にしました。(写真はなしです。あまりの混雑で窒息しそうでした^^;)
あとはねえ。ヨーカドーで開かれていた東北応援セールに自転車で行って、「ままどおる」をゲットしたり。
(震災後は、仙台の「萩の月」はどうなった? 福島の「ままどおる」は? 大船渡の「かもめの玉子」は? と思っておりましたが、これらの会社は被災しながらも製造を再開し、いまでは各地でまた販売されるまでに至っております…感涙;;)
そうして「母の日」。
T君のお母さんは花より団子の人なので、以前はお花を持って行ったことがありましたが、あまりの喜びの薄さに悲しくなってしまい、残念ながらなんの贈り物もしておりません。誕生日も、だいたいの物は持っているし、自分が欲しい物は自分で買ってしまうので、贈って喜ばれる物が全くなく、全然プレゼントをしなくなりました。ちょっとつまらないね~。
それはさておき、オレンジ色の「ワッフル」というカーネーションを見つけました。
カーネーションはあまり好きではない花ですが、オレンジ色は好きだし、ちょっと物珍しかったので自分のために購入。そして、もう一鉢買って、「母に供えてくださいまし」と姉のところへ持って行きました。
そういえばラジオで、「お母さんに言いたいことは?」というコメントを募集しているの聴いて、T君に対して、「私だったら母に、『しっかりしろよ』って言いたい」と言ったら大爆笑。
人当たりはよくて、ずいぶんといろんな人に好かれていた母だったけれど、私から見ると何かとやらかしてくれていた母でした。もうちょっとしっかりしていたら、あんな苦労もせずに済んだだろうに…というようなことがたくさんあります。
そんなことを思い出しつつ…。
「いや~、最近この世を去っていった人が何人もいるから、せっせと世話を焼いているんじゃないの?」なんて話をしました。
そうだねえ、今ごろはあの世で忙しく働いているだろうなあ。
そうしてGWは終了~。
猫のTBちゃんがいるし、そうそう泊まりで出かけることもできないということもある。
でもねえ、、、、。とっても天気がよかった4日。突如、「出かけようか」という話になった。
行った先は、「江の島片瀬漁協直売所」(笑)
何のロマンの欠片もない^^;
当初は電車で行こうかと思ったのだけれど、T君が車を出すというので、藤沢街道を南下して行きました。
道はえらく空いていて、すいすい。辻堂方面から江ノ島へ向かったのだけど、さすが江ノ島近辺…134号線は混みこみでありましたよ。出遅れた感満歳。
当然のごとく公営の駐車場は満車で、しょうがないから帰ろう…ということになったのだけど、一旦ファミレスの駐車場に止めてコーヒーを飲んで帰ろうとしたところ、そのファミレスの駐車場はコインパーキング。90分は駐車していてもOKというところでした。
なんだあ~、と思って、その足でテクテクと直売所まで歩きました。ものの5分。
行ってみると人が並んでる。でも並ぶのが大嫌いな私たち。
とりあえず1人が並んで、水揚げされている魚を見に行くと…、鯵やイカ、ついでにマンボウなんてさばかれていたけれど、う~ん、食指が動かない魚たち。
ということで、せっかく行ったにもかかわらず、即座に断念して列を離れたとさ^^; へたれです。いやいや、第一日曜日は朝市をやっているので、そのときリベンジしようと心に誓いましたよ。
あれに見えるは江ノ島展望台。
で、「このまま帰るのもなんだねえ」ということで、急遽、お昼を食べに中華街に向かった私たち。江ノ島に入ろうする長い車列を横目に、中華街へ向かったのでした。
でね、この中華街。閑古鳥が鳴いていると聞いていたのですよ。なので、楽勝でしょ…くらいな気持ちだったのですが、ものすごーい人出でした。ビックリ。考えることは皆同じ?
何でも、あとでいつも行く近所の飲み屋さんの店主に聞けば、5月4日というのは飲食店がどこも一杯になったんだったとか。
自粛ムードも一気にほぐれて、ストレスのたまった人たちが外に出だした日だったようです。
そんな日に私たちもでかけてしまったのだ~…。
ま、でも中華街では駐車場も決めているところがあるし、買い物をする場所も決まっている。食べに行くお店もだいたい決まっているので、無問題。
滞在時間約2時間で、中華街を後にしました。(写真はなしです。あまりの混雑で窒息しそうでした^^;)
あとはねえ。ヨーカドーで開かれていた東北応援セールに自転車で行って、「ままどおる」をゲットしたり。
(震災後は、仙台の「萩の月」はどうなった? 福島の「ままどおる」は? 大船渡の「かもめの玉子」は? と思っておりましたが、これらの会社は被災しながらも製造を再開し、いまでは各地でまた販売されるまでに至っております…感涙;;)
そうして「母の日」。
T君のお母さんは花より団子の人なので、以前はお花を持って行ったことがありましたが、あまりの喜びの薄さに悲しくなってしまい、残念ながらなんの贈り物もしておりません。誕生日も、だいたいの物は持っているし、自分が欲しい物は自分で買ってしまうので、贈って喜ばれる物が全くなく、全然プレゼントをしなくなりました。ちょっとつまらないね~。
それはさておき、オレンジ色の「ワッフル」というカーネーションを見つけました。
カーネーションはあまり好きではない花ですが、オレンジ色は好きだし、ちょっと物珍しかったので自分のために購入。そして、もう一鉢買って、「母に供えてくださいまし」と姉のところへ持って行きました。
そういえばラジオで、「お母さんに言いたいことは?」というコメントを募集しているの聴いて、T君に対して、「私だったら母に、『しっかりしろよ』って言いたい」と言ったら大爆笑。
人当たりはよくて、ずいぶんといろんな人に好かれていた母だったけれど、私から見ると何かとやらかしてくれていた母でした。もうちょっとしっかりしていたら、あんな苦労もせずに済んだだろうに…というようなことがたくさんあります。
そんなことを思い出しつつ…。
「いや~、最近この世を去っていった人が何人もいるから、せっせと世話を焼いているんじゃないの?」なんて話をしました。
そうだねえ、今ごろはあの世で忙しく働いているだろうなあ。
そうしてGWは終了~。