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どうしたらいいものやら [家族の話]

現在使っている薬の副作用は、基本的には更年期障害と一緒という、先んじて更年期障害を経験しているようなものなんだが、以前この薬と同様のものを使っていたときには感じられなかった副作用がある。

やっぱり年齢を重ねるというのはこういうことなのかなと実感しながら…。毎朝、手のシビレ(痛み)で目覚めるようになってしまった。

発汗、頭痛、肩こり、胸のつかえ、手のシビレ。これをお医者様に訴えれば、対症療法としての薬をくれるんだけど、「更年期になればそうなるんだから」と言われ、「あ~そうですか~」と言って納得して帰ってくるしかない。

病気の症状より副作用を選んだのだから、致し方ない。病気の症状は日常生活に多大な影響を与えたけれど、副作用は何とか日々変わらず生活できるから、やっぱり副作用を取ったほうが正解だと思うけれど…。

とはいえ完治するわけではないというのが、いかんともしがたい。しかしだるいなあ~。





さて、タイトルの「どうしたものやら」は私の体の話ではなく、いま再び義母のお話。

76歳の彼女はちょくちょく体調を崩す。そのたび、息子2人の家に電話をかけてきて、「救急車を呼ぶか、どうしたらいいか」と訴えてくる。

あるいは、「自転車で出た先で具合が悪くなったから、自転車を乗って帰ってくれはしないか」とか(←これは2回あった)。

確かに一度は小脳梗塞で倒れ、救急車で緊急搬送してもらって事なきを得たことがあったが、体調を崩すたびに救急車を呼んだらいいか、どうしたらいいかとか、そういう相談の電話がかかってくるたびに困惑するばかりである。

私が困惑するというより、夫T君の困惑度合いのほうが高いのだろうけれど。

というようなことが昨日の朝もあって、T君いわく「電話で話を聞いた限りでは、救急車を呼ぶほどではないと思うけどなあ~」という感じだった。

私もT君に電話を代わる前に話をしたけれど、言葉はちゃんと出ていると思った。ただ相変わらず言っていることは要領を得ない^^;

どうやら以前、小脳梗塞で倒れたときの症状に似ているんだそうだ。それでもT君に言わせれば、そのときの様子とは異なり、大丈夫そうだということだった。

でもまあ様子を見に行かなくてはいかんだろうと思って、自転車を走らせてT君の実家にたどり着くと、家の前には救急車が……。

<え~? そんなによくないのか~?>と思いながら、既に救急車の中に運び込まれている義母の様子を救命士さんが見ているところに乗り込んで話を聞いた。

ちょうど救命士さんと、搬送するであろう病院のお医者さんと携帯電話で話し合っているところだったのだが、よくよく聞いてみると救急車で運ばなければならないほどの症状ではないよう。

血圧は高めであったが、本人は話ができる状態だし、緊急を要するようではない。

「あとで外来で受診してもらえますか?」と救命士さんに言われる。

歩けるのであれば、タクシーに乗せて連れて行けるしと思って義母に尋ねると、「歩ける」と言う。

そして救急搬送の辞退のサインをして、救急の方々には帰っていただいた。

ふぅ~。申し訳ない。

この後、タクシーで電話に出ていただいていた先生のいる病院の外来で受診し、CT・MRIを撮り、先生の判断を仰いだが、全く脳は関係なかった。問題なし。

「グルグル回るめまいで動けなくなって、失禁してしまったんです」と先生に訴える義母であったが、脳は全く問題なかった。

すると先生は「耳鼻科かな」と。耳から来るめまいではないか? とおっしゃり、今度は耳鼻科を受診。

しかし耳鼻科でもほとんど問題がなく、「めまいが起きてから時間が経っているから、原因は確定できないんですけどね」ということで、とりあえずめまいに効くという薬をいただいておしまい。

午前中がすべてつぶれた。



こういう親は、どうしたらいいものやら。



思うに、「老人性うつ」に片足を突っ込んでいるのではないかな、と思った。

今回は失禁してしまったことがショックの引き金で、自分の体はもうよくないんだという思いが一杯になったんだと思う。

そしてそのショックが、もともと落ち着きのない義母の性格に拍車をかけて、おろおろとするばかりで、どうしたらいいか判断ができなくなったんだろうと思う。

とにかくチャかチャカして落ち着きのない人なので、考えもとっ散らかっていくばかり。行動もとっ散らかるものだから、交通事故に遭ってしまったりとか…そんなこともある(全くの二次災害^^;)。

加えて行く先々で語る話の内容が必ず、「自分はひとり暮らしだから」というもの。

「主人が亡くなりましてね、ひとり暮らしなんです。だから皆に迷惑をかけないように頑張っているんです」という話を、今回もはじめて会ったお医者さん相手に何度も言っていた。お医者さんは症状を聞いているだけだというのに……。

そんなことをやたらと自己主張しても…と思うのだけれど、義母の性格からしてしょうがない。とにかく常に「自分が、自分が」と言う人だから。

しかし、今回のことを考えると、とにかく不安なんだなと感じた。それが充満して見えた。

そして夫がすべてであったんだということがわかる。「お父さんがいたときは…」「お父さんだったら…」と連発をする。

つまり、義父が生きていた間は、義父に判断を仰いで生活をしてきた人なんだなということがわかる。

夫がすべて。ある意味で幸せだったんだろうなあ。

夫を早くに亡くし一人で判断をして生きてきた母親を持つ私には、義母に対して「なんで?」と思うことが多かったが、そういうことなんだと納得するしかない。

でもやっぱり厄介。

自分で考えてこなかったから、ちょっとのことでもどうしていいかわからなくなり、不安になる。ましてや経験したことのない体調になると不安も一層増し、重症なのではないかと思ってしまう。そして救急車……。

やっぱり精神的なものだよな~。

他人には腹の据わった大口を叩くバアサンと見られる義母であるが、一人になると全く逆で、なかなか他人には理解してもらえていない…というか、自分も認識していないと思う。

小心者で怖がりなんだよー。

でも救急車をやたらと呼んではいかん。それこそ人に迷惑をかけていることになると思う。それがわかっているのかいないのか。


本当にどうしたらいいものやら。


T君の兄がイニシアティブをとって、義母をどうするか考えてくれたらいいのだけれど、そういうのもなさそう。

じゃあじゃあ、義兄嫁が何とかしてくれるかといったら全くダメ。昨日だって心配してくるかと思ったらきやしない。状況も聞いてくるかと思ったけど、きやしない。

だけど、「長男に世話になること」を望んでいた義父があっての義母だし、義兄夫婦も率先して世話をしているよう。でも、肝心なときに彼らはいない。

同居するなんていうことも考えてないだろうしなあ。

どうする気なんだろう。どうしたいんだろう。



本当にわからんですたい。




微妙に悩むマダ~ムでありました^^;



おしまい。
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巡る巡る [家族の話]

叔母から「らっきょう酢」なんてものをもらった。しかし、らっきょうを漬けても誰も食べないから、どうしようかと考えた結果、こんなものを漬けた。
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新生姜の甘酢漬け。
スーパーに行ったらちょうど旬というわけで、これなら食べるだろうと300グラムほどの生姜をお買い上げ。レシピを見ると、新生姜1キロなんて書いてあるけれど、そんなに食べられないので、勝手に分量を変更した。

それから、これ。
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カリフラワーのピクルス。フォションのピクルス用スパイスを買ってきて、洋風に変身させる。

どちらもあと3日後くらいかな、食べられるのは。


現在、夫T君が出張月間のために家に帰ってこない。これ幸いと、好きなことばっかりをしているのだが、こうやって自分の好きな食べ物ばかりを作ってしまうのが、何とも歳をとったなあと思う。

以前であれば、出来合いのものを買うことがほとんどだった。しかし、手に入らないこともあるし、口に合わないこともある。そういうわけで結局、手作りするようになるということだ。

手作りであれば無添加だからいいよね~と思いつつ。。。瓶を煮沸消毒している私って…。若い頃はこんなことをしようとは全然思わなかったのに。

そしてついに自分でも作るようになった、これ。
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ジャコ山椒(ちりめん山椒)。

一度、少量を作ったのだがあっという間に食べちゃったので、再び炊いたと。現在、陰干し中。きっと、自分の口に合う味にどんどん変化すると思われる。



*  *  *  *  *


さて、話が変わるが、「らっきょう酢」をくれた叔母のところで、3人目の孫が生まれた(2人は長男のところで、今回は長女が出産)。

長男の子どもを内孫として可愛がるということが、これまでの習慣としてあるかもしれないが、長女(自分の娘)が生んだ子どもは、全然違うんだろうなと思う。

どうやら長女である従妹は実家にべったりと帰っているようだから、さもありなん。やはり母と娘の関係というのは、深いな。


……しかし、ここ3年ほど(4年か)の間に、義父が亡くなり、母が他界し、親戚もばたばたと(計6人だ、ひゃ~)あっちに行ってしまったのだが、面白いことに、一方では親戚の間で妊娠・出産が続いている。

T君の祖母が亡くなったと思ったら、T君の従妹が出産をし、私の従姉の両親が他界したと思ったら、その従姉の娘の一人が妊娠・出産した。もう一人も最近ご懐妊らしい。

そういえば、T君の叔父さんが亡くなってから、T君の叔父さんの息子のところも子どもができたし、なんだか不思議と巡っているなと思った。

人間の営みってすごい。


我が家には子どもはいない。姉にもいない(独身、バツいち)。T君の兄夫婦にもいない。

T君のお父さんが亡くなり、私の母が他界したけれど、うちの直系の家族には全然巡ってくるものがない。恵まれない家族だ。

巡っている家もあれば、巡らない家もあるということか、と考えた。うちはウチドメというわけか(笑) それだけ業が深いんじゃない? なんて思ったけれど。

だけど、これまた面白いことに、親戚(いとこやいとこの子ども)で3人の子どもに恵まれているというところが、意外と多いのだ。

だいたいは2人兄弟・姉妹なのだが、え~と4組くらいあるな、3人の子どもがいる家庭が…。

ちゃんと別のところで巡っているんじゃない? と思った。人間の営みってすごいよ、やっぱり。神の采配にしてもよくできていると思う。



いやいや、それはさておき、出産祝いを贈らなくちゃなあ~と思っているわけで、何にしようかと悩む。



ま~知育玩具かな(←面倒くさいので、いつもこれに落ち着く^^;)。





かなりつれづれでありました。

おしまい。
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そういえば。 [家族の話]

2月21日。「その夜明け、嘘。」を観に行った日、父の祥月命日なのでした。37回忌。

33回忌で打ち止め…と言っていたけれど、その後、37回忌、50回忌があるわけで、さすがに37回忌にお墓参りに行かなければ罰が当たるんちゃう? と思って、青山円形劇場に行く前にお墓参りに行ったのでした。

37回目の祥月命日であるわけですが、実際には36年。

もう36年も経つのか。

川崎は京浜地区で生まれた私。父の実家も川崎の京浜地区にあり、当然ながら(?)お墓もJR川崎駅近くにあって、便利なことこの上ないのですが、「ミューザ川崎」ができ、「ラゾーナ川崎」ができて、川崎も大きく様変わりしました。

そういえば、もう末期ガン患者だった母と「ミューザ川崎シンフォニーホール」でクラシックを聞きに行ったことがありました。姉も一緒だった。

あれが3人で出かけたのが最後だったかもしれないな~(病院以外で)。そういう意味でも、川崎はいわくつきの場所なのかもしれません^^;

実は「川崎は嫌い」と公言しているのですが、憎めない土地です。生まれたところでもあり、父の実家のある町ですから。

父が死ぬまでの間、育った土地でもある。

なんていうか、自分は土着民の気質を持っているんだろうと思います。結局、神奈川県から逃れられない。

一度は夫T君の仕事の関係で京都で暮らしていましたが、やっぱり、あの京都人気質にはなじめませんでした。水道水も美味しくなかったし^^;(→なので、普通のパンやご飯が美味しくないんですよっ!)

短い間でも生まれ育った場所には愛着があるし、その後、長いこと暮らしているこの町にも愛着はあるし、安心感ということなのかな、という気がしています。

(やっぱり京都ではよそ者っていう感じが強かったからなあ。方言の関係もあるかもしれませんね。)


さて、お墓参りの後、青山円形劇場へ向かうのですが、ぎっくり腰の後遺症でまだ歩き回ることに不安を覚えていた私は、T君に車を出してもらって、川崎のお寺→青山に連れて行ってもらったのでした。

このとき、気づいたんですが、いま住んでいる町から川崎まで車で1時間以上かかったのに、川崎から青山まで1時間もかからず…30分くらいで、あっという間にたどり着いたのでした。

国道1号線(略してイチコク)、侮りがたし(笑)

神奈川県の中ほどから東に向かって川崎に行き、そこから北へ向かって青山。

あ~、川崎から青山のほうが距離が短いんだわ~…。当たり前のことなんですが、不思議な感覚でした。
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おしまい。
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スローペースの年末 [家族の話]

今年の年末はいつになくスローペースで、段取りも悪い。本来はとってもハイペースな女なのだが、毎年毎年お約束で年末年始に体を壊すというのをやらかしているので、今年こそは元気に年末年始を迎えようという魂胆。しかし、スローペース過ぎるような気がしてならないのは悲しい性か……。

この2年。喪中であったため、どうも調子が狂ってしまった。モチベーションもない……。どうせ2人だけだしなあとか。

そう思ってしまうと、スローペースに拍車がかかり、日々の家事にも支障をきたしているくらい何にもしていない(笑)

ま、持病がねえ、相変わらずなんで。ちっともよくなんないっすよ。薬を飲んで長期戦の構え。

今年はなんだかとにかく「あんたは大人しくしていなさい」と言わんばかりに、ぎっくり腰になったり、大転倒をして顔を腫らしたり、そして持病の悪化。まるで厄年^^;

ともあれ、夫T君に甘えて、ずいぶんとのんびりさせてもらいましただ。





さて、そんななか。親戚の結婚式に招かれ行ってきました。


近所(駅3つ、4つ向こう)に暮らす従姉の娘の結婚式。

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ホテルウェディングなんて久しぶりだわ~…なんて思いながらのパーティ。

この従姉。夫を亡くし、その後立て続けに両親を亡くすという不幸に見舞われていた。「なんで? どうして?」ていうぐらい続いたので、本人の気落ちは相当なものだったと思う。

でもね、人生山あり谷ありで、まずは彼女の次女が結婚…そして出産という幸いに恵まれた。

長女はもしかしたらお母さん(従姉)と一生一緒に暮らすのではないかと思われていたけれど、今回の電撃結婚。(←皆驚いた^^;) そんな幸いに恵まれたのだ。

本当に人生はなにがあるかわからない。

家族を亡くしても、家族はまた増える。

結婚式は次女夫婦が奔走し、とっても手作り感溢れる結婚式で、暖かい気持ちにさせてもらった。

よかったよ~。

式後、宴席を飾っていた花々をいただき、母の遺骨の入ったペンダントの前に置いて母に報告。

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向こうでは、伯父伯母、従姉の旦那さま…皆で祝ってくれていることだろう。


皆にとって年末の忙しいさなかではあったかもしれないが、結婚というおめでたい席に一緒にいられる幸せというのは、未来はまだまだ続いていくんだぞ、という安心感をあたえてくれるものだった。


本当に未来はまだまだ続く。





おしまい。
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それを言っちゃあ、おっかさん。 [家族の話]

なんと申してよいのやら…な話なんですけどね。まあ、義母ネタです^^;

先日、T君の誕生日でしたので、お義母さんがお祝いにご馳走をしてくれるということになったんです。それで、たまにはお寿司でも食べに行くかと…昨年まではよく行っていたお寿司屋さんに足を運んだのでした。

義母もお寿司屋さんのカウンターで食べるのは久しぶりだろうと思ったし、1人ではそう食べることもできないだろうと。義兄夫婦もこういうお店には連れて行ってやらないだろうしなあ、と思って一緒に行ったんですけどね。私たちは何となく常連チックなお客さんなわけで、そのお寿司屋さんの大将もおしゃべり好きだし、アットホームな感じだし。それに一応、T君の誕生日祝い。

そんなお店だから、カウンターで一緒になった他のお客さんとも何となくなのですが、おしゃべりをしてしまう雰囲気になるんですね。それもいい雰囲気であるから、気持ちはいいもので、行っても楽しい気分にはなるだろうなあと踏んでいたんです。

そんな雰囲気の中、どういう脈絡で発した言葉なのか、いまひとつ理解に苦しむんですが、義母がこんなことを言い出しました。他のお客さんに向かって……。

「私はひとり暮らしだから……」

「そんなに(たくさん)料理もできないし……」

この言葉を聞いて、お寿司屋さんの大将は簡単にできる料理の話なんかをしたんですけど……。


息子夫婦を前にして、「私はひとり暮らしだから」と言うのはいかがなものだろうかと。。。

義母と同年代の人を相手に、こういう話をすれば、「ま~おひとりで偉いですわね」とか。「お元気でいらっしゃるんですね」とか、そういうリアクションが返ってくるものとは考えられます。しかし、相手は微妙に私たちより若い世代の夫婦。


どう返していいか苦慮している様子がありあり。


想像するに、息子夫婦が隣にいるにも関わらず、「ひとり暮らしだから」と言うのは暗に息子夫婦を非難しているのではないかと考えてしまったのではないか、ということ。(この話が出る前に、息子を非難するようなことをちょっと言っていたんですよ、ちょっとだけど)

人によっては、自分もそういう親を抱えている可能性がある。そんなときに、年寄りの女性にこんなことを言われたら、きっといろんなことを頭の中で渦巻いてしまうだろう。私だったらそうだ。

親をひとり暮らしにさせてしまっている引け目とか負い目。

そんなときは、どうにもこうにも返す言葉はみつけられないだろう。

義母はそれでも無邪気に「ひとり暮らしだから」という言葉を何度も口にしていたのでした。

空気の読めない困ったちゃん。



自分がひとり暮らしであることをアピールする意味が、私には全然理解できないんですよ。T君に言わせれば「寂しいんだろう」ということになるんですけどね。息子ですから、そりゃ慮る。そりゃそうかもしれない。

でも見ず知らずの人にいきなり「ひとり暮らし」をアピールするのも迷惑な話だと思うんです。

何と返していいかわからない。

私も迷惑。「だったらどうすればいいのよ?」と言いたくなるわけです。何たって同席していたわけですから。

嫁だし。

ま~、はたから見れば「悪い嫁」と思われているんだろうなあと思います。

悪い嫁と思われるのは全然いいんですけどね。義兄夫婦の関係もあって、私が悪役に徹すれば家族が円満になるということもあるので、それはいいんです。

でもねえ。見ず知らずの人やお店の人まで迷惑はかけたくないと思うわけで、ついでを言えば、あんまり「ひとり暮らし」を強調するのは防犯上よくないだろうと。言い過ぎは自分も陥れる結果となると。

気をつけなさいよ、お義母さんと。

こんなことがあるお陰で、どんどんお義母さんと食事に行きたくなくなるわけで、いくら奢ってやると言われても、よく行く飲み屋さん仲間の気分を悪くするのもいやなもので……。いや~、参ります。




そして、こんなこともついつい思い出してしまいました。



昨年ですね。義父の一周忌を行ったのですが、私の母が他界して2ヶ月も経っていないころでした。

そのために、T君の親戚にもお悔やみの言葉をいただいていたりしていたので、何人かの人にお礼を言っていたんですけど……。

唐突に義母が話の途中から入ってきて、「K君のお嫁さんもお母さんを亡くしているから……」
と言い放ったのです。

このときT君の従弟(K君)家族も来てくれていて、その従弟のお嫁さんもお母さんを亡くしていたんですね。でまあ、ただ単にそれだけを言いたかったのかもしれないのですが、全然話したこともない従弟のお嫁さんのことです。。

そんなことを義母に言われて私はひたすら<????>。

<だから何? お嫁さん同士、共感できるというわけ? 仲良くしなさいと言っているわけ? それとも、あんただけが母親を亡くしているわけじゃないのよ、という戒め?>

だいたい母を亡くしたばかりの私が、従弟のお嫁さんに向かって「●●さんもお母さんを亡くしているんですってね」なんて話しかけられるわけがない。話しかけたところで、その後に続ける話題もない。

そもそも全然話したこともないし、私より全然年下のようだし。だいたい何で私から話しかけなくちゃいけないの? どうすればいいんじゃあ? と思考が固まりました。


全く理解できない。


一種のパワハラだと思うんですよ、これって。でも無邪気な義母は気づいていません。
(※パワハラではなく、モラハラが正しいですね^^; こりゃまた失礼)


こういう話題に私が敏感すぎるのかもしれませんが、親を亡くしているということは非常に気を使うわけで。。。

大昔、シングルマザーがいまほど認められていなかったときに、うちは母子家庭でした。「あそこのうちは父親がいないから」とか、「母親だけじゃダメね」とか、そう言われてしまうことを内心ビクビクしながら、言われないようにと一生懸命生きてきたわけです。

それだけに、親がいなくなるということは敏感になるわけで、好きではなかったとしても大事な母親だったわけですし。その母親がいなくなったことを大々的に言う気にはなれない。だいたいまだ死んで2ヶ月も経っていないというのに……。

でね。母子家庭で育った影響なんでしょうが、母親を亡くしたことは、父親を亡くしている以上に、「やっぱりお母さんがいない家庭はダメね」と言われるんじゃないかと、ついつい想像してしまう。

そんなことはないと思うんですけどね…私だっていい大人(40代後半)ですから。

でも、「親がいない」ということの世間の目というのは、幼少時代からひどく感じ取っているもんですから、「●●君のお嫁さんもお母さんを亡くしているから……」の「から……」の後に続く言葉というのを、いろいろと想像してしまうわけです。

「お母さんを亡くしているからダメな嫁ね」…、な~んて言葉も継げるわけですよ。

「ダメ嫁同士、仲良くしなさい」…てな感じかな。

なんだか、K君のお嫁さんに対しても失礼な話だよなと思い始めてしまいましてね。K君のお嫁さんはまだ小さい子ども抱えていたから、実際、彼女は自分のお母さんがいたらば。。。と考えるときがあるだろうな~と。そこに「あの子はお母さんがいないから……」みたいな発言ですよ、義母の言ったことは。

ときと場合によっては、ひどく傷つくと思う。


義兄嫁なんていうのは、しっかりと両親が揃っていて、それなりの学校も行っていて、それなりの企業にも就職して、エリートの義兄と結婚したわけです。

絶対に私に対して義母が言うようなことは、彼女は一生言われないだろうと想像できる。



要するにね、そういう立場の人もいて、私のような立場の人もいる。とらえ方もそれぞれで、言葉に傷つく人もいれば、何にも感じない人もいる。

そういういろんな心象があるということを、義母もわかっていたらいいのにな、と思うのです。


T君に聞けば、「お袋は昔からああだから」と言うばかりでね。それで、「じゃあ、何で昔からこういうお義母さんの発言を許していたのか?」と聞くんだけど、「放っておけ」と言うばかりで。


「78歳のばあさんに、いまさら何を言ってもしょうがないだろう」と。


で、そんなことを言うT君に対して、私は心の中で<お義母さんはまだ76歳だってば……>と思っていたりしてな……。




やっぱり、一生相容れない相手だなあと思うのでありました。



ほんと、言ってはいけないことはあるんだよ、お義母さん、と言いたいモンです。




おしまい。
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母のポケット [家族の話]

私はエプロンをしない派なのだが、常に母はエプロンをしていた。

実家に行けば、母が元気だった頃は、いつも私をエプロン姿で迎え入れていた。

そういえば、小さいときから必ずエプロンをしていた人だったと思う。

父が他界し、働きに出るようになったときも、家に帰ってくればすぐにエプロンをして、家事を開始する人だった。そうして家の中を鬼のように整理整頓して歩く。

こういうところは私は全く似ず。整理整頓がド下手である。原因はわかっているのだ。何たって「捨てられない」のだから。捨てられないから物がどんどん増え、そして整理整頓もままならならなくなっているという構図。捨てるものを悩み始めるからいただけない。

母が生きていた頃は、こういう私を見てあきれ返り、挙句、我が家の掃除をして帰るというばあさんになっていた。

そんな母。

考えてみると、ちょっとしたゴミがあったとき、母に渡すと、怒りもせずにさっとエプロンのポケットに入れてくれていた。

いつもいつも。

それで、あ、そうかと思ったことがある。

いまの私のポケットにはゴミが入っている確率が高い。

なぜかポケットからごそごそとゴミが出てくる。

家の中のちょっとしたゴミを拾ったとき、洋服のポケットにまず入れておいて、それから後でゴミ箱に捨てていたのだ。

ある日、ふと自分のこの動作に気づいたのだけれど……「母と同じことをしている^^;」……と思った。そしてちょっと愕然とした。

きっと母のエプロンのポケットには、家の中の小さなゴミがいつも入っていたんだろうなと。私が渡したゴミも入っていたんだろう。

いまの私は、夫T君に渡されるゴミをポケットに入れ、家の中を舞う猫のD君の毛をポケットに入れ、後にゴミ箱に捨てている。

変なところが似た。

私はエプロンをしないが、いま着ているベストにはポケットがある。

ポケットに手を入れると、ゼムクリップが2個とD君の毛が出てきた。。。全く何やってるんだろう。

可笑しいものである。親子の血は濃いというもんだかな。

(まあ、整理整頓のド下手なのは、死ぬまでなおらないと思うけど^^;)




*   *   *   *   *


てなわけで母のことを思い出しつつ、昨日は私の誕生日でありました。

とくになにもせず。通常通りの一日ではありましたが、ともあれ、母が存命中は必ず「誕生日、おめでとう」と母に言ってもらっていました。それが昨年からなくなったわけですが、言葉だけでもありがたかったなと、いまでは思います。

そして、昨日は……。

姉が「誕生日おめでとう」と言って、仕事に出かける前にプレゼントを持ってきてくれました。珍しいです。何となくですが、母の代わりに来たな…と思いました。
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ずいぶんと可愛らしいものをもらいまして…。母と姉は私をまだまだ小さいときのように思っているんでしょうなあ。なぜか可愛らしいものをくれます。いやいや、面白い^^ 

と思っておりましたら、昨日の晩はT君がえっちらおっちらと、この本を持って帰ってきました。
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私が頼んでいたんですけどね。また裏から手を回して安く買ってくれと(笑) なんというかタイミングよく、誕生日に届いたというわけです。

これがT君からのプレゼントであろうかと…と、とりあえず思っておこう^^;



はい、そんなこの頃。



更新がなかなかできていませんが、生きています(笑)



しかし、ここまでよく生きてきたなあと思いますよ~。まだあと何十年も生きるのかもしれないけど、、、。ささやかに感じられるいろいろなことはきちんと受け止めていこうと思っております。(←所信表明?)



おしまい。
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携帯でメールを送りたい。 [家族の話]

義母から「携帯電話のメールの送り方を教えて欲しいんだけど」という電話があった。

朝早く。

<何事か?>と思ったけれど、せっかちな義母のこと。時間を待ちきれずに電話をかけてきたようなのだった。

その日、私は実家(姉の家)の犬の散歩に行く予定にしていたので、「じゃあ、犬の散歩に行くので、そのときそちらによります」と言って電話を切った。

夕方、夫の実家に行き、話をよくよく聞いてみると、義父が存命中に一緒に旅行していた仲間が、いまは義母の旅行仲間となったのだが、その人たちとメールのやり取りをしたいのだという。

その人たちの年齢はいくつなのかは知らないが、ツアーコンダクターをしてくれている人は、若いのだろうと思う。だから、携帯のメールでのやり取りは楽だろうし、お客さんにメールを覚えてもらえれば些細なことでもメールをして喜んでもらえるだろうと考えているんだろう。

しかし義母は76歳である。

76歳の彼女がそんな仲間たちのために、何とか携帯でメールが送れるようになろうという意欲を持つことはいいことだと思う。でも、如何せん76歳。機械ものをいじるのもそんなに得意とは思えない。義父と一緒にPC教室に通っていたことはあったが、義父が他界してからはぱったりとPCに触ることもなくなってしまった。

果たしてこれで携帯メールの送り方を覚えることができるんだろうか、と思った。

そして始めてみると……。

事前に、メールの送り方を誰かに教えてもらったことはあるようで、手書きで「メール送信の仕方」、「メール受信の仕方」が書かれたものを持っていた。

「どれどれ」とそのメモを見ながら教えようとすると……。


あああ。そうか。送信方法、受信方法を実に簡略化して書いてある。

例えば、「選択キーを3回押す」とか、「アプリキーを押す」とか、キーを押す動作にどういう意味があるのかを一切省いて、キーを押す動作しか説明しておらず、「3回押せばアドレスが開ける」というところまで簡略化してシンプルに教えようとしているようなのだった。

はじめ、その手書きの方法を用いて私がメールを送ってみようとしたものの、さっぱりわからず。義母は「3回押せって書いてあるし」と言いながら、その通りにやろうとするのだけれど、<どうしたらその画面が出てくるのか?>というようなことの繰り返し。

<これではダメダな>と思い、携帯の画面に出てくるナビとコントロールキーの関係などを教えることにした。

「画面の下に『選択』という文字があると思うけれど、この選択という文字の位置は、真ん中の決定キーのことで、この位置に必要な文字が出たときは、真ん中の決定キーを押すんですよ」というような具合。

実際には、それを一つひとつ目の前で見せて押してみせて、自分でも押してみて覚えるように仕向けたわけだけど…。

「黄色いバック(カーソルのある位置)を動かすには、矢印を押して動かして、そしたら『確定』と書いてある位置のキーを押して」……そんな感じ。

すると何度か試しているうちに、何とか送信・受信の仕方は覚えたようなのだった。

しかし、本文を入力するという段階になったとき……。

<これは難しいな~>と頭を悩ませることになった。

なぜなら、「げんきですか」という5文字をまず打ってもらうのに、「『け』は『カ行』だからかを4回押して…それから点々を押して……」というような感じで教えていったのだが、その方法は理解できるようなのだった。

しかし本人に、「『ん』は……えーとえーと『ワ行』よね。……えーとえーと……『き』は『カ行』よね…えーとえーと…」という具合に、50音のアカサタナの行が頭にぱっと浮かばないのだ。

<一文字打つのに何分かかるんだろう>

先が思いやられるどころか、文字入力を一生懸命覚えるうちに、今度は送信・受信方法を忘れてしまうのではないか、と思われた。

ともあれ、そこで一通り教え、「何度も何度もメールを試しで送ってみてください。そうするうちに覚えてくると思うから」と言って、夫の実家を後にした。

その後、家に帰ってきたら2通ほど義母からメールが届いていた。

<ああ、頑張っているなあ~>と微笑ましく思った。

翌日の朝、また義母からメールが届いた。

「これからスポーツクラブにいく」という一文だけだったが、ちゃんと打てていたので「頑張ってください」とメールの返信をした。




そして、そのまた翌日。




「お袋から、空メールが2通も届いているんだけど、これはなんだ?」と夫T君が言ってきた。


教えてから3日目のこと。



もう教えたことを忘れ始めたよう。



そんなものかな……。



面倒くさいんで、夫の家族との付き合いはほとんどしないようにしているんだけれど、こんなことがあると、何やら考えさせられてしまって悲しい気持ちになる。





さて、前回病気のことを書いたら……。

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夏の思い出 [家族の話]

あるサイトで、「夏の思い出」のエピソードを募集していたのを見て、私の夏の思い出ってなんだろうなあ、とつらつらと考えていた。
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(↑これは今年も頂き物のスイカ。甘くて、オイチー)

すると、夏の思い出となるものは父が存命中であった時期の夏になってしまうのである。あんまり幼少時代の記憶がないくせに。

父が死んでからのほうが夏の思い出がない。さっぱり。

たぶん、イベント的なことが一切しなかったからなんだろうと思うのだが。

そしていい大人になってからの夏の思い出というのは、自ら率先して計画を立てた旅行だったりするので、さほど感動がない。なぜならば、計画段階でかなりの場面を想定していて、行ってみればやはりほぼそのとおりなので、記憶に残らないようなのだ。情けない^^;

さらに細かくエピソードはあるものの、大人になると「どうでもいいや」と思う率が高くなるんだろうな。脳が全く働かない。




さて、そういうわけで思い出深い夏のエピソードというと……。

父と一緒に旅行をしたときのことだった。

一つ目は、大阪万博会場でのこと。3泊4日くらいで行ったような記憶がある。

万博会場内ではあっちこっちを見て回ったものの、子どもの足だから疲れるのも早い。そしてとにかく大阪は暑い。

どうにかしようと思ったものの、どうにもできないのがオチなわけで。

そこで会場内にあった人工の川に足を突っ込み、水にさらして涼むという作戦に出た。誰が考えたか知らないが……。

そのとき、ビーチサンダルをはいていた私はうっかりと人工川にサンダルの片方を流してしまったのだ。

<ぎえ~、お父さんに怒られる、殴られる>と思ったのは言うまでもない。ややDV気味の父であったために、へまをしたら最後、グーで殴られるのは当然のごとく……。

しかし、青ざめている私をそのままに、父はさっと走って川下に行き、サンダルを拾ってきてくれた。そして怒りもしなかったのだ。全然普通。

<すげー父ちゃん>

いやたぶん普通のことなんだろうけど、滅多にこんなことをしてもらったことがなかったので、異様なくらい記憶に残っているのだ。

ちょっと感動したのであった。


も、一つ。夏休みに軽井沢で避暑……なんて、見栄っ張りな父の考えることであったが、軽井沢に何泊か泊りがけでいったときがあった。

はじめはキャンプ場のバンガローを借りて、BBQをしたりと考えていたようなのだったが、あまりの水の出の悪さと今ひとつなバンガローにうんざりした父は、早々に「星の温泉ホテル(今は「星のや」)」に移った。

その間、いつものように父と母とは大喧嘩をし、いつものように不機嫌になりと、娘たちはビクビクするばかり。

それはさておき、2日目だったか……。バスで鬼押出しに向かった。

このとき軽井沢はハイシーズン。次から次へとバスに人が乗り込みギュウギュウの状態になり、私たちは後方へ追いやられた。しかし、運転手さんには後方にスペースがあると思ったんだろう。「もっと後ろに詰めてくださ~い」とアナウンス。子どもである私たちはひたすら押しつぶされることになる。

すると父が「後ろには子どもがいるんだぞ!」と叫んだ。

<きえ~、お父さんがキレたか?>と思ったものの、別にそういうわけではない様子だった。単に、ギュウギュウの私たちを助けてくれようと発した言葉であったのだ。


<すげー父ちゃん>


いや普通のことなんだろうけど、本当にこんなことを言ってくれるような人じゃないと娘の私は思っていただけに、新鮮に感動してしまったのだ。


普段ないがしろにされていただけに感動が大きい(笑)


しかし、このおよそ2年後には本人は死んじゃうわけで。だけどこのときはまだ自分が死ぬなんて考えていなかっただろうなと思う。割と楽しんでいたし、元気そうだったし。そう考えると少し切なくなる。


たいしたエピソードではないんだけどね。父親に何かをしてもらったなんていう記憶が少ないせいか、反対にこういう小さいことではあるけれど、心が動かされたエピソードが思い出されるんだろう。


ま~、こんな思い出があるだけでもいいのかな、と思った。




おしまい。


お父さん供養だな^^;
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親はなくとも子は育つ…と思うんだけど [家族の話]

近所のイタリアンレストランのレシピを真似した蚕豆とチーズのおつまみ。
soramame.JPG

「ワインに合うわ~」とひとり悦に浸る。夫T君がいない分、あれこれとお試しができて楽しいのだわよ。

その後、T君がご帰還したときも作ったんだけど(↑)…今ひとつのようだった。蚕豆嫌いか。


姉が蚕豆好きで、先日一緒にこのお料理をそのレストランで食べたんだけど、ふと幼少時代のことを思い出した。

「お父さんとお姉さんは、この時期になるとよく一緒に蚕豆を食べてたよね~」…てなことを口にする。

「え? そうだっけ?」と姉。

記憶にないようだ。

私は蚕豆の匂いが実はそんなに好きではなく、、、。それでも食べれば美味しいから食べていたけれど、父と姉の蚕豆好きは相当で、かなり小さい私でも記憶に残るものだったのだ。

「なんかさあ、2人でむしゃむしゃ食べてたじゃん」と私。



いや~、食べ物の記憶ってすごいっす。。。あんまり小さいときの記憶がない私でも、急に蘇るところが(笑)






さて、もうじき母の一周忌となる。そろそろ何かを考えねばということで、お食事会を開くことにした。

何たって無宗教だし、どこかのお寺で法要してもらうわけでもなく。だけど、やっぱり一周忌なんだから供養をしたいよね、というのが情というもんだろう。

なので、「偲ぶ会」的なお食事会。

親戚と母を知っている近所の飲み友達を集めてのお食事会を開くことにした。

そこで親戚にメール&電話をしていると、以下のような話が出てきた。



前記事ではないが、男子の離婚問題^^;



どうも最年少の従弟夫婦で離婚問題がシリアスに進行しているようなのだった。

「夫婦仲が悪いとは聞いてたけど、単なる夫婦喧嘩じゃなかったの?」とその従弟の母親(叔母)に聞くと、

「何、言ってんのよ~。別居してんのよ、別居。別居結婚!」という返事。

「子どもはどうするの? まだ小さいじゃん」

「だから~、toroちゃんから言ってくれない?」

「何を?」

「お父さんがいないと大変だって」

「へ? 誰に?」

「K(従弟)に」

……。




この後、返事に窮する私であった。




叔母には申し訳ないが、子どもってえのは親がいなくてもちゃんと育つときは育つものだと思っている。だいたい、父親がいないことで大変だったということはほとんどない。

強いて言えば「父親がいないとお金がない」ということ。いまだに母子家庭の収入の少なさが問題になっているくらいだだから、その昔のことと言えば当然で、収入は少なかったと思う(だから母は借金をしてしまったということもあると思う)。

それだけはとにかく、父親がいないことのデメリットで、それ以外での不便さを感じたことは私にはない。

今以上に「母子家庭だから」という理由で、色眼鏡で見られたこともあったかもしれないが、そんなことはどうでもいいことだったなあと思う。

人によるとは思うが、子どもにも咀嚼する力というのはあるのだから、いろいろな目にあっても何とか乗り越えるし、理解もする。なので、叔母に「父親がいないことの大変さを教えてやって」と言われたときは…「むむむ」と返事に窮したのだった。



なんだろおなあ。


離婚となれば、おそらく親権は母親のほうになってしまうだろうから、それが叔母は嫌なんだろうな。

たぶんね。叔母にしてみれば、とっても可愛がっていた孫なので、その孫に会えなくなるのが嫌なんだろうなあと思う。だったら素直にそう言えばいいのに…と思うんだけど。

まあ、従弟もいい大人なんだから自分で解決するだろうに。最近の親(団塊の世代^^;)は過保護とちゃうん? と思ってしまうよ。


親が思うほど子どもは弱くはない。

結構、逞しいはずなんだから、従弟もそんなところを見せなさいよね~、と思う従姉(toro)なのであった。




おしまい
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天然男あらわる [家族の話]

大雨の昨日、打ち合わせで都心に出かけたら担当者にすっぽかされる_| ̄|○ il||li
「この雨でもしかしたら……」とは思っていたんだけど案の定。てなわけで、その方の上司が対応してくださり、ありがたや~。かたじけのうござる、でございました。

ヌノ.JPG


さて、今回はT君のお話。

T君本人は自分自身を腰の据わった落ち着いた男と思っているようなのだが、私から見ると激しく天然なのである。自分のペースがすべてのペース。要するにマイペースということなのだが、超をつけてもいいだろうなあと思う。

そんなT君。

ある日、紳士服のバーゲンでお仕立てYシャツを見つけた。お安い。T君自身もお仕立ての着心地の良さを知っているから、「おおおお、買おう」と2種類ほど布を選んで購入した。

そして寸法を測ってもらうために、係りの店員さんのところまで行った。

首回りやら、袖の長さやらを事細かに測り、襟の形状なんかを選んで、伝票に住所氏名を書く。

さあさあこれでお仕立てよん。




と思ったら店員さん。「名前などを刺繍できますが、どうしますか?」と聞いてくる。

即座にT君、「入れてください」とお願いする。

「では、お名前で入れますか? それともイニシャル?」と店員さん。

「じゃあ、イニシャルで」

そして、「イニシャルというと…?」と店員さんが聞いてきた。


「え~とイニシャルは…『K』で」とT君。



軽い沈黙。



<K?> 

    <K?>

          ↑ 店員さんと私は心のなかでイニシャルを反芻していたようだ^^;


そうして<これはオカシイ>と気づいた私は



「Kて誰?」 とT君に尋ねる。


「え?」




……大爆笑。



「なんでKよ?」


「あれ? いや(笑)」




どうやらT君、何にも考えずに単純に口からポロっと『K』と言ってしまったようなのだった。




天然にもほどがある…(笑) 


Kて誰?






結婚して20年も経つが、ようやくT君の本性がわかってきたなあと思う妻である。思うに、どうやら彼は思考力はじっくり型なんだけど、行動が瞬発的なんだねえ。

「じっくり型の思考=腰の据わった落ち着き」なんだろうけれど、「瞬発的=天然」が日々如実に現れるという…。そんなところばかりに妻は遭遇しているので、「T君天然説」が有力。


ということで「うちの夫は天然なんですよ~」と周囲に触れ回っているイケズな妻なのでした^^;



ちなみに私は、「思考はスピーディ」、でも「行動はトロ」…なので、体がついていかない苦しみを日々味わっています(←ウソ^^;)。

しかし、間がなくてすぐに結論に行き着いてしまうために、T君に何を言っているんだか理解されずに喧嘩になるということがよ~くありますなあ。




かなり、おそまつ。
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