こんなことを言っていた。 [霊感]
それから霊能者さんにも会い、助けを求めなければならなかった件は終息し、その後、平穏な日々を送ることができています。オカルトな話ですが、ときとしてそういうこともあるということを実感した出来事でした。
そのときの占星術師さんは、いまどうしておられるかわかりません。
ぱったりと姿を見せなくなりました。体の調子が悪いとは言っていましたが、どうされているのか……。
ちなみに普通に子どももいる主婦をされていた方です。独学で学び、銭天牛さんにお世話になり、易も身につけ……という方でした。おそらく同世代だったと思います。
その人が2002年に冊子として出版したものが手元に残っています。
彼女が、戦後頑張ってきた両親に捧げたものです。ご両親がどういう風に頑張ってこられたか、占星術を用いて読み解きつつ、敬意を表されているという、そんな冊子です。タイトルは「世間の移り変わりとこれからの自分の身の振り方―トランシット論―動乱の時代を生き延びてきたすべての人と父母に捧ぐ」。
これを何度も読み返しているのですが、今回、安倍政権が行ったこと。今後どういう変化を遂げるのか。興味深いことを記されています。その通りになってきたと感じざるを得ません。
これはこの時代に生まれてきた私たちの、星の巡りのなせる業といいますか、きっとこの時代を選んで生まれてきているのだろうし、ここで生き延びないことには、生きてきた意味がないとそんな捉え方ができる内容です。
そういう意味では、みんなの試練なんでしょうね。
ムカついている場合でない。
考えないと。
この冊子から引用させていただきます。
ここに書かれていることは、2010年に政治問題や家族の問題がピークを迎えるだろうということでした。
「『人間なのだから話し合えばわかりあえていくはずだ』『教育をきちんとすれば、人間はきちんとなっていくものだ』という啓蒙とか教育に望みを託すのだが、その結果、やはり『教育ではなく、力で管理していかねばならないのだ』という方向へ残念ながら一時的向かうのではないかと思う」と書かれています。
「地方と中央の対立。地方が独立した政治を執り行うことを中央に要求する。少数民族・地方の台頭」
「税金など、国民の義務がどんどん重くなるわりに、それを反映した政治が執り行われないので、『もう自分たちで、自分たちの税金を運用させてもらう!』という動きが、若い世代やさまざまなグループ(市民団体)から起こるのではないだろうか」
「世界での政治の地図はこの時期かなり混乱しているだろう。リーダーシップが非常に要求されている時代なのに(山羊座冥王星)それがいろいろな政変によって、リーダーシップが発揮しきれないか、あるいは強権発動をせざるをえない状況があらわれている」
「あまり考えたくないのだが、戦争の可能性が非常に高い。国までは特定できないが、どの国がリーダーシップを取っていくにしろ、その国は大きな疲弊(経済的にも、いろんな意味でも)から逃れることはできないだろう」
と書いてある。
はあ~、深呼吸、深呼吸。
これを最初に読んだときは、「まさか」と思っていました。
でも、いまとなっては、その通りになってきたと思えて仕方がありませんでした。多少の時差はありますが……。
この後、2020年に「個人と社会との対立は、極限までになっているだろう」とこの方は見ています。「山羊座・かに座が強調されるというのは『世界がゆらぐ』ことが多いのだ。だが、大惑星が水瓶座へ移動していくことによって、このあたりから再び自由というものが手に入る可能性がある。だけどそれは自由が手に入るというより、もはや自分たちを管理する存在も弱体してしまっており、個人の力に頼るしかない状況になっているのかもとも思えるのです。」と言っています。
「貨幣価値も変わってしまっているだろう。」「『食うに困る』ということが実に多い」のだそう……。
2025年。「この年に、大きなエネルギーがある。変化のための、再生のための、大きな苦しみ、そしてふたたび歩み始めることの強い意思、蟹座で金星木星の合ができている。蟹座は家族であり、国であり、みんなが集まってこそなしえるもの。そんな平和な、美しい形で再生されるだろう。牡羊座に海王星がある。牡羊座は人間でいうと、赤ん坊をあらわす。そこに海王星がある、ということは世界がまるで生まれ変わったような再生を遂げるのではないかという思いがある。水瓶座に冥王星があり、連帯して助け合っていかねば生きていけないのだ、という重圧がかかっている。だけれども、そこには自由を求めることへの理想が輝いている(牡羊座の海王星)。」と見て取れるのだそうです。
「誕生の図」と言っています。
そうあってほしいと思います。
どちらにせよ、2020年、2025年までは大変な状況が続くということ。もちろん、違ったことが起こる可能性はありますし、占星術の解釈ですから、違う見方もできるのかもしれません。でもまあ、ざっくりと見てもよくはない、ということなんだろうと思いました。
ただ、2025年までは何としても生き延びて、この目で確かめたいと思います。あと10年。
それで2025年が節目になるのかもしれないなあ~、とこの冊子を読んでから漠然と思っていましたが、不思議に思っていたことがあります。
私は年金や介護について、仕事のこともあって若干詳しいのですが、介護保険の見通しとしてのデータで、必ず2025年の高齢者の割合や認知症患者の割合、というのが出てきていたのです(かなり前から)。
「なんで2025年なんだろうなあ」と不思議に思っていたのですが、一つは団塊の世代が高齢の大きな塊を形成する年なのだと考えます。“2025年問題”とちょうど高齢化がピークを迎えるため、医療費が増大するだろうと問題視もされています。
それが妥当なのだとはわかるのですが、何となく2020年や2030年ではだめなのかと。
なんだか25年というのが日本的ではない。quarterという感じですよね。4分の1。
それが妙に気になって仕方がありませんでした。
あくまでも勘ですけどね。やっぱり2025年というのは、大きな節目を迎える年なのかもしれないなと、そんなことを感じています。
次こそ、集団的自衛権ほか11の法律について考えます。
おしまい。
追記
ちなみになんですが、「占いというものを信じているのか?」と聞かれたら、「いいことしか記憶しない」と答えます。実は「占い」というのはほとんど信じていなくて、当てはまるときもあれば、当てはまらないときもあるだろうくらいに思うだけで、あんまり気にしていないのです。
上記に書いた、どうしようもなくすがったときは、占星術師さんの女性が「これは占星術だけではどうにもならないから、知り合いの霊能者さんを紹介する」と言われて、知り合いの霊能者さんに会いました。考えてみると、このお二人は全く営業をするような人たちではなく、必要な人にだけ紹介したり、会ったりする人たちでした。悪意は感じられなかったし、ほとほと困っていた私には救いになったのは事実です。
しかし、「占い」そのものに対して、信じる信じないはそれぞれの勝手でいいと私は思っています。
祈りの力。 [霊感]
節電のために、ラジオもテレビも消して、じーっと耳を澄まして、いろんな音やイメージを捉えてみようとするのですが、ものすごいです。ものすごい数の人たちが祈っているのを感じます。
驚きました。これは相当な数です。
ものすごい勢いで、みんな祈ってらっしゃる。
ものすごい祈りの分量です。
これは日本だけの問題ではなく、地球の問題であると、気づいている人々が多いように思います。
祈りが実を結ぶことを望みます。
私も祈り続けようと思っています。
きっと大丈夫。
祈りには力があると信じています。
そしてあるブログでこんなのを見つけた。
http://www.tsukijiichiba.com/user/scripts/p_product.php?product_id=15863
早速、1セット注文。
2人家族なのでこれでゆるしてちょ~。
虫にヤモリに…。 [霊感]
久しぶりのオカルト話をば。
猫のD君がこの世を去ってしまう前後のことです。
ま~、もーね、思い出すのも涙涙のD君の話なので、つらいっちゃーつらいですが……。
D君が旅立つ3日前くらいから、テントウムシが一匹、我が家に舞い込んでいました。
キッチンの白い壁にピトッとついていまして、捕まえて逃がすのも何かな~なんて思っていたのですよ。
テントウムシは使者でしたっけ? 幸運の象徴と言う人もいるようですが、何か意味のあるものだと思えたので、邪険に扱うわけにはいかないなと。
昼間は姿を見せないのですが、夜になると出てくるテントウムシ。
何となくですけどね…本当に何となくなのですが、そのテントウムシにはそのとき、私もT君もD君も見守られているような感じがしたのです。
ただそこにいるだけなのですが。
そうして3日くらいの滞在でしたでしょうか。
不思議なことですが、D君がこの世を去ると、テントウムシの姿も消えてしまいました。
部屋を見回してみたけれど、どこにもいなくて。
夜遅くなって出てくるかと思いましたが、それでも出てこなくて…。
もしかしたらD君を導いてくれたのかな、とそんなことを思いました。
その後、たぶんアシダカグモだと思うのですが、我が家にやたらと出現するクモがいます。いつもはD君がいたら、食べはしないですが、遊びに遊んで退治してくれていたクモです。
D君亡き後、ずーっとその一匹のクモが1階に棲息していまして、何となく殺生することもできず、そのままにしていたのです。
すると今度は、リビングの大きな窓の網戸を開けると、ビタッとヤモリが一匹降ってきまして。ビックリしたのも束の間、そのままリビングのどこかへ逃げ、消えてしまいました。
その翌日の朝。今度は階段の天井近くの壁に張り付いているヤモリを発見。
そして<うわっ!>と思った途端に、ヤモリのほうがビックリして階段にビタッと落ちたのです。<ヤモリって自分でビックリして落ちたりするもんなのか?>。慌ててそそそそそと逃げ出すヤモリ。
その逃げ出す姿が実にD君にそっくりで…「もう、何やってんのよ~」と思わずつぶやいていました。
そんなわけで、またもヤモリを逃してしまうのですが。
その2日後くらいだったでしょうか。お風呂場で、例のクモと遭遇。これはもう外へ逃がすしかないと思って、お風呂場の窓にかかっているブラインドを上げて、窓から逃がそうと考えました。
そしてブラインドを上げると……。
またもヤモリがビターッっと降ってくる(笑)
奴は、そそくさと逃げようと必死です。
「あんた、また出てきたわけ~」と苦笑。
クモがお風呂場に出てきていなければ、ブランドを上げることもなかったわけで、そのタイミングがおかしいこと、おかしいこと。
そうして窓を開けて、何とかクモもヤモリも外へ出すことができたのでありました。
この出来事をどうとらえるか…。
クモやヤモリを怖いとか、気持ち悪いと思っていればそれまでだったと思います。でも、その出現の仕方や共存する姿を見て、おもしろおかしく、私は感じてしまったのです。
和ませてくれた。
慰めてくれた。
そんな感じです。
誰かが見ている、ということも感じました。
なんだかね。こんなこともあるんですよね。
その間、夫の父やご先祖様のお墓参りに行ったのですが、お墓に一匹のテントウムシが張り付いていましてね。
<あ~、これは誰かがいるとしか思えない>と感じた次第であります。
何かを伝えに来る方法の一つなんだろうなと思っています。
母来る? [霊感]
GMの会長辞任で、自動車産業の終焉かと思いつつ、『ナノ』の出現は経済界が変わろうとしている現われのような気がしたんだ。でもタタ・モーターズはインド。こういうコンパクトカーを開発しながら、ジャガーやランドローバーを買収したそうで何をかいわんや。
つまり、産業(経済)基盤の移転と言ったらいいのか。アメリカからインドへ。成長を見込めるのはインドであり、アメリカはそれを手放さなくてはならないというところなのかと思う。しかし、その内容は進化しているわけではなく、ただの移転だなと思った。
結局は何も変わらない。地球温暖化がどうたらこうたらと言っているけど、インドでこんな安価なコンパクトカーが開発され、誰もが自動車を持つようになったら、環境破壊もいいところだろうなと思う。
どこかで意識の変化も必要なんだと思うんだけど、後退しているような気がしてならなくなってきた。
さて、予告どおり(?)オカルトチックな話をひとつ。
今年に入って、私の体調はすこぶるよくない。持病もさることながら、原因不明のぎっくり腰もお見舞いされていったいどうしたことじゃ、と思っていた。
ただ、毎年2月3月というのは天中殺のようなもので、運気がドカーンと低くなるのを知っている。とにかく慎重にしなくてはならない月であることは確かなのだ。
一週間ほど前に従兄の奥さん、Mさんがうちにやってきた。母のことを慕って、ずいぶんと母とは仲良くしてくれていた人だ。母の最期にもいろいろと付き合ってくれて、ありがたい思いをした。
実はこの人がオカルト好きで、霊感のある人(?)と思われる人との付き合いがある。母もその人たちとの付き合いがあって、全く知らない仲ではないのだが……。
「toroちゃん。体の調子は大丈夫?」とMさんが言ってきた。
「う~ん、あんまりよくはなくて、薬をもらって飲んでいたりするんだけど」
「そう。実はね、Y叔母ちゃん(私の母)のお友達のHさんがね、肩が痛くてしょうがないってことを言っていて、何で肩が痛いのかわからないってことがあったの。それで、気功をしているTさんに聞いたら、toroちゃんを心配してお母さんがHさんの肩に乗っているって言うのよ」
「はあ~」
「それで、最近Tさんも気功以外でいろいろ勉強していて、toroちゃんの回りを見るとお墓があるって。昔はどこでもお墓があったものだから、そう珍しい話ではないと思うんだけど、それの障りがあってtoroちゃんの体調を悪くしていて、お母さんが心配して来ているっていうの」
「……」
「でね、Tさんが祓ってくれたから大丈夫だと思うんだけど。Hさんの肩もだいぶ楽になってきたって言うしね」
「あ~、それはありがとうございます」
というようなやりとりがあったんだ。
そのとき、何だか狐につままれたような、私の知らないところでそんなことが行われていたのか…という妙な感覚にとらわれた。
私も多少の霊感はあるほうだと思っていて、感じるときは感じるのだが、この話を聞いたときはとにかく「???」なのだった。
確かに、ぎっくり腰になったときは、「あ~お父さんのお墓参りに行くと治るような気がするなあ」とは思っていた。そして、お墓参りに行ったわけだけど、ぎっくり腰は普通に治癒したし、何と言っていいものやら…なのだ。関係していると言われればそうなのだが…。
この話を聞いてどうしても気になることがあった。肩が痛いと言ったHさんというのは母のお友達で、とっても霊感の強い人なのだ。おそらくTさんよりよくわかっているし、感じ方も私でも理解できる感じ方をしている(と思う)。
その人が、肩が痛い原因がわからないでいたというのが、どうしても解せないのだ。私からしてみれば、Tさんよりわかる人だと思うから。それなのに、わからないことをTさんが、「母が来ている」となぜ言えたのか…。
それから、母の性格を考えれば、いくら娘を心配したとしても、人を痛めつけてまで伝えようということはしないのではないかということがある。あちらの世界に行って、いまひとつ人に伝える術がなく、そうするほかなかったのかとも考えられなくもないが、でも母の性格を考えると、やっぱりオカシイような気がしてならない。しかもHさんは最近は病気がちで、つらいことも多いと思う。そういう人に何かを背負わせるようなことを母がするのかどうか…。
そして母は晩年Tさんの気功に不信感を持ち始めて、最終的には「嫌い」と言うまでになっていた。その不信感というものをいつから、どこから持ち始めたのかはわからないが、母のその思いを考えると、どうしてもMさんが言ってきたことを信じることができなかったのだった。
多少の霊感があるだろう私をもってしてもシンジラレナイのだから。
これっていったい何だろうなあと考えてしまっていて、どう考えても対処しにくく、どうしたものだろうと思っている。
過去の経験から考えても、人に痛みを与えず、心配して来ている人は、普通に心配してきてくれているものと思うのだ。(父を初めて見た日も、「心配して来てくれたんだ」とは思ったけど、人に危害を加えるようなことはなかったし)
何だかなあ~。
これで霊感商法とかに引っかかっていくのかな…と思った、ある日のことでありました。
おしまい。
お父さんが迎えに来るって…あなた。 [霊感]
ヨタバナシです。
オカルト好きな母親をもったお陰で、いろいろと苦労をしているのですが、そんななか若干霊感があるようなないような私が、こんなことを父親に頼んだのです。
ちなみに父親は30年以上前に他界しています。
「お父さん、お母さんに万が一のことがあったら迎えに来てやってね」と、霊感があるのかないのかわからない怪しいマダ~ムは父親にお願いしました。
実は、母の母親…つまりお祖母さんと、父…つまり母の夫が来ていると感じた晩があったんです、母のことを心配して。
たぶん、私も気弱になっていたと思われ、そんなことが感じられたのだと思います。
そして、父に頼んだのでありました。
それから1,2日経った晩。姉と話をしていたときのこと。「●●さんが言うには、お父さんがお母さんのことを迎えに行くといっているらしいの」と言う姉。オカルト好きの母には、なぜか霊感の強い友人がいるのです(同じ穴の狢?)。
そのとき「え?」と言う私。なんたって、1,2日前に父に頼んだばかり。
「私、お父さんにお願いしていたんだよ」よ姉に言うと、今度は姉が「え?」…。
私が父に頼んだことが、その母の友人にそのまま伝わったのか、それとも私が父に頼んだことが、父からその友人に伝わったのかはわかりませんが、そんなことがあり、あらまあ、不思議なことがあるもんだと思った夜なのでした。
とりあえず、本当かどうかはわからないけど、父には母が万が一の時には迎えに来て欲しいと願う娘なのでありました。
かなり、ヨタバナシですみません^^;
おしまい。
しょうがないと思うけど、またも頭痛がっ(!?) [霊感]
夏の定番だあねえ~。お盆(旧盆)も近いし、あの世とこの世が接近しているのかっ? と思うってしまうくらい、この時期は心霊現象とかの番組が多くなってくるから面白い。
っていうか、また来たよ、うちにも。
何かあるとやってくるT君のご先祖様だ。
ここから先は、興味のある方だけどうぞ。
火事場の馬鹿力か、はたまた念力か。 [霊感]
きわめてヨタヨタ話である。
まあ、いつもくだらないことを一人でツラツラと考えてしまうことが多い。そんなぼんやりマダ~ム(←エセ^^;)であるが、今回、ぼーっとしているときに考えついたことがあった。
小さいとき…私の場合は結婚するまでである。生まれてから結婚するまでの間、強引であったのか、わがままだったからか、自分勝手であったからか、そういうことがあったかもしれないが、自分の思ったことはかなりの率で実現したのだ。
これって念力か?
私の場合、友達になりたい、この人と知り合いになりたい…と思うと必ず実現した。
10代の後半には、それなりに名の知られている人とも知り合いになれた。「知り合いになりたい」と思った一念でだ。
私は、とくに小さいときは異常なほどの人見知りであった。一言もしゃべらない無愛想な子で有名だったのである。しかし、こと自分の、特定の人と知り合いになりたいという望みはなぜか叶えられてきたのだ。それはすごく不思議なことだと気がついた。
そして、知り合いにならなくても「この人に会いたい」と思った人がいた。
その人は小野洋子さん。
絶対に会うなんてことはないと思っていた人である。
彼女の「グレープフルーツ」という本が好きで、ジョン・レノン氏の奥さんであろうが何であろうが、小野洋子ファンになってしまったのだ。
Grapefruit: A Book of Instructions and Drawings
- 作者: Yoko Ono
- 出版社/メーカー: Simon & Schuster
- 発売日: 2000/10
- メディア: ハードカバー
(私が持っているのは和書。1980年代に出版されている。←絶版のよう)
しかし、そう簡単に会える人ではない。
コンサートに行きでもすれば、会えたのかもしれないが、そうではなく、身近で彼女の雰囲気に触れてみたいと思っていたのである。
念ずれば叶うものである。
ある日、私の先生が銀座で個展を開いた。それなりに名の知れている先生であった。その昔、その先生が小野洋子さんとも知り合いだったことも知っていたけれど、まさか先生の個展のオープニングパーティになんか来ないだろうよ…(とフツーは思うと思う)。
第一、彼女の住まいはニューヨークである。
こちとら銀座だ。(←いきなり江戸っ子^^;)
ところが、ひょいと小野洋子さんが先生の個展に訪れたのだ。
そんなに大きな会場ではない。
ビックリ仰天。たまげた、ほい。。。
手を伸ばせば、すぐそこに小野洋子さんだ……うっひょ~。
望みが叶えられた。
そして、いまになって思ったのだ。。。もしかして、念力?
こんなことってあるのかねえ~。
しかしいまはもう、そういう望みが叶えられることがほとんどない。
なぜかといえば、一念岩をも通す…というような思いがなくなったからだと思う(笑)
結婚してからは、そういった念力的な望みの叶い方はなくなったのだが、火事場の馬鹿力ともいえような力が発揮されるようになった。
土壇場の、「もうこれ以上はヤバい!」と思うようなときに、なぜかそれなりの救いの手が差し伸べられるのだ。
とくに発揮されたのは、遠い親戚のおばあさんを介護したときである。
もうヘルパーさんだけでは面倒がみきれなくなり、さりとて、私たち夫婦に引き取れるような力量もない。かといって病院に社会的入院をさせられるような状態でもない。なので特別養護老人ホームに入れるしかないということになった。
しかし、申請をしたらば2年待ちと言われた。
はて、どうするかと考えた。
何とかできる方法はないだろうかと、とにかくあっちこっちに相談に行ったのである。
市の高齢福祉課。社会福祉協議会。老健施設のケースワーカーさん。市立病院の相談室……。
思いつくところ、すべてのところへ訪れ、相談しまくった。
すると申請してから2ヶ月くらいたったとき。
ある特別養護老人ホームに空きが出たという連絡が入った。
「え? 2年待たなくていいの?」と聞くと、「大丈夫」という返事。
「よかった~」ってなもんである。
その後、この老人ホームの施設長とはすったもんだがあったけど、「マダ~ムの一念岩をも通すよ~」……。なんとか切り抜けたのである。
それで、その頃のことを思うと、なんとも不思議な気がするのだ。
私にそんな力があったろうかと。
たぶんね、火事場の馬鹿力か、はたまた念力か、なんだろうな。
加えていうと、うちの母が結構な念力おババであった(笑)
本人は気づいていないと思うが、思いが具現化することが多い人だ。
一つ、しょうもないエピソードがある。それは一緒に電車に乗っていたときである。
私の前に立っていた人が傘を持っていた。
その傘を見て、母は「危ない」と思ったようである。角度を見ると、万が一落としたとき私の頬に刺さりかねないという位置であった。なので、じーっと母はその傘を見ていたのだ。
すると思ったとおり、私の前に立っていた人は傘をするりと落として、傘は私の頬をかすめた。
「危ない!」と叫ぶ母。そしてその人を叱り出す……^^;
予知というものだったのかもしれない。でも、そのときの母の考えや姿を見ていた私は、<それって、母の念力だったんじゃないの?>と思ったのである。
落とすとわかって、さらに念が入っちゃったんだねえ(笑)
そんなことがあった。
ということで、母にはいまも「あんまり思いすぎると実現しちゃうから、やめなよ~」と言っている。
おそまつ。
昨日撮った写真なんだけどお~。 [霊感]
こんなのがいっぱい写ったんですよ~
仕事の仲間にはその場でこの話をしたんだけどー。
「そーだよなあ~、この辺は人がいっぱい亡くなっているし~」って。
「ひや~;; やめてえ。連れて帰りたくないしい~」
とは言ったものの、その後も何枚も写るものだから諦めた(笑)
今回は記録を撮るという仕事だったし、いやともいえないし。
帰ってからT君にこのことを言うと、、、
「連れて帰ってきていないだろうなあ……」と一言。
以前、連れて帰ってきてしまったようなことがあり、私ではなくT君が金縛りにあったという悲しい過去が…^^;
「いや、たぶん大丈夫。…でも一緒に写っている人はどうかな…(汗)」
そーいや~、こぎんさんのところでたくさん写っていた写真があったよなあ、と。
あとでTBさせていただきます^^;
ええ~い。もういっこ。おおきいぃ。。。見えるかなあ~。
誰が怒っていたのか。 [霊感]
昨日書いたT君の金縛りの話は、以前にも書いた話だったかもしれない、と反省。失礼いたしました。いつ書いたか忘れましたが、後で修正します。
さて、「お墓参りに行きたくない」理由はまだ分かりません。でも、「誰かが怒っている」というのは分かりつつあります。
T君のお祖母さんで寝たきりとなり、現在は胃に管を通し、高栄養輸液を流し込むことで生きながらえているという人がいます。春頃の記事にそのお祖母さんのことは何回か書いていますが、今ではもうほとんど意識がありません。
そのお祖母さんがどうも怒っているみたいに感じた私は、会社から帰ってきたばかりのT君に尋ねてみました。
私 「ねえ、お祖母ちゃんが怒っているみたいに感じるんだけど、どう思う?」
T君 「あ~、何を今さら言っているんだよ。あの祖母さんはいっつも怒っていたじゃないか」
私 「へ? そうだっけ」
T君 「そうだよ」
私 「何で怒ってんのさ」
T君 「皆にないがしろにされるからだろっ」
「あ、そうか」と合点がいった私。
私に対してそのお祖母さんは怒ることはありませんでしたが、T君の家族・親戚の状況を考えるとさもありなん、ということが大いにありました。
「年寄りを大事にする」ということと、「年寄りをないがしろにする(尊重しない)」ということを混同している節のある家族なのです。
「老いては子に従え」という言葉はありますが、だからといってないがしろにしていいというわけではないと言いたいところですが、なかなか話が通じません。
まあ、話が通じないから、T君の家族とは付き合わなくなった訳ですが…。
T君はそのことをよく分かっているので、お祖母さんが怒っていることをすぐに言い当てたのだと思います。
ということで、怒っているのはお祖母さん(らしい)ということが分かりました。
で、今なんで怒っているかというとやっぱり「ないがしろにされているから」でしょう。そして、昨日も書きましたが「もう、いいよ!」という風に感じるのです。
しかし、それと「お墓参りに行きたくない」というのと、どういう関係があるのか。
これはまだ分かりません(^^;
単純に私の本音で、行きたくないと思っているだけかもしれない、という気もしないでもない。
行きたくない理由を考えるといろいろあるし。
ということで動きがあるかもしれませんが、この話はまたそのうち。