整理。 [プンプン]
今回の安保法案の成立で、頭に来ていることがたくさんありますが、これは整理して物を考えないと混乱のもとと感じています。
なにしろ、法案成立の賛否、法案内容の賛否、手続きの問題、政府への信任不信任、選挙問題等々、いろんなことが問題としてあぶりだされているので、単純に反対であると表明するだけではなく、なぜなのか、どうしてなのかということを整理して提示しないと、理解度が低くなるばかりと思っているのです。
果たしてちゃんと理解しているのか。
現在、内閣官房、内閣府、外務省、防衛省が出した『「平和安全法性」の概要」を読み直しているところで、この法律の中身については追って述べたいと思います。
(とはいえ、読み進めれば、国会で政府に投げかけられた質問と同じような疑問が生まれて、結局法案成立後もその質問に対する明快な回答はなかったわけで、何をかいわんやという感じなんですよ。疑問が浮かぶたびにつっかえてしまう。ホント、政府はちゃんと説明責任を果たしてほしいわ、と心から思います。)
まずは一番問題だと思っているのは、手続きについてです。
国会(参議院・委員会)のあの可決されたときの映像をたまたまリアルタイムで見ていたのですが、「はあ?」と呆れるような採決風景でした。誰がどう賛成したのかなんてわかりませんでしたし、ましてや委員長(代理?)が何を言ったかさえわからない状況でした。
あれで採決した・可決した、と言えるのか。
全くなっていない手続きの一つです。
それ以前に、憲法学者のほとんどが「違憲」と言った法案を、どうして成立させるのか全く理解できませんでした。
ほんの数人が違憲ではないとしただけで、法律を制定していいのか、という話です。
この手続きに関しては、違憲だと言うならば、まずは違憲とされる部分の憲法を改正して、それから法案の議論がなされるべきです。
それが、憲法改正をすっとばして法案成立ですよ。これは、「憲法とはなんぞ?」と問われる事件です。
「明鏡国語辞典(大修館書店)」には、「憲法」とは何と書いてあるでしょうか。見てみましょう。
「憲法とは国家の統治機構などの基本的な事項を定めた最高法規。他の法律や命令によって変更することはできない。」と書いてあります。
日本弁護士連合会のサイトではこう記されていました。
「憲法は、国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)です。
たとえば、国民の表現の自由を守るため、憲法21条は「…表現の自由は、これを保障する」と定めて、国に対し、国民の表現活動を侵してはならないと縛りをかけているのです(これが「基本的人権の保障」です。)。
このように、国民が制定した憲法によって国家権力を制限し、人権保障をはかることを「立憲主義」といい、憲法について最も基本的で大切な考え方です。
そして、国民の権利・自由を守るため国に縛りをかけるという役割をもっている憲法が、簡単に変えられてその縛りが緩められてしまうようでは困りますから、通常、立憲主義の国では、憲法を変えるには、普通の法律を変えるより厳しい手続が必要とされています。
憲法は、国民のために、国民の権利・自由を国家権力から守るためにあるのです。」
今回のこの法律で大きく取りざたされたのは、この憲法解釈をめぐるものでした。専門家たちは一様に政府が出してきた解釈は「違憲である」としたにも関わらず、法案を成立させてしまったのです。
『日本は「立憲主義」の国ではないのか』と、反対をしている人から多く聞かれたと思います。明らかに政府の行ったことは立憲主義に反することです。違憲なのですから。
日本弁護士連合会の言葉を借りれば、「国民の権利・自由を国家権力から守るためにある憲法」を無視して法案を成立させたわけです。つまり、国民の権利・自由が国家権力に脅かされたと解釈できるのではないでしょうか。
国民は国家権力に蔑ろにされたと、私は理解しました。
ここで、「国民が選んだ国会議員なのだから、そもそも国民が悪いのではないか」と言い出す人がいるかと思います。
こうなると民主主義って何ですか? という話になるのですが、その前に選挙について述べたいと思います。
国会議員は多数決で決まるというのは、どの人もわかっているでしょう。でも、「一票の格差」という言葉を聞いたことがあるかと思います。
この格差については、訴訟問題にまでなっています。最高裁判所の判断では、これも「違憲」であるという判断がなされていますが、選挙の無効にまではなっていません。そのため一票の格差是正は行われていない状況です。
私は神奈川県在住ですが、一票の格差から考えると、一票の重みは0.5程度なんだそうです。夫婦2人で一票にしかならない計算になるようです。いい大人が半人前ですよ(笑)
一人分の意見として反映されていないのが、日本の選挙制度の現状です。
さらに、「小選挙区制」の問題。
一人しか当選しない選挙について、ここで、ひとつの例を挙げましょう。
A地区という選挙区があったとします。
候補者が二人。自民党のBさん、民社党のCさんが立候補をしました。
選挙を行い、開票をしてみればBさんは10001票、Cさんは10000票でした。当選したのはBさんということになります。
たった一票差でBさんが当選です。Cさんに投票した人たちの意見はどうしたらいいのでしょうか。
これが中選挙区制であったらどうなるでしょうか。一つの選挙区から、3人が当選するということにします。すると、Bさんも、Cさんも当選です。Cさんの10000票が生かされるということになります。
また、一人しか当選できない小選挙区制で、3人の候補者が立候補したとしましょう。
Bさん10000票、Cさん5500票、Dさん5000票となると、やはりBさんの当選です。
これでは、CさんとDさんに投票された合計10500票が全く生かされないことになります。Cさん、Dさんの2人が立候補せずに、どちらか一人だったら、Bさんを押しのけて当選ができたとも考えられるのです。
まるでトリックのようですが、いまの選挙区制はこういった問題があるのです。
全有権者の中での得票割合(絶対得票率)を見るとわかるのですが、赤旗から引用します(共産党を嫌う人が多いと思いますが、こういう数字は自民党からは出てこないので)。
昨年末に行われた総選挙によると、「全有権者の中での得票割合を示す絶対得票率でみれば、自民は比例代表選挙で16.99%、小選挙区で24.49%しかありません。」ということです。
にもかかわらず、自民・公明で議席の2/3以上を占めることに。
でも小選挙区の絶対得票率では24.49%ですよ。1/4以下です。
これが民主主義なのでしょうか、ということです。
「国民が選んだ議員だから」と言いたいことはわかります。でも、この選挙制度の歪みともいえる欠陥のせいで、民意が反映されないということが起きていることは念頭に入れるべきなのではないでしょうか。
では、昨年末の選挙結果ですが、東京3区を見てみます。
石原宏高氏(自民) 115,623票
松原 仁 氏(民主) 111,353票
香西克介氏(共産) 34,295票
4,270票という僅差で石原氏が当選しました。
これがもし松原氏、香西氏のどちらか一人が立候補して、このお二人の票が一人に投票されたとすると、合計で145,648票となり、石原氏を破り当選したことになります。
2人分の得票数を合わせれば、石原氏の得票数を上回るのです。
でも残念なことに、石原氏が当選したことで145,648人が投票した票が捨てられてしまったわけです。
これが多数決だから仕方がないと言える状態なのでしょうか。どう見ても民主主義の国家がやっていることとは思えない。
絶対得票率の、自民党に投票をしていない(棄権している人もいるけど)有権者の75.51%の意見は、消えてしまっていると考えてもおかしくないと思います。
大きな政党に有利に動く小選挙区制も、いまの国会を作り出してしまった弊害だと私は思っています。
一票の格差と小選挙区制。これはいくら選挙に行ったって、なかなか変えられないカラクリになっています。
ただ言えることは、捨てられてしまった票である有権者の意見も聞き、それを国政に反映させるのが「民主主義」というものです。それを国会議員は忘れてはいけない。それこそ議員の責務です。
国民ももちろん忘れてはいけません。憲法のもとでは、主権者は国民なのですから。
ということで、今回整理したのは、以上の手続きと選挙についてです。法案どころか、体制の成り立ちから間違っているというお話でした。
おしまい。
オールブラックスのカッコいいハカを貼り付けます。気合が入るわ~^^
なにしろ、法案成立の賛否、法案内容の賛否、手続きの問題、政府への信任不信任、選挙問題等々、いろんなことが問題としてあぶりだされているので、単純に反対であると表明するだけではなく、なぜなのか、どうしてなのかということを整理して提示しないと、理解度が低くなるばかりと思っているのです。
果たしてちゃんと理解しているのか。
現在、内閣官房、内閣府、外務省、防衛省が出した『「平和安全法性」の概要」を読み直しているところで、この法律の中身については追って述べたいと思います。
(とはいえ、読み進めれば、国会で政府に投げかけられた質問と同じような疑問が生まれて、結局法案成立後もその質問に対する明快な回答はなかったわけで、何をかいわんやという感じなんですよ。疑問が浮かぶたびにつっかえてしまう。ホント、政府はちゃんと説明責任を果たしてほしいわ、と心から思います。)
まずは一番問題だと思っているのは、手続きについてです。
国会(参議院・委員会)のあの可決されたときの映像をたまたまリアルタイムで見ていたのですが、「はあ?」と呆れるような採決風景でした。誰がどう賛成したのかなんてわかりませんでしたし、ましてや委員長(代理?)が何を言ったかさえわからない状況でした。
あれで採決した・可決した、と言えるのか。
全くなっていない手続きの一つです。
それ以前に、憲法学者のほとんどが「違憲」と言った法案を、どうして成立させるのか全く理解できませんでした。
ほんの数人が違憲ではないとしただけで、法律を制定していいのか、という話です。
この手続きに関しては、違憲だと言うならば、まずは違憲とされる部分の憲法を改正して、それから法案の議論がなされるべきです。
それが、憲法改正をすっとばして法案成立ですよ。これは、「憲法とはなんぞ?」と問われる事件です。
「明鏡国語辞典(大修館書店)」には、「憲法」とは何と書いてあるでしょうか。見てみましょう。
「憲法とは国家の統治機構などの基本的な事項を定めた最高法規。他の法律や命令によって変更することはできない。」と書いてあります。
日本弁護士連合会のサイトではこう記されていました。
「憲法は、国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)です。
たとえば、国民の表現の自由を守るため、憲法21条は「…表現の自由は、これを保障する」と定めて、国に対し、国民の表現活動を侵してはならないと縛りをかけているのです(これが「基本的人権の保障」です。)。
このように、国民が制定した憲法によって国家権力を制限し、人権保障をはかることを「立憲主義」といい、憲法について最も基本的で大切な考え方です。
そして、国民の権利・自由を守るため国に縛りをかけるという役割をもっている憲法が、簡単に変えられてその縛りが緩められてしまうようでは困りますから、通常、立憲主義の国では、憲法を変えるには、普通の法律を変えるより厳しい手続が必要とされています。
憲法は、国民のために、国民の権利・自由を国家権力から守るためにあるのです。」
今回のこの法律で大きく取りざたされたのは、この憲法解釈をめぐるものでした。専門家たちは一様に政府が出してきた解釈は「違憲である」としたにも関わらず、法案を成立させてしまったのです。
『日本は「立憲主義」の国ではないのか』と、反対をしている人から多く聞かれたと思います。明らかに政府の行ったことは立憲主義に反することです。違憲なのですから。
日本弁護士連合会の言葉を借りれば、「国民の権利・自由を国家権力から守るためにある憲法」を無視して法案を成立させたわけです。つまり、国民の権利・自由が国家権力に脅かされたと解釈できるのではないでしょうか。
国民は国家権力に蔑ろにされたと、私は理解しました。
ここで、「国民が選んだ国会議員なのだから、そもそも国民が悪いのではないか」と言い出す人がいるかと思います。
こうなると民主主義って何ですか? という話になるのですが、その前に選挙について述べたいと思います。
国会議員は多数決で決まるというのは、どの人もわかっているでしょう。でも、「一票の格差」という言葉を聞いたことがあるかと思います。
この格差については、訴訟問題にまでなっています。最高裁判所の判断では、これも「違憲」であるという判断がなされていますが、選挙の無効にまではなっていません。そのため一票の格差是正は行われていない状況です。
私は神奈川県在住ですが、一票の格差から考えると、一票の重みは0.5程度なんだそうです。夫婦2人で一票にしかならない計算になるようです。いい大人が半人前ですよ(笑)
一人分の意見として反映されていないのが、日本の選挙制度の現状です。
さらに、「小選挙区制」の問題。
一人しか当選しない選挙について、ここで、ひとつの例を挙げましょう。
A地区という選挙区があったとします。
候補者が二人。自民党のBさん、民社党のCさんが立候補をしました。
選挙を行い、開票をしてみればBさんは10001票、Cさんは10000票でした。当選したのはBさんということになります。
たった一票差でBさんが当選です。Cさんに投票した人たちの意見はどうしたらいいのでしょうか。
これが中選挙区制であったらどうなるでしょうか。一つの選挙区から、3人が当選するということにします。すると、Bさんも、Cさんも当選です。Cさんの10000票が生かされるということになります。
また、一人しか当選できない小選挙区制で、3人の候補者が立候補したとしましょう。
Bさん10000票、Cさん5500票、Dさん5000票となると、やはりBさんの当選です。
これでは、CさんとDさんに投票された合計10500票が全く生かされないことになります。Cさん、Dさんの2人が立候補せずに、どちらか一人だったら、Bさんを押しのけて当選ができたとも考えられるのです。
まるでトリックのようですが、いまの選挙区制はこういった問題があるのです。
全有権者の中での得票割合(絶対得票率)を見るとわかるのですが、赤旗から引用します(共産党を嫌う人が多いと思いますが、こういう数字は自民党からは出てこないので)。
昨年末に行われた総選挙によると、「全有権者の中での得票割合を示す絶対得票率でみれば、自民は比例代表選挙で16.99%、小選挙区で24.49%しかありません。」ということです。
にもかかわらず、自民・公明で議席の2/3以上を占めることに。
でも小選挙区の絶対得票率では24.49%ですよ。1/4以下です。
これが民主主義なのでしょうか、ということです。
「国民が選んだ議員だから」と言いたいことはわかります。でも、この選挙制度の歪みともいえる欠陥のせいで、民意が反映されないということが起きていることは念頭に入れるべきなのではないでしょうか。
では、昨年末の選挙結果ですが、東京3区を見てみます。
石原宏高氏(自民) 115,623票
松原 仁 氏(民主) 111,353票
香西克介氏(共産) 34,295票
4,270票という僅差で石原氏が当選しました。
これがもし松原氏、香西氏のどちらか一人が立候補して、このお二人の票が一人に投票されたとすると、合計で145,648票となり、石原氏を破り当選したことになります。
2人分の得票数を合わせれば、石原氏の得票数を上回るのです。
でも残念なことに、石原氏が当選したことで145,648人が投票した票が捨てられてしまったわけです。
これが多数決だから仕方がないと言える状態なのでしょうか。どう見ても民主主義の国家がやっていることとは思えない。
絶対得票率の、自民党に投票をしていない(棄権している人もいるけど)有権者の75.51%の意見は、消えてしまっていると考えてもおかしくないと思います。
大きな政党に有利に動く小選挙区制も、いまの国会を作り出してしまった弊害だと私は思っています。
一票の格差と小選挙区制。これはいくら選挙に行ったって、なかなか変えられないカラクリになっています。
ただ言えることは、捨てられてしまった票である有権者の意見も聞き、それを国政に反映させるのが「民主主義」というものです。それを国会議員は忘れてはいけない。それこそ議員の責務です。
国民ももちろん忘れてはいけません。憲法のもとでは、主権者は国民なのですから。
ということで、今回整理したのは、以上の手続きと選挙についてです。法案どころか、体制の成り立ちから間違っているというお話でした。
おしまい。
オールブラックスのカッコいいハカを貼り付けます。気合が入るわ~^^
快挙 [スポーツ]
どうもご無沙汰をしていてすみません。シルバーウィークなんていう連休があって、調子が狂っちゃいました(笑)
皆様、いかがお過ごしでしょうか。猛暑(酷暑)も終わり、いい気候になってきましたね。
さてさて。このことは書いておかないといけないでしょうというラグビーのこと。
「おいおい、あんたはサッカー好きではなかったか?」とお思いの方も多いと思いますが、ラグビーも好きなんです。サッカーは小学生のころからの筋金入りですが、ラグビーは、夫T君の出身大学がラグビーの強豪校だったということがあります。
結婚して一緒に見るようになってはまりました^^;
因みに結婚した年が第一回ラグビーW杯が開催された年でもあるのですよ。
そりゃ見ちゃうよねえ。
もともとスポーツ競技を見るのが好き(ルールを覚えるのも得意)ということもあって、T君が見ていれば私も見ると。その内、私のほうがたくさん見ていたりするようになる。大学ラグビーだけではなく、社会人ラグビーも見始めていました。
ちょうどこのころの社会人ラグビーは、ほぼ同世代の人たちが選手だったので、結構思い出深いです。平尾選手、大八木選手、林選手と、神戸製鋼が強かった時代。その前は新日鉄釜石が強い時代を築いていました。
ついでを言うと、フルタイムの会社員時代。その会社の社長がラグビーの選手だった(!)ということもあって、会社ではラグビー談議に花を咲かせることも。女性でラグビーを見る人は少なかったですから、社長もうれしくなっていたんでしょうねえ(笑)
で~ですよ。平尾選手等々がW杯に出て、さあ勝てるかと言ったら、世界の強豪相手にラグビーというものは簡単には勝てません。
今回の南アフリカ戦の快挙でも、「ラグビーに奇跡はない」と言われています。つまり実力が物を言うんですよ。運で勝てるものではないと。
なので、これまでラグビー日本代表は勝てた例がない。もちろんアジアでは一番強いですから、アジアのチーム相手(格下相手)には勝てますが、それ以外は「いやいやいや~」と勝てません。格下も少ない。
なんたって今回のW杯予選の2位は香港ですから、推して知るべし。
そのため、快挙となった南アフリカ戦は、実はリアルタイムでは見ていないのです。
お彼岸ですから、翌日早朝にT君家のお墓参りに行くことにしていて、「夜中の試合は見られないよね~」と録画予約をして寝てしまったのです。「どうせ勝てるわけがない」と思っていたので。
ところが翌朝5時に起きて、「さあ、お墓参りに行きますか」と腰を上げたとき、T君が「南アフリカに勝ったてよ!」とタブレット片手に私に言うではありませんか。
「え~~~~~!!!!!!」
真剣に驚きました。「なんで????」って感じだったのです。鳩豆状態(笑)
それからお墓参りに行く道中はネットを漁り、どんな勝ち方をしたのか、検索しまくり読みまくり。
なんかもう大どんでん返しがあったと読んだだけで、わくわくドキドキ。
家に帰って録画を見るのが楽しみとなりました。
そして帰ってきて、じっくりと試合を観はじめました。
初めは南アフリカが日本をなめている感じがありあり。でも、日本が先制ですよ。試合結果を知らなければ、先制しただけで十分と思っていたことと思います。
ペナルティゴールを選ばず、スクラムを選ぶ南アフリカを見て、やっぱりなめられているよなあと思いつつ、だけど点を取られたら取り返すが続きます。
あれ? 思いました。タックルがとても有効だし、反則もない。パスミスもなけりゃ、マイボールのラインアウトは確実に取っている。反対に、南アフリカのほうがミスが目立っていたように思います。
段々と焦り出す南アフリカ。観客も、食らいつく日本代表を応援しだしていることがわかります。会場の雰囲気が日本のホームのよう。
あまりの素晴らしさに泣いてしまいそうになりました。でもまだまだ。
ついには南アフリカが確実なペナルティゴールを選び出したときには、日本をなめてかかってはいけないと気づいたか~! と(興奮^^;)。
そして最後、南アフリカがこれまたペナルティゴールを選び、3点差に逆転。
しかし日本はワントライで逆転できることになります。そうして自陣にボールが進み、南アフリカが反則をします。さあ、日本はどうする。残された時間はほとんどない。ペナルティゴールを狙えばドロー。トライを決めれば勝利は確実。
もうねえ、勝ったのをわかっているとはいえ、この瞬間の日本選手のカッコよさったらなかったです。
トライを決められなければ負けるのに、スクラムを選んだんですよ~。「ひゃ~、カッケ―!!」とオバサンは叫んでいました(笑)
一方、南アフリカの選手は、このとき手を叩いていました。スクラムになれば、自分たちのほうが行けると思ったんでしょうね。
この後、絶対反則を犯してはいけないし、ボールが外に出てしまっては、そこでノーサイド。もちろん、相手にボールが渡ってしまったらそこでおしまいです。
ドキドキしました。細かくパスを回して、キャプテンのリーチが右サイドでトライを決めようというときに、外に出されそうになって、「出ちゃダメ―」と叫ぶ^^;
そして左サイドにボールが出て、マフィ選手がボールを持ちつつ相手を押しのけ、大外のヘスケス選手にボールが渡ったとき、「行け~!!」ですよ。アナウンサーも「行けえ~~」と大声で叫んでいました。
トライを決めた直後、アナウンサーが泣いているのがわかります。解説者も泣いていたでしょう。もう、何度見ても感動です。
翌日はスポーツ新聞を買って余韻に浸ると。
なでしこがW杯で優勝したときも、生きているうちにこんな光景が見られるなんて、と思っていましたが、ラグビーの日本代表のこんな試合も見られるなんて、と思いました。
そのくらいすごいことです。生きているうちに見られてよかった;;
五郎丸選手のこの言葉も胸を打ちます。
ちなみに五郎丸選手のあのポーズは、ウィルキンソンという選手が昔イングランドにいまして、その人が五郎丸選手のようなポーズをしていたのです。これは覚えていたので、今回五郎丸選手が注目されていますが、あれはウィルキンソン由来なのでした。
スコットランド戦は中3日という強行スケジュールでした。観れば疲れているのが一目瞭然。ミスが多かったのは集中力がなかったから。疲れが取れていなければ集中力も途切れるというものです。これは不運。でも弱いチームだからこんなスケジュールにもなってしまうのです。
今後、強豪チームに勝つことは(W杯に優勝することは)、まず、ない、と思いますが、この快挙は死ぬまで記憶しておきたいと思います。
いい試合だった~!
おしまい。
次回は、安倍政権のぷんぷんを書く予定。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。猛暑(酷暑)も終わり、いい気候になってきましたね。
さてさて。このことは書いておかないといけないでしょうというラグビーのこと。
「おいおい、あんたはサッカー好きではなかったか?」とお思いの方も多いと思いますが、ラグビーも好きなんです。サッカーは小学生のころからの筋金入りですが、ラグビーは、夫T君の出身大学がラグビーの強豪校だったということがあります。
結婚して一緒に見るようになってはまりました^^;
因みに結婚した年が第一回ラグビーW杯が開催された年でもあるのですよ。
そりゃ見ちゃうよねえ。
もともとスポーツ競技を見るのが好き(ルールを覚えるのも得意)ということもあって、T君が見ていれば私も見ると。その内、私のほうがたくさん見ていたりするようになる。大学ラグビーだけではなく、社会人ラグビーも見始めていました。
ちょうどこのころの社会人ラグビーは、ほぼ同世代の人たちが選手だったので、結構思い出深いです。平尾選手、大八木選手、林選手と、神戸製鋼が強かった時代。その前は新日鉄釜石が強い時代を築いていました。
ついでを言うと、フルタイムの会社員時代。その会社の社長がラグビーの選手だった(!)ということもあって、会社ではラグビー談議に花を咲かせることも。女性でラグビーを見る人は少なかったですから、社長もうれしくなっていたんでしょうねえ(笑)
で~ですよ。平尾選手等々がW杯に出て、さあ勝てるかと言ったら、世界の強豪相手にラグビーというものは簡単には勝てません。
今回の南アフリカ戦の快挙でも、「ラグビーに奇跡はない」と言われています。つまり実力が物を言うんですよ。運で勝てるものではないと。
なので、これまでラグビー日本代表は勝てた例がない。もちろんアジアでは一番強いですから、アジアのチーム相手(格下相手)には勝てますが、それ以外は「いやいやいや~」と勝てません。格下も少ない。
なんたって今回のW杯予選の2位は香港ですから、推して知るべし。
そのため、快挙となった南アフリカ戦は、実はリアルタイムでは見ていないのです。
お彼岸ですから、翌日早朝にT君家のお墓参りに行くことにしていて、「夜中の試合は見られないよね~」と録画予約をして寝てしまったのです。「どうせ勝てるわけがない」と思っていたので。
ところが翌朝5時に起きて、「さあ、お墓参りに行きますか」と腰を上げたとき、T君が「南アフリカに勝ったてよ!」とタブレット片手に私に言うではありませんか。
「え~~~~~!!!!!!」
真剣に驚きました。「なんで????」って感じだったのです。鳩豆状態(笑)
それからお墓参りに行く道中はネットを漁り、どんな勝ち方をしたのか、検索しまくり読みまくり。
なんかもう大どんでん返しがあったと読んだだけで、わくわくドキドキ。
家に帰って録画を見るのが楽しみとなりました。
そして帰ってきて、じっくりと試合を観はじめました。
初めは南アフリカが日本をなめている感じがありあり。でも、日本が先制ですよ。試合結果を知らなければ、先制しただけで十分と思っていたことと思います。
ペナルティゴールを選ばず、スクラムを選ぶ南アフリカを見て、やっぱりなめられているよなあと思いつつ、だけど点を取られたら取り返すが続きます。
あれ? 思いました。タックルがとても有効だし、反則もない。パスミスもなけりゃ、マイボールのラインアウトは確実に取っている。反対に、南アフリカのほうがミスが目立っていたように思います。
段々と焦り出す南アフリカ。観客も、食らいつく日本代表を応援しだしていることがわかります。会場の雰囲気が日本のホームのよう。
あまりの素晴らしさに泣いてしまいそうになりました。でもまだまだ。
ついには南アフリカが確実なペナルティゴールを選び出したときには、日本をなめてかかってはいけないと気づいたか~! と(興奮^^;)。
そして最後、南アフリカがこれまたペナルティゴールを選び、3点差に逆転。
しかし日本はワントライで逆転できることになります。そうして自陣にボールが進み、南アフリカが反則をします。さあ、日本はどうする。残された時間はほとんどない。ペナルティゴールを狙えばドロー。トライを決めれば勝利は確実。
もうねえ、勝ったのをわかっているとはいえ、この瞬間の日本選手のカッコよさったらなかったです。
トライを決められなければ負けるのに、スクラムを選んだんですよ~。「ひゃ~、カッケ―!!」とオバサンは叫んでいました(笑)
一方、南アフリカの選手は、このとき手を叩いていました。スクラムになれば、自分たちのほうが行けると思ったんでしょうね。
この後、絶対反則を犯してはいけないし、ボールが外に出てしまっては、そこでノーサイド。もちろん、相手にボールが渡ってしまったらそこでおしまいです。
ドキドキしました。細かくパスを回して、キャプテンのリーチが右サイドでトライを決めようというときに、外に出されそうになって、「出ちゃダメ―」と叫ぶ^^;
そして左サイドにボールが出て、マフィ選手がボールを持ちつつ相手を押しのけ、大外のヘスケス選手にボールが渡ったとき、「行け~!!」ですよ。アナウンサーも「行けえ~~」と大声で叫んでいました。
トライを決めた直後、アナウンサーが泣いているのがわかります。解説者も泣いていたでしょう。もう、何度見ても感動です。
翌日はスポーツ新聞を買って余韻に浸ると。
なでしこがW杯で優勝したときも、生きているうちにこんな光景が見られるなんて、と思っていましたが、ラグビーの日本代表のこんな試合も見られるなんて、と思いました。
そのくらいすごいことです。生きているうちに見られてよかった;;
ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ。
#JapanWay
— 五郎丸歩 (@Goro_15) 2015, 9月 20
五郎丸選手のこの言葉も胸を打ちます。
ちなみに五郎丸選手のあのポーズは、ウィルキンソンという選手が昔イングランドにいまして、その人が五郎丸選手のようなポーズをしていたのです。これは覚えていたので、今回五郎丸選手が注目されていますが、あれはウィルキンソン由来なのでした。
スコットランド戦は中3日という強行スケジュールでした。観れば疲れているのが一目瞭然。ミスが多かったのは集中力がなかったから。疲れが取れていなければ集中力も途切れるというものです。これは不運。でも弱いチームだからこんなスケジュールにもなってしまうのです。
今後、強豪チームに勝つことは(W杯に優勝することは)、まず、ない、と思いますが、この快挙は死ぬまで記憶しておきたいと思います。
いい試合だった~!
おしまい。
次回は、安倍政権のぷんぷんを書く予定。
盗作はいかんよね。 [プンプン]
ある企業のサイトに、私が撮った写真が掲載されています。もちろんギャラをもらって撮影したもの。
風景写真なのですが、目的がはっきりとした商業的な写真です。なので、契約上その写真の著作権は、そのサイトを運営している企業に置かれ、私もそれを了承しています。
その写真をチラシに使いたいと、ほかの企業からサイトを運営する企業に連絡がありました。
著作権はサイトを運営する企業にあるのですから、そこでOKを出せばいいものなのですが、わざわざ撮影者の私に連絡をくれました。「使いたいと言っている企業があるけれどいいでしょうか」と許諾を得に連絡をしてきたのです。
私には著作権はないですから、「どうぞどうぞ」と言うだけですが、真っ当な(良心的な)企業というものは、こうして連絡をしてくるのですよ。
きっと、私の知らないところで、私が撮った写真を目にすることもあるだろうという想像があったのだと思います。そうなる前に連絡をしておかなくては、と思ったのでしょう。社内の人間が撮ったのならまだしも、社外の人間の私が撮った写真であり、全く知らない企業が使用するというのですから、そりゃ一言伝えておかなくてはと思うものです。
今回のオリンピックエンブレムの騒動を見ていて思ったことは、そういったごくごく常識的に行うべきものが行われずに、そのまま来ていたことに驚きを隠せませんでした。
いや全くを持って驚きです。
オリンピックエンブレムをデザインしたと言われる佐野研二郎さんが、ずいぶんとバッシングを受けているようですが、ちゃんとした社会人が、どうしてこのようなことを怠ったのか、不思議でなりません。
ちゃんとした社会生活を送っている社会人が、彼をバッシングしてもおかしくない騒動だと思っています。
こんな個人のブログでも、著作権については非常に気にしてしまうときもあるのに。
他の人の文章を用いるときも、転載ではなく引用と判断できるように、気を配っているのに。
佐野研二郎さんのオリンピックエンブレムのデザインは好きではありませんでした。おそらく初めて見たときに「あれ?」と思った人は多く存在すると思います。「これが優秀なデザインだというのか?」と。
何だか納得がいかない。でも、これに決まったのなら……、という感じだったのではないかと思います。
ところがです。やっぱり初めて見たときに「あれ?」に、妙な既視感があったのだろうと思います。「何かに似ている」と。「何かがおかしい」と。
それからですよ。ぼろぼろぼろぼろと呆れるほど出てきて。
出来レースと言われても仕方のないようなプロセスで、エンブレムは決められていたようですしね。
新国立競技場のゴタゴタを思い出します。
あのデザインも決定までのプロセスが伝わってきていなかったということに、大きな問題があったということ。
つまりはプロセスを伝えたくない人たちがいたのだろうということです。
それはどんな人たちかと考えると、要するに利権に巣食う人々でしょう。
自分たちの思った通りに事を運んで、懐を温めたいと思っているような人々です。
何だかね。
最近、利権まみれの人たちも、益々頭が悪くなっているのではないかな、と思います。「もう少し上手にやったら?」と皮肉に思うほどやり方が杜撰。
国民をバカにしているとしか思えないです。国民はバカだから見つからないだろう、くらいに思っていたのか……。
あまりにもバカバカしくて、ポカーンとなるような騒動の数々です。
安倍さんもね(←一応、「さん」付け)。何度も言っている「丁寧に説明する」という意味がわかっておられないようで。情けない。(ついでに秘密保護法なんていうのは、こういったことが起こる前に蓋をしてしまえ的な法律ですよ。劣化のなれの果ての法律なのかと、いま思いました)。
それだけ、政治家も官僚も、その周辺の人々も、劣化してきているのかとガックリです。
しかし、盗作はいかんよ、盗作は。そして、無断で人の作品を使うのもいかんよ。一言、許諾を得ればいいことなのに。お金が必要ならば、お金を払えばいいことなのに。手抜きしすぎ。
これで一流のデザイナーかと思うと、それこそ世も末。
ほかのデザイナーさんたちがかわいそうだと思った一件でした。
おしまい。
つば九郎もやるなあ~(笑)
http://tsubamesoku.blog.jp/archives/1039296189.html
風景写真なのですが、目的がはっきりとした商業的な写真です。なので、契約上その写真の著作権は、そのサイトを運営している企業に置かれ、私もそれを了承しています。
その写真をチラシに使いたいと、ほかの企業からサイトを運営する企業に連絡がありました。
著作権はサイトを運営する企業にあるのですから、そこでOKを出せばいいものなのですが、わざわざ撮影者の私に連絡をくれました。「使いたいと言っている企業があるけれどいいでしょうか」と許諾を得に連絡をしてきたのです。
私には著作権はないですから、「どうぞどうぞ」と言うだけですが、真っ当な(良心的な)企業というものは、こうして連絡をしてくるのですよ。
きっと、私の知らないところで、私が撮った写真を目にすることもあるだろうという想像があったのだと思います。そうなる前に連絡をしておかなくては、と思ったのでしょう。社内の人間が撮ったのならまだしも、社外の人間の私が撮った写真であり、全く知らない企業が使用するというのですから、そりゃ一言伝えておかなくてはと思うものです。
今回のオリンピックエンブレムの騒動を見ていて思ったことは、そういったごくごく常識的に行うべきものが行われずに、そのまま来ていたことに驚きを隠せませんでした。
いや全くを持って驚きです。
オリンピックエンブレムをデザインしたと言われる佐野研二郎さんが、ずいぶんとバッシングを受けているようですが、ちゃんとした社会人が、どうしてこのようなことを怠ったのか、不思議でなりません。
ちゃんとした社会生活を送っている社会人が、彼をバッシングしてもおかしくない騒動だと思っています。
こんな個人のブログでも、著作権については非常に気にしてしまうときもあるのに。
他の人の文章を用いるときも、転載ではなく引用と判断できるように、気を配っているのに。
佐野研二郎さんのオリンピックエンブレムのデザインは好きではありませんでした。おそらく初めて見たときに「あれ?」と思った人は多く存在すると思います。「これが優秀なデザインだというのか?」と。
何だか納得がいかない。でも、これに決まったのなら……、という感じだったのではないかと思います。
ところがです。やっぱり初めて見たときに「あれ?」に、妙な既視感があったのだろうと思います。「何かに似ている」と。「何かがおかしい」と。
それからですよ。ぼろぼろぼろぼろと呆れるほど出てきて。
出来レースと言われても仕方のないようなプロセスで、エンブレムは決められていたようですしね。
新国立競技場のゴタゴタを思い出します。
あのデザインも決定までのプロセスが伝わってきていなかったということに、大きな問題があったということ。
つまりはプロセスを伝えたくない人たちがいたのだろうということです。
それはどんな人たちかと考えると、要するに利権に巣食う人々でしょう。
自分たちの思った通りに事を運んで、懐を温めたいと思っているような人々です。
何だかね。
最近、利権まみれの人たちも、益々頭が悪くなっているのではないかな、と思います。「もう少し上手にやったら?」と皮肉に思うほどやり方が杜撰。
国民をバカにしているとしか思えないです。国民はバカだから見つからないだろう、くらいに思っていたのか……。
あまりにもバカバカしくて、ポカーンとなるような騒動の数々です。
安倍さんもね(←一応、「さん」付け)。何度も言っている「丁寧に説明する」という意味がわかっておられないようで。情けない。(ついでに秘密保護法なんていうのは、こういったことが起こる前に蓋をしてしまえ的な法律ですよ。劣化のなれの果ての法律なのかと、いま思いました)。
それだけ、政治家も官僚も、その周辺の人々も、劣化してきているのかとガックリです。
しかし、盗作はいかんよ、盗作は。そして、無断で人の作品を使うのもいかんよ。一言、許諾を得ればいいことなのに。お金が必要ならば、お金を払えばいいことなのに。手抜きしすぎ。
これで一流のデザイナーかと思うと、それこそ世も末。
ほかのデザイナーさんたちがかわいそうだと思った一件でした。
おしまい。
つば九郎もやるなあ~(笑)
http://tsubamesoku.blog.jp/archives/1039296189.html