絵本がない? [本の感想]
少し本の話が続きます。というのも、ヒマなのです。
うむ、多少の語弊はありますが、いま本を読むことぐらいしか思いつかず、何かをしようという気にもならず、ただただぼ~っとしているか、本を読んでいるかという感じでありまして。
なんて贅沢な時間の使い方をしているのだろうと若干の罪悪感も覚えつつ……(笑)
だけど、最近読んだ本ではなく、昨年読んだ本のお話。「あのとき、この本」。
絵本についてのエッセイを71人分まとめた本です。
それぞれが幼いころに触れて印象に残った絵本を紹介しているのですが、その絵本にまつわるご本人のエピソードを含めてエッセイとして書かれています。
添えられた「ときこの本」という漫画がちょっとしたアクセントになっていて、面白く読ませる構成になっています。
これを買って読もうと思ったのは、本好きを自認する人間ですから、これは読んで共感する部分がいっぱいあるに違いない。そんなことを感じ購入に至ったのでした。
そして手に取り読んでみると……。
知っている絵本が全然ない。
あれ?
唯一、アーサー・ビナードさんが取り上げていた、誰もが知っているだろうこぶとりじいさんの話、「こぶとり」くらい。アーサーさんはエッセイのなかで「かちかち山」や「さるかに」のことを書いていて、「うんうん、それは知っている」と思ったけれど、ほかの人が紹介している絵本に知っているものがない……。
う~んと考えました。
いま思い出しても、絵本の体裁をしたものは「シンデレラ」ともう一つ、切り絵作家の絵本はあったような気がします。
いやいや「ちびくろサンボ」や「3匹のこぶた」なんかはあったかな? くらいの記憶。
そういえば、母に読み聞かせをしてもらった記憶もありません。
なぜだろう、と数日考えました。
そして思い出したことといえば、「そうだ、私が生まれたとほぼ同時期に、父が闘病生活に突入したのだった」ということでした。
そう考えると、母も読み聞かせなんていう余裕はなかったのだろうと思います。
さらに言うと、幼少期、私は長い間、親戚の家に預けられていました。
その親戚の家には従兄・従姉がいましたが、どちらも高校生という年齢。絵本なんてあるわけがないという環境でした。
英語のラジオをずっと流しているような洋風の大人な家庭で、ただ従兄・従姉にあやされて、寝かされてという生活だったと記憶します。(とても可愛がってくれたことは覚えています)。
そういうことが幼稚園に上がるまで続いていたので、「そうだ、絵本は幼稚園のときに知ったものだ」と気づいたのでした。
ということはいくつかの絵本に接したのは、幼稚園児であった1年間だけか?
そこは定かではないのですが、考えてみると、私は絵本のほとんどない幼少期を経ていたのだというわけです。
うむ。
ということで、この本については共感したくてもできなかった、というお話でした。
まあでも、こういう記憶の掘り起こしもできたので、よしとするべきか。
話を幼少期のことに転じると、なんかね……、幼少期の自分は結構過酷な生活を送っていたなと^^;
親や姉と離れて過ごしていた時間が長いわけで、幼心にも不安だったろうなあ、と思うのです(覚えてはいませんが)。
それを思うと、小さい頃の自分に「よくやった。頑張った」と言ってやりたいと思います。はい。
おしまい。
うむ、多少の語弊はありますが、いま本を読むことぐらいしか思いつかず、何かをしようという気にもならず、ただただぼ~っとしているか、本を読んでいるかという感じでありまして。
なんて贅沢な時間の使い方をしているのだろうと若干の罪悪感も覚えつつ……(笑)
だけど、最近読んだ本ではなく、昨年読んだ本のお話。「あのとき、この本」。
絵本についてのエッセイを71人分まとめた本です。
それぞれが幼いころに触れて印象に残った絵本を紹介しているのですが、その絵本にまつわるご本人のエピソードを含めてエッセイとして書かれています。
添えられた「ときこの本」という漫画がちょっとしたアクセントになっていて、面白く読ませる構成になっています。
これを買って読もうと思ったのは、本好きを自認する人間ですから、これは読んで共感する部分がいっぱいあるに違いない。そんなことを感じ購入に至ったのでした。
そして手に取り読んでみると……。
知っている絵本が全然ない。
あれ?
唯一、アーサー・ビナードさんが取り上げていた、誰もが知っているだろうこぶとりじいさんの話、「こぶとり」くらい。アーサーさんはエッセイのなかで「かちかち山」や「さるかに」のことを書いていて、「うんうん、それは知っている」と思ったけれど、ほかの人が紹介している絵本に知っているものがない……。
う~んと考えました。
いま思い出しても、絵本の体裁をしたものは「シンデレラ」ともう一つ、切り絵作家の絵本はあったような気がします。
いやいや「ちびくろサンボ」や「3匹のこぶた」なんかはあったかな? くらいの記憶。
そういえば、母に読み聞かせをしてもらった記憶もありません。
なぜだろう、と数日考えました。
そして思い出したことといえば、「そうだ、私が生まれたとほぼ同時期に、父が闘病生活に突入したのだった」ということでした。
そう考えると、母も読み聞かせなんていう余裕はなかったのだろうと思います。
さらに言うと、幼少期、私は長い間、親戚の家に預けられていました。
その親戚の家には従兄・従姉がいましたが、どちらも高校生という年齢。絵本なんてあるわけがないという環境でした。
英語のラジオをずっと流しているような洋風の大人な家庭で、ただ従兄・従姉にあやされて、寝かされてという生活だったと記憶します。(とても可愛がってくれたことは覚えています)。
そういうことが幼稚園に上がるまで続いていたので、「そうだ、絵本は幼稚園のときに知ったものだ」と気づいたのでした。
ということはいくつかの絵本に接したのは、幼稚園児であった1年間だけか?
そこは定かではないのですが、考えてみると、私は絵本のほとんどない幼少期を経ていたのだというわけです。
うむ。
ということで、この本については共感したくてもできなかった、というお話でした。
まあでも、こういう記憶の掘り起こしもできたので、よしとするべきか。
話を幼少期のことに転じると、なんかね……、幼少期の自分は結構過酷な生活を送っていたなと^^;
親や姉と離れて過ごしていた時間が長いわけで、幼心にも不安だったろうなあ、と思うのです(覚えてはいませんが)。
それを思うと、小さい頃の自分に「よくやった。頑張った」と言ってやりたいと思います。はい。
おしまい。