ようやく行けた美術展 [芸術・文化]
昨年末から行きたい行きたいと思っていた美術展。ところが、11月の終わり頃から義母の調子が悪く、そうそう……このときも救急車に乗って病院に行っていたのでした(何回救急車を呼んでいるのやら)。
退院後も、オットT君の実家へ義母の様子を見に行かなくてはいけない日が続いて、行きたくても行けなかったのでした。
赤瀬川さんの展覧会、荒木さんの写真展、ナンシー関さんの回顧展に続き、東京国立近代美術館で開催されている「高松次郎ミステリーズ」。ようやく行ってきました。
義母もショートステイを始めて、呼び出しを食らうこともなかろうと。天気もいいし、いま行かないでいつ行く? という日和りです。
最寄りの竹橋駅で下車して、とことこと歩いて行きました。
竹橋。
住所表示が細かいと言っちゃ細かいけど、まとめて表示しているところは雑(笑)
そして近代美術館。
高松次郎さんといえば、赤瀬川原平さん、中西夏之さんと一緒に行動をしていた「ハイレッドセンター」で有名かと思います。
ハイレッドセンターについてはこちら→○
赤瀬川原平ときたから、高松次郎か? という感じですが、私のなかでは非常に思い出深く。
美術系の短大を卒業するとき、就職を選ばずに、もっと芸術に触れていたいということがありました。いやいや、家庭の状況を見れば、早く就職しろよ……という感じではあったのですが、いわゆるモラトリアムというやつですね^^;
芸術家になんてなれるわけがない、と心の中で思っていながらも、できれば近いところにいたいという気持ちが勝っていて、もう少し学びたいと思い悩んでいました。
そのときの選択肢が、赤瀬川さんのいる「美学校」か、高松さんのいる「Bゼミスクール」か、そのどちらかでした。
ざっくりと説明をすれば、60年代、70年代の前衛芸術を牽引してきた人たちです。
そして短大を卒業する頃といえば、80年代初め、前衛芸術というより、「軽薄短小」「おいしい生活」「ヘンタイよい子」というような時代。前衛芸術より、こちらだろうという風潮。
高松さんより、赤瀬川さんかなあ……と悩み、結局、学費の安かった美学校を選んだということがありました。
Bゼミは高かったんですよ;; 学費をアルバイトで稼がなくてはいけなくて、自分の力で支払えるのは美学校のほうだろうと。ちょい、軟弱なのでした……。
あの頃、Bゼミのほうに行っていたら、自分はどうなっていただろうなあ、と少し遠い目になります。
そんな思い出深い高松次郎さんの美術展。
感想を一言で言えば、ものすごく楽しかった!!! 行ってよかった!!! もう一回行きたい!
一言じゃないですね(笑)
作品は一言では説明できません。観念的だけど情緒的。思考を深く深く巡らすところは非常に哲学的なのだけれど、芸術家です。それを表現するとなるとどうなるのか。それが作品に明らかに反映されていて、メモなどを見ると、その説明している言葉の一つひとつがとても面白くて。見れば見るほど共感を覚えます(共感を覚える人は少ないかもしれないけれど、私はとても共感したし楽しくて仕方がなかった^^)。
影シリーズでは、写真撮影が可能でしたので、いくつか撮ってきました。
影は決して後ろについてくるというわけではない。(この影は私の影です)。
影はあるけれど、モデルは不在。(この影も私です)。
影発生装置……って言ったらいいのか? 椅子の影を発生させた作品。
この影シリーズの考え方は大変興味深く、楽しく鑑賞できました。
購入してきた図録「Takamatshu Jiro: Mysteries」には、高松さんのこんな言葉はありました。
「影を(影だけを)人工的に作ることによって、ぼくはまず、この実体の世界の消却から始めました。(それはあくまでも消却=不在化であって<超越>ではありません。)この世界の中で<完璧性>を追求するために、それは最も素朴でストレートな方法だろうと思います。しかし、そこで問題になるのは、いうまでもなく、この世界そのものが枠になるということです。実在とは無関係な不在はなくとも、より純粋な不在というものはあると思います。ぼくがこれからしなければならないことは、実在性からどこまで遠くへ行けるかという実験でなければなりません。その仕事には、完成への収斂はあっても、決して到達がないことは承知のうえです。」(「影だけを」と「純粋な不在」に強調の圏点あり)。
これは60年代に記された文章のようです。
このなかの「素朴でストレートな方法だろうと思う」というところに、突き詰めていく方向性があって、その手法に実に共感を覚えたのです。それが影である、と。
すごく深く思考していった結果の作品と思うと、また感慨深くて、面白いです。
思考の深みのはまり方も、メモを見ると想像ができるので、深みにはまっていくイメージをするだけでも面白さが増しました。
いい物を見させてもらった、の一言。
最後に、高松さんと一緒に写真が撮れるコーナーがありました。これはユーモアだなあ。
サングラスをかけて、
ご一緒すると^^
楽しい。
この帰り道。日本橋駅で降りて三越に向かう途中で「うさぎや」があったので、どら焼きを購入。ここのどら焼きは買ったことがなかったので、足が止まってしまいました^^;
そしてこれ。
美味しくいただきました。
おしまい。
退院後も、オットT君の実家へ義母の様子を見に行かなくてはいけない日が続いて、行きたくても行けなかったのでした。
赤瀬川さんの展覧会、荒木さんの写真展、ナンシー関さんの回顧展に続き、東京国立近代美術館で開催されている「高松次郎ミステリーズ」。ようやく行ってきました。
義母もショートステイを始めて、呼び出しを食らうこともなかろうと。天気もいいし、いま行かないでいつ行く? という日和りです。
最寄りの竹橋駅で下車して、とことこと歩いて行きました。
竹橋。
住所表示が細かいと言っちゃ細かいけど、まとめて表示しているところは雑(笑)
そして近代美術館。
高松次郎さんといえば、赤瀬川原平さん、中西夏之さんと一緒に行動をしていた「ハイレッドセンター」で有名かと思います。
ハイレッドセンターについてはこちら→○
赤瀬川原平ときたから、高松次郎か? という感じですが、私のなかでは非常に思い出深く。
美術系の短大を卒業するとき、就職を選ばずに、もっと芸術に触れていたいということがありました。いやいや、家庭の状況を見れば、早く就職しろよ……という感じではあったのですが、いわゆるモラトリアムというやつですね^^;
芸術家になんてなれるわけがない、と心の中で思っていながらも、できれば近いところにいたいという気持ちが勝っていて、もう少し学びたいと思い悩んでいました。
そのときの選択肢が、赤瀬川さんのいる「美学校」か、高松さんのいる「Bゼミスクール」か、そのどちらかでした。
ざっくりと説明をすれば、60年代、70年代の前衛芸術を牽引してきた人たちです。
そして短大を卒業する頃といえば、80年代初め、前衛芸術というより、「軽薄短小」「おいしい生活」「ヘンタイよい子」というような時代。前衛芸術より、こちらだろうという風潮。
高松さんより、赤瀬川さんかなあ……と悩み、結局、学費の安かった美学校を選んだということがありました。
Bゼミは高かったんですよ;; 学費をアルバイトで稼がなくてはいけなくて、自分の力で支払えるのは美学校のほうだろうと。ちょい、軟弱なのでした……。
あの頃、Bゼミのほうに行っていたら、自分はどうなっていただろうなあ、と少し遠い目になります。
そんな思い出深い高松次郎さんの美術展。
感想を一言で言えば、ものすごく楽しかった!!! 行ってよかった!!! もう一回行きたい!
一言じゃないですね(笑)
作品は一言では説明できません。観念的だけど情緒的。思考を深く深く巡らすところは非常に哲学的なのだけれど、芸術家です。それを表現するとなるとどうなるのか。それが作品に明らかに反映されていて、メモなどを見ると、その説明している言葉の一つひとつがとても面白くて。見れば見るほど共感を覚えます(共感を覚える人は少ないかもしれないけれど、私はとても共感したし楽しくて仕方がなかった^^)。
影シリーズでは、写真撮影が可能でしたので、いくつか撮ってきました。
影は決して後ろについてくるというわけではない。(この影は私の影です)。
影はあるけれど、モデルは不在。(この影も私です)。
影発生装置……って言ったらいいのか? 椅子の影を発生させた作品。
この影シリーズの考え方は大変興味深く、楽しく鑑賞できました。
購入してきた図録「Takamatshu Jiro: Mysteries」には、高松さんのこんな言葉はありました。
「影を(影だけを)人工的に作ることによって、ぼくはまず、この実体の世界の消却から始めました。(それはあくまでも消却=不在化であって<超越>ではありません。)この世界の中で<完璧性>を追求するために、それは最も素朴でストレートな方法だろうと思います。しかし、そこで問題になるのは、いうまでもなく、この世界そのものが枠になるということです。実在とは無関係な不在はなくとも、より純粋な不在というものはあると思います。ぼくがこれからしなければならないことは、実在性からどこまで遠くへ行けるかという実験でなければなりません。その仕事には、完成への収斂はあっても、決して到達がないことは承知のうえです。」(「影だけを」と「純粋な不在」に強調の圏点あり)。
これは60年代に記された文章のようです。
このなかの「素朴でストレートな方法だろうと思う」というところに、突き詰めていく方向性があって、その手法に実に共感を覚えたのです。それが影である、と。
すごく深く思考していった結果の作品と思うと、また感慨深くて、面白いです。
思考の深みのはまり方も、メモを見ると想像ができるので、深みにはまっていくイメージをするだけでも面白さが増しました。
いい物を見させてもらった、の一言。
最後に、高松さんと一緒に写真が撮れるコーナーがありました。これはユーモアだなあ。
サングラスをかけて、
ご一緒すると^^
楽しい。
この帰り道。日本橋駅で降りて三越に向かう途中で「うさぎや」があったので、どら焼きを購入。ここのどら焼きは買ったことがなかったので、足が止まってしまいました^^;
そしてこれ。
美味しくいただきました。
おしまい。
急展開 [介護・看護・その他]
なかなか更新ができず、時間ばかりが過ぎて、あっという間に1月も終わりを告げるところまできてしまいました。
早いですね。
この間、急展開となることが起きました。
義母の介護問題です。
ここのところ何となく調子の悪い日が続いていました。
どう調子が悪いかといっても、うまく説明ができないのですが、呆け始めたとかそういうことではなく、なぜか言葉が出てこない。はっきりと話せるときもあれば、ふにゃふにゃふにゃと何を言っているのかわからないときがある。
めまいがするといって救急車を呼ぶとか、いきなり交差点で転んで、近くにいた人に救出されて救急搬送されるとか、そんなことが多くなって来ました。
そんな状態が続いていたので、義兄夫婦が痴呆を疑いつつも、鬱や精神状態の問題なのか原因究明のために、痴呆や脳の専門医のところへ連れて行き検査をしたのです。
その結果……神経性の難病だったことがわかりました。
義父も晩年は特定疾患(いまは再び難病と言うようになった)に指定されていた病気を患いましたが、妻である義母までも難病指定とは、一体どんな確率? って思いましたよ。
「何と言うことでしょう」って感じです。
でも、患っていたものが一体何だったのか、ようやくわかってよかったと。
そしてその難病の治療を始めたばかりのときのこと。
ヘルパーさんが家を訪問してみれば、うんともすんとも返事がない。急遽、家に駆けつけてみれば、一階のリビングやキッチンは真っ暗。「これはまずい」と思い、二階に駆け上がって寝室に行けば、ドアが何かに引っかかって開かない。隙間からのぞいてみると、本人がベッドから落ちて倒れていて、足だけが見える。どうにかしてドアを開けようとしても開かない。声をかけても反応はない。
相当に焦りました。
万が一のことを考えて、悠長にしてはいられないとすぐに救急に電話入れ、ドアも開かないと伝えると、救急車と消防のレスキューの人が駆けつけてくれました。
そしてどうにかこうにかドアを開け、本人の様子を確認すると意識はあって、ベッドから落ちてそのまま眠ってしまった様子なのです。でもどうしてこんな状態になったのかというくらい部屋のなかがしっちゃかめっちゃかで呆然としました。そりゃドアも開かないわというくらいの物の氾濫。本人はなぜか素足でズボンもはいておらず、足はアオタンやら擦り傷だらけ。もともと片付け下手ではあるのですが、それにしてもひどい状態。
救急隊員の人も「なんでこんなことになったんだ?」と頭をひねります。
あとから考えると、難病と診断されてから使い始めた薬と、さらに眠剤を服用していたようなので、その影響でせん妄状態になったようなのです。その後、2日間くらいほぼ眠り続けたので、薬の複合的な作用がどっと出たのだろうと判断されました。
しかし、こんなことが起きては一人で家にいさせるわけにはいかず。また二階に寝室がある手前、家に連れ帰っても寝かせるところがない。う~んと考えた結果が、施設へのショートステイでした。
救急搬送された病院から、早速、急ではあるけれど受け入れてくれる施設をケアマネさんに探してもらうと、ケアマネさんが属している特別養護老人ホームが何とか受け入れられそうだということで、いったん預けることになりました。
たった一日で起きたことなのにも関わらず。急展開です。
そうして本人の様子を見てもらいながら、次のショートステイ先の手続きを開始。
そうこうしているうちに、本人も症状が改善して、家に帰りたいと言い出す始末。
もともと老人ホームへは入りたくないと言い続けていました。でも本人を見れば、もう一人暮らしは無理な状態です。かといって同居ができるような人ではないし、同居できるような状況にもありません。
ヤムナシ。
贅沢ばかりしてきた人です。それなりに納得のいくホームでなければ、文句を言い続けるでしょう。
ということでケアマネさんが薦めて来た施設は、ホテルライフな感じの介護付き有料老人ホーム。家からもそんなに遠くはないところにありました。
まずはショートステイになりますが、ついに入所の運びとなったのです。それが昨日のこと。
難病がわかったのが17日。19日には義母の携帯電話の防犯ブザーが鳴り続け、それを止めに行ったときは、まだいつもと変わっていませんでした。そしてその翌日の20日14時半過ぎにぶっ倒れているのを発見して、その日のうちに特養でのショートステイを開始。そして昨日24日に介護付き有料老人ホームに入所という流れとなりました。
実際のところ、義母の介護というのは、義兄夫婦にすべてをお願いしています。なので、なるべく口は出さずに、できることだけをやればいいと思ってきました。しかし、倒れているのを発見するのは、やっぱり近くに住んでいる私たち次男夫婦になってしまうわけで。そして介護経験の少ない兄嫁さんにはわからないこともあるでしょう。やっぱり口を出さずにはおれず、当初はどこかの病院に入院できたら、ということ義兄嫁は考えていたようですがどうにもならず、それならどこかの施設にショートステイができるのではないかと義兄嫁に伝え、ケアマネさんとのやりとりをしてもらったという……。
難病指定のこととか、身障者手帳とか、義父のときの経験もあるので、あんまり口出しをしたくなかったのですが、こちらもヤムナク口出し。
いまのところ義兄嫁も不機嫌にはなっていないので、大丈夫かな^^;
そんなこんなのバタバタな日々でありました。
初詣にようやく大雄山に行けたときの富士山です。
ネタがたまってきてしまっています……。そのうち書けるかな。
おしまい。
早いですね。
この間、急展開となることが起きました。
義母の介護問題です。
ここのところ何となく調子の悪い日が続いていました。
どう調子が悪いかといっても、うまく説明ができないのですが、呆け始めたとかそういうことではなく、なぜか言葉が出てこない。はっきりと話せるときもあれば、ふにゃふにゃふにゃと何を言っているのかわからないときがある。
めまいがするといって救急車を呼ぶとか、いきなり交差点で転んで、近くにいた人に救出されて救急搬送されるとか、そんなことが多くなって来ました。
そんな状態が続いていたので、義兄夫婦が痴呆を疑いつつも、鬱や精神状態の問題なのか原因究明のために、痴呆や脳の専門医のところへ連れて行き検査をしたのです。
その結果……神経性の難病だったことがわかりました。
義父も晩年は特定疾患(いまは再び難病と言うようになった)に指定されていた病気を患いましたが、妻である義母までも難病指定とは、一体どんな確率? って思いましたよ。
「何と言うことでしょう」って感じです。
でも、患っていたものが一体何だったのか、ようやくわかってよかったと。
そしてその難病の治療を始めたばかりのときのこと。
ヘルパーさんが家を訪問してみれば、うんともすんとも返事がない。急遽、家に駆けつけてみれば、一階のリビングやキッチンは真っ暗。「これはまずい」と思い、二階に駆け上がって寝室に行けば、ドアが何かに引っかかって開かない。隙間からのぞいてみると、本人がベッドから落ちて倒れていて、足だけが見える。どうにかしてドアを開けようとしても開かない。声をかけても反応はない。
相当に焦りました。
万が一のことを考えて、悠長にしてはいられないとすぐに救急に電話入れ、ドアも開かないと伝えると、救急車と消防のレスキューの人が駆けつけてくれました。
そしてどうにかこうにかドアを開け、本人の様子を確認すると意識はあって、ベッドから落ちてそのまま眠ってしまった様子なのです。でもどうしてこんな状態になったのかというくらい部屋のなかがしっちゃかめっちゃかで呆然としました。そりゃドアも開かないわというくらいの物の氾濫。本人はなぜか素足でズボンもはいておらず、足はアオタンやら擦り傷だらけ。もともと片付け下手ではあるのですが、それにしてもひどい状態。
救急隊員の人も「なんでこんなことになったんだ?」と頭をひねります。
あとから考えると、難病と診断されてから使い始めた薬と、さらに眠剤を服用していたようなので、その影響でせん妄状態になったようなのです。その後、2日間くらいほぼ眠り続けたので、薬の複合的な作用がどっと出たのだろうと判断されました。
しかし、こんなことが起きては一人で家にいさせるわけにはいかず。また二階に寝室がある手前、家に連れ帰っても寝かせるところがない。う~んと考えた結果が、施設へのショートステイでした。
救急搬送された病院から、早速、急ではあるけれど受け入れてくれる施設をケアマネさんに探してもらうと、ケアマネさんが属している特別養護老人ホームが何とか受け入れられそうだということで、いったん預けることになりました。
たった一日で起きたことなのにも関わらず。急展開です。
そうして本人の様子を見てもらいながら、次のショートステイ先の手続きを開始。
そうこうしているうちに、本人も症状が改善して、家に帰りたいと言い出す始末。
もともと老人ホームへは入りたくないと言い続けていました。でも本人を見れば、もう一人暮らしは無理な状態です。かといって同居ができるような人ではないし、同居できるような状況にもありません。
ヤムナシ。
贅沢ばかりしてきた人です。それなりに納得のいくホームでなければ、文句を言い続けるでしょう。
ということでケアマネさんが薦めて来た施設は、ホテルライフな感じの介護付き有料老人ホーム。家からもそんなに遠くはないところにありました。
まずはショートステイになりますが、ついに入所の運びとなったのです。それが昨日のこと。
難病がわかったのが17日。19日には義母の携帯電話の防犯ブザーが鳴り続け、それを止めに行ったときは、まだいつもと変わっていませんでした。そしてその翌日の20日14時半過ぎにぶっ倒れているのを発見して、その日のうちに特養でのショートステイを開始。そして昨日24日に介護付き有料老人ホームに入所という流れとなりました。
実際のところ、義母の介護というのは、義兄夫婦にすべてをお願いしています。なので、なるべく口は出さずに、できることだけをやればいいと思ってきました。しかし、倒れているのを発見するのは、やっぱり近くに住んでいる私たち次男夫婦になってしまうわけで。そして介護経験の少ない兄嫁さんにはわからないこともあるでしょう。やっぱり口を出さずにはおれず、当初はどこかの病院に入院できたら、ということ義兄嫁は考えていたようですがどうにもならず、それならどこかの施設にショートステイができるのではないかと義兄嫁に伝え、ケアマネさんとのやりとりをしてもらったという……。
難病指定のこととか、身障者手帳とか、義父のときの経験もあるので、あんまり口出しをしたくなかったのですが、こちらもヤムナク口出し。
いまのところ義兄嫁も不機嫌にはなっていないので、大丈夫かな^^;
そんなこんなのバタバタな日々でありました。
初詣にようやく大雄山に行けたときの富士山です。
ネタがたまってきてしまっています……。そのうち書けるかな。
おしまい。
20年 [悼み]
20年経った。
私も年をとるわけだ。
頑張ろう、とか、前を向こう、とか、被災した人たちに向けて、そんな言葉を投げかける気はさらさらなく、黙って見守るしかないと思ってきた。
支えられるのであれば、支えることを考えようと思ってきた。
頑張る必要はない。
生きてさえいれば、何とかなる。
阪神淡路大震災で命を落とされた方々の、ご冥福をお祈りいたします。
この招き猫は、島根の長浜人形だそうです。
無印良品の福缶から、この子が出てきました。
土人形好き、猫好きにはありがたい人形。
日本に、世界に、福が訪れますように。
私も年をとるわけだ。
頑張ろう、とか、前を向こう、とか、被災した人たちに向けて、そんな言葉を投げかける気はさらさらなく、黙って見守るしかないと思ってきた。
支えられるのであれば、支えることを考えようと思ってきた。
頑張る必要はない。
生きてさえいれば、何とかなる。
阪神淡路大震災で命を落とされた方々の、ご冥福をお祈りいたします。
この招き猫は、島根の長浜人形だそうです。
無印良品の福缶から、この子が出てきました。
土人形好き、猫好きにはありがたい人形。
日本に、世界に、福が訪れますように。
すべての人が幸せな一年でありますように。 [日記]
あけましておめでとうございます。
松の内が明けたところで新年のご挨拶とは、大変失礼いたします。
年末に故障したPCは、年内には修理から帰ってきておりました。一度、電源を入れてみて、動くかどうかを試しはしましたが、その後、夫T君の冬休みが終わるまで手をつけず、昨日、ようやく稼動させてみています。
500ギガの外付けHDDもいっぱいになりそうだったので、3テラの外付けを購入し、やっとです。ふう。
年末の忙しい時期にずいぶんと振り回されてしまいました。
マザーボードからして取り換えるという、大きな修理でございました。何気なくお金もかかっている^^;
返却されてきてみれば、HDDのチリチリという音も、ほのかに違う感じに……。もしやHDDも取り換えたのか? と思うようなできばえ。ま、これであと数年持ってくれればよしとしましょう。
そして年の暮れのこと。
この冬休みは、年末のお休みが長かったので、そういう意味では楽でした。
12月28日には、いつも集まる宴会仲間のライヴに行き、翌29日は我が家で宴会。
30日はいつも行く飲み屋の打ち上げ忘年会に行って、31日は、こちらも毎年恒例の寒川神社での大祓いをしてきました。
ドン。
神門に飾られるねぶた。
詳しくはnakasamaさんのブログをご覧いただけるといいかと思います(nakasamaさんよろしくです!)。
私の雑な紹介……すみません。人頼みで……全く。
なんだかこの年末年始は頭があんまり回っていなくて、ちょっとぼうっとしていました。いつもの年末年始の慌ただしさとちょっと違っていて、不思議な感覚。いやいや、年を取ったということだけかもしれませんが。
さて、大祓いをしたのちに行うのは、これまた毎年恒例のおみくじですよ。
ここ数年、ずーっと低空飛行であったご神託です。じーっとしておれとか、無理をするでないとか、そんなことが続いていました。
それで今回はどうだったかというと……。
なんと、とっても久しぶりの「大吉」。びっくり(@_@)
それも「宝ができる」とか、「願いはかなう」とか、そのような文言ばかりが並び、文句のつけようがない内容でした。
大丈夫か? 私。
但し書きは一つ。きちんと身を正していること。「そうではないと、かなわないよ」と最後には書かれていました。
確かにその通り。
しかし、近来まれにみる素晴らしい内容だったので驚きが先立ち、本当に「大丈夫か? 私」状態(笑)
年が明けて、yahoo!のネットおみくじを引いてみても「文句なしの大吉」と出て、これは大変だと。
身を引き締めて、この一年に取り掛からなくてはいけないと思いました。
う~ん。結構荷が重い^^;
でも頑張らないと!
それから1月3日になり、どこかへ初詣に行こうかと調べて探した先は、秦野にあるお寺。
未年の守り本尊が大日如来であるということで、調べたところでした。何でも、神奈川最古の大日如来像があるというので、それは行かねばならぬだろうとT君に車を走らせてもらいました。
ここ。
秦野は宝蓮寺大日堂。
大山ヤビツ峠の玄関口にそのお寺はありました。
<クリックで大きくなります。>
着いてみれば誰もいなくて、全く商売っ気のないお寺さん。
T君とともに、「あれ?」って。
大晦日、元日と参拝客はいたのだと思うのですが、3日ともなると誰もおらず。ヤビツ峠を攻める自転車乗りを何人か見かけた程度で、なんとももったいない。
ちなみに大日如来像は、お堂にのぞき穴があって、そこから観ることができました。ひっそりと鎮座している様子はなかなか風情があってよかったのですけれど、なんで知られていないんだろうと不思議に思うばかり。
おそらく、地元の人が多く訪れている場所なんでしょうね。
宝蓮寺大日堂については、こちらのサイトが詳しく紹介しています。→●
その大日堂を背にして、美しく見えるは相模湾。
遠くに見えているのは三浦半島。
この湾も平和が続くようにと願っています。
翌日は、天狗様のおられる大雄山最乗寺へと車を走らせましたが、またも、山に入って早々に駐車場に入ろうとする車の大渋滞にはまり、途中で引き返してきました。
「この日は来る日ではない」と、昨年に引き続き天狗様に言われてしまったようです。簡単には受け入れていただけない大雄山でありました。(たぶん、何事もなければ、来週には改めて行ってきます)。
大雄山に向かった途中で見た富士山。
雲がかかっていますが、今年も麗しく……。
どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。
松の内が明けたところで新年のご挨拶とは、大変失礼いたします。
年末に故障したPCは、年内には修理から帰ってきておりました。一度、電源を入れてみて、動くかどうかを試しはしましたが、その後、夫T君の冬休みが終わるまで手をつけず、昨日、ようやく稼動させてみています。
500ギガの外付けHDDもいっぱいになりそうだったので、3テラの外付けを購入し、やっとです。ふう。
年末の忙しい時期にずいぶんと振り回されてしまいました。
マザーボードからして取り換えるという、大きな修理でございました。何気なくお金もかかっている^^;
返却されてきてみれば、HDDのチリチリという音も、ほのかに違う感じに……。もしやHDDも取り換えたのか? と思うようなできばえ。ま、これであと数年持ってくれればよしとしましょう。
そして年の暮れのこと。
この冬休みは、年末のお休みが長かったので、そういう意味では楽でした。
12月28日には、いつも集まる宴会仲間のライヴに行き、翌29日は我が家で宴会。
30日はいつも行く飲み屋の打ち上げ忘年会に行って、31日は、こちらも毎年恒例の寒川神社での大祓いをしてきました。
ドン。
神門に飾られるねぶた。
詳しくはnakasamaさんのブログをご覧いただけるといいかと思います(nakasamaさんよろしくです!)。
私の雑な紹介……すみません。人頼みで……全く。
なんだかこの年末年始は頭があんまり回っていなくて、ちょっとぼうっとしていました。いつもの年末年始の慌ただしさとちょっと違っていて、不思議な感覚。いやいや、年を取ったということだけかもしれませんが。
さて、大祓いをしたのちに行うのは、これまた毎年恒例のおみくじですよ。
ここ数年、ずーっと低空飛行であったご神託です。じーっとしておれとか、無理をするでないとか、そんなことが続いていました。
それで今回はどうだったかというと……。
なんと、とっても久しぶりの「大吉」。びっくり(@_@)
それも「宝ができる」とか、「願いはかなう」とか、そのような文言ばかりが並び、文句のつけようがない内容でした。
大丈夫か? 私。
但し書きは一つ。きちんと身を正していること。「そうではないと、かなわないよ」と最後には書かれていました。
確かにその通り。
しかし、近来まれにみる素晴らしい内容だったので驚きが先立ち、本当に「大丈夫か? 私」状態(笑)
年が明けて、yahoo!のネットおみくじを引いてみても「文句なしの大吉」と出て、これは大変だと。
身を引き締めて、この一年に取り掛からなくてはいけないと思いました。
う~ん。結構荷が重い^^;
でも頑張らないと!
それから1月3日になり、どこかへ初詣に行こうかと調べて探した先は、秦野にあるお寺。
未年の守り本尊が大日如来であるということで、調べたところでした。何でも、神奈川最古の大日如来像があるというので、それは行かねばならぬだろうとT君に車を走らせてもらいました。
ここ。
秦野は宝蓮寺大日堂。
大山ヤビツ峠の玄関口にそのお寺はありました。
<クリックで大きくなります。>
着いてみれば誰もいなくて、全く商売っ気のないお寺さん。
T君とともに、「あれ?」って。
大晦日、元日と参拝客はいたのだと思うのですが、3日ともなると誰もおらず。ヤビツ峠を攻める自転車乗りを何人か見かけた程度で、なんとももったいない。
ちなみに大日如来像は、お堂にのぞき穴があって、そこから観ることができました。ひっそりと鎮座している様子はなかなか風情があってよかったのですけれど、なんで知られていないんだろうと不思議に思うばかり。
おそらく、地元の人が多く訪れている場所なんでしょうね。
宝蓮寺大日堂については、こちらのサイトが詳しく紹介しています。→●
その大日堂を背にして、美しく見えるは相模湾。
遠くに見えているのは三浦半島。
この湾も平和が続くようにと願っています。
翌日は、天狗様のおられる大雄山最乗寺へと車を走らせましたが、またも、山に入って早々に駐車場に入ろうとする車の大渋滞にはまり、途中で引き返してきました。
「この日は来る日ではない」と、昨年に引き続き天狗様に言われてしまったようです。簡単には受け入れていただけない大雄山でありました。(たぶん、何事もなければ、来週には改めて行ってきます)。
大雄山に向かった途中で見た富士山。
雲がかかっていますが、今年も麗しく……。
どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。