断捨離のできる人って [つれづれ]
何と申しますか、捨てられない女の言い訳みたいなものです^^;
ふと思ったことなのですが、断捨離のできる人というのは、「新しい人」なのではないか、ということなんですよ。
感覚が新しくいられる。あるいは常に新陳代謝がよく、新しい細胞で生きている。
何だか妙な話ですが、ふとそんなことを思ったのです。
きっと便秘をしないんだろうなとか、消化のいいものを食べていそうだなとか、そんな想像から広がった妄想なんですけどね。
捨てられない人と異なり、「上書き」が容易にできるのだと思うのです。
新しいバージョンが出たら、さっさと上書きができる。あんまりもともとあったデータやOSに執着はない。
捨てられない人は、ちまちまと「これはいらないかなあ、どうかなあ」なんて考えながら、少しずつ削除をしていって、ようやく新しいバージョンに移行するって感じかな。
ちょっと違うか。
とにかく少しずつ考えながらでしか捨てられないのが、捨てられない人なのだと思うわけです。
記憶とか、思い出とかもね、断捨離できる人は、さくっと上書きしつつも刷りかえられたり、忘れられたりするんだろうなあと思います。要するに「新しくいられる」ということは、新しくいられる自信や、確固たる信念みたいなものがあるのでしょう。だから消去しても大丈夫。
そうではないとできないことだと私は思ったのでした。
私自身は記憶や思い出にどっぷりなところがあって、海外旅行先のどうでもいいスーベニールなど捨てられないものがあります。それは「思い出が宿っている」と感じてしまうから。
とくに捨てられない本類は、宿っている気がして仕方がない。ちなみに私は古着や古本が苦手です。それこそ、元の持ち主の思いが宿っているような気がして、手にすることすら憚れると思ってしまうから。
さらに、夫T君も捨てられない人なのですが、彼の不思議なところは、捨てるという行為からして放棄しているということ。
ゴミか何かわからないものは、テーブルに放置(捨てるという行為を放棄)。ずーっとそのままにしてあります。
妻の私はそこで悩むわけですよ。これは捨てていいのか? いけないのか?
たまに領収証なんかがぽいっと置いてあって、会社の経費で落とすものかもしれないし、そうではないかもしれない。手にしてみるものの判断できず、同じ位置に置いておくということが続くと。当然、テーブルの上は散らかります。
それでT君はどうかというと散らかるのも平気で、目には入っているはずなのに完璧にスルーできるから大したものだと思っています。
そしてなぜ私は同じところに置いておくかというと、片づけると分からなくなるというこの男(←だんだんムカついてきた(笑))。「俺のあの領収証はどうした」と騒ぐことがあるのです。「ここに置いてあっただろ」と。こうなると手におえません。なので、なるべく同じような位置に置き、もしものときはその辺を探してもらうという対処をするのです。
ま~、何と言いますか、それは結局、T君は考えるのもやめてしまっているという証拠もあるのですけどね。
全く捨てるということを思考の俎上にのせないというわけです。
ある意味で大物。ある意味で考えもなし。
考えてみると、こういう人も違った側面で「新しくいられる」人なのかもしれないなあと思います。
こう、わりと鷹揚に構えて、上書きができる人なのではないでしょうか。そうそう、便秘知らずだし(笑)
ととと、話がそれました^^;
いや~、もう、とにかく捨てられない。捨てる以前に物が増えすぎた。
寒くなる前に、何とかしたいのですよ~。
大掃除にすこしずつ着手して、そろそろ捨てなくてはと思っておるのです、はい。
↑自分への戒めも込めて。
いまは亡き猫のD君は、ゴミというか、本やら袋に詰めた書類にまみれて寝ていました。猫にとってみれば隠れるところがいっぱいあってよかったんだろうな(笑)
おしまい。
ふと思ったことなのですが、断捨離のできる人というのは、「新しい人」なのではないか、ということなんですよ。
感覚が新しくいられる。あるいは常に新陳代謝がよく、新しい細胞で生きている。
何だか妙な話ですが、ふとそんなことを思ったのです。
きっと便秘をしないんだろうなとか、消化のいいものを食べていそうだなとか、そんな想像から広がった妄想なんですけどね。
捨てられない人と異なり、「上書き」が容易にできるのだと思うのです。
新しいバージョンが出たら、さっさと上書きができる。あんまりもともとあったデータやOSに執着はない。
捨てられない人は、ちまちまと「これはいらないかなあ、どうかなあ」なんて考えながら、少しずつ削除をしていって、ようやく新しいバージョンに移行するって感じかな。
ちょっと違うか。
とにかく少しずつ考えながらでしか捨てられないのが、捨てられない人なのだと思うわけです。
記憶とか、思い出とかもね、断捨離できる人は、さくっと上書きしつつも刷りかえられたり、忘れられたりするんだろうなあと思います。要するに「新しくいられる」ということは、新しくいられる自信や、確固たる信念みたいなものがあるのでしょう。だから消去しても大丈夫。
そうではないとできないことだと私は思ったのでした。
私自身は記憶や思い出にどっぷりなところがあって、海外旅行先のどうでもいいスーベニールなど捨てられないものがあります。それは「思い出が宿っている」と感じてしまうから。
とくに捨てられない本類は、宿っている気がして仕方がない。ちなみに私は古着や古本が苦手です。それこそ、元の持ち主の思いが宿っているような気がして、手にすることすら憚れると思ってしまうから。
さらに、夫T君も捨てられない人なのですが、彼の不思議なところは、捨てるという行為からして放棄しているということ。
ゴミか何かわからないものは、テーブルに放置(捨てるという行為を放棄)。ずーっとそのままにしてあります。
妻の私はそこで悩むわけですよ。これは捨てていいのか? いけないのか?
たまに領収証なんかがぽいっと置いてあって、会社の経費で落とすものかもしれないし、そうではないかもしれない。手にしてみるものの判断できず、同じ位置に置いておくということが続くと。当然、テーブルの上は散らかります。
それでT君はどうかというと散らかるのも平気で、目には入っているはずなのに完璧にスルーできるから大したものだと思っています。
そしてなぜ私は同じところに置いておくかというと、片づけると分からなくなるというこの男(←だんだんムカついてきた(笑))。「俺のあの領収証はどうした」と騒ぐことがあるのです。「ここに置いてあっただろ」と。こうなると手におえません。なので、なるべく同じような位置に置き、もしものときはその辺を探してもらうという対処をするのです。
ま~、何と言いますか、それは結局、T君は考えるのもやめてしまっているという証拠もあるのですけどね。
全く捨てるということを思考の俎上にのせないというわけです。
ある意味で大物。ある意味で考えもなし。
考えてみると、こういう人も違った側面で「新しくいられる」人なのかもしれないなあと思います。
こう、わりと鷹揚に構えて、上書きができる人なのではないでしょうか。そうそう、便秘知らずだし(笑)
ととと、話がそれました^^;
いや~、もう、とにかく捨てられない。捨てる以前に物が増えすぎた。
寒くなる前に、何とかしたいのですよ~。
大掃除にすこしずつ着手して、そろそろ捨てなくてはと思っておるのです、はい。
↑自分への戒めも込めて。
いまは亡き猫のD君は、ゴミというか、本やら袋に詰めた書類にまみれて寝ていました。猫にとってみれば隠れるところがいっぱいあってよかったんだろうな(笑)
おしまい。
ちょっとづつ捨ててはいるんですけどね、、、
本ってすっごく重いしね〜文庫本は特にすぐにたまる。
比較的新しいものは未練なくバザーに出しちゃうんですが、古いものほど絶対読まないものでも捨てられず、とってあるものはずーっととってあるんですよね^^;
で、いざあの本を読み返したいって思うと探しても出てこなくて(笑)
本だけじゃなくて他も同様です。
昨年1枚思い切って25年前に頑張って買ったニコルのお気に入り柄のワンピースをね、チョキチョキチクチクとチュニック風に着られるようにリメイクしましたです。たまに着てるんですよ〜。^^
ハサミ入れるのは勇気要りましたが、何だかうれしい...。
それ1枚しかやってないのにものすごい達成感です。(笑)
で、また捨てられず...。
by nakasama (2013-10-10 19:23)
*nakasamaさま*
25年前の服が着られるのは羨ましい。もうね、サイズがやばいです^^;
辛うじてセーターとかで着られるのが残っていますが、それ以外は
「えいっ!」って捨てました。ブランド物も……捨てたですよ~。
いまはアウトドアーな服ばかりになってしまって、なんで? って感じです。
そういえば、服は潔く捨てられますわ。不思議と執着がなくなりました~。
本は…廃刊になった雑誌で、全巻揃っているのがあるんですよ…。
これ、、、捨てられず。大分汚いんですけど、どうしたらいいんだか^^;
そんなのが結構ある。若いときに買った、レアなオカルト本とかも(笑)
価値が出そうとか、訳のわからないこともふと思ったりしちゃうんですよね。
貧乏性かなあ。
スッキリしたいんですけどねえ。
by toro (2013-10-11 12:12)
*東雲さま*
*Aちゃんさま*
*めりっささま*
ありがとうございます。
by toro (2013-10-22 10:57)