父の祥月命日 [家族の話]
インプット、インプットと言っていても、これでいいのか? と思ってしまうのが貧乏性のゆえんか、とも思うけれど、「働かざる者食うべからず」という言葉が胸にぐっとくるわけで、やっぱり貧乏性だな~と思ってしまうのです。
夫T君には申し訳ないと思うけれど、以前ほど根を詰めて仕事ができなくなってしまっているし、もともと営業が苦手と来ている。でも集団で行う仕事も苦手と来ているから、(年齢的にもだけど)いまさら会社勤めもできない。
「ま~仕方がないか…」とお茶を濁すのです^^;
昔、本当に倒れたくらい働いたからいいじゃないさ、と言い訳もする(笑)
さて、父の祥月命日がやってくるというので、お墓参りに行ってきました。
(お寺近くのショッピングセンター横で、梅がきれいに咲いていました。しかしこの壁の色…センスがない…)
毎回、自由気ままに一人で行きます。姉を誘ってもいいのだけれど、きっと車で行くことになるし(車で行くとなると買い物をして帰るとかが限定されておもしろくない)、T君を巻き込むのも申し訳ない。ということで、一人がきままでよろしと。
それで、寒風が吹くなか、電車に乗ってトコトコと出かけていきました。うちから一時間くらいかな。同じ県内なのでラクに行けるから、一人でということもある。T君の実家のお墓は、車でないと行けないから、これは残念。
で、お墓にたどり着いてみると、おそらく数日前にいけられた供花がある。
「あれ? 珍しいな」と。
不思議なことに、父方の人々はほとんど墓参りをしないようで、お盆やお彼岸に行っても、供花があったためしがない。ましてやお線香が焚かれた様子もなく、毎年、一本だけ卒塔婆が立つくらいなもの。
そんなお墓にお花があり、お線香が焚かれた後がある。
「あら、珍しいこともあるものだ」と思って、まだ枯れていないそのお花と私が持って行った花を一緒にして束に作りかえ、供えてきたのでした。
そしてお線香をモクモクと焚いて帰ってきました。
その後姉にお墓参りに行ったかどうか確かめると、「行っていない」と言うではありませんか。
それを聞いて「誰だったんだろう」と考えてしまいました。
実際、父方の親戚とは父が他界した直後から全く没交渉で、母も父の親戚を嫌っていたこともあり、私や姉も付き合うことはありませんでした。なので、父方のお墓に誰が入っているかも知らず。せいぜい祖父母と、父のお兄さんくらいかと思うのですが。(○○家とあるから、先祖代々なのか…でもわかりません^^;)
父方の親戚の一人に、罪を犯したと思われる人が一人います。その人には子どももいて、複雑な環境のなか生活をしているということを風の噂で聞いています。
父の弟が目をかけているようですが、結局のところ、よく分からない罪であるために、叔父にしても、その家族や子どもたちも複雑な何ともいえない思いを背負って生きているだろうと想像しています。
私はほとんど付き合いもなく、一体どういう状況に彼らが置かれているのかも知らないですし、何らかの複雑な思いも背負うことはなく、無関係とまで言える間柄なのですが…。
お墓に供えられていたお花がとてもささやかだったので、その印象から、もしかしたらその親戚の子どもたちかもしれない、とふと思ったのでした。
ま、たぶん違うでしょうけれど。
でもお墓に誰が入っているかも知らないのですから、入っている人によっては彼らが来てもおかしくはないわけで、父方の姓を名乗っていることもあるし、もしかしたら…なんですけどね。
とりあえず、私の想像というか、ほとんど妄想ですが、どんな気持ちでお墓参りをするのかと考えてしまいました。
親が罪を犯している。その親のご先祖様の墓をお参りする。それはどんな思いなのかと。
子どもには罪はないもんなあ~と思うわけです。でもいろんなことを背負わなければいけない。つらい思いをしているのではないかと思うのです。
でも、私が何をできるわけでもなく、そういう人がいるんだなあ、ということくらいしか意識にはないので、何をすることもありませんが。
「子どもは親を選んで生まれてくる」と、オカルトチックに言われています。漠然とですが、そうかもしれないなと思っています。
早々に他界した父を持ち、母子家庭で、まあ苦労したと言えば苦労をしてきているのかもしれませんが、そういう家庭に生まれて過ごしてきている自分を振り返ると、確かにこの親を選んで生まれてきたのかもしれないと思うことがあります。
親兄弟でも、「この人は助けなくてはいけない」とか、「この人は放っておいたほうがいい」とか思うことがあって、それがただ人との付き合いだからということではなく、血の繋がりがあってのことでも思うというのが不思議な気がするのです。それは、つまりは親を選んできたからなのではないかと。わざわざ、そういう考えを持つということ自体が関連しているのかなと。うまく説明できませんが^^;
そしてそんなことを思いつつ、その親戚の子どもたちに思いをはせてみる。
その子たちは試されているのかもしれない。試練みたいなものなのかな。そうなんでしょうね、きっと。
生きているといろんなことがあるなあ、と思います。
そんなことを考えたりした、父の祥月命日。
夫T君には申し訳ないと思うけれど、以前ほど根を詰めて仕事ができなくなってしまっているし、もともと営業が苦手と来ている。でも集団で行う仕事も苦手と来ているから、(年齢的にもだけど)いまさら会社勤めもできない。
「ま~仕方がないか…」とお茶を濁すのです^^;
昔、本当に倒れたくらい働いたからいいじゃないさ、と言い訳もする(笑)
さて、父の祥月命日がやってくるというので、お墓参りに行ってきました。
(お寺近くのショッピングセンター横で、梅がきれいに咲いていました。しかしこの壁の色…センスがない…)
毎回、自由気ままに一人で行きます。姉を誘ってもいいのだけれど、きっと車で行くことになるし(車で行くとなると買い物をして帰るとかが限定されておもしろくない)、T君を巻き込むのも申し訳ない。ということで、一人がきままでよろしと。
それで、寒風が吹くなか、電車に乗ってトコトコと出かけていきました。うちから一時間くらいかな。同じ県内なのでラクに行けるから、一人でということもある。T君の実家のお墓は、車でないと行けないから、これは残念。
で、お墓にたどり着いてみると、おそらく数日前にいけられた供花がある。
「あれ? 珍しいな」と。
不思議なことに、父方の人々はほとんど墓参りをしないようで、お盆やお彼岸に行っても、供花があったためしがない。ましてやお線香が焚かれた様子もなく、毎年、一本だけ卒塔婆が立つくらいなもの。
そんなお墓にお花があり、お線香が焚かれた後がある。
「あら、珍しいこともあるものだ」と思って、まだ枯れていないそのお花と私が持って行った花を一緒にして束に作りかえ、供えてきたのでした。
そしてお線香をモクモクと焚いて帰ってきました。
その後姉にお墓参りに行ったかどうか確かめると、「行っていない」と言うではありませんか。
それを聞いて「誰だったんだろう」と考えてしまいました。
実際、父方の親戚とは父が他界した直後から全く没交渉で、母も父の親戚を嫌っていたこともあり、私や姉も付き合うことはありませんでした。なので、父方のお墓に誰が入っているかも知らず。せいぜい祖父母と、父のお兄さんくらいかと思うのですが。(○○家とあるから、先祖代々なのか…でもわかりません^^;)
父方の親戚の一人に、罪を犯したと思われる人が一人います。その人には子どももいて、複雑な環境のなか生活をしているということを風の噂で聞いています。
父の弟が目をかけているようですが、結局のところ、よく分からない罪であるために、叔父にしても、その家族や子どもたちも複雑な何ともいえない思いを背負って生きているだろうと想像しています。
私はほとんど付き合いもなく、一体どういう状況に彼らが置かれているのかも知らないですし、何らかの複雑な思いも背負うことはなく、無関係とまで言える間柄なのですが…。
お墓に供えられていたお花がとてもささやかだったので、その印象から、もしかしたらその親戚の子どもたちかもしれない、とふと思ったのでした。
ま、たぶん違うでしょうけれど。
でもお墓に誰が入っているかも知らないのですから、入っている人によっては彼らが来てもおかしくはないわけで、父方の姓を名乗っていることもあるし、もしかしたら…なんですけどね。
とりあえず、私の想像というか、ほとんど妄想ですが、どんな気持ちでお墓参りをするのかと考えてしまいました。
親が罪を犯している。その親のご先祖様の墓をお参りする。それはどんな思いなのかと。
子どもには罪はないもんなあ~と思うわけです。でもいろんなことを背負わなければいけない。つらい思いをしているのではないかと思うのです。
でも、私が何をできるわけでもなく、そういう人がいるんだなあ、ということくらいしか意識にはないので、何をすることもありませんが。
「子どもは親を選んで生まれてくる」と、オカルトチックに言われています。漠然とですが、そうかもしれないなと思っています。
早々に他界した父を持ち、母子家庭で、まあ苦労したと言えば苦労をしてきているのかもしれませんが、そういう家庭に生まれて過ごしてきている自分を振り返ると、確かにこの親を選んで生まれてきたのかもしれないと思うことがあります。
親兄弟でも、「この人は助けなくてはいけない」とか、「この人は放っておいたほうがいい」とか思うことがあって、それがただ人との付き合いだからということではなく、血の繋がりがあってのことでも思うというのが不思議な気がするのです。それは、つまりは親を選んできたからなのではないかと。わざわざ、そういう考えを持つということ自体が関連しているのかなと。うまく説明できませんが^^;
そしてそんなことを思いつつ、その親戚の子どもたちに思いをはせてみる。
その子たちは試されているのかもしれない。試練みたいなものなのかな。そうなんでしょうね、きっと。
生きているといろんなことがあるなあ、と思います。
そんなことを考えたりした、父の祥月命日。
いやいや、せっかく時間ができたのならばゆっくりとお過ごしくださいませー!
とはいえ自分もあんまり仕事がなかった時にハローワーク行こうかしらとずっと葛藤しながら営業資料作ったりしてました。
募集広告見ると(←見てるし)年齢的にアウトなんだなーと(笑)
そうですね、生きていても父方の親戚ってなかなか縁が薄いもので...最近は法事でもめったに会わなくなりました。
やはり子供というのは母親の家庭の方が付き合いが濃くなるものなんでしょうね?
by nakasama (2013-02-22 20:04)
*nakasamaさま*
私も求人広告を見て、採用してもらえない年齢になったんだわ~と
感慨にふけっています。ちょっと寂しい(笑)
いざとなったらどんな仕事でも…と思うもののそうは問屋が卸さないと^^;
とりあえず、来月、仕事が始まるまでおとなしくしております。
父方は、本当に父親が他界してからというもの、祖母の相続が発生した
時以外に接触することもなく、どんな人がいるのかもさっぱり分かりません。
ま~母がお姑さんを嫌っていたというのが大きいかと^^;
*あんぱんち~さま*
ありがとうございます。
by toro (2013-02-25 09:04)
*めりっささま*
ありがとうございます。
by toro (2013-03-13 10:11)