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悩むわあねえ。 [介護・看護・その他]

大晦日は寒川神社へ大祓え、というのが我が家の掟のように決まっているが、初詣はそのときの気分。

近所の神社に行くときもあれば、急に思い立って、直感で決めた神社やお寺に行くときもある。

基本は直感に従う。

今年は、「江ノ島かなあ~」とぼうっと思っていたんだが、昨年、まだホルモン剤をせっせと飲んでいたときに、飲んだのを忘れないようにと付けていた日記兼手帳を開いてみた。

「あ、日向薬師に行ってた」…。

忘れていた^^;

というわけで夫T君に再び車を出してもらって、伊勢原の奥地(?)の日向薬師まで行ってきた。

折りしも「初薬師」の日。そんなこととはつゆ知らず、お寺近くまで車を走らせると駐車場は一杯。あらあらと思ったものの、既に駐車していた人に、「すぐに帰りますから」と言って、その車の前に駐車させてもらう。長居はしない。
日向薬師2.JPG

日向薬師.JPG

神社へは大祓えで行っているのだから、初詣はお寺でもよかろうという感じか。宗教観のいい加減さが、全くを持ってここで発揮される(笑)

そしてお線香を焚いて、薬師さまであるから、みんなの健康を祈る。

そういえば、手術前にここに来ていたのに、手術をすることになっちゃったなあ~なんて思う。

でも、ここに来たから手術をすることになって、スッキリできたのかもといいほうにとろう。そんなことを思った。

寅年生まれの守護仏の虚空蔵菩薩さまにもお参り。
虚空.JPG

前に来たときも思ったけれど、この木がね、なんともいい。


そうして帰宅。我が家のお正月も終わり。







こんな風に、我が家は年末年始を過ごしていたのだが、近所に暮らす伯母の家で、従兄妹や従兄のお嫁さんの間で介護問題が勃発していた。昨年10月に脳梗塞で伯母が倒れ、ほぼ寝たきりの状態になってしまったのだ。

それまでは、強力な性格の持ち主の伯母は「100歳まで生きるから」と宣言をし、憎たらしいほどの生命力を見せていた。だが、それは突然やってきて、伯母は自分では食べられない、排泄できない、という状態にまでなってしまった。大正10年生まれ。今年満90歳になる。

でも強力な性格の伯母は、家族にはわめき散らすことができるほどで、意識が朦朧としていながらも怒鳴り散らし、介護する人の心を痛めつけるような寝たきり老人となる。

一番苦労しているのは、従兄のお嫁さんだ。昨年は自分の親も倒れてしまい、聞くところによれば快方に向かっているらしいが、それでも心配のタネである。その上に、同居している義母の世話をしなければならないため、相当に参ってしまっている。

さらにその苦労にも拍車をかける人がいた。それは従兄の妹。私の従姉でもあるわけだが、素人ではもう介護が無理な状態であるにも関わらず、諦めきれない従姉は伯母を従兄の家に連れ帰り、「自分で介護をする」と言い出した。

ところが娘である従姉にもわめき散らす伯母。3日ほど頑張ったらしいがギブアップ。自分で食べられない上、自分で排泄できなくなっていた伯母は膀胱をパンパンにしてしまい、病院へ逆戻り。

従兄や従兄のお嫁さんはほっとするものの、従姉はやはり諦めきれずに、今度は伯母を民間の老人ホームに入れたいと言い出し(それも有名な老人ホーム…たぶん、高い)、それを模索し始める。

その間、従兄やお嫁さんに対して、「冷たい」だのなんだのと言っているようなのだ。

私は伯母の様子を見に行っていない。なので断定はできないのだが、リハビリで立ち直れるほどの状態ではなく、老人ホームに入れたからといっていい方向へ行くとは思えない。点滴が必要で、排泄も自分ではできないとあれば、療養型の老人病院に入れるしかないと思うのだが……。

それを従兄のお嫁さんに言うと、「その通りなの。ケアマネージャーさんもそう言っていて…」と返してきた。

そして「ケアマネージャーさんも、Nさん(従姉のこと)が介護する・老人ホームに入れるというのなら、黙って見ているだけにしたらいいですよと言っているの…」と言葉を継げた。

要するにケアマネージャーさんから見ても、従姉のしたいと思うことはもう遅く、できないだろうという見立てなのだった。

ただ、ダメだと思うまでやらせてあげるしかない、と。

さらに従兄のお嫁さんに聞けば、伯母のお金をすべて従姉が管理してしまっているらしいのだった。それを聞いたとき「ああ~」と落胆するしかなかった。

やっぱりお金なのか~、と。

お金が絡むと人は意固地になる。従姉が意固地になって、介護をするだの、老人ホームに入れるだの言っているのはお金も絡んでいるのではないかと思わざるを得ない。

伯母に生きていて欲しい、という願いで諦めきれないということもあると思うが、それだけではなく、伯母が残すであろうお金に対して何としても自分を有利な立場にしておきたいと思うだろう。

そんなことが見え隠れする。



…現在、伯母は点滴で何とか生き延びている。そろそろ、胃ろうを施すかどうか考える時期にきているようだ。

これもまた意見が分かれているようで、従姉は諦めきれない…しかし、従兄家族は胃ろうを施してまで生きながらえさせるのは反対と思っている。

悩むところだろう。

私は自然な形がいいと思っているので、胃ろうには反対だ。

はからずも、今朝の朝日新聞で、胃ろうで自分が作ったものを親の胃に流し入れている人の記事が出ていた。通常の栄養剤ではそのまま排泄してしまい、体が痩せ細り、衰弱していったのだそうだ。それを見かねて、自分で作ったものを胃に入れるようになったというものだ。

すると排泄も普通になり、顔色もよくなり、体は回復してきた…という。

だが、その親子に意思の疎通ができるようになったかというと、そうではないらしい。
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000151101140001

これを読んで、まるで植物を育てているようだなあと思った。

植物でも生きてはいるのだけれど、人としてはどうなんだろうか…と思った。

生きていて欲しいと思う気持ちはわかる。でも、意思の疎通もできずに、植物のように生かされるというのはどうなんだろう。本人はどう思っているんだろう。

もし、意識がはっきりしていて、自分で胃ろうをするかどうか聞けるのであれば聞きたいところだ。

私自身は意識がはっきりしていて、胃ろうを施してでも会話が出来、さらに回復が望めるのであれば、お願いするだろう。

でも…。

伯母の場合は悩むところだ。



T君のお祖母さんは胃ろうの手術を受けた。すでに意識はなかったときの手術。その後一年くらいは生きていただろうか。胃ろうの施された意識のないお年寄りが、何人も寝かされていた病室を見たときは、切ない思いがした。

やっぱり自然のままで、自然の摂理に任せたほうがいいのではないかと思う。

食べられなくなるということは、終わりということではないのかな…。

胃ろうのことを考えると、人はいつ死ねばいいんだろうかと考えてしまう。

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コメント 4

nakasama

そうですね、自分も義母を見てくださっている職員の方々とターミナルケアの話をしていて、頭ではtoroさんと同感なのですが、否定も肯定も出来ないでいる部分がそこです...。
以前義母と同室だったおばあちゃんのご家族は胃ろうを拒否しました。
流石に最後の方は病院で過ごされたようでしたが、それはそれで痩せ細って弱って行く親を見送るという強い覚悟がなくては出来ないことだな...と痛烈に感じています。
答えはないだろうな〜と思うので、ご本人と向き合って介護をする側のご家族の悔いが残らないように送ってあげるしかないのでしょうね。

なんというか、もっと明るく楽しくむかえる終末期ライフってないものかしら?って自分たちの老後も含め考えちゃいますね...
私の場合は口から食べられなくなった場合は自分の意志で安楽死プリーズ!なんですけど(見送る人のためにもそういう選択肢があってもいいのでは?と思う今日この頃・・・)まぁ、合法化は無理でしょうねぇ〜。
by nakasama (2011-01-17 09:33) 

toro

*nakasamaさま*
そうなんですよ。自分の場合は「胃ろうなんて必要なし!」と遺言書なり、
尊厳死を望む文書を残すと思うのですが、こう…意思表示のない場合など
はどうしていいかわからないですよね。
見殺しにしているのではないかという感覚…。罪悪感が残るかもしれない
決断…。
「これでよかったんだ」と思えれば御の字なのですが、、、。

「明るいターミナルケア」「楽しい終末期ライフ」…。
実現したらいいですよね。


*sumiさま*
*ケイクスさま*
ありがとうございます。
by toro (2011-01-18 08:59) 

こぎん

なんとか無事に帰ってきました。
励ましのコメント、ありがとうございました!

難しい話しですね~。
今回、土壇場で外科病棟って~か、一般病棟に回され、
詳しい病気はなぞですが、ドアが開いている開放的病室なんで、
ちらっと見えてしまう範囲でウォッチングしていましたが・・・
本当に病人、たくさんいますわ。

胃ろうもですが、家はダンナと呼吸器について話すことがあります。
ダンナ、今は「しない!」と言っていますが、苦しくなった時に、
その意思が通せるか。
妻、見ていられるか・・・厳しい選択がこの先いっぱいあるんだな~って
病人に囲まれながら、思う入院ライフでした。
by こぎん (2011-01-18 18:12) 

toro

*こぎんさま*
ご無事で何よりでした。
まだ傷は治りませんから^^; お大事にしてくださいね。

この伯母の問題は、全く私は当事者ではないので、どうなんだろうと
想像するだけなんですが、もし自分の母親だったら…と思うと、母のときは
やりきった感がしっかりとあるので。
おそらく、うちの母は自分の意思をしっかりと表示してくれていたからなん
だろうなと思っています。
それを思うと、自分も文書でも何でも残しておかなくちゃなあ、なんて…。
残されるであろう人たちを悩ませない、苦労させない方法にもなるかなと。

厳しい選択はできればしたくないですよね。辛いなあ~。
岐路に立たされている従姉が可哀相と、ちょっと思っています。
by toro (2011-01-19 10:26) 

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