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言葉に左右されるというのは本当にある。 [言葉]

ラジオで「励まされた言葉」というのをリスナーに募集して、それを読むという特集があった。

いつも家ではラジオ(FM放送)をつけっぱなしにしているのだけれど、よく聞いているときと、そうではないときがある。ただ、こういう特集は、何となく耳に入ってしまい、「ふ~ん、そうなの」なんて感じで相槌を打ったりしている。

ところで、励みとなった言葉はいままでにあったか? と自問自答してみた。

考えていくと、何故か傷ついたときの言葉しか思い出せなくて、「私の人生暗かった~♪」なんていう気分になってしまった。

思えば小学校の5年生のとき。父が他界して引っ越しをせざるをえず(父が働いていた社宅に住んでいたから)、ようやく定住地(つまり母が家を買った)が決まり、転校した小学校でのことだ。

担任の先生となった女性からこんなことを言われたのを思い出した。


『可愛いのに無愛想ね』

よくもまあこんなことを言ってくれたものだと思うけれど、実際に無愛想であった私には「可愛いのに……」の部分は耳に届いておらず、「何を言っているんだろう、この先生」と訝しく思っただけだった。

結局、後からジワジワとボディブローのように、この先生の言葉は効いてきて、傷が広がっていったような気がする。

「そうか、無愛想というのはいけないことなのか」と。

「可愛い」の部分がどこかへ行っているんだけどね。

だいたいその頃、自分が可愛いなんて思ったことがなかったし、可愛いに価値があるなんて思ってもいなかった。なので、先生の言葉をまともに受け取ってしまったのだと思う。

いま思えば、ある種の嫉妬のようなものがこの先生にはあったのかもしれないなあと感じる。だって可愛いのに無愛想って……。「可愛いけど無愛想でよかった」とも聞こえるし、「もったいない」にも聞こえるし。

昔は可愛かったんだ、私……(笑)

もう一つ。『可愛いのに声が低い』ということも言われて、「そうか、声が低いのはよくないことなのか」と、また真に受けた私は一層しゃべらなくなり、一層無愛想になっていったのだった。


そして高校生のとき。美術を志していた私は絵を描くことが大好きで、もちろん科目としても美術を選択し、水彩画をせっせと描いていた。

そんなとき、一年間だったけれど講師としてやってきた美術の先生に言われた言葉がある。


『うまく見える絵だね』

これを言われた私は、あまりのショックと怒りで本気で筆を折った。絵を描くのを止めた。

そして自分の好きな絵を描くということを封印し、デザインのほうへ進んだ。

でも自分の好きな絵を描けないデザインは、私にはちっとも面白くなく、結局何もかも描くという行為を止めてしまったのだ。

選んだ職業といえば、書類をじっくり読み込んで、人の話を聞いて、文章を書いたり、切ったり、貼ったりという世界で、いま時点では全然違う道を選んだことになる。

本当に絵はすっかり描けなくなった。

実をいえばいまだに「うまく見える絵」というのがわからないでいる。

だって自分の絵がうまいと思ったことは一度もなかったから……。

全く、生徒の性格まで考えて言葉を発するということを、先生というのはしないんだなと思う。

無邪気に罪なことを言う人種だと、いまさらながら思う。


……ということで、私はいい先生にほとんど出会ったことがない。恩師と呼べる人もいない。なかには励みになる言葉をかけてくれた先生もいたのかもしれないが、全く記憶に残っていない。



しかし何にも励まされた覚えがない、なんていう不幸はないだろうと……。

考えてみる。



そういえば母に言われたことで、心に残っている言葉があった。


『夫婦が仲良ければいいじゃない』という一言。

別に何てことのない言葉なんだけど、義母にひどく文句を言われたあとで、母に弱音を吐いていたときに言われた言葉だ。

「あ~そうだよね~」って、思った。

傷ついたばかりのときというのは、非常に視野が狭くなっていて、それ以外は考えられないという状態になるけれど、ふっと視線の先を動かしてくれる言葉をかけてもらうと、視界が広がり、にわかに心が晴れるときがある。

そんな言葉が励みになるというものなんだろう。


もうひとつ。

もう6,7年前になろうか……。

真剣に夫T君の家族(義兄&嫁、義父母)には悩まされ、精神的な病に冒されるのではなかろうかというところまで行ってしまったとき、最後の手段に選んだのが霊能者に話を聞くというものだった。それくらいに追い詰められて藁をもつかむ思いで、その人に会いに行った。

事実、その彼女が言うことには病気になる寸前だったということ。そして、私のその状態を心配して、T君のご先祖様が彼女のところに来ているということだった。

彼女からは、どうしてそのようになったのかということと、どのように対処すればいいかということを聞いた。

さらに、おでこにあるチャクラがガチガチになっているから…ということで、そのチャクラをヒーリングしてもらったのだ。

そして最後に言われた言葉がこんなものだった。



『toroさんはね、幸せになるために生まれてきたんだよ』と。



これを言われたときは、うかつにもホロリと泣いてしまった。

おでこのチャクラも開いているし、心もゆるゆるになっていたときに言われたから、ホロリと来るのも当然といえるけれど……。


この言葉は、結局、いまも、いつも、何かあったときに反芻している。


「そうだ、私は幸せになるために生まれたんだ」と。





おしまい。


※最後はオカルトチックになってしまいましたが、こんなこともあるということで^^;
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もりけん

なるほど。toroさんは、感受性が豊かだったんですね。同じような言葉を、もし私が聞いていても、きっと何とも思わなかったように思います。私は鈍感なんですね。可愛い、うまく見える、私だったら、こっちの言葉の方が記憶に残ります。ま、楽天的なんでしょうね。母子家庭だった私にとって、いまでも忘れられないのは小学校の野球部のクラブ費(大した金額ではない)を払わなくてもいいと言われたので、その理由を尋ねたら「お母さんしかいないから」と言われたことです。ああ、この人たちは優しい振りをしている、って、なぜか子ども心にそう思いました。
by もりけん (2009-11-26 12:48) 

こぎん

感受性が豊か・・・ほりけんさんのお言葉・・・同じ事を思います。
私・・・嫌なことは忘れるように心がけしていますが・・・^^;
やっぱり忘れられないことがいっぱい。
でも、ピンでその言葉を思い出そうとしても、思い出せないです。
子どもの頃のそういうのは忘れられるけど・・・大人になって、変われない部分を指摘されると、
打ちのめされちゃう!

今なら、好きに絵を描けそうじゃないですか?

by こぎん (2009-11-27 07:05) 

nakasama

小さい頃はチビだ!薄毛だ!と言われて育ったためか?
(書いてみるとヒドイ言われようですね〜(笑))
自分はどうやら打たれ強い子だったようです。
読んでいて、知らぬ間に自分も誰かを傷つけてないかなぁ?とちょっと心配になりました。^^;
言葉もそうですが、そのときの言い方や表情というのも大きいですよね。
>後からジワジワとボディブローのように・・・
コレもありますね、たいてい大人になってからですが・・・

「励まされた言葉」はありますよ、^^病気が発覚してから
両親ともがんで亡くした女友達が
『この病気はね、かかった本人も周囲の人までも人間として大きく成長させてくれるとーっても有り難い病気なんだよ。
選ばれちゃってラッキー!って思って直してきなさいね。』
なんと言うか・・・本人に向かってラッキーかよ?って意外な言葉だったおかげで立ち直りが早かったです。
by nakasama (2009-11-27 11:34) 

toro

*もりけんさま*
「無愛想だけど可愛いわね」と言われていたらどうだったんだろう…と思う
のですが、果たして可愛い道にまい進していたかどうか(笑)
言われたときの状況として、悪意を感じたから妙に心に残っていて、傷ついた
と思っているのではないかと感じます。
子どもに対して悪意を持った言葉を投げかけてはいかんのではないかと。
でも、この経験があっていまの私があるので、まあいいかと、思っています。
優しい振りをしている……うんうん。そういうのは敏感ですよね。

*こぎんさま*
あ、もりけんさんですね^^;
私は父が他界する以前のことは、ほとんど覚えていないんですが、それ以降
は妙に覚えていて…。きっとことさら敏感になっていた時期なんでしょうね。
さらに悲観的であったというのも、きっとあるなあ。悪いほうにしか受け止め
られないという…。
いまはわりと、耳はちくわで(笑)
絵はねえ~。本当に描けなくなりました。昔のように自由に好きなように
描けたらいいなあ~と思うのですが。

*nakasamaさま*
知らぬ間に傷つけているかも…というのは、私も思ってしまいます^^;
自分のことは棚に上げて…。
思うけれど「励まされた言葉」というのは、前向きな言葉に限るということ
なのではないかと。
励ましているつもりでも、否定的な言葉だったり、後ろ向きだったりするのは
よくないですね~、きっと。
「幸運」とか「ラッキー」っていう言葉そのものの力ってあるんだろうなと
思いました。そのお友達、ステキです。

*かりちゃんさま*
ありがとうございます。
by toro (2009-11-27 19:12) 

ケイクス

皆さんのコメントを含め読んでいて
ふむふむ。。と思いました。
知らぬうちに人を傷つけている。。ことに
気づいたときに、自分のふがいなさに腹が立つ。
言葉ってのは勇気づけもするし
刃のように刺さることもある。
私も割と鈍感なほうですが、無意識に言ったり
書いたりしたことが取り返しのつかないことに
なったら。。と思うと、やはり言葉ってのは
怖いものだと思います。

toroさんも絵を描いていたんですね。。
私は中学まで。。高校で音楽のほうを
目指したのですがこれも挫折。。
人生紆余曲折だらけ。。です(^^;;
by ケイクス (2009-11-29 00:34) 

toro

*ケイクスさま*
言葉を選び始めると何も書けなくなるので、そうならないように
技術の向上というのでしょうか…目指すしかないですよね~。
でも、聞き流す技術や感性も必要なんだと、思っています。
どちらも必要…。
何というか、「いたわり」とか「ねぎらい」、「礼」といった思いを
なくなさないようにする、ということなのかなあ…。

絵はねえ。描くのが好きだったんですけどねえ;;
私も紆余曲折だらけです。成功体験というのがほとんどないですから~。
何をやってきているんだろうなあ~と反省しきりでございますー。
by toro (2009-11-30 09:45) 

mamire

心に残る言葉っていうのは素敵な言葉であって欲しいのに、辛い言葉のほうが多いかもしれませんね。
先生に「上手く見える」何ていわれたら、私は有頂天かもよ。
なんたって、美術の先生には「あなたの絵はしんでる」などと、言われたものですから。
はい、それ以来、絵の具道具はお払い箱にしましたわ。
今は、褒めて育てろって言われますけどね。
私にも、心に残る言葉があります。
年頃になって、そばかすがすごく気になっていたときに、姉が「それは、太陽にいっぱい愛されたってことよ。」と言ってくれたことです。
まぁ、痘痕もえくぼなんですが。
気の聞く言葉を言ってくれる人が周りにいたってことで、自分は路を踏み外さなかったのかなぁなんて思っています。

by mamire (2009-12-08 22:29) 

toro

*mamireさま*
>「それは、太陽にいっぱい愛されたってことよ。」
いいことを言ってくれますね~、お姉さま。
ちょっと、私もご相伴に預かっておきます…私もそばかすだらけなので^^;
(今となってはシミ?)
「うまく見える」はですね~。本当に悪意を感じましてね。
いま思えば、「もっと大胆に絵を描いてみなよ」という気持ちの裏返しだった
かもしれないなと思うのですが…。
でもね~、自分の好きな画風があるんだから、それに気づいてよね~て
いう気持ちが満載でしたよ~、あの頃は。
それに絵で表彰されたりしていたので、変に自信があった時代なんですよ^^;
鼻をへし折られた感じかもしれませんね。若気の至り?
でもやっぱり、筆は折ったままです。
by toro (2009-12-09 08:38) 

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